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田中正恭の汽車旅日記

ここは、紀行作家・田中正恭 (たなかまさやす) が、つれづれなるままに各地の旅や、鉄道に関する話題について綴っており、原則として毎週日曜日に更新しています。時には鉄道以外の話題になることもありますが、ご了承ください。なお、内容につきましてのご感想や、執筆や講演などの依頼がありましたら、お気軽にメッセージをお寄せください。なお、写真や文章の無断転載はご遠慮願います。

復活した常磐線・新地駅と坂元駅

今週は先週に引き続き、東日本大震災で被害を受けた常磐線の復旧状況です。
常磐線の駒ヶ嶺~亘理間は、原発から離れているものの、大津波のため、長期間にわたって不通になりました。
特に、新地駅と坂元駅は駅舎や跨線橋が流失し、甚大な被害を受けました。

これは、震災から2ヶ月後、平成23年5月の新地駅です。
⑭201105新地駅
あたりは完全に破壊され、目を覆いたくなるような光景が広がっていました。

その後、駒ヶ嶺~浜吉田間のうち線路が流された14.1キロの区間を、内陸部に移設して再建することが決まり、平成28年12月に5年半ぶりに復旧したのでした。

これが、再建された新地駅です。
⑮新地駅
元の駅舎から300メートル内陸部に移設されました。

周囲は、まだ空き地だらけで、大規模な防波堤の工事が行われていましたが、ようやくこの町にも電車がやって来るようになりました。
⑯新地ホーム

新たに完成した高架線を行く電車です。
⑰新地付近

一方、こちらは被災直後の坂元駅です。
⑱H1105坂元駅
こちらも無残な姿になっていました。

その駅跡には、今も町の案内看板が残っています。
⑲旧坂元駅看板

新しい駅は、西に約1100メートル移設されました。
⑳坂元駅
新駅の方が旧駅よりも町の中心に近くなりました。
㉑坂元駅ホーム
坂元駅に仙台行の電車がやって来ました。

㉒再建された高架線
再建された新しい高架橋です。

田園地帯を電車が駆け抜けていきます。
㉓坂元付近
あとは、今も不通になったままの富岡~浪江間の復旧を待つばかりです。
一日も早く、この地域に震災前の生活が戻ることを祈らずにはいられません。
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テーマ:鉄道の旅 - ジャンル:旅行

  1. 2018/09/16(日) 00:01:50|
  2. 東北
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9月15日(土)フジテレビ系「極タウン」にゲスト出演しました。

9月15日(土)、19時からフジテレビ系列全国ネットで放送される『世界!極タウンに住んでみる』に、ゲスト出演しました。
極タウン
通常、この番組は土曜日の19時57分からなのですが、この日はスペシャルなので、19時からの2時間枠でした。。
IMG_5449.jpg
番組の冒頭、ロシアの鉄道についてお話ししました。
IMG_5447.jpg
本来、海外の鉄道はそんなに詳しくはないのですが、ほかにお願いできる人がいなかったようで、なぜか私に依頼がまいりました。
IMG_5450.jpg
出番はそんなに長くはなかったのですが、最近、テレビやラジオなどの出演が多くなったのはありがたいことだと思っています。

  1. 2018/09/15(土) 21:25:06|
  2. 著作/寄稿紹介/出演/講演など
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震災以来不通の、常磐線・富岡~浪江間の現状

今日は、平成23年3月11日に起きた東日本大震災以来、不通になったままのJR常磐線の富岡~浪江間についてご紹介します。

富岡~浪江・原ノ町間には、今も常磐線の代行バスが運転されています。
①富岡駅代行バスのりば

津波に流された富岡駅は、約100メートル山側に移設されました。
②富岡駅

新しい富岡駅の裏側には、大量のフレコンバッグという黒い袋が積み上げられています。
③ん黒い袋
この袋には、東日本大震災に伴う福島第一原子力発電所の事故により、汚染された土壌が入っているのです。

そのあたりには、放射線量計が設置されていました。
IMG_6638.jpg

代行バスで浪江に向かいます。
③帰還困難地域看板
ほどなく、「帰還困難区域」の看板が見えました。原発事故から7年たった今も、福島県富岡町の北部から大熊町、双葉町の大部分の地域が、放射線量が高く、帰宅困難区域に指定されています。

帰宅困難地域を走る常磐線は不通のままですが、並行する国道6号線は、通過するだけなら通行を認められています。
けれども、国道の沿線は、あの日から時が止まったかのようです。
④ゴーストタウン
国道沿いにあった中古車販売店の駐車場には、車がそのまま放置され、蔦が絡まっていました。
⑤蔦の絡まる中古車センター

事故を起こした福島第一原発から続く送電線です。
⑥第一原発への送電線
なんだか、不気味でした。

やがて、代行バスは浪江駅に着きました。
⑦浪江駅
町の中心部は避難勧告が解除されましたが、震災前の人口21000人に対して、帰還した人は500人にも満たないのが現状です。
⑧浪江ゴーストタウン
町はまるでゴーストタウンで、駅の近くには一軒の食堂も開いていませんでした。
⑨浪江ゴーストタウン

電柱には「おはようと一声かける浪江の子」との看板がありましたが、あたりに子供の姿はまったくありません。
⑩あいさつ通り

それでも仙台方面から浪江駅までの電車が平成29年4月に復活しました。
⑪運賃表
ホームに仙台行の電車が停車しています。
⑫浪江駅ホーム
上り富岡方面のホームは閉鎖されたままです。

乗客はごくわずかでしたが、浪江駅に到着した上り電車です。
⑬浪江に到着した電車
この地域に住んでいた人々の多くが戻ってくる日は、はたして、いつ、やって来るのでしょうか。
IMG_6706.jpg
常磐線が完全復旧するのは、2020年3月の予定です。

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  1. 2018/09/09(日) 00:02:11|
  2. 北海道
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9月3日朝、文化放送に生出演しました。

来たる9月3日の朝、文化放送ラジオで放送される『くにまるジャパン極(きわみ)』という情報ワイド番組の中で、10時~11時45分の時間帯に生出演しました。
くにまるさんと

コーナー名は、「極(きわみ) シアター」第一部~第三部の中で、ほかの情報ものを挟みながら、合計48分間の生放送でした。

JOQR.png


この番組の司会者の野村邦丸さんとアシスタントの鈴木純子さんとのトークで、前回のTOKYO-FMに続き、拙著『プロ野球と鉄道』に沿った形で、鉄道と野球についてお話しました。

司会者の野村さんは元プロ野球中継アナウンサーで、鉄道も好きとのことでしたので、トークは大いに盛り上がり、オンエア時間はあっという間に過ぎてしまいました。

聞き逃された方も、ラジコ( http://radiko.jp/ )で1週間以内でしたら、文化放送の9月3日午前10時~11時30分を選んでいただければ、全国どこからでもお聞きになれます。ご興味のある方は、ぜひ、お聞きください。 



  1. 2018/09/03(月) 18:01:19|
  2. 著作/寄稿紹介/出演/講演など
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さようなら野辺山SLランド

去る8月31日、長野県野辺山高原の南牧村にあった小さな遊園地「野辺山SLランド」が惜しまれながら閉園しました。
FullSizeRender.jpg

私がここを訪れたのは1回だけで、娘が幼少だった平成11年に家族旅行の時に立ち寄ったのが最初で最後でした。
IMG_20180901_0004.jpg
このブログではこれまで、家族のプライベートな写真は一切、公開していなかったのですが、
昭和61年の開園以来、32年間に渡って多くの家族連れに親しまれてきたこのSLランドの惜別にあたって初公開することにしました。
IMG_20180901_0003.jpg
本物の蒸気機関車を初めて見た3歳の娘は、その汽笛に驚いて泣き出してしまったことを覚えています。

園内には蒸気機関車のほか、このような豆列車も走っていました。
IMG_20180901_0002.jpg
そのほか、ゴーカートや子供向けの遊具がいくつかある入場無料の遊園地でした

訪れた時期は高原に秋の気配が漂う8月の下旬、あたりには、コスモスの花が咲いていました。
IMG_20180901_0001.jpg
最終日にも、園内には同じようにコスモスが咲き誇っていたそうです。

一度しか訪れる機会はなかったけれど、こんな素朴な遊園地が消えていくのは本当に残念です。
この小さな蒸気機関車が、その後、どうなるのかが心配です。

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  1. 2018/09/02(日) 00:02:44|
  2. 甲信越
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最北の鉄路、宗谷本線の旅②

今週は先週に引き続き、日本最北の鉄路、宗谷本線をご紹介します。
JR北海道は、利用者の少ない名寄~稚内間の183・2キロを「JR単独では維持できない区間」と表明しており、今後の地元や国との交渉によっては、存続が危ぶまれる可能性もあります。

こちらは名寄駅で発車を待つ稚内行の普通列車です。
⑮名寄ホーム
名寄から北に向かう列車は、現在、特急列車が一日3本のほかには、普通列車は4本しかなく、このうち終点の稚内まで行く列車はたった2本しかありません。
こんな状況では、通勤通学に列車を利用している人は、ほぼゼロに等しいのではないかと思われます。

途中駅の紋穂内(もんぽない)駅です。
⑯紋穂内貨車駅
かつては、木造駅舎のある有人駅でしたが、現在では、使われなくなった貨物列車の車掌車を利用した傘駅です。
けれども、その貨車でさえ、老朽化が激しく乗降客はほとんどいません。

こちらは、列車の交換設備のある豊清水駅です。
⑰豊清水
有人駅時代の駅舎が残っているものの、駅周辺には廃屋が一軒あるのみ。人の気配はありません。

この天塩川温泉駅は、以前は南美深という仮乗降場でしたが、民営化後、近くにある温泉施設にちなんで、駅名が解消されました。
⑱天塩川温泉駅舎

これは天塩川温泉の露天風呂です。
⑲露天風呂
天塩川を挟んで駅から歩いて10分ほどの場所にありますが、列車でこの温泉を訪れる人は滅多にいません。

こちらはバスのターミナルを兼ねた音威子府(おといねっぷ)駅です。
⑳音威子府駅舎
かつては、この駅から浜頓別を経由してオホーツク海沿いに稚内へと向かう天北線が分岐し、多くの鉄道員が住む鉄道の町でしたが、今では、利用者も少なく、ひっそりとしています。

㉑音威子府特急
そんな音威子府から特急列車が発車していきます。

兜沼駅に入線する上り列車です。
㉒兜沼付近

こちらは兜沼駅近くにある資料館に残る歴代駅長名が書かれた額です。
㉓兜沼駅歴代駅長
大正13年から昭和59年までは駅長が勤務していたことがわかります。

そして、これが駅名と由来となった兜沼です。
㉔兜沼
蓮の葉が浮かぶ静かな沼でした。

こちらは抜海駅。
㉕抜海駅
ここまで来ると、終点の稚内まではあと2駅です。

抜海~南稚内間の日本海沿いを行く特急列車です。
㉖抜海~南稚内特急
海の向こうに利尻島の利尻岳が見えていました。

荒涼とした風景の中をたった一両の列車がやって来ました。
㉗抜海~南稚内普通列車
正に、ここは最果てを行く鉄道・・・

こちらはサロベツ原野の稚咲内(わかさかない)から見た夕暮れ食後の利尻岳です。
㉘利尻山夕景

南稚内付近の上り特急列車です。
㉙抜海~南稚内特急
かつては稚内から札幌への直通列車が、夜行列車も含めて何本も運転されていましたが、今ではわずかに旭川行2本、札幌行1本が残るのみとなってしまいました。

終点の稚内駅に停車中の普通列車です。
㉚稚内駅ホーム
この先に続く線路はありません。
㉛稚内駅名票

こちらは、稚内駅から続く稚内ドームと呼ばれる大きな防波堤で、昭和11年に完成したものです。
㉜稚内ドーム
戦前、ここから樺太への稚泊航路が発着していました。

これは、宗谷岬にある日本最北端の碑です。
㉝宗谷岬
稚内からおよそ30キロの位置にあります。

私が訪れた日、海の向こうには樺太がくっきりと見えました。
㉞樺太

こちらは昭和49年12月、吹雪の中の抜海駅を発車する蒸気機関車牽引の貨物列車です。
㉟抜海74-12-・556
昔は少々の悪天候でも運休することは滅多にありませんでした、
今なら吹雪の日に列車が走ることはないでしょう。
㊱南稚内74-12-・557
同じ日、南稚内駅構内にも煙を吐く貨物列車の姿がありました。

存続が危うくなってしまった宗谷本線。なんとか、この最北の鉄路がいつまでも走り続けてほしいと願っています。

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  1. 2018/08/26(日) 00:03:56|
  2. 北海道
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最北の鉄路、宗谷本線の旅①

今週から2回にわたって、北海道の宗谷本線をご紹介しましょう。

宗谷本線は旭川から最北の町、稚内とを結ぶ259・4キロを結ぶ最北の鉄路、
こちらは、2012年に完成した宗谷本線の起点、旭川駅の4代目駅舎です。
①旭川駅

2010年までは、こんな駅舎でした。
②2010年旭川駅

こちらは、比布(ぴっぷ)駅に停車中の下り列車です。
③比布ホーム
比布駅は、かつて、ピップエレキバンのTV-CMに登場して話題になったこともありました。

青いトタン屋根の昔ながらの北海道の駅舎です。
④比布駅舎
昭和の頃は、このような駅舎が数多く見られたものでしたが、今はひっそりとした無人駅になっていました。

塩狩付近を行く下り普通列車です。
⑤1塩狩普通
季節は5月、エゾヒガンザクラが咲き誇っていました。
⑥塩狩特急
札幌行の特急宗谷です。
そして、この駅でお花見をしながら呑んだ酒は、旭川の地酒「男山」。
⑦塩狩呑み鉄
すっきりとした辛口の酒で、気持ちよくほろ酔い気分になりました。
でも、塩狩駅は、桜の時期以外はほとんど乗降客がいないため、JR北海道は廃止を示唆しています。

これは和寒(わっさむ)駅です。
⑨和寒駅
旭川を出て、最初の特急停車駅ですが、駅員の姿はありません。

和寒~塩狩間を行く上り普通列車です。
⑨3和寒普通

そして、下り稚内行の特急サロベツが通過していきました。
⑨2和寒特急サロベツ

和寒駅構内は、複雑な配線になっていました。
⑧和寒


これは剣淵駅です。
剣淵駅舎

朝の上り列車には、列車に乗り込む地元の人の姿がありました。
⑩剣淵ホーム
剣淵は「絵本の町」として町おこしをしています。

こちらは士別駅です。
⑪士別
このあたりは農業が盛んで、駅の周りにはいくつもの煉瓦造りの農業倉庫が並んでいました。
⑫士別倉庫
この倉庫で、取り入れた米や馬鈴薯を一時保管するそうです。

こちらは宗谷本線の主要駅、名寄駅です。
⑬名寄駅舎
かつては、この駅から紋別・遠軽方面への名寄本線と、朱鞠内・深川方面への深名線が発着する要衝駅でしたが、いずれも廃止されてしまいました。

こちらは、昭和49年3月の塩狩~和寒間を行く蒸気機関車が牽引する普通列車です。
⑭塩狩~和寒74-3-25・529
その翌年に宗谷本線から蒸気機関車は姿を消しました。

名寄から先、稚内までの宗谷本線は来週ご紹介します。

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  1. 2018/08/19(日) 00:02:27|
  2. 北海道
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鉄道ダイヤ情報(9月号)に『日本縦断客車鈍行の旅』書評掲載

鉄道ダイヤ情報9月号に拙著『日本縦断客車鈍行の旅』(クラッセブックス)の書評が掲載されました。
古き良き昭和の汽車旅をお楽しみいただけますので、ご一読いただければ幸いです。
201808141343385c9[1]

有名書店の鉄道コーナー、ネット書店のほか、直接版元のクラッセ(042-310-1552)からご注文頂きますと、送料無料でお送りします。また、お近くの図書館でリクエストしていただければ、取り寄せてもらえます。ので、よろしくお願いします。
  1. 2018/08/14(火) 13:21:58|
  2. 著作/寄稿紹介/出演/講演など
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近江鉄道多賀線と多賀大社

今週は滋賀県の近江鉄道多賀線と多賀大社をご紹介します。

近江鉄道の多賀線は本線の多賀駅から分岐し、多賀大社前駅までを結ぶ2・5キロの支線です。
多賀大社への参詣客の輸送を目的に大正3年に開業し、100年以上の歴史があります。
これは、高宮駅で発車を待つ多賀線の電車です。
①高宮駅ホーム
多賀線の乗り場は本線下りと同じホーム上にありますが、本線の乗り場とは平行ではなく、三角形の二辺になっています。

こちらは高宮の駅舎です。
②高宮駅舎
平日の通勤通学時間帯と土日の午前中のみ駅員が配置されます。

唯一の途中駅はスクリーンという、変わった駅名です。
③スクリーン駅名票
これは、SCREENホールディングスという会社の敷地内にあるためで、この駅は同社の請願により平成20年に開設されました。


スクリーン~多賀大社前間を行く電車です。
④スクリーン-多賀大社前1
あたりは田んぼが広がっています。
⑤スクリーン-多賀大社前2

これが終点の多賀大社前に停車中の電車です。
⑥多賀大社前駅停車中
高宮からわずか6分の短い道のりです。

これが多賀大社前駅の駅舎です。
⑦多賀大社前駅舎
平成14年にコミュニティハウス併設の新駅舎に建て直されましたが、現在は無人駅です。

駅前にはこのような大きな鳥居が立っています。
⑧駅前鳥居
多賀大社はこの鳥居をくぐって徒歩10分あまりの場所にあります。

こんな石の道しるべがありました。
⑨道しるべ
江戸時代に建てられたものでしょうか。

駅から多賀大社まではこんな参道を歩きます。
⑩参道

こんな古い旅籠がありました。
⑪古い旅館

これが多賀大社の正面です。
⑫鳥居

鳥居をくぐると、石造りの太閤橋があります。
⑬石の太鼓橋

これが本殿です。
⑭本殿
伊邪那岐大神と伊邪那美大神を祭神とする近江第一の大社で、地元では親しみをこめて「お多賀さん」と呼ばれています。

参道で買った地酒はその名も「多賀」。
⑮呑み鉄
電車はロングシートですが、すいていたので、車内で呑んでしまいました。

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  1. 2018/08/12(日) 00:02:33|
  2. 近畿
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TOKYO-FM系全国ネット「クロノス」出演

来たる8月10日(金)、TOKYO-FM系列全国ネットの朝の情報番組『クロノス』の中の、「ブックシェルフ」というコーナーに出演することになりました。

IMG_4015.jpg
放送時間は、午前7時20分からの約7分間です。
IMG_4013.jpg

テーマは拙著、『プロ野球と鉄道』。
プロ野球と鉄道
朝のお忙しい時間ですが、お聴きいただければ幸いです。

また、聞き逃してしまっても「radiko」(ラジコ)をインストールしていただければ、1週間以内ならパソコンやスマホから聴取して頂くことが可能です。
クロノス
  1. 2018/08/05(日) 00:01:26|
  2. 著作/寄稿紹介/出演/講演など
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名鉄東岡崎駅と岡崎公園駅、徳川家康の故郷・岡崎の旅

今週は、徳川家康公の故郷、愛知県の岡崎を名古屋鉄道に乗ってご紹介しましょう。

東岡崎駅に停車中の伊奈行の普通電車です。
①東岡崎ホーム
名古屋方面から来た東岡崎行の電車が、東岡崎でそのまま行先を伊奈行に変えて運転されます。
それならそのまま伊奈行にすればいいのになあ。

東岡崎駅の駅舎は、古い岡駅デパートという駅ビルになっています。
②東岡崎駅舎
でも、中に入ってみると多くの店が閉店し、特に3階にはレストランが1軒残っているだけでした。
豊橋寄りに高架橋の新しい駅舎がすでに完成しており、この古い駅ビルはいつまであるのでしょうか。

岡崎の街を歩いてみると、あちこちに古い建物が残されています。
③精肉店
これは、精肉店ですが、ちゃんと営業しています。

こちらは旧岡崎信用金庫本店だった建物です。
④岡崎信用金庫本店
現在は、貨幣と紙幣の博物館になっています。

市内を流れる菅生川を渡る名鉄の橋梁です。
⑤菅生川橋梁①
菅生川は、またの名を乙川とも呼ばれています。
⑥菅生川橋梁②
この鉄橋は、名古屋鉄道の前身である愛知電気鐵道が野手によって、大正12年に建設されたものです。

こちらは、岡崎城のお堀にある噴水です。
⑦岡崎公園噴水
お堀を渡ると、そこに龍城神社と岡崎城があります。
⑧龍城神社と岡崎城
岡崎城は、徳川家康の祖父にあたる松平清康公が享保4年(1531)年にこの地に構えたものですが、天守閣は明治初頭に壊されてしまい、現在のお城は昭和34年に再建したものです。
⑨岡崎城

岡崎城天守閣から眺めた菅生川橋梁です。
⑩岡崎城天守閣より

岡崎公園には徳川家康公の銅像が立っています。
⑪徳川家康像

そして、その近くにはからくり時計があり、30分ごとにからくり人形が時を知らせます。
⑫からくり時計

家康館とその前に立つ武者たちです。
⑬家康館と武者たち

公園の中には東照公産湯の井戸があります。
⑭産湯井戸
これは、竹千代君と呼ばれた家康公がうまれた時に産湯を汲んだ井戸だと伝えられています。

岡崎の名産品は八丁味噌。
⑮八丁蔵通り
こちらは八丁蔵通りです。

これは八丁蔵通りに近い名鉄の岡崎公園駅です。
⑯岡崎公園駅
岡崎公園駅の隣には、愛知環状鉄道(旧国鉄岡多線)の中岡崎駅があります。
⑰中岡崎駅

岡崎公園駅に東岡崎行の電車がやって来ました。
⑱岡崎公園駅ホーム
この駅は普通電車しか停車しません。

市内で、岡崎の地酒「二兎」の冷や酒を呑んだ後・・・
IMG_3952.jpg
名鉄特急の特別車で呑み直し他カップ酒は半田の酒「國盛」。
⑲呑み鉄國盛
この日もいい一日でした。
⑳スタンプ


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  1. 2018/07/29(日) 00:02:56|
  2. 東海
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東海道本線関ヶ原駅と関ヶ原古戦場

今週は、岐阜県にある東海道本線関ヶ原駅と、関ヶ原古戦場をご紹介しましょう。

下り電車が関ヶ原駅に着きました。
①ホーム

これが関ヶ原駅です。
②駅舎
三角屋根が印象的でした。

この区間の東海道本線は、名古屋と北陸地方を結ぶ特急「しらさぎ」が通過します。
③しらさぎ3号
やって来た列車は「しらさぎ3号」金沢行で、米原から北陸本線に入ります。

次にやって来たのは、大阪発高山行の「ワイドビューひだ25号」でした。
④ひだ25号
この列車は、大阪から岐阜まで東海道本線を走り、岐阜からは高山本線に乗り入れる大阪発では唯一の列車です。

続いて、下り豊橋行、特別快速です。
⑤特別快速豊橋行
このように、次々といろんな列車がやって来ます。

さて、慶長5年(1600年)に起きた、あまりにも有名な天下分け目の関ヶ原の戦いの古戦場の歴史は、ここ関ヶ原民俗資料館で知ることができます。
⑥歴史民俗資料館
民俗資料館の近くに、東軍を率いる徳川家康本陣跡を示す石碑が建っていました。
⑦徳川本陣

こちらは徳川方の武将、細川忠興の本陣跡です。
⑧細川忠興本陣

一方、こちらは西軍の総大将、石田三成の本陣跡です。
⑨石田三成本陣
近くには兜をかたどったオブジェがありました。

そして、ここには、鎧兜姿の石田三成(右)と家臣の島左近の姿がありました。
⑩石田三成・島左近
ちょうど、この日、イベントが行われていたのです。

ここは、関ヶ原を見下ろす岡山(丸山)烽火場です。
⑪岡山烽火場
この丘の上から、東軍の黒田長政と竹中重門が開戦の烽火を上げたとされています。
⑫烽火場より

ここは、石田三成本陣のあった笹尾山に近い両軍の決戦の地です。
⑬決戦場
戦いは、最初は両軍が一進一退の攻防を繰り広げていましたが、当初、西軍についていた小早川秀秋が、徳川家康の策略により東軍に寝返ったことをきっかけに、東軍の勝利に終わります。

これは、戦いから217年後の文化14年(1817年)に、関ヶ原本陣の主であった古山兵四郎が、関ヶ原の戦いで散った戦死者の霊を弔い、歴史を後世に残すために建てた首級噴碑という首塚です。
⑭首級噴碑
あの戦いから418年、今は緑豊かな山里が広がるばかりです。

⑮鉄道唱歌の碑
駅には、関ヶ原の戦いを歌った鉄道唱歌の碑がありました。

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  1. 2018/07/22(日) 00:02:38|
  2. 東海
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春の日暮里・舎人ライナー

今週は東京の下町、荒川区の日暮里と足立区の見沼代親水公園を結ぶ日暮里・舎人ライナーをご紹介します。

日暮里・舎人ライナーが開通したのは今から10年前の平成20年3月のことでした。
それまで、足立区の舎人(とねり)地区は鉄道空白地帯で、公共交通機関は都バスに頼るしかなく、ラッシュ時は慢性的な渋滞に悩まされていました。それが、全線高架のこの新交通システム(案内軌条式鉄道)の開通により、交通事情は大幅に改善されたのでした。

これは、開業初日の日暮里・舎人ライナーの列車です。
①開業日H20
大勢の地元の人たちが開業をお祝いしていました。

始発駅の日暮里です。
②日暮里駅

日暮里では、JR山手線と常磐線、京成電鉄本線に接続します。
駅前には大田道灌の銅像が建っています。

日暮里を出るとしばらく山手線に並行しながら北上し、次の駅は西日暮里です。
③西日暮里駅
西日暮里では山手線のほか、東京メトロ千代田線と接続します。

こちらは熊野前駅です。
⑤都電
この駅では都電荒川線に乗り換えることができます。

足立小台駅に着きました。
⑥足立小台駅
この駅から足立区に入ります。隅田川と荒川との間の狭い中洲にある駅です。

足立小台付近です。
⑦足立小台付近
かなりの急勾配があることがわかります。

荒川を渡る列車です。
⑧荒川を渡る


舎人公園駅に到着する日暮里行の列車です。
⑨舎人公園桜
春の舎人公園は花いっぱいでした。

菜の花もきれいでした。
⑩菜の花

このピンクの花は何でしょうか?
⑪ピンクの花

そして、終点の見沼代親水公園に着く列車です。
⑫見沼台親水公園
日暮里・舎人ライナーは、これからも地域住民の貴重な生活の足として走り続けることでしょう。

テーマ:鉄道旅行 - ジャンル:旅行

  1. 2018/07/15(日) 00:02:29|
  2. 関東
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京阪電車宇治線の旅

今週は京都南部を走る京阪宇治線をご紹介しましょう。
京阪宇治線は、京阪本線の中書島(ちゅうしょじま)から宇治までを結ぶ7.6キロの路線です。

こちらが、宇治線の起点・中書島駅です。
①中書島駅
このあたりは、伏見の酒の本場。
②酒所伏見
数ある地酒の中で選んだのは、「坤滴(こんてき)」
③呑み鉄
さすがに通勤型の電車の中では呑みませんでした。

中書島駅で発車を待つ宇治行きの電車です。
④中書島駅ホーム

六地蔵~木幡間の山科川を宇治線の電車が渡ります。
⑤六地蔵~木幡 山科川

この区間には、戦時中陸軍の宇治火薬製造所 の専用線が分岐していました。
⑥陸軍専用線廃線跡
これは、その廃線跡の築堤です。
⑦廃線跡築堤より

廃線跡の近くに、こんな低いガードがありました。
⑧低いガード
高さはなんと1・2メートル。しゃがまないとガードをくぐることはできません。

こちらは木幡駅に停車中の電車。
⑨木幡駅

そして、こちらは黄檗(おうばく)~三室戸間ですれ違う上下線の電車です。
⑩黄檗~三室戸
隣には平行するJR奈良線の黄檗駅のホームが見えました。

こちらは黄檗宗の総本山、黄檗山萬福寺です。
⑪黄檗山萬福寺山門
ふくよかな布袋さんがなんともユーモラスでした。
⑫布袋さん

そして、これは終点の宇治駅のホームです。
⑬宇治駅ホーム
平成7年に新築されたモダンな駅舎には、たくさんの蔦がからまっていました。
⑭宇治駅舎

駅のすぐ近くに流れる宇治川に架かる鉄橋をJR奈良線の電車が走って行きました。
⑮JR奈良線103系
東京近郊ではもう見られなかった103系電車が、ここではまだ現役で走っています。

こちらはご存じ、平等院鳳凰堂です。
⑪平等院
平安時代後期の天喜元年(1053年)に建造されたこのお寺は国宝に指定されており、平成6年には、世界遺産に登録されました。

さて、こちらは昭和60年の京阪宇治駅です。
⑫京阪宇治駅S60

緑色を基調とした塗装は、現在も受け継がれています。
⑬宇治駅ホームS60

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  1. 2018/07/08(日) 00:01:37|
  2. 近畿
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男山ケーブルと京阪八幡市駅

今週は、京阪本線八幡市駅を起点とする男山ケーブルをご紹介します。
男山ケーブルは、京阪八幡市駅の東側の男山にある石清水八幡宮への参詣客の輸送を目的に大正15年に男山索道として開業しました。戦時中の昭和19年に一旦廃止されましたが、昭和30年に京阪電鉄の手によって再開しています。

これが、京阪八幡市駅前にあるケーブルの八幡市駅です。
①ケーブル八幡市駅
通常期は15~30分おきに運転されています。
②八幡市駅ホーム
このケーブルカーの全長は0・4キロで、高低差82メートルを約3分で結んでいます。

途中には2カ所のトンネルがあります。
③トンネル内
トンネル内で、登りのケーブルカーと下りのケーブルカーがすれ違います。
④トンネル外

これが男山山上駅です。
⑤男山山上駅

しっとりとした木々に囲まれた、石清水(いわしみず)八幡宮への参道が続きます。
⑥参道

こちらが石清水八幡宮の本殿です。
⑦石清水八幡宮本殿
この本殿は平成28年に国宝に指定されました。
この八幡宮は、平安時代初期の貞観2年(西暦860年)に応神天皇などをお祀りして造営された歴史あるお社です。

⑧一斗樽
境内には一斗樽が並んでいました。

山上の展望台からは京都盆地を一望に見渡すことができます。
⑨山上から
眼下には、淀川の鉄橋を渡る京阪電車を眺めることができました。
⑩山上から

こちらは、八幡市駅を通過する大阪・淀屋橋行の特急です。
⑪特急通過

そして、こちらは昭和60年に訪れた時の男山ケーブルです。
⑫S60男山ケーブル
この時はお正月だったので、石清水八幡宮の境内も大勢の初詣客で賑わっていました。
⑬S60正月石清水八幡宮


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  1. 2018/07/01(日) 00:01:19|
  2. 近畿
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京阪電車交野線

今週は京阪本線枚方市から分岐し、私市(きさいち)までの6・9キロを結ぶ京阪交野(かたの)線をご紹介しましょう。

こちらは、枚方市駅の6番ホームに停車中の交野線の電車です。
①枚方市駅

枚方市~星ヶ丘間を行く上り電車です。
IMG_0513.jpg
c2.com/t/a/n/tanakamasayasu/201805242337118f9.jpg" alt="②星ヶ丘~宮之阪" border="0" width="640" height="426" />
交野線では「きかんしゃトーマス」ラッピング電車が運転されています。

こちらは交野線の中心駅、交野市駅です。
③交野駅

交野市駅でも「きかんしゃトーマス号」に出会いました。
④交野駅発車

河内森~私市間を行く下り電車です。
⑤河内森~私市1
右後方に見えるのが河内森駅で、この駅ではJR片町線の河内磐船駅と接続しています。
⑥河内森~私市2
ここにも「きかんしゃトーマス号」がやって来ました。

⑦河内森~私市3
このあたりは、住宅街と緑の田園地帯が混在しています。

終点の私市駅を発車した「きかんしゃトーマス号」です。
⑧トーマス私市発車

こちらは、私市駅の車止の前で発車を待つ枚方市行の電車です。
⑨私市車止
三角屋根が印象的な駅舎ですね。
⑩私市駅

近くの川の上には鯉のぼりが吊るされていました。
⑪鯉のぼり

こちらは、昭和60年の私市駅です。
⑬S60私市駅

そして、こちらは同じく昭和60年の枚方市駅に停車中の交野線の電車です。
⑭S60枚方市

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  1. 2018/06/24(日) 00:21:43|
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週刊ベースボールに『プロ野球と鉄道』書評掲載

今年2月に交通新聞社から発売された拙著『プロ野球と鉄道』は、おかげさまで順調に売れているようです。
この度、『週刊ベースボール6月25日号』に書評が掲載されました。
IMG_20180623_0001.jpg
プロ野球シーズン真っ盛りのこの時期に野球雑誌に掲載されたことは光栄なことです。
内容は、下のように好意的に書いていただいております。
IMG_20180623_0002.jpg
お買い求め頂いた皆さん、ありがとうございました。
また、ご興味を感じれれた方は、引き続きよろしくお願い致します。
  1. 2018/06/23(土) 21:55:00|
  2. 著作/寄稿紹介/出演/講演など
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『日本縦断客車鈍行の旅』発刊

このたびクラッセブックスより『日本縦断客車鈍行の旅』を刊行しました。
客車鈍行表1 (340x500)
この本は、今から42年前、昭和51年の夏に、北海道の稚内から九州の長崎まで、手動式扉で、空調もなく、トイレは垂れ流しの旧態依然とした旧型客車の鈍行列車だけに乗り、日本列島を旅した時の詩情あふれる旅紀行です。
日本縦断客車鈍行の旅 (332x500)
今では絶対に味わえない古き良き昭和の汽車旅をじっくりと味わって頂ける一冊ですので、ご興味のある方はよろしくお願いします。全国有名書店または、ネット通販にて発売しています。

http://www.klasse.co.jp/

https://www.shosen.co.jp/shop/products/detail.php…

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  1. 2018/06/17(日) 00:01:31|
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【SmartFLASH】に日本有数の終着駅「北濃駅」の魅力を掲載

このたび【SmartFLASH】に日本有数の終着駅「北濃駅」の魅力を掲載しました。初のWeb記事です。
https://smart-flash.jp/lifemoney/42854

これは、4月24日にTBS系列でオンエアされた『マツコの知らない世界』でご紹介した終着駅を改めてご紹介するものです。
IMG_1119.jpg
もし、評判が良ければ、シリーズ化となるかもしれませんので、是非、ご覧になって、ご感想などを書き込んで頂ければ幸いです。
IMG_1150.jpg
  1. 2018/06/17(日) 00:00:12|
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阪和線百舌鳥駅と仁徳天皇陵

今週は大阪府堺市にあるJR阪和線百舌鳥(もず)駅と、仁徳天皇陵、および、その周辺の百舌鳥古墳群をご紹介します。

阪和線の百舌鳥は、天王寺から普通電車でおよそ26分。
①百舌鳥駅ホーム
普通しか停車しない小さな駅です。
②百舌鳥駅
新大阪・天王寺と白浜や新宮を結ぶ特急「スーパーくろしお」が通過して行きました。
③スーパーくろしお
白浜にあるアドベンチャーワールドにいるパンダにちなんだ塗装です。なんだか、笑ってしまいそうですね。

百舌鳥駅から歩いてほんの数分のところにある収塚古墳です。
④収塚古墳
このあたりは、仁徳天皇陵を囲むよう、中小44基の古墳が残されています。
これらは多くは天皇家に関係した豪族たちの墓で、陪冢(ばいちょう)と呼ばれます。

これが、仁徳天皇陵の正面です。
⑤仁徳天皇陵
南北の長さ840メートル、周囲2718メートルの日本最大の前方後円墳です。
仁徳天皇は第16代天皇で、日本書紀によれば、まだ元号のない時代、4世紀の西暦318年から83年間もの長きにわたり在位し、142歳まで生きたことになっています。初代神武天皇以後、仁徳天皇までの16人の天皇のうち、13人もが100歳以上生存したことになっており、正に神代の時代の天皇であったといえるでしょう。
これは現実にはありえないことだけれども、なんともいえない古代のロマンを感じてしまいます。

これは、北側から見た仁徳天皇陵です。
⑥仁徳天皇陵裏側
広大な堀と深い緑に木々に囲まれていますが、あまりに大きいため、その全体像を地上から見ることはできません。
これだけの規模の大きな墳墓を、神代の時代に作った古代人に、敬意を表したいと思います。

仁徳天皇陵の南側には緑豊かな大仙公園があり、市民の憩いの場になっていました。
⑦大仙公園

公園の中には美しい日本庭園があります。
⑧大仙公園日本庭園
庭園の池にはのんびりと鴨が休んでいました。
⑨鴨の池

この公園の中にもたくさんの古墳が残されています。
⑩七観音古墳
これは七観音古墳です。

これはグッショー塚古墳。
⑪グッショウ坊古墳

こちらは旗塚古墳。
⑫旗塚古墳

そして、銅亀山古墳です。
⑬銅亀山古墳
いずれも、もっこりとした小山があり、比較的規模の大きな古墳は緑の木々に覆われています。

これらの古墳から出土された埴輪(はにわ)が、公園内の博物館に展示されtれいました。
⑭埴輪

博物館にあった仁徳天皇陵を上空から見た写真です。
⑮空中写真
その規模の大きさは上空から見なければわかりません。

周辺には、多数の古墳群があることがわかります。
⑯古墳地図

そして、仁徳天皇陵の南側には第17代履中(りちゅう)天皇陵があります。
⑰履中天皇陵
履中天皇は、仁徳天皇の第一子とされ、仁徳天皇の次の天皇ですが、在位期間はわずか5年だったとされています。

こちらは仁徳天皇陵の北側にある第18代反正(はんぜい)天皇陵です。
⑱反正天皇陵
この天皇も日本書紀によればわずか4年だったそうです。

住宅街の中にひっそりと残る反正天皇陵のすぐ近くに南海高野線の堺東駅があります。
⑲堺東駅

こちらは特急「こうや」や「りんかん」も停車する高野線の主要駅です。
⑳堺東駅ホーム
こんな町の真ん中に、大規模な古墳群が現存することは驚くべきことだと思います。

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  1. 2018/06/10(日) 00:02:49|
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今はなき有田鉄道

今週は、先週に引き続き和歌山県の廃止線、紀勢本線と接続する藤並を起点とし、金屋口までの5・6キロを結んでいたミニ私鉄でした。
大正5年の開通以来、沿線住民の足として、また木材やミカンの貨物輸送のために走り続けてきましたが、昭和59年に貨物輸送を廃止。平成15年に廃線となりました。

これは、平成14年、藤並駅に停車中のレールバス「ハイモ180形」です。
①藤波駅
廃線間近のこの時、走る列車は1週間に10本のみ。
通常、1日2往復でしたが、週に2回は終日運休という状況でした。
というのも、この時点で運転士さんが一人しかおらず、彼の休日は即ち、運休日だったのです。

下津野付近を行くレールバスです。
②下津野付近
住宅が点在するみかん畑の中をのんびりと走っていました。

これは御霊(ごりょう)えきです。
③御霊駅
簡素な造りの無人の駅舎でしたが、この駅にも改札口が設置されており、かつては有人駅だったことがわかります。

踏切から見た週に10往復の列車しか走らない線路です。
④御霊付近の線路
保線状況はかなり悪く、枕木が腐敗している個所も散見されました。

終点の金谷口付近を行く列車です。
⑤金屋口車庫付近
右側に見える車庫の中には、かつて使われていたキハ58が留置(放置)されていました。

金屋口駅に飾られていたヘッドマークの数々です。
⑥ヘッドマーク
イベントなどの時に使用されたのでしょう。

さて、こちらは昭和58年に訪れた時の藤並駅です。
⑦藤波駅S58
国鉄紀勢本線の下りホームに、このような小屋のような駅舎があり、ここで乗車券を販売していました。

藤波駅に停車中のキハ58です。
⑧藤波ホームS58
この当時は、藤並から一駅だけ紀勢本線に乗り入れて、湯浅まで走っていました。

その当時の列車に設置されていたサボ(行先表示板)です。
⑨キハ58サボ

こちらは金屋口駅のホームで折り返しを待つ湯浅行の列車です。
⑩金屋口S58

当時、使われていた乗車券です。
⑪きっぷ
こんな地味なローカル私鉄が廃止されて、すでに15年が過ぎようとしています。


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  1. 2018/06/03(日) 00:02:25|
  2. 近畿
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今はなき野上電鉄

今週は、平成6年に廃止された和歌山県の野上電鉄をご紹介します。
野上電鉄は、紀勢本線の海南駅に近い、日方から登山口までの11.4キロを結ぶ路線でした。
その歴史は古く、大正5年に貨物と旅客輸送を担って日方~野上(昭和9年に紀伊野上に改称)間が開通、12年後の昭和3年に、終点の生石口(おいしくち=昭和33年に登山口に改称)まで開通しました。

私が野上電鉄を訪れたのは、昭和58年のこと。
これが、起点の日方駅です。
①日方駅
この線の駅は最後まで近代化されることがありませんでした。

日方駅のホームで発車を待つ電車です。
②日方駅ホーム
吊り掛け電車の重低音が聞こえてきそうです。

日方駅の先、200メートルの所にあった「連絡口」です。
右手には国鉄海南駅が見えており、国鉄連絡のために設けられた乗降場です。
③連絡口
あまりに距離が短いので、日方駅構内の扱いでした。
今では、JR海南駅は高架化されており、この面影は残されていません。

終点の登山口駅に着いた電車です。
④登山口ホーム
登山口と言う駅名は、生石山への入口にあたることから名づけられました。
⑤駅名票

これが登山口駅です。
⑥登山口駅舎
この駅舎もなんとも鄙びた佇まいでした

駅構内にはたくさんの古い電車が留置されていました。
⑦登山口車庫

野上電鉄のきっぷです。
⑧きっぷ⑨国鉄連絡切符

そんな野上電鉄は平成6年3月31日をもって廃止され、会社も解散してしまいました。
私が訪れた時から35年、廃線から24年、月日が流れるのは早いものです。

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  1. 2018/05/27(日) 00:03:01|
  2. 近畿
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今はなき筑波鉄道

今週は、昭和62年に廃止された茨城県の筑波鉄道をご紹介します。
筑波鉄道は、大正7年に、常磐線の土浦と水戸線の岩瀬間、40・1キロを結ぶ路線として開業しました。
その後、現在の関東鉄道常総線と合併し、常総筑波鉄道、関東鉄道と名を変え、昭和54年には再び筑波鉄道に戻った後、廃線を迎えました。

これは昭和58年の土浦駅です。
①土浦駅
筑波鉄道は、筑波山を見ながら、関東平野をのんびりと走っていました。
②サボ

途中駅の常陸北条での上下列車の交換です。
③常陸北条駅

そして、こちらは真壁駅。
④真壁駅
⑤真壁駅名票

国鉄水戸線と接続する岩瀬駅です。
⑥岩瀬駅
この駅舎は改装されてはいますがいますが、今もJR水戸線の駅として現役で使われています。

こちらは昭和50年、岩瀬駅に停車中の列車です。
⑦岩瀬駅S50

そして、当時の切符です。
⑧硬券⑨車内券
同じ線でも、関東鉄道時代と筑波鉄道になってからのもので、社名が違っています。

この線が日本地図から消えて31年、廃線跡の多くはサイクリングロードになっているそうです。

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  1. 2018/05/20(日) 00:03:54|
  2. 関東
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関東鉄道常総線「ビール列車」

今週は、茨城県を走る関東鉄道常総線の「関鉄ビール列車」の春と夏をご紹介します。
常総線は、常磐線の取手から水戸線の下館を結ぶ51.1キロの路線です。

「関鉄ビール列車」は、関東鉄道が年に数回運行するイベント列車です。
沿線には取手にキリンビール、守谷にアサヒビールの工場があるため、両社のビールが交互にビールを提供しています。

アサヒビールのビール列車が運転される日、守谷駅は桜が満開でした。
①守谷駅
青空の下を走る列車でビールを飲むのは気持ちがいいものです。
②ビール列車
このイベントの参加者には、料金の中にフリーきっぷ代金がつ含まれています。
③フリーきっぷ

車内には、レールメイトのお嬢さんたちが乗っていました。
④レールメイト

水海道駅に停車中のビール列車です。
⑤水海道駅
関東鉄道の列車にはトイレがついていないため、停車駅ではトイレタイムが設けられています。

石下駅の桜も満開でした。
⑥石下駅桜

この日の列車は下館の2駅手前の黒子駅で折り返します。
⑦黒子駅引込線
黒子に着いた列車は、普段は使われていない錆びた引き込み線で、待機し、その間、ホームではイベントが行なわれていました。

ホームでは、満開の桜の下、なぜか寅さんが、踊っていました。
⑧トラさん

こちらはガマの油の売り口上を演じるおじさんです。
⑨ガマの油売り口上
おそらく、普段はひっそりとした無人駅の黒子駅も、この日ばかりは大賑わいでした。
⑩黒子駅呑み鉄
そして、常陸太田の酒「松森」。

やがて、上下線の列車が桜が咲き誇るこの駅で交換しました。
⑪上下列車交換

さて、ここからは昨夏に走ったキリンビール列車です。
⑫夏取手駅
キリンビールの飲める列車は、同社の工場がある取手から発車します。

レールメイト嬢は浴衣姿でした。
⑬レールメイト浴衣姿
レールメイトは毎年、変わるそうです。

ビール列車の車内はこんな感じです。
⑭車内風景

この時は、石下の地酒「紬美人」が振る舞われました。
⑮紬美人
ロングシートの座席の前に、テーブルを並べると、そこは動くビアホールに早変わり・・・。
⑯3人

この時の終点は下妻でした。
⑰下妻

制服に着替えたレールメイト嬢が、敬礼をしてくれました。
⑱敬礼するレールメイト

この日もフリーきっぷがついていたので、ビール列車に降りた後に、再び折り返して終点の下館まで行ってみました。
⑲下舘駅夜

すると、町ではちょうど、夏祭りの真っ最中でした。
⑳夏祭り
通りは大勢の人で大変な賑わいです。
㉑女神輿
女神輿が、勇ましく通り過ぎて行きました。

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  1. 2018/05/13(日) 00:02:27|
  2. 関東
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井原鉄道の旅

今週は、広島県の神辺から岡山県の総社間を走る井原(いばら)鉄道をご紹介します。

井原鉄道井原線は、平成11年1月11日11時11分11秒に、開通の汽笛を鳴らした第三セクター鉄道で、JR福塩線の神辺駅と、伯備線の総社駅を結ぶ41・7キロの路線です。

神辺駅で発車を待つ総社行の列車です。
①神辺駅
一日に数本、福塩線経由で福山まで乗り入れています。

この線の中心駅、井原に到着しました。
②井原到着

井原駅の駅舎は、円錐型のオブジェが印象的です。
③井原駅舎

井原~早雲の里荏原間の小田川橋梁を渡る列車です。
④井原~荏原・小田川橋梁
立派な高架橋の上を一両だけの気動車がトコトコと走ります。
⑤井原~荏原

早雲の里荏原駅に停車中の列車です。
ここは、伊豆や相模を平定した戦国武将・北条早雲の故郷なので、その名が冠せられました。
⑥荏原駅ホーム
この駅は、近くに車庫があり、乗務員の交代も行なわれる井原線の中枢となる駅ですが、ひっそりとした無人駅です。

早雲の里荏原駅の跨線橋の上からは車庫が見えます。。
⑦荏原~小田間の車庫

こちらは、矢掛駅です。
⑧矢掛駅
矢掛は、古くからの山陽道の宿場町として栄えました。

駅の近くにある樹齢三百年の臥龍の松がある専教寺です。
⑨専教寺樹齢300年臥龍松

これは矢掛宿脇本陣高草家です。
⑩脇本陣高草家
白いなまこ壁が、日本的な美しさを見せてくれています。
⑪高草家白壁

そして、これは本陣石井家です。
⑫本陣石井家
矢掛には、このような、古い街並が残されています。

町内で買ったのは、お隣の鴨方の地酒「賀茂緑」。
⑬鴨方の酒・賀茂緑
昔は、矢掛にも蔵元があったそうですが、今は残っていないそうです。

総社行の列車がやって来ました。
⑭矢掛ホーム
この駅で上下列車が行き違いました。
⑮矢掛到着

列車は、川辺宿~清根間に架かる長大な高梁川橋梁を渡ります。
⑯川辺宿~清音高梁川橋梁
長い鉄橋を渡ると、やがて清根に着きます。
清音
清音(きよね)では、JR伯備線と合流します。
⑰清音~総社
清音~総社間は、JRと井原鉄道の重複区間となっており、伯備線の普通列車とすれ違いました。

終点の総社に着きました。
⑱総社駅ホーム
総社駅は、JRとの共同駅になっており、伯備線のほか、吉備線にも接続しています。
⑲IMG_0303 (550x367)


さて、こちらは、井原線開業時のポスターです。
⑳開業時ポスター

開業から2ヶ月後に訪れた時の神辺駅です。
㉑神辺駅開業時
「祝・鉄道井原線開通」というノボリがたくさん立っていました。

その時の神辺駅のホームです。
㉒神辺駅ホーム開業時
大勢の乗客で賑わっていましたが、18年ぶりに訪れてみると、駅はひっそりとしていました。

開業記念入場券と、開業18年記念フリーきっぷです。
㉓開業記念入場券㉔開業18年フリーきっぷ
開業時の賑わいはなくなってしまいましたが、地域の足として、いつまでも、元気に走り続けてほしいものです。



テーマ:国内旅行 - ジャンル:旅行

  1. 2018/05/06(日) 00:01:42|
  2. 中国(山陰山陽)
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テレビ出演と、「呑み鉄トークショー」と、新聞掲載

今週は、かつてないほど色々と活動した、この1週間のご報告です。

まず、4月24日夜にTBS系列全国ネットで放送された「マツコの知らない世界」に出演致しました。
①マツコ
テーマは終着駅。
終着駅
1年ほど前に刊行した拙著『終着駅』が出演のきっかけとなりました。
②予告編
「すべての終着駅を訪ねた男」という位置づけでしたが、そんな人、私の他にも大勢いるでしょうね。
③本番
番組では、銚子電鉄の外川、大井川鐡道の井川、長良川鉄道の北濃、由利高原鉄道の矢島と、哀愁漂う各地の終着駅をご紹介しました。
バックの列車の座席は、私が撮影した北海道の小樽総合博物館に保存されているキハ56を基に作られたものです。
スタジオ収録ではもっとたくさん話したのですが、オンエアではカットされてしまいました。


そして、27日には、東京神保町にある、「ブックカフェ二十世紀」にて、「東京呑み鉄ナイト」というトークショーを開催しました。
④飲み鉄ナイト看板 (413x550)
⑤ (550x412)
これは、鉄道タレントの古谷あつみさんとのコラボにより、2人で呑み鉄の楽しさと、全国各地の呑み鉄体験や、お奨めのローカル線、その地方の地酒をご紹介しました。
⑥(550x412)


そして、拙著『プロ野球と鉄道』に関して、朝日新聞の取材を受け、4月28日の全国版朝刊の、読書欄にある「著者に会いたい」というコーナーにかなり大きな記事として掲載されました。
⑦朝日新聞
このように、いろいろとお声がかかることはありがたいことと、感謝しております。

テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

  1. 2018/04/29(日) 00:00:01|
  2. 著作/寄稿紹介/出演/講演など
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私のこれまでの著作

今週は、私のこれまでの著書をご紹介します。
まずは、近年に発刊した書籍です。

こちらは自由国民社から発刊された『終着駅』です。
終着駅
これは、全国の終着駅を厳選し、鉄道写真家の南正時さん、井上廣和さん、村上悠太さんの旅情溢れる写真に、私がそれらのすべての駅の情景を綴ったものです。北は宗谷本線の稚内駅から、南は指宿枕崎線の枕崎駅まで65駅をご紹介しています。
(1512円税込)

そして、2月に発刊した『プロ野球と鉄道』(交通新聞社新書)です。
プロ野球と鉄道
かつて、国鉄、阪急、南海、西鉄、近鉄、東急など、多くの鉄道会社がプロ野球球団を保有していました。また、鉄道が発達していなかった戦前前後の遠征は、過酷を極めましたが、やがて、新幹線が開通して以来、プロ野球の日程編成に大きな変化をもたらしました。このようにプロ野球と鉄道は切っても切れない関係にあります。これらの歴史を検証するとともに、現在の12球団本拠地と鉄道アクセスや、元国鉄スワローズの金田正一さんら往年のプロ野球スターが語る鉄道に関するエピソードなどを記しています。(864円税込)

また、5月中旬には、クラッセブックスから、
『日本縦断客車鈍行の旅』を発刊予定です。
客車鈍行表1 (340x500)日本縦断客車鈍行の旅 (332x500)
これは、今から42年前、昭和51年の夏に、稚内から長崎まで、旧型の客車鈍行だけに乗って日本列島を縦断した古き良き昭和の、人情味あふれる汽車旅紀行です。(1728円税込)
【クラッセブックス(042-310-1552)にて予約受付中/郵便振替番号00100-1-667994】
(送料無料でお届けします)



そのほか、過去の主な著書です。
東日本H23夜汽車H22きえゆくH18三十年H14
鉄道以外の本もあります。
モンゴルH12 (168x250)阪神大震災H7ブレーブスH1
これからもどんどん著書を増やしていきたいと思っていますので、よろしくお願い致します。




  1. 2018/04/22(日) 00:15:16|
  2. 著作/寄稿紹介/出演/講演など
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さようなら三江線(その2)/浜原~三次

今週は先週に引き続き、3月末をもって廃線になった三江線のようすをご紹介します。

いつ来ても変わらぬ浜原駅の佇まいです。
かつて三江北線の終着駅で、国鉄時代は有人駅でしたが、近年は乗降客はほんのわずかしかいませんでした。
駅前には昭和50年の三江線全通記念の石碑が建っています。
⑳浜原駅 (550x367)
廃止が翌月末に決まった2月中旬に訪れましたが、浜原から先は1月11日の豪雪で列車は不通になったままでした。
おそらく、もはや通勤通学の足としては利用させれておらず、長期不通になっても地元への影響はほとんどないのです。
(列車の写真は、以前にご紹介した別の時に訪れた時のものです)
㉑代行バス (550x367)
浜原~三次間で運転されていた代行バスです。

代行バスを浜原から2駅目の潮(うしお)で下車しました。
㉒潮駅 (550x385)
ここは江の川に面した静かな駅ですが、このあとも1週間列車が来ることはありませんでした。
㉓潮付近江の川 (550x349)
このあたりの江の川は、まるで湖のように静かで、あたりは静寂に包まれていました。

これは別の時に行った宇都井(うづい)駅です。
㉔宇都井到着 (550x357)
宇都井駅は山と山との間にあるトンネルに囲まれており、地上からホームまでの高さは20メートルあります。
エレベーターなどはなく、列車に乗るには116段の階段を登らねばなりませんでした。
㉕宇都井駅 (550x378)

さて、こちらは雪に埋もれた口羽駅です。
㉖口羽駅舎 (550x367)
昭和38年に開業した時には、三江南線の終着駅でした。
この日、列車の来ない夕暮れの駅でイルミネーションだけが輝いていました。
㉗口羽ホーム (550x367)
そして、この駅の近くにも三江線全通の記念碑があります。
㉘口羽開通記念石碑 (550x367)
地域の人々にとって、いかにこの線の全通が待たれていたかがわかります。

こちらは、すっかり日が暮れた式敷駅のなんとも寂しい風景です。
㉙式敷夜 (550x367)
式敷駅が開業した昭和30年には、ここが三次からの列車の終着駅でした。

これは、2年前、式敷~香淀間の朝靄の中を走る列車です。
㉚式敷~香淀 (550x367)
幻想的な風景の中を、たった一両の列車が走り去って行きました。

これは、運転本数の極めて少ない三江線の中でも、多くの列車が通過する長谷(ながたに)駅です。
㉛長谷駅
この駅に停車するのは三次方面の下りが朝の2本、口羽方面への上りは午後の3本だけしか停車しません。

これは、尾関山~三次間の橋梁を渡る上りです。
㉜三次~尾関山 (550x358)
この橋梁を渡ると、間もなく終点の三次に着きます。

三次駅でひっそりと発車を待つ折り返しの列車です。
㉝三次駅ホーム(550x362)
かつては、駅舎側の1番線の脇に三江線専用ホームがありました。

そして、三次の地酒は「瑞冠」でした。
㉝三次呑み鉄(550x367)

一部開通から88年、全通から43年、三江線は役目を終え、その歴史に幕を降ろしました。


テーマ:鉄道旅行 - ジャンル:旅行

  1. 2018/04/15(日) 00:02:01|
  2. 中国(山陰山陽)
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さようなら三江線(その1)/江津~浜原

今週から2回に分けて、3月31日に廃止された、山陰本線の江津と芸備線の三次を結んでいた三江線のようすをご紹介します。

三江線は、昭和5年に江津~川戸間が開通したのち、昭和12年に川戸~浜原間が開通。その後、戦争で工事が中断したものの、酢昭和30年に、三江南線、三次~式敷間が開通し、江津~浜原間は三江北線となりました。
そして、昭和50年に最後まで未開通だった浜原~口羽間が開通し、最初に開業してから45年の時を経て、ようやく三江線が全通しました。

しかしながら、沿線に大きな町はない過疎地帯で、これといった観光資源もなかったため、当初から利用者はわずかしかいませんでした。それでも並行する道路が未整備だったため、その後も走り続けましたが、やがて、国道が整備され、利用者はさらに激減。
ついに、全通から43年の時を経て、その役目を終えたのでした。

そんな三江線には何度も足を運んでいましたが、最後に2月中旬に別れを告げに訪れました。
しかし、この時は、1月の豪雪のため、浜原~三次間が不通になっていました。

これが、江津駅で発車を待つ浜原行の列車です。
①江津 (550x366)
晩年の三江線ではキハ120形が運用されており、殆どの列車が一両だけの単行運転でした。

江津の次の駅、江津本町です。
②江津本町 (550x367)
本町がつくと、いかにも町の真ん中の駅という感じですが、周囲には何もありませんでした。

川平駅です。
③川平 (550x367)
この駅は、昭和5年に三江線が最初に開通した区間の終着駅でした。

これは、川戸駅付近の陸閘門(りくこうもん)と呼ばれる門の間を行く列車です。
④川戸陸閘門 (550x367)
この門は、豪雨によって江の川の水位が上がった場合に閉じられて、冠水しないようになっています。

川戸駅に着いた上り、江津行の列車です。
⑤川戸ホーム (550x367)
かつて、反対側にもホームがありましたが、晩年は使われておらず、線路もはがされていました。

これが川戸駅の駅舎です。
⑥川戸駅 (550x367)
比較的大きな駅舎でした。

ホームが一面しか使われていないのに、こんな案内板がありました。
⑦案内板 (550x367)
きっとこの案内板は反対ホームがあったころから設置されていたのでしょう。

川戸では、「玉桜」という地酒を呑みました。
⑧川戸呑み鉄 (550x367)

鹿賀という小さな無人駅でも降りてみました。
⑨鹿賀ホーム (550x367)

雪の積もった田園地帯に、ひっそりと駅がありました。
⑩鹿賀駅遠景 (550x367)

そんな駅に江津行の列車が到着します。
⑪鹿賀到着 (550x367)

因原にも古い木造駅舎があります。
⑬因原駅 (550x367)
戦前に開業した三江北線区間には、趣のある木造駅舎がたくさん残されていたのです。

こちらは、沿線の主要駅の石見川本駅です。
⑭石見川本駅 (550x367)
石見川本では「池月」を買いました。
⑮石見川本呑み鉄 (550x367)

小さな無人駅、木路原です。
⑯木路原駅 (550x367)
近くの民家の窓に「ありがとう三江線木路原駅」という文字が貼ってありました。
⑰ありがとう三江線木路原駅 (550x367)

石見簗瀬駅にも古い駅舎がありました。
⑱石見簗瀬駅 (550x367)

やがて、終点の浜原に着きました。
⑲浜原到着 (550x367)
この日、この先に進むには、代行バスに乗り換えねばなりません。

とちらは江津駅に飾られていた桜満開の時期の川戸付近を行く列車の写真です、
(江津市の小林克己さんの作品)
⑳小林克己川戸桜 (550x358)
三江線は、ちょうど桜が咲くころに廃線になりました。
もう桜の咲く時期に列車が来ることは二度とありません。

来週は、浜原~三次間のようすをご紹介します。

テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

  1. 2018/04/08(日) 00:03:22|
  2. 中国(山陰山陽)
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トークショー「プロ野球と鉄道」開催

先週、東京中野にある野球居酒屋「中野塾」にて、「プロ野球と鉄道」と題したトークショーを行ないました。
これは、先日発刊した拙著『プロ野球と鉄道』の発刊を記念して開催したものです。
①
多くのプロ野球ファンや鉄道ファンの方々に出席して頂き、午後3時からの第一部、6時30分からの第二部ともに店内は満員札止めの大盛況でした。
②
プロ野球と鉄道の歴史を昔の鉄道による遠征事情や、阪神、阪急、東急、南海、国鉄、近鉄、西鉄、西武など、鉄道会社が保有した鉄道球団などについて真面目に語った後は、12球団の本拠地と鉄道アクセス、さらに元国鉄スワローズのエースだった金田正一さんらプロ野球OBのレジェンドたちに取材したエピソード、そして昭和の応援団裏話など、一部と二部あわせて4時間しゃべり続けました。
③
幸い、アットホームな雰囲気の中、出席された皆さんには好評だったようで、ホッと胸をなで下ろしています。
④
4月27日には、神保町で「呑み鉄」を題材に、もう一度、トークショーを開催する予定です。

  1. 2018/04/01(日) 00:04:44|
  2. 著作/寄稿紹介/出演/講演など
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福塩線の旅

今週は広島県を走る福塩線(ふくえんせん)のうち、塩町~府中間の非電化区間をご紹介します。
福塩線は、山陽本線の福山から芸備線の塩町間78・0キロを結ぶ路線です。
そのうち福山~府中間26・0キロは電化されており、両都市を結ぶ通勤通学路線ですが、府中~塩町間59・8キロは非電化で、山間部を行く閑散とした区間となっています。

これは、夜明け前の三次駅で発車を待つ府中行の列車です。乗客は私のほか、一人しかいませんでした。
①三次夜明け前
福塩線非電化区間の列車は、すべて芸備線の三次まで乗り入れています。

塩町駅で、備後落合、備中神代方面の芸備線と分かれて福塩線に入ります。
②塩町

朝靄の中の吉舎(きさ)駅で反対列車との交換です。
③吉舎駅朝靄
この区間では、すべてキハ120が運用されています。

梶田駅での朝焼けです。
④梶田駅朝焼け
このあたりは雪が積もっていました。

備後安田駅で停車中の列車です。
⑤備後安田駅ホーム

この駅には昔ながらの駅舎が残っています。
⑥備後安田駅舎
備後安田駅に、上り府中行き列車がやって来ました。
⑦備後安田上り列車到着
かつて貨物列車の集積場があったのでしょうか。駅構内にある錆びついた車止めを見ると、なんとも寂しさがつのります。
福塩線から貨物列車が廃止されたのは昭和61年のことでした。

甲奴(こうぬ)駅です。
⑧甲奴駅舎
こちらも昔ながらの駅舎が残っていますが、駅員の姿はありません。

甲奴~上下間を行く三次行きの列車です。
⑩甲奴~上下

そして、朝から三次の地酒「美和桜」で呑み鉄をしました。
⑨美和桜呑み鉄

こちらは、この区間の中心駅、上下駅です。
⑪上下駅舎
かつて、この駅から帝釈峡へのバスが発着していましたが、廃止されてしまいました。
⑫上下駅停車中
上下駅に府中行きの上り列車が停車しています。

こちらは備後矢野駅です。
⑬備後矢野駅
40年以上も前、私はこの駅で何度も降りて、近くにあるユースホステルに泊まりに行ったものでした。

終着の府中では、福山行きの黄色い電車に接続しています。
⑭府中駅

これは国鉄時代のこの区間のきっぷです。
⑮きっぷ
今では上下駅が委託駅になっているほかは、すべて無人駅です。

そして、駅のスタンプです。
⑯スタンプ

かつて、この塩町~府中間には、区間運転も含めて一日15往復の列車が運転されていました。
けれども、今では、朝夕だけの6往復に削減され、日中は6時間以上も運転されない閑散路線になってしまいました。
今や、存亡の危機に立たされていると言っても過言ではありません。

テーマ:鉄道旅行 - ジャンル:旅行

  1. 2018/03/25(日) 00:02:53|
  2. 中国(山陰山陽)
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大田市駅と石見銀山

今週は島根県にある山陰本線大田市駅と、石見銀山のようすをご紹介しましょう。

大田市駅は、島根県の県都の松江駅から西に、65・3キロ離れた場所に位置します。
①ホーム
本線とはいえ、このあたりの山陰本線の列車は、特急列車も普通列車も、大抵2両編成です。

この駅のホームには石見銀山の看板が立っていました。
②石見銀山看板
石見銀山は、16世紀から高品質の銀などを大量に産出した鉱山で、大正12年まで採掘が続けられていました。
周囲の古い昔ながらの景観と合わせて、平成19年にユネスコの世界遺産に登録されています。

これが大田市駅です。
③駅舎
石見銀山は、この駅からバスで約20分の距離にあります。

これが、現在は石見銀山資料館になっている大森代官所跡です。
④大森代官所跡石見銀山資料館
そのあたりは、美しい石見瓦の家が並ぶ江戸時代の街並がそのまま残されています。
⑤街並み俯瞰

こちらは理容館アラタです。
⑥理容館アラタ
大正時代の理容室で「全国理容遺産認定第1号」との説明板がありました。

こんな昔ながらの煙草屋さんもありました。
⑦煙草屋

これは、代官所地役人だった河島家の屋敷です。
⑧代官所地役人河島家
この家は中に入ることができます。
⑨河島家内部

こちらは五百羅漢のある羅漢寺です。
⑩羅漢寺

本当に江戸時代にタイムスリップしたような街並ですね。
⑪街並
電柱がないので、景観がより美しく映えます。

こんな屋根の家がありました。
⑫鳩の屋根

こちらは鉱山へ向かう道にある清水寺にある石仏です。
⑬清水寺の石仏

そして、こちらは旧清水谷製錬所跡です。
⑭清水谷精錬所跡
これは明治27年に藤田組(現在のDOWA)が建設した精錬所跡ですが、
採算が取れず、わずか1年半で閉鎖されてしまいました。

これは銀山の入口近くにある高橋家住宅です。
⑮享和元年1801年山組頭高橋家
享保元年(1801年)に建てられたもので、高橋家は銀山を取り仕切る山組頭を務めていました。

これは、銀山の安全を祈願する佐毘売山神社神社です。
⑯佐毘売山神社
鬱蒼とした木々に囲まれ、霊験あらたかな気配が感じられました。

これは龍源寺間歩(りゅうげんじまぶ)と呼ばれる坑道の入口です。
⑰龍源寺間歩入口
石見銀山にはこのような坑道跡がたくさん残されています。
⑱坑道内部
江戸時代の最盛期には、このあたりで20万人もの鉱夫が働いていたということです。
高賃金のため、多くの鉱夫が集まりましたが、重労働な上、照明のランプの煤や粉塵を吸い込むため、彼らの平均寿命は30歳だったそうです。

石見銀山の歴史を学んだ後、大田市駅で買った地酒は、その名も「石見銀山」。
⑲呑み鉄
山陰本線の列車の中で、日本海を眺めながらいただきました。

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  1. 2018/03/18(日) 00:02:36|
  2. 中国(山陰山陽)
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東武大師線

東武鉄道大師線は、東武伊勢崎線(スカイツリー線)の西新井駅から分岐するわずか1.0キロの路線です。
当初、西新井から東武東上線の上板橋を結ぶ西板線として計画され、昭和6年に西新井~大師前間のみが部分開業し、西新井大師への参詣客の輸送を担っていますが、その先は延伸することなく現在に至っています。

これは、西新井駅の構内にある大師線乗換改札です。
①西新井駅改札 (550x367)
この線は途中駅がなく、終点の大師前駅は無人駅のため、分岐駅の西新井の乗り換え口の自動改札機が、大師前の改札口の役割を果たしており、乗車券はここで回収され、ICカードもここで大師前までの運賃が引き去られます。
逆に、大師前から乗る時も、乗車券は西新井駅のこの改札機のホーム側で購入します。

西新井駅に大師線の電車が入線してきました。
②西新井入線 (550x358)
この線は、おおむね10分間隔で運転されています。

西新井を発車した電車は、高架線をゆっくりと走り、大師前まではたった2分で着きます。
③大師前駅ホーム (550x367)
大師前駅は2両編成の電車が発着するホームが一面だけしかありませんが、意外にゆったりとした広さです。

これが大師前駅です。
④大師前駅舎 (550x367)
東京23区内で唯一の無人駅ですが、立派な駅舎が印象的です。
平成3年に地上駅から高架駅に改修されました。

こちらは西新井大師です。
⑤新井薬師 (550x367)
西新井大師は、正式には、五智山遍照院總持寺という、真言宗のお寺です。
参道には昔ながらのお店が並んでいます。
⑥お煎餅屋さん (550x367)
いかにも昭和を感じさせてくれるお煎餅屋さんがありました。

帰りは、黄色い電車がやって来ました。
⑦大師前到着 (550x367)

こちらは昭和58年に訪れた時の大師前駅です。
⑨S58ホーム(550x359)
この当時はまだ地上駅で、駅前には雑然と放置自転車が並んでいました。
⑧S58旧駅舎 (550x369)

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  1. 2018/03/11(日) 00:02:12|
  2. 関東
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美濃市駅と街の風景

先週ご紹介した長良川鉄道の北濃駅を訪れた翌日、美濃市駅で途中下車をしました。
①ホーム (550x367)
終点の北濃駅は深い雪に包まれていましたが、長良川に沿って54・4キロも下流にある美濃市には、まったく雪はありません。
②駅舎 (550x367)
この駅も昔ながらの木造駅舎が残されています。

美濃市駅から歩いて3分ほどの場所に、名古屋鉄道の旧美濃駅があります。
③名鉄美濃駅1 (550x367)
美濃町線は、岐阜市内の徹明町から美濃までの18・8キロを結ぶ路線で、平成17年に廃止されました。

岐阜市内中心部では路面を走る併用軌道でしたが、その先は専用軌道を走る郊外電車でした。
④名鉄美濃駅2 (550x367)
このホームの佇まいやモダンな駅舎は、まるで現役の駅のようです。
⑤旧美濃駅舎 (550x367)

こちらは昭和57年に訪れた現役時代の美濃駅です。
⑥s57美濃駅 (550x382)
今、残された駅に、現役時代にあった架線は撤去されています。

さて、こちらは美濃市の古い街並です。
⑦街並み (550x367)
格子戸のある江戸時代の家が軒を連ねており、電柱がないので、実に風情のある佇まいです。

このあたりには「うだつ」のある家がたくさんあります。
⑧うだつ (550x367)
「うだつ」とは民家の屋根に取り付けられた小柱のことで、防火壁の役目をはたしていました。
うだつがある家は格式の高い家とされ、「うだつの上がる」という言葉はここから生まれました。

こちらは今井家住宅です。
⑨今井家 (550x367)
この家は古くからの紙問屋だったそうです。

こんな古い看板がありました。
⑩古い看板 (550x367)
おそらく、昭和初期のものでしょう。

こちらは、小坂酒造場です。
⑪小坂酒造場 (550x367)
この建物は国の重要文化財に指定されています。
⑫杉玉 (550x367)
大きな杉玉は、そこが造り酒屋さんであることを示しています。
⑬百春 (550x367)
この蔵の代表銘柄は百春(ひゃくしゅん)です。
⑭呑み鉄 (550x367)
帰りの列車では、このお酒で呑み鉄をしながら美濃市を後にしました。

テーマ:鉄道旅行 - ジャンル:旅行

  1. 2018/03/04(日) 00:02:35|
  2. 東海
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冬の北濃駅

今週は、真冬に訪れた岐阜県のにある長良川鉄道の終点、北濃駅をご紹介しましょう。
長良川鉄道は、高山本線の美濃太田から分岐する72・2キロのローカル線です。
昭和61年に国鉄越美南線から第三セクター鉄道に転換されました。

雪深い終着駅・北濃に赤い列車が到着しました。
①雪のホーム (550x367)
起点の美濃太田からおよそ2時間の旅路です。

「長良川鉄道終点」の看板です。
②終着駅看板 (550x365)

かつて、蒸気機関車が方向転換をしていた転車台は雪に埋もれていました。
③転車台 (550x367)

質素な駅舎は国鉄時代と変わっていません。北濃駅は昭和9年に開業しました。
④駅舎 (550x367)

越美南線は、北濃駅から先、直線距離でおよそ16キロの福井県越美北線の九頭竜湖駅までを結び、美濃太田~福井間の越美線となるはずでした。けれでも、計画が頓挫し、その間が開通することはありませんでした。

駅前には、道路を挟んで美しい長良川の風景が広がっていました。
⑤長良川 (550x367)

駅から歩いて15分ほどの場所に長瀧白山神社があります。
⑥長瀧白山神社 (550x367)
この神社は奈良時代に創建され、全国に2715社に及ぶ白山神社の総本家的な由緒ある神社です。

境内には隣接して白山長瀧寺があります。
⑦長瀧寺 (550x367)
こちらは明治時代の神仏分離により、長瀧神社がら分かれたものです。

駅舎の改札口の上には、「さよなら又どうぞ」の文字がありました。
⑧さよなら又どうぞ (550x367)

北濃で買った酒は、地元郡上の地酒「奥美濃母情・にごり酒」
⑨奥美濃母情 (550x367)

美濃太田行の列車が山の駅を発車して行きました。
⑩発車 (550x367)

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  1. 2018/02/25(日) 00:01:28|
  2. 東海
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『プロ野球と鉄道』発刊

この度、交通新聞新書『プロ野球と鉄道』を上梓致しました。
①新書表紙 (315x500)
日本に鉄道と野球が伝来したのは同じ、明治5年。

今のプロ野球の前身となる日本野球連盟が発足して以来、
阪神、阪急、南海、東急、西鉄、国鉄、近鉄、西武・・・これまで多くの鉄道事業者が参画し、

また、鉄道の発達により、プロ野球の遠征事情は大きく変貌を遂げました。

このような鉄道とプロ野球との密接な関係を黎明期から現在までを検証、考察したのが、この一冊です。

いくつかの野球に関する記念乗車券類も掲載しました。

これは、阪急ブレーブスの3年連続日本一を記念した阪急電車の記念きっぷと、内野席指定券付き往復乗車券です。
②阪急V3 (197x550)③阪急入場券付乗車券 (226x550)

こちらは近鉄バファローズの初優勝記念乗車券。
④近鉄優勝(550x246)

こちらは国鉄水道橋駅の読売ジャイアンツ王貞治選手のホームラン世界記録達成記念きっぷです。
⑤王選手世界記録2枚 (471x550)

また、西武のレオライナー、JR西日本のカープ電車、土佐くろしお鉄道のタイガース列車などにも触れました。
⑥レオライナー (550x367)
⑦2012年の赤ヘル電車 (550x367)
⑧タイガース列車ごめんなはり線夜須~西分間 (550x367)

こちらは仙台宮城球場のJR東日本の広告です。
⑨仙台JR看板 (550x362)

巻末には、元国鉄スワローズの大エース金田正一さん、広島カープの第一期黄金時代を築かれた古葉竹識さん、さらに、昭和最後のパーフェクトピッチャー阪急ブレーブスの今井雄太郎さん、南海ホークスを最後の優勝に導いたエースの佐藤道朗さん、球界きっての鉄道ファンとして知られる横浜大洋ホエールズの盗塁王屋鋪要さんの、鉄道に関するエピソードも掲載しています。
⑩IMG_8521 (320x213)⑪IMG_7920 (320x213)
この本は、構想から1年以上をかけて取材し、まとめあげたものです。

ご興味のある方に読んでいただけると嬉しく思います。

テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

  1. 2018/02/18(日) 00:01:10|
  2. 著作/寄稿紹介/出演/講演など
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久留里線の旅

今週は千葉県の木更津駅から上総亀山までの32・2キロを結ぶ久留里(くるり)線をご紹介しましょう。

これが、内房線から分岐する木更津駅です。
①木更津駅狸
駅前にひょうきんなタヌキがいるのは、近くに狸囃子で有名な証成寺があるからです。

木更津駅で発車を待つ久留里線の列車です。
②木更津駅ホーム
平成24年からキハ130形が新型の運用されています。

次の駅、祇園の駅名票です。
③祇園駅名票
祇園というと、京都のイメージが強いですが、なぜ、千葉県にこの名前の駅があるのでしょうか。

こちらは横田駅です。
④横田駅

横田駅に着いた上り木更津行の列車です。
⑤横田駅到着

この駅で多くの下線の列車が行き違います。
⑥横田駅交換

こちらは馬来田(まくた)駅です。
⑦馬来田駅舎
嬉しいことに、久留里線にはこのような昔ながらの木造駅舎がたくさん残っています。

馬来田駅は平成7年に、一旦、無人駅になりましたが、駅が荒廃するのを防ぐため、地元の老人会の方々が、ボランティアで駅員を務めておられます。
⑧ボランティア川柳

こちらは、この線の中心駅、久留里駅です。
⑨久留里駅

久留里の町は、古い建物がたくさん残っています。
⑩金物屋
こんな古い金物屋さんがありました。

そして、こちらは寛永元年(1624年)創業の吉崎酒造です。
⑪吉崎酒造吉寿寛永元1624年創業
400年近く続いている「吉壽」という地酒の蔵元です。

そして、こちらは藤平酒造。
⑫藤平酒造福祝
この蔵元の銘柄は「福祝」です。

ここ久留里の水は、日本の名水百選に選ばれるほどの名水として知られ、町内には5軒の造り酒屋さんがあります。
⑬久留里の名水

こちらは、山の上にある久留里城です。
⑭久留里城
久留里城は、室町時代の康正2年(1456年)に、上総武田氏の武田信長が築城し、武田氏、里見氏など、歴代の城主が幕末までこの地を治めていましたが、明治維新の後、解体されてしまいました。
現在の天守閣は昭和54年に建てられたものです。

城のある山から眺めた風景です。
⑮久留里~平山
久留里線の久留里~平山間を走る列車が見えます。
⑯
なんとものどかな風景です。
⑰◎
とても、東京都内から1時間余りで来られる場所だとは思えません。

久留里駅に、上総亀山行の下り列車がやって来ました。
⑱久留里駅到着

列車の窓際に、久留里で買った地酒を並べてみました。
⑲久留里の酒窓際
久留里が酒どころだということは意外に知られていないかもしれません。

終点の上総亀山駅です。
⑳上総亀山駅

この先に行く列車はありません。
㉑車止め

駅から歩いて10分ほど歩いた所にある亀山湖です。
㉒亀山湖
この湖の近くには温泉宿もあります。

こちらは平成17年に訪れた時、久留里駅でのキハ38形です。
㉓キハ38H17
この車両は平成24年に廃車になりました。

そして、こちらは、昭和50年に初めて久留里線を訪れた時の上総亀山駅です。
㉔S50亀山駅
停車している車両は国鉄色のキハ30形です。改装はされましたが、現在も駅舎は当時と同じ建物です。

国鉄時代のきっぷです。
㉕入場券
今では終点の上総亀山は無人駅になってしまいました。

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  1. 2018/02/11(日) 00:01:10|
  2. 関東
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惜別「NO.DO.KA」の旅

今週は、去る1月7日に、新潟県内を走った「惜別NO.DO.KA」ラストランの旅をご紹介します。

「NO.DO.KA」は、平成2年に「シルフィード」の名前で運転を開始したJR東日本新潟支社の団体専用ジョイフルトレインです。
この列車は、485系交直両用電車で、29年間、新潟県内を中心に、時には九州までも足を延ばしたこともあるそうです。

けれども、老朽化のため、この日が最後の旅となりました。

9時30分、「惜別 NO.DO.KA」の横断幕に見送られ、新潟駅を発車しました。
①新潟出発
車内で配られたシールです。
②惜別NODOKAシール
ラストランの列車は、新潟を発車すると、信越本線で直江津まで行き、直江津で折り返して犀潟から北越急行ほくほく線を経由し、六日町へ。六日町からは上越線を北上して宮内から再び、信越本線に戻り、新津まで。さらに新津からは羽越本線で新発田を経由し、白新線で新潟に戻ってくるというルートで、新潟県内を一周します。

最初の停車駅、新津に停車中の列車です。
③新津駅
主要駅ではそれぞれ、10~20分程度、停車します。

「NO.DO.KA」は、近くで見ると、驚くほど老朽化していることがわかります。
④老朽化1⑤老朽化2
でも、クルマならせいぜい10年前後ぐらいが寿命なのに、この電車は30年近くも過酷な豪雪地帯の新潟県内を走り続けたのですから、本当にご苦労様でした。
⑥老朽化3

さて、車内で、私はもちろん「呑み鉄」です。
⑦「越後鶴亀」
越後は酒どころ、まずは手始めに「越後亀鶴」から。

長岡では、特急「しらゆき」に出会いました。
⑧長岡しらゆきと

長岡で買った酒は「長岡城」。
⑨「長岡城」呑み鉄

柏崎に停車中です。
⑩柏崎
隣のホームには越後線の列車が発車を待っていました。

柏崎を発車すると、右手の車窓に日本海が見えてきます。
⑪日本海
冬の日本海は、この日も荒れていました。

直江津では、えちごトキめき鉄道の列車が停車していました。
⑫直江津
えちごトキめき鉄道は、平成27年の北陸新幹線長野~金沢間の開業に伴い、新幹線と並行する信越本線の直江津~妙高高原間と北陸本線の直江津~市振間を第三セクター化した路線です。

直江津で折り返し、犀潟から北越急行ほくほく線に乗り入れます。
ほくほく線は、北陸新幹線が開業するまでは、首都圏と北陸を結ぶメインルートとして、上越新幹線の越後湯沢から金沢方面に向かう特急「はくたか」が行き交っていました。
⑬ほくほく線トンネル
豪雪地帯を走るほくほく線には、長大なトンネルがいくつもあります。

長いトンネルを抜け、十日町付近の車窓です。
⑭十日町付近
あたrは、深い雪に包まれています。

六日町に着きました。
⑮六日町駅名票
六日町からは信越本線と合流する宮内まで上越線を走ります。
⑯六日町構内
六日町駅構内もたくさん雪が積もっていました。

これは、JRが設置したのではなく、同乗の鉄道ファンの方が作ったサボ(列車名票)です。
⑰サボ

そして、別のファンの方からは、このような手作りの乗車記念券を頂きました。
⑱乗車記念券
車内は「NO.DO.KA」に別れを惜しむ鉄道ファンでいっぱいでした。
⑳車内1
皆、それぞれに記念写真に興じます。
㉑車内記念撮影

車内ではこのような駅弁が配られました。
⑲駅弁

そして、雪見酒は「越乃雪蔵」。
㉒越乃雪蔵
上越線の車窓からは白銀の山々が見えます。
㉒2白銀の山々

羽越本線に入り、新発田から白新線に入ります。
㉓新発田惜別横断幕
新発田駅でも惜別の横断幕に見送られました。

あたりはすっかり暗くなり、最後の停車駅、新崎です。
㉔新崎

そして、17時28分、ついに、朝出発した新潟駅に戻って来ました。
㉕新潟長い汽笛
新潟駅から車庫に向けて発車する時、長い長い悲しそうな汽笛を鳴らして駅から去って行きました。
㉖惜別カード
NO.DO.KA号、長い間、お疲れさまでした。


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  1. 2018/02/04(日) 00:02:14|
  2. 甲信越
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磐越西線・山都駅の冬

今週は福島県にある磐越西線の山都(やまと)駅とその周辺にご案内しましょう。
先週まで南国沖縄の風景が続きましたが、一転して今週は雪国の旅です。

山都駅に到着した下り列車です。
①下り列車到着

この日は雪は降っていませんでしたが、このあたりは会津の雪の多い地帯です。
②駅名票

ホームには明治42年にこの駅が開業した時に使われていた煉瓦造りのランプ小屋です。
③ランプ小屋
これは、当時、使用されていたランプ用の油を貯蔵する小屋で、国の近代化産業遺産に指定されています。

山都駅舎です。
④現駅舎
今は業務委託駅になり、地元のご婦人が切符を販売していました。

このあたりは、雪の中に実のなった柿の木が何本もありました。
⑤雪と柿
真っ白な雪に柿の色がとても映えていました。

ここは、山都~喜多方間にある一ノ戸川橋梁で、長さ445メートル、高さ24メートルの立派な鉄橋です。
⑥一ノ戸川橋梁1
下り新潟行の快速「あがの」が通過して行きました。

そしてこちらは上り会津若松行列車です。
⑦一ノ戸川橋梁2

山都の名物はそばです。
⑧山都そば
寒暖差の激しいこの地はそばの栽培に適しているそうで、やや白っぽい麺が特徴です。

⑨そば資料館
駅から歩いて10分ほどの場所にあるそば資料館では、その歴史や製法を知ることができます。
⑩そば資料館2

上り列車が到着しました。
⑪上り列車到着

こちらは、平成11年5月に訪れた時の山都駅です。
⑫H11駅舎
この時は田植えの直前だったので、田んぼに水がはってあり、冬とはまったく印象が異なります。
⑬H11一ノ戸川橋梁
「SLばんえつ物語号」が一ノ戸川橋梁を通過していきました。
⑭H11ばんえつ物語

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  1. 2018/01/28(日) 00:01:42|
  2. 東北
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黒島の風景

4週続けての沖縄の離島シリーズ、今週は八重山諸島にある黒島をご紹介します。
黒島は八重山諸島の中心、石垣島と西表島との間にある、周囲12.6キロ、人口200人あまりの小さな島です。

黒島へは石垣港から高速船でおよそ30分。
①平べったい島 (550x365)
黒島は山がなく、平べったい島です。

周囲はエメラルド色のサンゴ礁の海に囲まれています。
②エメラルドのサンゴ礁 (550x377)

白砂の海岸には、こんな大きなヤシガニが歩いていました。
③ヤシガニ (385x550)
ヤシガニといっても、カニではなく、オカヤドカリの一種で、30年以上生きるそうです。

海岸にはこんな小さなオカヤドカリもたくさんいます。
④小オカヤドカリ (550x381)
このオカヤドカリが30年たつと、あんな大きなヤシガニになるのでしょうか。

波打ち際の岩場には、小さな熱帯魚がたくさん泳いでいます。
⑤熱帯魚 (550x382)
八重山諸島の中では観光客の少ないこの島には、自然がたくさん残されているのです。

これが黒島灯台です。
⑥黒島灯台 (550x391)
灯台と言うと、岸壁の岡の上に建っているイメージがありますが、標高の低いこの島では、ごく普通の平地に立っています。

島にはたくさんの牛が飼育されています。
⑦クロウシ (550x389)
人口よりはるかに多い約3000頭の牛が飼育され、ブランド牛として島外に出荷されているのです。
⑧牧場 (550x382)
海に囲まれた沖縄ですが、意外なことに、魚介類の店より、石垣牛などの肉のお店の方が目につくのです。

黒島の集落です。
⑨集落 (550x384)
昔ながらの赤い琉球瓦の家が並んでします。
でも、お隣の竹富島のように観光客が殺到することもなく、黒島には静かな時が流れていました。

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  1. 2018/01/21(日) 00:02:26|
  2. 沖縄
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美しき南国の楽園・石垣島

沖縄の離島シリーズ、今週は石垣島をご紹介します。
八重山諸島の中心である石垣島は、沖縄本島の南西、およそ400キロの位置にあり、人口約47000人の美しいサンゴ礁に囲まれた島です。

こちらは石垣島でも最も美しい海と言われる川平湾です。
①川平湾 (550x384)
ここには、熱帯魚やウミガメが泳ぐ海の中を観察できるグラスボートが運航されています。
②川平湾② (550x367)

白砂の海岸には小さなウミガメの姿がありました。
②‐2ウミガメ (550x381)

石垣島には、今もこのような琉球瓦の民家が残っています。
③民家 (550x384)

こちらは宮良殿内(みやらどんち)と呼ばれる、琉球王朝時代の文政2(1819)年に建てられた邸宅です。
④宮良殿内 (550x399)
この建物は国の重要文化財に指定されています。

④-2庭園 (550x380)
そして、この庭園は国の名勝です。

島の中は、様々な花が咲き乱れています。
⑤花 (550x382)
正に、南国の楽園です。
⑥花 (550x373)

島の中にはこんな鍾乳洞もあります。
⑦石垣鍾乳洞 (384x550)
20万年もの時を経て自然が作り出した洞窟です。

こちらは、島の南部の白保海岸です。
⑧白保海岸 (550x353)
どこまでも続く遠浅の岩場が続いています。

こちらは島の北部にあるサンシャインビーチと呼ばれる海岸です。
⑨サンシャインビーチ (550x386)
島の先端部のこのあたりは、陸地が細長くなっており、一番狭いところでは両側の海と海の距離が200メートルしかありません。

そして、これが島の最北端にある平久保崎燈台です。
⑩平久保崎 (550x375)
エメラルドグリーンの海に、白亜の燈台が印象的でした。

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  1. 2018/01/14(日) 00:01:46|
  2. 沖縄
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久米島の旅

先週に引き続き、沖縄の離島、今週は沖縄本島の西側およそ100キロにある久米島をご紹介します。
久米島は人口およそ1万人、島全体が久米島町になっています。

これは、久米島のシンボルにもなっている奥武島の畳石です。
①奥武島畳石 (550x369)
亀の甲羅のような模様が印象的です。

常夏の島には、いつもハイビスカスが咲き誇っています。
②ハイビスカス (550x367)

これは、島の旧家、上江洲家です。
③上江洲家 (550x367)
沖縄の伝統的な家屋で、国の重要文化財に指定されています。

島の名所のひとつ、国の天然記念物の五枝の松です。
④五枝の松 (550x367)
まるで、巨大な盆栽のように見えます。

これは島の北部にある比屋定バンタです。
⑤比屋定バンタ (550x367)
バンタとは、沖縄の言葉で崖の淵という意味で、ここは断崖絶壁が続いています。

これは、高台にある宇江城址です。
⑥宇江城址より (550x377)

遠くに砂浜だけの島「はての浜」が見えています。
⑦遠くにはての浜を望む (550x378)

これがはての浜です。
⑧はての浜 (550x374)
ここは、エメラルドブルーの海に囲まれた真っ白な砂浜だけの島なのです。
⑨はての浜への航路 (550x357)

島の中心部にあるイーフビーチです。
⑩イーフビーチ (550x375)
このあたりには、ホテルや民宿が並んでいます。

そして、島の南部にあるシンリ浜です。
⑪シンリ浜 (550x365)

シンリ浜に夕陽が沈みます。
⑫シンリ浜夕暮れ (550x364)

こちらは、島の玄関口、久米島港に停泊中のフェリーです。
⑬久米島港 (550x385)
那覇泊港との間を一日、1~2便運航されており、那覇までは直通便で3時間15分、渡名喜島経由便で4時間の道のりです。

久米島航路の途中には、こんな岩でできた無人島がありました。
⑭無人島

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  1. 2018/01/07(日) 00:01:21|
  2. 沖縄
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伊江島の風景

今週は美しい南国の島、沖縄県の伊江島の風景をご紹介しましょう。
伊江島は沖縄本島北部の本部半島の西側に浮かぶ、人口約4000人、周囲22キロほどの美しい島です。

こちらが伊江島です。
①タッチュウ (550x372)
伊江島のシンボルの城山(ぐすくやま)が印象的です。城山はタッチューとも呼ばれています。

伊江島は本部港からフェリーで30分の距離にあります。
②伊江島フェリー (550x369)

こちらは、タッチューからの眺めです。

③タッチューからの眺め (550x384)
海抜172メートルのこの岩山には、歩いて20分ほどで登ることができます。
海の向こうに見えるのは本部半島です。

こちらは島の南部の海岸沿いにあるニャティア洞です。
④ニャティヤ洞 (382x550)
周囲は、本当に美しい海が広がっています。
⑤ニャティア洞付近の海岸 (550x378)

こちらは伊江島燈台です。
⑥伊江島灯台 (550x380)
伊江島は城山を中心になだらかな平野が広がっています。

こちらは湧出海岸です。
⑦湧出海岸 (550x378)
湧出と書いて、「ワジー」と読みます。
⑧湧出展望台からの眺め (550x393)
ワジー展望台からの眺めです。

そして、島の北部から沖合に見えるのは、伊是名(いぜな)島です。
IMG_20171209_0001 (550x377)
いつか、伊是名島やその北側にある伊平屋(いへや)島にも行ってみたいと思っています。

このように伊江島は他の島々と共に、とても美しい島なのですが、この島には悲しい歴史があります。
太平洋戦争末期の昭和20年4月16日、日本軍の飛行場があった伊江島にアメリカ軍が上陸し、激しい戦闘の結果、日本軍は玉砕したのです。

島の中には、人間魚雷が残っていました。
⑨人間魚雷 (550x377)

そして、戦後、アメリカ軍に占領され、伊江島は米軍基地の島になったのです。
⑩団結小屋 (550x385)
今でも島の面積の3分の1が米軍基地として占領されており、島人の反米感情は大きいようです。

こちらは戦争犠牲者の冥福を祈る慰霊碑「芳魂の塔」です。
⑪芳魂の塔 (550x378)
6日間の激しい戦闘の結果、日本軍は壊滅し、住民1500人とあわせて約3500人が犠牲になったのでした。

瀬底島大橋の下を伊江島へ向かうフェリーが通過して行きました。
⑫瀬底大橋とフェリー (550x368)
どうかこの美しい沖縄の島々が二度と戦火にまみれることがありませんように。

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  1. 2017/12/31(日) 00:01:00|
  2. 沖縄
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木曾森林鉄道と木曽路の国鉄蒸気機関車

今週は、このブログをご覧になった元木曾森林鉄道の運転士の、上田鎭男さんからお送り頂いた貴重な写真をご紹介します。

以前にもご紹介しましたが、木曾森林鉄道は、木曾の山々から檜や椹などの木材を搬出するため、大正5(1916)年に最初に敷設された森林鉄道です。

これは昭和46年ごろの写真だそうです。
①
中央本線の上松から赤沢を結ぶ小川線を皮切りに、最盛期の昭和30年代には57路線延べ428キロの長大な路線網を持っていました。
②
木材だけでなく、山で暮らす人々の貴重な足になって活躍していたのです。
③
美しい紅葉の中を小さな列車が走ります。
④

バックに木曾の御嶽山が白い雄姿を見せてくれています。
御嶽山を西側より見た写真はめったにないとのこと。貴重な写真ですね。
⑤
「夏でも寒いヨイヨイヨイ」と木曾節でも歌われていますが、大噴火を起きたのは記憶に新しいところです。

⑥
当時、三浦ダム周辺の標高1302メートルの所を走っていたのです。


こちらは、開業当初から昭和35年まで走っていたアメリカ製の蒸気機関車、ボールドウイン号の1号機です。
⑦
一時は10両以上が主力機関車として活躍していたそうです。

この線が廃止される直前に、この1号機は復元され、再び、木曾谷にその汽笛を響かせたのでした。
⑧
この木曾森林鉄道が廃止されたのは、昭和50年5月30日のこと。
⑨
その後は道路ができ うっそうとした森林もなくなり、見る影もなく淋しい状況になってしまったと上田さんは嘆いておられました。

さて、これも上田さんからお送りいただいた中央本線の木曽福島駅でのD51(デゴイチ)です。
⑩D51
同じころ、中央本線でもまだ蒸気機関車が現役で活躍していたのでした。
⑪D51木曽福島

ここからは当時、高校生だった私が撮影した初期の写真です。
⑫木曽福島扇状車庫
木曽福島駅構内には、このような扇形車庫があり、蒸気機関車たちの寝床になっていました。

木曽福島駅構内のC12です。
⑬C12199
最後は、この駅の構内で入れ替え用に活躍していました。
⑭C12
この機関車は、今でも中央本線の奈良井駅の近くに静態保存されているそうです。

こちらは田立付近のD51です。
⑮田立D51
中央本線が無煙化されたのは電化工事が完成した昭和48年のこと。
⑯田立
この写真は電化が完成するその直前なので、新しく設置された架線が写っています。

木曾谷に森林鉄道や蒸気機関車の汽笛が聞こえなくなって40年以上の年月が過ぎ去ってしまいました。

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  1. 2017/12/24(日) 00:01:00|
  2. 甲信越
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昔の米坂線

先週に続いての米坂線、今週は、昭和47年と平成15年に訪れた時のようすをご紹介しましょう。

稚拙な写真で恐縮ですが、これは昭和47年3月、高校1年だった私が初めて蒸気機関車の撮影した時のものです。
①越後下関~越後片貝貨物列車S47
米坂線が無煙化される直前の越後下関~越後片貝間で、9600形が最後の煙を吐いていました。
です。

こちらは客車列車です。
②越後下関~越後片貝客車列車S47
間もなく、この線から蒸気機関車がいなくなるというのに、この時、撮影に来ている人には誰も出会いませんでした。

越後下関~越後片貝間の荒川橋梁を渡る貨物列車です。
③越後下関~越後片貝荒川橋梁
どれも下手な写真ですが、この時はまだ一眼レフを持っておらず、ヤシカエレクトロ35というカメラで撮影しました。

こちらは坂町~越後大島間です。
④坂町~越後大島
この近くを走る羽越本線にもまだ蒸気機関車が走っていました。

当時のDISCOVER JAPANのスタンプです。
⑤坂町スタンプ⑥越後下関スタンプ

これは、その時に蒸気機関車が牽引する客車列車から降りた越後片貝駅です。
⑦越後片貝駅S47
いかにも汽車が似合う山の中の小さな駅舎でしたが、今では建て替えられて当時の面影は残されてはいません。

国鉄時代の入場券です。
⑧国鉄入場券
当時は米坂線のほとんどの駅に駅員が勤務していました。

さて、時が流れて、これは平成15年8月に訪れた時の米沢駅近くにある上杉家の霊廟です。
⑨上杉霊廟
この森の脇を、時折、米坂線の列車が通過する音が聞こえていました。

羽前椿駅での上下列車の行き違い風景です。
⑩羽前椿駅交換
このころは、キハ40系が運行されていました。

羽前椿を発車して行く上り列車です。
⑪羽前椿を発車
あたりは色づき始めた田んぼの風景が広がっていました。

そして、こちらは山間の県境に近い駅、小国付近です。
⑫小国到着

この時、越後下関駅で31年ぶりに途中下車をしました。
⑬越後下関駅名票
越後下関駅のある新潟県関川村には、豪農屋敷が残っています。

こちらは佐藤家住宅。
⑭佐藤家

そして、こちらは国の重要文化財に指定されている渡邊家住宅です。
⑮渡邊家

渡邊家にある小屋の屋根は、木羽葺き屋根珍しいもので、屋根の上に重石の石が並べられています。
⑯木羽葺き屋根
これは、この地方だけに残る珍しい屋根です。

これが越後下関駅です。
⑰越後下関駅
この駅は昔も今も変わりません。
⑱スタンプ

そして、終点の坂町駅です。この駅も初めて降りた時から同じ印象です。
⑲坂町駅
この駅で羽越本線と接続しています。

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  1. 2017/12/17(日) 00:00:57|
  2. 東北
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晩秋の米坂線

今週は奥羽本線の米沢駅(山形県)と羽越本線の坂町(新潟県)を結ぶ米坂線をご紹介します。
これが米沢駅です。
①米沢駅 (550x367)
この区間の奥羽本線は在来線を改軌した線路の上を、東北新幹線を走って来た「つばさ」が福島から山形新幹線としてそのまま乗り入れています。
①-2山形新幹線 (550x340)

さて、こちらは米沢駅で発車を待つ米坂線の列車です。
②米沢駅ホーム (550x357)
平成20年から主にキハ110系で運行されています。

羽前椿駅です。
③羽前椿ホーム (550x367)

駅の周囲は正に紅葉真っ盛りでした。
④羽前椿駅紅葉 (550x367)

羽前椿駅の近くには「がまの湯」という温泉があります。
⑤がまの湯 (550x371)

羽前沼沢駅前の酒屋さんで地酒「羽前桜川」を買って呑み鉄をしました。
⑥羽前沼沢呑み鉄 (550x349)
沿線の小国町にある野沢酒造店のお酒です。

羽前沼沢駅から隣の伊佐領(いさりょう)駅の間は、駅間距離が6・1キロもあるのですが、好天に恵まれて駅間をのんびりと歩きました。
すると、気持ち良い秋風に、カップ酒の酔いはすぐに醒めてしまいます。

⑦羽前沼沢~伊佐領1 (550x367)
羽前沼沢~伊佐領間の明沢川にかかるアーチ橋を列車が渡って行きます。
⑧羽前沼沢~伊佐領2 (382x550)
深い山の中、この区間を走る列車は一日6往復しかないので、クルマを使わず、列車と徒歩で撮影するのは結構、大変です。
⑨羽前沼沢~伊佐領3 (550x367)
でも、おかげでのんびりとした時間を過ごすことができました。

伊佐領に到着した米沢行の上り列車です。
⑩伊佐領到着 (550x367)

ススキの穂が揺れていました。
⑪伊佐領~羽前松岡 (550x367)

夜の小国駅に到着した上下線の列車です。
⑫夜の小国駅 (550x359)

その夜、町内の居酒屋さんで、一升瓶の羽前桜川を呑みました。
⑫-2羽前桜川 (367x550)

これは小国駅です。
⑬小国駅 (550x377)
ここは山形県の西の端、この駅から先、列車は新潟県に入ります。

小国~越後金丸間の荒川橋梁を渡る列車です。
⑭小国~越後金丸 (550x367)
今度はキハE120がやって来ました。

越後金丸駅です。
⑮越後金丸駅 (550x344)
荒川に面した風光明美な場所にありますが、近くに民家は見当たりませんでした。

やがて、人のいない越後金丸駅に列車がやって来ました。
⑯越後金丸駅ホーム (550x358)

来週は、昭和47年3月と平成15年8月に訪れた時の米坂線をご紹介します。

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  1. 2017/12/10(日) 00:02:03|
  2. 東北
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国鉄だったころの夕張線

今週はまだ国鉄だったころの夕張線をご紹介しましょう。

こちらは昭和49年2月の夕張線紅葉山(もみじやま)駅を発車したデゴイチ牽引の貨物列車です。
①紅葉山付近S49 (550x368)
紅葉山とは、現在の新夕張の旧駅名です。
②紅葉山駅名票 (550x362)
昭和56年10月に夕張線が石勝線に変わるまで、紅葉山の駅名が使われていました。

紅葉山~十三里(とみさと)間を行く長大編成の貨物列車です。
③紅葉山~十三里S49 (550x366)
当時は、こんな長い石炭列車が走っていたのです。
④紅葉山石炭列車S4903 (550x382)

こちらは昭和56年の、途中駅、清水沢です。
⑤清水沢駅大夕張鐵道 (550x395)
停車しているのはこの駅から分岐していた三菱石炭鉱業大夕張鐵道の列車です。
古色蒼然とした客車列車で、車内では達磨ストーブの火が燃え盛っていました。

それは昭和49年の吹雪の日の夕張駅です。
⑥夕張駅ホームS49 (550x375)
駅舎の屋根から長い氷柱がぶら下がっていました。

これが夕張駅の正面です。
⑦夕張駅S49 (550x385)
なんともいえない風情がある駅でした。
この駅は現在の駅よりも2.1キロ先にありました。

そして、こちらは紅葉山から分岐していたもうひとつの支線の終着駅、登川です。
⑧登川駅S5302 (550x369)
奥村チヨさんのヒット曲『終着駅』は、この駅がモデルだったそうです。
登川支線は、石勝線が開通する直前の昭和56年7月に廃止されてしまいました。

夕張駅のDISCOVER JAPANのスタンプです。
⑨夕張駅スタンプ (340x350)⑩紅葉山スタンプ (330x350)
紅葉山駅のスタンプは駅員の手掘りでした。

当時の入場券です。
⑪夕張線きっぷ (500x438)
国鉄時代は夕張線のほとんどの駅に駅員が勤務していました。
今では考えられないことですね。




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  1. 2017/12/03(日) 00:03:10|
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石勝線夕張支線の旅


今週は、北海道にある石勝線の夕張支線とその周辺をご紹介します。
夕張支線は、道央と道東を結ぶ大動脈の石勝線(南千歳~新得)の新夕張から分岐し、夕張までの16・1キロの短い支線です。

元々は夕張炭鉱から産出される石炭を運搬することを主目的に明治25年に開通した、室蘭本線の追分から夕張を結ぶ夕張線という路線でした。
開通は明治25(1892)年と古く、東海道本線の全通から2年後のことでした。
けれども、炭鉱が次々と閉山される一方で、それまで滝川、富良野経由だった札幌から帯広・釧路方面を結ぶ根室本線の短絡線として、昭和56年に千歳線の南千歳(当時千歳空港)~追分間、および、新夕張(紅葉山駅から改称)~新得間が石勝線として開通し、新夕張~夕張間は、石勝線の支線となったのです。

これが夕張支線を分岐する新夕張駅です。
①新夕張駅 (550x367)
何本かの特急も停車しますが、今では無人駅になってしまいました。
石勝線が開業する前は紅葉山(もみじやま)という駅名でした。

途中駅の沼ノ沢です。
②沼ノ沢駅 (550x359)
昭和のころ、夕張線の駅の大半は有人駅でしたが、今は駅舎はレストランになっています。

清水沢駅に停車中の列車です。
③清水沢駅停車中 (550x367)
かつて、この駅は夕張線の主要駅で、この駅からは三菱石炭鉱業大夕張鐵道という私鉄が分岐していました。
古風な跨線橋があり、発着する蒸気機関車がよく似合ったものです。

これが清水沢駅です。
④清水沢駅 (550x367)
2015年までは有人駅でした。

清水沢~鹿ノ谷間を行く上り列車です。
⑤清水沢~鹿ノ谷 (550x367)

そして、こちらは鹿ノ谷駅付近の下り列車です。
⑥鹿ノ谷~清水沢 (550x367)

そして鹿ノ谷駅です。
⑦鹿ノ谷駅停車中 (550x367)
今はどの駅もひっそりと静まり返っています。
⑧鹿ノ谷駅 (550x367)

これは、鹿ノ谷駅の近くにある夕張鹿鳴館です。
⑨夕張鹿鳴館 (550x367)
夕張が石炭で栄華を誇っていた大正2年に建てられたもので、国の登録有形文化財に指定されています。

鹿鳴館の内部です。
⑩鹿鳴館内部 (550x367)
かつて、天皇陛下が泊まられたこともあったそうです。

鹿ノ谷~夕張間を行く列車です。
⑪夕張~鹿ノ谷 (550x367)

そして、これが終着駅の夕張です。
⑫夕張駅ホーム(550x367)
かつての夕張駅は今の駅よりも2.1キロも先にありましたが、炭鉱の閉山や中心部の移動に伴って2度、場所を移転し、平成2年に現在の位置になりました。
⑬夕張駅現在 (550x366)
駅はメルヘンチックな建物に建て替えられ、背後にはホテルマウントレースイが建っています。

かつて、夕張は石炭の採掘で栄えました。
⑭石炭博物館 (550x367)
今は石炭博物館にかつての坑道の一部を使って往時の様子が再現されています。

石炭産業が全盛だった昭和35年頃、夕張市に人口は11万人を超えていましたが、今では1万人以下に激減してしまいました。
⑮廃墟飲み屋街 (550x367)
そして、かつて、栄えたであろう飲み屋街は廃墟と化していました。

それでも、夕張は映画の町として盛り上げようと取り組んでおり、毎年、2月には国際映画祭が夕張で開催されています。
⑯映画看板 (550x367)
街には昭和の邦画の看板が並んでいました。
でも、廃屋に掲げられた看板は、なんだかうら寂しさを感じてしまいます。

そして、こちらは昭和52年の高倉健さん、倍賞千恵子さん主演の映画『幸福の黄色いハンカチ』のロケに使われた場所です。
⑰幸せの黄色いハンカチ (550x367)
全盛期の炭鉱住宅が再現されています。

夕張で石炭ビールを買いました。
⑱石炭ビール (550x367)
その名の通り、石炭のように黒いビールでした。

地元の夕張市は、経営破綻状態のJR北海道への援助は難しいため、夕張支線の存続を断念することを表明しました。
来年春にも廃止されるのではないかとも言われています。
この町に列車で訪れることができるのははたしていつまででしょうか?

来週は石炭列車が走っていた頃、国鉄時代の夕張線をご紹介します。

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  1. 2017/11/26(日) 00:02:33|
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今はなき西鉄の路面電車

今週は西鉄シリーズの最終回。今はなき、西鉄の路面電車たちをご紹介します。

かつて、北九州市内に4路線44・3キロ、福岡市内に6路線29・2キロの西鉄路面電車の路線網がありました。

これは北九州線の折尾駅です。北九州線は折尾と門司を結ぶ路面電車としては長大な路線でした。
①折尾駅1
西鉄折尾駅は国鉄折尾駅の目の前にありました。
②折尾駅2

こちらは黒崎駅前です。
③黒崎駅前
筑豊直方からの筑豊電鉄が北九州線の熊西から黒崎駅前まで乗り入れていました。
筑豊電鉄は今も健在で、西鉄の路線だった黒崎駅前~熊西間だけは、筑豊電鉄の路線として現存しています。

これは中央町付近です。
④西鉄北九州中央町198112224
中央町からは北九州線と枝光線が分岐していました。
⑤中央町分岐点

これは戸畑線の終点、戸畑電停付近です。
⑥戸畑電停付近
この近くに戸畑~若松を結ぶ若戸大橋があります。

そして、、こちらは、昭和46年の福岡市内線の天神付近を行く電車です。
⑦西鉄福岡市内線S46
私は福岡市内線には乗ったことがなく、残っていた写真はこの1枚だけでした。

残念ながら福岡市内の路線は昭和54年に、北九州市内の路線は平成12年に全廃されてしまいました。
今、観光地として整備された門司港レトロ地区に路面電車が走っていたら、どんなによかったかと思います。

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  1. 2017/11/19(日) 00:02:47|
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西鉄宮地岳線(貝塚線)の今昔

今週は西鉄電車第三弾、現在の貝塚線、かつての宮地岳線をご紹介しましょう。

この路線の歴史は古く大正13年に博多湾鐵道汽船の路線として、新博多(のちの千鳥橋=昭和54年廃止)~和白間が開業した時に始まります。翌年には、和白から宮地岳まで延伸し、戦時中の昭和17年に西日本鉄道の路線となりました。
その後、昭和26年に宮地岳から津屋崎までの延伸開業により、貝塚~津屋崎間の宮地岳線が20・9キロが全通したのでした。
沿線住民の福岡への足として活躍したほか、宮地嶽神社への参詣路線としても重要な役割を果たしていました。

けれども、福岡から遠い末端部においての乗客が大幅に減少し、平成19年に新宮~津屋崎間9・9キロが廃止され、残された貝塚~新宮間は貝塚線と名称が変更になりました。

こちらは平成18年の貝塚駅に停車中の313形電車です。
④貝塚駅H18 ・300形
かなり錆が出ていましたが、この電車は昭和27年に製造されたもので、この時、すでに54年が経過していました。

貝塚駅に設置されていた宮地岳線当時の案内板です。
⑤H18案内板

こちらが新宮駅です。
⑥新宮駅 (550x353)
現在ではこの駅が貝塚線の終着駅になっています。

古賀駅のホームの高校生たちです。
⑧古賀駅ホーム
この翌年には廃止されてしまったので、電車通学はこの年限りになってしまいました。

西鉄福間駅に停車中の津屋崎行電車です。
⑦福間駅H18
この駅はJR福間駅から直線距離でおよそ1キロほど離れた位置にありましたが、今は跡形もないそうです。

宮地岳~福間間の田園地帯をを行く300形電車です。
⑨宮地岳~福間300形

こちらは同じ区間を行く600形電車です。
⑩宮地岳~福間600形
この形式は、元々、大牟田線を走っていましたが、宮地岳線用に改造され、平成2年から運用されています。

こちらは宮地岳駅です。
⑪宮地岳駅
かつては宮地嶽神社参詣の入口として賑わったものですが、晩年はひっそりとした無人駅になっていまいました。

こちらが宮地嶽神社です。
⑫宮地嶽神社
息長足比売命(おきながたらしひめのみこと=別名:神功皇后)を祭神とし、1700年の歴史を持つ古社です。

これは津屋崎~宮地岳間を走る貝塚行です。
⑬津屋崎付近

こちらは終着の津屋崎駅です。
⑭津屋崎駅ホーム
⑮津屋崎駅
雨の中、人の姿も少なく、静まり返っていました。

さて、これからは昭和56年の写真です。
⑯貝塚駅S56
現在では福岡地下鉄箱崎線の貝塚駅と隣接していますが、当時はまだ地下鉄が開通していませんでした。

ホームには行先表示板を付けた電車が並んでいました。
⑰貝塚駅ホーム

古賀駅付近を行く電車です。
⑱S563古賀付近300形

駅前に自転車がズラリと並んだ古賀駅です。
⑲古賀駅S56
並行する国鉄鹿児島本線の古賀駅から歩いて行ける距離にありました。

終点の津屋崎駅の駅名票です。
⑳津屋崎駅名票S56

そして、その頃の宮地岳線の乗車券です。
㉑きっぷ
手売りの切符は遠い昔になってしまいました。

さて、こちらは現在の貝塚線・和白~三苫間を行く貝塚行の600系電車です。
①和白~三苫600形貝塚行
現在ではすべてこの600形電車に統一されています。

JR香椎線と接続する和白駅です。
②和白駅
この線と、香椎線とは、開業時には同じ博多湾鐡道汽船の路線でした。
③和白~唐の原
そのためか、このあたりでは両線の線路が隣接していますが、香椎線は今も非電化のままです。

来週は、いまはなき、西鉄の路面電車をご紹介します。

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  1. 2017/11/12(日) 00:02:01|
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