田中正恭の汽車旅日記

ここは、紀行作家・田中正恭 (たなかまさやす) が、つれづれなるままに各地の旅や、鉄道に関する話題について綴っており、原則として毎週日曜日に更新しています。時には鉄道以外の話題になることもありますが、よろしくお願い致します。内容につきましてのご感想や、執筆や講演などの依頼がありましたら、お気軽にメッセージをお寄せください。なお、写真や文章の無断転載はご遠慮願います。

美濃赤坂支線と西濃鉄道

今週は岐阜県にある東海道本線の美濃赤坂支線と、貨物専用鉄道・西濃鉄道をご紹介します。
美濃赤坂支線は、大垣と美濃赤坂を結ぶ5.0キロの支線ですが、正式には東海道本線の一部です。
とはいえ、運転本数は朝夕を中心に一日17往復しかなく、特に日中はおよそ2時間に1本の電車しかやって来ません。

こちらが、大垣駅の美濃赤坂行が発着する3番乗り場です。
①大垣駅
美濃赤坂までは、途中に荒尾駅があるだけで、わずか6~7分の短い旅です。

これは、終点の美濃赤坂構内に着いた電車です。
②美濃赤坂構内
いかにも寂れた広大な貨物ヤードの中に、ひっそりと電車が停車しています。

これが、美濃赤坂駅の駅舎です。
③赤坂駅舎
旅客関係の駅員はいませんが、ここにはこの駅から発着する貨物専用鉄道「西濃鉄道」の社員が勤務しています。

西濃鉄道市橋線は美濃赤坂から猿岩までのわずか2・0キロの小さな貨物専用鉄道です。
以前は、その先の市橋まで線路が延び、また、昼飯線という別線もありましたが、いずれも平成18年に廃止されています。

民家の軒のかすめるように長大編成の貨物列車がゆっくりとやって来ました。
④西濃鉄道
この鉄道は石灰石を運搬しており、一日の運転本数は原則として3往復です。

時速10キロの自転車よりも遅い速度で列車が通過すると、老婆がのんびりと踏切を渡って行きました。
⑤貨物列車と老婆

工場に囲まれた、途中駅の乙女阪駅に停車している列車です。
⑥工場内のDE10
なぜか、職員が列車に向けて水をまいていました。


さて、美濃赤坂は、かつて中山道の宿場町でした。
⑦赤坂宿

町の中には古い建物やお寺がたくさんあります。
⑧古い煙草屋
こんな格子戸のあるレトロな煙草屋さんは、まだまだ現役のようです。

こちらは法泉寺です。
⑨法泉寺
このお寺の境内の裏に、西濃鉄道の線路があります。

こんな板塀のある道もありました。
⑩板塀

付近を流れる杭瀬川にあった赤坂港跡です。
⑪船着き場
この地に鉄道が敷設されるまでは、川を使った水運が盛んでした。

こちらは「お茶屋屋敷跡」です。
⑫お茶屋屋敷跡
これは、慶長10(1605)年に作られた将軍家専用の宿泊地で、徳川家康や秀忠が、京と江戸の往還の道中に利用しまいsた。

屋敷の敷地内にある竹藪です。
⑬竹藪
人の気配はなく、竹の葉だけが風に揺れていました。

駅に戻ると、2時間ぶりに折り返しの電車がやってきました。
⑭折り返し電車
左手にはJR貨物の電気機関車が見えます。さきほどの貨物列車を美濃赤坂まで牽引してきたのです。

美濃赤坂で買ったお酒は「美濃菊」。
⑮美濃菊
岐阜県養老町の地酒です。

唯一の途中駅の荒尾です。このあたりには住宅が多いため、何人もの人が乗って来ました。
⑯荒尾駅
荒尾を過ぎるとすぐに本線と合流し、やがて大垣に着きます。

こちらは昭和55年の2月に訪れた時の美濃赤坂駅です。
⑰S550208美濃赤坂駅舎
この時は雪が積もっていましたが、駅の佇まいは、いつ訪れてもまったく変わっていません。
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  1. 2017/03/26(日) 00:02:59|
  2. 東海
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冬の八戸線・鮫駅

今週は青森県の八戸線にある鮫(さめ)駅とその周辺をご紹介しましょう。
ある冬の日に鮫駅で途中下車をしました。
①ホーム (550x367)
鮫駅で折り返し発車を待つ八戸行の列車です。
八戸線は東北新幹線の八戸から久慈までの64・9キロを結ぶローカル線です。
八戸~鮫間(11・8キロ)は、一日19往復の列車が行き来し、八戸市民の貴重な通勤通学となっています。
でも、鮫から先、久慈まで行く列車は9往復に減ってしまいます。

八戸駅弁の「ほたて照焼弁当」です。
②帆立照焼弁当 (550x367)
八戸から久慈まではおよそ20分、このお弁当を食べ終えるころには鮫に到着します。

これが鮫駅の駅舎です。
③駅舎 (550x367)
東北地方のローカル線でよく見られるトタン屋根の木造駅舎が残っています。

駅前には昭和49年に建てられた鮫駅開業50周年のモニュメントがあります。
④開業50周年86動輪 (366x550)
これは、かつて、この線を走っていた8620形蒸気機関車の動輪です。
鮫駅の開業は大正13年、93年の歴史を刻んできました。

駅から歩いて10分ほどの所にある鮫漁港です。
⑤鮫港 (550x367)
後方には、陸続きの島「蕪島」(かぶしま)が見えています。

蕪島にある蕪島神社です。
⑥蕪島神社 (550x367)
蕪島はウミネコの島として知られており、春になると無数のウミネコたちが産卵のためにこの島にやってきます。
その数は数万羽にもおよび、島の岩がウミネコの糞で真っ白になるほどです。
でも、1月のこの日は、その姿はなく、ひっそりと静まり返っていました。

蕪島から眺める鮫の町です。
⑦蕪島からの鮫の町 (550x367)
太平洋側のこのあたりは、冬でも雪はそんなに多くはありません。

この町で買った地酒は三戸のにごり酒「どんべり」です。
⑧どんべり (367x550)
夕方の列車に乗って久慈を目指します。
⑨夕方の列車 (550x349)
鮫駅を発車するとほどなく、蕪島が見えました。
⑩車窓からの蕪島 (550x367)

⑪スタンプ (380x374)
八戸線の八戸~鮫間には、「うみねこレール八戸市内線」の愛称がつけられています。

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  1. 2017/03/19(日) 00:02:42|
  2. 東北
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『Bancul(春号)』に寄稿しました。

兵庫県播磨地方の郷土誌『Bancul(春号)』に寄稿しました。
この雑誌では、毎年鉄道関連の特集を組んでおり、今回が最終回とのこと。
私も4回連続寄稿していたので、誠に残念なのですが、最後は71頁にわたる鉄道大特集です。
IMG_20170313_0001 (388x550)
その中で、私は「行ってみたい名駅・珍駅」と題して6頁にわたり全国のユニークな駅や趣のある駅15カ所を厳選してご紹介しました。その他の記事は地元に特化した読みごたえのある内容となっています。播磨地方以外の方もお読み頂ければ幸いです。
お問い合わせ先:(079)298-8012
  1. 2017/03/13(月) 23:36:30|
  2. 著作/寄稿紹介
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京浜急行大師線

今週は神奈川県川崎市を走る京浜急行大師線をご紹介しましょう。
大師線は、京急川崎から小島新田(こじましんでん)間、4・5キロを結ぶ短い支線です。
川崎大師への参詣客を輸送するために明治32年に川崎~大師間が大師電氣鐡道として開業した長い歴史があります。
現在では参詣客と沿線の通勤通学客の足として活躍しています。

京急川崎駅で発車を待つ大師線の電車です。
①京急川崎 (550x367)
京急の本線は高架上にありますが、大師線の発着する1~3番線は地上ホームです。

隣の港町駅です。
②港町ホーム (550x367)
この駅は平成26年に改修されました。

港町~鈴木町間の踏切を行く電車です。
③港町~鈴木町 (550x360)
大師線はすべて地上を走るため、沿線には14カ所の踏切があります。

こちらは川崎大師駅です。
④川崎大師駅 (550x367)
いつも川崎大師に向かう善男善女で賑わいます。

この駅で途中下車して川崎大師に向かいましょう。
川崎大師の仲見世には、とんとこと包丁でまな板を叩く賑やかな音が聞こえてきます。
⑤とんとこ飴 (550x361)
これは川崎大師名物の「とんとこ飴」を包丁で叩いている音です。

仲見世通りに並ぶ店には達磨や、招き猫など、縁起物が売られていました。
⑥参道 (550x367)

川崎大師の大山門です。
⑦山門 (550x367)
このお寺は、真言宗智山派の大本山で、正式には金剛山平間寺(へいげんじ)といいます。

境内は大勢の参詣客で賑わっていました。
⑧本堂 (550x367)

さて、こちらは川崎大師前踏切です。
⑨大師踏切 (550x351)

東門前駅に停車中の下り電車です。
⑩東門前駅 (550x367)
この駅からも川崎大師に歩いて行くことができます。
⑪東門前踏切 (550x359)
下町情緒あふれる駅前には屋台が並んでいました。

大師線の沿線にはこのようなレトロな看板が残っています。
⑫レトロ看板 (259x400)⑬レトロ看板 (247x400)
まるで、昭和にタイムスリップしたかのようですね。


こちらは産業道路前駅に停車中の上下線の電車です。
この駅のすぐ西側で産業道路(県道6号線)があるので、この名があります。
⑮産業道路駅踏切 (550x367)
現在、この駅の周辺は工事中で、産業道路~小島新田間は単線になっています。

片側4車線の産業道路と踏切で平面交差しており、その上には首都高速道路横羽線の高架橋があります。
⑯高架下 (550x352)
電車の運転本数が多いため、この踏切は渋滞のネックになっています。
⑰高架下 (550x367)
これを解消するため、この区間を含む小島新田~東門前間の地下化工事が進められています。


⑱産業道路~小島新田 (550x358)
産業道路~小島新田間を行く電車です。
⑲小島新田付近 (550x367)
工事が完成すると、このあたりの風景も変わってしまうことでしょう。

終着の小島新田駅に着きました。
⑳小島新田ホーム (550x368)
小島新田駅 (550x361)


駅の近くには広大な貨物ヤードがあります。
㉑神奈川臨港鉄道 (550x371)
これはJR貨物と神奈川臨港鉄道の貨物駅ですが、この時は列車の姿は見られませんでした。


こちらは、平成22年の川崎大師前駅付近を『行く1000形電車です。
㉒201001大師前 (550x348)
この形式は、この直後に運転を終了しました。

そして、こちらは昭和57年の産業道路~小島新田間を行く700形電車です。
㉓S57小島新田~産業道路 (550x382)

そして同じく昭和57年の小島宣伝駅です。
㉔S57小島新田駅 (550x391)
走る電車は変わっても、このあたりの雰囲気は変わりません。

大師線のきっぷです。
㉕きっぷ (232x330)
平成になっても京浜急行では硬券切符を売っていました。



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  1. 2017/03/12(日) 00:01:37|
  2. 関東
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越前大野と九頭竜湖への旅

今週は福井県の越美北線の越前大野駅と終点の九頭竜湖駅にご案内します。
越美北線は、北陸本線の越前花堂(えちぜんはなんどう)から九頭竜湖を結ぶ52・5キロのローカル線です。
けれども、列車は、すべて越前花堂から北陸本線で一駅先の福井駅から発着しています。

冬に福井から越美北線に乗ると、やがて、九頭竜川に沿ってこのような深い雪の中を走ります。
①九頭竜川

越前大野駅です。
②大野駅ホーム
越前大野は越美北線の中心駅で、福井から発車する9本の列車のうち、5本はこの駅止まりです。
③大野駅舎
越前大野駅から、町を散歩してみましょう。

福井県大野市は人口約32,000人の城下町です。
⑧大野城
町を見下ろす高台にある越前大野城は、天正3年(1575年)に金森長近が築城しました。
江戸時代の安政年間に消失し、現在の天守閣は昭和43年に再建されたもので、内部は資料館になっています。
毎年12~3月の間は休館中なので、この日は入ることができませんでした。

町の中は、城下町の雰囲気が残されています。
④寺町通り
こちらは寺町通りです。

そして、こちらは旧内山家の武家屋敷です。
⑤内山家武家屋敷
中に入ると、このような囲炉裏がありました。
⑥武家屋敷内部
そして、座敷には雛人形が飾られていました。
⑦お雛様


越前大野駅からさらに九頭竜湖に向かって列車の旅を続けましょう。
⑨越前下山駅
これは山の中の小駅、越前下山です。

そして、列車は深い雪に包まれた終着駅・九頭竜湖に着きました。
⑩九頭竜湖駅
背後には越前と美濃との国境の山々がそびえています。
当初の計画では、この先、直線距離で16キロ先にある越美南線(現長良川鉄道)北濃駅まで延伸する予定でした。
けれども、列車がこの山を越えることはなく、この間を結んでいたバス路線さえも廃止されてしまいました。
⑪九頭竜湖駅
この駅にやって来る列車は、越前大野始発1本を含めて、一日たった5本しかありません。
でも、こんな山の中の終着駅なのに、駅舎は立派で、委託の駅員さんがきっぷを売っています。

こちらは昭和56年5月に訪れた時の九頭竜湖駅です。
⑫S56九頭竜湖駅
朱色の国鉄色の気動車が懐かしいですね。
⑬赤いキハ

この時、福井駅に戻るとやって来た列車は、米原~金沢間を走っていた急行「くずりゅう」でした。
⑭急行くずりゅう

こちらは国鉄時代の越美北線のきっぷです。
⑮きっぷ

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  1. 2017/03/05(日) 00:03:21|
  2. 北陸
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『JR30年の軌跡』に寄稿しました。

この度、JTBパブリッシングから発売されました『時刻表が刻んだあの瞬間―――JR30年の軌跡』に寄稿致しました。
①表紙
この4月で国鉄が分割民営化されてから30年の節目を迎えます。
それを記念して。この30年のJTB時刻表をひもときながら、その間のJRを取り巻く出来事を回顧するのがこの本です。
②扉③本文
この中で、私は1997年4月号から2010年12月号までの約13年分を担当しました。この間、長野新幹線が開業、サンライズやカシオペアの登場、東北新幹線全通、ブルートレインが次々と削減されるなど、さまざまな出来事がありました。

民営化されたのはついこの前だと思っていたら、もう30年も過ぎたかと思うと、つくづく時間の過ぎるのは早いと思います。
  1. 2017/02/27(月) 00:21:46|
  2. 著作/寄稿紹介
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津山線の旅

今週は岡山県を走るJR津山線をご紹介しましょう。
津山線は山陽本線の岡山と、姫新線の津山間58.7キロを結ぶローカル線です。

岡山駅で発車を待つ津山行きの列車です。
①岡山駅
キハ120系の2両編成でした。

途中、金川駅で岡山駅列車と行き違いました。
②金川到着岡山行
こちらはキハ40系の4両編成です。朝の通勤通学時間帯は4両編成で運転されているようです。

建部~福渡間の旭川橋梁を渡る福渡行の下り列車です。
③福渡~建部下り
この橋梁は美作と備前の国境にあります。
④福渡~建部上り
こちらは上り快速岡山行です。この列車は国鉄色に塗装され、休日には快速「みまさかファンタジー」として運転されます。

福渡駅での行き違い風景です。
⑤福渡交換
福渡では、その名も「福わたり」というお酒を見つけました。
⑥清酒福わたり
このあたりのお米を使って淡路島の蔵元が作ったお酒だそうです。

こちらは弓削(ゆげ)~神目(こうめ)間を行く津山行の下り列車です。
⑦弓削~神目下り
のどかな風景の中を列車は走ります。
⑧弓削~神目

こちらは弓削駅です。
⑨弓削駅
弓削は、河童と川柳の町だそうです。

こちらは亀甲(かめのこう)に着いた列車です。
⑩亀甲駅
平成7年、駅舎を亀の形に建て替えました。亀甲は、近くにある亀の甲羅に似た岩にちなんだ地名です。

駅舎の中には亀が飼育されていました。
⑪本物の亀

そして、駅の周りは亀だらけです。
⑫オブジェの亀
駅にあるかめのオブジェ、

そして、こちらは亀の時計です。
⑬亀時計

「かめっち」という亀のマンホールもありました。
⑭マンホール亀

津山口~津山間を行く列車です。
⑮津山~津山口
線路端にコスモスの花が咲いていました。

終点の津山駅のホームです。
⑯津山駅ホーム
どっしりといたホームの屋根は、いつ訪れても変わることはありません。

「ノスタルジー」のヘッドマークをつけたキハ47が発車を待っています。
⑰津山駅ノスタルジー

これは津山駅舎です。
⑱津山駅舎
現在、補修工事が行われています。

こちらは駅構内に昨春、オープンした「津山まなびの鉄道館」です。
⑲津山まなびの鉄道館
「津山まなびの鉄道館」につきましては、1月8日に公開したブログでご紹介しています。

こちらは津山城です。津山藩・森忠政が12年の歳月をかけ、元和2(1616)年に築城しました。
⑳津山城
天守閣は現存しませんが、市内を見下ろす高台に建っています。

こちらは旧津山藩別邸の庭園であった衆楽園です。
㉑衆楽園(旧津山藩別邸庭園)
大きな池や水路のある広大な庭園が無料開放されており、市民の憩いの場になっています。

衆楽園の池にも亀がいました。
㉒衆楽園の亀
この日は亀に縁のある一日でした。

こちらは国鉄時代の津山線の入場券です。
㉓入場券

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  1. 2017/02/26(日) 00:02:28|
  2. 中国(山陰山陽)
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釜石線の旅

今週は岩手県を走る釜石線をご紹介しましょう。
釜石線は東北本線の花巻と釜石を結ぶ90・2キロのローカル線です。

釜石駅です。
①釜石駅浜千鳥
まずは、釜石の地酒「浜千鳥」を片手に呑み鉄の旅を始めましょう。

釜石駅で発車を待つ花巻行の上り列車です。
②釜石駅ホーム
釜石駅は、釜石線のほか、山田線と三陸鉄道南リアス線が発着しますが、山田線はあの東日本大震災に伴う津波で甚大な被害を受けたまま、すでに6年近くも不通になったままです。

途中駅の陸中大橋です。
③陸中大橋駅
ここはかつて、釜石鉱山で賑わいましたが、今はひっそりとした無人駅です。
この駅と隣駅の上有住の間は、仙人峠の急坂をカーブしながら越えるΩ(オメガ)ループがあり、その大部分はトンネルの中を走ります。

途中の主要駅、遠野駅に停車中の下り釜石行列車です。
④遠野駅ホーム

雪に囲まれた遠野駅です。
⑥雪の遠野駅舎
遠野は民話の里として知られています。

これは、「とおの昔話村」にある「柳翁館」です。
⑦とおの昔話村「柳翁館」柳田國男
ここは、昔、柳田國男が定宿にしていた旅館でした。館の前には翁の胸像が建っています。

これは、ある年の秋の日に訪れた市内の「伝承館」にある菊池家曲り家です。
⑧伝承館菊池家曲り家
曲り家とは、母屋と馬小屋が一体になったこの地方の伝統的な農家です。

こちらは山口集落にある水車小屋です。
⑨山口部落水車小屋
このあたりには河童伝説が残っています。

遠野駅から、再び上り列車に乗りましょう。
⑩遠野ホーム上り列車

雪晴れの日、列車の影が雪原に写って、とても綺麗でした。
⑪列車の影

こちらは柏木平~宮守間にある眼鏡橋です。
⑫柏木平~宮守眼鏡橋
右手前にある柱は、かつてここにあった軽便鉄道時代の橋脚の跡です。

宮守駅のホームです。
⑬宮守駅ホーム
老婆がひとり、列車から降りました。

そして、これが宮守駅です。
⑭宮守駅
このあたりは水がきれいなので、ワサビの産地として町おこしをしています。

花巻駅に着いた釜石線の列車です。
⑮花巻駅
東北本線との乗換駅ですが、遠距離客の大部分は、二駅手前の新花巻で東北新幹線に乗り換えます。

これは春に訪れた時の宮守付近の桜です。
⑯宮守櫻
このあたりには5月の上旬になるとようやく桜が満開になります。

こちらは遠野付近で咲き誇る桜並木です。
⑰遠野桜
みちのくにようやく遅い春がやって来たころでした。

国鉄時代の釜石と遠野の駅のスタンプです。
⑱釜石駅スタンプ⑲遠野駅スタンプ

そそて、国鉄時代の入場券です。
⑳入場券
今では殆どの途中駅が無人駅になってしまいましたが、昭和の頃は多くの駅に駅員さんがいたものです。


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  1. 2017/02/19(日) 00:03:02|
  2. 東北
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魚梁瀬森林鉄道

今週は、高知県馬路(うまじ)村の森林鉄道をご紹介しましょう。

馬路村は、高知市から東へ直線距離で45キロ、道路ではおよそ70キロ離れた深い山の中にあります。
人口約900人の小さな村ですが、ゆずの産地として知られています。

さて、この馬路村には、かつて、木材を運搬することを目的として、魚梁瀬(やなせ)森林鉄道が敷かれていました。
明治40年に手押し軌道として開業して以来、最盛期には総延長250キロにも及びましたが、昭和38年に廃止されました。
そんな馬路村には、かつての森林鉄道をイメージした観光列車が2つ走っています。

馬路村への道は、このような険しい山の中を走ります。
①馬路村への道
馬路へのバスは安芸から平日4本、日祭日は3本しかありません。

これは、馬路村の中心部にある馬路森林鉄道です。
②馬路森林鉄道
かつてのイメージで新造した蒸気機関車型の小さなディーゼル機関車が、一周200メートルほどの小さな線路の上を走ります。
でも、運転されるのは日祭日だけ(8月のみ毎日)で、雨天の日は運休になります。
発車時刻は特に決まっておらず、お客さんが来ると動き出すというのんびりとした運行方法です。
③馬路森林鉄道

乗り場には、かつての車両の車輪や、転轍機が置いてありました。
④車輪や転轍機

こちらは森林鉄道の乗り場の隣にあるインクラインです。
⑤インクライン
これは、昔、丸太の重さを利用して台車を上下させ、木材を運んでいたのを再現したものです。
現在は丸太の代わりに水の重さで動かしており、高低差50メートル、延長92メートルの線路の上をゆっくりと登っています。
⑥インクラインより

これは、インクラインで登った山の上から眺めた馬路村中心部です。
⑦馬路全景
手前に見える川は安田川で、この川に沿って村は開けました。

さて、馬路からさらに17キロ北に進んだところに馬路村のもうひとつの集落、魚梁瀬(やなせ)があります。
魚梁瀬まで行くバスは一日たった2本だけしかありません。

これは、魚梁瀬集落の手前にある魚梁瀬ダム湖です。
⑧魚梁瀬ダム

ダム湖を過ぎるとやがて、魚梁瀬の集落に入り、丸山公園という緑に囲まれた公園の中に森林鉄道の線路があります。
⑨魚梁瀬森林鉄道
これは、元の線路跡を利用したものではありませんが、線路幅767ミリのナローケージを敷設し、その線路の上を現役当時の機関車が小さな客車を牽引して走っているのです。運転日は馬路と同じ日曜祭日で、8月のみ土曜日も走ります。
⑩谷村式3tサイドロッド式DL
この機関車は谷村式サイドロッド式と呼ばれる重さ3トンのディーゼル機関車です。
⑪車内で学生たち
乗り合わせた大学生たちが楽しそうに笑顔を見せてくれました。

車庫の中のほかの機関車も見せていただきました。
⑫野村式L69 4-5t
これは野村式L69という4・5トン機関車です。

そして、こちらは酒井工作所製3.5トンガソリン機関車、
⑬酒井工作所製3-5tガソリン機関車

これは岩手富士特殊軽量機関車という小さな機関車です。
⑭岩手富士製特殊計量機関車
なんともかわいらしい機関車たちですね。

その後、近くの「やなせの湯」で温まりました。
⑮やなせの湯


翌朝、魚梁瀬からさらに11キロ、こんな山道を進みました。
⑯千本山への道
ここまで来るバスはなく、住む人もいません。

着いたところは千本山という所で、ここには魚梁瀬杉と言われる巨大な杉の古木がたくさんあります。
⑰千本山の杉林

苔むした杉林に人影はありません。
⑱苔むした杉林
魚梁瀬森林鉄道は、明治時代にこんな奥地まで敷設され、魚梁瀬杉を運び続けていたのでした。
この先は徳島県に向かう四国山地が広がっているばかりです。

馬路村の中心部近くには、森林鉄道の遺構「平瀬隧道」が残っていました。
⑲馬路の平瀬隧道M44
明治44年に造られたこのトンネルは国の重要文化財に指定されています。

下流の安田付近にも廃線跡のトンネルがありました。
⑳安田町付近のトンネル
列車がここを走っていたのは、半世紀も前のことです。

馬路と魚梁瀬の森林鉄道に乗ると、こんな木製のきっぷがもらえました。
㉑木のきっぷ
山深い馬路村、心洗われるのどかなところでした。






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  1. 2017/02/12(日) 00:01:27|
  2. 四国
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岳南電車の今

今週は、先週に引き続き、静岡県の岳南鉄道をご紹介します。

貨物輸送が主要な収入源だった岳南鉄道は、平成24年に貨物輸送から撤退を余儀なくされ、経営が悪化してしまいました。
そこで、翌平成25年4月から、不動産業や物品販売を営む「岳南鉄道」から鉄道部門を独立した子会社とし、新たに「岳南電車」として再出発を切りました。

吉原駅で発車を待つ岳南江尾行電車です。
⑰吉原駅ホーム (550x367)
11年前に訪れた時に乗った7000形電車は健在でしたが、その時、貨物列車が廃止された今は、隣のホームにいた電気機関車の姿はありません。

フリーきっぷを購入してあちこちの駅をまわることにしました。
⑱H29フリー券 (400x273)
フリーきっぷは大人700円ですが、吉原~岳南江尾間は片道360円なので、往復するだけでお得になります。

まずは、終点の岳南江尾に直行しました。
片道21分の小さな旅です。
⑲岳南江尾ホーム (550x357)
ホームには赤い7000形と緑の8000形電車が並びました。

ホーム側から見た岳南江尾駅です。
⑳岳南江尾駅 (550x367)
手前の空き地は、かつての貨物線の跡地でしょう。

こちらは富士山をバックに岳南富士岡~須津間を行く電車です。
㉑富士岡-須津1 (550x367)
富士山の手前に見える高架橋は第二東名高速道路です。

本当にすっきりと晴れたいいお天気でした。
㉒富士岡-須津2 (550x367)

踏切の向こうにも富士山が見えます。
㉓富士岡-須津3 (550x367)

こちらは、岳南富士岡駅構内にある車庫です。
㉔富士岡車庫 (550x351)
この日、非番の電車が休んでいました。

これは岳南富士岡駅です。
㉕岳南富士岡駅 (550x367)
前に来た時は有人駅でしたが、今は無人駅です。

岳南富士岡駅構内に、使われなくなった電気機関車が何機も並んでいました。 
㉖富士岡ELと富士山 (550x367)
茶色い塗装が徐々に薄くなってきています。
背後の美しい富士山との対比が、なんとも物悲しく感じます。

工場に囲まれた岳南原田駅に電車がやってきました。
㉗岳南原田工場と電車 (550x367)

この駅も以前は有人でしたが、今は無人駅です。
㉘岳南原田駅 (550x367)
駅舎の中は蕎麦屋さんになっていました。

富士山をバックに、夕暮れ近いジャトコ前~吉原間を走る吉原行電車です。
㉙ジャトコ前 (550x367)
ジャトコ前駅は昔は日産前という駅名でした。

夕方の比奈駅に戻りました。これは、以前来た時に、貨物列車がたくさんいたヤードの跡地です。
㉚線路のはがされた比奈 (550x367)
正に、この日に重機が入り、線路をはがした直後でした。
脇にはがしたばかりの錆びた線路と、枕木が積んであります。
更地に戻った地面には、まだ、枕木の跡が残っていました。

駅舎の事務室内は、鉄道模型店になっていました。
㉛-1模型屋 (550x367)
壁面にある賞状や、乗車券箱が、有人駅だった時のまま残されています。

やがて、日が暮れました。
㉛比奈夜 (550x367)
電車のライトが眩しく光っていました。












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  1. 2017/02/05(日) 00:01:24|
  2. 東海
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岳南鉄道の昔

今週から2回にわたって静岡県を走る岳南鉄道をご紹介しましょう。
岳南鉄道は、東海道本線吉原駅から分岐し岳南江尾(がくなんえのお)までの9・2キロの小さなローカル私鉄です。

これは、昭和50年の岳南江尾駅です。
①19750705岳南江尾 (550x364)
この電車は昭和17年に小田急で製造された1600形という古い車両でした。

こちらは当時の切符です。
②S50きっぷ (257x350)
岳南鉄道では、昔も今も、このような硬券切符が使われています。

そして、これは昭和50年当時の車内乗車券です。
③S50車内券 (500x258)
現在ではワンマン運転ですが、当時は車掌さんが乗務し、無人駅から乗る乗客にこんな切符を販売していました。


さて、時は流れ、こちらは平成18年の吉原駅の風景です。
④-1吉原H18 (550x367)
吉原駅のホームには、発車を待つ電車と、電気機関車の姿がありました。
④-2吉原駅ホーム (550x367)
岳南鉄道の沿線には多くの工場があり、貨物輸送がこの線の大きな収入源でした。

途中の主要駅、吉原本町です。
⑤吉原本町H18 (550x367)
沿線の途中駅の中で最も乗降客数の多い駅で、今も有人駅ですが、ホームは片面一線だけのシンプルな構造です。

比奈駅には、長大な貨物列車が停車していました。
⑥比奈1 (550x367)

これが比奈駅です。
⑦比奈駅H180415 (550x367)
この当時は有人駅でしたが、現在では無人駅となり、駅舎の中は鉄道模型店になっています。

比奈駅構内は広大な貨物ヤードになっており、何両もの貨車が止まっていました。
⑧比奈貨物1 (550x367)

比奈駅の構内踏切で貨車の入れ替え作業が行われていました。
⑨比奈貨物 (550x367)

でも、広い構内は、廃車になった古い電車の墓場になっていました。
⑩比奈廃車1 (550x367)

手前のボロボロになった電車は、31年前に出会った電車の哀れな姿だったのです。
⑪比奈廃車2 (550x367)
これらのボロボロの電車たちは、平成23年に解体されたそうです。

岳南富士岡~須津(すど)間を行く、岳南江尾行の電車です。
⑬岳南富士岡~須津H180415 (550x367)
この7000形電車は、京王井の頭線からやってきた車両で、現在も活躍しています。

こちらは、岳南富士岡駅構内に留置されていた、旧東急の5000形電車とED291電気機関車です。
⑭富士岡H18 (550x367)
5000形電車は東急時代は緑色に塗装され、靑ガエルと呼ばれていました。

でも、実はこれらの車両も、この時、すでに廃車となっており、駅構内に放置されていたのです。
⑮富士岡ボロボロ電車 (550x367)
よく見ると赤い塗装がはげ落ちて、その下に東急時代の緑色が見えていました。
廃車ばかり見ていると、なんだか、悲しい気持ちになってしまったのです。

これが終点の岳南江尾駅です。
⑯岳南江尾駅H18 (550x367)
この駅は昭和50年に来た時もすでに無人駅になっており、その佇まいは、いつ訪れても変わることはありません。



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  1. 2017/01/29(日) 00:01:15|
  2. 東海
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東武鉄道佐野線の今昔

今週は群馬県の館林駅から栃木県の葛生(くずう)駅間22・1キロを結ぶ、東武佐野線をご紹介しましょう。

佐野線の起点である館林駅は、東武伊勢崎線(スカイツリーライン)と、佐野線、小泉線が分岐する東武鉄道の要衝駅です。
①館林駅舎
駅舎を改築した時、昭和12年築のモダンな洋館風の駅舎を取り壊さず、新駅舎と併用しているところが素晴らしいです。

駅前には愛らしいタヌキの像が立っています。
②文福茶釜
館林には、童話「文福茶釜」でおなじみの茂林寺があるのです。

館林駅で発車を待つ佐野線の列車です。
③館林駅ホーム

渡瀬(わたらせ)駅を出ると、やがて、渡良瀬川の長い鉄橋を渡ります。
④渡良瀬川鉄橋

佐野市駅に到着しました。
⑤佐野市駅
この駅は、佐野厄除大師の最寄駅です。

佐野駅付近に館林行の上り列車がやって来ました。
⑥佐野駅入線
佐野駅は、JR両毛線との乗換駅で、佐野線の中心駅です。
⑦佐野駅
駅前は鳩の噴水のある公園になっていました。

堀米駅に到着した葛生行の下り列車です。
⑧堀米駅ホーム

こちらは堀米~吉水間の秋山川を渡る列車です。
⑨堀米~吉水間

そして、終点の葛生に着きました。
⑩葛生駅ヤード
駅構内には広大なヤードがあり、かつては石灰石などを輸送する貨物列車が運転されていました。
しかし昭和61年に貨物列車が廃止されると跡地には錆びた線路が残り、一部はソーラー発電用パネルが並んでいました。

平成26年に建て替えられた現在の葛生駅舎です。
⑪葛生駅舎


車止めの向こうに、発車を待つ電車がポツンと停車しています。
⑫葛生車止め

かつては葛生駅の先にも貨物専用線が延びていました。
⑬貨物線廃線跡
けれども、今では廃線跡の架線柱につる草が生い茂っていました。

葛生駅の1本しかないホームです。
⑭葛生ホームH28

そして、こちらは昭和58年の同じホームです。
⑮葛生ホームS58
停車する電車の向こうに貨車が並んでいるのが見えます。

当時の木造駅舎です。
⑯葛生駅S58

そして、駅名票。
⑰駅名票S58
駅名の下部にあるはずの広告面が錆びついていました。

その時、館林駅に戻ると、浅草行の急行「りょうもう」が停車していました。
⑱館林急行りょうもうS58
⑲きっぷ当時、まだ残っていた硬券切符は、今はもうありません。


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  1. 2017/01/22(日) 00:01:16|
  2. 関東
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東海道本線・摂津本山駅の今昔

今週は神戸市にある東海道本線緩行線(JR神戸線)の摂津本山駅の今昔をご紹介します。
大正10年に開業したこの駅の駅舎は、近年まで、阪神間で木造駅舎が残る最後の駅でした。

実は、この駅は私の故郷の駅で、私にとって最も縁の深い駅なのです。
そこで、この駅の今昔を定点観測で見てみましょう。

これは国鉄時代、昭和51年の摂津本山駅(北口)です。
①摂津本山S51 (550x380)
この当時は、まだ荷物の取り扱いがあり、駅舎の向かって左側に荷物用の窓口がありました。

そして、これは昭和62年3月、国鉄民営化直前の北口駅舎です。
②S6203北口 (550x372)
荷物扱いが廃止され、自動券売機が設置されたものの、基本的に駅の構造は同じでした。

こちらは南口駅舎です。
③S6203南口 (550x372)
北口をやや小ぶりにしたような同じ造りの木造駅舎でした。

民営化以降もこの駅舎は健在でした。

しかし、平成7年1月17日、この地を震度7強の阪神淡路大震災が襲い、6000人以上の尊い命が失われました。
これは、摂津本山~芦屋間で地震による揺れで脱線した貨物列車です。
④貨物脱線H0701 (550x389)
被災地を走る東海道本線、山陽本線は、六甲道駅や新長田駅が全壊したり、住吉~六甲道間の高架橋が崩落するなど甚大な被害を受け、発生から73日間不通になりました。
高架橋崩落 (550x372)
これは崩落した高架橋です。

摂津本山駅付近も駅前のマンションが崩壊するなど、周辺の住宅街が壊滅状態になってしまいました。
⑤壊滅的被害 (550x384)
こちらは駅南西の田中町の惨状です。

けれども、摂津本山駅の木造駅舎は、北口、南口ともに奇跡的に崩壊を免れたのです。
そして、その後も徐々に復興する街の表玄関としてその役目を果たし続けました。

周辺の駅が次々と建て替えられる中で、気がつくと阪神間で最後まで残った木造駅舎でした。
⑥H2303駅舎 (550x371)
これは平成23年3月です。
けれども、この年の暮れから新駅舎への建て替え工事が開始され、戦時中の空襲にも大震災にも耐えた駅舎は、惜しくも取り壊されてしまいました。

これは平成24年8月の北口仮駅舎です。
⑦摂津本山仮駅舎H2408 (550x348)

さらに平成25年10月には仮駅舎の前に新駅舎がほぼ完成。
⑧H2510工事中 (550x367)

そして翌11月には、仮駅舎が撤去され、新しい橋上駅舎での営業が開始されました。
⑨H2801 (550x367)

さらに平成27年3月に駅前の整備が完了し、工事が終了したのでした。
⑩H2803完成 (550x367)
上は新駅舎の北口、下は南口で、南北は橋上通路で結ばれています。
⑪201603南口 (550x367)
これまでなかったエレベーターやエスカレーターが設置され、構内に店舗ができるなど近代的で便利な駅になりました。
でも、いつ帰郷しても、変わらぬ姿で迎えてくれたぬくもりのある木造駅舎は、もうありません。
建物の老朽化とバリアフリーが建て替えの理由でしたが、なんとか歴史ある建物を残すことができなかったのかと残念でなりません。

京都行の普通電車がやって来ました。
⑫京都行 (550x367)
この駅は今も昔も普通電車しか停まりません。
⑬快速通過 (550x367)
下り快速電車が通過して行きました。
ホームの大阪寄りの佇まいは、旧駅舎時代と同じです。

さて、こちらは駅から北に10分ほど歩いたところにある岡本梅林公園です。
⑭岡本梅林公園 (550x367)
岡本とはこの駅の近くにある阪急岡本駅周辺の地名です。
このあたりは「梅は岡本、桜は吉野」と呼ばれるほど古来より梅の花の名所として知られていました。
今はなき祖母の話によると、大正10年に摂津本山駅が開業するまでは、梅の時期にだけ観梅客のためにこの近くに仮乗降場を設けたそうです。
⑮岡本八幡 (367x550)
こちらは岡本八幡神社の梅です。
梅の花がこのあたりに春の訪れを告げてくれます。

また、5月になるとにぎやかに「だんじり祭」が行われます。
⑯だんじり祭①(550x361)
摂津本山駅前に何台もの町内会のだんじりが集結し、その後、町の中を練り歩くのです。
⑰だんじり祭 (550x367)
お祭の時は、勇壮な鉦の音が街に響きます。

こちらは、国鉄時代の切符です。
⑱国鉄時代切符 (480x424)
昔は券売機などはなく、窓口でこんな硬券切符を買っていたものでした。


時は流れ、平成28年末に帰省すると、こんなきれいなイルミネーションが美しい光を放っていました。
⑳20161230夜 (550x366)


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  1. 2017/01/15(日) 00:00:01|
  2. 近畿
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津山まなびの鉄道館

今週は、昨年4月に岡山県津山市に開館した「津山まなびの鉄道館」をご紹介しましょう。

ここは、姫新線、津山線、因美線が交差するJR津山駅構内にある旧津山扇形機関車庫を中心とする博物館です。
①扇形車庫 (550x367)
昭和11年に建造されたこの機関車庫は、我が国二番目の規模を誇るもので、平成21年に近代化産業遺産に指定されました。
この博物館の特徴は、非電化区間の津山にあるため、ここで保存されている列車に電車や電気機関車が一両もないことです。

左から、キハ181、キハ58、キハ28の気動車群です。
②キハ181キハ58キハ28 (550x366)
キハ181は、非電化路線の特急用車両として全国各地で活躍し、岡山県では伯備線を走る「やくも」として山陽と山陰を結ぶ大動脈として走り続けました。また、キハ58、キハ28は急行用気動車として全国各地で見られたものです。

転車台の上に乗っているのは、DF50ディーゼル機関車です。
③DF50 (550x367)
これも北海道を除く全国の非電化幹線で活躍しました。

こちらはキハ33で、主に鳥取県の境線で使われていました。
④キハ33 (550x367)
これはオハ50形客車にディーゼルエンジンを積んで自走できるようにした変り種で、この列車は民営化直後の昭和63年に2両だけ改造された希少なものです。

こちらはキハ52です。
⑤キハ52 (367x550)
全国の山間部の路線で活躍し、この車両は平成22年まで新潟県の大糸線を走っていました。

そして、ご存知デゴイチです。
⑥D512 (347x550)
これは、全国で1115両も製作された日本を代表する蒸気機関車D51の2号機で、関西本線などで活躍していました。

そして、こちらは蒸気機関車の後継として量産されたディーゼル機関車DD51です。
⑦DD51 (355x550)
現役の蒸気機関車を撮影していたころ、デゴイチが来るはずがDD51に置換されていると「なんだデラックスデゴイチ」が来てしまった」とがっかりしたものですが、今では残り少なくない貴重な存在です。

これは、日本最大の大型ディーゼル機関車DE50の1号機です。
⑧DE501 (367x550)
でも、導入予定路線が次々に電化されたため、たった一両しか製作されなかった「一人っ子」でした。

こちらは除雪用ディーゼル機関車DD15です。
⑨DD15除雪用機関車 (550x367)
全国の寒冷地で運用され、この車両は主に北陸本線で活躍していました。

これは入れ替え作業用の10t貨車移動機です。
⑩10t貨車移動機 (550x367)
分類上は車両ではなく、機械として扱われるそうです。

屋内の展示場にはジオラマがあります。
⑪ジオラマ (550x367)
ジオラマも津山駅と扇形機関車庫が模型になっています。

因美線で使われていたタブレット閉塞機です。
⑫タブレット閉塞機 (550x367)
かつて単線区間ではどこでも見られたもので、この機械により、列車の安全運行が確保されていました。

昔の津山駅をイメージした展示や、懐かしいホーローびきの駅名票がありました。
⑬昔の津山駅イメージ (267x400)⑭琺瑯びき駅名票 (267x400)
ホーローびきの駅名票のある駅も少なくなりました。

列車のサボに、腕木式信号機です。
⑮サボ (267x400)⑯腕木式信号 (267x400)
今では見られなくなってしまいました。

⑰スタンプ (350x345)
この博物館は津山駅から歩いて10分ほどの場所にあります。

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  1. 2017/01/08(日) 00:01:23|
  2. 中国(山陰山陽)
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長良川鉄道②と越美南線の今昔

今週は、糸魚川での大火のため、一周延期しましたが、先々週に引き続き、岐阜県の長良川鉄道の旅を続けます。
まずは、郡上八幡からさらに北を目指します。

郡上八幡駅の普通列車です。
⑯郡上八幡普通列車 (550x365)
郡上八幡から北の普通列車は一両で運転されることが多いようです。

郡上八幡で買った地酒は「金泉」。
⑰郡上の酒「金泉」 (550x330)
でも、観光列車を含め、長良川鉄道の列車にはトイレがついていないので、呑み鉄をする時は要注意です。

山田と言う小さな無人駅で降りてみました。
⑱山田駅 (550x365)
やがて、上り列車がやって来ます。
⑲山田付近 (550x367)

こちらは郡上大和駅です。
⑳郡上大和駅 (550x338)
この線には、こんな古い木造駅舎の残る駅がいくつもあります。

美濃白鳥駅のホームの様子です。
㉑美濃白鳥ホーム (550x357)
学校帰りの高校生の姿が見られます。

これも古い駅舎が残る美濃白鳥駅です。
㉒美濃白鳥駅 (550x366)
かつて、ここから山を越え、福井県側にある越美北線の九頭竜湖へのバスが走っていました。

終点の北濃駅に着いた「ながら」です。
㉓北濃「ながら」 (550x357)
美濃太田を発車した時は二両編成ですが、郡上八幡で車内で食事やスイーツが味わえる「あゆ号」を切り離し、北濃までやって来るのは「もり号」一両だけです。

これが終着の北濃駅です。
㉔北濃駅 (550x367)
国鉄越美南線は、この先、北へ直線距離で16キロ余りにある越美北線の九頭竜湖駅まで延伸させ、美濃と越前を結ぶ越美線とする計画でしたが、この区間が鉄路で結ばれることはなく、この区間のバス路線さえも廃止されてしまいました。

駅構内には古い転車台が残っています。
㉕転車台 (550x367)
かつて材木などを積んだ貨物列車が走っていたのです。

ホームで発車を待つ上り列車です。
㉖紫陽花と列車 (550x367)
赤い列車と初夏の花がなんとも美しい光景を見せてくれていました。
㉗北濃普通 (550x349)

紫陽花の花が咲く駅を、美濃太田行の普通列車が発車して行きます。

さて、これは今から43年前、国鉄時代の昭和48年8月に訪れた時の北濃駅です。
㉘S48北濃駅 (550x365)
3両連結の気動車に貨車の姿も見えます。

そして、こちらは長良川鉄道になった当初、昭和63年2月に訪れた時の美濃白鳥駅の様子です。
㉙S6302美濃白鳥 (550x371)
この時は雪がちらつく寒い日でした。

こちらは関駅付近を行くレールバスです。
㉚S6202関付近 (550x372)
このころは、三セク化された全国のローカル線で、このような小さなレールバスが走っていました。

㉛郡上八幡スタンプ (380x375)
こちらは国鉄時代の郡上八幡駅のスタンプと現在の北濃駅のスタンプです。
㉜北濃スタンプ (380x377)

そして、長良川鉄道の乗車券、
㉝長良川鉄道切符 (450x235)
それに国鉄時代の入場券です。
㉞国鉄入場券 (223x400)
美濃弥富駅は、三セク化された時に郡上大和駅に改称されました。

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  1. 2017/01/01(日) 00:01:08|
  2. その他の話題
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糸魚川の風景

今週は先週に引き続き、長良川鉄道をご紹介する予定でしたが、去る12月22日に発生した新潟県糸魚川(いといがわ)市での大火に伴い、急遽、火災前の糸魚川の風景をご紹介することにしました。

まずは、この度の大火で被災された糸魚川市の皆さまには心からお見舞い申し上げます。
①新聞記事
報道によればこの火災は糸魚川駅に近い大町地区で発生し、
強い南からの風にあおられて駅の北側の広い地域まで延焼しました。

実は、正に今回、被災した地域を、私は昨年1月、北陸新幹線開通直前に訪れていました。

北陸本線の富山行普通列車で糸魚川駅に到着しました。
②普通列車
昨年3月の北陸新幹線開業後は、並行在来線であるこの区間の北陸本線は第三セクターの「えちごトキまめき鉄道」に転換されています。

糸魚川駅です。
③糸魚川駅
アルプス口(南口)の高架下には、かつて駅構内にあった赤レンガ車庫の壁面を移築した「糸魚川ジオステーション ジオパル」があります。
⑭ジオステーション ジオパル
内部には平成22年まで大糸線を走っていたキハ52形が静態保存されていました。
⑮キハ52形
車内の座席は待合室として利用されています。

糸魚川は酒処です。
④一斗樽
駅構内には糸魚川にある蔵元の一斗樽が並んでいました。

そして、糸魚川はひすいの採れる所としても知られています。
⑤ひすい
これは市内で産出されたひすいの原石です。

こちらは大町地区の伝統的な雁木(がんぎ)のある通りです。
⑥雁木
雁木とは冬季の降雪時に雪除けになる、木製の頑丈なアーケードのような屋根のことです。
けれども、このあたりの雁木のある街並みも、今回の大火で焼失してしまったそうです。

こちらは昭和初期の日本家屋そのものの老舗旅館である「平安堂旅館」です。
⑦平安堂旅館
旅館というよりは、旅籠と呼んだ方がいい古い建物ですが、大変残念なことに、全焼してしまったとのことです。

こちらは、越後最古の蔵元「加賀の井酒造」です。
⑧加賀乃井酒造
加賀藩前田家が参勤交代の折に宿所にしていたことから、越後にありながらこの名があるそうです。
江戸時代初期の慶安3年創業以来466年の歴史を刻んだ県内最古の蔵元です。

内部には加賀藩からの献上品が展示されていました。
⑨加賀藩献上品

日本酒品評会で受賞したカップもありました。
⑩カップ

⑪加賀の井一斗樽
けれども、この酒蔵も全焼したとの報道がありました。
何杯も利き酒をさせていただいただけに本当に悲しい気持ちです。

すぐ近くには日本海が広がっています。
⑫日本海

そして、駅の南側には住宅街の向こうに雪を抱いた北アルプスの山並みが広がっていました。
⑬雪を抱く山

帰りの列車での呑み鉄は、もちろん「加賀の井」でした。
⑯加賀の井呑み鉄

やって来た列車は新潟行の特急「北越」です。
⑰北越
金沢~新潟間を結んでいましたが、北陸新幹線の開業と同時に廃止されてしまいました。

どうか、今回の大火で被災された地区が一日も早く復興しますように、心からお祈りしています。

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  1. 2016/12/25(日) 00:02:01|
  2. 甲信越
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長良川鉄道①と郡上八幡

今週から2回にわたって岐阜県の長良川鉄道の旅にご案内します。

長良川鉄道は、高山本線の美濃太田と北濃を結ぶ72.1キロを結ぶ第三セクター鉄道です。
昭和61年に国鉄越美南線を引き継いで開業しました。

美濃太田駅で発車を待つ北濃行普通列車です。
①美濃太田 (550x367)
終点北濃までを2時間余りかけてのんびりと走ります。

沿線主要駅のひとつ、関駅です。
長良川鉄道の本社は関にあります。
②関駅 (550x367)
関は刃物の町、隣は刃物会館前という駅です。

美濃市駅で反対列車と行き違いました。
③美濃市駅 (550x356)
かつて、この駅まで名鉄美濃町線が走っていましたが、平成17年に廃止されてしまいました。

やがて、列車は長良川の清流に沿って走ります。
④清流 (550x367)

八坂付近の田園地帯を走る列車です。
⑤八坂 (550x357)

八坂~みなみ子宝温泉間で長良川を渡ります。
⑥八坂~みなみ子宝♨ (550x354)
列車が鉄橋を渡るたびに、車窓からの長良川の眺めは移動します。

郡上八幡駅に「観光列車ながら」がやって来ました。
⑦観光列車ながら (550x367)
週末を中心に運転されるこの列車は、今年の4月から運転を開始しました。

「ながら」の車内では明るい笑顔のアテンダントが案内をしてくれます。
⑧ながらアテンダント (367x550)

多くの観光客が下車する郡上八幡では、地元の特産品の立ち売りが行なわれています。
⑨郡上八幡駅売り (367x550)
実は、この人、郡上在住の友人のK氏なんです。

郡上八幡駅は、趣のある木造駅舎が健在です。
⑩郡上八幡駅 (550x366)
昭和4年の開業以来、この町の玄関口として建ち続けています。

郡上八幡と言えば、郡上踊りがあまりにも有名です。
⑪郡上踊り (550x367)
毎年、7月中旬から9月上旬まで行われるロングランの盆踊りで、特にお盆の4日間は徹夜で踊り続けるそうです。

市内の中心部にはしっとりと落ち着いた街並みが続いています。
⑫街並み (550x367)
ここは「やなか水のこみち」と呼ばれる散歩道です。

近くの水路には鯉がたくさん泳いでいました。
⑬鯉 (550x367)

こんな古風な酒屋さんもあります。
⑭酒屋 (550x367)
メインの看板が美濃の酒ではなく、灘の酒「白雪」でしたが、ここでは地酒をたくさん売っていました。

こちらは郡上八幡城です。
市内を見下ろす山の上に優雅な姿を見せてくれています。
⑮郡上八幡城 (550x367)
永禄二年(1559年)に遠藤盛数が砦を築いたのがこの城の始まりです。

この先、北濃までの長良川鉄道の旅は来週に続きます。

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  1. 2016/12/18(日) 00:02:28|
  2. 東海
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羽越本線・村上駅、鮭と酒の町・村上の情景

今週は晩秋に訪れた新潟県にある羽越本線村上駅と、城下町村上の情景をご紹介します。
村上市は16世紀に本庄氏が築城した村上藩の城下町として栄えました。

新潟から快速「きらきらうえつ」に乗ると、50分で村上に着きます。
①きらきらうえつ

これが村上駅です。
②村上駅
村上はすべての特急列車が停車する新潟県北部の中心都市です。

城下町、村上にはいくつかの武家屋敷や古い街並が残されています。

これは旧成田家住宅です。
③成田家
赤い紅葉がなんともきれいでした。

こちらは旧若林家住宅です。
④重文若林家
江戸時代中期のこの建物は国の重要文化財に指定されています。

若林家の軒下に干されている鮭です。
⑤若林家の鮭
村上は200年以上前に、青砥武平治という人が、鮭が産卵のため川に登ってきやすいように工夫したために豊漁となり、鮭とともに栄えてきた町なのです。

紅葉が本当に綺麗ですね。
⑥木羽葺き石置屋根
左奥にある建物は木羽葺き石置屋根という、北越後特有の伝統的な屋根で、屋根の上の石が、冬の強い風雪にも耐えられるように造られています。

こちらは「おしゃぎり会館」にある村上大祭の山車です。
⑦おしゃぎり会館
この地方では山車のことを「おしゃぎり」と呼びます。

おしゃぎり会館からは村上城跡を望むことができます。
⑧村上城址
臥牛山(がぎゅうざん)に築かれた城址には、今は石垣が残されているばかりです。

こちらは安善小路にある黒塀です。
⑨安善小路の黒塀
このあたりにはいくつかのお寺が並んでいます。
⑩浄念寺のイチョウ
浄念寺のイチョウが見事に色づいていました。

民家の板塀にも鮭の模様が施されています。
⑪鮭の板塀
それだけ、鮭と縁の深い町なのです。

それとともに、村上は酒どころでもあります。
⑫田村酒店
こちらは越後の地酒を売る田村酒店です。

そして、こちらは大洋酒造の和水蔵(なごみぐら)です。
⑬大洋酒造和水蔵
蔵の中の試飲コーナーです。
⑭利き酒
9種類ものお酒を試飲しましたが、クルマだとこうはいきません。これは列車の旅の特権ですね。
村上は鮭と酒の町なのです。

夕暮れの村上駅に新津行の普通列車がやって来ました。
⑮夕暮れの駅
羽越本線は全線電化区間なのに、時々、電車ではなく、ディーゼルカーがやって来ることがあります。

今と昔の村上駅のスタンプです。
⑯スタンプ今⑰スタンプ昔
やはり、図柄に鮭が描かれていました。

⑱入場券今昔そして、今と昔の入場券です。

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  1. 2016/12/11(日) 00:01:11|
  2. 甲信越
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12月6日売の『FLASH』に寄稿しました。

この度、12月6日発売の写真週刊誌『FLASH』に、”大人の「青春18きっぷ」で行く最強にオトクな日帰り旅”と題する記事を4ページにわたって寄稿しました。
FLASH中身

私がこの雑誌に寄稿するのは14回目のことですが、今回は12月1日から発売された青春18きっぷを使って東京、名古屋、大阪、岡山から日帰りのお得な旅を提案するものです。
cover[1]

ところで、いわゆる「赤券」と呼ばれる青春18きっぷの常備券は、JR西日本でJR四国の一部の駅で細々と販売されていましたが、とうとう、今回で販売を終了し、次回からはすべて機械発券になるそうです。
18
JR西日本の駅では即日完売し、四国も残り少ないようです。
すべてが機械発券になっても、国鉄時代から続く「青春18きっぷ」の発売は今後も続けてほしいものですね。

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  1. 2016/12/06(火) 01:56:12|
  2. 著作/寄稿紹介
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『終着駅』発刊

【著書ご紹介】この度、自由国民社より『終着駅』が発刊されました。この本は全国65箇所の終着駅をご紹介するもので、写真はどん行会の大先輩、南正時さんと井上廣和さん、それに村上悠太さんの3人の鉄道写真家の方々が撮影され、文章は私が執筆致しました。
表紙 (398x550)

北は北海道稚内から、南は九州枕崎まで、各地の終着駅の情景を綴っています。

こちらは北海道の札沼線新十津川駅をご紹介するページです。
新十津川 (450x326)
今やこの駅にやって来る列車はわずか、一日1本だけ。もはや、存続が風前の灯になってしまいました。

こちらは長良川鉄道の北濃駅のページです。
北濃 (450x326)
ひっそりとした山の中にある駅で、昔使われていたターンテーブルが残されています。

そして、こちらは伊予鉄道の高浜駅です。
高浜 (450x325)
まるで、学校の木造校舎のような懐かしさを感じる駅でした。

ご興味のある方は全国の書店でお手に取ってご覧いただければ幸いです。またはネット書店でも販売しております。


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  1. 2016/12/04(日) 00:01:21|
  2. 著作/寄稿紹介
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土讃線・大歩危駅

今週は、徳島県にある土讃線大歩危(おおぼけ)駅とその周辺をご紹介しましょう。
徳島県と高知県の県境付近の土讃線は、険しい四国山脈に囲まれた吉野川に沿って走ります。

大歩危駅に高知行の下り普通列車が着きました。
①大歩危駅到着
2両編成のこの列車の乗客はまばらです。

これが大歩危駅の駅舎です。
②駅舎
立派な木造駅舎ですが、今では無人駅になってしまいました。

その代り、妖怪駅長の「こなきじじい」が立っています。
③妖怪駅長
『ゲゲゲの鬼太郎』に出てくるこなきじじいは、このあたりに伝わる妖怪のようです。
④三芳菊「こなきの盗み酒」
そして、駅前で買ったお酒は「大歩危こなきの盗み酒」。

ホームには日本三橋のひとるに数えられる「かずら橋」の模型がありました。
⑤ホームのかずら橋

「かずら橋」は、大歩危駅からバスで22分の山中にあります。
⑦かずら橋

こちらは大歩危峡です。
⑧大歩危峡
列車の窓からもこのような美しい流れを眺めることができます。

そんな美しい河畔を列車が走ります。
⑨琴平行普通
これは琴平行の上り普通列車です。
⑩琴平行普通
乗って来た列車は2両でしたが、こちらはたった1両の単行運転でした。

そして、これは岡山行特急「南風」の「アンパンマン列車」です。
⑪岡山行南風アンパンマン
四国では、高知県出身の、故・やなさたかしさん協力によるアンパンマン列車によく出会います。

四国の西南端にある宿毛(すくも)まで行く下り特急「南風」がやって来ました。
⑫宿毛行南風
この列車は、窪川から宿毛まで、第三セクターの土佐くろしお鉄道に乗り入れます。

これは私が初めてこの駅で降りた昭和50年の入場券です。
⑬入場券
このあたりの自然豊かな風景は、40年以上過ぎた今も変わってはいませんでした。

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  1. 2016/11/27(日) 00:02:42|
  2. 四国
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長崎本線・長与支線

今週は長崎県にある長崎本線・長与支線をご紹介します。
長崎本線は、鹿児島本線の鳥栖から分岐し、長崎までの125.3キロを結ぶ幹線です。
途中、諫早から二つ目の喜々津から長崎の一駅手前の浦上までは、ふたつのルートに分かれています。
この区間、明治31年に長崎まで線路がつながった時には、海沿いの長与(ながよ)経由で開通しました。
しかしながら、この区間は勾配が多いため、昭和47年に現川(うつつがわ)経由の新線が、山をトンネルで潜り抜けて完成し、以来、長崎へのメインルートはこの新線経由となり、特急・急行列車はすべて現川軽油となったのです。区間距離も、旧線では23・5キロだったところ、新線では16・8キロと6・7キロも短縮され、大幅なスピードアップが図られたのでした。

けれども新線はトンネルばかりで味気ないのに対して、幹線から支線へと格下げになった長与支線は山の中や海辺を走る風光明媚な昔ながらの魅力たっぷりの路線なのです。

長崎から来た上り列車が道ノ尾駅に着きました。
①道ノ尾到着

大正末期に建てられたこの駅舎は、昭和20年に落とされた原子爆弾にも耐えました。
②道ノ尾駅
原爆投下後にはこの駅が避難所になっていたそうです。

長崎市と長与町の境界線上にあるこの駅は、今では周囲にマンションが建ち、この駅だけが戦前からある建物なのです。
④道ノ尾構内
駅構内は幹線だったころは交換駅でしたが、今では待避線の線路ははがされ、かつてのホームだけが残っています。

道ノ尾~高田(こうだ)間を行く列車です。
⑤道ノ尾~高田
長崎本線は電化されていますが、この長与支線だけは非電化路線のまま、現在に至っています。

長与駅では上下列車が交換します。
⑥長与 交換
この区間を走る列車の多くは、諫早から大村線、佐世保線経由で佐世保まで直通します。
⑦長与駅名票
長与を発車すると列車は山の中に向かいます。

そして、峠にある駅が本川内です。ここは平成14年までスイッチバック駅でした。
⑧本川内
今も当時のホームと線路がそのまま残っています。

峠を下ると、やがて前方に大村湾が見えてきます。
⑨峠を下る

大草は峠を下ったところにある海辺の駅です。
⑪海辺の駅

これが大草駅ですが、今は無人駅になってしまいました。
⑫大草駅

駅の近くには無人の新聞販売所がありました。
IMG_3059 (402x550)
なんだか、ほのぼのとしています。

海に沿った駅から上り列車が発車して行きます。
⑩大草到着

大草を発車すると車窓には穏やかな大村湾が広がりました。
⑬大村湾
トンネルばかりの新線より旧線の方が乗っていて、ずっと楽しいのです。

そして、これは国鉄時代の入場券です。
⑭入場券



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  1. 2016/11/20(日) 00:02:20|
  2. 九州
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美作河井駅の情景

今週は岡山県にある因美(いんび)線の美作河井(みまさかかわい)駅をご紹介しましょう。
因美線は、山陰本線の鳥取と姫新線の東津山を結ぶ70・8キロのローカル線です。
かつては、因美線と津山線を経由して鳥取と岡山を結ぶ急行「砂丘」や、姫新線を経由して大阪までの急行「みささ」が運転され、陽陰連絡線の重責を担っていました。
しかしながら、平成6年に因美線の途中駅である智頭(ちず)から山陽本線の上郡を結ぶ智頭急行が開業して鳥取と大阪・京都とを結ぶ特急「スーパーはくと」が誕生し、さらに、平成9年に岡山行の「砂丘」が廃止されて、智頭急行経由の特急「スーパーいなば」に置換されると、智頭~東津山間は、完全なローカル線となってしまいました。
美作河井は、そんな区間にある岡山県と鳥取県と県境にある山峡の小さな駅です。

これが美作河井駅です。
①駅舎
昔ながらの佇まいを残す木造駅舎です。

智頭行の列車が去って行きました。
②智頭行列車
ここで降りると、2時間も次の列車はやってきません。
でも、のんびりと途中下車するには、ちょうどいい時間です。

駅前には「鐡道開通七十周年記念」の石碑が建っていました。
③鐡道開通70周年石碑
この駅が開業したのは昭和6年のことです。

この駅に駅員さんがいて、窓口できっぷを売っていたのはいつの頃までだったのでしょうか。
④窓口
窓口の向こうでは、駅員の帽子をかぶったぬいぐるみが手を振っていました。

昔ながらのトイレです。
⑤トイレ
正に昭和そのものの佇まいでした。

かつては、この駅で列車交換が行われており、通過する急行列車が徐行しながらタブレット交換をする光景も見られました。
⑥ホーム
でも、急行がなくなってから、駅舎側の線路ははがされてしまったのです。

この駅の構内には小さな転車台が残されています。
⑦転車台
これは、かつて、降雪時に使われたラッセル車の方向転換を行なうためのもので、近代化産業遺産に指定されています。

この駅のベンチで呑んだお酒は、岡山県真庭の地酒「萬悦 御前酒」。
⑧呑み鉄
誰もいない静かな無人駅で、チビチビと呑む酒も、なかなか乙なものです。

駅から歩いておよそ15分のところに、加茂川に架かる松篲(まつほうき)橋梁があります。
⑨鉄橋
夕方の津山行の列車が通るころには雨が降って来ました。

駅に戻るとかなり激しい雨になりました。
⑩雨の駅舎
智頭行の列車の時刻が近づいてもあたりに人影はなく、なんとも寂しい雨の夕方でした。

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  1. 2016/11/13(日) 00:01:40|
  2. 中国(山陰山陽)
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わたらせ渓谷鐡道②今と昔の旅

今週は先週に引き続き、わたらせ渓谷鐡道の旅です。
両毛線の桐生と間藤を結ぶわたらせ渓谷鐡道(通称「わ鐵」)は、大正3年に全通した国鉄(JR)足尾線を継承して、第3セクター鐡道として、平成元年に開業しました。

これは平成元年開業当初の桐生駅に停車する列車です。
⓪平成元年桐生駅
開業時に導入されたこの「わ200形」は、平成22年までにすべて引退しました。

平成19年、相老(あいおい)付近を行く列車ですが、この列車も今は走っていません。
この時はつつじがきれいに咲いていました。
①相老付近
相老では東武鉄道桐生線と接続します。

こちらは大間々(おおまま)駅です。
大間々駅
国鉄時代からかわらぬ堂々とした駅舎が印象的で、ここにはわ鐡の本社と車庫がある中枢駅です。

大間々~上神梅間を行く列車です。
②大間々~上神梅
渡良瀬川の渓谷美を眺めながら列車は走ります。

こちらは上神梅(かみかんばい)駅です。
③上神梅駅
大正元年に開業したこの木造駅舎は、登録有形文化財に指定されています。

上神梅~本宿の渡良瀬川に沿って走る普通列車です。
④本宿~上神梅
時間帯により、普通列車は一両だけの単行で運転されることもあります。

そして、こちらは水沼駅に停車中の列車です。
⑤水沼駅
水沼駅は、駅舎に温泉があり、日帰り入浴を楽しむことができます。
⑥水沼温泉

神戸(ごうど)駅に「トロッコわたらせ渓谷号」が入線してきました。
先週ご紹介した「トロッコわっしー」の先輩格のトロッコ列車で、シーズン中はふたつの列車がフル回転します。
⑦神戸駅トロッコわたらせ
上の写真は今年(平成28年)に行った時ですが、下は平成19年春、山桃の咲く季節の「トロッコわたらせ渓谷号」です。
「トロッコわっしー」はディーゼルカーですが、こちらは機関車が牽引する客車列車です。
⑧平成19年神戸の山桃
駅の周囲はまるで桃源郷のようでした。

神戸駅の構内には、かつて東武特急「けごん」として活躍した車両が留置されており、レストラン清流として営業しています。
⑪レストラン清流
内部では、簡単な食事や弁当、ビールなどの飲み物が用意されています。

こちらが神戸駅です。
⑫神戸駅
この駅舎も登録有形文化財に指定されました。

沢入(そうり)駅の春です。
⑬沢入駅春
白い桜が満開の中、列車がやって来ました。

足尾駅です。
⑭足尾駅
ここも桜が満開でした。

そして、これが終点の足尾駅です。
⑮間藤駅
時々、駅の近くにカモシカが出没することもあるそうですが、私はまだここで見たことがありません。

トロッコ列車の整理券と車内乗車券です。
⑨トロッコきっぷ⑩車内券
車内券は開業当初の物ですが、終点の間藤の次に足尾本山の駅名が印刷されていることが興味深いです。
これは、間藤~足尾本山間(1・9キロ)は国鉄時代に貨物線」として営業していましたが、貨物列車が廃止された後、長らく休止状態になっていました。
三セク化された後、この休止線を旅客線として復活させようという構想があったため、券面に印刷されていたのでしょう。
けれども、結局、この間に再び列車が走ることなく、廃線となってしまいました。

こちらは、その廃線跡に残るトンネルと腕木式信号です。
⑯廃線トンネル
廃止区間の大部分は錆びた線路がそのまま残っており、今にも列車がやってきそうな気がします。

そして、これが足尾本山駅跡です。
⑰足尾本山
廃坑になって久しい貨物専用駅は、なんとも物悲しい雰囲気が漂っていました。

こちらは国鉄時代の間藤駅です。
⑱国鉄間藤駅
この駅は、『時刻表20000キロ』で有名な鉄道紀行作家の宮脇俊三さんが、国鉄全線走破を達成した駅でした。

これは国鉄足尾線時代のサボ(行先表示板)です。
⑲国鉄時代サボ

そして、国鉄時代の通洞駅のDISCOVER JAPANの駅のスタンプです。
⑳DJスタンプ

国鉄足尾線のきっぷです。
㉑国鉄切符
「神土」は、三セク化後、「神戸」と表記が変わりましたが、読み方は同じ「ごうど」です。

国鉄があった時代は、随分、昔になってしまいました。

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  1. 2016/11/06(日) 00:01:11|
  2. 関東
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わたらせ渓谷鐡道①トロッコわっしーの旅

今週から2回にわたって群馬県の桐生駅から栃木県の間藤(まとう)駅を結ぶわたらせ渓谷鐡道をご紹介します。
まずは、この線の人気観光列車「トロッコわっしー号」の旅にご案内しましょう。

JR両毛線と接続する桐生駅で、発車を待つ「トロッコわっしー」です。
①桐生駅トロッコわっしー (550x352)
シーズン中は、週末を中心に運転される臨時列車で、紅葉や春の花のシーズンには週に5日間運転されることもあります。

トロッコの車内はこんな感じです。
②トロッコ車内 (550x367)
窓のない車内は、明るく開放的です。

運転席の横に、もうひとつ運転台があります。
③田中さん親子 (550x367)
ママと遊びに来た少年が、運転士さんの帽子をかぶって楽しそうですね。

大間々~上神梅間をわっしー号が走ります。
④大間々~上神梅 (550x367)

そして、こちらは上神梅~本宿間です。
⑤本宿~上神梅 (550x367)
わたらせ渓谷鐡道は、大間々を過ぎると、ほぼ全線にわたって渡良瀬川に沿って走ります。

途中の神戸(ごうど)駅では、地元のご婦人たちが、地域の特産品を売っています。
⑥神戸駅立売 (550x345)
神戸では駅弁を買うこともできます。
⑦駅弁 (362x550)
電話で予約しておくと、ホームまで持ってきてくれます。

神戸と沢入(そうり)との間にある、長さ5242メートルの草木トンネルに入ると、車内の照明が暗くなり、光のイルミネーションが始まります。
⑧草木トンネル (550x367)
この区間はかつて川沿いを走っていましたが、昭和48年に草木ダムの建設により元の線路が水没するため付け替えになり、代わってこのトンネルが完成したのです。
列車がトンネルを通過するのには10分ほどかかります。

ようやくトンネルから出ました。
⑨トンネル出口 (367x550)
トンネルを出ると、すぐに渡良瀬川を渡ります。

線路の近くにお猿が出てくることもあります。
⑩野猿 (550x367)

列車は間藤行ですが、2つ手前の通洞(つうどう)駅で降りました。
⑫通洞駅 (550x367)
多くの観光客はこの駅で降りて、足尾銅山観光に向かったり、日光へのバスに乗り換えたりするようです。
IMG_20161018_0002 (228x600)通洞きっぷ (280x245)
なお、トロッコわっしー号に乗るには、乗車券のほかにトロッコ整理券が必要です。

来週は、そのほかのわたらせ渓谷鐡道の列車や、昔のようすをご紹介します。










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  1. 2016/10/30(日) 00:03:00|
  2. 関東
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日本最小の三セク/阿佐海岸鉄道

今週は、徳島県南部のJR牟岐線海部(かいふ)駅から高知県の甲浦(かんのうら)駅を結ぶ阿佐海岸鉄道をご紹介しましょう。
阿佐海岸鉄道は、平成4年に開業した全長わずか8・5キロのミニ第三セクター鉄道で、阿佐東線の路線名が名付けられています。

阿佐線は、元々は、大正時代に阿波と土佐を結び、四国の東南部をほぼ海岸線に沿って一周する鉄道として計画され、昭和17年までに徳島~牟岐間が国鉄牟岐線として開通しました。その後、昭和48年になってようやく牟岐~海部間が延伸開業。その先、海部~甲浦間も路盤はほぼ完成していましたが、国鉄の財政が破綻状態になったために、工事が凍結されてしまいました。
ところが、国鉄民営化後の平成4年になって、ようやく地元自治体の出資により、第三セクターの阿佐海岸鉄道として開業したのでした。もしも、海部まで延伸した時に同時に甲浦まで開業していたとしたら、この区間は当時の国鉄、現在のJR牟岐線の一部となっていたことは間違いありません。
そんな経緯で誕生した阿佐東線が開業して24年、今もごく少数の乗客を乗せて細々と走り続けています。

これが、起点の海部駅です。
①海部駅 (550x367)
国鉄海部駅として開業した時には四国で初めての高架駅でした。
かつては、高架下にある観光案内所で乗車券が委託販売されていましたが、今はシャッターが閉じられたままで、完全な無人駅となっています。

階段を登ってホームに上がると、たった一両の気動車が、エンジンを切ったまま静かに停車していました。
この列車は廃線になった宮崎県の高千穂鉄道から譲渡されたものですが、かなり錆が目立ちます。
②みなでのらんけ (550x350)
列車のボディには「みなでのらんけ」と書かれていますが、乗客の姿がありません。
③無人の車内 (550x367)
発車時刻の直前にようやく運転士がディーゼルエンジンをかけて定刻に列車は動き始めましたが、私ひとりの貸切列車でした。

列車は海部を出るとしばらくは那佐湾という静かな内海を眺めながら走ります。
那佐湾 (550x367)
やがて車窓には雄大な太平洋が広がりました。

海部~宍喰(ししくい)間を行く列車です。
④海部~宍喰 (550x367)
この線は全線にわたって高架線の上を走ります。
⑤海部~宍喰2 (550x363)

唯一の途中駅の宍喰駅です。
⑥宍喰駅ホーム (550x367)
この駅は有人駅で、この鉄道会社の本社や車庫があります。
⑦宍喰駅 (550x365)
宍喰は、かつてプロ野球阪急ブレーブスを3年連続日本一に導いた上田利治監督の出身地です。
⑧上田監督 (550x367)

徳島県から高知県への県境のトンネルをくぐると終点の甲浦です。
⑨甲浦駅名標 (550x367)
この先に続く線路はありません。
当初の計画では、ここからさらに室戸、奈半利(なはり)、安芸を経由して土讃線の後免(ごめん)まで線路がつながるはずでした。
後免~奈半利間は、土佐くろしお鉄道阿佐線(ごめんなはり線)として平成14年に開業しましたが、残された奈半利~甲浦間は未着工のままで、開通する見込みはまったくありません。

甲浦駅は観光案内所になっており、婦人会の女性が毎日、交代で乗車券を売ったり、レンタサイクルを貸し出したりしています。
⑩甲浦駅 (550x349)

折り返しの列車で海部まで戻りました。
今度はお遍路さんなど5人の乗客がいました。
⑪山のないトンネル (550x367)
海部駅の北側の牟岐線上には、町内トンネルという山のない不思議なトンネルがあります。
牟岐線開業時には、この上に山がある普通のトンネルだったのですが、宅地開発により山が切り崩され、トンネルだけが残ったのだそうです。

海部駅のホームで、JRの列車と阿佐海岸鉄道の列車が並び、それぞれの列車の乗客が乗り換えました。
⑫JRと阿佐鉄 (550x352)

かつては、阿佐海岸鉄道にも岡山や高松までのJRの特急列車が乗り入れていました。
⑬H9海部駅 (550x368)
これは、平成9年に海部駅でJRの特急車両と並ぶ、阿佐海岸鉄道の列車です。

そして、阿佐海岸鉄道の切符です。
⑭きっぷ (490x245)
海部~甲浦間の運賃が、平成9年も、その19年後の現在も270円と変わっていないことがわかります。
⑮硬券セット (720x408)
19年前に訪れた時には、日付が西暦、今は平成というのが面白いですね。

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  1. 2016/10/23(日) 00:01:43|
  2. 四国
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仙台市電保存館

今週は、先週ご紹介した横浜市電保存館に続き、宮城県の仙台市電保存館をご紹介しましょう。

仙台市電博物館は、仙台地下鉄東西線の富沢駅から15分ほど歩いた、地下鉄富沢車両基地の敷地内にあります。

仙台市電は、大正15年から昭和51年までの半世紀に渡り、市内中央部を市民の足として走り続けました。
市電全廃後、何台かの電車が公園などに静態保存されていたが、野ざらしだったために痛みが激しく、ホームレスの宿所にもなっていたため、そのうちの3台を集めて整備し、平成3年にこの保存館がオープンしました。

入口には市電の車輪がモニュメントのように置かれています。
 ①車輪モニュメント (550x367)

これが市電保存館の入口です。
②入口 (550x354)
扉の左上にあるのは、昔、市電の発車の合図に使われていた鐘で、ひもを引くといい音がします。

これが館内のようすです。
③3両 (550x367)

こちらは、大正15年の開業時に走ったモハ1号です。
④大正15年モハ1号 (550x367)
これが、そのモハ1号の車内です。
⑤モハ1号車内 (550x367)
車内には当時の制服を着たハンサムなマネキンの車掌さんがいました。
⑥ハンサムな車掌さん (328x550)
今では路面電車や路線バスは、すべてワンマンカーですが、車内で車掌から一人一人切符を買っていた時代、なんとも人間味があったものだと思います。

モハ1号には、ロックフェンダーと呼ばれる救助網が付いていました。
⑦モハ1号のロックフェンダー(救助網) (550x367)
万一、歩行者などを轢きそうになった時に救助するための網のようです。

開業時の乗車券です。
⑧開業時の乗車券 (400x205)⑨昭和3年乗換券 (300x200)
昭和3年の乗換券もありました。
これは、別の路線に乗り換える時に、この券を持っていれば追加運賃なしで乗れるという切符です。

昭和27年製造の100型123号車です。
⑩昭和27年100型123号車 (550x367)

そして、こちらは昭和38年製造の400型415号車です。
⑪昭和38年400型 (550x367)
その後、ワンマン車に改造されました。

停留所にあった標識です。
⑫停留所標識 (550x421)
当時、大時計のある堂々たる木造駅舎の仙台駅の前を悠然と走る市電の姿は、なんともよく似合っていたものです。

路線図です。
⑬路線図 (550x548)
全盛時には杜の都を縦横無尽に走っていたのですね。


これは廃止時の運賃箱です。当時の運賃は50円でした。
⑭廃止時の運賃箱 (550x367)
昭和42年ごろから、市電は相次いでワンマン化されました。

市電保存館の最寄りの富沢駅に停車する地下鉄東西線の電車です。
⑮富沢駅 (550x367)
富沢駅までは、仙台駅からわずか12分で着きます。

そして、これは昭和47年3月、八幡町線を行く長町行の電車です。
⑯仙台市電昭和47年3月撮影 (550x355)
この時が、私が仙台市電に乗った唯一の時でした。

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  1. 2016/10/16(日) 00:02:01|
  2. 東北
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横浜市電保存館

今週は横浜市磯子区にある「横浜市電保存館」にご案内しましょう。
横浜市電は明治37年から昭和47年までの68年間、横浜市民の足として親しまれました。その姿を今に残す横浜市電保存館へは、JR根岸線根岸駅からバスに乗ると便利です。
①ズラリ (550x367)
館内には、保存車両七両が展示されており、保存状態はいずれも良好です。

これが保存館正面です。
②入口 (550x357)
なぜか、マンションの1階が保存館になっているという、変わった構造です。

保存館の目の前に、茶色く錆びた大きなポールが立っています。
③銃弾の跡が残る市電架線柱 (550x367)
これは、神奈川新町付近の国道に残っていた横浜市電最後の架線柱です。
その根元には大きな穴があいており、これは戦時中の昭和20年5月29日の横浜大空襲で被弾した痕跡で、悲しい戦争の歴史を今に伝えています。

これは、昭和3年に登場した500型電車です。
④昭和3年500型523号車 (550x367)
そして、これは500型の車内です。
ここでは、嬉しいことにすべての電車の中に入ることができるます。
⑤500型車内 (550x367)
木の温もりが感じられる、なんとも味わい深い車内ですね。

車内にはこんな注意書きがありました。
⑧御注意自動開閉 (279x420)
この電車が登場した昭和初期には、まだ自動扉は珍しかったのでしょう。

そして、面白いのが車内広告です。
⑥車内広告1 (420x278)
これらの広告は廃止直前の昭和47年まで1000型の電車内に掲げられていました。
⑦車内広告2 (420x280)

こちらは昭和11年製造の1100型です。
⑨昭和11年1100型 (550x367)
車体に掲げられた行先表示板も渋いですね。
⑩行先票 (500x323)
こんな広告もありました。
⑪宝くじ広告 (450x300)
第一勧業銀行は、現在のみずほ銀行のことです。

こちらは、昭和22年製造の1300型です。
⑫昭和22年1300型 (550x367)
そして、こちらは、10型無蓋貨車です。
⑬昭和23年無蓋貨車 (550x367)
レールや砂利などを運搬するのに使われていましたが、お祭りの時には、この電車に装飾を施して花電車として運行されました。

こちらは、昭和40年の始発終発時刻表です。
⑭昭和40年の始発終発時刻表 (450x297)
市内中心部に多くの路線があったことがわかります。

こちらが、停留所に掲げられていた看板です。
⑮野毛大通 (239x420)⑯阪東橋 (249x420)
阪東橋は今は地下鉄の駅がありますね。

昭和40年の横浜のみなと祭の時の記念乗車券です。
⑰昭和40年みなと祭 (500x216)
この時には、さきほどの無蓋貨車が花電車として市内を走ったことでしょう。

そして、こんな物もありました。
⑱昭和3-54横浜駅大時計 (500x495)
これは昭和3年から54年まで、半世紀以上に渡って時を刻み続けた横浜駅の大時計です。

そのほか、館内には横浜の町をかたどった大ジオラマがあります。
⑲市電の走るジオラマ (550x367)
そこには東海道新幹線のぞみ、スーパービュー踊り子、京急、相鉄、市営地下鉄ブルーラインなど、横浜を走る現代の列車たちが走り、その周囲を市電がのんびりと走っています。

ここは、かつて、市電の滝頭車両工場のあった所で、現在は横浜市バスの車庫になっています。
⑳谷地頭バス車庫 (550x366)
廃止から44年、横浜市電の面影に出会えるのは、ここだけになってしまいました。

来週は、仙台にある市電保存館をご紹介しましょう。




 

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  1. 2016/10/09(日) 00:01:12|
  2. 関東
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旧国鉄湧網線・計呂地駅の今

北海道の廃線・廃駅シリーズ第6弾です。
国鉄湧網(ゆうもう)線は、名寄本線の中湧別と石北本線の網走を結ぶサロマ湖畔を走る89・8キロのローカル線でした。
白樺林の中を走る、それは風光明媚な車窓風景が楽しめる路線でしたが、国鉄末期の昭和62年に廃止されました。
計呂地(けろち)駅は、そんな湧網線のサロマ湖の近くの小さな駅でした。
幸いなことに、この駅は現在も駅舎が保存され、周囲は計呂地交通公園として整備されています。

これは、昭和60年2月に湧網線を訪れた時の計呂地駅です。
①S60計呂地駅
この時から約2年後に湧網線は廃止されてしまいました。

そして、これは現在の計呂地駅跡です。
②現計呂地駅
駅舎は当時のままの姿で残され、内部は資料館になっています。

駅舎内部です。
⑧駅舎内部資料館
往年の湧網線関連の資料が所狭しと並んでいます。
管理人さんのいない時には施錠されていますが、事前に電話でお願いするとすると、無料で内部を見学することができます。

往年の時刻表です。
⑨時刻表
旅客列車は、上り6本、下り5本の合計11本しか運転されていませんでした。

こちらは運賃表です。
⑩運賃表
左側一列の駅は、すべて廃止されてしまいました。

計呂地駅の正面です。
③計呂地駅舎正面
廃線から30年近く過ぎた今も、きれいな状態で保存されているのが嬉しいですね。

腕木式信号の残る駅構内は、今にも列車がやって来そうです。
④駅構内
湧網線の沿線には、白樺の木がたくさん生えていました。

この駅に残る線路には、1923(大正12)年ベルギー製を表す刻印があります。
⑤ベルギー製線路
計呂地駅の開業は1935(昭和10)年ですから、それより12年も前に輸入されたものということになります。

駅舎の脇には転轍機が残されています。
⑤転轍機
この駅は列車交換が行なわれるこの線の主要駅でした。

構内には、C58型蒸気機関車と旧型客車が静態保存されています。
⑥C58
ですが、私の知る限り、湧網線を走っていた蒸気機関車は9600型だった記憶があります。
この蒸気機関車は、釧網本線を走っていたのだと思います。
⑦旧客

駅のすぐ近くにはサロマ湖があります。
⑪サロマ湖

そして、講演には鉄道記念碑が建っていました。
⑫鉄道記念碑
計呂地駅が湧網西線の駅として開業したのは昭和10年、湧網線が全通したのは昭和28年のことでした。

湧網線の全有人駅の入場券です。
IMG_20160925_0001 (2) (269x350)IMG_20160925_0001 (3) (257x350)
サロマ湖畔の白樺林の中を走る列車に乗ったのは、遠い過去の記憶となってしまいました。

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  1. 2016/10/02(日) 00:02:34|
  2. 北海道
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旧国鉄名寄本線・中湧別駅と湧別駅

今週は北海道の廃線廃駅シリーズ第5弾、旧名寄本線の中湧別駅と湧別駅をご紹介します。

名寄本線は、宗谷本線の名寄から石北本線の遠軽を結ぶ138・1キロの長大な幹線鉄道でした。
途中、中湧別から分岐し、湧別までの4・9キロの支線も名寄本線の一部でした。
札幌からの急行も乗り入れ、長大な貨物列車も運転され、昭和40年代までは本線としての重責を担っていました。
ところが、興浜南線、渚滑線、湧網線と名寄本線から分岐する支線が次々と廃止され、ついに名寄本線までもが、国鉄民営化直後の平成元年に廃止されてしまったのです。

その名寄本線の中で、中湧別駅は湧網線と湧別支線を分岐する中枢駅でした。
これは昭和60年2月の中湧別駅です。
①S60中湧別駅
この年の3月に中湧別から分岐する湧網線など、北海道の数多くの支線が廃線になりました。
でも、この時点ではまさか、本線である名寄本線までが廃止されるとは思ってもいませんでした。

中湧別駅のホームです。
②中湧別ホーム
停車している列車は、この翌月に廃止された湧網線の網走行です。

こちらは、現在の中湧別駅跡です。
④現在中湧別ホーム
嬉しいことに、駅のホームや跨線橋が現役時代と同じ姿で保存されていました。
⑤駅名票
このホームに人が近づくとセンサーが反応し、当時の駅のアナウンスが流れる仕組みになっていました。
⑥踏切
この踏切は、どこかから移設したものと思われます。

ホームにはラッセル車や、貨物の有蓋車などが留置されていました。
⑦現在跨線橋
跨線橋の階段は、正に昔のままの懐かしい姿です。
⑧跨線橋階段
木製の階段がなんともいえない懐かしさを感じさせてくれます。
⑨案内板
案内板や名所案内も、昭和の香りが漂っています。
⑩名所案内

近くには「国有鉄道中湧別保線区之碑」が建っていました。
⑪中湧別保線区跡碑
国鉄保線区のOBの方が建立したようです。

一方、こちらは昭和53年2月、夕方の列車で到着した湧別駅です。
北国の冬はもう真っ暗でした。
⑫S53湧別駅
本線とは名ばかりで、この終着駅に発着する列車はわずかに一日2本しかありませんでした。

オホーツク海に近い湧別駅跡は、何も残されてはいません。
⑬湧別駅跡
今では、駅跡は消防署になり、その前に駅跡の石碑が建っているばかりでした。

この駅名票は湧網線の旧計呂地(けろち)駅に無造作に保管されていたものです。
⑭湧別駅駅名票

これは中湧別駅と湧別駅発行の切符です。
⑮きっぷ
一日2本しか列車が来ない湧別駅にも駅員さんが勤務していたのでした。
⑯スタンプ (380x371)

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  1. 2016/09/25(日) 00:00:06|
  2. 北海道
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9月20日売『増刊FLASH』に寄稿しました。

このたび、光文社から発行されている写真週刊誌『増刊FLASH』へ寄稿致しました。FLASHへの寄稿、第13回目となる今回は「リバーサイドドレイン」と題して、3ページにわたって大井川鐡道井川線、嵯峨野観光鉄道、長良川鉄道、JR根室本線(厚岸~糸魚沢)、JR名松線、JR三江線、JR予土線7の路線を写真と共にご紹介しています。
本文見開き (600x399)
表紙 (305x400)
例によってお色気満点の雑誌ですが、ご覧いただければ幸いです。
  1. 2016/09/21(水) 00:30:13|
  2. 著作/寄稿紹介
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旧国鉄白糠線

北海道の廃線廃駅シリーズ、今週は旧国鉄白糠(しらぬか)線の廃線跡をご紹介しましょう。

国鉄白糠線は根室本線白糠駅から分岐し、北進までの33・1キロのローカル線でした。
計画では旧池北線(廃線)足寄駅までを結ぶ予定で建設された線で、昭和39年に白糠~上茶路間、さらに昭和47年に上茶路~北進間が開通しました。当初の計画では、足寄から士幌、さらに根室本線の新得から石勝線までつなげ、、釧路~札幌間を結ぶ幹線の一躍を担う構想もあったそうです。
当初は、沿線にあった雄別炭鉱上茶路鉱の石炭や、木材を運ぶ貨物列車も運転されていました。
しかし、昭和45年に鉱山の閉鎖に伴って貨物列車は廃止され、その後、北進まで延伸したものの、沿線が過疎地帯であることで膨大な赤字路線となり、延伸計画は頓挫。さらに国鉄の財政破綻により、国鉄再建法に基づく廃線第一号となり、昭和58年に全通からわずか11年で地図上から姿を消したのでした。

これは昭和52年に訪れた北進駅です。
①S5207北進駅
まったく何もない原野に、ポツンとホームだけがある無人駅でした。当時の運転本数は一日3往復だけでした。
ここは、開通前は、釧路二俣という仮称はついていましたが、さらに北に進むという意味で北進と名付けられたのでした。
このあたりは二股という小さな集落があるだけで、当時の新聞には「人口わずか17人の僻地に新線開通」と批判的な記事が載っていたものです。

そして、これが北進駅跡です。
②北進駅跡地
線路もホームも撤去され、その痕跡はほとんど残されてはいませんでした。
③国有鉄道石柱
残された「国有鉄道」という石柱だけが、その場所が国鉄用地だったことを示しています。

北進~下北進間の線路跡です。
④北進~下北進
線路のあった場所には木が立っていて、廃止からの年月を感じます。

橋梁の上には錆びついた標識が残されていました。
⑤川の上の標識

下北進~上茶路間のコンクリート製の橋梁です。
⑥下北進~上茶路
開通が比較的新しいこの区間の線路は高規格な設計です。札幌行の特急が走ることを想定していたのでしょうか。

これは上茶路駅付近に佇む廃線跡です。
⑦上茶路線路に立つ木
そして、こちらは上茶路駅跡に残されたホームです。
⑧上茶路駅跡
白糠線で唯一、この駅には委託駅員がいて、切符を販売していました。
⑨キロポスト
付近にはキロポストや信号機も残されていました。
⑩信号機
上茶路駅は開業から8年間は終着駅でした。
⑪転轍機
貨物列車が運転されていたころの名残りでしょうか。駅構内は広く、転轍機も残っていました。

上茶路~縫別間に残された線路は廃線後、長年の風雪により無残な姿になっていました。
⑫上茶路~縫別
けれども、今では上茶路付近に残された線路も撤去されてしまったようです。

こちらは縫別駅付近の茶路川に架かるガーター橋です。
⑬茶路川橋梁縫別駅付近
まるで、今にも列車がやって来そうでした。

茶路~上白糠間に残る鍛高トンネルです。
⑭鍛高トンネル
トンネルの入口には、見事な角のエゾジカの頭蓋骨が転がっていました。

これは起点の白糠駅付近の根室本線との分岐点です。
⑮分岐点
白糠線は右手に分かれて山の方に向かっていましたが、今は線路の先に住宅が建っています。

これは、現在の白糠駅に停車中の根室本線の普通列車です。
⑯白糠駅
白糠線の列車は、跨線橋を渡った3番線から発着していました。

白糠線のきっぷです。
⑰きっぷ

そして、こちらは「おわかれ白糠線」の記念入場券です。
⑱廃止記念入場券
白糠線がその短い歴史を閉じてから,,33年もの歳月が流れてしまいました。

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  1. 2016/09/18(日) 00:03:56|
  2. 北海道
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広島カープ25年ぶり優勝

今週は鉄道の話題はお休みにします。
実は、私、かなりの野球好きです。
おそらく、プロとアマを合わせるとこれまで野球場で1000試合ぐらい観戦していると思います。
かつては、昭和63年に身売りした阪急ブレーブスの私設応援団をやっていたほどでした。
ブレーブスが消滅した平成3年以降は、特定球団を応援せず、12球団の試合を万遍なく観戦しています。

昨夜、広島カープが25年ぶり7回目のセリーグ優勝を決めました。
①カープ電車 (550x367)
広島付近の山陽本線にはこんな赤いカープ列車が走っています。

私は特にカープファンというわけではありませんが、12球団の中で最も長い間、優勝から遠ざかっていたカープが優勝したのは、素晴らしいことだと思います。
広島県民にとってはこの上なく、嬉しいことでしょう。

数年前、山口線の取材に行った帰りに広島駅に近いマツダスタジアムに行きました。
②マツダスタジアム (550x367)
この日の試合は阪神戦で、カープが来日したばかりのエルドレッドの2本のホームランと、福井の好投で快勝しました。
⑥エルドレッド生還 (550x370)
福井投手は、先日、マジックナンバー20が点灯したジャイアンツ戦で好投しました。
④福井 (550x367)

このころ、ベテランの新井選手は阪神にいました。
⑧阪神新井 (550x367)

ラッキーセブンには赤い風船がスタジアムに乱舞します。
⑨赤い風船 (550x361)
こちらはマスコットのスライリーです。
⑦スライリー (550x367)

ここ数年、カープは「カープ女子」に代表されるように、いつのまにか大人気球団になりました。
⑫西武ドーム (550x367)
交流戦の西武ドームもカープファンでいっぱいです。

こちらは、去る8月24日に東京ドームでのジャイアンツ戦に快勝し、マジックナンバー20が点灯した時です。
FullSizeRender (550x401)
FullSizeRender (2) (550x410)
それから、わずか17日後に、同じ敵地東京ドームで行われたジャイアンツ戦で、ぶっちぎりの独走で優勝を決めました。

こちらは今から32年前、カープが日本一になった時の広島球場です。
A⑪広島球場S59 (550x377)
A⑬S59チケット (550x320)
この時の日本シリーズの相手は、私が応援していた阪急ブレーブスでした。
3勝4敗で阪急は敗れ、悔しい思いをして帰ったものです。

その後、平成3年に優勝したのを最後に、25年もの長い間、優勝から遠ざかっていたのです。

こちらは、旧広島球場の跡地です。
B①広島市民球場跡地 (550x367)

跡地に近い「勝鯉の森」には、セ・リーグ優勝6回と、日本シリーズ優勝3回の記念碑が建っています。
B② 優勝石碑 (550x367)
間もなく、新たな優勝の文字が刻まれることでしょう。

近くには広島電鉄の路面電車が走っていました。
B④広島電鉄 (550x343)

そして原爆ドームもすぐ近くでした。
B⑤ 原爆ドーム (550x353)
カープは原爆投下から4年後の昭和24年に、広島復興のシンボルのように設立されたのです。

こちらは、私が三江線の取材に行った時に2回、立ち寄った三次駅前にある居酒屋「りょうちゃん」のご主人(右)と常連さんです。
IMG_1811〇 (550x367)
きっと、今ごろは美酒に酔いしれておられることでしょう。

さて、今年はカープは日本一になれるでしょうか。


  1. 2016/09/11(日) 01:42:28|
  2. その他の話題
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旧北見相生駅

北海道の廃駅の連続3週目、今週は昭和60年に廃止された国鉄相生線の北見相生駅をご紹介しましょう。
国鉄相生線は、石北本線の美幌駅から分岐し、北見相生駅までの36・8キロを結んでいました。
大正時代の計画では釧路と美幌を結ぶ釧美線として計画されましたが、北見相生より南に線路が延びることはなく、昭和60年に廃止されました。

現在も駅舎が完璧な姿で残る北見相生駅跡です。
①現駅舎
かつて、相生線を走っていた気動車キハ22も、きれいに保全され、まるで現役の駅のようです。
ここまできれいに保存されている廃駅も珍しいと思います。

駅の周りの線路沿いは白樺林が続いていました。
②キハ22

ホーム側から見た駅舎です。
③駅舎ホーム側
今にも駅長さんがタブレットを持ってホームに出てきそうです。

旧型客車のありました。
④旧客
私が知る限り、この線に客車列車が走った記憶はないのですが、もしかしたら石北本線を走っていた客車かもしれません。

ラッセル車もあります。
⑤ラッセル車
阿寒の山に近いこのあたりは、冬になると深い雪に包まれます。

これは貨物列車の後ろに連結され、車掌さんが乗務していた緩急車です。
⑥緩急車
相生線の貨物列車は、主に木材を輸送していました。

近くには二度と鳴動しない踏切が立っていました。
⑦踏切


こちらは昭和52年に訪れた時の北見相生駅です。
当時は一日7本の列車が発着し、一部は美幌から石北本線に乗り入れ、北見や遠軽まで直通運転をしていました。
⑧S52駅舎
駅前は舗装されていませんでしたが、駅舎の前の植木がきれいに手入れされていました。

こちらは相生線各駅の入場券です。
⑩入場券
7駅のうち4駅が有人駅でした。

そして駅のスタンプです。
⑨スタンプ
当時、駅前から阿寒湖畔への路線バスが走っていましたが、廃止されました。
それどころか、平成24年秋に相生線代替バスさえも、津別~北見相生間は廃止されてしまいました。
今は相生までの公共交通機関はなく、平日はスクールバスに混乗という形で予約制の無料バス運転がされています。
廃線から31年、沿線は益々過疎化が進行しているようです。

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  1. 2016/09/04(日) 00:01:08|
  2. 北海道
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旧朝日駅と国鉄万字線最後の冬

昔、北海道の炭鉱地帯に万字線というローカル線がありました。
室蘭本線の志文から分岐し万字炭山までの大正3年に開通した23・8キロの路線でした。
けれども、炭鉱の廃止に伴って沿線人口が急減し、昭和60年にその役目を終えました。

これは、当時の駅舎が往年の姿で保存されている朝日駅の現在の姿です。
①駅舎正面
開業以来71年間、この地域の玄関としての役割を果たし、
そして、100年以上過ぎた今もなお、同じ場所に建ち続けているのです。
②駅舎ホーム側

駅は「万字線記念鉄道公園」になっていて、そこにはB201という小さな蒸気機関車が静態保存されていました。
③B201
この機関車は戦争末期に構内入替用として15両だけ製造されたB20形蒸気機関車の1号機で、引退後、奇跡的に小樽機関区の片隅に保存されていたそうです。

9600形蒸気機関車の動輪と踏切、それにキロポストがあります。
④9600動輪と駅舎
朝日駅は起点の志文駅から12・2キロの位置でしたから、この「13」のキロポストは800メートル先から移設したのでしょう。

駅前には、国鉄万字線朝日駅跡という石碑が建っていました。
⑤駅跡石碑
それは、まるで小さな墓標のようでした。、

さて、ここからは、昭和60年2月、万字線、最後の冬に訪れた時の写真です。

志文駅のホームで発車を待つ下り列車です。
⑥志文駅ホーム

これが当時の志文駅舎です。
⑦志文駅舎
志文駅は現在も室蘭本線の駅として存在しますが、今は無人駅となり、この駅舎はもうありません。

万字線のサボ(行先表示板)です。
⑧サボ
すべての列車が志文から一駅先の岩見沢まで乗り入れており、一日の運転本数は5往復でした。

上志文駅の近くにはスキー場があったため、冬は多くのスキーヤーが万字線を利用しました。
⑨上志文駅
こんなに利用者がいるのに廃止するのは惜しい気がしたものです。

そして、これが最初にご紹介した朝日駅です。
⑩朝日駅
この時、すでに無人駅になっていました。

雪に埋もれた万字駅の駅名票です。
⑪万字駅
万字を過ぎると、次は終点の万字炭山です。
⑫万字炭山駅名票
この山の駅に列車が通わなくなったのは、この日から一か月あまり後のことでした。
⑬万字炭山駅キハ
今はこの駅は跡形もなくなってしまったそうです。
⑭万字炭山駅舎

こんな渋い手作りのスタンプがあったのは、昭和49年に初めてこの駅を訪れた時のことでした。
⑮スタンプ

これが万字線の切符です。
⑯万字線切符
廃止されてから31年もの月日が流れてしまいました。

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  1. 2016/08/28(日) 00:02:29|
  2. 北海道
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旧奥行臼駅と国鉄標津線

今週はかつて北海道東部を走っていた国鉄標津線と、原野の中にあった奥行臼(おくゆきうす)駅をご紹介します。
昭和8年に開業した国鉄標津(しべつ)線は、道東地方の開拓に大きな役割を果たしましたが、民営化後の平成元年に役目を終え、日本地図から姿を消しました。
標津線は、釧網本線の標茶(しべちゃ)から根室標津までの69.4キロと、途中、中標津から分岐して根室本線の厚床(あっとこ)までの47・5キロの、Tの字型の路線でした。
運転本数は区間によって一日4~6往復という閑散としたものでしたが、蒸気機関車牽引の貨物列車も走り、釧路からの急行列車が根室標津まで乗り入れていました。

これは、現在の奥行臼駅跡です。
①現奥行臼駅
中標津~厚床間にあった奥行臼駅は、隣の厚床まで11・5キロ、別海まで12・3キロも離れた原野の中の駅で、この駅にやって来る列車は一日わずか上下4本ずつしかありませんでした。
廃線から27年の時を経て、今なお、当時の駅舎が昔のままの姿で残っています。
標津線の駅で、駅舎が残っているのは奥行臼だけです。

駅舎から線路を眺めます。
②駅舎より線路を見る
線路は錆びついていますが、今にも列車がやって来そうです。
③ホーム
永年の風雪で、ホームの駅名票や電柱が傾いてしまっています。

④ベンチ
当時のベンチがそのまま置いてあります。

駅前には別海村営軌道風連線の車両が保存されていました。
⑤村営軌道1
この軌道は昭和12年から46年までこの別海村(現別海町)を走っていたものです。
⑥村営軌道2
現在は、別海町の文化財として駅舎とともに大切に保存されています。

さて、これは昭和61年の厚床駅です。現在ではこの駅舎はもうありません。
⑦S61厚床駅舎
根室本線のこの駅から標津線が分岐していました。
⑧厚床駅ホーム

標津線の厚床~中標津間のサボです。
⑨キハ40サボ
そういえば、国鉄末期、ほとんどのローカル線の気動車はこんな色でした。

そして、これが現役時代の奥行臼駅です。
⑩奥行臼駅S61
駅員さんが一人、寂しそうに立っています。列車が来ても乗降客の姿はありませんでした。

列車が別海駅に着いたところです。
⑪別海駅
ホームには列車を待つ人の姿がたくさん見られました。

そしてこれが中標津線です。
⑫中標津駅
この駅で厚床方面からと標茶方面からの線路が合流しました。

これは上武佐駅。
⑬上武佐駅
やはり、寂しそうに駅員さんが立っています。

そして、こちらは終着の根室標津駅です。
⑭根室標津駅
近くのオホーツク海から、国後島を眺めることができました。

時代はさらにさかのぼり、これは、昭和49年の計根別付近を行く貨物列車です。
IMG_20160820_0001 (7) (550x319)

ああ、昭和は遠くなりにけり・・・。
IMG_20160820_0001 (6) (550x339)

そして、これらは標津線の切符です。
⑮きっぷ⑯きっぷ
西別駅は、昭和51年、別海駅に駅名変更になりました。

こちらは現在の厚床駅と標津線代行バスです。
⑰今の厚床駅と代行バス
代行バスには乗客の姿はなく、ここを走る根室本線さえも、鉄路の存続が危うくなっています。

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  1. 2016/08/21(日) 00:01:21|
  2. 北海道
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『鉄道博物館読本』に寄稿しました。

この度、洋泉社から発刊されました『鉄道博物館読本』に寄稿致しました。
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この本は、全国各地にある35カ所の主要な鉄道博物館を写真とともにご紹介するもので、私のほかに、10人のライターやカメラマンの方々が共同執筆しています。
IMG_20160820_0002 (550x387)
その中で、私は京都鉄道博物館、小樽総合博物館本館、札幌交通資料館、仙台市電保存館、横浜市電保存館、大井川鐡道SL資料館、長浜鉄道スクエア、南薩鐵道記念館の8館を、20ページにわたって執筆しました。

35カ所のうち、22カ所は私も訪れたことがあるのですが、この本を参考にしてまだ行っていない博物館にも足を運びたいと思っています。
ご興味のある方は、是非、お求めいただければ幸いです。

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  1. 2016/08/20(土) 13:09:34|
  2. 著作/寄稿紹介
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豊肥本線・豊後竹田駅

今週は大分県にある豊肥本線の豊後竹田駅と、竹田市のようすをご紹介します。
豊肥本線は、熊本と大分を結ぶ148・0キロの路線で、豊後竹田駅は大分からちょうど60キロ離れた山の中にある竹田市の中心駅です。

豊後竹田駅のホームです。列車がこの駅に着くと、いつも「荒城の月」のメロディが流れます。
①駅ホーム (550x367)
どっしりとした木造の屋根が印象的です。

これが豊後竹田駅です。
②豊後竹田駅 (550x367)
お城のイメージの瓦屋根の建物と後方にそびえる山がとてもいい雰囲気を醸し出しています。

豊後竹田と言えば、岡城があまりにも有名ですね。
③岡城址碑 (367x550)
岡城の歴史は古く、平家が滅亡した1185(文治元)年に緒方惟栄(これよし)によって築城されたと伝えられています。
④岡城 (550x367)
その後、1594(文禄3)年の中川秀成入城から、14代にわたり275年間続いた中川氏がこの地を治めました。
しかし、版籍奉還後の廃藩置県により中川氏が1869(明治2)年にこの地を去り、明治7年に城は取り壊されてしまったのです。

今はこのように石垣だけが残されています。
⑤石垣だけが残る (550x367)
この荒れ果てた城を憂い、詠んだのが、有名な瀧廉太郎の「荒城の月」なのです。
暑い夏の日に訪れた時、あたりには蝉しぐれが響き渡っていました。
⑥滝廉太郎像 (550x367)
この岡城のある高台に瀧廉太郎の像が立っています。

そしてこちらが市内のある瀧廉太郎旧居で、現在は記念館になっています。
⑧滝廉太郎旧居 (550x367)
廉太郎がこの家に住んだのは12歳から14歳の2年間だけだったそうです。
そして彼は23歳の若さでこの世を去りました。

竹田市内には古い建物がたくさん残っています。
⑦殿町ユリの花 (550x367)
これは殿町の屋敷街に咲く百合の花です。

竹田のもう一人の文化人は江戸時代後半の画家、田能村竹田(たのむらちくでん)です。
⑩田能村竹田像 (367x550)
こちらも旧居が高台にひっそりと建っていました。
⑨田能村竹田旧居 (550x367)

夕方、駅から大分行の普通列車に乗りました。
⑪大分行き普通列車 (550x367)
再び、ホームには「荒城の月」のメロディが流れていました。
⑫スタンプ (315x320)
なお、豊肥本線は、今春の熊本地震により大きな被害を受け、熊本県側の肥後大津~阿蘇間が現在も不通となっており、復旧の見通しが立っていません。豊後竹田へは大分側から行くことができますが、一日も早い全線復旧を祈らずにはいられません。

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  1. 2016/08/14(日) 00:02:46|
  2. 九州
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リゾートエクスプレス「ゆう」の旅

今週は、リゾートエクスプレス「ゆう」の旅をご紹介します。
「ゆう」は平成3年にJR東日本水戸支社に配置された団体専用臨時列車です。
6両編成のうち、4号車がイベント車両、その他の車両はお座敷列車で、すべてグリーン車扱いになっています。

さて、この日は、横浜の関内にある鉄道居酒屋「新横浜機関区」の主催で行なわれたツアーに参加しました。私もこのお店には、以前に週刊誌の取材でお邪魔して以来、しばしば訪れているので、お誘いをいただいたのです。
今回は、同店の常連の皆さん、およびその友人や家族など約130人で貸切り、横浜線の中山駅から、八王子、大宮、高崎を経て横川に向かいました。横川では碓氷峠鉄道文化むらを見学し、帰路は新鶴見から高島貨物線を通り、根岸線の関内に帰ってくる行程でした。

中山駅で「ゆう」が発車を待っています。
①中山駅
485系電車を改造したものです。

こんなイメージキャラクターが描かれていました。
②リゾートエクスプレスゆう
でも、よく見ると、車体がかなり老朽化しているのがわかります。

車内はお座敷になっています。
③お座敷
朝から宴会になりました。

お座敷で、持参のプラレールで遊ぶ子供もいました。
④プラレール

こちらは4号車のイベントカーの2階席です。
⑤2階席
ゆったりとした一人用シートが並んでいます。

その席でオリジナルシールを貼ったビールをいただきました。
⑥ビール

完全になりきっていますが、この人は本物の車掌さんではありません(笑)。
⑦なりきり
右は、今回の主催者、新横浜機関区のオーナー花島さんです。

4号車はこんな感じです。
⑧ディスコホール
ディスコホールになっているのですが、照明が壊れ、音響設備も使えなくなっていたようです。

運転席の後ろは展望室になっていて、前面展望が楽しめます。
⑨運転席後ろ
少年たちが無心に外を眺めていました。
⑩少年たち

あちこちで長時間停車したので、およそ3時間半をかけて横川に到着しました。
⑪横川到着
横川では、隣にD51が停車していました。
⑫ゆうとD51
蒸気機関車とゆうが並ぶのは珍しいこと。沿線には大勢のカメラマンが並んでいました。

碓氷峠鉄道文化むらでは、トロッコ列車「シェルパ君」に乗りました。
⑬鉄道文化むら
このトロッコは、平成9年の北陸新幹線高崎~長野間開業と同時に廃止された信越本線の横川~軽井沢間の廃線跡の一部をそのまま利用しています。

帰りには、地元安中市の高校生が勇壮な和太鼓の演奏を見せてくれました。
⑭太鼓

そして、横川駅といえば、峠の釜めしですね。
⑮釜めし
かつて、この駅のホームに、釜めしを売る何人もの立売人が並んでいたことが懐かしく思い出されます。

帰路の車中はカラオケ三昧になりました。
⑯カラオケ
私も「津軽海峡冬景色」や「あずさ2号」を熱唱しましたよ。

はしゃいでいた元気なお嬢ちゃんは、夕方になると疲れてお眠りタイムになりました。
⑰おねんこ

19時25分、終着駅の関内に着きました。
⑱関内到着
その後、30人ほどの仲間たちと、「新横浜機関区」での二次会に向かったのです。

⑲参加証⑳硬券切符
当日配られた参加者証と、オリジナルの硬券乗車券です。

そして、こちらは平成21年8月、横須賀線・大船~北鎌倉間で撮影した「ゆう」です。
㉑2009年北鎌倉
私にとって団体臨時列車の旅は初めての経験で、なかなか楽しいものでした。
けれども、「ゆう」はデビューからすでに25年。かなりの老朽化は否めません。
そして、この後の予約はまったくないとのこと。
もしかしたら、これがラストランになるかもしれないとのことです。


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  1. 2016/08/07(日) 00:02:05|
  2. 関東
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『観光列車データブック』に寄稿しました。

この度、双葉社から刊行された『観光列車データブック』に記事を寄稿致しました。
双葉社観光列車
この本は、全国各地のJR・私鉄・三セク鉄道のジョイフルトレインを網羅して紹介したものです。
各列車のデータ記事がメインですが、私はその中で、「越乃Shu*Kuraで楽しむ呑み鉄の旅」と題する旅紀行を掲載しました。
  1. 2016/08/03(水) 13:37:21|
  2. 著作/寄稿紹介
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『第三セクター鉄道の世界』に寄稿しました。

この度宝島社から発刊された『第三セクター鉄道の世界】という本の巻頭カラーページに、「新緑わたらせ渓谷鉄道を行く」と題した旅寄稿記事を12ページにわたって掲載しました。
IMG_20160730_0001 (230x330)IMG_20160731_0001 (216x330)
この本は全国47社の第三セクター鉄道の現状を多くの執筆者たちがあらゆる角度から書いたものです。ご興味のある方は書店などで手に取ってご覧いただければ幸いです。
  1. 2016/07/31(日) 02:18:56|
  2. 著作/寄稿紹介
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高野山ケーブルと聖なる高野山

今週は、極楽橋からの高野山ケーブルと、聖なる地、高野山へご案内しましょう。
①ケーブル2 (550x360)
極楽橋から高野山を結ぶ高野山ケーブルは、南海電鉄の直営のケーブルカーで、距離0.8キロ、最大斜度568.2‰、高低差330メートルを片道5分間で運転されてします。

終点の高野山駅付近では、紫陽花の花が咲いていました。
②ケーブル (550x367)

これが高野山駅です。
③高野山駅 (550x367)
寺院を模した荘重な造りで、昭和5年に開業しました。

駅から山内へは南海りんかんバスが走っています。
④りんかんバス (550x342)

バス専用道を2キロ余り走ると、女人堂に着きます。
⑤女人堂 (550x367)
明治5年まで、高野山は女人禁制だったため、女性の信者はここまでしか立ち入ることを許されず、ここで参詣したといいます。
また、ここ不動坂からは、極楽橋からのハイキングコースを登って来ることもできます。

こちらが、高野山真言宗総本山金剛峯寺です。
⑥金剛峰寺 (550x367)
高野山は弘法大師が1200年前に開いた真言宗の聖地で、その中心がこの金剛峰寺です。
⑦金剛峰寺庭園 (550x367)
このお寺の蟠龍庭(ばんりゅうてい)は、国内最大級の石庭だと言われています。

根本大塔です。
⑧根本大塔 (367x550)

そして、こちらは大門です。
⑨大門 (550x367)
高野山の西の入口に位置しています。ちょうど、紫陽花が綺麗に咲いていました。

周辺には塔頭と呼ばれる小さなお寺が百カ所以上も並んでいます。
⑩恵光院 (550x367)
こちらは、そのうちのひとつ、恵光院。

そして、こちらは、大圓院です。
⑪大圓院 (550x367)

これらのお寺の多くは古来より宿坊になってします。
⑫遍照光院 (550x367)
私は、こちらの遍照光院には何度か泊まったことがあります。

これが泊まった時に出された精進料理です。
⑬精進料理(550x356)
肉や魚類を一切使わない純和風の伝統的なお寺の料理ですが、残念ながら私の口にはあまり合いませんでした。

こちらは、奥之院への参道です。
⑭奥ノ院参道 (550x367)
鬱蒼とした杉並木が延々と続きます。
⑮苔むした塔婆 (550x367)
そんな中、苔むした卒塔婆がひっそりと並んでいました。

これは、高野山のゆるキャラ「こうやくん」です。
⑯こうや君 (253x380)⑰眼鏡の坊さん (253x380)
そして、眼鏡をかけたお坊さんのキャラクターが見送ってくれました。

帰りの列車では高野山の麓のかつらぎ町の地酒「般若湯」をいただきました。
⑱般若湯 (550x367)
カップに般若心経が書かれているので、呑んだ後、捨てるのがためらわれます。

極楽橋から特急「こうや8号」で、大阪の難波まで1時間31分の旅でした。
⑲こうや号(550x367)

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  1. 2016/07/31(日) 00:02:28|
  2. 近畿
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南海高野線(橋本~極楽橋)

今週は南海電鉄高野(こうや)線の山間部を走る橋本~極楽橋間19・8キロをご紹介しましょう。

高野線は大阪の汐見橋を起点に高野山の麓にある極楽橋までの64・5キロを結ぶ路線です。
けれでも、実際の運転経路上は、南海の一大ターミナルである難波から高野線に乗り入れており、汐見橋~岸里玉出間(4・6キロ)は、この区間の普通電車だけが走る運行形態となっています。

橋本駅で発車を待つ普通電車です。
①橋本駅 (550x367)
この区間を走る、特急「こうや」は難波から直通運転されていますが、普通電車は、すべて橋本で折り返し運転となっています。

今年、放映されているNHKの大河ドラマ『真田丸』の主人公、真田幸村はこの地域の九度山で長く過ごしたそうです。
②九度山幟 (367x550)
それにちなんで、沿線では、赤い幟が掲げられていました。

最初に、高野下駅で途中下車をしました。
③高野下駅 (550x367)
歴史を感じさせてくれる木造駅舎が斜面に建っていました。でも、今は無人駅です。

そんな高野下駅近くを特急「こうや」が通過して行きました。
④特急「こうや」 (550x367)

高野下~九度山間の鉄橋を、赤い電車が渡って行きます。
⑤真田赤備え列車 (550x367)
これは、昨年11月に登場した「真田赤備え列車」です。

次にやって来たのは緑色の観光列車「天空」を連結した普通電車です。
⑥天空 (550x367)
天空車両に乗るには、乗車券のほかに別途500円が必要ですが、平日にもかかわらず、大勢の観光客が乗っていました。。

次々に色々な電車がやって来ます。
⑦普通電車 (550x367)
ローカル線でも大手私鉄はJRと比べて運転本数が比較的多いのです。

次に降りたのは紀伊神谷でした。
⑧紀伊神谷駅 (550x367)
この駅の周辺は山に囲まれており、利用客の少ない秘境駅として知られています。
この日、見かけた乗降客は、老婆がひとりだけでした。

終点の極楽橋からの急坂のトンネルを下って来た特急列車です。
⑨トンネルから出るこうや (550x367)
ゆっくりと紀伊神谷を通過して行きました。

終着の極楽橋駅に着きました。
⑩こうやと天空 (550x367)
ちょうど、特急「こうや」と「天空」が並んでしました。

極楽橋駅の駅舎です。
⑪極楽橋駅 (550x367)
極楽橋からはほとんどの人が高野山行のケーブルカーに乗り換えるため、この駅で降りる人は滅多にいません。
難波からの特急列車が発着する終着駅とは思えないほど、ひっそりとしており、周囲に民家は一軒もないそうです。

これが駅名になっている極楽橋です。その横を普通電車が発車して行きました。
⑫赤い極楽橋 (550x363)
この駅で降りる人は、この橋を渡って高野山の女人堂に向かってハイキングに行き人ぐらいしかいないそうです。

これは、電車とケーブルカーとを結ぶ連絡通路です。
⑬ケーブル通路 (550x367)
無数の風鈴が風に揺れていました。

来週は、このケーブルカーに乗って行く、高野山のようすをご紹介しましょう。


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  1. 2016/07/24(日) 00:01:49|
  2. 近畿
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札幌市交通資料館

今週は、北海道の札幌市交通資料館にご案内します。
①博物館入口 (550x349)
この資料館は、市営地下鉄南北線の自衛隊前駅そばの高架下にあります。

こちらは、昭和30年製造の市バスで使われていたボンネットバスです。
②昭和30年市バス用ボンネットバス (550x367)
中に走ってみると、車内の狭さを実感できます。
③ボンネットバス内部 (550x367)

そして、こちらは、昭和38年のマイクロバスです。
④S38マイクロ市バス (550x367)
こんな小さなバスも市バスとして走っていた時期があったのですね。

そして、こちらは昭和24年製の市電600形電車です。
④昭和24年600形電車 (550x367)
戦後間もない時期の電車としては、なかなか洗練されたスタイルの電車だと思いました。

こちらは昭和38年に登場した800形連接電動客車です。
⑤連接電動客車S38 (550x367)
当時、連接電車はとても珍しい物でした。

そして、もっと珍しいのが、こちらの内燃式客車D1041で、これは、日本で唯一の路面ディーゼルカーです。
⑥ディーゼル客車D1041昭和39年 (550x367)
札幌市電では、昭和33年から46年まで、一部路線においてディーゼルカーが運転されていました。多くの車両は、その後、電車に改造されましたが、最後までディーゼルカーとして走り続けたのが、この車両です。

こちらは、昭和26年製造の、電動除雪車「雪8」(左)と、ディーゼル除雪車「DSB1」です。
⑦電動除雪車「雪8」(S26)左とディーゼル除雪車DSB1(S36) (550x342)
除雪車はササラ電車とも呼ばれ、これが走り始めると、札幌に冬がやってきます。

さて、こちらは、札幌市営地下鉄の高速電車第3次試作車「はるにれ」です。
⑧高速電車第3次試作車「はるにれ」昭和40年 (550x367)
昭和40年に製造されたこの車両は、初のゴムタイヤで走る地下鉄が開業する前に、高速試験や厳寒期の運転試験を行いました。

そして、その結果をもとに後継の高速電車第4次試作車「すずかけ」が製造され、開業へと導いたのです。
⑨高速電車第4次試作車「すずかけ」昭和42年 (550x367)
南北線が開業したのは、昭和46年12月、札幌オリンピックが開幕する2か月前のことでした。

これが、開業時の1号車です。
⑩地下鉄南北線1号車昭和45年 (550x364)
開業時から昭和60年まで走り続けました。

こちらは屋内展示場にある戦前の市電や市バスの乗車券です。
⑪戦前の乗車券 (550x378)
今はICカードの時代、昭和は遠くなりました。

そして、こちらは昭和30年代の市電や市バスの写真です。
⑫昭和30年代の市電市バス (550x366)

初期の地下鉄のゴムタイヤです。
⑬地下鉄のタイヤ (550x367)
こうしてみると、意外に小さいなという感じです。

そして、自衛隊前駅に、東西線5000形電車がやってきました。
⑭札幌地下鉄5000形◎ (550x355)
このあたりは、スノーシェルターに囲まれた高架線になっています。

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  1. 2016/07/17(日) 00:02:17|
  2. 北海道
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姫新線・播磨新宮駅

姫新線(きしんせん)は、兵庫県の山陽本線姫路駅と、岡山県の伯備線新見駅を結ぶ158・1キロのローカル線です。
けれども、今では全線を通して運転される列車は一本もありません。終点の新見~津山間は一日8往復(平日)の列車しか走らない閑散とした路線ですが、姫路に近づくに従って、列車本数が多くなります。

播磨新宮は、姫路から22・1キロの地点にある姫新線の主要駅のひとつで、姫路から一日33本(平日)もの列車が運転されており、そのうちの26本がこの駅止まりです。

姫路を発車して30分あまり、雄大な揖保川を渡ると、ほどなく播磨新宮に着きます。
①揖保川 (550x367)

姫路からの播磨新宮止まりの列車が、到着しました。
②播磨新宮到着 (550x367)
ここから先に向かう人は、隣のホームで待機中の上月(こうづき)行の列車に乗り換えます。

これが近代的な播磨新宮駅の駅舎です。
③はりま新宮駅H270101 (550x369)
木造駅舎から平成22年に建て替えられました。

駅の近くには、古い街並が続き、何軒もの旧家が建ち並んでいます。
④旧家1 (550x367)
白壁の蔵がある家がいくつもあります。
⑤空地と旧家 (550x367)
⑥旧家2 (550x367)
姫新線の線路の脇にもこんな立派な家がありました。

昔懐かしい広告看板が並んでいました。
⑦懐かしい広告版 (550x367)

こちらは新宮八幡神社です。
⑧新宮八幡神社 (550x367)
大きな鳥居が印象的な神社で、ここには、ムクノキとケヤキの巨木があります。

揖保川に架かる赤い吊り橋です。
⑨揖保川の吊橋 (550x367)
歩行者専用のこの橋は地域住民の貴重な通路になっています。

姫路行の上り列車がやってきました。
⑩姫路行到着 (550x367)

そして、こちらは今から41年前、昭和50年の播磨新宮駅です。
⑪播磨新宮駅S50 (550x381)
今も残る古い街並には、こんな素朴な木造駅舎の方が似合う気がします。
⑫S50入場券 (250x105)
当時、入場券は30円でした。


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  1. 2016/07/10(日) 00:03:01|
  2. 近畿
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信越本線・安中駅と磯部駅

今週は、群馬県にある信越本線安中(あんなか)駅と磯部駅をご紹介しましょう。

明治37年に全通した信越本線は、高崎から長野、直江津を経て新潟までの幹線鉄道でした。
しかしながら、平成9年に北陸新幹線が高崎~長野間に暫定開業し、急坂の碓氷峠のある横川~軽井沢間が廃止され、同時に軽井沢~篠ノ井間が三セクのしなの鉄道に移管されたことにより、高崎~横川間29・7キロは、信越本線の飛び地のようなローカル線となってしまいました。

そんな区間にある安中駅に高崎行の普通列車が到着しました。
①安中駅107系
現在、この区間の主力車両となっている107系電車ですが、オールロングシートなので、私はあまり好きではありません。

昔ながらの木造駅舎が残る安中駅です。
②安中駅舎
かつての幹線鉄道の主要駅の風格を感じさせてくれる駅舎です。

駅舎内には、「市民ふれあい俳句コーナー」が掲示されていました。
③安中市民ふれあい俳句コーナー

駅の南側には、東邦亜鉛安中精錬所があります。
④東邦亜鉛安中精錬所
駅構内には亜鉛燃鉱運搬専用の、タキ1200形が並んでいました。

横川行の電車は、国鉄時代からの115系電車でした。
⑤安中駅115系
群馬県では、湘南色塗装の昭和の電車が、まだまだ頑張っています。

こちらはお隣の磯部駅です。
⑥磯部駅
ここにも風格のある木造駅舎が健在です。

磯部には古くからの温泉宿があり、駅前には看板が並んでいます。
⑦磯部温泉看板

そして、この駅前には面白い石碑が2つ建っています。
一つは温泉マーク発祥の地の碑です。
⑧温泉マーク発祥の地
これは、万治4年(1661)年の図面に、初めて磯部温泉を示す記号として、あの逆さクラゲともいわれる♨マークが記載されてことによるものです。

そして、もうひとつは、恐妻碑です。
⑨恐妻碑
こちらは、明治から昭和にかけてこの地で過ごしたジャーナリスト阿部眞之助の言葉、「恐妻とは愛妻のいわれなり」が刻まれたものです。群馬県には恐妻家が多いのでしょうか。

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  1. 2016/07/03(日) 00:02:45|
  2. 関東
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仙台市地下鉄東西線

今週は、昨年12月に開通した仙台市地下鉄東西線をご紹介しましょう。
地下鉄東西線は、昭和62年に開通した南北線に続く仙台市地下鉄の二番目の路線です。
八木山動物公園駅から荒井までの13・9キロを市内を東西に結んでおり、途中、仙台駅でJRと東西線に接続しています。

①仙台駅改札口 (530x353)

まずは、仙台駅から荒井を目指しました。
②仙台駅ホーム荒井行き電車 (530x353)
仙台から東側の終点・荒井までは、6駅13分で着きます。
③荒井駅名票 (420x280)

郊外に造られた荒井駅には大きな駅舎があり、駅前には桜が咲いていました。
④荒井駅 (530x353)
このあたりは、まだ空き地が多く、まだまだ開発途上という感じがしますが、さらに東に向けて延伸計画もあるそうです。

こじんまりとした車内です。
⑤車内 (530x353)
車内の液晶案内表示です。
⑥ひらがな案内 (370x247)
ひらがなの案内のほか、英語、中国語、韓国語の案内が順に表示されます。
⑦中国語案内 (370x247)⑧ハングル語案内 (370x247)

荒井から西側の終点、八木山動物公園までは、12駅26分です。
⑨八木山動物公園ホーム (530x353)

仙台の地下鉄は、仙台駅を中心に、十字型の路線網があります。
⑩案内地図 (530x353)

八木山動物公園駅です。
⑪八木山動物公園駅 (530x353)
この駅の近くには、動物園や遊園地があります。
⑫バスに接続 (530x353)
また、駅からは郊外へのバスに乗り継ぐことができます。

帰りは大町西公園駅で途中下車してみました。
⑬大町西公園駅 (530x353)
大町西公園~国際センター間では、一旦、地上に出て広瀬川を渡ります。
⑭広瀬川を渡る (530x353)
ちょうど、満開の桜の横を水色のラインの電車が走り抜けていきました。

⑮楽天イーグルス看板 (530x353)
仙台駅の地下道には東北楽天イーグルスの広告が掲出されていました。

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  1. 2016/06/26(日) 00:02:12|
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栗沢・栗丘・栗山

今週は北海道の室蘭本線に、3駅続けて「栗」のつく駅が並ぶ「栗沢」、「栗丘」「栗山」の3駅と、その周辺をご紹介しましょう。

室蘭本線は、長万部と岩見沢、および東室蘭と室蘭を結ぶ幹線で、かつては、幌内や夕張で産出される石炭を室蘭港に運搬する路線として重要な位置を占めていました。けれども、旅客輸送は、札幌に向かう千歳線がメインルートとなり、やがて、炭鉱が相次いで閉山してしまったために沼ノ端~岩見沢間の貨物列車は廃止されてしまいました。現在では、この区間は、一日7~8本の普通列車が行き交うだけのローカル線となっています。

まずは、栗沢駅を発車する苫小牧行の列車です。
①栗沢発車
沼ノ端~室蘭間は電化され、長万部までも札幌~函館間の特急や、本州への貨物列車が頻繁に走るのと比べると、同じ室蘭本線の一部とは思えません。

これが栗沢駅です。
②栗沢駅
もちろん、今は無人駅で、数少ない列車から数人の客が降りると、あとはひっそりと静まり返っています。

そんな栗沢地区に、真っ赤な711系電車が静態保存されています。
③711系
711系電車は、昭和42年に北海道内の電車として寒冷地仕様で開発され、平成27年まで48年間にわたり函館本線(小樽~旭川間)、千歳線、室蘭本線(沼ノ端~室蘭間)で活躍した、北海道ではおなじみの電車でした。
それが老朽化により、すべての電車が廃車となったあと、そのうちの2両が、岩見沢に近いここ、栗沢の地にあるレストラン「大地のテラス」に保存されることになったのです。
④大地のテラス看板
この看板には「当駅より徒歩3分」と書かれていますが、岩見沢駅からも栗沢駅からも歩いて行ける距離ではありません。
公共交通機関もないので、ここに行かれる方は、マイカーやレンタカー、または岩見沢駅からタクシーで行くしか方法はありません。

これはレストランの内部から眺めた711系電車です。
⑤レストラン内部
この店は地元では大人気のレストランで、開店前から行列ができるほどです。
⑥シュラスコ料理
この店の人気メニューは、ブラジルのシュラスコ料理で、ブラジル人のスタッフが各テーブルをまわって肉を取り分けてくれます。


さて、こちらは栗沢~栗丘間の菜の花畑の中を走る岩見沢行列車です。
⑦栗丘~栗沢菜の花畑
昔は蒸気機関車に牽引された何両もの客車が走っていたものですが、今では日中は大抵、一両だけの単行運転です。

そして、こちらは栗丘駅。
⑧栗丘駅
駅名票を見ると、両側に「くり」のつく駅があるのがわかります。
⑨栗丘駅名票
栗丘駅の反対ホームへの跨線橋は閉鎖されており、反対ホームの線路がはがされて、今は使われていません。
⑩栗丘駅ホーム
かつて、複線の線路の上を長大編成の貨物列車が行き交ったことが嘘のようです。

そして、こちらが栗山駅です。
⑪栗山駅
3つの駅の中では一番大きな駅舎があり、駅舎は栗山商工会議所と併設になっていますが、ひっそりと静まり返っていました。
かつて、存在したどっしりとした木造駅舎は面影すら残されていません。

そんな栗山駅に苫小牧行の列車がやって来ました。
⑫栗山到着
桜の花が、まだ少し残っています。

栗山町には、明治11年創業の、北海道では最も古い酒蔵の小林酒造があります。
⑬小林酒造
蔵の中では利き酒もできます。
⑭利き酒

北海道日本ハムファイターズ監督の「栗山英樹・夢は正夢」というお酒もありました。
⑮栗山茂樹夢は正夢
栗山監督は町と同じ名前のご縁で、栗山町内にお住まいだそうです。

小林家の庭です。
⑰小林家の庭
広大な屋敷の中は、有料で見学することもできます。

そして、呑み鉄のお酒はもちろん小林酒造の「北の錦」。
⑱北の錦

これは、昭和49年、まだ蒸気機関車牽引の貨物列車が健在だったころの写真です。
⑲栗山蒸気機関車74-12-19
そして、3駅の入場券です。
⑳入場券
あまりにも長い時間が過ぎてしまいました。
当時の駅舎の写真を撮影していなかったことが残念です。

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  1. 2016/06/19(日) 00:02:18|
  2. 北海道
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呉線の旅

今週は広島県を走る山陽本線の三原と海田市(かいたいち)を結ぶ呉線をご紹介します。
呉線は、瀬戸内海に沿って走る93・4キロのローカル線ですが、途中の広以西への下り列車は、海田市からすべて広島まで乗り入れています。
国鉄時代は、急行「音戸」や寝台特急「安芸」などの優等列車が運転されていたこともありましたが、現在ではすべて地域輸送の普通列車と快速列車のみが運転されています。

三原駅で発車を待つ広行の下り列車です。
①三原駅 (550x367)

三原の地酒「酔心」です。
②酔心 (550x367)
乗った電車の車内がロングシートだったので、呑み鉄がとてもやりにくかったのです(笑)

しばらくすると、車窓から風光明媚な瀬戸内の海を眺めることができます。
③瀬戸内の海 (550x367)
これは須波~安芸幸崎間の風景です。

こちらは安芸幸崎(あきさいざき)駅です。
④安芸幸崎駅 (550x367)
沿線には、このような昔ながらの駅舎がある小さな駅が残されています。

主要駅の竹原駅の風景です。
⑤竹原駅 (550x367)
古い街並の残るこの駅に、次回、訪れる時は途中下車したいと思っています。

こちらは広駅です。
⑥広駅 (550x367)
広~広島間は、大幅に運転本数が多くなります。

安芸阿賀~呉間の鉄橋を渡る列車です。
⑦安芸阿賀~呉 (550x367)

そして、こちらはこの線の中心、呉駅です。
⑧呉駅 (550x362)
人口約22万人、広島県第3の町、呉は、明治時代より海軍の町として栄え、現在も海上自衛隊の基地があります。

駅から歩いてすぐの場所に戦艦大和ミュージアムがあります。
⑨戦艦大和 (550x367)
ここには、縮尺〇分の1の大和の模型があるほか、本物のゼロ戦や、人間魚雷回天などが展示されている軍事博物館です。
ゼロ戦

こちらは入船山公園にある明治38年に建てられた呉鎮守府司令長官官舎です。
⑩入船山記念館 (550x367)
奇跡的に戦災を逃れたこの建物は、国の重要文化財に指定されています。

さて、呉駅に戻りましょう。
⑪呉駅ホーム (550x367)
広島行の快速「安芸路ライナー」がやってきました。

呉の地酒は「千福」です。
⑫呉の千福 (550x367)

途中駅の天応(てんのう)で交換する上下列車です。
⑬天応駅ホーム (550x367)
広からは列車本数が多いので、いくつもの駅で列車交換が行われます。

こちらは天応駅です。
⑭天応駅 (550x367)
昔ながらのローカル駅の風情が感じられる駅でした。

天応駅の近くのトンネルから出てきた広行の上り列車です。
⑮天応トンネル (550x367)
このトンネルの右側にあるのは、呉線が電化される以前、昭和45年まで使われていたトンネルです。
天応から終点の広島までは普通列車でおよそ30分の道のりです。


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  1. 2016/06/12(日) 00:01:11|
  2. 中国(山陰山陽)
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鳥栖駅と鉄道カフェ「門トス」

きょうは、佐賀県にある鹿児島本線・鳥栖(とす)駅と、その近くある鉄道カフェ「門トス」をご紹介しましょう。

鹿児島本線から長崎本線が分岐する鳥栖駅は、昔から鉄道の要衝の町として発展してきました。
①鳥栖駅 (550x362)
①鳥栖駅明治44年 (350x233)
明治44年に建造された鳥栖のモダンな駅舎は、今も昔も変わることがありません。
①鳥栖駅ホーム (550x367)
昭和の鉄道全盛時代の面影を色濃く残すこの駅は、私の好きな駅のひとつです。

その鳥栖駅から歩いて8分ほどの場所に、昨秋、鉄道カフェ「門トス」がオープンしたというので、早速行ってきました。
②門トス幟 (357x550)
「門トス」とは、国鉄時代の門司鉄道管理局鳥栖区の略称です。
とあるビルの3階まで階段を登ったところに、そのお店があります。

中に入ると、国鉄時代の鳥栖駅の時刻表が出迎えてくれます。
③時刻表 (550x367)
懐かしい列車名がずらりと並んでいますね。

店内にはNゲージとHOゲージのふたつの大きなレイアウトがあります。
⑤Nゲージ2 (550x367)
Nゲージの方は、福岡の町をイメージしたレイアウトになっています。
④Nゲージ1 (550x367)
手前にあるのは福岡空港です。

こちらはHOゲージのレイアウトです。
⑥HOゲージ (550x367)
HOゲージは、Nゲージよりも車両が大きいので、よりリアルで迫力があります。
⑦田中さん (550x367)
店長の田中さんが、真剣な表情で、列車を動かしていました。

店内の喫茶のメニューです。
⑩メニュー (349x550)
一応、カフェということですが、レイアウトで鉄道模型を走らせることがメインのお店です。

店内の柱にはこんな列車表示がありました。
⑧583列車名 (367x550)
かつて、昼夜を問わず、九州の鉄路を駆け抜けた583形電車のものです。

かつての国鉄鳥栖駅の構内図を見せてもらいました。
⑨鳥栖駅構内図 (550x367)
全盛時代は広大な駅構内に数多くの貨車が並び、蒸気機関車の煙がたなびく中を、長崎や鹿児島や、大阪、東京など各地に向かう列車が次々と発着していたものです。

けれども、今は貨物ヤードは廃止され、その跡地にはJリーグ、サガン鳥栖のホームグラウンドであるサッカー場「ベストアメニティスタジアム」が建っています。
サッカー場


数年後には、鳥栖駅の歴史ある駅舎が壊されて、橋上駅にする計画があるそうです。
鉄道の町のシンボルだった駅舎を、何とか後世にまで残すことはできないものでしょうか。
夜の駅 - コピー




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  1. 2016/06/05(日) 00:01:46|
  2. 九州
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