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田中正恭の汽車旅日記

ここは、紀行作家・田中正恭 (たなかまさやす) が、つれづれなるままに各地の旅や、鉄道に関する話題について綴っています。原則として毎週日曜日に更新しており、時には鉄道以外の話題になることもありますが、ご了承ください。また、2018年10月より「テツドラー田中の乗り鉄日記」としてYahoo!クリエーターズプログラムにもレギュラー投稿していますので、そちらもご覧頂ければ幸いです。なお、内容につきましてのご感想や、執筆や講演、出演などの依頼がありましたら、お気軽にメッセージをお寄せください。なお、写真や文章の無断転載はご遠慮願います。

今はなき池北線(ちほく高原鉄道)

今週は、平成18年に廃止された北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線をご紹介します。

この路線は、根室本線の池田から石北本線の北見を結ぶ140.0キロの長大な路線でした。
国鉄網走線として全通したのは明治44年のこと。
大正元年には網走まで延伸して網走本線となり、札幌から網走への幹線鉄道となりました。
その後、昭和36年に新旭川~北見~網走間が石北本線となり、池田~北見間は、線名を池北(ちほく)線に変更されました。

国鉄末期には廃止対象線区となったものの、JR北海道に継承された後、
平成元年に第三セクターの北海道ちほく高原鉄道として新たなスタートを切ったのです。

しかしながら、元々沿線には大きな町がなく、過疎化がさらに進行して平成18年に廃止、
95年間の歴史に幕を下ろしたのでした。

こちらは昭和49年、国鉄時代の池北線・仙美里(せんびり)~足寄(あしょろ)間を行く急行「池北」です。
①S49足寄仙美里急行
北見と帯広の間を1日1往復走っていました。

そして、同じ区間を走る貨物列車です。
②S49SL
当時は、まだ貨物列車が残っていて、主に木材などを運んでいました。

さて、こちらは平成9年に訪れた時、北見駅に停車するふるさと銀河線の始発列車です。
③北見H9
4両編成なのには驚きましたが、乗客は私を含めて2人だけ。
途中の置戸(おけと)駅で後ろの2両を切り離して、折り返し北見行の通学列車となるのです。

④北見案内板
北見駅の跨線橋にあった案内板です。

こちらは訓子府(くんねっぷ)駅です。
⑤訓子府
この時は、まだ国鉄時代の木造駅舎が残っていましたが、その後、建替えられました。

陸別駅で高校生が乗ってきました。
⑥陸別高校生

こちらは大誉地(およち)駅。
⑦大誉地
古い駅舎が最後まで残っていました。

本別駅です。
⑧本別駅
昔ながらの跨線橋がなんともいえない風情を醸し出していました。

根室本線と合流すると、終点の池田に着きました。
⑨池田

さて、ここからは平成17年です。
⑩H17日ノ出駅
日ノ出駅は三セク化後に建て直されました。

境野駅です。
⑪境野駅
女子高生がひとり、乗ってきました。

車内は大勢の高校生が乗っています。
⑫車内の高校生
でも、この翌年からは列車通学ができなくなったのです。
そんな彼らも、もう30歳前後になっているはずです。

沿線の主要駅だった置戸駅です。
⑬置戸駅
三セク化後の平成8年にこんな立派な駅舎に建替えられましたが、10年後に廃止され、
今は「置戸ぽっぽ絵画館」になっています。

置戸~小利別間は駅間が15.9キロもあり、途中で池北峠を越えます。
けれども、この路線にはトンネルは1カ所もありませんでした。
⑭小利別~置戸間
このように何もない雑木林の中をひたすら走りました。

峠を越えた秘境駅、川上です。
⑮川上
かつては集落があったようですが、周囲には何もありませんでした。

川上~分線間を行く銀河鉄道999ラッピング列車です。
⑯川上~分線
実は、最前部で前を見ているのは私なんです。(撮影KK氏)

陸別駅です。
⑰陸別駅
この駅も三セク化後に建て直し、現在も営業している道の駅とホテルを併設しています。

西一線駅は、屋根のないホームと小さな小屋のような待合室があるだけの駅でした。
⑱西一線

仙美里~足寄間の鉄橋を走る列車です。
⑲仙美里~足寄
昭和49年に蒸気機関車を撮影したのと同じ場所です。

仙美里付近の池田行列車です。
⑳仙美里付近

こちらは高島駅。
㉑高島駅
最後まで国鉄時代の木造駅舎が残っていました。

国鉄池北線時代のきっぷです。
㉒国鉄時代切符

そして、こちらは、ちほく高原鉄道時代のきっぷ。
㉓三セクきっぷ
ほとんどが硬券きっぷでした。

これはJRが管轄する両端の池田駅と北見駅で降りた乗客が、運賃を支払った後にもらう精算済み証明書です。
㉔精算済み証明書
券の左側の絵の部分はプレゼントがもらえる抽選券になっていました。

そんなふるさと銀河線が廃止されて14年も過ぎてしまいました。

陸別駅跡では、春から秋にかけて月に2~4回、「ふるさと銀河線りくべつ鉄道」として気動車の動態保存を行なっており、運転体験もできるそうです。(現在はコロナ禍で休止中)

機会を見つけて、また訪れてみたいと思っています。
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  1. 2020/07/12(日) 00:02:56|
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今はなき名寄本線

今週は平成元年に廃止された北海道の名寄本線をご紹介します。
名寄本線は、宗谷本線の名寄から興部(おこっぺ)、紋別、などをへて石北本線の遠軽を結ぶ138.1キロの本線と、途中、中湧別から湧別までの4.9キロの支線があり、全通したのは大正10年のことでした。
木材などを運ぶ貨物列車や、札幌から直通する急行列車が走る幹線鉄道でしたが、林業の衰退、沿線の過疎化などで利用者が激減し、国鉄末期に第2次廃止対象線区に指定され、国鉄民営化後の兵船元年に79年間の歴史に幕を下ろしたのでした。

こちらは、昭和49年の一ノ橋駅に停車する普通列車と交換する蒸気機関車です。s-①S49一ノ橋

s-②一ノ橋駅名票

一ノ橋~上興部間の天北峠を走る貨物列車です。
s-③一ノ橋上興部
9600形蒸気機関車が重連で牽引していました。

興部駅付近です。
s-④興部付近

s-⑤興部駅名票

こちらは、元紋別付近。
s-⑥元紋別
すべての貨物列車が蒸気機関車牽引でした。

こちらは昭和53年2月沙留(さるる)駅です。
s-⑦S53沙留駅

近くの沙留港では厚く凍結した海の上で、わかさぎ釣りをする人たちがいました。
s-⑧わかさぎ釣り

沙留付近の流氷です。
s-⑨流氷

こちらは名寄本線の中心駅だった紋別駅です。
s-⑩紋別駅
沿線で紋別が唯一の市でした。

そして、これは通別支線の終点の湧別駅です。
s-⑪湧別駅
1日に朝夕2往復しか列車が走らない支線で、夕方の列車で着いたときには、すでに夜になっていました。


この線の駅のスタンプです。
s-⑫上興部Ss-⑬渚滑S
上興部駅にスタンプは峠を越える蒸気機関車が描かれていました。
s-⑭紋別Ss-⑮中湧別S

札幌から興部までの指定席急行券です。
s-⑰指定席券

こちらは無人駅から乗った乗客に、車掌さんが車内で販売していた車内補充券。
s-⑱車内補充権


s-⑯乗車券
有人駅にも券売機はなく、すべて窓口で硬券が発行されていました。

s-⑲入場券
名寄本線が廃止されてから早くも31年、まさか本線までが廃線になるとは、思いもしませんでした。

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  1. 2020/07/05(日) 00:01:41|
  2. 北海道
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今はなき深名線

今週は平成7年に廃止された北海道の深名(しんめい)線をご紹介します。
この線は函館本線の深川から朱鞠内(しゅまりない)を経て宗谷本線の名寄を結ぶ121.8キロの長大なローカル線でした。
厳寒豪雪の過疎地を走る路線で、国鉄の第2次廃止対象地方交通線に指定されましたが、並行する道路が未整備という理由で、国鉄民営化の時点では廃止されず、JR北海道に引き継がれました。
しかし、道路が整備されたことに加え、利用者の減少には歯止めがきかず、民営化から9年後に廃止されたのでした。

これは、昭和52年2月の朱鞠内駅です。
s-①S5202朱鞠内駅
深名線の中枢駅で、私が初めて訪れた時には、深川からの列車と、名寄からの列車はこの駅が終点となって折り返すダイヤでした。これは、冬場に豪雪のためダイヤが乱れた時に対応しやすいようにするためでした。

雪の壁の中を列車は走ります。
s-②車窓

名寄~朱鞠内間の列車は1日4本だけでした。
s-③サボ

昭和60年の2月、湖畔という仮乗降場で降りました。
s-④S6002湖畔
当時、この近くに「朱鞠の宿」という日本で一番寒い宿といわれる民宿に泊まりました。
s-⑤湖畔乗降場
当時29歳の私です。

朱鞠内湖です。深い雪に包まれ、おそらく気温は氷点下20度を下回っていたことでしょう。
s-⑥朱鞠内湖

朱鞠内駅で待機するラッセル車です。
s-⑦ラッセル車
冬はラッセル車がなくては運行できません。

鷹泊駅に停車中の深川行、上り列車です。
s-⑧鷹泊上り列車

やがて、鷹泊に朱鞠内行の下り列車がやって来ました。
s-⑨鷹泊下り列車

s-⑩乗車券深名線の乗車券です。この線には自動券売機設置駅はありませんでした。

s-⑪入場券1
深名線各駅の入場券です。
昭和52年の段階で、まだほとんどの駅が有人駅だったことが驚きです。
s-⑫入場券2





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  1. 2020/06/28(日) 00:00:46|
  2. 北海道
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今はなき神岡鉄道

今週は平成18年の廃止された富山県の猪谷から岐阜県の奥飛騨温泉口(国鉄時代の駅名は神岡)を結んでいた神岡鉄道神岡線をご紹介します。
神岡線は、神岡鉱山の物資輸送と沿線住民の足として昭和41年に開通した比較的新しい路線です。
その後、国鉄末期に第1次廃止対象線区となったものの、昭和59年に三陸鉄道に続く日本で2番目の第三セクターの神岡鉄道として生まれ変わりました。これども、平成13年に鉱山が廃鉱になって急速に経営が悪化し、過疎化により乗客の減少も食い止められずに廃線となってしまったのでした。

これは、平成11年の夏、猪谷駅にやって来た神岡鉄道の列車です。
①H11猪谷

猪谷から終点の奥飛騨温泉口に向かう列車は1日7本でした。
②猪谷ホーム

列車内には、奥飛騨の民家のいろりをイメージした席がありました。
③車内いろり

こんな行先表示板をつけて走っていました。
④サボ

列車は深い山の中、高原川に沿って走ります。
⑤川沿い
こんなに美しい川ですが、鉱山から流された鉱業廃液がイタイタイ病の発生源となり、大きな社会問題となりました。

神岡鉱山駅でタブレットの交換がありました。
⑩神岡鉱山駅タブレット交換
国鉄時代の駅名は神岡口で、三セク化後も貨物列車の拠点駅でした。

神岡大橋駅です。
⑨神岡大橋駅
三セク化された時にできた駅でした。

奥飛騨温泉口駅に着いた列車です。
⑥奥飛騨温泉口到着

この時はまだ、国鉄時代の駅舎が使われていました。
⑦旧駅舎

駅構内にはディーゼル機関車KMDE10形の姿がありました。
⑧KMDE10形
この機関車は、貨物列車の牽引のために、四国からやってきた機関車です。

さて、平成18年2月に再び訪れた時の猪谷駅です。
⑪猪谷H1802

こちらは飛騨神岡駅。
⑫飛騨神岡駅
国鉄時代には飛騨船津駅でした。

雪の積もった神岡大橋~奥飛騨温泉口間を行く列車です。
⑬神岡大橋~温泉口H1802

そして、平成14年に建て直された奥飛騨温泉口駅舎です。
⑭奥飛騨温泉駅舎H18
けれども、新駅舎が再建されてから、わずか4年後に廃駅となったのでした。

雪の中に神岡城が静かに佇んでいました。
⑮神岡城

こちらは昭和53年、国鉄時代の神岡駅です。
⑯神岡駅S53
神岡駅から三セク化後に奥飛騨温泉口駅と駅名が変更になりました。
けれども、温泉までは30キロ以上も離れており、末期には駅から温泉へのバスも廃止されており、名ばかりの駅名でした。

⑰きっぷ⑱きっぷ
国鉄時代の神岡線のきっぷと、三セク化後の記念きっぷです。
神岡鉄道になってからは、すべてワンマン運転で、通常の切符は駅でほとんど発行されませんでした。




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  1. 2020/06/21(日) 00:02:10|
  2. 東海
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幻の国鉄戸井線

戸井線は、大正11年の鉄道敷設法に「渡島国函館ヨリ釜谷二至ル鉄道」として記載され、その後、昭和11年に釜谷の崎の戸井までの路線として計画されました。
これは、時代が戦争へと向かう中、津軽海峡防衛のため、戸井に要塞を構築するという軍の意向で、物資や要員を運ぶ必要に迫られたからでした。昭和12年に着工し18年には29.2キロの計画路線のうち、90%以上が完成した段階で、戦況が悪化して工事が中断。戦後も工事を再開することなく、現在まで放置されているのです。

これは、現在の函館空港の東、新湊付近に残る未成線の築堤です。
s-IMG_0628.jpg
向こう側に津軽海峡が見えています。
s-IMG_0629.jpg

こちらは、汐泊川に残る橋脚です。
s-IMG_0631.jpg
まるで、廃線跡のようですが、ここを列車が走ったことはありません。
s-IMG_0633.jpg

こちらは汐首岬付近に残るアーチ橋で、近代土木遺産に認定されています。
s-IMG_0650.jpg

アーチ橋の上には、汐首岬灯台が見えます。
s-IMG_0653.jpg
ここから対岸にある下北半島の大間崎までは17.5キロしかありません。
戦後になって、大間との間を海底トンネルで結ぶ構想もありましたが、実現しませんでした。

さらにその先、瀬田来付近のトンネルです。
s-IMG_0675.jpg
ここでは、線路が敷設されるはずだった場所まで登ることができました。
s-IMG_0676.jpg

この先、戸井までは2.8キロの区間は建設されることはありませんでした。
s-IMG_0687.jpg

戸井の先、渡島半島の先端に立つ恵山岬灯台です。
s-IMG_0715.jpg
どこまでも青い海が広がっていました。

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  1. 2020/06/14(日) 00:00:27|
  2. 北海道
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月刊『日本橋』に寄稿しました

この度、東京日本橋のタウン誌『月刊日本橋』6月号に寄稿しました。
この雑誌は、発行部数4万部。昭和54年創刊で40年の歴史がある地域情報誌です。
寄稿したのは、その中で永年続いている「粋人有情」というコーナーです。
s-IMG_20200604_0001.jpg
テーマは「上りと下りのお話」。

この挿絵は鉄道のダイヤグラムを制作する「スジ屋さん」をイメージしたもの。
s-ダイヤグラム
江戸時代、日本中の街道が日本橋を起点に全国に広がったように、日本の鉄道も東京駅に向かう列車をすべて上り列車としたことなどについてのコラムを書かせていただきました。

s-青梅線
こんな挿絵を入れてもらって、さすが粋な日本橋のタウン誌です。

テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

  1. 2020/06/07(日) 00:00:07|
  2. 著作/寄稿紹介/出演/講演など
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幻の大間鉄道

今週は、先週ご紹介した青森県下北半島の大畑から本州最先端の大間までの路線として計画されながらも、工事を打ち切り未成線となった大間鉄道の遺構をご紹介します。

大間鉄道は、大正11年の鉄道敷設法に青森県田名部ヨリ大畑ヲ経テ大間二至ル鉄道」と記載された大畑線の未成線です。
大畑までは昭和14年に開業しましたが、その先はほとんど工事が完成していたにもかかわらず、戦争の影響で昭和18年に工事が中断し、そのまま放置されたのでした。

ここには2回足を運びました。最初に訪れたのは平成13年2月のこと。
大畑から北に1キロも行くと、大きな未成線のアーチ橋が現れます。
s-①H132月
この線の工事が行なわれた昭和10年代には、このようなコンクリート製のアーチ橋が多用されました。

こちらは下風呂温泉の集落の背後にあるコンクリート橋群です。
s-②下風呂
この上からの景色は素晴らしいのですが、ここを列車が走ることは一度もありませんでした。

このあたりに下風呂駅ができる予定だったそうです。
s-③下風呂駅予定地

この時は橋の上には手すりもなく、雪が積もっていて、危険な状態でした。
s-④下風呂高架上

これは、下風呂温泉の立ち寄り湯「新湯」です。
s-⑤新湯
素朴な昔ながらの温泉でした。

さて、こちらは平成30年7月に訪れた同じ場所です。
s-⑥H307
17年前に訪れた時と同じ佇まいでしたが、この時は深い緑に包まれていました。
s-⑦緑に包まれて

けれども、戦前のコンクリート製のアーチ橋はかなり腐食が進んでいたようです。
s-⑧腐食が進む

破片の落下に注意するようとの看板がありました。
s-⑨頭上注意

大間に向かう道路沿いに、未成線跡は続いていました。
s-⑩道路沿い

こちらは雁ノ巣沢付近の海沿いに残された橋脚です。
s-⑪雁ノ巣沢付近海沿い橋脚
こんな険しい山と海の間に、戦前に建設したというのは驚きですね。

あたりにいた蝶々です。
s-⑫蝶々
なんという蝶でしょうか?どなたか教えていただけませんか?

廃屋を跨ぐ橋です。
s-⑬廃屋を跨ぐ
単線の線路分の幅しかありません。

さて、こちらは13年前には、工事を中断してから何十年も放置されたままだった下風呂温泉付近です。
s-⑭整備された下風呂温泉駅
平成17年に整備され、温泉を訪れる人のための遊歩道になったのでした。
s-⑮遊歩道
駅の予定地跡にはプラットホームができ、そこには足湯もあったのですが、現在では湯が枯れているそうです。

こちらは、この時に入ったもう一軒の立ち寄り湯「大湯」です。
s-⑰大湯
でも、残念ながら、前に入った新湯も、この大湯も、老朽化のため、近々、閉鎖されるとのことです。

そして、これは下北半島の先端、本州最北端の位置にある大間崎です。
s-⑱大間崎汐首岬まで17てん5キロ
ここから北海道の汐首岬までは17.5キロ。
戦前にここに海底トンネルを掘る計画がありましたが、トンネルは津軽海峡経由となり、計画は立ち消えになりました。
そして、大間を目指した鉄道開通の夢も幻となってしまいました。

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  1. 2020/05/31(日) 00:03:06|
  2. 東北
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大畑線廃線跡と旧大畑駅での復活運転

今週は先週ご紹介した青森県の旧大畑線の廃線跡と、大畑駅での復活運転の様子をご紹介します。
平成13年の廃線から早くも19年が過ぎ去りました。

これからご紹介するのは、一昨年6月に訪れた時のようすです。
これは田名部(たなぶ)駅跡です。
①田名部駅跡
まだ、プラットホームが残っています。

田名部~樺山間に残る鉄橋です。
②田名部付近の鉄橋
今にも列車がやって来そうですね。

けれども、別の鉄橋はこのように寸断されています。
③途切れた鉄橋1

鉄橋の上に残された線路は茶色くさび付いており、もう二度とここを列車が走ることはありません。
④途切れた鉄橋2

樺山付近の線路跡です。
⑤草むら
砂利や枕木の一部が残っているものの、あたりは徐々に自然に帰っています。

これは樺山駅跡です。
⑥樺山駅跡
駅舎が現役時代のままの姿で残っています。

陸奥関根付近です。
⑦陸奥関根付近
この上を列車が走っていました。

そして、こちらは旧大畑駅構内で行なわれている復活運転です。
⑧復活運転1
原則として4月から10月の第3日曜日に保存会の人たちが動態保存をしているのです。
キハ85(旧国鉄キハ22)が、大畑駅構内の500メートルの線路を行ったり来たりしています。

その姿は現役時代と変わることがありませんね。
⑨復活運転2

復活運転の日だけは、車庫の中まで見学できます。
⑩車庫

当日は、このような硬券きっぷを販売しており、このきっぷで何度でも乗ることができるんです。
⑪きっぷ
ボランティアで活動されている保存会の方々には頭が下がります。
いつまでも、走り続けてほしいですね。

※ところが、残念ながらコロナウイルス感染防止の観点から、今年はまだ運転されていません。
1日も早く騒動が終息しますように・・・

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  1. 2020/05/24(日) 00:03:21|
  2. 東北
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今はなき大畑線

今週は平成13年3月に廃止された青森県の下北交通大畑線をご紹介します。

昭和14年に開業した大畑線は、下北半島を走る大湊線の下北駅から分岐し、大畑までの18.0キロを走る本州最北の鉄路でした。
当初は、下北半島先端付近から海底トンネルを掘り、北海道連絡路線となる計画もありました。
けれども、海底の地盤が弱く、津軽半島ルートの方がトンネルを掘りやすいことから、青函トンネルのルートからはずれました。
もしも、ここにトンネルができていたら、この線が廃止されることもなかったでしょう。

私が初めてこの線に乗ったのは、国鉄時代の昭和47年のことでした。
①S47大畑駅 (2)
その時の大畑駅です。

その後、国鉄の財政破綻により第一次特定地方交通線に指定されて、廃止が承認されました。
しかし、この時には、地元のバス会社、下北バスが経営を引き継ぐことになり、昭和60年に下北交通大畑線として再出発をしました。

これは、その2年後の昭和63年に訪れた時の下北駅です。
③下北ホーム
下北交通の列車(左)とJR大湊線の列車が並んでいます。

その当時の下北駅の木造駅舎です。
②下北駅舎
下北駅は今も大湊線の駅として存在しますが、駅舎は、大畑の廃止後、平成21年に落成した新駅舎に建替えられています。

列車に取り付けられていたサボ(行先表示板)です。
④サボs-IMG_20200415_0006
大畑線の運行パターンは下北と大畑を往復するだけ列車しかありませんでした。

大畑駅付近を走る列車です。
⑤大畑駅構内列車

そして、これが、下北交通時代の大畑駅です。
⑦H13大畑駅
列車も駅舎も、そして下北交通タクシーも、赤と淡い白の同じ色で統一されていました。
⑥大畑駅名票

こちらは、平成13年、最後の冬の下北駅です。
⑧H13下北駅冬

そして、こちらは主要駅の田名部(たなぶ)です。
⑨H13田名部駅_0001
大畑線の途中駅で、唯一の有人駅でした。

田名部~樺山間の雪原を走る列車です。
⑩田名部~樺山

これは樺山(樺山)駅です。
⑪樺山駅
山の中にある無人駅で、平成7年の12月からは、冬期間は全列車が通過していました。

陸奥関根~川代間を走ります。
⑫陸奥関根~川代

同じく区間の太平洋が見える場所です。
⑬陸奥関根~川代海際
沿線で海が見えるのはこの場所だけでした。

陸奥関根駅付近を行く列車です。
⑭陸奥関根

そして、こちらは終着駅の大畑です。
⑮大畑駅
本州最北の最果ての駅でした。

大畑線の国鉄時代(左)と下北交通時代のきっぷです。
⑯きっぷ⑰きっぷ
廃線から、もう19年が過ぎてしまいました。

来週は、大畑線の廃線跡と、大畑駅での復活運転の様子をご紹介します。

来週

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  1. 2020/05/17(日) 00:02:06|
  2. 東北
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今はなき名鉄揖斐線と谷汲線の赤い電車たち

今週は、先週に引き続き、岐阜県の名鉄の廃止線、揖斐線と谷汲線をご紹介します。

これは、昭和57年の黒野駅です。
①S57黒野駅
この駅で揖斐線から谷汲線が分岐していました。

各方面への行先案内です。
②黒野行先案内
谷汲線系統には急行電車も運転されていました。

こちらは、平成13年、廃線間際の黒野駅です。
③黒野駅H13
一部、新型の白い電車も走っていました。

昭和57年、揖斐線の終点の本揖斐駅です。
④本揖斐S57

その19年後、平成13年に訪れた時も、その佇まいは変わることはありませんでした。
⑤本揖斐H13

本揖斐駅舎です。
⑥本揖斐駅舎H13
なんともお洒落な洋風建築でしたが、今は跡形も残されていません。

本揖斐駅の最後の夏、紫陽花が綺麗でした。
⑦H13本揖斐あじさい

一方、こちらは昭和57年の谷汲駅です。
⑧S57谷汲駅ホーム

この当時、古風な木造駅舎がありました。
⑨S57谷汲駅舎

こちらは平成13年の谷汲駅です。
⑩H13谷汲駅

谷汲~長瀬間を走る電車です。
⑪H13長瀬~谷汲

車内は、なんとものどかな雰囲気でした。
⑫谷汲線車内
空調がなく、窓が開けっ放しだったので、この時、オニヤンマが車内に入ってきたことを覚えています。

こちらは、廃線後に訪れた旧谷汲駅です。
⑬旧谷汲駅
平成8年に木造駅舎から新駅舎に建て替えられたのですが、その5年後に廃止されてしまったのでした。

これは現在の谷汲駅の跡地です。
⑭旧谷汲駅ホーム
廃線になった当時と変わらぬ姿で、駅が残され、2台の電車がホームに留置されています。

けれども、錆びた線路の上を電車が走る日は二度とやって来ません。
⑮錆びた線路
廃線から早くも19年、時の過ぎるのは早いものです。

かつて、使われていた硬券きっぷです。
⑯きっぷ
最後は、本揖斐駅も谷汲駅も、無人駅になっていました。

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  1. 2020/05/10(日) 00:02:57|
  2. 東海
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今はなき名鉄岐阜市内線と美濃町線の赤い電車たち

今週から2回にわたって、かつて岐阜市内と郊外に向けて走り、段階的に廃止された名古屋鉄道の赤い電車たちをご紹介します。
まずは岐阜市内線です。昭和57年には、国鉄岐阜駅前から徹明町を経て長良北町までと、忠節までの路線がありました。

これは、昭和57年9月の長良北町付近を行く電車です。
③長良北町
長良北町~徹明町間は、昭和63年に廃止されました。

①S57徹明町
そして、こちらは岐阜市の繁華街、柳ヶ瀬に近い徹明町付近です。
IMG_20200401_0008.jpg

これは、平成13年の新岐阜駅前に並ぶ赤い電車たちです。
⑧H13新岐阜駅前
この町に赤い電車はよく似合いました。

一方、こちらは、新岐阜駅で発車を待つ美濃町線方面への電車です。
④新岐阜
新岐阜から各務ヶ原線、田神から田神線を走り、競輪場前から美濃町線に乗り入れていました。

美濃町線の主要駅、新関に停車中の上下線の電車です。
⑤新関
当時、この駅までは本数が多かったのでうsが、平成17年に廃止されました。

そして、こちらは美濃町線の終着駅、美濃駅です。
⑥美濃駅
新関~美濃間は一足早く、平成11年に廃止されています。
⑦美濃駅名票

現在、美濃駅は往年の姿のまま保存されています。
⑨美濃駅

その先の線路はないけれど、何台かの電車が昔の姿のまま、静かに佇んでいます。
⑩美濃町駅現在
美濃駅跡は、長良川鉄道の美濃市駅から歩いて5分ほどの場所にあります。

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  1. 2020/05/03(日) 00:03:46|
  2. 東海
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今はなき十和田観光電鉄

今週は、平成24年3月末で廃止された青森県の十和田観光電鉄をご紹介します。
この路線は大正11年に東北本線(現青い森鉄道)に接続する三本木(三沢)~古間木(十和田市)間に開業。
当初のキロ数は14.9キロでしたが、何度か駅を移設したため、最終的には14.7キロでした。

これは昭和53年の十和田市駅です。
s-②S56十和田市駅舎
駅前に放置自転車がたくさんありますが、それだけ利用者が多かったということでしょう。

十和田市駅に停車中の自社製2400系電車です。
s-①S56十和田市ホーム
いわゆる吊りかけ式と呼ばれる「うなる電車」でした。
s-③H13サボ

こちらは三沢駅です。
s-④H13三沢市駅
平成13年に訪れた時にも、まだ旧型電車が健在でした。

これは、平成24年、廃止間際の三沢駅です。
s-⑤H24三沢駅舎

そして三沢駅の改札口です。
s-⑥H24三沢駅改札
この趣のある佇まいはいつ訪れても変わることはありませんでした。

三沢~大曲間を行く電車です。
最後の冬、雪の中を走っていました。
s-⑧雪の中
最後は、東急からの譲渡車の7700系電車でした。

とても寒い日でした。
s-⑨つらら
まるで、氷柱が鍾乳石のようでした。

途中の七百(しちひゃく)駅です。
s-⑩七百駅舎

運賃表はひらがなで書かれていました。
s-⑪運賃表

七百駅に入線する三沢行の電車です。
s-⑦三沢~大曲間

この駅の構内には車庫があり、使われなくなった古い電車や貨車が留置されていました。
s-⑬七百車庫

七百~柳沢間の雪原を行く電車です。
s-⑫七百~柳沢間

こんな名前の駅もありました。
s-⑭古里駅名票

こちらは終点の十和田市駅です。
s-⑮十和田市駅
昭和60年から平成19年までは「とうてつ駅ビル」と一体になっていましたが、最後は駅ビルのショッピングセンターは閉鎖されていました。

有人駅は三沢と十和田市だけでしたが、きっぷは最後まで硬券が使われていました。
s-⑯きっぷ
上にあるのは車掌さんが乗務していた頃の車内乗車券で、車掌さんの名前のスタンプが押してあります。

この鉄路が地図から消えてから早くも8年、線路跡は自然に帰ろうとしているかもしれません。

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  1. 2020/04/26(日) 00:02:04|
  2. 東北
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今はなき長野電鉄木島線

今週は平成14年3月末に廃止された長野電鉄木島線、
正確には河東線信州中野~木島間をご紹介します。

この路線は前身の河東鉄道として大正14年に開業した歴史ある路線でした。
その翌年には長野電気鉄道に名を変えています。

これは、昭和58年、木島線が発着していた信州中野駅です。
s-IMG_20200314_0001.jpg
長野~湯田中間に現存する駅ですが、この木造駅舎は建て替えられています。

同じく昭和58年の木島駅です。
s-IMG_20200315_0002.jpg
この時代には、まだ駅員さんが勤務し、硬券きっぷを販売していました。
s-IMG_20200315_0019.jpg

ここからは廃止を1ヶ月後に控えた平成14年2月の木島線です。
s-IMG_20200315_0005.jpg

まだ、雪が残る木島駅に停車中の電車です。
s-IMG_20200315_0004.jpg
最後は元東京の営団地下鉄日比谷線の3000系電車が使われていました。

なんとも趣のある木造駅舎です。
s-IMG_20200315_0007.jpg
廃止後も長らくバスの待合所として利用されていましたが、現在は解体されて跡形もないそうです。
s-IMG_20200315_0008.jpg
木のにおいがするような駅舎でした。
s-IMG_20200315_0009.jpg

こちらは途中駅の四ヶ郷(しかごう)です。
s-IMG_20200315_0010.jpg
ホームに桜の古木がありましたが、この年、花が咲く頃にはもう電車がやって来ることはありませんでした。

こちらは柳沢駅です。
s-IMG_20200315_0013.jpg
島式のホームの上に駅舎があり、列車交換のできる駅でした。

柳沢付近を行く、木島行の電車です。
s-IMG_20200315_0016.jpg
柳沢駅に掲示されていた運賃表です。
s-IMG_20200315_0017.jpg
この表にある須坂~屋代間の屋代線も、それから10年後に廃止されてしまいました。

そして、こちらは中野北駅です。
s-IMG_20200315_0018.jpg
いずれの駅も、歴史の彼方へと消えて行ってしまいました。

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  1. 2020/04/19(日) 00:01:02|
  2. 甲信越
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今はなき清水港線

今週は、昭和59年に廃止された静岡県の国鉄清水港線と今の三保駅の様子をご紹介します。
清水港線は、大正5年に一部区間が貨物専用線として開業、終戦1年前の昭和19年7月に清水~三保間8.3キロの路線となり、、同時に旅客営業を始めました。

昭和28年の時刻表を見ると、1日7往復の列車が運転されています。
IMG_3981.jpg
これらの列車はすべて客車と貨車を併結する混合列車でした。

しかし、徐々に運転本数が少なくなり、昭和47年にはそれまで2往復が、廃止されるまでの11年あまりの間、朝の下り列車と夕方の上り列車の1往復だけになってしまいました。

さて、これは昭和48年の三保駅です。
①S48三保駅
当時のローカル線の典型的な木造駅舎でした。
②三保駅名票

そして、ここからは昭和59年3月、廃線間際の清水港線の様子です。
③S58清水駅
清水駅の清水港線の乗り場は、東海道本線のホームの端からやや離れた場所にありました。

④案内板
三保行の列車は朝8時10分発の1本だけです。

⑤清水駅名票

寒い朝でした。サボ(行先表示板)や列車の車体に水滴がついていました。
⑥サボ

こちらは次の清水埠頭駅に停車中の列車です。
⑦清水埠頭ホーム

⑧清水埠頭駅名票

こちらは巴川口(ともえかわぐち)駅です。
⑨巴川口駅舎

線路の向こうに、清水埠頭と巴川口の間の巴川に架かっていた可動橋がみえます。
⑩巴川可動橋
⑪巴川口駅名票

⑫ホーム1
最後まで客車とタンク車の混合列車でした。
⑬ホーム2

折戸駅では、大勢の高校生が下車しました。
⑭折戸駅名標
この駅の近くにある高校の生徒たちの通学時間に合わせて列車が走っていたのです。

終着駅の三保に着きました。
⑮ホーム客車
混合列車の客車とタンク車がホームに停車しています。
⑯ホームタンク車
この時、なぜ、機関車の写真を撮らなかったのだろうと思います。
おそらく、長大編成だったので、ホームから機関車が外れて見えなかったのだろうと思います。
⑰三保駅名票

列車は1日たった1本だけ。接続する「急行東海」の名前も懐かしいですね。
⑱時刻表
並行して路線バスが頻繁に運転されているので特に問題はありませんでした。
ただ、バスより国鉄の方が運賃が大幅に安かったので、高校生たちが通学に利用していたのでしょう。

三保駅舎は、その11年前に訪れた時と変わっていませんでした。
⑲三保駅舎

昭和48年と59年の清水港線三保駅発行ののきっぷです。
⑳きっぷ
1日1往復でも、三保駅では駅員が勤務し、きっぷを売っていました。

そして、これが現在の三保駅の跡地です。
㉑廃駅跡
跡地は三保ふれあい広場という公園になっており、かつてこの線で活躍したDB15入替用機関車と、タンク車タキ84が静かに佇んでいました。
㉒DB10とタキ84
そして、二度と列車がやって来ないホームが、そのまま残されていました。
㉓ホームと木

そんな駅跡で、かつての清水港線を思い出しながら、地酒「清水港次郎長」をしみじみと呑んだのでした。
㉔清水港次郎長


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  1. 2020/04/12(日) 00:00:14|
  2. 東海
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ありし日の小田急向ヶ丘遊園モノレール

今週は今は廃止されてしまった小田急向ヶ丘遊園モノレールのありし日の様子をご紹介します。
このモノレールは向ヶ丘遊園を訪れる人の足として、それまでの豆汽車に代わり、昭和41年に開業しました。

昭和59年の小田急向ヶ丘遊園駅です。
s-IMG_20200202_0007.jpg
モノレールはこの駅から、向ヶ丘遊園正門前までの1.1キロを結んでいました。
s-IMG_20200202_0008.jpg
ちょっと無骨な顔のモノレールは日本ロッキードモノレールという会社が製造したものでした。
s-IMG_20200202_0001.jpg
軌道がかなり錆びていて、この時点でもかなり老朽化していることがわかります。

この後ろ姿の少年たちも、今は40代後半になっていることでしょう。
s-IMG_20200202_0004.jpg

これが向ヶ丘遊園正門駅です。
s-IMG_20200202_0002.jpg

そして、これが当時の乗車券です。
s-IMG_20200202_0009.jpg
往復でおとな160円と、路線バスより割安でした。

けれども、このモノレールは、徐々に利用者が減少したことに加え、製造元が解散し、老朽化した車両を更新できなくなったため、平成12年に運転を休止し、翌年に正式に廃止されてしまいました。

そして、向ヶ丘遊園自体もその翌年には閉園されてしまったのでした。

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  1. 2020/04/05(日) 00:01:40|
  2. 関東
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わずか5年で旅客営業が廃止された鹿島臨港線

茨城県にある鹿島臨海鉄道の鹿島臨港線は鹿島臨海工業地帯の貨物輸送を目的に昭和45年に開通した路線です。
現在も貨物列車が走っていますが、昭和53年から5年間だけ旅客列車が走っていたことがありました。
といっても、一日わずか3往復だけ、利用者は一日に数人だけという不思議な路線でした。

走行区間は国鉄鹿島線の鹿島神宮から発車し、当時貨物専用駅だった北鹿島駅(現鹿島サッカースタジアム前)でスイッチバックして臨港線に乗り入れ、鹿島港南までの15.4キロを結んでいました。

これは鹿島神宮駅で発車を待つ列車です。
s-IMG_20200223_0013.jpg
鹿島線のホームを間借りしている感じでした。

唯一の途中駅は神栖です。
s-IMG_20200223_0014.jpg
今も貨物駅として現存しますが、当時は、利用者はほとんどいなかったそうです。

そして、終着駅の鹿島港南駅です。
s-IMG_20200223_0015.jpg
簡素な屋根とベンチがあっただけの無人駅でした。
しかも、周囲に人家はなく、広大な空き地の中にポツンとある不思議な駅でした。
旅客列車はこの駅が終点でしたが、その先の奥野谷浜駅という貨物駅まで続いており、現在も貨物列車が運行されています。
今では鹿島港南駅の痕跡は何も残っていないそうです。

これは、その車内で車掌さんから買った乗車券です。
s-IMG_20200223_0011.jpg
鹿島神宮で鹿島線に乗り継いで、近郊の国鉄の駅名が印刷されています。

こちらは、鹿島神宮駅で買った硬券乗車券です。
s-IMG_20200223_0012 (2)
北鹿島は貨物駅であっても国鉄なので、国鉄線と鹿島臨海鉄道の両方の運賃が加算されています。

この線の旅客輸送は、昭和53年に開港した成田空港の燃料輸送の地元への見返りとして行われたものだったのです。
でも、駅の近くは空き地が広がるばかりで、乗る人がほとんどいなかったわけですから、あまり意味がなかったと思います。

なお、鹿島臨海鉄道は、臨海線の旅客営業廃止後の昭和60年に、大洗鹿島線でふたたび旅客駅業を始めました。これは国鉄鹿島線として計画されていた北鹿島~水戸間の旅客輸送を行うことになったものです。

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  1. 2020/03/29(日) 00:01:35|
  2. 関東
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ありし日の北陸鉄道小松線

今週は、いまはなき、石川県の北陸鉄道小松線をご紹介します。
小松線は昭和4年に白山電気鉄道として開通。その後、小松電気鉄道を経て、北陸鉄道小松線となり、北陸本線と接続する小松駅から鵜川遊泉寺駅までの5.9キロを結んでいました。
しかし、利用者の減少により、昭和61年に57年の歴史に幕を下ろしたのでした。

これは昭和56年、小松駅に古風な電車が停車しています。
s-IMG_20200223_0001.jpg

途中唯一の交換駅だった加賀八幡で、反対列車とすれ違いました。
s-IMG_20200223_0003.jpg

終点の鵜川遊泉寺駅です。
s-IMG_20200223_0004.jpg

39年前の私が写っています。
s-IMG_20200223_0005.jpg
手書きの平仮名だけの駅名標がなんともいえない味わい深さです。

電車の向こうに木造駅舎が見えていますが、この時、すでに無人駅でした。
s-IMG_20200223_0006.jpg

草むらの中に車止めがありました。
s-IMG_20200223_0007.jpg

これは、車内で車掌さんが発券していた乗車券です。
s-IMG_20200223_0009.jpg
小松駅以外はすべて無人駅でした。
s-IMG_20200223_0010.jpg

こちらは、小松線の廃線跡に残る小さな鉄橋です。
s-IMG_20200223_0008.jpg
ここを訪れたのは平成14年でしたから、今はどうなっているかはわかりません。

小松線が日本地図から消えて、34年の月日が過ぎてしまいました。

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  1. 2020/03/22(日) 00:01:30|
  2. 北陸
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ありし日の箱根駒ヶ岳ケーブルカー

今週は昭和32年に開業し、平成17年に廃止された神奈川県の駒ヶ岳ケーブルカーをご紹介します。
このケーブルカーは、箱根の芦ノ湖畔にあった駒ヶ岳登り口から、駒ヶ岳頂上までの0.7キロ、標高差282メートルを登る伊豆箱根鉄道が運営するケーブルカーでした。

これは昭和59年の雪晴れの日のケーブルカーです。
s-IMG_20200202_0007_202002022140003bb.jpg
「湯ノ花」「駒ヶ岳」と名付けられた2両が、交互に運行されていました。
s-IMG_20200202_0008_202002022140028b7.jpg
s-IMG_20200202_0009_202002022140035cf.jpg

駒ヶ岳頂上から眺めた芦ノ湖です。
s-IMG_20200202_0012.jpg

そして、富士山も間近に見ることができました。
s-IMG_20200202_0013.jpg

s-IMG_20200202_0001_202002022140289dc.jpg

けれども、利用者の減少により、その47年間の歴史に幕を下ろしたのでした。

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  1. 2020/03/15(日) 00:03:48|
  2. 関東
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4月から1年間、神戸新聞にコラム連載

来たる4月1日から、神戸新聞朝刊3面に、1年間にわたって、『ひょうご駅散歩』と題するコラムを連載することになりました。
s-IMG_20200226_0003.jpg
これは、新聞社が発行する「切り抜き帳です
1年間、休刊日を除く354回分のコラムを切り抜いて貼付できるようになっています。

2月21日の朝刊に紹介記事が載りました。
s-IMG_20200226_0001.jpg

内容は、兵庫県内の約400ある駅のうちの大部分の駅を写真と共に紹介する記事です。
中には今と昔の2回に渡って書く駅や、すでに廃止された駅も含まれます。

こちらは、最初に紹介する神戸駅。
s-神戸

そして、国鉄時代の私の故郷の駅、摂津本山です。
s-摂津本山S51

古い駅舎が残る神戸電鉄の三木上の丸駅や、
s-IMG_0080.jpg

北条鉄道播磨下里駅、
s-IMG_8500.jpg

そして、播但線の鶴居駅です。
s-鶴居

JRだけでなく、私鉄、地下鉄、第三セクターや、ケーブルカー、ロープウエイに至るまで、兵庫県内全域の駅を1年間に渡ってご紹介します。

兵庫県内にお住まいの方や、兵庫県に行かれる機会のある方は、是非、4月1日から来年3月31日までの神戸新聞第3面をご覧いただければ、幸いです。
また、県外の方も、ネット上で読んででいただけるようになる予定のほか、もし、評判がよければ、連載終了後に単行本になる可能性もあるとのことでした。

以上、よろしくお願い致します。

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  1. 2020/03/08(日) 00:01:42|
  2. 著作/寄稿紹介/出演/講演など
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山陰西海岸を行く「○○のはなし」

今週は、新下関~東萩間を走る観光列車「○○のはなし」をご紹介します。
この、へんな名前の列車は、山口県の山陰本線の西端の絶景区間を走る観光列車です。
「はなし」とは「萩」と「長門」と「下関」を結ぶという意味だそうです。

新下関駅で発車前の○○のはなし号です。
①新下関
列車は、新下関で新幹線からの乗り換え客を乗せた後、下関まで山陽本線を走ります。

下関といえば、やはり「ふくのひれ酒」ですね。
②ふくのひれ酒
こちらでは、「ふぐ」のことを「ふく」と言います。

下関では、歓迎の横断幕が出ていました。
③下関歓迎幕
下関で進行方向を変えた列車は、幡生から山陰本線に入ります。

車内はかのような開放的な雰囲気で、すべての席が日本海の方を向いています。
④車内の様子

3日前までに予約すると、車内で地元の食材を使った豪華なお弁当を食べることができます。
⑤弁当

海沿いの絶景区間では、列車は停車するので、ゆっくりと風景を楽しむことができます。
⑥日本海

これは海沿いを行く○○のはなし号です。
⑦s-画像1
(ポスターの写真をお借りしました。)

人丸駅です。
⑧人丸
各停車駅には、こんな観光案内板が立っていました。

長門古市では運転停車。単線なので、反対列車が来るのを待ちます。
⑨長門古市
抜けるような青空でした。

長門市駅に停車中の列車です。この列車は、前と後ろで色が異なります。
⑩長門市停車中
ここは美祢線と仙崎支線の乗り換え駅です。
帰りの○○のはなし号は、仙崎にも立ち寄ります。

長門市駅から乗り込んだ萩市観光局会の方が、社内でクイズ大会を始めました。
⑪クイズ大会
なんと、私が1等賞!
⑫景品
いただいた萩焼のお猪口で、早速、地酒「東洋美人」で呑み鉄です。

波静かな萩の海が見えてきました。
⑬萩の海

萩駅です。
⑭萩駅
ここでも地元の方が横断幕で歓迎してくれました。

萩を出ると、次は終着駅の東萩。
⑮東萩
○○のはなし号と、普通列車が並んでいました。

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  1. 2020/03/01(日) 00:02:00|
  2. 中国(山陰山陽)
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小野田線の旅

今週は山口県の小野田線をご紹介します。
小野田線は、山陽本線の小野田から宇部線の居能を結ぶ11.6キロのローカル線で、
途中、雀田から長門本山までの2.3キロの支線があります。

小野田駅で発車を待つ早朝の列車です。
①小野田駅

②小野田港駅名票

雀田駅で本山支線に乗り換えます。
③雀田本山線電車

長門本山まで行く列車は、朝2往復、夕方1往復のあわせて3本しかありません。
④雀田案内板

本山支線、ただ1つの途中駅、浜河内です。
⑤浜河内駅

浜河内~長門本山間を走る列車です。
⑥浜河内~本山

終点の長門本山駅です。
乗客は鉄道ファンのほかは、ほとんどいません。
⑦長門本山駅
雀田から2駅、わずか5分の短い旅でした。

長門本山から雀田駅に戻って来た列車は、そのまま小野田線の本線を走り、宇部新川まで行きます。
⑧雀田駅ホーム


途中、妻崎で途中下車しました。
⑨妻崎ホーム

昔ながらの木造駅舎が残っていました。
⑩妻崎駅

「まもなく列車がきます」の案内板は国鉄時代からのものでしょう。
⑪妻崎案内板

妻崎駅の引込線の車止めに哀愁が漂います。
⑫妻崎車止

小野田線の終点の居能駅です。
⑬居能駅
でも、列車は宇部線に乗り入れて宇部新川方面に向かいます。
⑭居能駅ホーム

こちらは昭和55年の雀田駅です。
⑮雀田S55

そして、こちらは同じ時の長門本山駅。
やって来る列車は変わっても、駅の佇まいは当時とあまり変わりません。
⑯本山S55
ただ、あの頃は、駅の脇に小さな小屋があって、そこにいたおばあさんが、乗車券を委託販売をしていて、
1日に12本の列車がや運転されていたのです。

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  1. 2020/02/23(日) 00:02:54|
  2. 中国(山陰山陽)
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『テツドラー田中の乗り鉄日記』第100作目を公開!

私が2018年10月から公開を開始しました動画サイト「Yahoo!クリエイターズプログラム」『テツドラー田中の乗り鉄日記』に、さる2月13日に第100作目を公開しました。

その間、延べ再生回数が9000万回を越え、多くの方々に視聴して頂きましたことを御礼申し上げます。

記念すべき第1作目は2018年10月21日に公開した岐阜県の明知鉄道でした。
s-1回目阿木~飯羽間◎(明知鉄道)

そして、第10作目は三重県のJR名松線
s-10回目名松線

第20作目は東京都電、
s-20回目飛鳥山~王子駅前 (2)

第30作目は北海道のSL冬の湿原号、
s-30回目塘路停車中

第40作目は千葉県のいすみ鉄道、
s-40回目新田野付近菜の花

第50作目は、開通して間もないJRおおさか東線、
s-50回目おおさかひがし線

第60作目は高知~窪川間の特急あしずり、
s-60回目あしずり

第70作目は鹿児島中央~宮崎間の特急きりしま、
s-70回目きりしま

第80作目は和歌山電鐵、
s-80回目和歌山電鐵

第90作目は三重県の三岐鉄道三岐線、
s-90回目三岐線

そして、第100作目は山形県のJR陸羽西線でした。
s-100回目陸羽西線

また、2作目と33作目には、廃線間際の北海道のJR夕張支線をご紹介しました。
s-IMG_1142 (2)

Yahooさんからのご依頼により、この動画サイトを始めてから100作を通じて全国47のうち、40の都道府県を取材しました。
なるべく早いうちに47都道府県をすべてご紹介したいと思っております。

なお、『テツドラー田中の乗り鉄日記』のページは以下のURL、または、「テツドラー田中」と検索して頂ければ、全作品ご覧になることができます。
https://creators.yahoo.co.jp/tetsudoratanaka

これからも、200作目、300作目を目指して頑張っていこうと思っていますので、引き続きよろしくお願い致します。

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  1. 2020/02/16(日) 00:01:08|
  2. 著作/寄稿紹介/出演/講演など
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美祢線の旅

山口県シリーズ第7回目は、JR美祢(みね)線をご紹介します。
美祢線は、山陽本線の厚狭(あさ)駅から山陰本線の長門市駅を結ぶ46キロの路線です。
昭和56年に国鉄が路線を幹線と地方交通線に分類したとき、この線は幹線扱いとなり、JRに移管してから現在もも踏襲されています。
それは、石灰石を運ぶ貨物列車が数多く運転されていたからで、山陰と九州を結ぶ急行列車も運転されていました。
けれども、平成21年に貨物列車は廃止され、旅客輸送も年々利用者が減少して、実質上は完全なローカル線となりました。

厚狭駅に停車中の美祢線の列車です。
①厚狭駅
とても、幹線とは思えないたった一両の列車です。

湯ノ峠(ゆのとう)駅に人の姿はありませんでした。
②湯ノ峠

列車は厚保(あつ)付近の厚狭川に沿って走ります。
③厚保付近の厚狭川

四郎ヶ原駅付近を行く長門市行下り列車です。
④四郎ヶ原長門市行

四郎ヶ原駅には大きなビャクシンの木がありました。
⑥-四郎ヶ原駅ビャクシンの木
今は静かな無人駅ですが、きっと、この大木は、長大編成の貨物列車が行き来し、多くの乗客で賑わっていたころからこの駅を見続けていたのでしょう。
⑤四郎ヶ原厚狭行
厚狭行の列車が長いホームに入線しても、人の姿はありません。

南大嶺駅です。
⑦南大嶺駅
かつて、この駅から大嶺炭鉱があった大嶺までの2.8キロの支線がありました。
でも、炭鉱の閉鎖に伴う過疎化により、平成9年に廃止されました。

こちらは、廃線間際の大嶺駅です。
⑧大嶺駅H9

さて、こちらはこの線の中心駅の美祢駅です。
⑨美祢駅
この駅から秋芳洞までバスが発着していますが、本数は多くありません。

美祢駅の北側にあったタキ1000形という炭酸ナトリウムなどを運んでいたタンク車です。
⑩美祢貨車
廃車後、長らくこの場所に放置されていましたが、今はその姿を見ることはできません。

こちらは重安駅です。
⑪重安
広大な駅構内に石灰石の積み込み施設があり、かつては長大な貨物列車が発着していたものですが、
今では利用者もほとんどなく、ひっそりと静まりかえっています。

於福駅です。
⑫於福駅
於福で上下列車の交換がありました。
⑬於福交換

美祢線の車内に利用証明書がありました。
⑭利用証明書
これを持って行くと、沿線の博物館や秋芳洞などの入場料が割引になります。

こちらが長門湯本駅です。
⑮長門湯本駅
近くに長門湯本温泉があり、かつては湯治客などで賑わったそうです。

終点の長門市に着きました。
⑯長門市
山陰本線はお乗り換えです。一部の列車はそのまま青海島の玄関口にある仙崎駅まで直通します。

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  1. 2020/02/09(日) 00:02:21|
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錦川鉄道「とことこトレイン」

今週は、旧国鉄岩日北線の未成線上を走る「とことこトレイン」をご紹介します。
錦川鉄道の終着駅、錦町から先、島根県にある山口線の日原駅までを陽陰連絡線のひとつとして建設が進められていました。
県境を越え、途中にある島根県の六日町まで路盤が完成した段階で、国鉄の財政破綻により建設は中止され、そのまま計画が頓挫して未成線となってしまったのです。

完成していた路盤を活用して、その上を走るのが、「とことこトレイン」という遊覧車です。
錦町と雙津峡(そうつきょう)温泉間の6キロを40分かけてゆっくりと走ります。

こちらは、錦町駅近くの「とことこトレイン」の乗り場です。
s-㉜とことこトレイン
春から秋にかけて週末を中心に1日3~4往復運転されており、
現在の車両は平成17年に愛知県で行なわれた愛地球博で活躍した電気自動車「グローバルトラム」です。

錦町を発車すると、全長1796メートルの広瀬トンネルに入ります。
このトンネルは「きらら夢トンネル」と名付けられています。
s-㉝きらら夢トンネル
トンネル内は6色の光る石を使った壁画が描かれており、その途中で停車するので、車外に出てゆっくりと見物することができます。
s-㉞夢トンネル
子供達が、喜んで光の絵を眺めていました。
s-㉟夢トンネル

トンネルを出て、未成線の高架橋上を走るとことこトレインです。
s-㉟高架線上

吊り橋の横を通りました。
s-㊱吊り橋から

終点の雙津峡温泉駅です。
s-㊲雙津峡温泉駅

その先にも未成線のトンネルが続いていましたが、とことこトレインはここが終点です。
s-㊳その先のトンネル

到着時間に会わせ、雙津峡温泉の日帰り入浴施設から無料バスが迎えに来ています。
s-㊴雙津峡温泉

この地に走る列車に乗ってみたかったものです。
でも、そんな日は永遠にやってこないでしょう。

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  1. 2020/02/02(日) 00:02:32|
  2. 中国(山陰山陽)
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『哀愁の終着駅、今昔』講演/第2回小学館神保町アカデミー

さる1月20日に、小学館神保町アカデミーで第2回目となる講演会を行いました。
①ポスター
テーマは『哀愁の終着駅、今昔』。
②
11月に行なった前回に続いてお越しいただいたことも多く、皆さん、熱心に私の話に耳を傾けていただきました。
③
ご依頼があれば、また実施したいと思っております。


ご出席いただいた皆さん、ありがとうございました。
  1. 2020/01/26(日) 00:03:26|
  2. 著作/寄稿紹介/出演/講演など
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錦川鉄道清流線の旅②

今週は、先週に引き続き、錦川鉄道の旅。
この線で唯一の交換駅、北河内(きたごうち)駅で上り列車とすれ違いました。
s-⑳北河内交換
この車両は、栃木県のJR烏山線から平成29年にやって来たキハ40形でした。

左手の車窓に見える「かじかの滝」です。
s-㉑かじかの滝
ここを通過する時、観光客の利用が多い時間帯は徐行運転を行ないます。

清流線の名の通り、錦川の清流に沿って走ります。
s-㉓2夏の清流
これは夏に清流、沈下橋が見えています。

そして、こちらは秋の清流です。
s-㉓紅葉の清流

根笠駅付近の清流に沿って列車は走ります。
s-㉔根笠付近

これは、根笠駅に着いた上り列車です。
s-㉕根笠駅

根笠の駅前旅館「山清旅館」です。
s-㉖駅前旅館
この山峡の一軒宿に荷を解きました。

宿の窓から見える朝の列車です。
s-㉗二両編成
通学時間帯のため、二両編成で、駅前旅館の高校生の娘さんもこの列車に乗って学校に向かいました。

柳瀬~錦町間の鉄橋を渡る列車です。
s-㉘2

鉄橋の下を流れる錦川には、錦鯉が泳いでいました。
s-IMG_0642.jpg

この鉄橋を渡ると、終点の錦町駅はもうすぐです。
s-㉘柳瀬~錦町

こちらが錦町駅です。
s-㉛錦町駅

錦町の地酒は「金雀」でした。
s-㉚錦町呑み鉄

錦町駅は終着駅、この先に続く線路はありません。
s-㉙錦町車止め
でも、かつては、その先、島根県の日原まで線路を伸ばす計画で、工事が続いていました。
路盤工事はほぼ完成して、あとは線路を敷設するだけの段階で頓挫し、放置された未成線が残されています。
来週は、その未成線の上を走るおもしろい乗り物をご紹介します。




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  1. 2020/01/19(日) 00:01:05|
  2. 中国(山陰山陽)
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錦川鉄道清流線の旅①

今週から3回に分けて山口県の山間部を走る錦川鉄道清流線をご紹介します。
錦川鉄道は先週、ご紹介した岩徳線の川西駅から分岐し、錦町までの32.7キロを結び、
旧国鉄岩日線を昭和62年に継承した第三セクター鉄道です。

岩国駅で発車を待つ列車です。
s-①岩国駅
岩国~川西間は、国鉄岩日線時代から岩徳線の線路の上を走ります。

岩国城の城山から見る錦川鉄道の列車です。
s-②岩国城より
日中は大抵、たった一両だけで走ります。

川西駅です。
s-③川西駅
無人駅ですが、朝夕は通学生で賑わいます。

川西駅のホームにある錦川鉄道起点の標識です。
s-④川西キロポスト

正式には、川西駅から1.9キロ先にある森ヶ原信号場で岩徳線と分岐します。
s-⑤分岐点
この写真は錦町方面から岩国方面を見たところで、左手手前の錦川鉄道と、右手のJR岩徳線がここで合流しています。

貨物列車の車掌車を待合室に利用した駅は清流新岩国です。
s-⑥新岩国
以前は御庄駅という名前でしたが、山陽新幹線の新岩国に歩いて7分で接続していることから、平成25年に清流新岩国に駅名が変更されました。でも、今も、貨車駅の入り口には「御庄駅」の文字が見えます。

守内かさ神(しゅうちかさがみ)駅に到着した列車です。
s-⑦守内かさ神到着
この駅は三セク化後の平成5年に開業しました。
s-⑧守内かさ神駅名票

これが駅名になったかさ神神社です。
s-⑨かさ神
駅から歩いて10分ほどの山の中にありますが、人が滅多に訪れないような小さな祠があるだけでした。

守内沈下橋の近くを通過する列車です。
s-⑩守内かさ神沈下橋
沈下橋は、四国の四万十川が有名ですが、川が増水したときに水没する橋のことです。
s-⑪沈下橋
通常時は川の水面に近い低い位置に架かる石の橋で、欄干がなく、増水しても流されないように出来ています。

守内かさ神~南河内間を行く下り列車です。
s-⑫守内かさ神~南河内

南河内駅に列車が着きました。
s-⑬南河内駅
のどかな山に囲まれた田園地帯にある駅です。春は桜の花が美しいことでしょう

えきのすぐ近くに椎尾八幡宮という神社がありました。
s-⑭椎尾八幡宮
緑に囲まれた静かなお社です。
s-⑮天狗
境内に天狗の像が立っていました。

本殿の中に何枚かの古びた合戦図が飾られていました。
s-⑰合戦図

こちらは源平の一ノ谷の合戦を描いたものでしょう。
s-⑯一ノ谷合戦

朝靄が煙る山をバックに岩国行の列車がやって来ました。
s-⑲朝靄の中

この続きの旅は、また、来週、ご紹介します。




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  1. 2020/01/12(日) 00:03:11|
  2. 中国(山陰山陽)
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『FLASH』1月7日発売号に解説文を寄稿

久しぶりに写真週刊誌FLASH(1月7日発売号)に記事を載せました。
s-IMG_20200109_0007.jpg
テーマは「五輪を待つ東京」。
s-IMG_20200109_0006.jpg
今回の写真は私が撮影したものではなく、1960年前後にアメリカ人鉄道写真家ウオーリー・ヒギンズ氏が撮影した写真に、当時の記憶を出来るだけ呼び起こして簡単な解説をつけたものです。
s-IMG_20200109_0008.jpg

  1. 2020/01/09(木) 11:50:30|
  2. 著作/寄稿紹介/出演/講演など
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岩徳線の旅

今週は山口県南部の内陸部を走る岩徳(がんとく)線をご紹介します。
岩徳線は山陽本線の岩国から分岐し、同じく山陽本線の櫛ヶ浜までの43.7キロを結ぶローカル線で、すべての列車が徳山まで乗り入れています。

現在の山陽本線は、岩国から瀬戸内海沿いに柳井経由で徳山方面に走っていますが、歴史をたどれば、戦前には岩徳線が山陽本線の一部だったことがあります。また、岩国~櫛ヶ浜間の営業キロ数は山陽本線経由だと65.4キロなのに、岩徳線経由よりも21.7キロも長くなっています。そのため、この間を通して利用する場合は、岩徳線経由の短い距離数で運賃計算をする特定区間となっています。けれども、列車本数は山陽本線の方が圧倒的に多く、所要時間も短いので、この間のほとんどの乗客は、山陽本線を利用しています。

早朝、徳山駅で発車を待つ岩徳線の列車です。
s-①早朝徳山駅

山陽本線を一駅だけ走った後、櫛ヶ浜から岩徳線に入ります。
s-②櫛ヶ浜夜明け
あたりは、夜が明けようとしていました。

周防久保駅です。
s-③周防久保駅

周防久保駅に徳山行きの下り列車がやって来ました。
s-④周防久保で徳山行

こちらは、高水駅で交換する上下列車です。
s-⑤高水駅交換
どの駅も、かつて本線だった名残で、とてもホームが長いのが印象的です。
でも、使われていない部分には雑草が生い茂っています。

高水駅の近くには、特別天然記念物の鶴の飛来地があるそうです。
s-⑥高水駅鶴

周防高森駅近くを走る岩国行の上り列車です。
s-⑦上り列車

そして、こちらは徳山行の下り列車。
s-⑧下り列車
岩徳線では、今も昭和の国鉄時代に製造されたキハ40系列車が活躍しています。

周防高森駅です。
s-⑨周防高森駅
いかにも国鉄の幹線の主要駅だったという貫禄がある木造駅舎です。
もしも、今でも山陽本線だったら、とっくに新しい駅舎に建て替えられていたことでしょう。

ススキの穂が風に揺れていました。
s-⑩高森駅ホーム

駅にとても長いホームが残され、構内には今は使われなくなった広大な貨物ヤードがありました。
s-⑪高森駅長いホーム

周防高森駅から歩いて10分足らずの所にある高森天満宮です。
s-⑫高森天満宮
このあたりは、以前は周東町と呼ばれていましたが、平成の大合併で岩国市に編入されています。

こちらは川西駅に停車中の列車です。
s-⑬川西駅
この駅で錦川鉄道(旧国鉄岩日線)錦町方面は、お乗り換えです。

岩国の一駅手前の西岩国駅です。
s-⑭西岩国
昭和4年の開通当時からのこの荘重な洋風駅舎は、国の登録有形文化財に指定されています。
外観は近くにある錦帯橋を模した物です。

木製の改札口に、クラシックな電灯、なんともいえない風情を感じます。
s-⑮西岩国駅改札口
この駅は、開業時から昭和17年までは岩国駅と呼ばれており、その当時、今の岩国駅の名前は「麻里布(まりぶ)」駅でした。

こちらは日本三名橋のひとつとされている錦帯橋です。
s-⑯錦帯橋
背後の山の上には岩国城があります

吉川(きっかわ)家の居城だった岩国城です。
s-⑰岩国城
私がこの城を訪れたのは、48年ぶりのことでした。

お城の天守閣から眺めた岩国の町です。
s-⑱岩国城より
錦川に架かる錦帯橋と、その向こうに鉄橋を渡る岩徳線の列車が見えます。

終着駅の岩国に着きました。
s-⑲岩国駅

岩国の呑み鉄の地酒は「金冠黒松」でした。
s-⑳金冠黒松

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  1. 2020/01/05(日) 00:01:07|
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山陽本線防府駅と防府天満宮裸坊祭

今週は山口県にある山陽本線防府(ほうふ)駅と、防府天満宮の裸坊祭をご紹介します。

防府駅に着いた徳山行の電車です。
s-IMG_0340.jpg
s-IMG_0339.jpg
ホームは一面2線だけですが、まるで新幹線のような立派な高架駅でした。
s-IMG_0342.jpg

さて、毎年11月の第4土日は、防府天満宮の裸坊祭が、盛大に行なわれます。
s-IMG_0473.jpg

夕方近くになると、裸坊と呼ばれる祭りの衆が、俵神輿をかついて、町の中を練り歩きます。
s-IMG_0369.jpg

俵の上に子供たちが乗っかっていました。
s-IMG_0378.jpg

俵を担いで、くるくると走り回ります。
s-IMG_0381.jpg

天満宮の参道は、大変な賑わいでした。
s-IMG_0397.jpg

s-IMG_0400.jpg
裸坊たちは、境内に入り、石段を駆け上がり、米俵を奉納します。
s-IMG_0405.jpg

防府天満宮の祭神は菅原道真公。
この祭りは無実の罪により左遷され、太宰府で薨去した菅原道真公を慰めるための祭りだそうです。
s-IMG_0423.jpg

ご本殿の前も裸坊や参拝者であふれていました。
s-IMG_0417.jpg

午後6時になると、いよいよ熱気を帯びてきました。
s-IMG_0428.jpg
拝殿に裸坊たちがなだれ込み、神輿が石段を駆け下ります。
s-IMG_0434.jpg
このあと、大神輿は台車に乗せられ、2.5キロ離れた浜殿に運ばれ、道真公の霊を慰める神事が行なわれるのだそうです。
s-IMG_0460.jpg
かなり荒っぽい、けんか祭りでしたが、熱気にあふれていました。

祭りの後は、瀬戸内海の魚介類に舌鼓を打ちながら、防府の地酒「錦世界」で一献傾けたのでした。
s-IMG_0927.jpgs-IMG_0931.jpg






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  1. 2019/12/29(日) 00:02:13|
  2. 中国(山陰山陽)
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紀勢本線岩代駅

今週は和歌山県にある紀勢本線の駅シリーズの3つめ、岩代(いわしろ)駅をご紹介します。
①紀伊田辺行到着
紀伊田辺行の普通電車が到着しました。

国鉄時代からの木造駅舎が健在です。
②岩代駅舎
もちろん、今は無人駅。

やがて、新宮行の特急「くろしお」が通過していきます。
③特急通過

海へと続く道・・・。
④海への道
駅は海のすぐそばにあります。

海を見ながら普通列車がやって来ました。
⑤海の向こうに普通列車

今度は特急列車です。
⑥海くろしお通過p

海岸沿いに岩代王子という小さなお社がありました。
⑦岩代王子
1000年の歴史があると伝えられ、このお社も安永5(1776)年に建てられた物だそうです。

廃屋に、こんな錆びた看板を見つけました。
⑧錆びた看板

たった一軒だけの駅前商店です。
⑨駅前商店
「ご先祖様に怒られるけど、この店も私の代で終わりです」と店番のおばあさんが寂しそうに言いました。

おばあさんに別れを告げ、御坊行の普通電車がやってきました。
⑩御坊行

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  1. 2019/12/22(日) 00:01:28|
  2. 近畿
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紀勢本線印南駅

先週に続いて紀勢本線の駅、今週は印南(いなみ)駅をご紹介します。
①印南ホーム
これは、2013年1月に停車中の車内から撮った写真です。

7年後に降りてみると、国鉄時代からの木造駅舎はそのままで、屋根や壁がきれいにリニューアルされていました。
②印南駅舎
でも、ずっと前から無人駅です。

待合室には、なぜかカエルがたくさん!
③待合室のカエル
印南町はカエルで町おこしをしているんです。

車窓からは大きなカエル橋が見えていました。
④カエル橋

カエル橋をバックに特急「くろしお」が通過していきます。
⑤特急通過

御坊行の電車に乗りました。
⑥印南駅ホーム

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  1. 2019/12/15(日) 00:02:03|
  2. 近畿
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紀勢本線湯浅駅と醤油と味噌の町・湯浅

今週は、和歌山県にある紀勢本線の湯浅駅と、醤油と味噌で栄えた湯浅の町をご紹介します。
①湯浅駅
和歌山駅から普通電車で約40分、湯浅駅には国鉄時代からの木造駅舎があります。

駅の近くを流れる広川を普通電車が通過していきます。
②広川普通

続いてやって来たのは、オーシャンアロー車両の特急「くろしお」でした。

③広川オーシャンアローくろしお

湯浅は熊野古道の入り口の町です。
④熊野古道石標
町中に古びた石標が立っていました。

落ち着いた佇まいの街並みですね。
⑤街並み

今も営業している老舗の味噌店です。
⑥金山寺味噌

⑦醤油看板
町の中には、昭和の香りが漂うレトロな看板が残っています。
⑧三菱鉛筆看板

職人蔵醤油博物館の内部です。
⑨職人蔵醤油博物館

江戸時代から昭和末期まで営業していた甚風呂です。
⑩甚湯

中は昔のまま、博物館になっています。
⑪甚湯内部

これは、地域の子供神輿です。
⑫子供神輿
近年は子供の数が減って、この神輿の出番がないそうです。

その名も「湯浅」で呑み鉄をして帰りました。
⑬湯浅のみ鉄

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  1. 2019/12/08(日) 00:02:30|
  2. 近畿
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札沼線の冬(新十津川~石狩当別)

札沼線シリーズの最終回、今週は、廃止を1年4ヶ月後に控えた今年1月に訪れた札沼線非電化区間のようすです。

雪に包まれた新十津川駅です。
s-IMG_1737.jpg
1日、たった1本の列車が到着するまで時間があったため、あたりは静寂に包まれていました。
s-②駅ホーム側

ホームに小さな雪だるまがありました。
s-③雪だるま
近くの子供たちが作ったのでしょうか。

やがて列車がやって来ました。
s-④列車到着

ホームに停車中の列車です。
s-⑤ホームと列車
乗ってきた人は鉄道ファンばかりでした。

1本だけの発車時刻表です。
s-IMG_1735.jpg
朝10時の始発列車が、最終列車!

駅舎内には、降車人数の書かれたカレンダーがありました。
s-⑥降車人数カレンダー

途中駅にある於札内駅の錆び果てた駅名票です。
s-⑦於札内錆びた駅名票
この駅名票は、おそらく昭和34年の開業時からずっとここにあるのでしょう。

鶴沼駅です。夏に降りたときには、駅にはクモしかいませんでした。
s-⑧鶴沼駅
札沼線の愛称の「学園都市線」の文字が、なんだか虚しく見えます。

札的駅の駅名票も寒そうです。
s-⑨札的駅

s-⑩晩生内駅
かつて有人駅だった晩生内(おそきない)駅と札比内駅には、小さな木造駅舎が残っていました。
s-⑪札比内駅

区間内で唯一の有人駅、石狩月形では、タブレットの交換があります。
s-⑫石狩月形駅

駅構内には除雪車の姿がありました。
s-⑬除雪車

中小屋駅は、錆びた車掌車が駅舎代わりに置かれています。
s-⑭中小屋駅

北海道医療大学駅につきました。来年、廃止されるのはこの駅までです。
s-⑮医療大学前
ここからは電化区間になり、札幌からの電車が頻繁にやって来ます。

列車は電化区間を一駅だけ走り、終点の石狩当別に到着しました。
s-⑯石狩当別到着
折り返しの列車は途中の浦臼止まりとなり、終着駅の新十津川まで行く列車は翌朝までありません。

こんな風景が見られるのも、今度の冬が最後です。

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  1. 2019/12/01(日) 00:01:58|
  2. 北海道
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『一度は乗りたい!特選ローカル線の旅』講演/小学館神保町アカデミーにて

さる11月18日に、本の街、東京神保町で行われた小学館神保町アカデミーにて『一度は乗りたい!特選ローカル線の旅』という題目で、講師を務めさせて頂きました。
FullSizeRender_20191119115616425.jpg
本講座では、北は北海道の根室本線から、南は九州の日南線まで、全国の20線を取り上げ、パワーポイントで動画を交えて投影しながらその旅の情景をお話し致しました。
IMG_0311.jpg
本講座では、北は北海道の根室本線から、南は九州の日南線まで、全国の20線を取り上げ、その旅の情景をお話し致しました。
IMG_0313.jpg
会場には旅好きの方々がメモを取るなど、熱心に話に耳を傾けていただきました。
s-IMG_0321.jpg
話の途中には、呑み鉄や、乗り鉄に便利な切符、海外の鉄道の話なども盛り込みながら、90分間、無事にお話しすることが出来ました。
s-IMG_0315.jpg
ご参加いただいた皆さん、ありがとうございました。

次回、第2回目は1月20日(月)18時30分から、『哀愁の終着駅・今昔』というタイトルで同じ神保町で行ないます。ご興味のある方は、「小学館神保町アカデミー」のホームページからお申し込みができますので、よろしくお願い致します。

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  1. 2019/11/24(日) 00:02:32|
  2. 著作/寄稿紹介/出演/講演など
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札沼線・最後の夏③(浦臼~新十津川)

今週は札沼線、最後の夏の3回目、浦臼~新十津川間のようすをご紹介します。

札沼線の末端区間、浦臼~新十津川間13.8キロは、平成28年3月のダイヤ改正までは1日3往復運転されていましたが、それ以降、1日1往復の列車しか運転されていません。

もはや、地域輸送の使命は完全に終了し、鉄道ファンのためにだけ走っている区間と言って、も過言ではないと思います。

s-㉓浦臼
浦臼駅に停車中の列車です。

これは、浦臼~鶴沼間にある浦臼神社踏切です。
s-㉔浦臼神社前踏切
この警報器が鳴ることは、1日2回しかありません。
踏切の向こうの急な石段を登ると、浦臼神社があります。
s-㉕浦臼神社
鬱蒼とした木々の中にお社がありましたが、人の姿はありませんでした。

こちらは鶴沼公園です。
s-㉖鶴沼公園
鶴沼駅からは歩いて30分ぐらいかかりました。

これは、鶴沼駅にたった1本の上り列車がやって来たところです。
s-㉗鶴沼駅


小さな待合室の入口はクモの巣だらけでした。
s-㉚蜘蛛の巣だらけ
おそらく、何日もこの駅の利用者がいなかったのでしょう。
s-㉛蜘蛛の巣と駅舎から

「クモ駅長」のお出迎えを受けました。
s-㉜クモ駅長

鶴沼駅から上り列車が去って行きます。
s-㉝鶴沼を去る列車

時刻表には、午前中に上下1本ずつ停車する列車の時刻が表示されていました。
s-㉘鶴沼駅時刻表

板張りの簡素なホームです。
s-㉙鶴沼ホーム
もう、翌日までこの線路の上を列車が通ることはありません。

南下徳富(みないしもとっぷ)駅も簡素な板張りの駅でした。
s-㉞南下徳富
(この写真は今村義弘さんからお借りしました)

そして、下徳富駅です。
s-㉟下徳富
この駅には、かつて駅員さんが勤務していました。

そして、終着駅の新十津川に到着です。
s-㊱出迎えの園児
この駅では、お天気がいいと、近所の保育園の園児たちが出迎えてくれます。
札沼線が廃止されたら、きっと園児たちは悲しむことでしょう。

s-㊲折り返しを待っ
折り返し、発車を待つ列車です。

札沼線での呑み鉄の酒は「金滴」の新十津川駅バージョンでした。
s-㊲呑み鉄
酒蔵が新十津川駅から歩いて15分のところにあります。

新十津川駅舎です。
s-㊳新十津川駅舎
何度訪れても、いつも同じ表情で迎えてくれました。
s-㊴駅舎
この駅に列車がやって来るのはあと半年余り。
s-㊵新十津川着
昭和6年に札沼北線の駅として開業以来89年、まもなく終焉の時を迎えようとしています。


これらは昭和52年に私が初めて札沼線を訪れた時の入場券です。
s-IMG_20190821_0006.jpg
当時、有人だったすべての駅ですが、今では石狩当別と石狩月形以外は、すべて無人駅になってしまいました。




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  1. 2019/11/17(日) 00:03:00|
  2. 北海道
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札沼線・最後の夏②(石狩月形~浦臼)

先週から続いて、石狩月形から札沼線の旅を続けましょう。
石狩月形を発車する浦臼行の列車です。
s-⑪月形発車
この先、石狩月形から発車する下り列車は1日6本だけ。

石狩月形~豊ヶ岡間の田園地帯を行く浦臼行最終列車です。
s-⑫月形~豊ヶ岡

鬱蒼とした緑の中を一両だけの列車が走ります。
s-⑬豊ヶ岡

札沼線随一の秘境駅、豊ヶ岡です。
s-⑭豊ヶ岡駅舎
周囲に人家はありません。

駅舎の内部はこんな感じです。
s-⑮z駅舎内部
いったい、地元のまともな利用者は、1日に何人いるのでしょうか。

駅の近くには、こんな静かな沼があるばかりでした。
s-⑮豊ヶ岡の沼

札比内方面から、上り列車がやって来ました。
s-⑯豊ヶ岡~札比内

そして、これが札比内(さっぴない)駅です。
s-⑰札比内

こちらは晩生内(おそきない)駅。
s-⑱晩生内
これらの駅にも、昔は駅員がいて、地元の多くの利用者がいたのでしょう。

札的(さってき))~浦臼間を行く下り列車です。
s-⑲札的~浦臼

そして、浦臼(うらうす)駅です。
駅舎は「ふれあいステーション」として建て替えられ、中には歯科医院が併設されていました。
s-⑳浦臼駅
滝川方面への北海道中央バスが停車していました。

駅の近くにある浦臼町郷土資料館です。
s-㉑浦臼町郷土資料館と動輪
前にはかつて、札沼線で活躍したC11形蒸気機関車の動輪が保存されていました。

博物館内部にあった昭和9年、札沼線が開業する前の工事中の浦臼駅の写真です。
s-㉒開業工事S9開業前なのに、小さな蒸気機関車の姿がありますね。
きっと、まだ、道路が未整備でトラック輸送ができないため、敷設した線路を使って建設資材を運んでいたのでしょう。

国鉄時代の工具類です。
s-㉓国鉄時代工具
資料館内部は撮影禁止なのですが、特別に許可を頂いて撮影しました。

s-㉔古い酒屋
町にはこんな古い建物が残っていました。
s-IMG_6620.jpg
いったい、何年前に建てられた物なのでしょうか。

この続き、終着駅の新十津川までの札沼線のようすは、来週ご紹介します。

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  1. 2019/11/10(日) 00:02:05|
  2. 北海道
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札沼線・最後の夏①(石狩当別~石狩月形)

今週から4回にわたり、来年5月7日に廃止される北海道の札沼線(非電化区間)のようすをご紹介します。
今週は、その第1回目として、石狩当別~石狩月形の夏です。

札沼線は札幌駅の一駅先の桑園(そうえん)から新十津川までの76/5キロの路線で、学園都市線という愛称がつけられています。このうち、桑園~北海道医療大学間28.9キロは、すべての列車が札幌に直通し、大都市近郊路線として複線電化され、頻繁に電車が行き交っています。
けれども、その先、新十津川までの47.6キロは、単線非電化で列車本数も極端に少なく、札幌近郊とは大きく様相が異なります。
その区間が非電化区間が廃止されようとしているのです。

非電化区間の列車は北海道医療大学の一駅手前の石狩当別から発車します。
s-①石狩当別

北海道医療大学前です。
s-②北海道医療大学
札幌行の電車の脇を、一両だけの気動車が通ります。
石狩当別~北海道医療大学間だけは、電車が走る架線の下を走るのです。

石狩金沢付近を行く浦臼行の列車です。
s-③石狩金沢下り列車

石狩金沢駅には、駅舎の代わりに古い貨物列車の車掌車として使われていた貨車が置いてあります。
s-④貨車駅と列車

駅舎代わりの貨車の前には、かつて木造駅舎の土台が残っています。
s-⑤貨車駅

やって来た列車は、上りの石狩当別行です。
s-⑥石狩金沢

石狩金沢駅の近くには「ふくろふ乃湯」という日帰り温泉があります。
s-⑦ふくろふ乃湯

温泉の露天風呂からはこんな静かな沼を眺めることが出来ます。
s-⑧ふくろふ乃湯の沼

さて、札沼線の旅を続けましょう。

中小屋駅です。
s-⑨中小屋駅
この駅も貨車駅ですが、錆だらけの哀れな姿になっていました。

車内での呑み鉄の酒は、サッポロクラシックと、新十津川の地酒「金滴」です。
s-⑪呑み鉄

知来乙(ちらいおつ)を過ぎると、次は石狩月形です。
s-⑩知来乙駅

石狩月形に着きました。
s-⑫石狩月形到着
石狩当別からおよそ35分、この駅まで来る列車は1日8本です。
s-⑬月形交換
石狩月形は、非電化区間で唯一の有人駅で、上下線列車の交換が行なわれます。

昔ながらの木造駅舎です。
s-⑭月形駅舎
国鉄時代の佇まいを残す駅も、あと半年余りでその役目を終えます。

典型的な北海道のローカル線の駅の雰囲気です。
s-⑮月形駅舎内

駅から歩いて15分ほどの場所に皆楽公園があります。
s-⑯皆楽公園

この公園の近くにある月形温泉に荷を解きました。
s-⑰月形温泉

札沼線の沿線にはたくさんの温泉があります。
s-IMG_6436.jpg
「札沼泉」というポスターがありましたが、運転本数の極めて少ない札沼線だけでこれらの温泉をすべて訪ねるのは至難の業です。

この旅の続きは、来週お伝えします。

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  1. 2019/11/03(日) 00:02:40|
  2. 北海道
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富良野線、普通列車の旅

先週に引き続き、北海道の富良野線。今週は普通列車の旅をご紹介しましょう。
s-①富良野駅
雨の富良野駅で停車中の列車です。

降りしきる雨の中、富良野~学田間を走る列車です。
s-②富良野~学田

こちらは中富良野駅です。
s-③中富良野駅


そして、上富良野駅に到着した列車です。
s-④上富良野駅停車中

この駅も立派な駅舎がありました。
s-⑤上富良野駅

白金温泉の露天風呂で立ち寄り湯をしました。
s-⑥白金温泉

白金温泉近くにあるしらひげの滝です。
s-⑦しらひげの滝

そして、こちらはその名も「青い池」。
s-⑧青い池
原生林に囲まれ、なんとも神秘的な所でした。

翌日、よく晴れた空の下の無人駅、学田(がくでん)です。
s-⑨学田駅

そして、美馬牛(びばうし)~上富良野間を走る富良野行下り列車です。
s-⑩美馬牛~上富良野

十勝岳をバックに上り列車が走ります。
s-⑪十勝岳バックに

こじんまりとした美馬牛駅です。
s-⑫美馬牛駅
その佇まいは45年前に訪れた時と変わっていませんでした。

美瑛の丘をバックに旭川行の列車が美瑛駅にやってきます。
s-⑬美瑛到着

どっしりとした石造りの美瑛駅です。
s-⑭美瑛駅

旭川行の列車に乗り込む人々です。
s-⑮美瑛駅ホーム

こちらは富良野行です。
s-⑯キハ40下り列車
国鉄時代からの気動車キハ40が今も頑張っています。

北美瑛駅は板張りの小さな無人駅でした。
s-⑰北美瑛駅

旭川がだんだん近づいてきます。
s-⑱西聖和駅

終点の旭川に着きました。
s-⑲旭川到着
富良野からは54.8キロ、およそ1時間20分の道のりです。
s-IMG_20190728_0002.jpgs-IMG_20190728_000133.jpg

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  1. 2019/10/27(日) 00:00:13|
  2. 北海道
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「富良野・美瑛ノロッコ号」の旅

今週は北海道の富良野線を走る「富良野・美瑛ノロッコ号」をご紹介しましょう。
この列車は毎年6月から9月の多客期に、旭川~富良野間を1日1往復、美瑛~富良野間を2往復するトロッコ列車です。

旭川駅の発車は朝の10時です。
s-①旭川駅

s-②エンブレム
s-③サボ

車内はこんな感じです。雨が降ると窓を閉めることができます。
s-④車内のようす
3両編成のトロッコのうち、1両が座席指定になっています。

乗車証明書をもらいました。
s-⑤乗車証明書と男山
呑み鉄の酒は旭川の地酒「男山」です。

上富良野停車中です。
s-⑥上富良野


西中~ラベンダー畑間を走るノロッコ号です。
s-⑦西中~ラベンダー畑
あいにく途中から雨が降ってきました。

有名なラベンダーの花は、7月中旬頃が盛りを迎えます。
s-⑧ラベンダー
訪れたのは6月末、早咲きのラベンダーが咲いていました。

そして、こちらはルピナスです。
s-⑨ルピナス

雨の富良野駅に到着しました。
s-⑩富良野到着
隣には、札幌からの臨時特急「フラノラベンダーエクスプレス」が停車していました。

これが富良野駅です。富良野では根室本線に接続します。
s-⑪富良野駅
けれども、根室本線の東鹿越~新得間は平成28年夏の台風により不通になったまま、復旧の見込がたっていません。

さて、翌日はいいお天気でした。
s-⑫富良野~学田
富良野~学田間を行くノロッコ号です。

こ学田付近の麦畑の中を走ります。
s-⑬鹿討~学田

ノロッコ号の窓を開けると気持ちの良い風が入ってきます。
s-⑭十勝岳
十勝岳連峰がきれいに見えました。

上富良野駅で普通列車と交換します。
s-⑮上富良野停車中

そして、美瑛に着きました。
s-⑯美瑛到着

これは、美瑛の丘にあるケンとメリーの木と呼ばれるポプラの木です。
s-⑰ケンとメリーの木
美瑛の丘には爽やかな空が広がっていました。
s-⑱美瑛の丘
来週は、富良野線の普通列車の旅にご案内します。

s-IMG_20190728_0003.jpgs-IMG_20190728_0001.jpg







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  1. 2019/10/20(日) 00:01:57|
  2. 北海道
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海辺の駅、肥薩おれんじ鉄道上田浦駅

熊本シリーズ第5回目、今週は肥薩おれんじ鉄道の海辺の小さな無人駅、上田浦(かみたのうら)をご紹介します。

日奈久温泉からさらに南に進むと、間近にこんなきれいな八代海に沿って列車は走ります。
s-IMG_2376.jpg

上田浦駅に着いた川内(せんだい)行の列車です。
s-IMG_2379.jpg

s-IMG_2408.jpg
海のすぐ近くに駅があります。
s-IMG_2380.jpg

国鉄時代の木造駅舎からログハウス風の駅舎に建て替えられていました。
s-IMG_2401.jpg

海の向こうには天草の島々を眺めることが出来ます。
s-IMG_2402.jpg

堤防の向こうのトンネルから八代行の列車がやってきました。
s-IMG_2409.jpg

この区間を日中走る列車は1時間に1本、一両だけの気動車がのんびりと走ります。
s-IMG_2395.jpg

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  1. 2019/10/13(日) 00:01:40|
  2. 九州
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肥薩おれんじ鉄道日奈久温泉駅

熊本シリーズ第4回目、今週は肥薩おれんじ鉄道の日奈久温泉駅と、その周辺をご紹介しましょう。

八代駅から2駅、12分で日奈久温泉駅に着きます。
①ホーム

駅舎は国鉄時代の佇まいをそのまま残しています。
②駅舎
国鉄・JR時代は日奈久駅という駅名でした。

町の中心にある老舗旅館、「金波楼」(こんぱろう)です。
③金波楼
明治42年に建てられた木造三階建の建物で、国の登録有形文化財に指定されています。

この旅館に立ち寄り入浴をしました。
④玄関
建物の内部は、なんともいえない趣がありました。
⑤内部

金波楼の露天風呂です。
⑥露天風呂

湯上がりにあたりを散歩すると、
⑧店2
古い看板のある建物がありました。
⑨店
正に昭和レトロ。

踏切の音がしたので行ってみると八代行の列車が通過していきます。
⑦踏切
肥薩おれんじ鉄道は、全線架線の下を走りますが、電車ではなく、すべてディーゼルカーなのです。
架線は、この線を通過する貨物列車を牽引する電気機関車が使います。

夕立が降った後、あたりには虹が出てきました。
⑩虹
海辺に二重の虹、なんともきれいでした。

⑪海鳥
海鳥の姿も見られます。

そして泊まったのは、ひらやという旅館でした。
⑫ひらや

こちらのお風呂は源泉掛け流しの檜風呂です。
⑬檜風呂

夕食には海と山の幸が並んでいました。
⑭夕食

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  1. 2019/10/06(日) 00:02:23|
  2. 九州
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鹿児島本線八代駅と八代の町

今週は熊本県にある鹿児島本線八代(やつしろ)駅と、八代の町のようすをご紹介しましょう。

八代駅からは肥薩線ガ分岐していますが、鹿児島本線は、平成16年の九州新幹線新八代~鹿児島中央間の開業と同時に、八代~川内(せんだい)間が第三セクターの肥薩おれんじ鉄道に転換されました。
そのため、博多方面からやって来たJRの下り列車は八代が終点になりました。
つまり、この時から「鹿児島本線」という線名なのに鹿児島まで行かなくなってしまったのです。

八代駅にやって来た折り返し、鳥栖行となる電車です。
①ホーム
親子連れが記念写真を撮っていました。
②駅名票

八代は、加藤正方によって江戸時代初期に築城された八代城の城下町です。
③八代城1
けれども、天守閣などの建物は明治初期に取り壊され、残されているのは、石垣とお堀だけです。
④八代城2

お城の敷地内の土俵で、少年たちの相撲が行なわれていました。
⑤土俵
熊本県では相撲が盛んなのです。

城内にある八代宮です。
⑥八代宮

そして、こちらは国の名勝・松濱軒(しょうひんけん)です。
⑦松濱軒
これは、元禄の世に、三代目城主松井直之が、母のために創建したものです。
⑧松濱軒2
この庭園は、『阿房列車』で有名な作家の内田百閒が、こよなく愛したことでも知られています。
⑨松濱軒3

こちらは八代駅です。
⑩八代駅
背後には製紙会社の工場があります。

八代駅の名物駅弁「鮎屋三代」です。
球磨川の鮎の甘露煮が入っています。
⑪駅弁
九州新幹線の新八代駅でも販売されています。

八代から南は第三セクターの肥薩おれんじ鉄道になります。
⑫おれんじ鉄道
来週は、肥薩おれんじ鉄道に乗って、日奈久温泉をご紹介します。

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  1. 2019/09/29(日) 00:02:59|
  2. 九州
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豊肥本線肥後大津駅と阿蘇くまもと空港

眼下に阿蘇山の噴煙が見えると、飛行機は、ほどなく、熊本空港に着陸します。
s-①阿蘇山上空

これが「阿蘇くまもと空港」の愛称を持つ熊本空港です。
s-②熊本空港
熊本駅など、市内中心部まではリムジンバスで約65分かかります。
でも、時間帯によっては道路渋滞に巻き込まれ、大幅に時間がかかるのがネックでした。

そこで、空港に比較的近いJR豊肥本線の肥後大津駅から、2011年10月から熊本県は肥後大津駅と空港を結ぶ無料の空港ライナーの運用を開始しました。

これが、空港にある肥後大津行の「空港ライナー」です。
s-③空港ライナーのりば
といっても、運用されている車は大型バスではなく、ジャンボタクシーでした。

空港から約15分で肥後大津駅に着きます。
平成29年3月から、この駅には「阿蘇くまもと空港駅」という副称がつけられました。
s-④駅のライナー乗り場
肥後大津駅から熊本駅までは約33分、道路の渋滞がないので、乗り換え時間を入れても、確実に1時間以内で到着します。

駅の正面にも「阿蘇くまもと空港駅」と表示されています。
s-⑤駅正面

s-IMG_5364.jpg

折り返し、八代行となる電車がやって来ました。
s-⑥列車
豊肥本線は、熊本からこの肥後大津間が電化されており、電車が頻繁に運転されています。

けれども、この先、肥後大津~阿蘇間は、平成28年4月の熊本地震の影響で不通になったままです。
この区間の復旧見込みは、令和2年度中とのことです。


かつては、「SLあそBOY」がやって来たものでした。
s-IMG_20190909_0001.jpg
この列車は昭和63年から平成17年まで運転されており、この写真は平成6年にこの駅から乗った時に撮影したものです。

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  1. 2019/09/22(日) 00:02:14|
  2. 九州
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くま川鉄道「おかどめ幸福駅」

今週は熊本県の山間部を走る、くま川鉄道の「おかどめ幸福駅」をご紹介します。

くま川鉄道は、国鉄湯前線を継承した第三セクター鉄道で、
JR肥薩線と隣接する人吉温泉駅から湯前(ゆのまえ)を結んでいます。
おかどめ幸福駅は、平成元年に三セク化と同時に開業しました。

人吉温泉行の列車がやって来ました。
s-①人吉温泉行
この線は、平日の朝夕は高校生で大変な混雑です。

無人駅ですが、神社の本殿を模した瓦屋根の駅舎があります。
s-②駅舎

駅舎には神社の本殿のように大きな鈴があります。
s-③つばめ
鈴の上にはツバメがとまり、可愛らしい声で鳴いていました。

駅近くの踏切です。
s-④踏切
あたりはのどかな田園地帯です。

駅から少し湯前寄りの線路際に、大きな鳥居が立っています。
s-⑤大鳥居

鳥居の脇を列車が走ります。
s-⑥鳥居脇を行く列車

これが、丘の上にある岡留熊埜座神社です。
s-⑦岡留熊埜座神社
幸福の神様を祀っており、別名・幸福神社と呼ばれています。
s-⑧本殿

おみくじを引いてみると、小吉でした。
s-⑨おみくじ

近くにはこんな素朴なお地蔵様がありました。
s-⑩お地蔵様

御神酒?として呑んだ酒は、人吉の球磨焼酎「繊月」でした。
s-⑪繊月

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  1. 2019/09/15(日) 00:04:15|
  2. 九州
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名鉄神宮前駅と熱田神宮

今週は、名古屋鉄道名古屋本線の神宮前駅と、その周辺をご紹介しましょう。
神宮前駅は、名鉄名古屋から豊橋方面へ3駅目にある中枢駅のひとつで、本線と常滑線がこの駅で分岐します。

これが、駅ビルのパレマルシェ神宮です。
①神宮前駅
ここはショッピングモールになっているほか、ビル内には名鉄の運転指令所があります。

ホームには各方面へ向かう電車が次々と発着します。
②ホーム特急
岐阜方面と豊橋方面の本線のほか、常滑線を経由して中部国際空港への特急列車も行き交います。
③ホーム2

これは、駅名になっている熱田神宮です。
④熱田神宮鳥居
緑に包まれた境内を歩くと、その先に本殿があります。
⑤本殿
境内には神の鳥とされているニワトリが、悠々と歩いていました。
⑥神の鳥

こちらは宮の渡し公園です。
⑦宮の渡し公園
宮の渡しとは、江戸時代、宮の宿から伊勢湾を渡って桑名宿までの渡し船です。
これが東海道のルートとなっていました。つまり、当時の東海道は、現在の名古屋の中心部を通っていませんでした。

これは、熱田神宮の近くにある名古屋名物「ひつまぶし」の老舗「蓬莱軒本店」の庭です。
⑨蓬莱軒庭
これが、本場のひつまぶしです。
⑧ひつまぶし
この店は超人気店で、いつも大勢の人が並んでいます。

さて、こちらは昭和58年の神宮前駅です。
⑩S58名鉄特急7000系
かつてパノラマカーと呼ばれた名鉄特急7000系が停車しています。
この電車は昭和36年から平成13年まで走っていた形式です。

当時の駅名票です。
⑪S58駅名票
手書きで、なんともいえない味わいがありました。

こちらは、神宮前を始発駅とするキハ8000系特急「北アルプス」です。
名鉄犬山線の鵜沼から国鉄(現JR)高山本線を経由して富山まで運転されていました。
⑫北アルプスキハ8000系
時期によっては富山地方鉄道の立山まで乗り入れていたこともありました。

そのころの神宮前駅の切符です。
⑬きっぷ
当時は硬券が窓口で普通に販売されていました。

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  1. 2019/09/08(日) 00:01:41|
  2. 東海
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名鉄築港線の今昔

今週は名古屋鉄道築港線の今昔をご紹介しましょう。
築港線は名鉄名古屋から急行で11分、常滑線の大江駅から分岐するわずか1.5キロの短い路線。
しかも、電車が走るのは朝夕の通勤時間帯だけで、日中は1本も走らないという特殊な線なのです。

これが大江駅です。
①大江駅
抜けるような青空でした。

大江駅で発車を待つ築港線の電車です。
②大江駅ホーム

大きなカーブを東名古屋港行の電車がやって来ました。
③カーブ
左側の線路は、工場へ向かう引込線です。

そして、築港線の名物は、ダイヤモンドクロスと呼ばれる線路が直角に交わる地点です。
④ダイヤモンドクロス
かつて、阪急神戸線と今津線が交差する西宮北口のダイヤモンドクロスが有名でしたが、昭和59年に廃止となり、今では路面電車を除くと、ここが日本で唯一のものなのです。
⑤ダイヤモンドクロスを行く
クロスするもう一つの線路は近くの工場に続いています。

⑥
終点の手前にある大きな木が印象的でした。
⑦駅遠景
この先に見えるのは、東名古屋港駅に停車中の電車です。
⑧東名古屋港停車中

⑨駅名票
駅は今では無人駅。
⑩駅舎

上りの電車で大江に戻ると「午前中の運行は終了いたしました」の文字が見えます。
⑪午前中終了

一方、こちらは昭和58年の東名古屋港駅です。
⑫S58駅舎
当時は、こんな小さな駅にも駅員さんが勤務していました。
⑬S58停車中
臨海部で働く大勢の通勤客が降りる姿は、昔も今も変わることはありません。
⑭S58走行中

この当時、使われていた切符です。
⑮東名古屋港きっぷ
自動券売機はなく、駅員さんが手売りで売っていました。

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  1. 2019/09/01(日) 00:03:54|
  2. 東海
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神島の旅

先週に引き続き、三重県の鳥羽諸島の旅、今週は神島をご紹介します。

神島は鳥羽の沖合14キロにある周囲4キロの小さな島です。
s-①神島
鳥羽の佐田浜から直通船で30分、答志島の和具港から20分で着きます。
s-①-2船

神島は三島由紀夫の小説『潮騒』の舞台になったところです。
s-②三島文学潮騒

島の集落は港の近くに密集しています。
s-④坂の多い集落
集落は坂の多いのが特徴です。

集落の真ん中にある時計台です。
s-③時計
昔、この島に薬を売りに来ていたた富山の薬屋さんが、お礼に寄贈した時計だそうです。

煉瓦造りの六角形の井戸がありました。
s-⑤六角形の井戸
島では水は貴重です。いつの時代の物なのでしょうか。

高台にある八代(やつしろ)神社です。
s-⑥八代神社
ここには国の重要文化財に指定されている銅鏡があるそうです。

島の東側にある神島灯台です。
s-⑦神島灯台

そして、こちらは監的哨跡です。
s-⑧監的哨
戦時中に陸軍が対岸の伊良湖岬から撃つ大砲の試着弾を確認するための施設でした。

このあたりからは、対岸にある渥美半島の伊良湖岬がよく見えます。
s-⑨伊良湖岬

島の裏側は、このような断崖絶壁になっています。
s-⑩断崖絶壁

そして、こちらはカルスト地形です。
s-⑪カルスト地形
石灰岩が長年の風雨に浸食されてこのような景観になりました。

荒々しい海岸の、その先の海は太平洋・・・
s-⑫裏側の海岸

島の宿、山海荘の夕食です。
s-⑬山海荘の夕食
海の幸がたくさん。この後も次々と魚料理が出てきました。


翌朝早く、神島漁港を散歩しました。
s-⑭神島漁港

タコツボの手入れをするご婦人と話をしました。
s-⑮蛸壺と婦人
タコはきれい好きなので、タコツボの中をきれいにしておかないと入らないのだそうです。

朝の船で神島を後にしました。
s-⑯さらば神島
さようなら、神島。こんな小さな離島を離れるときは、なんだかいつも胸がきゅんとしてきます。

s-⑰-1きっぷs-⑰-2きっぷ

帰りの船は、途中、菅島に立ち寄りました。
s-⑱菅島
この島にもいつか、上陸してみたいな・・・

鳥羽に着くと、JRの快速「みえ」で名古屋に向かいました。
s-⑲JR鳥羽

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  1. 2019/08/25(日) 00:03:53|
  2. 東海
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答志島の旅

今週は、三重県の鳥羽の沖合に浮かぶ鳥羽諸島のひとつ、答志島(とうしじま)にご案内します。

まずは、名古屋から近鉄特急に乗り、鳥羽までやって来ました。
s-①近鉄鳥羽

これが鳥羽駅です。近鉄鳥羽線とJR参宮線の駅が並んでいます。
s-②鳥羽駅

鳥羽諸島の島々へは、駅から歩いて3分ほどの佐田浜にある鳥羽マリンターミナルから渡し船が出ています。
s-③鳥羽マリンターミナル
答志島は鳥羽諸島の島々の中で一番大きな島で、島には、答志、和具、桃取という3つの集落があります。
その中の一番西寄りにある桃取行の船に乗りました。
s-④桃取行

佐田浜から桃取までは15分足らずの距離です。。
s-⑤桃取沖
船は波静かな伊勢湾をゆっくりと進みます。

桃取の桟橋に着きました。
s-⑥桃取桟橋

こちらは桃取漁港です。
s-⑦桃取漁港

高台から見た桃取集落です。
s-⑨桃取集落

そして、八幡神社です。
s-⑧八幡神社
守り神として、集落ごとに鎮座しています。

s-⑩あじさい
あたりには、紫陽花が咲き誇っていました。
s-⑪キアゲハ
キハゲハが花に寄ってきます。

答志島は東西に6キロの細長い島ですが、西側の桃取と東側の和具、答志を結ぶバスがありません。
s-⑫途中の景色
タクシーもないので、仕方なく歩いていると、こんな美しい風景に出会いました。

これは、1時間以上歩いてたどり着いた和具漁港です。
s-⑬和具港

そして、和具の丘の上にある首塚です。
s-⑭首塚
これは、鳥羽城主で九鬼水軍の大将だった九鬼嘉隆が、関ヶ原の戦いで西軍に味方して敗れ、
この地で自刃した後にここに葬られたとされています。

美しい和具の海岸です。
s-⑮和具サンシャインビーチ
サンシャインビーチと呼ばれているそうです。

そして、こちらは和具から近い答志集落の全景です。
s-⑰答志集落全景
答志の岩屋山には、蟹穴古墳があります。
s-⑯蟹穴古墳

こちらは答志漁港です。
s-⑱答志漁港

集落の女性たちは、夕方になると手押し車を押して買い出しに出かけます。
s-⑲主婦たち

集落の多くの家には、墨で書かれた丸八マークがあります。
s-IMG_9227.jpg
これは八幡神社で焼いた炭でその印を書くと魔除けになるのだそうです。

答志にある旅館「定洋」の夕食です。
s-⑳定洋夕食
伊勢エビやサザエの壺焼きなど、豪華な島の料理でした。

翌日、早朝の答志漁港です。
s-㉑早朝の答志港

朝の散歩に出かけると、錆びた碇にフジツボがへばりついていました。
s-㉒碇とふじつぼ
来週は、鳥羽諸島の一番奥にある神島をご紹介しましょう。

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  1. 2019/08/18(日) 00:02:22|
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土讃線・土佐久礼駅と久礼の町

今週は高知県にあるJR土讃線の土佐久礼駅と、久礼の町をご紹介しましょう。
土佐久礼駅は、高知から土讃線を西へ53.1キロ、特急列車でおよそ50分の位置にあり、鰹漁業の盛んな町です。

トンネルを抜けて窪川行の下り普通列車がやってきました。
s-①下り列車

この駅で、上りの高知行と交換です。
s-②上下線交換ホーム

これが駅舎です。
s-③駅舎
今はJRの駅員はおらず、委託の婦人が切符を販売していました。

久礼漁港は、駅から歩いて10分ほどの場所にあります。
s-④久礼漁港

こちらは久礼八幡宮です。
s-⑤久礼八幡宮
海の守り神として、古来より信仰されています。

こちらは町の中心にある大正市場。
s-⑥久礼大正市場
鰹の町の鮮魚店が並んでいます。
s-⑦大正市場看板

町の中には、こんなレトロな琺瑯引きの看板がありました。
s-⑧レトロ看板
なんだか、昭和の懐かしい気分になりますね。
s-⑨レトロ看板

土佐の地酒の看板もありました。
s-⑩レトロ看板

この町にある西岡酒造は、江戸時代中期の天明元(1781)年の創業で、高知県で最も古い酒蔵です。
s-⑫西岡酒造
代表銘柄は「純平」「久礼」など。
s-⑬西岡酒造内部

こんな古い瓦の家もありました。
s-⑪古い瓦

近くの小さな川を特急「あしずり」が渡っていきます。
s-⑭特急あしずり

続いて普通列車がやって来ました。
s-⑮普通列車
日中の普通列車は一両編成です。

呑み鉄お酒は、もちろん土佐久礼の酒「純平」。
s-⑯純平
「純平」とは、土佐久礼を舞台にした『土佐の一本釣り』というコミックや映画の主人公の名前です。

岡山行の特急南風がやって来ました。
s-⑰特急南風


さて、こちらは昭和50年の国鉄土佐久礼駅です。
s-⑱昭和50年土佐久礼駅
今は、列車が来てもひっそりとしていますが、当時はこんなに賑わっていました。

そして、昔懐かしい硬券のきっぷです。
s-⑲きっぷ
昭和は遠くなりましたが、この町には昭和の香りが、今も色濃く残っています。

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  1. 2019/08/11(日) 00:02:26|
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