田中正恭の汽車旅日記

ここは、紀行作家・田中正恭 (たなかまさやす) が、つれづれなるままに各地の旅や、鉄道に関する話題について綴っており、原則として毎週日曜日に更新しています。時には鉄道以外の話題になることもありますが、ご了承ください。なお、内容につきましてのご感想や、執筆や講演などの依頼がありましたら、お気軽にメッセージをお寄せください。なお、写真や文章の無断転載はご遠慮願います。

今はなき筑波鉄道

今週は、昭和62年に廃止された茨城県の筑波鉄道をご紹介します。
筑波鉄道は、大正7年に、常磐線の土浦と水戸線の岩瀬間、40・1キロを結ぶ路線として開業しました。
その後、現在の関東鉄道常総線と合併し、常総筑波鉄道、関東鉄道と名を変え、昭和54年には再び筑波鉄道に戻った後、廃線を迎えました。

これは昭和58年の土浦駅です。
①土浦駅
筑波鉄道は、筑波山を見ながら、関東平野をのんびりと走っていました。
②サボ

途中駅の常陸北条での上下列車の交換です。
③常陸北条駅

そして、こちらは真壁駅。
④真壁駅
⑤真壁駅名票

国鉄水戸線と接続する岩瀬駅です。
⑥岩瀬駅
この駅舎は改装されてはいますがいますが、今もJR水戸線の駅として現役で使われています。

こちらは昭和50年、岩瀬駅に停車中の列車です。
⑦岩瀬駅S50

そして、当時の切符です。
⑧硬券⑨車内券
同じ線でも、関東鉄道時代と筑波鉄道になってからのもので、社名が違っています。

この線が日本地図から消えて31年、廃線跡の多くはサイクリングロードになっているそうです。
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  1. 2018/05/20(日) 00:03:54|
  2. 関東
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関東鉄道常総線「ビール列車」

今週は、茨城県を走る関東鉄道常総線の「関鉄ビール列車」の春と夏をご紹介します。
常総線は、常磐線の取手から水戸線の下館を結ぶ51.1キロの路線です。

「関鉄ビール列車」は、関東鉄道が年に数回運行するイベント列車です。
沿線には取手にキリンビール、守谷にアサヒビールの工場があるため、両社のビールが交互にビールを提供しています。

アサヒビールのビール列車が運転される日、守谷駅は桜が満開でした。
①守谷駅
青空の下を走る列車でビールを飲むのは気持ちがいいものです。
②ビール列車
このイベントの参加者には、料金の中にフリーきっぷ代金がつ含まれています。
③フリーきっぷ

車内には、レールメイトのお嬢さんたちが乗っていました。
④レールメイト

水海道駅に停車中のビール列車です。
⑤水海道駅
関東鉄道の列車にはトイレがついていないため、停車駅ではトイレタイムが設けられています。

石下駅の桜も満開でした。
⑥石下駅桜

この日の列車は下館の2駅手前の黒子駅で折り返します。
⑦黒子駅引込線
黒子に着いた列車は、普段は使われていない錆びた引き込み線で、待機し、その間、ホームではイベントが行なわれていました。

ホームでは、満開の桜の下、なぜか寅さんが、踊っていました。
⑧トラさん

こちらはガマの油の売り口上を演じるおじさんです。
⑨ガマの油売り口上
おそらく、普段はひっそりとした無人駅の黒子駅も、この日ばかりは大賑わいでした。
⑩黒子駅呑み鉄
そして、常陸太田の酒「松森」。

やがて、上下線の列車が桜が咲き誇るこの駅で交換しました。
⑪上下列車交換

さて、ここからは昨夏に走ったキリンビール列車です。
⑫夏取手駅
キリンビールの飲める列車は、同社の工場がある取手から発車します。

レールメイト嬢は浴衣姿でした。
⑬レールメイト浴衣姿
レールメイトは毎年、変わるそうです。

ビール列車の車内はこんな感じです。
⑭車内風景

この時は、石下の地酒「紬美人」が振る舞われました。
⑮紬美人
ロングシートの座席の前に、テーブルを並べると、そこは動くビアホールに早変わり・・・。
⑯3人

この時の終点は下妻でした。
⑰下妻

制服に着替えたレールメイト嬢が、敬礼をしてくれました。
⑱敬礼するレールメイト

この日もフリーきっぷがついていたので、ビール列車に降りた後に、再び折り返して終点の下館まで行ってみました。
⑲下舘駅夜

すると、町ではちょうど、夏祭りの真っ最中でした。
⑳夏祭り
通りは大勢の人で大変な賑わいです。
㉑女神輿
女神輿が、勇ましく通り過ぎて行きました。

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  1. 2018/05/13(日) 00:02:27|
  2. 関東
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井原鉄道の旅

今週は、広島県の神辺から岡山県の総社間を走る井原(いばら)鉄道をご紹介します。

井原鉄道井原線は、平成11年1月11日11時11分11秒に、開通の汽笛を鳴らした第三セクター鉄道で、JR福塩線の神辺駅と、伯備線の総社駅を結ぶ41・7キロの路線です。

神辺駅で発車を待つ総社行の列車です。
①神辺駅
一日に数本、福塩線経由で福山まで乗り入れています。

この線の中心駅、井原に到着しました。
②井原到着

井原駅の駅舎は、円錐型のオブジェが印象的です。
③井原駅舎

井原~早雲の里荏原間の小田川橋梁を渡る列車です。
④井原~荏原・小田川橋梁
立派な高架橋の上を一両だけの気動車がトコトコと走ります。
⑤井原~荏原

早雲の里荏原駅に停車中の列車です。
ここは、伊豆や相模を平定した戦国武将・北条早雲の故郷なので、その名が冠せられました。
⑥荏原駅ホーム
この駅は、近くに車庫があり、乗務員の交代も行なわれる井原線の中枢となる駅ですが、ひっそりとした無人駅です。

早雲の里荏原駅の跨線橋の上からは車庫が見えます。。
⑦荏原~小田間の車庫

こちらは、矢掛駅です。
⑧矢掛駅
矢掛は、古くからの山陽道の宿場町として栄えました。

駅の近くにある樹齢三百年の臥龍の松がある専教寺です。
⑨専教寺樹齢300年臥龍松

これは矢掛宿脇本陣高草家です。
⑩脇本陣高草家
白いなまこ壁が、日本的な美しさを見せてくれています。
⑪高草家白壁

そして、これは本陣石井家です。
⑫本陣石井家
矢掛には、このような、古い街並が残されています。

町内で買ったのは、お隣の鴨方の地酒「賀茂緑」。
⑬鴨方の酒・賀茂緑
昔は、矢掛にも蔵元があったそうですが、今は残っていないそうです。

総社行の列車がやって来ました。
⑭矢掛ホーム
この駅で上下列車が行き違いました。
⑮矢掛到着

列車は、川辺宿~清根間に架かる長大な高梁川橋梁を渡ります。
⑯川辺宿~清音高梁川橋梁
長い鉄橋を渡ると、やがて清根に着きます。
清音
清音(きよね)では、JR伯備線と合流します。
⑰清音~総社
清音~総社間は、JRと井原鉄道の重複区間となっており、伯備線の普通列車とすれ違いました。

終点の総社に着きました。
⑱総社駅ホーム
総社駅は、JRとの共同駅になっており、伯備線のほか、吉備線にも接続しています。
⑲IMG_0303 (550x367)


さて、こちらは、井原線開業時のポスターです。
⑳開業時ポスター

開業から2ヶ月後に訪れた時の神辺駅です。
㉑神辺駅開業時
「祝・鉄道井原線開通」というノボリがたくさん立っていました。

その時の神辺駅のホームです。
㉒神辺駅ホーム開業時
大勢の乗客で賑わっていましたが、18年ぶりに訪れてみると、駅はひっそりとしていました。

開業記念入場券と、開業18年記念フリーきっぷです。
㉓開業記念入場券㉔開業18年フリーきっぷ
開業時の賑わいはなくなってしまいましたが、地域の足として、いつまでも、元気に走り続けてほしいものです。



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  1. 2018/05/06(日) 00:01:42|
  2. 中国(山陰山陽)
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テレビ出演と、「呑み鉄トークショー」と、新聞掲載

今週は、かつてないほど色々と活動した、この1週間のご報告です。

まず、4月24日夜にTBS系列全国ネットで放送された「マツコの知らない世界」に出演致しました。
①マツコ
テーマは終着駅。
終着駅
1年ほど前に刊行した拙著『終着駅』が出演のきっかけとなりました。
②予告編
「すべての終着駅を訪ねた男」という位置づけでしたが、そんな人、私の他にも大勢いるでしょうね。
③本番
番組では、銚子電鉄の外川、大井川鐡道の井川、長良川鉄道の北濃、由利高原鉄道の矢島と、哀愁漂う各地の終着駅をご紹介しました。
バックの列車の座席は、私が撮影した北海道の小樽総合博物館に保存されているキハ56を基に作られたものです。
スタジオ収録ではもっとたくさん話したのですが、オンエアではカットされてしまいました。


そして、27日には、東京神保町にある、「ブックカフェ二十世紀」にて、「東京呑み鉄ナイト」というトークショーを開催しました。
④飲み鉄ナイト看板 (413x550)
⑤ (550x412)
これは、鉄道タレントの古谷あつみさんとのコラボにより、2人で呑み鉄の楽しさと、全国各地の呑み鉄体験や、お奨めのローカル線、その地方の地酒をご紹介しました。
⑥(550x412)


そして、拙著『プロ野球と鉄道』に関して、朝日新聞の取材を受け、4月28日の全国版朝刊の、読書欄にある「著者に会いたい」というコーナーにかなり大きな記事として掲載されました。
⑦朝日新聞
このように、いろいろとお声がかかることはありがたいことと、感謝しております。

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  1. 2018/04/29(日) 00:00:01|
  2. その他の話題
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私のこれまでの著作

今週は、私のこれまでの著書をご紹介します。
まずは、近年に発刊した書籍です。

こちらは自由国民社から発刊された『終着駅』です。
終着駅
これは、全国の終着駅を厳選し、鉄道写真家の南正時さん、井上廣和さん、村上悠太さんの旅情溢れる写真に、私がそれらのすべての駅の情景を綴ったものです。北は宗谷本線の稚内駅から、南は指宿枕崎線の枕崎駅まで65駅をご紹介しています。
(1512円税込)

そして、2月に発刊した『プロ野球と鉄道』(交通新聞社新書)です。
プロ野球と鉄道
かつて、国鉄、阪急、南海、西鉄、近鉄、東急など、多くの鉄道会社がプロ野球球団を保有していました。また、鉄道が発達していなかった戦前前後の遠征は、過酷を極めましたが、やがて、新幹線が開通して以来、プロ野球の日程編成に大きな変化をもたらしました。このようにプロ野球と鉄道は切っても切れない関係にあります。これらの歴史を検証するとともに、現在の12球団本拠地と鉄道アクセスや、元国鉄スワローズの金田正一さんら往年のプロ野球スターが語る鉄道に関するエピソードなどを記しています。(864円税込)

また、5月中旬には、クラッセブックスから、
『日本縦断客車鈍行の旅』を発刊予定です。
客車鈍行表1 (340x500)日本縦断客車鈍行の旅 (332x500)
これは、今から42年前、昭和51年の夏に、稚内から長崎まで、旧型の客車鈍行だけに乗って日本列島を縦断した古き良き昭和の、人情味あふれる汽車旅紀行です。(1728円税込)
【クラッセブックス(042-310-1552)にて予約受付中/郵便振替番号00100-1-667994】
(送料無料でお届けします)



そのほか、過去の主な著書です。
東日本H23夜汽車H22きえゆくH18三十年H14
鉄道以外の本もあります。
モンゴルH12 (168x250)阪神大震災H7ブレーブスH1
これからもどんどん著書を増やしていきたいと思っていますので、よろしくお願い致します。




  1. 2018/04/22(日) 00:15:16|
  2. 著作/寄稿紹介
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さようなら三江線(その2)/浜原~三次

今週は先週に引き続き、3月末をもって廃線になった三江線のようすをご紹介します。

いつ来ても変わらぬ浜原駅の佇まいです。
かつて三江北線の終着駅で、国鉄時代は有人駅でしたが、近年は乗降客はほんのわずかしかいませんでした。
駅前には昭和50年の三江線全通記念の石碑が建っています。
⑳浜原駅 (550x367)
廃止が翌月末に決まった2月中旬に訪れましたが、浜原から先は1月11日の豪雪で列車は不通になったままでした。
おそらく、もはや通勤通学の足としては利用させれておらず、長期不通になっても地元への影響はほとんどないのです。
(列車の写真は、以前にご紹介した別の時に訪れた時のものです)
㉑代行バス (550x367)
浜原~三次間で運転されていた代行バスです。

代行バスを浜原から2駅目の潮(うしお)で下車しました。
㉒潮駅 (550x385)
ここは江の川に面した静かな駅ですが、このあとも1週間列車が来ることはありませんでした。
㉓潮付近江の川 (550x349)
このあたりの江の川は、まるで湖のように静かで、あたりは静寂に包まれていました。

これは別の時に行った宇都井(うづい)駅です。
㉔宇都井到着 (550x357)
宇都井駅は山と山との間にあるトンネルに囲まれており、地上からホームまでの高さは20メートルあります。
エレベーターなどはなく、列車に乗るには116段の階段を登らねばなりませんでした。
㉕宇都井駅 (550x378)

さて、こちらは雪に埋もれた口羽駅です。
㉖口羽駅舎 (550x367)
昭和38年に開業した時には、三江南線の終着駅でした。
この日、列車の来ない夕暮れの駅でイルミネーションだけが輝いていました。
㉗口羽ホーム (550x367)
そして、この駅の近くにも三江線全通の記念碑があります。
㉘口羽開通記念石碑 (550x367)
地域の人々にとって、いかにこの線の全通が待たれていたかがわかります。

こちらは、すっかり日が暮れた式敷駅のなんとも寂しい風景です。
㉙式敷夜 (550x367)
式敷駅が開業した昭和30年には、ここが三次からの列車の終着駅でした。

これは、2年前、式敷~香淀間の朝靄の中を走る列車です。
㉚式敷~香淀 (550x367)
幻想的な風景の中を、たった一両の列車が走り去って行きました。

これは、運転本数の極めて少ない三江線の中でも、多くの列車が通過する長谷(ながたに)駅です。
㉛長谷駅
この駅に停車するのは三次方面の下りが朝の2本、口羽方面への上りは午後の3本だけしか停車しません。

これは、尾関山~三次間の橋梁を渡る上りです。
㉜三次~尾関山 (550x358)
この橋梁を渡ると、間もなく終点の三次に着きます。

三次駅でひっそりと発車を待つ折り返しの列車です。
㉝三次駅ホーム(550x362)
かつては、駅舎側の1番線の脇に三江線専用ホームがありました。

そして、三次の地酒は「瑞冠」でした。
㉝三次呑み鉄(550x367)

一部開通から88年、全通から43年、三江線は役目を終え、その歴史に幕を降ろしました。


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  1. 2018/04/15(日) 00:02:01|
  2. 中国(山陰山陽)
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さようなら三江線(その1)/江津~浜原

今週から2回に分けて、3月31日に廃止された、山陰本線の江津と芸備線の三次を結んでいた三江線のようすをご紹介します。

三江線は、昭和5年に江津~川戸間が開通したのち、昭和12年に川戸~浜原間が開通。その後、戦争で工事が中断したものの、酢昭和30年に、三江南線、三次~式敷間が開通し、江津~浜原間は三江北線となりました。
そして、昭和50年に最後まで未開通だった浜原~口羽間が開通し、最初に開業してから45年の時を経て、ようやく三江線が全通しました。

しかしながら、沿線に大きな町はない過疎地帯で、これといった観光資源もなかったため、当初から利用者はわずかしかいませんでした。それでも並行する道路が未整備だったため、その後も走り続けましたが、やがて、国道が整備され、利用者はさらに激減。
ついに、全通から43年の時を経て、その役目を終えたのでした。

そんな三江線には何度も足を運んでいましたが、最後に2月中旬に別れを告げに訪れました。
しかし、この時は、1月の豪雪のため、浜原~三次間が不通になっていました。

これが、江津駅で発車を待つ浜原行の列車です。
①江津 (550x366)
晩年の三江線ではキハ120形が運用されており、殆どの列車が一両だけの単行運転でした。

江津の次の駅、江津本町です。
②江津本町 (550x367)
本町がつくと、いかにも町の真ん中の駅という感じですが、周囲には何もありませんでした。

川平駅です。
③川平 (550x367)
この駅は、昭和5年に三江線が最初に開通した区間の終着駅でした。

これは、川戸駅付近の陸閘門(りくこうもん)と呼ばれる門の間を行く列車です。
④川戸陸閘門 (550x367)
この門は、豪雨によって江の川の水位が上がった場合に閉じられて、冠水しないようになっています。

川戸駅に着いた上り、江津行の列車です。
⑤川戸ホーム (550x367)
かつて、反対側にもホームがありましたが、晩年は使われておらず、線路もはがされていました。

これが川戸駅の駅舎です。
⑥川戸駅 (550x367)
比較的大きな駅舎でした。

ホームが一面しか使われていないのに、こんな案内板がありました。
⑦案内板 (550x367)
きっとこの案内板は反対ホームがあったころから設置されていたのでしょう。

川戸では、「玉桜」という地酒を呑みました。
⑧川戸呑み鉄 (550x367)

鹿賀という小さな無人駅でも降りてみました。
⑨鹿賀ホーム (550x367)

雪の積もった田園地帯に、ひっそりと駅がありました。
⑩鹿賀駅遠景 (550x367)

そんな駅に江津行の列車が到着します。
⑪鹿賀到着 (550x367)

因原にも古い木造駅舎があります。
⑬因原駅 (550x367)
戦前に開業した三江北線区間には、趣のある木造駅舎がたくさん残されていたのです。

こちらは、沿線の主要駅の石見川本駅です。
⑭石見川本駅 (550x367)
石見川本では「池月」を買いました。
⑮石見川本呑み鉄 (550x367)

小さな無人駅、木路原です。
⑯木路原駅 (550x367)
近くの民家の窓に「ありがとう三江線木路原駅」という文字が貼ってありました。
⑰ありがとう三江線木路原駅 (550x367)

石見簗瀬駅にも古い駅舎がありました。
⑱石見簗瀬駅 (550x367)

やがて、終点の浜原に着きました。
⑲浜原到着 (550x367)
この日、この先に進むには、代行バスに乗り換えねばなりません。

とちらは江津駅に飾られていた桜満開の時期の川戸付近を行く列車の写真です、
(江津市の小林克己さんの作品)
⑳小林克己川戸桜 (550x358)
三江線は、ちょうど桜が咲くころに廃線になりました。
もう桜の咲く時期に列車が来ることは二度とありません。

来週は、浜原~三次間のようすをご紹介します。

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  1. 2018/04/08(日) 00:03:22|
  2. 中国(山陰山陽)
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トークショー「プロ野球と鉄道」開催

先週、東京中野にある野球居酒屋「中野塾」にて、「プロ野球と鉄道」と題したトークショーを行ないました。
これは、先日発刊した拙著『プロ野球と鉄道』の発刊を記念して開催したものです。
①
多くのプロ野球ファンや鉄道ファンの方々に出席して頂き、午後3時からの第一部、6時30分からの第二部ともに店内は満員札止めの大盛況でした。
②
プロ野球と鉄道の歴史を昔の鉄道による遠征事情や、阪神、阪急、東急、南海、国鉄、近鉄、西鉄、西武など、鉄道会社が保有した鉄道球団などについて真面目に語った後は、12球団の本拠地と鉄道アクセス、さらに元国鉄スワローズのエースだった金田正一さんらプロ野球OBのレジェンドたちに取材したエピソード、そして昭和の応援団裏話など、一部と二部あわせて4時間しゃべり続けました。
③
幸い、アットホームな雰囲気の中、出席された皆さんには好評だったようで、ホッと胸をなで下ろしています。
④
4月27日には、神保町で「呑み鉄」を題材に、もう一度、トークショーを開催する予定です。

  1. 2018/04/01(日) 00:04:44|
  2. その他の話題
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福塩線の旅

今週は広島県を走る福塩線(ふくえんせん)のうち、塩町~府中間の非電化区間をご紹介します。
福塩線は、山陽本線の福山から芸備線の塩町間78・0キロを結ぶ路線です。
そのうち福山~府中間26・0キロは電化されており、両都市を結ぶ通勤通学路線ですが、府中~塩町間59・8キロは非電化で、山間部を行く閑散とした区間となっています。

これは、夜明け前の三次駅で発車を待つ府中行の列車です。乗客は私のほか、一人しかいませんでした。
①三次夜明け前
福塩線非電化区間の列車は、すべて芸備線の三次まで乗り入れています。

塩町駅で、備後落合、備中神代方面の芸備線と分かれて福塩線に入ります。
②塩町

朝靄の中の吉舎(きさ)駅で反対列車との交換です。
③吉舎駅朝靄
この区間では、すべてキハ120が運用されています。

梶田駅での朝焼けです。
④梶田駅朝焼け
このあたりは雪が積もっていました。

備後安田駅で停車中の列車です。
⑤備後安田駅ホーム

この駅には昔ながらの駅舎が残っています。
⑥備後安田駅舎
備後安田駅に、上り府中行き列車がやって来ました。
⑦備後安田上り列車到着
かつて貨物列車の集積場があったのでしょうか。駅構内にある錆びついた車止めを見ると、なんとも寂しさがつのります。
福塩線から貨物列車が廃止されたのは昭和61年のことでした。

甲奴(こうぬ)駅です。
⑧甲奴駅舎
こちらも昔ながらの駅舎が残っていますが、駅員の姿はありません。

甲奴~上下間を行く三次行きの列車です。
⑩甲奴~上下

そして、朝から三次の地酒「美和桜」で呑み鉄をしました。
⑨美和桜呑み鉄

こちらは、この区間の中心駅、上下駅です。
⑪上下駅舎
かつて、この駅から帝釈峡へのバスが発着していましたが、廃止されてしまいました。
⑫上下駅停車中
上下駅に府中行きの上り列車が停車しています。

こちらは備後矢野駅です。
⑬備後矢野駅
40年以上も前、私はこの駅で何度も降りて、近くにあるユースホステルに泊まりに行ったものでした。

終着の府中では、福山行きの黄色い電車に接続しています。
⑭府中駅

これは国鉄時代のこの区間のきっぷです。
⑮きっぷ
今では上下駅が委託駅になっているほかは、すべて無人駅です。

そして、駅のスタンプです。
⑯スタンプ

かつて、この塩町~府中間には、区間運転も含めて一日15往復の列車が運転されていました。
けれども、今では、朝夕だけの6往復に削減され、日中は6時間以上も運転されない閑散路線になってしまいました。
今や、存亡の危機に立たされていると言っても過言ではありません。

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  1. 2018/03/25(日) 00:02:53|
  2. 中国(山陰山陽)
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大田市駅と石見銀山

今週は島根県にある山陰本線大田市駅と、石見銀山のようすをご紹介しましょう。

大田市駅は、島根県の県都の松江駅から西に、65・3キロ離れた場所に位置します。
①ホーム
本線とはいえ、このあたりの山陰本線の列車は、特急列車も普通列車も、大抵2両編成です。

この駅のホームには石見銀山の看板が立っていました。
②石見銀山看板
石見銀山は、16世紀から高品質の銀などを大量に産出した鉱山で、大正12年まで採掘が続けられていました。
周囲の古い昔ながらの景観と合わせて、平成19年にユネスコの世界遺産に登録されています。

これが大田市駅です。
③駅舎
石見銀山は、この駅からバスで約20分の距離にあります。

これが、現在は石見銀山資料館になっている大森代官所跡です。
④大森代官所跡石見銀山資料館
そのあたりは、美しい石見瓦の家が並ぶ江戸時代の街並がそのまま残されています。
⑤街並み俯瞰

こちらは理容館アラタです。
⑥理容館アラタ
大正時代の理容室で「全国理容遺産認定第1号」との説明板がありました。

こんな昔ながらの煙草屋さんもありました。
⑦煙草屋

これは、代官所地役人だった河島家の屋敷です。
⑧代官所地役人河島家
この家は中に入ることができます。
⑨河島家内部

こちらは五百羅漢のある羅漢寺です。
⑩羅漢寺

本当に江戸時代にタイムスリップしたような街並ですね。
⑪街並
電柱がないので、景観がより美しく映えます。

こんな屋根の家がありました。
⑫鳩の屋根

こちらは鉱山へ向かう道にある清水寺にある石仏です。
⑬清水寺の石仏

そして、こちらは旧清水谷製錬所跡です。
⑭清水谷精錬所跡
これは明治27年に藤田組(現在のDOWA)が建設した精錬所跡ですが、
採算が取れず、わずか1年半で閉鎖されてしまいました。

これは銀山の入口近くにある高橋家住宅です。
⑮享和元年1801年山組頭高橋家
享保元年(1801年)に建てられたもので、高橋家は銀山を取り仕切る山組頭を務めていました。

これは、銀山の安全を祈願する佐毘売山神社神社です。
⑯佐毘売山神社
鬱蒼とした木々に囲まれ、霊験あらたかな気配が感じられました。

これは龍源寺間歩(りゅうげんじまぶ)と呼ばれる坑道の入口です。
⑰龍源寺間歩入口
石見銀山にはこのような坑道跡がたくさん残されています。
⑱坑道内部
江戸時代の最盛期には、このあたりで20万人もの鉱夫が働いていたということです。
高賃金のため、多くの鉱夫が集まりましたが、重労働な上、照明のランプの煤や粉塵を吸い込むため、彼らの平均寿命は30歳だったそうです。

石見銀山の歴史を学んだ後、大田市駅で買った地酒は、その名も「石見銀山」。
⑲呑み鉄
山陰本線の列車の中で、日本海を眺めながらいただきました。

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  1. 2018/03/18(日) 00:02:36|
  2. 中国(山陰山陽)
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東武大師線

東武鉄道大師線は、東武伊勢崎線(スカイツリー線)の西新井駅から分岐するわずか1.0キロの路線です。
当初、西新井から東武東上線の上板橋を結ぶ西板線として計画され、昭和6年に西新井~大師前間のみが部分開業し、西新井大師への参詣客の輸送を担っていますが、その先は延伸することなく現在に至っています。

これは、西新井駅の構内にある大師線乗換改札です。
①西新井駅改札 (550x367)
この線は途中駅がなく、終点の大師前駅は無人駅のため、分岐駅の西新井の乗り換え口の自動改札機が、大師前の改札口の役割を果たしており、乗車券はここで回収され、ICカードもここで大師前までの運賃が引き去られます。
逆に、大師前から乗る時も、乗車券は西新井駅のこの改札機のホーム側で購入します。

西新井駅に大師線の電車が入線してきました。
②西新井入線 (550x358)
この線は、おおむね10分間隔で運転されています。

西新井を発車した電車は、高架線をゆっくりと走り、大師前まではたった2分で着きます。
③大師前駅ホーム (550x367)
大師前駅は2両編成の電車が発着するホームが一面だけしかありませんが、意外にゆったりとした広さです。

これが大師前駅です。
④大師前駅舎 (550x367)
東京23区内で唯一の無人駅ですが、立派な駅舎が印象的です。
平成3年に地上駅から高架駅に改修されました。

こちらは西新井大師です。
⑤新井薬師 (550x367)
西新井大師は、正式には、五智山遍照院總持寺という、真言宗のお寺です。
参道には昔ながらのお店が並んでいます。
⑥お煎餅屋さん (550x367)
いかにも昭和を感じさせてくれるお煎餅屋さんがありました。

帰りは、黄色い電車がやって来ました。
⑦大師前到着 (550x367)

こちらは昭和58年に訪れた時の大師前駅です。
⑨S58ホーム(550x359)
この当時はまだ地上駅で、駅前には雑然と放置自転車が並んでいました。
⑧S58旧駅舎 (550x369)

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  1. 2018/03/11(日) 00:02:12|
  2. 関東
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美濃市駅と街の風景

先週ご紹介した長良川鉄道の北濃駅を訪れた翌日、美濃市駅で途中下車をしました。
①ホーム (550x367)
終点の北濃駅は深い雪に包まれていましたが、長良川に沿って54・4キロも下流にある美濃市には、まったく雪はありません。
②駅舎 (550x367)
この駅も昔ながらの木造駅舎が残されています。

美濃市駅から歩いて3分ほどの場所に、名古屋鉄道の旧美濃駅があります。
③名鉄美濃駅1 (550x367)
美濃町線は、岐阜市内の徹明町から美濃までの18・8キロを結ぶ路線で、平成17年に廃止されました。

岐阜市内中心部では路面を走る併用軌道でしたが、その先は専用軌道を走る郊外電車でした。
④名鉄美濃駅2 (550x367)
このホームの佇まいやモダンな駅舎は、まるで現役の駅のようです。
⑤旧美濃駅舎 (550x367)

こちらは昭和57年に訪れた現役時代の美濃駅です。
⑥s57美濃駅 (550x382)
今、残された駅に、現役時代にあった架線は撤去されています。

さて、こちらは美濃市の古い街並です。
⑦街並み (550x367)
格子戸のある江戸時代の家が軒を連ねており、電柱がないので、実に風情のある佇まいです。

このあたりには「うだつ」のある家がたくさんあります。
⑧うだつ (550x367)
「うだつ」とは民家の屋根に取り付けられた小柱のことで、防火壁の役目をはたしていました。
うだつがある家は格式の高い家とされ、「うだつの上がる」という言葉はここから生まれました。

こちらは今井家住宅です。
⑨今井家 (550x367)
この家は古くからの紙問屋だったそうです。

こんな古い看板がありました。
⑩古い看板 (550x367)
おそらく、昭和初期のものでしょう。

こちらは、小坂酒造場です。
⑪小坂酒造場 (550x367)
この建物は国の重要文化財に指定されています。
⑫杉玉 (550x367)
大きな杉玉は、そこが造り酒屋さんであることを示しています。
⑬百春 (550x367)
この蔵の代表銘柄は百春(ひゃくしゅん)です。
⑭呑み鉄 (550x367)
帰りの列車では、このお酒で呑み鉄をしながら美濃市を後にしました。

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  1. 2018/03/04(日) 00:02:35|
  2. 東海
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冬の北濃駅

今週は、真冬に訪れた岐阜県のにある長良川鉄道の終点、北濃駅をご紹介しましょう。
長良川鉄道は、高山本線の美濃太田から分岐する72・2キロのローカル線です。
昭和61年に国鉄越美南線から第三セクター鉄道に転換されました。

雪深い終着駅・北濃に赤い列車が到着しました。
①雪のホーム (550x367)
起点の美濃太田からおよそ2時間の旅路です。

「長良川鉄道終点」の看板です。
②終着駅看板 (550x365)

かつて、蒸気機関車が方向転換をしていた転車台は雪に埋もれていました。
③転車台 (550x367)

質素な駅舎は国鉄時代と変わっていません。北濃駅は昭和9年に開業しました。
④駅舎 (550x367)

越美南線は、北濃駅から先、直線距離でおよそ16キロの福井県越美北線の九頭竜湖駅までを結び、美濃太田~福井間の越美線となるはずでした。けれでも、計画が頓挫し、その間が開通することはありませんでした。

駅前には、道路を挟んで美しい長良川の風景が広がっていました。
⑤長良川 (550x367)

駅から歩いて15分ほどの場所に長瀧白山神社があります。
⑥長瀧白山神社 (550x367)
この神社は奈良時代に創建され、全国に2715社に及ぶ白山神社の総本家的な由緒ある神社です。

境内には隣接して白山長瀧寺があります。
⑦長瀧寺 (550x367)
こちらは明治時代の神仏分離により、長瀧神社がら分かれたものです。

駅舎の改札口の上には、「さよなら又どうぞ」の文字がありました。
⑧さよなら又どうぞ (550x367)

北濃で買った酒は、地元郡上の地酒「奥美濃母情・にごり酒」
⑨奥美濃母情 (550x367)

美濃太田行の列車が山の駅を発車して行きました。
⑩発車 (550x367)

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  1. 2018/02/25(日) 00:01:28|
  2. 東海
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『プロ野球と鉄道』発刊

この度、交通新聞新書『プロ野球と鉄道』を上梓致しました。
①新書表紙 (315x500)
日本に鉄道と野球が伝来したのは同じ、明治5年。

今のプロ野球の前身となる日本野球連盟が発足して以来、
阪神、阪急、南海、東急、西鉄、国鉄、近鉄、西武・・・これまで多くの鉄道事業者が参画し、

また、鉄道の発達により、プロ野球の遠征事情は大きく変貌を遂げました。

このような鉄道とプロ野球との密接な関係を黎明期から現在までを検証、考察したのが、この一冊です。

いくつかの野球に関する記念乗車券類も掲載しました。

これは、阪急ブレーブスの3年連続日本一を記念した阪急電車の記念きっぷと、内野席指定券付き往復乗車券です。
②阪急V3 (197x550)③阪急入場券付乗車券 (226x550)

こちらは近鉄バファローズの初優勝記念乗車券。
④近鉄優勝(550x246)

こちらは国鉄水道橋駅の読売ジャイアンツ王貞治選手のホームラン世界記録達成記念きっぷです。
⑤王選手世界記録2枚 (471x550)

また、西武のレオライナー、JR西日本のカープ電車、土佐くろしお鉄道のタイガース列車などにも触れました。
⑥レオライナー (550x367)
⑦2012年の赤ヘル電車 (550x367)
⑧タイガース列車ごめんなはり線夜須~西分間 (550x367)

こちらは仙台宮城球場のJR東日本の広告です。
⑨仙台JR看板 (550x362)

巻末には、元国鉄スワローズの大エース金田正一さん、広島カープの第一期黄金時代を築かれた古葉竹識さん、さらに、昭和最後のパーフェクトピッチャー阪急ブレーブスの今井雄太郎さん、南海ホークスを最後の優勝に導いたエースの佐藤道朗さん、球界きっての鉄道ファンとして知られる横浜大洋ホエールズの盗塁王屋鋪要さんの、鉄道に関するエピソードも掲載しています。
⑩IMG_8521 (320x213)⑪IMG_7920 (320x213)
この本は、構想から1年以上をかけて取材し、まとめあげたものです。

ご興味のある方に読んでいただけると嬉しく思います。

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  1. 2018/02/18(日) 00:01:10|
  2. 著作/寄稿紹介
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久留里線の旅

今週は千葉県の木更津駅から上総亀山までの32・2キロを結ぶ久留里(くるり)線をご紹介しましょう。

これが、内房線から分岐する木更津駅です。
①木更津駅狸
駅前にひょうきんなタヌキがいるのは、近くに狸囃子で有名な証成寺があるからです。

木更津駅で発車を待つ久留里線の列車です。
②木更津駅ホーム
平成24年からキハ130形が新型の運用されています。

次の駅、祇園の駅名票です。
③祇園駅名票
祇園というと、京都のイメージが強いですが、なぜ、千葉県にこの名前の駅があるのでしょうか。

こちらは横田駅です。
④横田駅

横田駅に着いた上り木更津行の列車です。
⑤横田駅到着

この駅で多くの下線の列車が行き違います。
⑥横田駅交換

こちらは馬来田(まくた)駅です。
⑦馬来田駅舎
嬉しいことに、久留里線にはこのような昔ながらの木造駅舎がたくさん残っています。

馬来田駅は平成7年に、一旦、無人駅になりましたが、駅が荒廃するのを防ぐため、地元の老人会の方々が、ボランティアで駅員を務めておられます。
⑧ボランティア川柳

こちらは、この線の中心駅、久留里駅です。
⑨久留里駅

久留里の町は、古い建物がたくさん残っています。
⑩金物屋
こんな古い金物屋さんがありました。

そして、こちらは寛永元年(1624年)創業の吉崎酒造です。
⑪吉崎酒造吉寿寛永元1624年創業
400年近く続いている「吉壽」という地酒の蔵元です。

そして、こちらは藤平酒造。
⑫藤平酒造福祝
この蔵元の銘柄は「福祝」です。

ここ久留里の水は、日本の名水百選に選ばれるほどの名水として知られ、町内には5軒の造り酒屋さんがあります。
⑬久留里の名水

こちらは、山の上にある久留里城です。
⑭久留里城
久留里城は、室町時代の康正2年(1456年)に、上総武田氏の武田信長が築城し、武田氏、里見氏など、歴代の城主が幕末までこの地を治めていましたが、明治維新の後、解体されてしまいました。
現在の天守閣は昭和54年に建てられたものです。

城のある山から眺めた風景です。
⑮久留里~平山
久留里線の久留里~平山間を走る列車が見えます。
⑯
なんとものどかな風景です。
⑰◎
とても、東京都内から1時間余りで来られる場所だとは思えません。

久留里駅に、上総亀山行の下り列車がやって来ました。
⑱久留里駅到着

列車の窓際に、久留里で買った地酒を並べてみました。
⑲久留里の酒窓際
久留里が酒どころだということは意外に知られていないかもしれません。

終点の上総亀山駅です。
⑳上総亀山駅

この先に行く列車はありません。
㉑車止め

駅から歩いて10分ほど歩いた所にある亀山湖です。
㉒亀山湖
この湖の近くには温泉宿もあります。

こちらは平成17年に訪れた時、久留里駅でのキハ38形です。
㉓キハ38H17
この車両は平成24年に廃車になりました。

そして、こちらは、昭和50年に初めて久留里線を訪れた時の上総亀山駅です。
㉔S50亀山駅
停車している車両は国鉄色のキハ30形です。改装はされましたが、現在も駅舎は当時と同じ建物です。

国鉄時代のきっぷです。
㉕入場券
今では終点の上総亀山は無人駅になってしまいました。

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  1. 2018/02/11(日) 00:01:10|
  2. 関東
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惜別「NO.DO.KA」の旅

今週は、去る1月7日に、新潟県内を走った「惜別NO.DO.KA」ラストランの旅をご紹介します。

「NO.DO.KA」は、平成2年に「シルフィード」の名前で運転を開始したJR東日本新潟支社の団体専用ジョイフルトレインです。
この列車は、485系交直両用電車で、29年間、新潟県内を中心に、時には九州までも足を延ばしたこともあるそうです。

けれども、老朽化のため、この日が最後の旅となりました。

9時30分、「惜別 NO.DO.KA」の横断幕に見送られ、新潟駅を発車しました。
①新潟出発
車内で配られたシールです。
②惜別NODOKAシール
ラストランの列車は、新潟を発車すると、信越本線で直江津まで行き、直江津で折り返して犀潟から北越急行ほくほく線を経由し、六日町へ。六日町からは上越線を北上して宮内から再び、信越本線に戻り、新津まで。さらに新津からは羽越本線で新発田を経由し、白新線で新潟に戻ってくるというルートで、新潟県内を一周します。

最初の停車駅、新津に停車中の列車です。
③新津駅
主要駅ではそれぞれ、10~20分程度、停車します。

「NO.DO.KA」は、近くで見ると、驚くほど老朽化していることがわかります。
④老朽化1⑤老朽化2
でも、クルマならせいぜい10年前後ぐらいが寿命なのに、この電車は30年近くも過酷な豪雪地帯の新潟県内を走り続けたのですから、本当にご苦労様でした。
⑥老朽化3

さて、車内で、私はもちろん「呑み鉄」です。
⑦「越後鶴亀」
越後は酒どころ、まずは手始めに「越後亀鶴」から。

長岡では、特急「しらゆき」に出会いました。
⑧長岡しらゆきと

長岡で買った酒は「長岡城」。
⑨「長岡城」呑み鉄

柏崎に停車中です。
⑩柏崎
隣のホームには越後線の列車が発車を待っていました。

柏崎を発車すると、右手の車窓に日本海が見えてきます。
⑪日本海
冬の日本海は、この日も荒れていました。

直江津では、えちごトキめき鉄道の列車が停車していました。
⑫直江津
えちごトキめき鉄道は、平成27年の北陸新幹線長野~金沢間の開業に伴い、新幹線と並行する信越本線の直江津~妙高高原間と北陸本線の直江津~市振間を第三セクター化した路線です。

直江津で折り返し、犀潟から北越急行ほくほく線に乗り入れます。
ほくほく線は、北陸新幹線が開業するまでは、首都圏と北陸を結ぶメインルートとして、上越新幹線の越後湯沢から金沢方面に向かう特急「はくたか」が行き交っていました。
⑬ほくほく線トンネル
豪雪地帯を走るほくほく線には、長大なトンネルがいくつもあります。

長いトンネルを抜け、十日町付近の車窓です。
⑭十日町付近
あたrは、深い雪に包まれています。

六日町に着きました。
⑮六日町駅名票
六日町からは信越本線と合流する宮内まで上越線を走ります。
⑯六日町構内
六日町駅構内もたくさん雪が積もっていました。

これは、JRが設置したのではなく、同乗の鉄道ファンの方が作ったサボ(列車名票)です。
⑰サボ

そして、別のファンの方からは、このような手作りの乗車記念券を頂きました。
⑱乗車記念券
車内は「NO.DO.KA」に別れを惜しむ鉄道ファンでいっぱいでした。
⑳車内1
皆、それぞれに記念写真に興じます。
㉑車内記念撮影

車内ではこのような駅弁が配られました。
⑲駅弁

そして、雪見酒は「越乃雪蔵」。
㉒越乃雪蔵
上越線の車窓からは白銀の山々が見えます。
㉒2白銀の山々

羽越本線に入り、新発田から白新線に入ります。
㉓新発田惜別横断幕
新発田駅でも惜別の横断幕に見送られました。

あたりはすっかり暗くなり、最後の停車駅、新崎です。
㉔新崎

そして、17時28分、ついに、朝出発した新潟駅に戻って来ました。
㉕新潟長い汽笛
新潟駅から車庫に向けて発車する時、長い長い悲しそうな汽笛を鳴らして駅から去って行きました。
㉖惜別カード
NO.DO.KA号、長い間、お疲れさまでした。


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  1. 2018/02/04(日) 00:02:14|
  2. 甲信越
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磐越西線・山都駅の冬

今週は福島県にある磐越西線の山都(やまと)駅とその周辺にご案内しましょう。
先週まで南国沖縄の風景が続きましたが、一転して今週は雪国の旅です。

山都駅に到着した下り列車です。
①下り列車到着

この日は雪は降っていませんでしたが、このあたりは会津の雪の多い地帯です。
②駅名票

ホームには明治42年にこの駅が開業した時に使われていた煉瓦造りのランプ小屋です。
③ランプ小屋
これは、当時、使用されていたランプ用の油を貯蔵する小屋で、国の近代化産業遺産に指定されています。

山都駅舎です。
④現駅舎
今は業務委託駅になり、地元のご婦人が切符を販売していました。

このあたりは、雪の中に実のなった柿の木が何本もありました。
⑤雪と柿
真っ白な雪に柿の色がとても映えていました。

ここは、山都~喜多方間にある一ノ戸川橋梁で、長さ445メートル、高さ24メートルの立派な鉄橋です。
⑥一ノ戸川橋梁1
下り新潟行の快速「あがの」が通過して行きました。

そしてこちらは上り会津若松行列車です。
⑦一ノ戸川橋梁2

山都の名物はそばです。
⑧山都そば
寒暖差の激しいこの地はそばの栽培に適しているそうで、やや白っぽい麺が特徴です。

⑨そば資料館
駅から歩いて10分ほどの場所にあるそば資料館では、その歴史や製法を知ることができます。
⑩そば資料館2

上り列車が到着しました。
⑪上り列車到着

こちらは、平成11年5月に訪れた時の山都駅です。
⑫H11駅舎
この時は田植えの直前だったので、田んぼに水がはってあり、冬とはまったく印象が異なります。
⑬H11一ノ戸川橋梁
「SLばんえつ物語号」が一ノ戸川橋梁を通過していきました。
⑭H11ばんえつ物語

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  1. 2018/01/28(日) 00:01:42|
  2. 東北
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黒島の風景

4週続けての沖縄の離島シリーズ、今週は八重山諸島にある黒島をご紹介します。
黒島は八重山諸島の中心、石垣島と西表島との間にある、周囲12.6キロ、人口200人あまりの小さな島です。

黒島へは石垣港から高速船でおよそ30分。
①平べったい島 (550x365)
黒島は山がなく、平べったい島です。

周囲はエメラルド色のサンゴ礁の海に囲まれています。
②エメラルドのサンゴ礁 (550x377)

白砂の海岸には、こんな大きなヤシガニが歩いていました。
③ヤシガニ (385x550)
ヤシガニといっても、カニではなく、オカヤドカリの一種で、30年以上生きるそうです。

海岸にはこんな小さなオカヤドカリもたくさんいます。
④小オカヤドカリ (550x381)
このオカヤドカリが30年たつと、あんな大きなヤシガニになるのでしょうか。

波打ち際の岩場には、小さな熱帯魚がたくさん泳いでいます。
⑤熱帯魚 (550x382)
八重山諸島の中では観光客の少ないこの島には、自然がたくさん残されているのです。

これが黒島灯台です。
⑥黒島灯台 (550x391)
灯台と言うと、岸壁の岡の上に建っているイメージがありますが、標高の低いこの島では、ごく普通の平地に立っています。

島にはたくさんの牛が飼育されています。
⑦クロウシ (550x389)
人口よりはるかに多い約3000頭の牛が飼育され、ブランド牛として島外に出荷されているのです。
⑧牧場 (550x382)
海に囲まれた沖縄ですが、意外なことに、魚介類の店より、石垣牛などの肉のお店の方が目につくのです。

黒島の集落です。
⑨集落 (550x384)
昔ながらの赤い琉球瓦の家が並んでします。
でも、お隣の竹富島のように観光客が殺到することもなく、黒島には静かな時が流れていました。

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  1. 2018/01/21(日) 00:02:26|
  2. 沖縄
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美しき南国の楽園・石垣島

沖縄の離島シリーズ、今週は石垣島をご紹介します。
八重山諸島の中心である石垣島は、沖縄本島の南西、およそ400キロの位置にあり、人口約47000人の美しいサンゴ礁に囲まれた島です。

こちらは石垣島でも最も美しい海と言われる川平湾です。
①川平湾 (550x384)
ここには、熱帯魚やウミガメが泳ぐ海の中を観察できるグラスボートが運航されています。
②川平湾② (550x367)

白砂の海岸には小さなウミガメの姿がありました。
②‐2ウミガメ (550x381)

石垣島には、今もこのような琉球瓦の民家が残っています。
③民家 (550x384)

こちらは宮良殿内(みやらどんち)と呼ばれる、琉球王朝時代の文政2(1819)年に建てられた邸宅です。
④宮良殿内 (550x399)
この建物は国の重要文化財に指定されています。

④-2庭園 (550x380)
そして、この庭園は国の名勝です。

島の中は、様々な花が咲き乱れています。
⑤花 (550x382)
正に、南国の楽園です。
⑥花 (550x373)

島の中にはこんな鍾乳洞もあります。
⑦石垣鍾乳洞 (384x550)
20万年もの時を経て自然が作り出した洞窟です。

こちらは、島の南部の白保海岸です。
⑧白保海岸 (550x353)
どこまでも続く遠浅の岩場が続いています。

こちらは島の北部にあるサンシャインビーチと呼ばれる海岸です。
⑨サンシャインビーチ (550x386)
島の先端部のこのあたりは、陸地が細長くなっており、一番狭いところでは両側の海と海の距離が200メートルしかありません。

そして、これが島の最北端にある平久保崎燈台です。
⑩平久保崎 (550x375)
エメラルドグリーンの海に、白亜の燈台が印象的でした。

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  1. 2018/01/14(日) 00:01:46|
  2. 沖縄
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久米島の旅

先週に引き続き、沖縄の離島、今週は沖縄本島の西側およそ100キロにある久米島をご紹介します。
久米島は人口およそ1万人、島全体が久米島町になっています。

これは、久米島のシンボルにもなっている奥武島の畳石です。
①奥武島畳石 (550x369)
亀の甲羅のような模様が印象的です。

常夏の島には、いつもハイビスカスが咲き誇っています。
②ハイビスカス (550x367)

これは、島の旧家、上江洲家です。
③上江洲家 (550x367)
沖縄の伝統的な家屋で、国の重要文化財に指定されています。

島の名所のひとつ、国の天然記念物の五枝の松です。
④五枝の松 (550x367)
まるで、巨大な盆栽のように見えます。

これは島の北部にある比屋定バンタです。
⑤比屋定バンタ (550x367)
バンタとは、沖縄の言葉で崖の淵という意味で、ここは断崖絶壁が続いています。

これは、高台にある宇江城址です。
⑥宇江城址より (550x377)

遠くに砂浜だけの島「はての浜」が見えています。
⑦遠くにはての浜を望む (550x378)

これがはての浜です。
⑧はての浜 (550x374)
ここは、エメラルドブルーの海に囲まれた真っ白な砂浜だけの島なのです。
⑨はての浜への航路 (550x357)

島の中心部にあるイーフビーチです。
⑩イーフビーチ (550x375)
このあたりには、ホテルや民宿が並んでいます。

そして、島の南部にあるシンリ浜です。
⑪シンリ浜 (550x365)

シンリ浜に夕陽が沈みます。
⑫シンリ浜夕暮れ (550x364)

こちらは、島の玄関口、久米島港に停泊中のフェリーです。
⑬久米島港 (550x385)
那覇泊港との間を一日、1~2便運航されており、那覇までは直通便で3時間15分、渡名喜島経由便で4時間の道のりです。

久米島航路の途中には、こんな岩でできた無人島がありました。
⑭無人島

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  1. 2018/01/07(日) 00:01:21|
  2. 沖縄
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伊江島の風景

今週は美しい南国の島、沖縄県の伊江島の風景をご紹介しましょう。
伊江島は沖縄本島北部の本部半島の西側に浮かぶ、人口約4000人、周囲22キロほどの美しい島です。

こちらが伊江島です。
①タッチュウ (550x372)
伊江島のシンボルの城山(ぐすくやま)が印象的です。城山はタッチューとも呼ばれています。

伊江島は本部港からフェリーで30分の距離にあります。
②伊江島フェリー (550x369)

こちらは、タッチューからの眺めです。

③タッチューからの眺め (550x384)
海抜172メートルのこの岩山には、歩いて20分ほどで登ることができます。
海の向こうに見えるのは本部半島です。

こちらは島の南部の海岸沿いにあるニャティア洞です。
④ニャティヤ洞 (382x550)
周囲は、本当に美しい海が広がっています。
⑤ニャティア洞付近の海岸 (550x378)

こちらは伊江島燈台です。
⑥伊江島灯台 (550x380)
伊江島は城山を中心になだらかな平野が広がっています。

こちらは湧出海岸です。
⑦湧出海岸 (550x378)
湧出と書いて、「ワジー」と読みます。
⑧湧出展望台からの眺め (550x393)
ワジー展望台からの眺めです。

そして、島の北部から沖合に見えるのは、伊是名(いぜな)島です。
IMG_20171209_0001 (550x377)
いつか、伊是名島やその北側にある伊平屋(いへや)島にも行ってみたいと思っています。

このように伊江島は他の島々と共に、とても美しい島なのですが、この島には悲しい歴史があります。
太平洋戦争末期の昭和20年4月16日、日本軍の飛行場があった伊江島にアメリカ軍が上陸し、激しい戦闘の結果、日本軍は玉砕したのです。

島の中には、人間魚雷が残っていました。
⑨人間魚雷 (550x377)

そして、戦後、アメリカ軍に占領され、伊江島は米軍基地の島になったのです。
⑩団結小屋 (550x385)
今でも島の面積の3分の1が米軍基地として占領されており、島人の反米感情は大きいようです。

こちらは戦争犠牲者の冥福を祈る慰霊碑「芳魂の塔」です。
⑪芳魂の塔 (550x378)
6日間の激しい戦闘の結果、日本軍は壊滅し、住民1500人とあわせて約3500人が犠牲になったのでした。

瀬底島大橋の下を伊江島へ向かうフェリーが通過して行きました。
⑫瀬底大橋とフェリー (550x368)
どうかこの美しい沖縄の島々が二度と戦火にまみれることがありませんように。

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  1. 2017/12/31(日) 00:01:00|
  2. 沖縄
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木曾森林鉄道と木曽路の国鉄蒸気機関車

今週は、このブログをご覧になった元木曾森林鉄道の運転士の、上田鎭男さんからお送り頂いた貴重な写真をご紹介します。

以前にもご紹介しましたが、木曾森林鉄道は、木曾の山々から檜や椹などの木材を搬出するため、大正5(1916)年に最初に敷設された森林鉄道です。

これは昭和46年ごろの写真だそうです。
①
中央本線の上松から赤沢を結ぶ小川線を皮切りに、最盛期の昭和30年代には57路線延べ428キロの長大な路線網を持っていました。
②
木材だけでなく、山で暮らす人々の貴重な足になって活躍していたのです。
③
美しい紅葉の中を小さな列車が走ります。
④

バックに木曾の御嶽山が白い雄姿を見せてくれています。
御嶽山を西側より見た写真はめったにないとのこと。貴重な写真ですね。
⑤
「夏でも寒いヨイヨイヨイ」と木曾節でも歌われていますが、大噴火を起きたのは記憶に新しいところです。

⑥
当時、三浦ダム周辺の標高1302メートルの所を走っていたのです。


こちらは、開業当初から昭和35年まで走っていたアメリカ製の蒸気機関車、ボールドウイン号の1号機です。
⑦
一時は10両以上が主力機関車として活躍していたそうです。

この線が廃止される直前に、この1号機は復元され、再び、木曾谷にその汽笛を響かせたのでした。
⑧
この木曾森林鉄道が廃止されたのは、昭和50年5月30日のこと。
⑨
その後は道路ができ うっそうとした森林もなくなり、見る影もなく淋しい状況になってしまったと上田さんは嘆いておられました。

さて、これも上田さんからお送りいただいた中央本線の木曽福島駅でのD51(デゴイチ)です。
⑩D51
同じころ、中央本線でもまだ蒸気機関車が現役で活躍していたのでした。
⑪D51木曽福島

ここからは当時、高校生だった私が撮影した初期の写真です。
⑫木曽福島扇状車庫
木曽福島駅構内には、このような扇形車庫があり、蒸気機関車たちの寝床になっていました。

木曽福島駅構内のC12です。
⑬C12199
最後は、この駅の構内で入れ替え用に活躍していました。
⑭C12
この機関車は、今でも中央本線の奈良井駅の近くに静態保存されているそうです。

こちらは田立付近のD51です。
⑮田立D51
中央本線が無煙化されたのは電化工事が完成した昭和48年のこと。
⑯田立
この写真は電化が完成するその直前なので、新しく設置された架線が写っています。

木曾谷に森林鉄道や蒸気機関車の汽笛が聞こえなくなって40年以上の年月が過ぎ去ってしまいました。

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  1. 2017/12/24(日) 00:01:00|
  2. 甲信越
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昔の米坂線

先週に続いての米坂線、今週は、昭和47年と平成15年に訪れた時のようすをご紹介しましょう。

稚拙な写真で恐縮ですが、これは昭和47年3月、高校1年だった私が初めて蒸気機関車の撮影した時のものです。
①越後下関~越後片貝貨物列車S47
米坂線が無煙化される直前の越後下関~越後片貝間で、9600形が最後の煙を吐いていました。
です。

こちらは客車列車です。
②越後下関~越後片貝客車列車S47
間もなく、この線から蒸気機関車がいなくなるというのに、この時、撮影に来ている人には誰も出会いませんでした。

越後下関~越後片貝間の荒川橋梁を渡る貨物列車です。
③越後下関~越後片貝荒川橋梁
どれも下手な写真ですが、この時はまだ一眼レフを持っておらず、ヤシカエレクトロ35というカメラで撮影しました。

こちらは坂町~越後大島間です。
④坂町~越後大島
この近くを走る羽越本線にもまだ蒸気機関車が走っていました。

当時のDISCOVER JAPANのスタンプです。
⑤坂町スタンプ⑥越後下関スタンプ

これは、その時に蒸気機関車が牽引する客車列車から降りた越後片貝駅です。
⑦越後片貝駅S47
いかにも汽車が似合う山の中の小さな駅舎でしたが、今では建て替えられて当時の面影は残されてはいません。

国鉄時代の入場券です。
⑧国鉄入場券
当時は米坂線のほとんどの駅に駅員が勤務していました。

さて、時が流れて、これは平成15年8月に訪れた時の米沢駅近くにある上杉家の霊廟です。
⑨上杉霊廟
この森の脇を、時折、米坂線の列車が通過する音が聞こえていました。

羽前椿駅での上下列車の行き違い風景です。
⑩羽前椿駅交換
このころは、キハ40系が運行されていました。

羽前椿を発車して行く上り列車です。
⑪羽前椿を発車
あたりは色づき始めた田んぼの風景が広がっていました。

そして、こちらは山間の県境に近い駅、小国付近です。
⑫小国到着

この時、越後下関駅で31年ぶりに途中下車をしました。
⑬越後下関駅名票
越後下関駅のある新潟県関川村には、豪農屋敷が残っています。

こちらは佐藤家住宅。
⑭佐藤家

そして、こちらは国の重要文化財に指定されている渡邊家住宅です。
⑮渡邊家

渡邊家にある小屋の屋根は、木羽葺き屋根珍しいもので、屋根の上に重石の石が並べられています。
⑯木羽葺き屋根
これは、この地方だけに残る珍しい屋根です。

これが越後下関駅です。
⑰越後下関駅
この駅は昔も今も変わりません。
⑱スタンプ

そして、終点の坂町駅です。この駅も初めて降りた時から同じ印象です。
⑲坂町駅
この駅で羽越本線と接続しています。

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  1. 2017/12/17(日) 00:00:57|
  2. 東北
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晩秋の米坂線

今週は奥羽本線の米沢駅(山形県)と羽越本線の坂町(新潟県)を結ぶ米坂線をご紹介します。
これが米沢駅です。
①米沢駅 (550x367)
この区間の奥羽本線は在来線を改軌した線路の上を、東北新幹線を走って来た「つばさ」が福島から山形新幹線としてそのまま乗り入れています。
①-2山形新幹線 (550x340)

さて、こちらは米沢駅で発車を待つ米坂線の列車です。
②米沢駅ホーム (550x357)
平成20年から主にキハ110系で運行されています。

羽前椿駅です。
③羽前椿ホーム (550x367)

駅の周囲は正に紅葉真っ盛りでした。
④羽前椿駅紅葉 (550x367)

羽前椿駅の近くには「がまの湯」という温泉があります。
⑤がまの湯 (550x371)

羽前沼沢駅前の酒屋さんで地酒「羽前桜川」を買って呑み鉄をしました。
⑥羽前沼沢呑み鉄 (550x349)
沿線の小国町にある野沢酒造店のお酒です。

羽前沼沢駅から隣の伊佐領(いさりょう)駅の間は、駅間距離が6・1キロもあるのですが、好天に恵まれて駅間をのんびりと歩きました。
すると、気持ち良い秋風に、カップ酒の酔いはすぐに醒めてしまいます。

⑦羽前沼沢~伊佐領1 (550x367)
羽前沼沢~伊佐領間の明沢川にかかるアーチ橋を列車が渡って行きます。
⑧羽前沼沢~伊佐領2 (382x550)
深い山の中、この区間を走る列車は一日6往復しかないので、クルマを使わず、列車と徒歩で撮影するのは結構、大変です。
⑨羽前沼沢~伊佐領3 (550x367)
でも、おかげでのんびりとした時間を過ごすことができました。

伊佐領に到着した米沢行の上り列車です。
⑩伊佐領到着 (550x367)

ススキの穂が揺れていました。
⑪伊佐領~羽前松岡 (550x367)

夜の小国駅に到着した上下線の列車です。
⑫夜の小国駅 (550x359)

その夜、町内の居酒屋さんで、一升瓶の羽前桜川を呑みました。
⑫-2羽前桜川 (367x550)

これは小国駅です。
⑬小国駅 (550x377)
ここは山形県の西の端、この駅から先、列車は新潟県に入ります。

小国~越後金丸間の荒川橋梁を渡る列車です。
⑭小国~越後金丸 (550x367)
今度はキハE120がやって来ました。

越後金丸駅です。
⑮越後金丸駅 (550x344)
荒川に面した風光明美な場所にありますが、近くに民家は見当たりませんでした。

やがて、人のいない越後金丸駅に列車がやって来ました。
⑯越後金丸駅ホーム (550x358)

来週は、昭和47年3月と平成15年8月に訪れた時の米坂線をご紹介します。

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  1. 2017/12/10(日) 00:02:03|
  2. 東北
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国鉄だったころの夕張線

今週はまだ国鉄だったころの夕張線をご紹介しましょう。

こちらは昭和49年2月の夕張線紅葉山(もみじやま)駅を発車したデゴイチ牽引の貨物列車です。
①紅葉山付近S49 (550x368)
紅葉山とは、現在の新夕張の旧駅名です。
②紅葉山駅名票 (550x362)
昭和56年10月に夕張線が石勝線に変わるまで、紅葉山の駅名が使われていました。

紅葉山~十三里(とみさと)間を行く長大編成の貨物列車です。
③紅葉山~十三里S49 (550x366)
当時は、こんな長い石炭列車が走っていたのです。
④紅葉山石炭列車S4903 (550x382)

こちらは昭和56年の、途中駅、清水沢です。
⑤清水沢駅大夕張鐵道 (550x395)
停車しているのはこの駅から分岐していた三菱石炭鉱業大夕張鐵道の列車です。
古色蒼然とした客車列車で、車内では達磨ストーブの火が燃え盛っていました。

それは昭和49年の吹雪の日の夕張駅です。
⑥夕張駅ホームS49 (550x375)
駅舎の屋根から長い氷柱がぶら下がっていました。

これが夕張駅の正面です。
⑦夕張駅S49 (550x385)
なんともいえない風情がある駅でした。
この駅は現在の駅よりも2.1キロ先にありました。

そして、こちらは紅葉山から分岐していたもうひとつの支線の終着駅、登川です。
⑧登川駅S5302 (550x369)
奥村チヨさんのヒット曲『終着駅』は、この駅がモデルだったそうです。
登川支線は、石勝線が開通する直前の昭和56年7月に廃止されてしまいました。

夕張駅のDISCOVER JAPANのスタンプです。
⑨夕張駅スタンプ (340x350)⑩紅葉山スタンプ (330x350)
紅葉山駅のスタンプは駅員の手掘りでした。

当時の入場券です。
⑪夕張線きっぷ (500x438)
国鉄時代は夕張線のほとんどの駅に駅員が勤務していました。
今では考えられないことですね。




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  1. 2017/12/03(日) 00:03:10|
  2. 北海道
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石勝線夕張支線の旅


今週は、北海道にある石勝線の夕張支線とその周辺をご紹介します。
夕張支線は、道央と道東を結ぶ大動脈の石勝線(南千歳~新得)の新夕張から分岐し、夕張までの16・1キロの短い支線です。

元々は夕張炭鉱から産出される石炭を運搬することを主目的に明治25年に開通した、室蘭本線の追分から夕張を結ぶ夕張線という路線でした。
開通は明治25(1892)年と古く、東海道本線の全通から2年後のことでした。
けれども、炭鉱が次々と閉山される一方で、それまで滝川、富良野経由だった札幌から帯広・釧路方面を結ぶ根室本線の短絡線として、昭和56年に千歳線の南千歳(当時千歳空港)~追分間、および、新夕張(紅葉山駅から改称)~新得間が石勝線として開通し、新夕張~夕張間は、石勝線の支線となったのです。

これが夕張支線を分岐する新夕張駅です。
①新夕張駅 (550x367)
何本かの特急も停車しますが、今では無人駅になってしまいました。
石勝線が開業する前は紅葉山(もみじやま)という駅名でした。

途中駅の沼ノ沢です。
②沼ノ沢駅 (550x359)
昭和のころ、夕張線の駅の大半は有人駅でしたが、今は駅舎はレストランになっています。

清水沢駅に停車中の列車です。
③清水沢駅停車中 (550x367)
かつて、この駅は夕張線の主要駅で、この駅からは三菱石炭鉱業大夕張鐵道という私鉄が分岐していました。
古風な跨線橋があり、発着する蒸気機関車がよく似合ったものです。

これが清水沢駅です。
④清水沢駅 (550x367)
2015年までは有人駅でした。

清水沢~鹿ノ谷間を行く上り列車です。
⑤清水沢~鹿ノ谷 (550x367)

そして、こちらは鹿ノ谷駅付近の下り列車です。
⑥鹿ノ谷~清水沢 (550x367)

そして鹿ノ谷駅です。
⑦鹿ノ谷駅停車中 (550x367)
今はどの駅もひっそりと静まり返っています。
⑧鹿ノ谷駅 (550x367)

これは、鹿ノ谷駅の近くにある夕張鹿鳴館です。
⑨夕張鹿鳴館 (550x367)
夕張が石炭で栄華を誇っていた大正2年に建てられたもので、国の登録有形文化財に指定されています。

鹿鳴館の内部です。
⑩鹿鳴館内部 (550x367)
かつて、天皇陛下が泊まられたこともあったそうです。

鹿ノ谷~夕張間を行く列車です。
⑪夕張~鹿ノ谷 (550x367)

そして、これが終着駅の夕張です。
⑫夕張駅ホーム(550x367)
かつての夕張駅は今の駅よりも2.1キロも先にありましたが、炭鉱の閉山や中心部の移動に伴って2度、場所を移転し、平成2年に現在の位置になりました。
⑬夕張駅現在 (550x366)
駅はメルヘンチックな建物に建て替えられ、背後にはホテルマウントレースイが建っています。

かつて、夕張は石炭の採掘で栄えました。
⑭石炭博物館 (550x367)
今は石炭博物館にかつての坑道の一部を使って往時の様子が再現されています。

石炭産業が全盛だった昭和35年頃、夕張市に人口は11万人を超えていましたが、今では1万人以下に激減してしまいました。
⑮廃墟飲み屋街 (550x367)
そして、かつて、栄えたであろう飲み屋街は廃墟と化していました。

それでも、夕張は映画の町として盛り上げようと取り組んでおり、毎年、2月には国際映画祭が夕張で開催されています。
⑯映画看板 (550x367)
街には昭和の邦画の看板が並んでいました。
でも、廃屋に掲げられた看板は、なんだかうら寂しさを感じてしまいます。

そして、こちらは昭和52年の高倉健さん、倍賞千恵子さん主演の映画『幸福の黄色いハンカチ』のロケに使われた場所です。
⑰幸せの黄色いハンカチ (550x367)
全盛期の炭鉱住宅が再現されています。

夕張で石炭ビールを買いました。
⑱石炭ビール (550x367)
その名の通り、石炭のように黒いビールでした。

地元の夕張市は、経営破綻状態のJR北海道への援助は難しいため、夕張支線の存続を断念することを表明しました。
来年春にも廃止されるのではないかとも言われています。
この町に列車で訪れることができるのははたしていつまででしょうか?

来週は石炭列車が走っていた頃、国鉄時代の夕張線をご紹介します。

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  1. 2017/11/26(日) 00:02:33|
  2. 北海道
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今はなき西鉄の路面電車

今週は西鉄シリーズの最終回。今はなき、西鉄の路面電車たちをご紹介します。

かつて、北九州市内に4路線44・3キロ、福岡市内に6路線29・2キロの西鉄路面電車の路線網がありました。

これは北九州線の折尾駅です。北九州線は折尾と門司を結ぶ路面電車としては長大な路線でした。
①折尾駅1
西鉄折尾駅は国鉄折尾駅の目の前にありました。
②折尾駅2

こちらは黒崎駅前です。
③黒崎駅前
筑豊直方からの筑豊電鉄が北九州線の熊西から黒崎駅前まで乗り入れていました。
筑豊電鉄は今も健在で、西鉄の路線だった黒崎駅前~熊西間だけは、筑豊電鉄の路線として現存しています。

これは中央町付近です。
④西鉄北九州中央町198112224
中央町からは北九州線と枝光線が分岐していました。
⑤中央町分岐点

これは戸畑線の終点、戸畑電停付近です。
⑥戸畑電停付近
この近くに戸畑~若松を結ぶ若戸大橋があります。

そして、、こちらは、昭和46年の福岡市内線の天神付近を行く電車です。
⑦西鉄福岡市内線S46
私は福岡市内線には乗ったことがなく、残っていた写真はこの1枚だけでした。

残念ながら福岡市内の路線は昭和54年に、北九州市内の路線は平成12年に全廃されてしまいました。
今、観光地として整備された門司港レトロ地区に路面電車が走っていたら、どんなによかったかと思います。

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  1. 2017/11/19(日) 00:02:47|
  2. 九州
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西鉄宮地岳線(貝塚線)の今昔

今週は西鉄電車第三弾、現在の貝塚線、かつての宮地岳線をご紹介しましょう。

この路線の歴史は古く大正13年に博多湾鐵道汽船の路線として、新博多(のちの千鳥橋=昭和54年廃止)~和白間が開業した時に始まります。翌年には、和白から宮地岳まで延伸し、戦時中の昭和17年に西日本鉄道の路線となりました。
その後、昭和26年に宮地岳から津屋崎までの延伸開業により、貝塚~津屋崎間の宮地岳線が20・9キロが全通したのでした。
沿線住民の福岡への足として活躍したほか、宮地嶽神社への参詣路線としても重要な役割を果たしていました。

けれども、福岡から遠い末端部においての乗客が大幅に減少し、平成19年に新宮~津屋崎間9・9キロが廃止され、残された貝塚~新宮間は貝塚線と名称が変更になりました。

こちらは平成18年の貝塚駅に停車中の313形電車です。
④貝塚駅H18 ・300形
かなり錆が出ていましたが、この電車は昭和27年に製造されたもので、この時、すでに54年が経過していました。

貝塚駅に設置されていた宮地岳線当時の案内板です。
⑤H18案内板

こちらが新宮駅です。
⑥新宮駅 (550x353)
現在ではこの駅が貝塚線の終着駅になっています。

古賀駅のホームの高校生たちです。
⑧古賀駅ホーム
この翌年には廃止されてしまったので、電車通学はこの年限りになってしまいました。

西鉄福間駅に停車中の津屋崎行電車です。
⑦福間駅H18
この駅はJR福間駅から直線距離でおよそ1キロほど離れた位置にありましたが、今は跡形もないそうです。

宮地岳~福間間の田園地帯をを行く300形電車です。
⑨宮地岳~福間300形

こちらは同じ区間を行く600形電車です。
⑩宮地岳~福間600形
この形式は、元々、大牟田線を走っていましたが、宮地岳線用に改造され、平成2年から運用されています。

こちらは宮地岳駅です。
⑪宮地岳駅
かつては宮地嶽神社参詣の入口として賑わったものですが、晩年はひっそりとした無人駅になっていまいました。

こちらが宮地嶽神社です。
⑫宮地嶽神社
息長足比売命(おきながたらしひめのみこと=別名:神功皇后)を祭神とし、1700年の歴史を持つ古社です。

これは津屋崎~宮地岳間を走る貝塚行です。
⑬津屋崎付近

こちらは終着の津屋崎駅です。
⑭津屋崎駅ホーム
⑮津屋崎駅
雨の中、人の姿も少なく、静まり返っていました。

さて、これからは昭和56年の写真です。
⑯貝塚駅S56
現在では福岡地下鉄箱崎線の貝塚駅と隣接していますが、当時はまだ地下鉄が開通していませんでした。

ホームには行先表示板を付けた電車が並んでいました。
⑰貝塚駅ホーム

古賀駅付近を行く電車です。
⑱S563古賀付近300形

駅前に自転車がズラリと並んだ古賀駅です。
⑲古賀駅S56
並行する国鉄鹿児島本線の古賀駅から歩いて行ける距離にありました。

終点の津屋崎駅の駅名票です。
⑳津屋崎駅名票S56

そして、その頃の宮地岳線の乗車券です。
㉑きっぷ
手売りの切符は遠い昔になってしまいました。

さて、こちらは現在の貝塚線・和白~三苫間を行く貝塚行の600系電車です。
①和白~三苫600形貝塚行
現在ではすべてこの600形電車に統一されています。

JR香椎線と接続する和白駅です。
②和白駅
この線と、香椎線とは、開業時には同じ博多湾鐡道汽船の路線でした。
③和白~唐の原
そのためか、このあたりでは両線の線路が隣接していますが、香椎線は今も非電化のままです。

来週は、いまはなき、西鉄の路面電車をご紹介します。

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  1. 2017/11/12(日) 00:02:01|
  2. 九州
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西鉄電車の今昔②

今週は先週に引き続き、福岡県を走る西鉄電車をご紹介します。

まずは、宮の陣駅で天神大牟田線から甘木線に乗り換えます。
⑰宮の陣駅

甘木線の次の駅、五郎丸の駅名票です。
⑱五郎丸駅名票
ラグビーのワールドカップで五郎丸歩選手が活躍した時、この駅を訪れる人が急に増えたそうです。

途中駅の古賀茶屋駅に着いた大牟田行の電車です。この駅は「こがんちゃや」と読みます。
⑳古賀茶屋駅ホーム
甘木線の列車は、起点の宮の陣ではなく、大部分が天神大牟田線の終点、大牟田駅から発着します。

古賀茶屋~北野間の太刀洗川付近を渡る甘木行の電車です。
⑲古賀茶屋付近

そして、こちらは馬田~甘木間の小石原川を渡ります。
㉑甘木付近
この鉄橋を渡ると、終点甘木はもうすぐです。
㉒甘木駅
西鉄甘木駅から、甘木鉄道の甘木駅までは歩いて3分ほどです。

さて、本線に戻り、こちらは犬塚~大溝間の田園地帯を行く特急電車です。
㉓犬塚付近
このあたりまで来ると広大な田園地帯が広がっています。

こちらは主要駅の柳川駅です。
㉔柳川駅
柳川市には、かつて国鉄佐賀線が走っていて、筑後柳河という駅がありましたが、佐賀線は昭和62年に廃止されてしまいました。

柳川は水郷柳川として、多くの観光客が訪れます。
㉕水郷柳川

こちらは、矢部川を渡る甘木行の普通列車です。
㉖中島付近
この区間は単線ですが、次々と鉄橋を渡る電車がやってきます。
㉗矢部川橋梁1
川には小舟が係留されており、のどかな雰囲気でした。
㉘矢部川橋梁2

そして、こちらが天神大牟田線の終点、大牟田駅です。
㉙大牟田駅
JR鹿児島本線に隣接していますが、こじんまりとしたターミナル駅でした。
㉚きっぷ

さて、これは昭和56年の大牟田駅に停車中の2000形の特急電車です。
㉛大牟田2000形S56

こちらは1300形電車です。
㉜大牟田1300形S56
昭和36年から61年まで走っていました。

そして、こちらは夜の甘木駅に停車中の、もっとレトロな200形電車です。
㉝甘木200形
九州鉄道時代の戦前の昭和12年から平成元年まで、実に52年間も走り続けていました。
自動車と比べて、鉄道の車両って本当に長持ちするものですね。

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  1. 2017/11/05(日) 00:01:29|
  2. 九州
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西鉄電車の今昔①

今週から4週にわたって福岡県の大動脈、西日本鉄道をご紹介しましょう。

西日本鉄道は、九州随一の大手私鉄で、西鉄福岡~大牟田間74・8キロを結ぶ天神大牟田線と、西鉄二日市~太宰府間2・4キロの太宰府線、宮の陣~甘木間17・9キロの甘木線の本線系統と、貝塚~西鉄新宮11・0キロの貝塚線のあわせて4つの路線があります。

これが、福岡市の中心部・天神にある大ターミナル西鉄福岡駅です。
①西鉄福岡ビル
意外なことに頭端式のホームが三面しかありませんが、次々と電車が発着して行きます。
②西鉄福岡ホーム

2060円の1DAY PASSを買いました。
③1DAY PASS
貝塚線を除く西鉄電車の柳川以北と、福岡・久留米・佐賀地方の西鉄バス全線に乗れる便利なきっぷです。

薬院駅の6000形電車です。
④薬院6000形

そして、こちらは薬院付近の高架線を行く3000形です。
⑤薬院3000形

西鉄二日市からは、太宰府線が分岐します。
⑥二日市5000形

こちらは終点太宰府駅に着いた5000形電車です。
⑦大宰府5000形

太宰府天満宮を模した太宰府駅です。
⑧太宰府駅

駅前からは天満宮まで大きな鳥居のある参道が続きます。
⑨2参道

こちらが太宰府天満宮の本殿です。
⑨太宰府天満宮
菅原道真が祀られており、学問の神様として広く信仰を集めています。

再び、天神大牟田線に戻って、こちらは小郡駅と、平成28年に製造された最新鋭の9000系電車です。
⑩小郡9000形H28
この駅では、国鉄甘木線を継承した甘木鉄道に接続しています。

さて、ここからは昭和56年の西鉄電車です。
⑪福岡2000形S56
こちらは、西鉄福岡駅に停車中の2000形の特急電車です。
この電車は平成元年に引退しました。

これは、薬院付近を行く1000系電車です。
⑫薬院1000形
薬院駅付近は、現在では高架線になっていますが、当時は地上線でした。

そして、こちらは二日市駅に停車中の100系電車です。
⑬100形二日市S56
西鉄の前身である九州鉄道が、昭和16年に製造した電車で、昭和59年に引退40年間走り続けました。

これらは、昭和のころの乗車券です。
⑭きっぷ⑮きっぷ⑯車内券
手売りのきっぷや、車内券もアナログな感じが懐かしいですね。

来週は、甘木線と、天神大牟田線をさらに南に進みます。


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  1. 2017/10/29(日) 00:02:00|
  2. 九州
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竹原駅と安芸の小京都竹原

今週は、広島県にある呉線竹原駅と、安芸の小京都、竹原の街並みをご紹介します。
①瀬戸内マリンビュー
広島駅から呉線の快速「瀬戸内マリンビュー」に乗り、竹原駅で途中下車をしました。

これが竹原駅です。
②竹原駅

竹原は安芸の小京都と言われ、市街地に古い街並が残っています。
③街並み
このエリアには電柱がなく、しっとりとした佇まいが和ませてくれます。
④街並み

これは、竹鶴酒造です。
⑤竹鶴酒造
そう、竹原は数年前に放映されたNHKの朝ドラマの「マッサン」の故郷なのです。
⑥マッサンとリタ
これがニッカウヰスキーの創業者、マッサンとリタの像です。
でも、竹鶴酒造は見学や小売りをやっていませんでした。

そこで訪れたのはもうひとつの酒蔵、藤井酒造の酒蔵交流館を訪れました。
⑦藤井酒造
この蔵で、純米酒「寶寿」を買いました。
⑧藤井酒造寶寿

近くにある照蓮寺です。
⑨照蓮寺

そしてこちらは笠井家住宅です。
⑩笠井家

昼食は「ゆきちゃん」というお好み焼き屋さんに入りました。
⑪ゆきちゃん

ボリュームたっぷりの広島風のお好み焼きです。
⑫お好み焼き

⑬呑み鉄⑭スタンプ

竹原駅から三原行の上り列車に乗りました。
⑮三原行き上り列車
やがて、車窓には瀬戸内の海が広がりました。
⑯瀬戸内の海


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  1. 2017/10/22(日) 00:02:01|
  2. 中国(山陰山陽)
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播州赤穂の旅

先週に続いて赤穂への旅、今週は播州赤穂駅とその周辺をご案内しましょう。

姫路・大阪方面からやって来た赤穂線の下り電車は、すべて播州赤穂止まりとなり、その先、西大寺、岡山方面へはこの駅で乗り換えです。
⑬播州赤穂駅ホーム
左側の姫路からやって来た列車と、右側の岡山からの列車はいずれもこの駅で折り返し、それぞれ元来た方向に帰って行くのです。

これ播州赤穂駅です。
⑭播州赤穂駅
播州赤穂といえば、赤穂浪士、忠臣蔵の物語が有名ですね。

こちらは赤穂城跡です。
⑮赤穂城1
赤穂城は浅野家の居城として寛文元年(1661)に築城したものです。
赤穂藩主浅野内匠頭が江戸城の松の廊下で吉良上野介を襲った事件に始まり、そのことで切腹させられた浅野内匠頭の恨みを晴らすため、臣下の大石内蔵助以下四十七士が吉良邸に押し入って、吉良を討ち取った、いわゆる忠臣蔵は、あまりにも有名ですね。
⑯赤穂城2

これは赤穂城に隣接する大石神社です。
⑰大石神社
忠臣蔵の四十七士が祀られています。

境内には四十七士全員の石像が並んでいます。
⑰四十七士

こちらはご存知大石内蔵助です。
⑱大石蔵之助

近くには、昭和の看板や玩具がずらりと並んでいる玩具博物館がありました。
⑲玩具博物館
昔懐かしい三輪自動車も置いてありました。

こちらは臺雲山花岳寺というお寺です。
⑳壹雲山花岳寺
歴代の赤穂藩主の菩提寺になっています。
㉑松
境内には枝ぶりのいい松の木がありました。

帰りは赤穂線の車内で赤穂坂越の地酒「忠臣蔵」で呑み鉄をしました。
㉒地酒忠臣蔵

㉓スタンプ駅㉔スタンプ城

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  1. 2017/10/15(日) 00:01:08|
  2. 近畿
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赤穂線坂越駅と街並散歩

今週から2回にわたり、兵庫県の一番西南に位置する赤穂市をご紹介しましょう。
ある夏の日に、赤穂線の坂越(さこし)駅で途中下車をしました。

坂越の名は延暦12(793)年の古文書に記されているほど古く、古来より播磨の国の行政単位のひとつとして長い歴史を持った町です。

山陽本線の相生駅から赤穂線が分岐し、2つ目の駅が坂越駅です。
①坂越駅

駅からしばらく歩くとゆったりとした流れの千種川を渡りました。
②千種川

やがて、大道(だいどう)という通りには古い街並が続いています。
③大道街並み

昔懐かしい白壁のある家もあります。
④白壁

赤穂で唯一の酒蔵、奥藤酒造には茶色くなった杉玉がぶら下がっていました。
⑤奥藤商事
慶長6(1601)年の創業の老舗で、銘柄は「乙女」と「忠臣蔵」です。

これは江戸時代、赤穂藩の支所であった旧坂越浦会所です。
⑥旧坂越浦会所
無料で開放されており、二階からは坂越湾を眺めることができます。

坂越湾には生島という小さな島が浮かんでいます。
⑦生島
この島には祭りのときしか渡れないそうです。

大避(おおさけ)神社です。
⑧大避神社
1300年以上の歴史を持つ古い神社で、緑に囲まれたお社では、賑やかに蝉の声が響いていました。

大避神社の近くから坂を登ると妙見寺観音堂というお寺があります。
⑨妙見寺観音堂
このお堂からは穏やかな坂越湾を望むことができます。
⑩観音堂と坂越湾
左に見えるのは生島です。
⑪観音堂からの坂越湾

坂越駅に戻り、次は播州赤穂駅に向かいました。
⑫坂越駅ホーム

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  1. 2017/10/08(日) 00:00:18|
  2. 近畿
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吉野ヶ里公園駅と歴史公園

今週は佐賀県にある長崎本線の吉野ヶ里公園駅と、吉野ヶ里歴史公園をご紹介します。

昭和17年に三田川駅として開業したこの駅は、近くに吉野ヶ里遺跡が発掘されたことから、平成5年に吉野ヶ里公園駅と改称されました。
これが、現在の吉野ヶ里公園駅です。
①吉野ケ里公園駅 (550x367)

長崎本線には、博多と長崎、佐世保、ハウステンボスとを結ぶ特急列車が頻繁に運転されています。
②783系ハウステンボス (550x367)
これは、783系の「ハウステンボス」です。
原則として博多から佐世保行の「みどり」と、ハウステンボス行の「ハウステンボス」が併結運転されています。

こちらは博多~長崎間の787系「かもめ」です。
③かもめ (550x367)

普通列車は通常2両編成で運転されています。
④普通列車 (550x367)

さて、駅から徒歩15分ほどの所に吉野ヶ里歴史公園があります。
⑤南内郭 (550x367)
このあたりからは、弥生時代の古代遺跡がたくさんみつかっており、平成13年に吉野ヶ里歴史公園が開場しました。
これらの建物の一部は長崎本線の列車の車窓からも眺めることもできます。
⑥建物 (550x367)
広大な園内には、31棟の弥生時代の建物が復元されています。
⑦建物 (550x367)

こちらは甕棺墓列(かめかんぼれつ)という古代墓地を復元したものです。
⑧甕棺墓列 (550x367)

そして、こちらは北墳丘墓という約2100年前の王や身分の高い人の墓地です。
⑨北墳丘墓 (550x367)

これは弥生人の儀式です。
⑩弥生人の儀式 (550x367)
しばし、古代の世界に足を踏み入れたような時を過ごしました。
⑪建物 (550x367)

夕方、駅に戻ると長崎行の「かもめ」が通過して行きました。
⑫通過する787系かもめ (550x367)
この駅には特急列車は1日1往復停車する以外は、普通列車しか停まりません。
⑬普通列車鳥栖行 (550x367)
やがて、鳥栖行の上り普通列車がやって来ました。
IMG_20170910_0001 (320x305)

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  1. 2017/10/01(日) 00:01:50|
  2. 九州
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能勢電と妙見山の旅

今週は阪急宝塚線と接続する川西能勢口を起点としし妙見口(みょうけんぐち)まで12・2キロを結ぶ妙見線と、途中山下で分岐して日生中央までの2・6キロを結ぶ能勢電鉄、通称「能勢電」をご紹介します。
大正12年に妙見線が全通した能勢電鉄は、日蓮宗の聖地、妙見山への参拝客と、大阪方面への通勤通学客を運ぶ貴重な足となっていますが、沿線は妙見山の美しい緑を眺める風光明媚な路線でもあります。

起点の川西能勢口駅は阪急電車と共用駅の共用駅です。
①川西能勢口駅 (550x355)
4号線に日生中央行の電車が発車を待っていました。
阪急電車とその子会社である能勢電車は、ホームの番号を〇番線とは言わず、〇号線と呼びます。
能勢電の車両は、すべて阪急の中古車が使われており、昭和35~37年に製造された元阪急2000形の1700形が主力車両です。
すでに55年余りが経過しているとは思えないほど、今もきれいに使われています。

川西能勢口を発車した電車は、鶯の森あたりから猪名川を見ながら走ります。
②鶯の森~鼓ヶ滝1 (550x367)
鶯の森~鼓滝(つづみがたき)間の鉄橋を渡る下り電車です。
③鶯の森~鼓ヶ滝2 (550x367)

こちらは一の鳥居駅付近を行く上り電車です。
④一の鳥居付近 (550x364)
背後に見えるお城のような建物は、大阪青山歴史文学博物館です。
⑤一の鳥居駅名票 (550x381)

こちらは日生中央駅です。
本線にあたる妙見線の山下から分岐する、わずか1駅だけの支線で、昭和53年にこのあたりにできた日生ニュータウンの開発ととも開業しました。
平日の通勤時間帯には、この駅から阪急宝塚線に乗り入れ、大阪梅田まで直通する特急「日生エクスプレス」が7往復発着します。
⑥日生中央ホーム (550x367)

日生中央駅の待避線に留置されている電車です。
⑦日生中央待機線 (550x367)
その向こうには車止めが見えます。

これが日生中央の駅舎です。
⑧日生中央駅舎 (550x367)
1日12000人以上が乗降する大きな駅ですが、開業当初から無人駅となっています。

山下駅に戻りました。
⑨山下駅 (550x367)
停車しているのは、かつて能勢電に走っていた50型電車のオリジナルカラーを模した復刻電車が停車していました。

これが、その車内に掲出されていた昭和56年の50型電車です。
⑩S50川西国鉄前 (400x256)
この電車は昭和41年までは川西能勢口~妙見口間を走っていましたが、それ以降は、川西能勢口から国鉄福知山線の川西池田駅と接続する、川西国鉄前までのわずか0・6キロを細々と走っていました。晩年のこの短い支線は一日わずか2往復しか運転されておらず、昭和56年12月に廃止され、それと同時に50型電車も廃車となったのでした。

トンネルの向こうに光風台駅が見えます。
⑪光風台 (550x367)
このトンネルを抜けると、兵庫県から大阪府に入ります。

こちらは、ときわ台駅です。
⑫ときわ台駅舎 (550x367)
ときわ台付近を妙見口行きの下り電車が通過して行きました。
⑬ときわ台付近 (550x367)

トンネルを抜けると、終点の妙見口はもうすぐです。
⑭妙見口~ときわ台1 (550x367)
青い復刻電車が通って行きました。
2両編成のこの電車は、山下~妙見口間だけを往復しています。

こちらは、川西能勢口~妙見口間を直通する4両編成の電車です。
⑮妙見口~ときわ台2 (550x367)
このあたりまで来ると、あたりはすっかり田舎の風景となります。

妙見口駅に着いた復刻電車です。
⑯妙見口復刻電車 (550x355)

そして、こちらは川西能勢口行の電車。
⑰妙見口ホーム (550x367)

昔から変わらない妙見口駅の佇まいです。
⑱妙見口駅舎 (550x363)
妙見口駅からバスで10分ほどの所に、妙見の森ケーブルの黒川駅があります。
⑲妙見の森ケーブル黒川駅 (550x367)
ケーブル山上駅まではおよそ5分で着きます。
⑳ケーブル (550x367)

山上駅の近くに「シグナス森林鉄道」というミニ列車が走っていました。
㉑シグナス森林鉄道 (550x367)
これは、軌間381ミリ、全長340メートルのミニ遊覧鉄道です。
かつて、妙見山に森林鉄道が走っていたわけではありません。

妙見山へは、森林鉄道の乗り場付近からさらにリフトに乗り換えます。
㉒リフト (550x367)
こちらは、山頂にある日蓮宗の聖地、能勢妙見山です。
㉓妙見さん (550x367)
正式には無漏山眞如寺といいます。
あたりには、霊験あらたかな雰囲気が漂っていました。

能勢の地酒は「秋鹿」。
㉕地酒「秋鹿」 (550x367)
この山にも鹿がいるのでしょうか。

夜の鼓滝駅です。
㉖夜の鼓滝駅 (550x367)

そして、こちらは昭和59年の山下駅です。
㉗S59山下駅 (550x384)
昭和10年製造の阪急320形が、まだ現役で走っていました。

こちらは同じ時の妙見口駅です。
㉘S59妙見口駅 (550x388)
昭和28年製造の610形の姿が見えます。
また、このころ、1500形電車は阪急色のマルーンカラーとクリーム色のツートンカラーに塗装されていました。

そして、35年前のケーブルカーです。
㉙S59ケーブル (550x367)

こちらは昔の能勢電の切符です。
㉚手売りキップ (220x182)㉛キップ (241x250)
手売りの駅名印を押す乗車券は、阪急電車と同じ形式でした。




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  1. 2017/09/24(日) 00:02:05|
  2. 近畿
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湘南モノレール

今週は神奈川県の大船~湘南江の島間の6・6キロを結ぶ、湘南モノレールをご紹介しましょう。

湘南モノレールは、地元住民の通勤通学の足として、また、江の島への観光客輸送を目的として、昭和45年に大船~西鎌倉間が、翌年には湘南江の島までの全線が開業しました。

湘南モノレールは頭上にあるレールに車体がぶら下がる格好の懸垂式と呼ばれる形式で、全国には、ほかに千葉、大阪、広島に懸垂式モノレールが運行されています。

これが、モノレール大船駅です。
②大船駅 (550x367)
東海道本線・横須賀線・根岸線が発着するJR大船駅の東口に隣接しています。

これが大船駅に停車中の5000形車両です。
①大船駅5000形 (550x367)
現在はすべてこの形式に統一されています。

列車はバスターミナルの上を通過して大船駅に入線します。
③大船到着500形H21 (550x367)
この500形車両は、長らく主力車両として活躍していましたが、昨年、すべて引退しました。

横須賀線の電車の後方を大船を発車したモノレールが通過して行きます。
④横須賀線とモノレール (550x359)

これは、途中駅の西鎌倉です。
⑤西鎌倉駅 (550x367)
途中に6か所の駅がありますが、すべて無人駅です。

⑥西鎌倉5000形 (396x550)
西鎌倉付近を行く新旧の列車です。
⑦西鎌倉500形 (550x360)
道路を走る車を上からかなりのスピードでスイスイと抜き去っていきます。

こちらは平成5年に撮影した500形です。
⑧H5西鎌倉 (550x371)
下を走る自動車も、少し、前の時代という感じがしますね。

片瀬山トンネルを抜けると、すぐに終点の湘南江の島に到着します。
⑨片瀬山トンネル500形 (550x367)

こちらは、湘南江の島駅に停車中の、昭和45年の開業時から走っていた300形車両です。
⑩S59湘南江の島300形 (550x377)
昭和59年に私が初めてこのモノレールに乗った時に撮影したものです。

⑪切符 (480x216)
その当時はまだ硬券切符が使われていました。

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  1. 2017/09/17(日) 17:31:27|
  2. 関東
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鎌倉の四季(秋と冬)

先週に引き続き鎌倉の四季の旅、今週は秋から冬にかけての鎌倉にご案内しましょう。

9月になると、あちこちの土手や山の斜面に彼岸花の姿を見ることができます。
①彼岸花

こちらは宝戒寺の境内に咲くハギの花です。
②宝戒寺萩
小町にあるこのお寺は鎌倉駅東口から歩いて10分あまりの場所にあります。

こちらは、坂の下にある御霊神社の面掛行列です。
③面掛行列 (御霊神社)
毎年9月18日に行われる伝統行事です。

この時期、ススキの穂が青い空に映えています。
④ススキ

こちらは報国寺の竹やぶです。
⑤報国寺竹
浄明寺にあるこのお寺は竹の寺とも呼ばれています。

秋も深まって来ると山の木々が色づいてきます。
⑥円覚寺紅葉
こちらは北鎌倉の円覚寺の紅葉です。

こちらは、建長寺の奥之院にある天狗の像です。
⑦建長寺奥ノ院天狗
正に紅葉真っ盛りでした。
⑧天園紅葉真っ盛り

こちらは瑞泉寺の秋です。
⑨瑞泉寺秋

そして十二所にある明王院のイチョウです。
⑩明王院いちょう
このあたりは観光客も少なく静かな時が過ごせます。

天平6(734)年創建の鎌倉最古のお寺、杉本寺です。
⑪杉本寺
萱葺の屋根が印象的でした。

冬の夕暮れ、稲村ヶ崎より眺めた富士山です。
⑭冬の夕暮れ富士山
冬の晴れた日は、本当に綺麗な富士山が見えます。

こちらは大船観音です。
⑮大船観音
大船駅西口の山の上に鎮座するこの観音様を、東海道本線や横須賀線の車窓から眺めることができます。

お正月の若宮大通の風景です。
⑯若宮大通正月人力車
鎌倉駅周辺には、このような人力車の姿をしばしば見ることができます。

珍しく鎌倉に雪が降りました。
⑰浄智寺雪
北鎌倉の浄智寺は、ひっそりと静まり返っていました。

東慶寺の梅に積もった雪です。
⑱東慶寺梅に雪

こちらは鶴岡八幡宮の牡丹園の、寒牡丹です。
⑲鶴岡八幡寒牡丹


鎌倉大仏も雪に包まれていました。
⑳高徳院大仏幸
この大仏は高徳院というお寺にあります。

アジサイの名所である極楽寺も雪の中でした。
㉑極楽寺雪
人の少ない雪の日もなかなか風情があっていいものです。

逗子との市境に近い飯島付近から見た江ノ島と稲村ヶ崎の向こうにそびえる富士山です。
㉓飯島付近よりの富士
江ノ島にも、ほんの少し、雪が積もっていました。

2月の釈迦堂口切通しです。
⑫釈迦堂口切通し2月
住宅街にごく近い所にもこんな切通しが残っていました。

二階堂にある荏柄天神社に梅の花が咲き始めると、春はもうすぐ近くです。
㉒荏柄天神2月
菅原道真公を祀ったこのお社は、福岡の太宰府天満宮、京都の北野 天満宮と共に三天神社と称される古来の名社です。

来週は東海道本線の大船駅から湘南江の島を結ぶ湘南モノレールをご紹介します。

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  1. 2017/09/10(日) 00:01:29|
  2. 関東
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鎌倉の四季(春と夏)

今週から2週にわたって鎌倉の美しい四季をご紹介します。
まず、今週は春と夏の旅にご紹介しましょう。

3月になると、海蔵寺では、可憐なユキヤナギが花を咲かせます。
①海臧寺雪柳3月
扇が谷(おおぎがやつ)にあるこの海蔵寺は、源氏山の麓にあり、花の寺とも呼ばれています。
比較的、訪れる人も少なく、私のお気に入りのお寺のひとつです。

4月には鎌倉山への道は、桜のトンネルとなります。
⑥鎌倉山への道

そのころ、品では、鎌倉祭りが賑やかに開催されます。
②鎌倉祭り神輿
桜が満開の若宮大路を、御神輿が練り歩きます

鶴岡八幡宮に咲く、枝垂れ桜です。
③鶴岡八幡桜

鶴岡八幡宮では、鎌倉祭りの期間中に勇壮な流鏑馬(やぶさめ)が行なわれます。
④鎌倉祭流鏑馬
流鏑馬は、平安時代から行われている神事で、疾走する馬上から弓で的を射る儀式です。

そして、舞殿で行なわれるのは静の舞です。
⑤鎌倉祭静の舞
頼朝に捉えられた静御前が義経を慕って舞ったと伝えられています。

鎌倉宮も、八重桜が咲いていました。
⑦鎌倉宮4月

鎌倉では、こんなリスの姿をしばしば見かけます。
⑧海臧寺のりす
このリスは日本固有の種類ではなく、台湾から来た華僑が飼っていた台湾リスが脱走して繁殖したものだと言われています。

5月になるとツツジの花の咲くお寺がたくさんあります。
⑨妙法寺つつじ
これは、大町にある妙法寺に咲くツツジです。

妙法寺は苔の寺とも呼ばれています。
⑩妙法寺苔の石段
もちろん、この苔むした石段の上を歩くことはできません。

長谷にある鎌倉文学館にはバラがたくさん植えられています。
⑪鎌倉文学館5月
この建物は、旧加賀藩の前田家の邸宅を転用したもので、国の登録有形文化財に指定されています。

建長寺の僧侶たちです。
⑫建長寺僧侶5月
建長寺は言わずと知れた臨済宗建長寺派 の大本山で、鎌倉五山第一位の古刹です。

こちらは銭洗弁天です。
この神社の清水でお金を洗うと、何倍にも増えて返って来ると伝えられています。
⑬銭洗弁天
正式には銭洗弁財天宇賀福神社といい、鎌倉駅西口から歩いて20分あまりの場所にあります。

銭洗弁天の近くにある佐助稲荷神社です。
⑭佐助稲荷6月
緑に濃こまれた山の中腹にある静かな神社で、ここも私のお気に入りの場所のひとつです。

6月になるとあちこちでアジサイの花が咲き誇ります。
これは、あじさい寺の異名を持つ明月院です。
⑮明月院あじさい
北鎌倉駅から歩いて10分ほどの場所にあるこのお寺は紫陽花の時期には大変混雑しますので、訪れるなら平日の朝に限ると思います。

こちらは二階堂にある瑞泉寺のあじさいです。
⑯瑞泉寺あじさい
このお寺は四季を通じて花に囲まれています。

これは十二所にある光触寺という時宗のお寺です。
⑰光触寺あじざい
光触寺はアジサイのほか菖蒲の花もたくさん咲いていました。
⑱光触寺菖蒲

光触寺の近くには、朝比奈切通しがあります。
⑬朝比奈切通し
三方を山に囲まれた鎌倉には、鎌倉七口と呼ばれる七つの切通しがありました。

こちらは亀が谷(かめがやつ)切通しです。
⑲亀が谷切通

そして、こちらが名越切通し。
⑳名越切通6月
今にも鎌倉武士が、馬に乗って駆けてきそうです。

夏の材木座海岸です。
㉑材木座海岸
鎌倉には、ほかに由比ヶ浜、七里ヶ浜という海水浴場があります。

真夏の風物詩、鎌倉花火大会です。
㉒花火大会 (550x373)
昭和24年から続いており、今年で69回目を数えました。
㉓花火大会
圧巻は何と言っても水中花火です。

真夏の鎌倉に咲くひまわりの花です。
㉔ひまわり (550x387)
あたりは蝉の声が響いていました。

来週は鎌倉の秋と冬の旅をご紹介します。

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  1. 2017/09/03(日) 00:01:48|
  2. 関東
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江ノ島電鉄の風景

今週は神奈川県の藤沢~鎌倉間を走る江ノ島電鉄をご紹介します。

江ノ島電鉄は、東海道本線・小田急江ノ島線と接続する藤沢駅を起点に、横須賀線に隣接する鎌倉駅との10・0キロを結んでいます。開業は明治35(1902)年と古く、115年もの歴史を刻み続けており、「江ノ電」の愛称で親しまれています。

東の始発駅の鎌倉駅です。
①鎌倉駅 (550x367)
JR横須賀線の鎌倉駅西口に隣接しています。

江ノ電は、毎週末や、あじさい、紅葉、桜などの季節になると大変な混雑になります。
②鎌倉駅ホーム (550x367)
観光客が多すぎて、沿線住民も乗るのに一苦労です。観光シーズンの休日になると、駅舎の外まで長蛇の列ができ、乗るのに30分以上も待たされることもあります。
江ノ電は、元々は路面電車サイズの小ぶりな電車で、駅の構造上、最大4両までしか増結できない上、単線なので、今以上の輸送量を増強することができないのが悩みです。
多くの地方の中小私鉄が、乗客減少により経営危機に陥っている中で、特異な存在の私鉄です。

和田塚駅付近を行く列車です。
③和田塚付近 (550x367)
民家の塀とぎりぎりの場所を走ります。

紫陽花の季節の長谷~極楽寺間です。
⑤長谷~極楽寺あじさい (374x550)
長谷駅付近もあじさいの季節には大変な混雑になるので、訪れるなら、平日か、休日なら早朝や夕方をお奨めします。
⑥長谷~極楽寺② (550x358)
このあたりも、民家と線路が接近しています。
⑦長谷~極楽寺 (550x367)

これは、平成6年2月に大雪が降った時の長谷駅です。
⑧雪の長谷駅 (550x353)
温暖な湘南地方に雪が降ることはとても珍しいことです。

雪の中、極楽寺トンネルから出てきた鎌倉行の電車です。
⑨雪のトンネル (550x387)
極楽寺駅もすっかり雪化粧していました。
⑩雪の極楽寺駅 (550x380)

さて、こちらは夏の極楽寺駅です。
昔ながらの駅舎がなんともいえない雰囲気を醸し出してくれます。
⑪極楽寺 (550x365)
山に囲まれた静かな場所にあるのですが、やはり観光シーズンには混雑します。

七里ヶ浜~鎌倉高校前間にある峰ケ原信号場です。
⑫峰ヶ原信号場 (550x360)
江ノ電では途中、4か所の駅とこの信号場で電車のすれ違いが行なわれます。

七里ヶ浜付近です。このあたりから、腰越までは車窓に相模湾が広がります。
④由比ヶ浜付近 (550x379)
並行する国道も、休日はいつも大渋滞になります。

平成5年の腰越駅です。
⑬腰越旧500系H14引退 (550x382)
停車中の旧500形電車は、平成14年まで走り続けました。

腰越駅を過ぎると、江ノ島駅までは路面区間になります。
⑭腰越~江ノ島 (550x368)
小さな電車も路面を走ると大きく見えます。
⑮腰越~江ノ島2 (550x367)

民家の軒をかすめるように、鎌倉行の電車が顔を出しました。
⑯腰越~江ノ島 (550x358)

これが江ノ島駅です。
⑰江ノ島駅 (550x367)
個々の駅で多くの乗客が入れ替わります。

江ノ島付近から見る、日没直後の富士山です。
⑱富士山夕景 (550x361)
冬の天気のいい日の夕暮時には江ノ電の車窓からもこの風景を眺めることができます。

鵠沼(くげぬま)付近を行く10形レトロ電車です。
⑲鵠沼到着② (550x353)
創業95周年を記念して平成9年に登場しました。

鵠沼駅です。
⑳鵠沼駅 (550x367)
この駅でも電車のすれ違いが行なわれます。
㉑鵠沼駅交換 (550x356)

鵠沼に鎌倉行の電車がやって来ました。
㉒鵠沼到着 (550x367)

終点の藤沢駅にやって来た電車です。
㉓藤沢到着 (550x341)
藤沢駅付近だけ、高架になっています。

藤沢駅に到着した電車です。
㉔藤沢駅 (550x367)
鎌倉駅と比べると藤沢駅の方がまだ混雑が少ないので、江ノ電に乗るなら藤沢から乗ることをお奨めします。

これは、昭和50年に初めて江ノ電に乗った時の600形電車です。
㉕S5007撮影S58年廃車600形 (550x353)
この電車は、昭和58年まで走り続けました。

唱和のころの硬券切符です。
㉖きっぷ (280x233)
江ノ電では、今も有人駅で硬券入場券を販売しています。

来週からは、美しき鎌倉の四季をご紹介します。

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  1. 2017/08/27(日) 00:01:05|
  2. 関東
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ありし日の、のと鉄道能登線と奥能登の情景

能登半島シリーズ最終回は、三セク化後の、のと鉄道能登線と、奥能登地方の情景をご紹介します。
能登線は、国鉄から民営化直後のJR西日本から昭和63年に第三セクター、のと鉄道に継承されましたが、残念なことに平成17年に廃止されてしまいました。

これは、平成11年夏の穴水駅構内のようすです。
①穴水駅構内
この時点でのと鉄道は、七尾~穴水~輪島間の七尾線と、穴水~蛸島間の能登線の100キロ以上の路線を持っていました。
穴水駅は七尾線から能登線が分岐する要衝駅でした。構内の車庫には何両化の列車が留置されています。

これは、穴水駅に停車中の、七尾から能登線の珠洲の間を走っていた急行「のと恋路号」です。
②のと恋路号
大阪からの特急「サンダーバード」に接続し、七尾~珠洲間を一日一往復していました。

「のと恋路号」の車内です。
③恋路号車内
大きな窓のなかなかお洒落な列車でしたが、平成14年の10月に運転を取りやめ、その後、廃車になりました。

能登線は、61キロの区間に28の途中駅がありました。
これは、穴水から2駅目の比良駅です。
④比良駅
交換設備がありましたが、無人駅でした。

山の中の小さな無人駅、鹿波(かなみ)です。
⑤鹿波駅
能登というと海のイメージが強いですが、能登線は、山の中も走っていました。

こちらは、甲駅です。
⑥甲駅ホーム
高校生が大勢降りました。

この駅の構内には、使われなくなった郵便車が、ずっと留置されていました。
⑦郵便車
この車両は、現在では七尾線の能登中島駅に留置されています。

甲駅に停車中の珠洲発金沢行の急行「能登路号」です。
⑧急行能登路
国鉄時代から走っていたこの列車は、JRのキハ58系が乗り入れていましたが、「のと恋路号」が運転を取りやめた半年前の平成14年3月に廃止されました。

鵜川駅です。
⑨鵜川駅
能登線の国鉄時代の有人駅は、このようなブロック造りやコンクリート造りの簡素の建物が多かったのです。

宇出津(うしつ)~藤波間を行く3両編成の臨時列車です。
⑩宇出津~藤波
こんなに大勢の乗客が乗っていたのに、この半年後には廃線になってしまったのです。

主要駅だった宇出津駅です。
⑪宇出津駅
この駅からは、かつて国鉄バスが発着していました。

宇出津駅のホームです。
⑫宇出津駅ホーム
この時、すでに半年後の廃線が決まっていましたが、鉄道ファンのお別れ乗車ではなく、地元の人たちが大勢、利用していました。

波並駅の駅名票です。
⑬波並駅名票
能登線には、鹿波、沖波、前波、矢波、波並、藤波、松波と、波のつく駅がたくさんありました。

九十九湾小木(つくもわんおぎ)に到着した上り列車です。
⑭小木到着
この駅は、国鉄時代は能登小木という名前でした。

九十九湾小木駅です。
⑮九十九湾小木駅舎
九十九湾という観光地に近いこの駅は、三セク化後、このような洒落た駅舎に建て替えられていました。

恋路駅の駅名票です。
⑯恋路駅名票
急行「のと恋路号」の名前は、この駅の近くにある恋路海岸から名づけられました。

南黒丸~鵜飼間のトンネルです。
⑰南黒丸~鵜飼トンネル
能登線には49カ所ものトンネルがありました。

南黒丸~鵜飼間を走る列車です。
⑱南黒丸~鵜飼
季節は初秋の9月、あたりには、コスモスが咲き乱れていました。

これは、鵜飼駅に近い見附島です。
⑲見附島
その形から軍艦島とも呼ばれています。

このあたりにも、コスモスがたくさん咲いていました。
⑳コスモス
このコスモスを植えたのは、このおばあちゃんでした。
㉑おばあちゃん
このお婆ちゃんは「汽車がなくなったら困る」と話していたことを思い出します。

廃止の半年前の平日の朝、列車が珠洲(すず)に近づくと、車内は高校生で満員になりました。
㉒高校生で満員
昼間も、かなりの地元客が乗っていたのに、廃止されてしまったことが残念でなりません。

珠洲駅のホームで発車を待つ上下線の列車です。
㉓珠洲駅ホーム
ホームの看板には見附島の絵が歓迎の文字とともに描かれていました。

これが珠洲駅です。
㉔珠洲駅
珠洲は奥能登の中心で、多くの列車が珠洲止まりでした。

でも、その先にも2駅線路は続いており、終着駅は蛸島(たこじま)でした。
㉕蛸島列車
先週も書きましたが、昭和56年5月、私はこの駅で国鉄走破を達成しただけに、能登線の廃止は本当に悲しく寂しい気持ちです。

これが蛸島駅舎です。
㉖蛸島駅舎
私が国鉄全線走破を達成した時は有人駅でしたが、三セク化後は、無人駅になっていました。

蛸島から先にも足を延ばしてみました。

近くの海のサザエ取りの漁師さんです。
㉗さざえ取りの漁師
青く澄んだ美しい海ですが、北朝鮮の難民船がこのあたりに漂着したこともあります。
㉘青い海

これは、能登半島の最先端、禄剛崎燈台です。
㉙禄剛崎
別名、狼煙(のろし)燈台とも呼ばれています。
この先の海は、北朝鮮やシベリアに続いています。

蛸島駅の先端にあった車止めです。
㉚蛸島車止め
この最果ての駅に二度と列車が来ることはありません。
廃止半年前でもあんなに大勢の地元の人たちが利用していた能登線を、なんとか残せる手立てはなかったものかと残念でなりません。

㉛スタンプ㉜きっぷ
能登線が廃止されて、もはや12年あまりの歳月が過ぎてしまいました。

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  1. 2017/08/20(日) 00:02:39|
  2. 北陸
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今はなき国鉄能登線の風景

能登半島シリーズ、第5回目は、国鉄時代の能登線のようすを御紹介しましょう。
能登線は、能登半島の真ん中あたりにある七尾線の穴水(あなみず)から分岐し、半島先端に近い蛸島(たこじま)までを結んでいた61・1キロのローカル線でした。開業は昭和39年と比較的新しい路線でしたが、国鉄末期に廃止対象となり、昭和63年に第三セクター「のと鉄道」として再出発したものの、結局、平成17年に廃止されてしまいました。

また、能登線は私にとって二重の意味で思い出深い路線でもありました。
というのは、高校1年生だった昭和46年に本格的に汽車旅を始め、3泊4日の初めてのひとり旅をしたのが能登半島だったのです。
その時は、金沢発珠洲行の「ふるさと列車おくのと号」に乗って能登線の宇出津(うしつ)で下車しました。

そして、その10年後、全国の国鉄線をすべて走破し、最後に乗り残したのが、能登線の宇出津~蛸島間でした。
つまり、能登線の終着駅、蛸島駅は、私が国鉄全線走破を達成した記念すべき駅だったのです。

さて、これが、金沢駅で発車を待つ「ふるさと列車おくのと号」です。
今では珍しくない観光列車の先駆けのような列車で、蒸気機関車C58が牽引していました。
①ふるさと列車C58
お座敷車両も連結されていたのですが、残念なことに写真を撮っていませんでした。

こちらは、昭和48年、矢波付近のふるさと列車です。いずれも客車が写っていない稚拙な写真ですみません。
②ふるさと列車C11矢波
牽引機はC11に代わっていました。

さて、時代は進んで、昭和56年、国鉄全線走破達成の時に金沢から乗った列車のサボ(行先表示板)です。
③金沢~蛸島サボ
金沢を出ると、途中、穴水までは七尾線の終点・輪島行と、蛸島行が併結されていました。

加太駅に停車中の列車です。
④甲駅停車中

宇出津駅の駅名票です。
背後には貨車の姿が見えますが、この時は能登線にも珠洲(すず)まで貨物列車が運転されていたのです。
⑤宇出津駅名票
この時、宇出津を発車すると、この先は未乗区間でした。

能登鵜飼駅です。
⑥能登鵜飼駅

そして、能登飯田駅付近を行く上り列車です。
⑦能登飯田付近
季節は5月上旬、ちょうど、八重桜が満開でした。

能登飯田駅です。
⑧能登飯田駅
ここまで来ると、終点蛸島まではわずかです。

金沢を11時46分に発車した列車は、16時41分に能登半島の先端に近い終着駅の蛸島に着きました。
⑨蛸島到着
列車は金沢から160・2キロの蛸島までを4時間50分かけて走りました。

蛸島駅の委託の駅員さんと、国鉄全線走破の記念写真を撮影しました。
⑩全線走破記念写真
当時、25歳の私です。

これが蛸島駅です。
⑪蛸島駅
開通が比較的新しい能登線の有人駅の駅舎は、ほとんどこんなコンクリート造りの簡素な建物でした。

国鉄能登線の入場券です。
⑫入場券

そしてm、能登半島の乗車券類です。
⑬短距離券⑭長距離券
「金沢から蛸島ゆき」の乗車券は、全線走破達成の時に使用したものです。

能登半島の駅のスタンプです。
IMG_20170711_0017 (260x253)IMG_20170711_0015 (300x294)
穴水駅以外は、すべて廃止されてしまいました。
IMG_20170711_0016 (292x300)IMG_20170711_0014 (300x285)
来週は、三セク化後の能登線のようすをご紹介します。





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  1. 2017/08/13(日) 00:02:00|
  2. その他の話題
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のと鉄道七尾線・輪島~穴水間の現役時代と廃線跡

今週は能登半島シリーズの第4弾、今はなき、のと鉄道七尾線・輪島~穴水間の現役時代と廃止後のようすをご紹介します。

七尾線ほど区間によって異なった運命を辿った線はないでしょう。
北陸本線の津端から輪島までを結ぶ107・9キロの国鉄七尾線は、本津幡~七尾間が明治31年に七尾鉄道として開通したのが最初でした。明治40年には国有化され、終点の輪島まで全通したのは、昭和10年のことです。
その後、長らく、石川県の県都・金沢と輪島を結ぶ、生活路線や観光路線として活躍していました。
そして、平成3年に、津端~和倉温泉間が電化完成し、大阪からの「スーパー雷鳥」、名古屋からの「しらさぎ」という電車特急が乗り入れるようになりました。
一方、同時に七尾~和倉温泉~穴水~輪島間は、第三セクターの「のと鉄道」として再出発。七尾~和倉温泉間はJRとのと鉄道の重複区間となりました。先に三セク化された能登線と合わせ、のと鉄道は延長114・6キロの長大な路線を持つこととなったのです。

ところが、その後、能登半島の道路網が整備された上、過疎化と少子化により利用者が減少し、平成14年に七尾線は、能登線との分岐点の穴水から輪島までの末端区間、20・4キロが廃止されてしまいました。

これは、廃止される3年前、平成11年の輪島駅です。
①輪島駅H11
私が初めてこの駅を訪れたのは昭和46年のことで、その後、昭和48年の夏に訪れた時、大阪行きの急行「ゆのくに3号」は超満員だったことが記憶に残っています。でも、残念ながら国鉄時代に写真は撮影していませんでした。

輪島駅で発車を待つ穴水行きの列車です。
②輪島ホーム
この時、すでに乗客は多くありませんでした。

国鉄時代と同じ、駅名票です。
③輪島駅名票

途中駅の能登三井駅です。
④能登三井駅

さて、ここからは、平成14年の廃止から2年半後の平成16年9月の廃線跡の様子です。
⑤輪島駅跡
輪島駅跡は道の駅として生まれ変わり、その一角にはホームと駅名票が再現されていました。
片方の隣駅が「シベリア」となっているのは、現役時代と同じです。

輪島~能登市ノ瀬間に続く築堤です。
⑥輪島~能登市ノ瀬間築堤
この時、すでに線路ははがされていましたが、今はどうなっているでしょうか。

これは次の駅だった、能登市ノ瀬駅の駅舎です。
⑦旧能登市ノ瀬駅舎
廃線後、2年半では、まだ現役時代の姿をそのまま留めていましたが、残念ながら、今では完全に撤去されてしまったそうです。

能登市ノ瀬駅のホーム跡です。
⑧能登市ノ瀬ホーム

そして、駅舎からホームを眺めたところです。
⑨市ノ瀬駅舎よりホームを眺める
駅舎はホームより一段低い所にありました。

能登市ノ瀬~能登三井間にあったトンネル址です。
⑩能登市ノ瀬~三井間のトンネル跡
トンネルを出たところにあった鉄橋は、この時、すでにありません。

山間にある踏切跡をみつけました。
⑪山間の踏切跡
このあたりは能登の外浦と内浦との間の深い山の中を走っていました。
今は、もう自然に帰っていることでしょう。

能登三井駅のホームです。まだ、駅名票が残されていました。
⑫能登三井ホーム
この駅は、急行列車も停車し、列車同士のすれ違いができる主要駅でした。
⑬能登三井交換可能駅

能登三井駅の駅舎です。
⑭三井駅舎
この時は喫茶店として利用されていましたが、その後、閉店となり、現在はバスの待合所でして健在だそうです。

能登三井駅跡の近くに98キロのキロポストがありました。
⑮98キロポスト
98キロは七尾線の起点、津端駅からの距離を表しています。

穴水駅近くに架かる鉄橋はまだ健在でした。
⑯穴水付近の鉄橋
でも、蔦がからまっており、列車が来なくなってからの時間の経過を感じさせてくれます。

国鉄時代の入場券と、のと鉄道の切符です。
⑰国鉄入場券
⑱のと鉄切符

来週は平成17年に廃止された三セク化前の、国鉄能登線の風景をご紹介します。

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  1. 2017/08/06(日) 00:03:12|
  2. 北陸
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のと鉄道②普通列車の旅

今週は先週に引き続き、のと鉄道の旅です。
帰路は普通列車に乗りました。

これが穴水駅です。
①穴水駅舎 (550x330)

この駅の構内には、少々錆の出た列車がひっそりと留置されています。
②恋路号 (550x348)
このNT800形と呼ばれるこの列車は、昭和63年に民営化直後のJR能登線が、第三セクターののと鉄道に移管された時に誕生した、急行「のと恋路号」として誕生したハイデッカー車で、七尾~珠洲間を走っていました。
しかしながら「のと恋路号」は平成14年に廃止され、この列車もその3年後に能登線の廃線とともに、廃車となってしまいました。

さて、穴水を発車した七尾行の列車は、ほどなく、乙ケ崎トンネルに入ります。
③乙ケ崎トンネルイルミネーション (550x367)
このトンネルは、列車がやって来る時刻になると、トンネル内にイルミネーションが点灯し、乗客の目を楽しませてくれます。

やがて、左手の車窓に七尾湾にかかる「ツインブリッジのと」が見えてきました。
④ツインブリッジのと
そして、雲ひとつない青空の向こうに、雪を抱く立山の山並みが見えます。

緑に囲まれた能登鹿島駅です。
⑤能登鹿島 (550x367)
この緑の木々はすべて桜の木で、春になると、桜のトンネルの中に列車が発着します。
次回は、是非、桜の時期に訪れたいと思っています。

西岸駅に停車中の列車です。
⑥西岸駅 (550x367)
「ゆのさぎ」という駅名票が見えますが、これは、この駅が、以前、NTV系のテレビアニメ、「花咲くいろは」という番組の中で「湯の鷺」となったことによります。

列車内で、外国人のカップルと仲良くなりました。
⑦外人観光客 (550x367)
ドイツ人の彼氏とエストニア人の彼女です。
遠く離れた日本に来て、ローカル線の旅を楽しむなんて素晴らしいですね。

こちらは能登中島駅です。
⑧能登中島駅 (550x363)

そして、こちらは笠師保駅。
⑨笠師保駅 (550x356)
途中にはこのような古い駅舎の残る駅がありました。


笠師保~田鶴浜間の風景です。
⑩田鶴浜~笠師保の風景 (550x363)
ちょうど、田植えの終わった時期でした。

和倉温泉駅に停車中の列車です。
⑪停車中のNOTOGO (550x367)
和倉温泉~七尾間はJR七尾線と重複区間となっており、金沢方面からの特急列車はここまで乗り入れるため、ここからは電化されています。

和倉温泉駅に着いた「NOTOGO」です。
⑫NOTOGO到着 (550x360)
この列車は能登半島の輪島出身の漫画家、永井豪さんのデザインによるラッピング列車です。
⑬永井豪ラッピング (550x367)

終点の七尾駅です。
⑭七尾駅 (550x358)

やがて、和倉温泉~金沢間を結ぶJRの特急「能登かがり火号」がやって来ました。
⑮能登かがり火 (550x367)

この列車で金沢まで戻りました。
⑯特急券 (380x256)

来週は、廃止されたのと鉄道、七尾線・穴水~輪島間の現役時代と廃線後のようすをご紹介します。

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  1. 2017/07/30(日) 00:01:10|
  2. 北陸
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のと鉄道①「のと里山里海号」

今週は、先週ご紹介した「花嫁のれん号」から乗り継いだ、のと鉄道の観光列車「のと里山里海号」をご紹介しましょう。
⑤里山里海到着 (550x365)
「花嫁のれん号」が終点、和倉温泉に到着してから、およそ1時間後に、今度は、隣駅の七尾始発ののと鉄道の観光列車「のと里山里海号」がやって来ました。
七尾~和倉温泉間は、JRとのと鉄道の重複区間になっており、JRの特急はすべて七尾から和倉温泉まで乗り入れ、のと鉄道の列車はすべて七尾始発で和倉温泉を経て穴水まで走っているのです。

「のと里山里海号」には、乗車券のほかに乗車整理券が必要です。
⑥乗車記念証 (302x450)⑦乗車整理券 (243x400)
乗車整理券には平日の全車自由席の「カジュアルコース」と休日など全車指定席の「ゆったりコース」があり、ゆったりコースには沿線のお土産がついています。そのほか食事付きのプランもあります。

列車内はこんな感じです。
⑧車内 (550x364)

この列車にも売店があります。
⑨売店 (550x366)

売店では、地域の名産品や、地酒、のと鉄道のグッズなどを売っていました。
⑩売り物 (550x367)

途中駅の能登中島駅に到着しました。
⑬能登中島到着 (550x363)

能登中島駅構内には、国鉄時代の郵便車「オユ10」が静態保存されています。
⑭オユ10 (550x367)
郵便車は、かつて全国の郵便輸送に欠かせない車両でしたが、国鉄末期の昭和61年に全廃されました。

能登中島では、10分間の停車時間の間に内部を見学することができます。
⑮郵便車内部 (550x366)
現役時代は、走る列車内で、郵便物の仕分けが行なわれていたのです。
今や、内部が見学できる郵便車は全国でここだけという非常に貴重な車両です。

列車は、絶景ポイントではしばらく停車するサービスがあります。
これは、能登中島~西岸間にある深浦地区の風景です。
⑰中島~西岸間の深浦地区 (550x367)
なんとものどかな漁村の風景ですね。

これは、能登鹿島~穴水間の「ボラ待ちやぐら」です。
⑳ぼら待ち櫓 (550x363)
これは、かつてこの地方で行われていた独特の漁法で、このやぐらの上に漁師さんが登ってボラを釣るというものでした。

そして、こちらは、七尾湾の向こうにそびえる立山連峰の山々です。
㉑立山連峰 (550x367)
好天に恵まれ、くっきりと美しい山々を眺めることができました。
こんなに美しく見えることは珍しいそうです。

終点の穴水駅に着きました。
㉓穴水到着 (550x339)
この列車は新たな乗客を乗せて、折り返し、七尾行きとなります。

車内で呑んだ、能登の地酒です。
㉕呑み鉄 (550x367)

穴水駅前の穴水さわやか交流館には、大相撲幕内の人気力士、遠藤関の展示室があります。
㉗遠藤 (550x367)
広い展示室内には、学生時代からの遠藤関が受賞した数々のトロフィが展示されています。
㉔展示物

遠藤関をかたどった手作りの人形がありました。
㉘横綱遠藤 (550x367)
出世が早くて、髷が結えなかったころのざんばら髪のころと、横綱の化粧まわしをつけた遠藤関です。
人形に横綱を締めるとは、地元の期待の大きさを伺わせてくれますね。
遠藤関の取組の時は、展示室内にあるテレビの前に地元の人たちが集まり、団扇を振って応援するそうです。
㉚記念入場券 (380x354)㉛記念カード (380x271)
来週は、のと鉄道の普通列車のようすをご紹介しましょう。

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  1. 2017/07/23(日) 00:01:20|
  2. 北陸
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特急「花嫁のれん号」の旅

今週は、金沢から和倉温泉を結ぶ特急「花嫁のれん号」のようすをご紹介しましょう。
IMG_3845 (550x354)
これは七尾駅で待機中の「花嫁のれん号」です。

この列車は北陸新幹線の金沢延伸後の平成27年10月に運転を開始した観光列車です。
原則として週に3~5回運転され、運転日には金沢~和倉温泉間71・0キロを2往復します。
「花嫁のれん」とは江戸時代末期から続く北陸地方の婚礼の風習で、加賀友禅で仕立てられたこの暖簾には、新婦の実家の家紋が染め抜かれているとのことです。新婦は婚家の仏間の入口に掛けたこの暖簾をくぐってご先祖にご挨拶をしてから結婚式を行なうとのことです。
そして、この暖簾は一生のうち、その一度だけしか使われることはない婚礼道具なのです。

北陸新幹線と「花嫁のれん号」が接続する金沢駅です。
①金沢駅
鼓門と名付けられた和のイメージの門の後ろにある金沢駅は、平成17年に完成した四代目駅舎で、8年後の北陸新幹線の開業に伴って、名実ともに北陸の表玄関となりました。

金沢駅の4番線で「花嫁のれん」号が発車を待っています。。
②金沢駅ホーム
キハ48系気動車を改造した2両編成の列車です。
ホームには花嫁のれんが掛けられています。

列車は金沢を発車すると新幹線開業後は第3セクターの「IRいしかわ鉄道」に移管された旧北陸本線の線路の上を津端まで走り、津端からJR七尾線で能登半島を北上します。

この列車は全車指定席で、これは1号車の車内です。
③1号車内
半個室のような席が設けられています。

こちらは2号車です。
④2号車内

1号車にある売店です。
⑤売店
沿線のお土産品や地酒、地ビールなどを売っていました。

この小型の花嫁のれんは、2000円でした。
⑥小型のれん
本物はすごく高価なのでしょうね。

事前に注文しておくと季節によって異なるスイーツのセットがつきます。
⑦和菓子
生菓子とソフトドリンク、それにお土産用の焼き菓子がついて2000円です。
⑧お土産お菓子
昼時にかかる列車はお弁当も用意されています。

途中駅の羽咋駅で、停車時間が10分程度あるので、車外に出ることができます。
⑨羽咋改札口
羽咋駅の女性駅員が花嫁のれん号オリジナルの法被を着ていました。
⑩羽咋駅

たまたま同席になった皆さんと記念写真です。
⑪記念撮影
やはり、乗客は女性が多く、平日にもかかわらず車内は満席でした。

終着駅の和倉温泉に着きました。
⑫和倉到着

改札口を出ると和倉温泉のゆるキャラ「わくたまくん」の出迎えを受けます。
わくたま

駅構内にも花嫁のれんが飾られていました。
⑬和倉温泉駅のれん

車内で呑んだオリジナルの地酒です。
⑭和倉温泉駅呑み鉄
⑮指定券⑯入場券

乗客にはこんな記念乗車証が配られます。
⑰記念乗車証

和倉温泉駅からは第三セクターののと鉄道の観光列車「のと里山里海」乗り継いで旅を続けました。
この列車のようすは来週、ご紹介します。

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  1. 2017/07/16(日) 00:02:26|
  2. 北陸
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城北線と清須城

今週は東海道本線の枇杷島と中央本線の勝川間11・2キロを結ぶ東海交通事業・城北線と、その沿線にある清須城をご紹介しましょう。

城北線は、昭和期に名古屋を迂回するルートの貨物線として計画された国鉄瀬戸線の一部です。
その一部は、岡崎~高蔵寺間の現在の愛知環状鉄道になっています。

しかし、建設工事が進行したものの貨物列車の減少と国鉄財政の破綻により工事は中断しました
その後を引き継いでJR東海の子会社である東海交通事業が運営することとなり、平成3年に勝川~尾張星の宮間が部分開通。
さらに、平成5年に尾張星の宮~枇杷島間が開通して、全線開業となりました。

こちらは枇杷島駅で発車を待つ勝川行の列車です。
①枇杷島ホームのキハ11 (550x355)

次の駅、尾張星の宮で途中下車をしました。
②星の宮ホーム (550x360)

勝川に向って発車して行く列車です。
③星の宮発車 (550x349)
名古屋高速道路6号線が見えます。

尾張星の宮駅です。立派な高架駅ですが、この線の駅はJRの駅員がいる枇杷島以外、すべて無人駅です。
④尾張星の宮駅
この駅は平成3年に暫定的に終着駅になっていました。

これが駅から歩いて15分ほどの所にある清須城です。
⑤清須城 (550x367)
清須城は1405年(応永12年)に斯波義重によって築城されました。
1478年(文明10年)に尾張国の守護所が清須に移転し、清須城は尾張国の中心地として、尾張を支配する織田家の本城となりました。織田信長はこの城を10年間居城とし、今川の大軍を破った桶狭間の戦いは、この城から出陣ました。
「本能寺の変」で信長が死去の後、福島正則の居城となり、その後、1600年(慶長5年)の「関ケ原の戦い」ののち、1609年(慶長14年)に徳川家康によって清洲城は廃城となり、尾張の中心は名古屋に移転され、清須城は完全に取り壊されたのです。
そして、この天守閣は平成元年に再建されたものです。

清須城の天守閣からは、遠く東の方角に名古屋城が見えます。
⑥名古屋城
名古屋には、清須の城下に住んでいた人々も城と共に移転し、名古屋に移ってからも清須と同じ名前の町名がたくさん残っているそうです。

お城の瓦の上で羽根を休める雀たちです。
⑦雀
そういえば、最近は雀の姿も減った気がします。

お城の中には中日新聞社が作った「戦国中日スポーツ」が貼ってありました。
⑧桶狭間⑨武田騎馬隊撃沈⑩信長暗殺
桶狭間の戦いや本能寺の変など、歴史上の出来事をスポーツ新聞仕立てで書かれたもので、思わず、見入ってしまいました。

古城跡公園には「信長公出陣の像」があります。
⑪信長と濃姫像
これは桶狭間の戦いに向けて出陣する時の信長と、それを見送る濃姫の姿です。

公園には信長公を祀る小社もありました。
⑫祠

再び、城北線の旅を始めましょう。
⑬鬼ころし
清須といえば、このお酒です。「鬼ころし」は今や全国ブランドですね。

枇杷島方面から列車がやって来ました。
⑭星の宮到着
立派な高架橋に複線ですが、やって来る列車は日中、1時間に1本でたった一両の単行運転です。
当初は長大な貨物列車が頻繁に走ることを想定して建設されたので、このような過大な設備を擁しているのです。

途中駅の味美(あじよし)です。
⑮味美駅名票
名鉄の小牧線の味美駅に歩いて行ける距離ですが、乗換駅としては殆ど機能していません。

味美付近を行く列車です。
⑯味美付近
この車両は開業時から使われているキハ11です。

勝川駅に着きました。
⑰勝川駅ホーム
枇杷島からはわずか15分の旅です。
⑱勝川駅
駅はこのように高架線が途中で途切れたような構造になっており、JR中央線の勝川駅とは500メートルほど離れたままです。
将来的には、JR勝川駅まで乗り入れる計画がありますが、今のところ、その時期のめどはたっていません。

⑲看板⑳勝川駅案内表示
今は、高架下にこのような看板が立っているばかりです。

㉑休日フリーきっぷ
休日には、このようなホリデーフリーきっぷを車内で買うことができます。






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  1. 2017/07/09(日) 00:01:20|
  2. 東海
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東海道本線・枇杷島駅

今週は東海道本線の枇杷島駅とその周辺を走る列車たちをご紹介します。

枇杷島(びわじま)駅は、名古屋駅の一駅西にある普通列車しか停車しない駅です。
この駅のあたりは、かつては西春日井郡西枇杷島町という町でしたが、平成の大合併により周辺の町と合併して清須市になっています。

これが枇杷島駅です。
この駅からは勝川との間を結ぶ東海交通事業城北線が発着しています。
①枇杷島駅 (550x367)
平成20年までは、木造駅舎が残っていましたが、残念なことに以前の駅舎は撮影していませんでした。

金沢行の特急「しらさぎ」が通過して行きます。
②しらさぎ (550x367)
「しらさぎ」は米原から北陸本線に入ります。
北陸新幹線が長野~金沢間を延伸開業するまでは、富山行でしたが、現在はすべて金沢止まりになり、富山まで行く人は金沢で新幹線に乗り換えなければならなくなりました。

しばらくすると、DE10に牽引された列車が入線してきました。
③DE10 (550x367)

後ろに連結されていたのはキヤ97という珍しい車両です。
④キヤ97 (550x367)
これは、JR東海の線路運搬用の車両です。
気動車なので自走できるのですが、この日はなぜかDE10の後ろに連結されていました。

新幹線と、枇杷島~清州間を行く高山行の特急「ワイドビューひだ」です。
⑤新幹線とひだ (550x367)

普通列車と新幹線の一瞬の出会いです。
⑥新幹線と普通列車 (550x367)

国鉄時代に製造されたEF65電気機関車に牽引された長大なコンテナ列車が、名古屋方面からやってきました。
⑦EF65貨物列車 (550x367)
ここは、大動脈、東海道本線なのです。
これらの写真は、清須城の天守閣から撮影しました。

そして、国鉄時代の枇杷島駅と清州駅の入場券です。
⑧入場券 (280x237)

来週は枇杷島駅から分岐する城北線と清須城にご案内しましょう。





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  1. 2017/07/02(日) 00:03:42|
  2. 東海
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氷見線の旅

今週は富山県の高岡から氷見(ひみ)までの16・5キロを結ぶJR氷見線をご紹介します。
氷見線の起点、高岡駅は、昨年まではJR北陸本線の主要駅でしたが、北陸新幹線の開業に伴い、並行在来線である北陸本線は第3セクターの「あいの風とやま鉄道」に変換されました。
けれども、本線が三セク化された後も、高岡駅を起点とする氷見線と城端(じょうはな)線は、JRとして残ったのです。

これは、高岡駅構内にある氷見線と城端線の列車の車庫で出番を待つ列車たちです。
①高岡駅車庫

高岡駅で発車を待つ氷見行の列車です。
②高岡駅ホーム
氷見市は漫画家の藤子不二雄@さんの出身地であることにちなみ、列車には「忍者ハットリくん」のイラストがラッピングされています。

途中駅の伏木です。
③伏木駅
ホームに跨線橋のある趣のある駅です。
④伏木駅跨線橋ホーム
この写真は平成14年に訪れた時のもので、列車はこのような地味な塗装でした。
⑤伏木駅貨物H14
その当時、伏木駅には貨物列車姿も見られましたが、最近は運転されていません。

近くの小矢部川の伏木と対岸の六渡寺間には渡し舟が運行されていました。
⑥1如意の渡
でも、平成21年に近くに伏木万葉橋が完成し、渡し船は廃止されました。

河畔には弁慶と義経の像があります。
⑥2勧進帳
これは、頼朝に追われ、奥州に逃れる途中にこの川の渡る時に疑われ源義経をかばうため、家臣の武蔵坊弁慶が、義経を打ちつけて疑いを晴らしたという義経伝説によるものです。この話は舞台を加賀の安宅関に変えて歌舞伎の勧進帳にもなっています。

さて、氷見線の旅を続けましょう。
⑦越中国分駅
越中国分を過ぎると、やがて右手に富山湾が見えてきます。
⑧雨晴~越中国分
越中国分~雨晴(あまはらし)間を行く列車です。
⑨雨晴~越中国分◎
このあたりは雨晴海岸と呼ばれる絶景の地です。
⑩源氏岩
これが義経岩です。

⑪雨晴~越中国分3
日中は一両だけで運転されています。

雨晴駅での上下線列車のすれ違い風景です。
⑫雨晴駅交換
ラッピングされた列車同士がこの駅で出会いました。

これは雨晴駅です。
⑬雨晴駅舎
雨晴海岸は駅から歩いて10分ほどの位置にあります。

終点の氷見駅に着きました。
⑭氷見駅ホーム

これは現在の氷見駅です。
⑮氷見駅H29

こちらは平成14年の氷見駅。
⑯氷見駅H14

同じ日、氷見駅に列車が停車しています。
⑰氷見駅ホームH14

そして、こちらは昭和47年、国鉄時代の氷見駅です。
⑱氷見駅S47
時代ごとに、すこしずつ姿を変えているのがわかります。

たくさんのカモメが戯れる氷見海岸です。
⑲氷見海岸
海はいつ来ても変わりません。

氷見駅と雨晴駅のスタンプです。
⑳スタンプ

そしてこれは国鉄時代の氷見線の入場券です。
㉑入場券
そのころから40年以上が過ぎてしまいました。

これは、高岡駅の南方にある国宝・瑞龍寺です。
㉒国宝瑞龍寺
曹洞宗の大きなお寺です。

そして、こちらは高岡駅の北側にある高岡大仏寺。
㉓高岡大仏
このお寺の開祖は13世紀と古いのですが、大仏は何度も火災で焼失しており、現在の大仏は昭和8年に再建されたものです。

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  1. 2017/06/25(日) 00:01:02|
  2. 北陸
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今はなき下津井電鉄

岡山県の廃止線第三弾、今週は茶屋町から下津井を結んでいた下津井電鉄をご紹介します。

下津井電鉄は国鉄宇野線の茶屋町から瀬戸内海沿いの下津井までの21・0キロを結んでいました。
全通は大正3年と古く、下津井港から海を渡って丸亀港への連絡船があったため、国鉄宇高連絡船とともに、本州と四国を結ぶルートとしての役目を担っていたこともありました。

しかし、時代の流れと共に年々利用者が減少、昭和47年には茶屋町~児島間が廃止され、末端区間の児島~下津井間6・3キロを残して、国鉄とは接続しない単独の短い路線となってしまいまったのです。
私が訪れたのは、末端区間だけがまだ残っていた昭和56年の大晦日のことでした。

これが、道路の脇にポツンと建てられた簡素な造りの児島駅です。
①児島駅
茶屋町までつながっていた時には、もっと立派な駅舎があったそうです。
②サボ
児島~下津井のサボ(行先表示板)です。

児島駅近くを行く列車です。
③児島付近
下津井電鉄は線路の幅がわずか762ミリしかないナローケージでした。

途中の主要駅だった鷲羽山駅に着いた列車です。
④鷲羽山駅到着
訪れたの日が大晦日だったので、お正月に備えて列車の前には、小さなしめ縄が結び付けられていました。

なんとも味わい深い手書きの駅名票がありました。
⑤鷲羽山駅名票

⑥鷲羽山付近1
いずれも鷲羽山付近を行く列車です。
⑦鷲羽山付近2
枯草の中をのどかに走っていましたが、残念なことに写真が退色してしまいました。

鷲羽山の頂上からの眺めです。
⑧山からの眺め
下津井港の向こうに瀬戸内海が緋色がっています。
この時点では、まだ瀬戸大橋は工事中でした。

終点の下津井駅のホームです。
⑨下津井駅ホーム

駅の構内には使われなくなった古い列車が放置されていました。
⑩古い車両クハ5
もっと早く茶屋町まで走っていた時代に訪れたかったなあと思います。

これが下津井駅です。
⑪下津井駅舎
いかにも風格のある終着駅でした。
駅前には丸亀港行の連絡船の時刻表が掲げられています。

⑫車内券
これは廃止前に使われていた切符です。
⑬入場券

そして、これらは、茶屋町までつながっていた頃の乗車券です。
⑭昔の乗車券⑮三ノ宮行と往復券
未使用のものは、私が訪れた時に下津井駅で記念品として売っていたのです。日付がありませんが、3等の表示があるのはおそらく昭和30年代に使われていたものでしょう。

そんな下津井電鉄は、瀬戸大橋が開通した3年後の平成3年に全線廃止されてしまいました。

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  1. 2017/06/18(日) 00:02:51|
  2. 中国(山陰山陽)
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今はなき岡山臨港鉄道

今週は昭和のころに廃止された岡山県のローカル私鉄の第2回目、国鉄宇野線の大元と岡山港間8・1キロを結んでいた岡山臨港鉄道をご紹介します。

岡山臨港鉄道は、沿線工場の物資の輸送を主目的に昭和22年大元~岡山港間が開業し、当初は工場従業員や沿線住民のために全線で旅客輸送も行なっていました。
しかし、昭和48年に、岡南元町(こうなんもとまち)~岡山港間はの旅客輸送廃止し、貨物専用線となったため、私が訪れた昭和56年には旅客輸送は大元~岡南元町間6・6キロの区間になっていました。

これは大元駅で発車を待つ岡南元町行の列車です。この時、すでにかなりくたびれていました。
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全列車同じ区間を走ります。この時点での一日の運転本数は一日13本(平日)でした。

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駅名票とサボ(行先表示板)です。
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わずか5駅、15分で終点の岡南元町に着きました。。
IMG_20170522_0004 (550x394) (2)

列車の反対側はこんな形をしていました。
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元々は二両以上で運転されていた気動車を単行運転できるように改造して、一両に両側に運転台を設置したため、こんな歪な姿になったようです。

これが岡南元町駅です。
IMG_20170522_0007 (550x383)
小さな駅舎に駅員さんが勤務していました。
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周囲は工場や倉庫の並ぶ臨海地帯でした。

これが、岡山臨海鉄道の乗車券です。
IMG_20170522_0009 (280x550) (255x500)IMG_20170522_0008 (261x350)
その後、岡山臨海鉄道は貨物輸送と旅客ともに激減し、私が訪れた日からちょうど3年後の昭和59年末に全線で廃止されてしまいました。

来週は、下津井電鉄をご紹介します。

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  1. 2017/06/11(日) 00:02:10|
  2. 中国(山陰山陽)
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