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田中正恭の汽車旅日記

ここは、紀行作家・田中正恭 (たなかまさやす) が、つれづれなるままに各地の旅や、鉄道に関する話題について綴っています。原則として毎週日曜日に更新しており、時には鉄道以外の話題になることもありますが、ご了承ください。また、2018年10月より「テツドラー田中の乗り鉄日記」としてYahoo!クリエーターズプログラムにもレギュラー投稿していますので、そちらもご覧頂ければ幸いです。なお、内容につきましてのご感想や、執筆や講演、出演などの依頼がありましたら、お気軽にメッセージをお寄せください。なお、写真や文章の無断転載はご遠慮願います。

旧新橋停車場

今週は東京の汐留にある我が国の鉄道発祥の地、旧新橋停車場をご紹介しましょう。
明治5(1872)年10月14日(太陽暦)、新橋~横浜間に開通した陸蒸気が汽笛を鳴らし、日本の鉄道の歴史が始まりました。
以来、大正3(1914)年まで、銀座の入口の汐留にあった旧駅舎は、東京駅が新設されるまで東京の旅客ターミナルとしてその役目を果たしてきました。
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東京駅開業後、旧新橋駅は、貨物専用の汐留駅となりましたが、旧駅舎は大正12(1923)年の関東大震災で焼失してしまいました。
しかし、それ以降も物流の一大拠点として戦前戦後にわたって機能しましたが、昭和61(1986)年にその使命を終えたのです。

その後、汐留再開発にあたっての発掘調査により、旧新橋駅の遺構が発掘され、同じ場所に再建されたのが、現在の旧新橋停車場です。
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今は、汐留駅跡地を再開発された高層ビル街の中に、ひっそりと旧駅舎が建っています。
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開業当時は、銀座に向かって偉容を誇っていたそうです。
それまでは新橋から横浜まで歩いて10時間もかかったのが、1時間足らずで行けるようになったのでした。

開業当時の写真が正面入口にあります。
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駅舎正面には9段の石段がありました。
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その一部が発掘され、同じ場所に保存されています。

西洋式の建物は正に文明開化の象徴でした。
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プラットホームの横には当時の線路の一部が再現されています。
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創業時の線路の断面は上下対称のI型で双頭レールと呼ばれていました。

こちらは、プラットホーム側にある0哩(ゼロマイル)標識です。
当時はキロ表示は採用されておらず、欧米式にマイル表示だったのです。IMG_0988.jpg
この場所に再建され、モニュメントのように立っています。

復元されたプラットホームです。
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12月の夜になると、このようなイルミネーションが美しく輝いています。
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旧駅舎の内部は、鉄道歴史展示室とレストランになっています。
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展示室は年に何度か入れ替えが行われ、現在は3月3日まで『NIPPON鉄道の夜明け』と題して明治の黎明期の歴史をたどる展示を見ることができるほか、昭和中期までの映像が随時、放映されています。
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新橋駅から徒歩5分ほどの場所にあり、入場は無料ですので、お近くに行かれた際は、足を運ばれてはいかがでしょうか。
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テーマ:歴史・文化にふれる旅 - ジャンル:旅行

  1. 2019/01/20(日) 00:02:48|
  2. 関東
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モスクワ・ヤロスラベリ駅に到着

北京からモスクワへの旅の最終回、
列車はスベルドルフスクを過ぎると、ウラル山脈のなだらかな丘陵地で、アジアとヨーロッパの境界線を越えます。
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その地点には、アジアとヨーロッパの境界線を示すオベリスクが建っていました。

でも、モンゴル商人を目当てに駅のホームに群がるロシア人たちの姿は変わりません。
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ここ、ベルミ駅でも大群衆が大変な騒ぎを繰り広げていました。
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シャリア駅には、かつてソ連時代にはどこにでもあったレーニン像が、まだ撤去されずに残っていました。
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いよいよ、この列車の最後の停車駅となるダニロフでも、モンゴル商人たちの商いは続いていました。
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列車の中でウランバートルから5日間、一緒に旅をしたモンゴル人たちです。
左側のアムジンちゃんという小さな子供は、ママと二人でパパのいるドイツに向かうと言っていました。
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たまたま会った二人の女の子が、アムジンちゃんの面倒をよく見ていました。
また、右側の青年、バルフー君は、モンゴル人商人、英語の話せる彼には通訳や両替など、随分、お世話になりました。

母なる大河、ボルガ川を渡ると、ほどなくモスクワに着きます。
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列車はモスクワ時間で16時27分、モスクワ・ヤリスラベリ駅に到着しました。
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こうして、ウランバートルから130時間37分、距離にして6304キロ、
北京から7865キロの大陸横断悦同の旅は終わりました。
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雨のモスクワに着いた時、まだ、列車を降りたくないなあと強く思ったのでした。


その後の数日をモスクワで過ごしました。
これは、これは赤の広場にあるヴァシリー寺院です。
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1555年にイヴァン4世が創設したロシアを代表する聖堂建築で、世界遺産に登録されています。

クレムリンと赤の広場です。
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そして、こちらはクレムリン内部の庭園です。
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心落ち着くような静かな場所でした。


赤の広場の横にあるグム百貨店です。
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ソ連時代からある古い百貨店です。

アルバート通りで見かけた似顔絵描きです。
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似顔絵は、なんとなく、ユーモラスでした。

イズマイロボ公園のフリーマーケットです。
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ヴァイオリン弾きの少女もいました。
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でも、ヴァイオリンは上手jじゃなかったことを記憶しています。

そして、ロシアと言えば、マトリョーシカ。
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あちこちで色々な種類のマトリョーシカを売っています。

あれから20年、ロシアはその後、どうなったでしょうか。
できれば、もう一度、様子を見に行きたいと思っています。
もちろん、シベリア鉄道に乗って・・・

なお、この旅の様子は、拙著『モンゴル発シベリア行商列車』に詳しく書いていますが、
残念ながらすでに絶版になっています。
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Amazonなどで、中古本をお取り寄せ頂ければ幸いです。

テーマ:海外旅行記 - ジャンル:旅行

  1. 2019/01/13(日) 00:03:28|
  2. 海外の旅
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シベリア鉄道を東へ

今週は北京からモスクワへの大陸横断鉄道の旅、第3回目。
一夜明け、ウランバートル発モスクワ行「第5列車」は、モンゴル・ロシア国境を越え、シベリア鉄道との合流地点のウランウデに停車しました。
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この駅はこの時から13年前のソ連時代、ハバロフスクからイルクーツクまで旅した時に通った駅です。
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この時、駅構内には蒸気機関車の姿がありました。

ウランウデを発車すると、列車は延々2時間余りバイカル湖畔を走ります。
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スリュジャンカの駅では、多くの群衆がホームに集まっていました。
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この人たちは列車に乗るのではなく、この列車の乗客のモンゴル人たちが持ってきた商品を買うことが目当てなのです。
この先、モスクワに着くまでに間、このような風景を何度も見ることになりました。

バイカル湖を高台から見下ろします。
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シベリア東部の主要都市・イルクーツクに着きました。
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ここは13年前に降りた駅。この先は未踏の地へと列車は走ります。

ジマ駅です。
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列車はだいたい2~3時間ごとに停車し、ほとんどの駅で15分前後停車します。

ロシアに入って最初の日が沈みます。
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まだまだ、モスクワまでは3日の道のりです。

翌日、目が覚めるとクラスヤノスクでした。
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朝からモンゴル商人目当てのロシア人たちが、ホームに大勢詰めかけていました。
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「これ、買ってよ」と、照明器具をロシア人に勧めるモンゴル人女性です。
大抵のモンゴル人はロシア語が話せます。

アチンスク駅も大変な騒ぎでした。
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バゴドル駅でも、ロシア人女性たちが列車に群がっています。
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モンゴル商人たちは「カスチューム、カスチューム!」と叫びながら、衣服を売っていました。

シベリアの主要都市、ノボシビルスク駅です。
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立派な駅舎がありました。
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駅の近くにはアパートとみられる大きな建物が見えます。

深夜に到着したバラビンスク駅です。
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真夜中でも大勢の人たちがホームに群がり、モンゴル商人たちは「カスチューム、カスチューム!」と叫んでいました。
大変な騒ぎで、とても、寝ている場合ではありません。

翌日も列車は白樺林の中を淡々と走ります。
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どこまでもほとんど変わらない車窓風景です。

ズベルドルフスク駅でも大騒ぎです。ここは当時のエリツィン大統領の故郷です。
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この時、すでにソ連は崩壊し、資本主義国家になっていましたが、地方都市の物不足はかなり深刻だったことがわかります。
はたして、この時から20年たった今、シベリアの人たちの生活は少しは豊かになったのでしょうか。
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モンゴル人たちが持ってきた商品を品定めをする婦人たちの目は真剣でした。

列車はさらに西へ向かってひた走り、アジアからヨーロッパへと入っていきます。
モスクワへの旅は、来週ご紹介しましょう。



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  1. 2019/01/06(日) 15:02:15|
  2. 海外の旅
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モンゴルを駈けるモスクワ行の列車

先週に引き続き、北京からモンゴル経由でモスクワへの旅。今週は草原の国、モンゴルを行く列車の旅とウランバートルをご紹介します。

中国の二連を発車した列車が国境を越え、すぐに着いたモンゴル側の最初の駅、ザミンウデです。
①深夜のザミンウデ
深夜の駅に人影はなく、ひっそりと静まりかえっていましたが、キリル文字のネオンが、国境を越えたことを示しています。

翌朝、目が覚めると、列車は緑の広大な大地の中を駈けていました。
②モンゴルの大地

草原の中の小さな駅、チョーヨアです。
③チョーヨア駅ホーム
ロシアの影響を受けた駅舎の建物は、明らかに中国の駅とは異なります。

乗客がホームの人から何やら買っています。
④チョーヨア駅物売り
モンゴルの駅は中国と違ってホームが地面と同じ高さなので、背伸びをしないと届きません。

モンゴルの食堂車です。
⑤食堂車
中国から連結されていた食堂車は切り離され、モンゴルの食堂車が新たに連結されました。

大平原にたくさんの羊たちの姿が見えました。
⑦羊たち

やがて、モンゴル特有のゲル(テントの家)が見えました。
⑧ゲル

チョーヨア駅を出てから3時間半、草原の中をひた走った列車は、ウランバートルに到着しました。
⑨ウランバートル到着
大勢の人たちとともに私はここで降りました。この列車は30分、停車した後、モスクワまでの長い長い旅を続けるのです。

これがウランバートル駅です。
⑩ウランバートル駅
ウランバートルは、人口60万人のモンゴルの首都です。

でも、あたりはのんびりとしており、住宅地の近くでも牛がのんびりと草を食んでいました。
⑫町中の牛

こちらは町の中心にあるスフバートル広場です。
⑪スフバートル広場
でも、人の数は少なく、人だらけだった天安門広場とは大違いです。

こちらはゲルの近くで馬に乗る女性です。
⑬ゲルと馬に乗る女性
モンゴルでは普通に馬に乗れる人が多いそうです。

市内にあるガンダン寺でお祈りをする老人です。
⑭ガンダン寺老人
過去には仏教徒が弾圧されていた時代もあったそうですが、今ではモンゴルは敬虔な仏教国です。

こちらはボクトハーン寺院博物館です。
⑮ボクトハーン寺院博物館
立派な木造建築ですね。

さて、2日後に、私はモスクワに向かって再び列車の旅を再開しました。
⑯ウランバートル駅発車前
こちらは発車前のウランバートル発モスクワ行第5列車です。

ウランバートルの旅行社で入手したモスクワまでの5列車の乗車券です。
⑰切符
でも、まったく判読できません。

ホームで列車を見送る人々です。
⑱見送る人々
乗客の大半はモンゴル人でした。

発車するとすぐに、ゲルや小さな木造の民家が見えました。
⑲車窓からのゲル

最初に停車したのはズハラ駅です。
⑳ズハラ駅
ホームに物を売る人が並んでいます。

こちらはダッハム駅。
㉑ダッハム駅
時刻は午後7時ごろですが、夏のモンゴルは時差の関係で、まだまだ昼間のように明るいのです。

ようやく日暮れ時を迎えたモンゴル北部の湖沼地帯です。
㉒夕方の湖沼地帯
国境の駅、スフバートルを過ぎると、列車はいよいよ、ロシア領に入ります。
このあと、シベリア鉄道を通り、モスクワまでの長い旅は続きます。


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  1. 2018/12/30(日) 00:02:08|
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北京からモンゴル国境へ

これは北京站で発車を待つモスクワ行、3次列車です。
⑬機関車
今週から4回にわたって、今から20年前、1998年の夏に北京からモンゴルのウランバートルを経て、シベリア鉄道に入り、モスクワまでの列車旅をした時のようすをご紹介します。

北京からモスクワまでの鉄路は7865キロの壮大な旅。
途中、モンゴルのウランバートルで途中下車し、2泊したほか、あわせて車中5泊の汽車旅でした。

大陸横断鉄道の旅立ちの3日前に、私は北京入りしました。
①天安門
ご存じ、天安門です。この前にある広場は、中華人民共和国のシンボルのような場所ですね。

天安門広場を警備する警官です。
②天安門警官
ビーチパラソルの下に真面目な表情で立っているのがおかしいです。

こちらは故宮です。
③故宮
広大な紫禁城ともいわれる故宮の域内は、巨大な博物館になっています。

暑い夏でした。
④暑い夏
故宮の中の御花園で休む人たちです。

こちらは天壇公園にある祈念殿です。
⑤天壇

大通りを走る自転車の列ですが、今ではそのようすも変わっていることでしょう。
⑥自転車の列

そして、こちらは地下鉄です。
⑦地下鉄
今では、当時より、かなり路線網が増えているそうです。

こちらは北京站(駅)です。
いよいよ、壮大な汽車旅の時が近づいてきました。
⑧北京駅待合室

北京からウランバートルまでの2等乗車券です。
⑨切符

そして、北京からモスクワ、大陸横断鉄道のサボ(行先表示板)です。
⑩サボ
ロシア語、中国語、モンゴル語と、3カ国語で書かれており、ロマンを感じます。

発車前の北京站のホームです。この列車の北京発は朝7時40分です。
⑫北京站ホーム
このホームから発車するモスクワ行の列車は週に一便だけしかありません。

列車は15両の長大編成。
⑭長大編成
北京を発車すると、中国の広大な大地を悠々と走ります。

最初の停車駅、南口站です。
⑮南口站ホーム
北京を出てからおよそ1時間で着きました。


やがて、車窓に万里の長城が見えてきました。
⑯長城
世界一長い長城を、延々と車窓から眺めることができました。
でも、残念ながら、現在では経路が変更になり、万里の長城は見えなくなってしまったそうです。
⑰長城を見ながら
青尤橋(チーロンチャウ)站に着きました。
⑱青尤橋站
山峡に佇むこの駅からも万里の長城を見ることができました。

こちらは永定河です。
⑲永定河
まるで湖のような大河で、蘆溝とも呼ばれています。

窓の外に別線を走る列車が見えました。
⑳別線を行く列車
どこへ行く列車なのでしょうか。しばらく並行して走りました。

集宁南(じにんなん)站です。
㉑集宁南站
ホームで販売人が暇そうにしていました。

やがて、大地に日が沈みます。
㉒日暮れ
この列車が終点のモスクワに着くのは6日後の夕方です。

モンゴルとの国境の駅、二連(アーリエン)到着は20時43分。
この駅で2時間半停車します。
㉓車両持ち上げ
中国とモンゴルでは線路の幅が異なるため、長い停車時間中に、列車は車庫に入り、一両ずつ持ち上げて車輪の台車を取り替えるのです。

乗客たちはその間に二連の町へ出て、夜の散歩を楽しみます。
㉔二連すいか売り
スイカを売る人たちがいました。
㉕二連の夜
国際列車が停車する間、国境の町の夜は賑やかに更けていきます。

来週は国境を越え、モンゴルのようすをお伝えします。

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  1. 2018/12/23(日) 00:04:47|
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ソ連時代のシベリア鉄道(その2)

今週は、先週に引き続き、ソ連時代のシベリア鉄道極東の旅にご案内します。
⑮大地を行く
緑の大地を列車はひたすら走り続けます。

チェルヌイショルスク駅に着きました。
⑯チャルヌイシェルスク駅
2~3時間おきに駅に停車すると、列車は15分前後小休止するため、乗客たちはその間、ホームに出て体を動かします。

ペドロフフスキーザボード付近の木造家屋です。
⑰ぺペトロフスキーザポード付近
木の板塀に囲まれた飾り気のない家が並んでいました。

「ロシア号」の食堂車の前菜です。
⑱食堂車の朝食
彼らにとって値段が高いのか、ロシア人は食堂車を使う人が少なく、いつも空いていました。

ウランウデに郊外電車が止まっていました。
⑲ウランウデ郊外電車
この駅からは、モンゴル方面への線路が分岐します。

ウランウデを過ぎると、やがて、列車はバイカル湖に沿って走ります。
⑳バイカル湖畔を行く
この大きな湖の南岸を2時間にわたって走るのです。

バイカル湖に近い駅、セレンガです。
㉑セレンガ駅ホーム (550x383)

これは、車掌さんとその娘さんたちです。
㉒車掌さん親子 (388x550)
各車両に車掌さんが2人ずつ乗っていて、子供たちがそのお手伝いをしていました。

列車はやがて、雄大なループ線を通り、バイカル湖を眺める地点を通ります。
㉓バイカル湖大パノラマ (550x381)

そして、着いたのがイルクーツク駅です。この駅で、私は列車を降りました。
㉔Irkutsk駅 (550x360)
この駅はウラジオストクから4106キロ、モスクワまで5191キロの地点にあります。

これは、カールマルクス通りです。
㉖カールマルクス通り (550x385)
イルクーツクは、シベリアのパリと言われるほど、美しい町並みが続きます。

そして、この町にも路面電車が走っています。
㉕路面電車 (550x387)

イルクーツク中心部にある市場です。
㉗市場 (550x382)
太ったご婦人が目立ちました。

そして、バイカル湖畔にも足を延ばしました。
㉙バイカル湖 (550x382)

いかにも素朴な田舎の風景です。
㉘バイカル田舎の風景 (550x385)

イルクーツクから東、モスクワまでのシベリア鉄道に私が乗ったのは、この時から13年もあとのことでした。

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  1. 2018/12/16(日) 00:02:05|
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ソ連時代のシベリア鉄道(その1)

今週から2回にわたってソビエト連邦時代の1985年の夏に乗ったシベリア鉄道、ハバロフスク~イルクーツク間のようすをご紹介します。
シベリア鉄道は、モスクワ~ウラジオストク間を結ぶ9297キロの世界最長の大陸横断鉄道です。
ですが、ソ連時代、軍港のあるウラジオストクは、外国人の立ち入りを認めていなかったため、ウラジオストクの北766キロにある極東主要都市ハバロフスクからしか乗ることができませんでした。

これがハバロフスク駅です。
①ハバロフスク駅
シベリア鉄道の駅の時計には短針がふたつあります。
黒い針が現地時間、赤い針がモスクワ時間を示しています。広大な領土のロシアには11個の時差がありますが、紛らわしいのでシベリア鉄道の列車はすべてモスクワ時間で運転されています。それで、駅の時計には短針が2つあるのです。

ハバロフスク市内を走るトロリーバスです。
②市内を行くトロリーバス

そして、こちらは路面電車。
③路面電車
ソ連をはじめ、旧東側諸国の街では、トロリーバスや路面電車が多く見られました。


ソ連時代にはどこの町にもあったレーニン像です。
今は撤去されてしまったことでしょう。
④レーニン像と釜とハンマー
背後の建物にはハンマーと釜をあしらったソビエト連邦のマークがありました。

いよいよ、シベリア鉄道の旅が始まります。
⑤ロシア号到着
ウラジオストクを前夜に発車した「ロシア号」が静かに入線してきました。
ロシアの駅のホームは、線路と同じ高さです。

ロシア号の窓から、若き日の私です。
⑥ロシア号と私


ハバロフスクを出て、最初の停車駅、ビロビジャンです。
⑦ビロビジャン駅の貨車
古い貨車が止まっていました。

極東シベリアの大地を列車はひたすら走り続けます。
⑧シベリア極東の大地を行く
「ロシア号」は20両の長大編成です。

モスクワまであと8000キロ、シベリアの大地に夕方が訪れました。
⑨モスクワまで8500km 
時差の関係で、夏のロシアは夜9時になってもまだこの明るさです。

翌朝、エロフェイパブロビッチ駅のキオスクです。
⑩エロフェイパブロビッチのキオスク
各停車駅では、このような素朴な売店で、地元の婦人たちが農作物などを売っていました。

アマザール駅に停車中のロシア号です。
⑪アマザール
跨線橋がなく、ホームが低いので、人々は平気で線路を渡っています。

どこの駅だったでしょうか。構内の引き込み線に列車たちが佇んでいました。
⑫どこかの駅の車両群
まるで、鉄道模型のレイアウトのような風景でした。

そして、この時すでに廃車になっていた何両もの蒸気機関車の姿も見られました。
⑬SL廃車
この大きな蒸気機関車が、長大なシベリア鉄道を引く姿は、どんなに力強かったことでしょう。

どこまでも続くシルカ川に沿って、列車は淡々と走ります。
⑭シルカ川に沿って
来週は、バイカル湖からイルクーツクへと旅が続きます。

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  1. 2018/12/09(日) 00:01:28|
  2. 海外の旅
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山陰本線「あめつち」の旅

今週は、今年7月から山陰本線の鳥取~出雲市間で運転を開始した観光列車「あめつち」の旅にご案内します。

鳥取駅で発車を待つ「あめつち」です。
①鳥取駅ホーム - コピー
この列車は、キロ47形を改造したオールグリーン車の2両編成で、週末などをを中心に臨時快速列車として運転されています。

鳥取県琴浦町浦安の地酒「鷹勇」で、朝から呑み鉄です。
②呑み鉄「鷹勇」 - コピー

列車のボディには、誇らしげにエンブレムが掲げられています。
③Emblem - コピー

車内はこんな感じです。
④車内オールグリーン - コピー
日本海や宍道湖を正面に見るカウンター席も設けられています。

車内は、あちこちに山陰の素材が生かされています。
⑤隠岐の黒松 - コピー
これは隠岐の黒松を用いた装飾で、列車の壁に飾られています。

こちらは石州瓦を使った装飾用タイルです。
⑥石州瓦 - コピー

洗面台には岩美町の岩井窯が使われていました。
⑦洗面台岩井窯(岩美町) - コピー

車内でもお酒を売っていたので、色々並べてみました。
⑧窓酒瓶 - コピー
これらを全部一人で呑んだわけではありません(笑)。

やがて、おみくじのサービスがありました。
⑨おみくじ
神の国、出雲に向かう列車ならではのサービスですね。

途中の赤崎駅で運転停車し、普通列車と行き違いました。
⑩赤崎運転停車
本線とはいえ、山陰本線は大部分が単線区間なのです。

車窓に日本海が見えてきました。
⑪風力発電風車と日本海 - コピー
その手前には風力発電の風車が見えています。

やがて、「天地御膳世明」という地元の食材を生かしたお弁当が配られました。
⑫天地御膳夜明 - コピー
この弁当は事前申し込み制で、当日、車内で買うことはできないのでご注意を。

米子駅で停車中の「あめつち」です。
⑬米子駅ホーム - コピー
米子駅では8分停車します。

続いて停車した安来駅のホームでは、安来節を披露してくれました。
⑭安来節 - コピー

松江駅に到着です。
⑮松江駅ようこそ山陰へ - コピー
ホームでは、「ようこそ山陰へ」との横断幕を掲げた駅員さんたちの歓迎を受けました。

そして、松江の開府の祖・堀尾吉晴公などに扮した武者装束の人たちもいました。
⑯堀尾吉晴

松江駅で停車中、岡山から出雲市へ向かう特急「やくも5号」を先に通しました。
⑰松江駅やくも
「あめつち」はあくまでマイペース。この観光列車の乗客で、先を急ぐ人は誰もいません。

松江を発車すると、やがて、シジミで有名な宍道湖が見えてきます。
⑱宍道湖

これが出雲大社の本殿を模した終着の出雲市駅です。
⑲出雲市駅
鳥取を発車してからのんびりと過ごした3時間47分、「あめつち」の旅は終わりました。

出雲市では出雲そばをいただきました。
⑳出雲そば

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  1. 2018/12/02(日) 00:03:13|
  2. 中国(山陰山陽)
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智頭急行の旅

今週は山陽本線の上郡(かみごおり)駅と因美線の智頭(ちず)駅を結ぶ全長56・1キロの智頭急行をご紹介しましょう。
智頭急行は、国鉄時代に兵庫県~岡山県~鳥取県を結ぶ、山陽と山陰との短絡線として計画され、民営化後の平成6年に第三セクター鉄道として開業しました。
この線は、鳥取と、京都、大阪、岡山を結ぶ陽陰連絡線としての重責を担い、何本もの特急列車が走っています。
そのため、多くの第三セクター鉄道が赤字経営に苦しむ中、安定した黒字路線なのです。

こちらは、上郡駅の普通列車の乗り場です。
IMG_9474.jpg
大原行の列車が発車を待っています。
IMG_9478.jpg
特急列車はすべてJRに直通するので、JRのホームから発車します。

苔縄~河野原円心間を行く岡山行特急「スーパーいなば」です。
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鳥取~岡山間をおよそ1時間50分で結んでいます。

ほとんどの普通列車は、一両だけの単行運転です。
IMG_9502.jpg
このあたりは千種川のゆったりとした流れに沿って走ります。

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こちらは、倉吉・鳥取~大阪・京都間を結ぶ「スーパーはくと」です。
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京都~倉吉間をおよそ3時間40分で走ります。

こちらは河野原円心間駅です。
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駅名は鎌倉時代末期にこの地を治めた赤松円心にちなんでいます。

河野原円心~久崎間で千種川を渡る「スーパーいなば」です。
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特急列車が次々とやってきます。

久崎駅で反対列車と交換です。
IMG_9530.jpg
開通が比較的あたらしいので、この線は多くの区間が高架線上を走ります。

佐用(さよ)駅で、普通列車が特急に道を譲ります。
IMG_9533.jpg
佐用はJR姫新線との接続駅です。
IMG_9532.jpg

宮本武蔵駅でも降りてみました。
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ここはその名の通り、剣豪宮本武蔵の故郷です。
IMG_9577.jpg

宮本武蔵駅を特急「いなば」が通過していきました。
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こちらは特急停車駅の大原です。
IMG_9538.jpg
IMG_9537.jpg

この町は因幡街道の大原宿があったところです。
IMG_9548.jpg
今も当時の面影を残す街並みが残っています。

大原駅構内には車両基地があり、ここは智頭急行の中枢駅なのです。
IMG_9567.jpg

途中駅の恋山形です。
IMG_9606_20181028213853715.jpg
その駅名から、恋の叶う駅として駅全体がピンク色に塗られています。

智頭急行の終点、智頭駅に着いた特急列車です。
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智頭止まりの普通列車も停車しています。

智頭急行の本社がある智頭駅です。
IMG_9612.jpg
この駅舎のあるホームに入線するのは普通列車だけで、すべての特急列車はJR智頭駅のホームに入線し、JR因美線に乗り入れて鳥取に向かいます。

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  1. 2018/11/25(日) 00:01:37|
  2. 中国(山陰山陽)
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境線はゲゲゲの鬼太郎一色

今週は鳥取県の米子~境港間17・9キロを結ぶJR境線をご紹介します。

境線の列車は米子駅の0番ホームから発着します。
①米子駅
この線は、終点の境港が、漫画家の故水木しげるさんの故郷であることにちなんで
全線にわたってゲゲゲの鬼太郎とその仲間たちが満載です。

米子駅のホームには、ねずみ男や妖怪たちが並んでいます。
②米子駅ホーム2
③米子駅ホーム3

境線の駅にはすべて妖怪の名前がつけられており、河崎口駅は「傘化け」、米子空港駅は「べとべとさん」
④傘化け河崎口⑤べとべとさん米子空港

中浜駅は「牛鬼」、上道駅は「一反木綿」といった感じです。
⑥牛鬼中浜⑦一反木綿上道

しばらく走ると右手の車窓に大山(だいせん)が見えてきました。
⑧大山

弓ヶ浜駅では「目玉おやじ号」との列車交換です。
⑨弓ヶ浜あずきあらい目玉おやじ号
境線は駅間距離が短く、まるで路線バスのように停車します。
観光客だけでなく、地元の通勤通学客や米子空港への客に利用されています。

これが米子空港駅です。
⑩米子空港駅
この駅はかつては大篠津駅と呼ばれていましたが、平成20年に米子空港側に線路を移設し、空港連絡駅として生まれ変わりました。

米子空港駅にやって来た「ねずみ男列車」です。
⑪大篠津~米子空港
この列車の天井には、ねずみ男の姿が描かれています。
⑫ねずみ男天井

小さな無人駅、中浜で降りてみました。
⑬中浜駅

駅の近くに日御碕神社というお社がありました。
⑭日御碕神社

中浜付近を行く上り列車です。
⑮中浜~空港

そして、こちらが終着駅の境港です。
⑯境港駅ホーム
停車しているのは「こなきじじい号」です。

⑰鬼太郎駅名標
そして、この駅のもう一つの名は「鬼太郎駅」でした。

これは境港駅の駅舎です。
⑱境港駅舎
灯台を表わしていますが、駅前は妖怪だらけでした。

そして、駅前のポストには鬼太郎が乗っています。
⑲駅前ポスト

駅のすぐ近くには千代結び酒造があります。
⑳千代結び酒造

主要銘柄の「千代結び」おほか、「鬼太郎純吟」というカップ酒もありました。
s-㉙呑み鉄


橋のたもとに、目玉おやじを手の上にのせた鬼太郎がいました。
s-㉑鬼太郎
駅から続く商店街は、鬼太郎ロードと名付けられ、たくさんの妖怪に出会うことができます。
s-㉑鬼太郎ロード
s-㉒妖怪2
s-㉓妖怪1

そして、ねずみ男がうろうろしながら愛嬌を振りまいています。
s-㉔ねずみ男

これが水木しげる記念館です。
s-㉕水木しげる記念館

ここには「お化けのポスト」がありました。
s-㉖お化けのポスト

境港駅は港にも近く、巡視船「おき」が停泊していました。
s-㉗巡視船おき

岸壁で釣をする人たちがいました。
s-㉘境港で釣する人
この港からは隠岐諸島への定期船が発着しています。










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  1. 2018/11/18(日) 00:12:17|
  2. 中国(山陰山陽)
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伊豆箱根鉄道駿豆線と、晩秋の富士

今週は静岡県の伊豆半島内陸部を走る伊豆箱根鉄道駿豆線と、美しい晩秋の富士山をご紹介します。
駿豆線は、東海道新幹線・東海道本線の三島駅から修善寺までの19・8キロを結んでおり、地元の通勤通学の足として、また、修善寺温泉などへの行楽の足として活躍しています。
①三島駅
こちらが始発の三島駅です。

こちらは三島田町~三島二日町間を行く、東京発の直通特急「踊り子」です。
②185系踊り子
車両は国鉄時代から走り続けている185系ですが、あと数年後にこの形式は姿を消すことになっています。

こちらは三島二日町駅です。ホームからも純白の富士山を眺めることができます。
③三島二日町駅
このあたりまでは、三島市の住宅地が続いています。

④三島二日町~大場
三島二日町を過ぎると、田園地帯を走り、雄大な富士の山があちこちで見ることができました。
⑤三島二日町~大場

よく実った柿の木の脇を電車が走り過ぎていきます。
⑥三島二日町~大場

⑦三島二日町~大場
のどかな風景が続きます。
⑧三島二日町~大場

⑨三島二日町~大場

こちらが大場(だいば)駅です。
⑪大場駅

上下線の列車が、この駅ですれ違いました。
⑩大場駅交換


⑫韮山~伊豆長岡
韮山~伊豆長岡間を行く電車です。
⑬韮山~伊豆長岡
このあたりも、富士山がくっきりと見えていました。

こちらは世界遺産に認定された韮山の反射炉です。
⑭韮山反射炉
明治時代の産業革命遺産のひとつで、ここで大砲が製造されていました。

こちらは重要文化財の江川家の邸宅です。
⑮江川邸
ここは江戸時代の代官屋敷でした。

伊豆長岡駅です。
⑯伊豆長岡駅ホーム
この駅は長岡温泉の玄関口で、ちょうど東京行の特急列車が停車していました。
⑰伊豆長岡踊り子

終点の修善寺駅です。
⑱修善寺駅ホーム
この駅には、週末は4往復、休日は2往復の「踊り子」が乗り入れています。
⑲修善寺駅舎
駅舎はきれいにリニューアルされていました。

こちらが修禅寺です。駅や温泉の名前は修善寺(しゅぜんじ)ですが、お寺の名は修禅寺(しゅうぜんじ)といいます。
⑳修善寺
平安時代初期に弘法大師が開基した古刹です。紅葉が真っ盛りの晩秋の時期、大勢の参拝客で賑わっていました。

修善寺の温泉街です。
s-㉑温泉街
昔ながらの温泉地の風情が漂っていました。

帰りの列車での呑み鉄の酒は「富士に四季」。
s-㉒呑み鉄
三島に戻った時はすっかり暗くなっていました。
s-㉓夜の三島駅

さて、こちらは昭和56年に初めてこの線に乗った時の三島駅です。
s-㉔S56三島駅
37年過ぎても、この駅の雰囲気は変わっていませんでした。
s-㉕S56三島駅

そして、こちらは37年前の修善寺駅。
s-㉖S56修善寺駅

昭和の時代、切符は硬券が使われていました。
s-㉗きっぷ
きっと、この線は、いつまでも変わることなく、地域住民と観光客の足として走り続けることでしょう。


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  1. 2018/11/11(日) 00:00:29|
  2. 東海
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Yahoo! 『テツドラー田中の乗り鉄日記』に投稿開始

この度、Yahoo! JAPANが立ち上げた「クリエーターズプログラム」に参加し、全国各地の魅力あふれるローカル線をYahoo上で写真や動画を交えてご紹介することになりました。
その中で私は友人のCMプランナー氏の命名により「テツドラー田中」というハンドルネームで『テツドラー田中の乗り鉄日記』として投稿してまいります。
YahooCREATORS.jpg

まずは、明知鉄道(岐阜県)、JR夕張支線(北海道)、嵯峨野観光鉄道(京都府)、ひたちなか京浜鉄道(茨城県)、JR指宿枕崎線(鹿児島県)、ごめんなはり線(高知県)、のと鉄道(石川県)、JR赤穂線(岡山県・兵庫県)の8つの路線を第一弾としてご紹介しています。
20170624205152fd1[1]

20171022164646417[1]

今後、順次、定期的に各地の路線もご紹介していきますので、よろしくお願いします。

アドレスは以下の通りです。1本あたり1分少々ですので、最後まで見てくださいね。

https://creators.yahoo.co.jp/tetsudoratanaka

  1. 2018/11/04(日) 00:03:23|
  2. 著作/寄稿紹介/出演/講演など
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レイクサイド&ハバースウェイト鉄道

イギリス保存鉄道の旅、第三弾、きょうは、イングランドのウインダミアにある、レイクサイド&ハバースウェイト鉄道をご紹介します

この鉄道は、ウインダミア湖の遊覧船と接続して、レイクサイド駅からハバースウエイト駅までを、レヴァン渓谷を眺めながら片道20分で走ります。

レイクサイド駅で発車を待つ列車です。
①ハーバースウエイト駅
実際にイギリス国鉄で走っていた本格的な列車で、大きな蒸気機関車が牽引します。
②SL

機関車を飾るエンブレムが誇らしげです。
③エンブレム

真っ白な煙を吐いて列車は走ります。
④走行中1

こちらは一般のオープン車両。
⑤一般座席

そして、こちらは、コンパートメント車両の内部です。
⑥コンパートメント
まるで、名探偵ホームズが、助手のワトソンと一緒に乗っていそうな列車でした。
⑦走行中縦


途中駅のニュービーブリッジ駅の駅名標です。
⑧終点

そして、終点のハバースウェイト駅では、トンネルの向こうで方向転換をした機関車が戻ってきました。
⑨機回し

レイクサイド駅に戻ると、近くには「きかんしゃトーマス」の仲間たちがいました。
⑩トーマス

イギリスにたくさん現存する保存鉄道の運営には、多くの鉄道ファンによるボランティアの力を借りて運営されているそうです。

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  1. 2018/10/28(日) 00:03:49|
  2. 海外の旅
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スランベリス湖岸鉄道

先週に引き続き、イギリスの保存鉄道の旅、
今週は先週ご紹介したスノードン山岳鉄道の隣近くに乗り場のあるスランベリス湖岸鉄道にご案内します。

スノードン山から見えたペリス湖畔を走るのがこの鉄道です。
この鉄道の開通は1842年と古く、スレート(粘板岩)を運ぶために作られた路線でした。
1961年に廃止された後、観光用に復活したものです。
IMG_20180805_0010.jpg
軌間597mmの線路の上を、小さな蒸気機関車が緑色の6両の客車を牽引します。

IMG_20180805_0014.jpg
煉瓦造りの車庫は、まるで小さなお城のようです。

大勢の観光客を乗せて発車します。
IMG_20180805_0011.jpg

近くの丘の上から眺めると、箱庭のようです。
IMG_20180805_0013.jpg

小さな蒸気機関車が、湖畔をゆっくりと走ります。
IMG_20180805_0012.jpg
片道4キロの道を、1時間かけてのんびりと往復しています。
IMG_20180805_0015.jpg



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  1. 2018/10/21(日) 00:01:26|
  2. 海外の旅
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スノードン登山鉄道

久々の海外の話題です。

鉄道発祥の地であり、伝統を重んじるイギリスでは100カ所以上の保存鉄道が残っています。
その中で、今週から3回にわたって、私が訪れたことのある3つの保存鉄道をご紹介しましょう。
今週は、ウエールズ地方にあるスノードン山岳鉄道にご案内します。

スノードン山岳鉄道は、開業から120年以上の歴史を持つ山岳観光鉄道で、
麓のスランベリスは、イギリス国鉄のバンゴール駅から路線バスに乗って40分ほどの位置にあります。
こちらは、登山鉄道が発車するスランベリス駅です。
IMG_20180805_0001.jpg
おしゃれな造りがいかにもイギリスという感じがしますね。

蒸気機関車が待機しています。
IMG_20180805_0007.jpg
列車は、ディーゼル機関車と蒸気機関車の両方が牽引しています。
IMG_20180805_0016.jpg
スランベリスから、スノードン山の頂上駅までの7・6キロ、標高差が957メートルあります。
IMG_20180805_0002.jpg
眼下に見える湖はパダーン湖です。
IMG_20180805_0003.jpg
かなりの急勾配を登っていることがわかります。
IMG_20180805_0005.jpg
単線のため、途中駅では列車交換も行なわれます。

IMG_20180805_0025.jpg遠くに蒸気機関車が登ってくるのが見えました。

海抜1065メートルの頂上からの眺めです。
IMG_20180805_0008.jpg
日本で標高1000メートルというと、そんなに高く感じませんが、
山の少ないイギリスでは、ウエールズ地方で最も高い山なのです。

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  1. 2018/10/14(日) 00:02:52|
  2. 海外の旅
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『旅と鉄道11月号』に寄稿しました。

この度、天夢人から発売された『旅と鉄道11月号』に寄稿しました。
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この号の特集は「終着駅から一人旅」。
私はその中の「私の好きな終着駅」というコーナーで、土佐くろしお鉄道宿毛線の終点、宿毛駅について2ページの記事と写真を寄稿しました。
FullSizeRender_201810061309097e0.jpg



そのほか、全国各地の、様々な終着駅について綴られていますので、ご興味のある方は、是非、お読み頂きたい一冊です。

  1. 2018/10/07(日) 00:04:52|
  2. 著作/寄稿紹介/出演/講演など
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土佐くろしお鉄道・宿毛線の旅

今週は先週に引き続き、土佐くろしお鉄道・四万十くろしおライン、宿毛(すくも)線の旅です。

大正11年施行の鐵道敷設法により高知~窪川~中村~宿毛~~宇和島間をつなぎ、四国一周鉄道が計画され、土讃線の窪川までは昭和26年、中村線の中村までは昭和45年に開業しました。けれども、中村~宿毛間が着工された後、国鉄が破綻し、建設が凍結されたのを第3セクターの土佐くろしお鉄道が引き継ぎ、中村~宿毛間の23・6キロを宿毛線として平成9年開業したのでした。

中村を発車した列車は四万十川の橋梁を渡ります。
①四万十川橋梁

川を渡ると次の駅は具同です。
②中村~具同
具同の駅の近くには、ショッピングモールや紳士服店、眼鏡店などのチェーン店が並んでおり、買い物客の利用も多いようです。

平田駅は、宿毛線の途中駅で唯一の特急停車駅です。
③平田駅名標
けれども、現在、宿毛まで乗り入れる特急列車は岡山発着の南風1往復と、高知発の下り1本の合計3本しかありません。

東宿毛~宿毛間を行く普通列車です。
④東宿毛~宿毛
宿毛線は比較的建設が新しいため、高架線が続きますが、その高規格の線路の上をたった一両の気動車がトコトコと走ります。

宿毛駅で2両の普通列車が出会いました。
⑤宿毛駅ホーム
2両とも派手なイラスト入りです。

宿毛駅舎は立派な造りですが、高架線はそこでぷっつりと途切れ、その続く線路はありません。、
⑥宿毛駅舎
大正時代に計画された宇和島までの予定線は着工されることもなく、幻に終わりました。

これは宿毛港です。
⑦宿毛港

宿毛港からは大分県の佐伯港までのフェリーが一日3往復運航されています。
⑧フェリー乗り場

四国南西部の海はことのほか美しい風景を見せてくれます。
⑨向集落付近の海
これは向という集落の近くの海です。地元の人以外、ほとんどこのあたりを訪れることはない過疎地帯です。

こちらは大堂展望台から見た美しい柏島の風景です。
⑪柏島
柏島の美しい海は、近年、家族連れ人気があるとのことで、夏のこの日、子供たちの歓声が聞こえていました。
⑫柏島海岸

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  1. 2018/09/30(日) 00:00:15|
  2. 四国
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土佐くろしお鉄道・中村線の旅

今週から2回にわたって、土佐くろしお鉄道の中村・宿毛線(四万十くろしおライン)をご紹介します。
中村線は、JR土讃線の窪川から中村までの43・0キロを結ぶ路線です。
国鉄時代から土讃線と直通運転を行なっており、土讃線の延長といった性格の線でしたが、中村線という別の線名になったため、中村線単独では国鉄の存続基準以下の利用者しかいないという理由で、廃止対象とされてしまいました。
廃止対象となった国鉄中村線が、昭和62年4月に民営化されてJR四国に8ヶ月間だけJR四国に継承され、その年の12月に第3セクターの土佐くろしお鉄道の路線として生まれ変わりました。

これが土佐くおしお鉄道の窪川駅です。
①窪川駅
JRの窪川駅と隣接しています。

窪川駅のホームです。
②窪川駅ホーム
高知方面からやってくる特急「しまんと」「あしずり」「南風」は、すべて中村線に乗り入れ、中村やその先の宿毛まで運転されます。
今も土讃線の延長としての性格が強いですが、この駅で乗務員はJRから土佐くろしお鉄道の社員に入れ替わります。

列車は佐賀公園あたりから有井川にかけて車窓に太平洋を眺めながら走ります。
⑦車窓

そんな海岸に近い駅、土佐白浜駅です。
③土佐白浜ホーム

土佐白浜~佐賀公園間を行く下り特急列車です。
④土佐白浜~佐賀公園

上りの普通列車もやって来ました。
⑤普通UP

普通列車は通常一両の単行運転です。
⑥土佐白浜~佐賀公園普通

海の王迎という変わった名前の駅がありました。
⑧海の王迎駅名標
これは、14世紀の鎌倉時代末期におきた元弘の乱で敗れた後醍醐天皇の皇子、尊良親王が海からこの地に逃れて来たとされることが、海から王を迎えたという駅名の由来になっているそうです。

土佐入野駅です。
⑩土佐入野駅
特急停車駅ですが、無人駅で、駅の運賃表には特急料金の表示もありませんでした。

土佐入野~西大方間を行くアンパンマン列車「南風24号」岡山行です。
⑪土佐入野~西大方アンパンマン列車
4両編成でグリーン車も連結されていますが、乗客はそんなに多くありませんでした。

これが中村駅です。
⑫中村駅
その佇まいは、国鉄時代と変わっていません

中村駅は四国の最南端、足摺岬への玄関口。
足摺岬までは路線バスでおよそ1時間40分かかります。
⑬足摺岬
足摺岬灯台は、断崖絶壁の上に建つ美しい姿が印象的です。

そして、岬の近くには、四国三十八番札所の金剛福寺がありました。
⑭38番札所金剛福寺
木々に囲まれた美しい境内は、心が洗われるようで、お遍路さんたちの旅の疲れを癒やしてくれることでしょう。

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  1. 2018/09/23(日) 00:01:28|
  2. 四国
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復活した常磐線・新地駅と坂元駅

今週は先週に引き続き、東日本大震災で被害を受けた常磐線の復旧状況です。
常磐線の駒ヶ嶺~亘理間は、原発から離れているものの、大津波のため、長期間にわたって不通になりました。
特に、新地駅と坂元駅は駅舎や跨線橋が流失し、甚大な被害を受けました。

これは、震災から2ヶ月後、平成23年5月の新地駅です。
⑭201105新地駅
あたりは完全に破壊され、目を覆いたくなるような光景が広がっていました。

その後、駒ヶ嶺~浜吉田間のうち線路が流された14.1キロの区間を、内陸部に移設して再建することが決まり、平成28年12月に5年半ぶりに復旧したのでした。

これが、再建された新地駅です。
⑮新地駅
元の駅舎から300メートル内陸部に移設されました。

周囲は、まだ空き地だらけで、大規模な防波堤の工事が行われていましたが、ようやくこの町にも電車がやって来るようになりました。
⑯新地ホーム

新たに完成した高架線を行く電車です。
⑰新地付近

一方、こちらは被災直後の坂元駅です。
⑱H1105坂元駅
こちらも無残な姿になっていました。

その駅跡には、今も町の案内看板が残っています。
⑲旧坂元駅看板

新しい駅は、西に約1100メートル移設されました。
⑳坂元駅
新駅の方が旧駅よりも町の中心に近くなりました。
㉑坂元駅ホーム
坂元駅に仙台行の電車がやって来ました。

㉒再建された高架線
再建された新しい高架橋です。

田園地帯を電車が駆け抜けていきます。
㉓坂元付近
あとは、今も不通になったままの富岡~浪江間の復旧を待つばかりです。
一日も早く、この地域に震災前の生活が戻ることを祈らずにはいられません。

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  1. 2018/09/16(日) 00:01:50|
  2. 東北
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9月15日(土)フジテレビ系「極タウン」にゲスト出演しました。

9月15日(土)、19時からフジテレビ系列全国ネットで放送される『世界!極タウンに住んでみる』に、ゲスト出演しました。
極タウン
通常、この番組は土曜日の19時57分からなのですが、この日はスペシャルなので、19時からの2時間枠でした。。
IMG_5449.jpg
番組の冒頭、ロシアの鉄道についてお話ししました。
IMG_5447.jpg
本来、海外の鉄道はそんなに詳しくはないのですが、ほかにお願いできる人がいなかったようで、なぜか私に依頼がまいりました。
IMG_5450.jpg
出番はそんなに長くはなかったのですが、最近、テレビやラジオなどの出演が多くなったのはありがたいことだと思っています。

  1. 2018/09/15(土) 21:25:06|
  2. 著作/寄稿紹介/出演/講演など
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震災以来不通の、常磐線・富岡~浪江間の現状

今日は、平成23年3月11日に起きた東日本大震災以来、不通になったままのJR常磐線の富岡~浪江間についてご紹介します。

富岡~浪江・原ノ町間には、今も常磐線の代行バスが運転されています。
①富岡駅代行バスのりば

津波に流された富岡駅は、約100メートル山側に移設されました。
②富岡駅

新しい富岡駅の裏側には、大量のフレコンバッグという黒い袋が積み上げられています。
③ん黒い袋
この袋には、東日本大震災に伴う福島第一原子力発電所の事故により、汚染された土壌が入っているのです。

そのあたりには、放射線量計が設置されていました。
IMG_6638.jpg

代行バスで浪江に向かいます。
③帰還困難地域看板
ほどなく、「帰還困難区域」の看板が見えました。原発事故から7年たった今も、福島県富岡町の北部から大熊町、双葉町の大部分の地域が、放射線量が高く、帰宅困難区域に指定されています。

帰宅困難地域を走る常磐線は不通のままですが、並行する国道6号線は、通過するだけなら通行を認められています。
けれども、国道の沿線は、あの日から時が止まったかのようです。
④ゴーストタウン
国道沿いにあった中古車販売店の駐車場には、車がそのまま放置され、蔦が絡まっていました。
⑤蔦の絡まる中古車センター

事故を起こした福島第一原発から続く送電線です。
⑥第一原発への送電線
なんだか、不気味でした。

やがて、代行バスは浪江駅に着きました。
⑦浪江駅
町の中心部は避難勧告が解除されましたが、震災前の人口21000人に対して、帰還した人は500人にも満たないのが現状です。
⑧浪江ゴーストタウン
町はまるでゴーストタウンで、駅の近くには一軒の食堂も開いていませんでした。
⑨浪江ゴーストタウン

電柱には「おはようと一声かける浪江の子」との看板がありましたが、あたりに子供の姿はまったくありません。
⑩あいさつ通り

それでも仙台方面から浪江駅までの電車が平成29年4月に復活しました。
⑪運賃表
ホームに仙台行の電車が停車しています。
⑫浪江駅ホーム
上り富岡方面のホームは閉鎖されたままです。

乗客はごくわずかでしたが、浪江駅に到着した上り電車です。
⑬浪江に到着した電車
この地域に住んでいた人々の多くが戻ってくる日は、はたして、いつ、やって来るのでしょうか。
IMG_6706.jpg
常磐線が完全復旧するのは、2020年3月の予定です。

テーマ:鉄道の旅 - ジャンル:旅行

  1. 2018/09/09(日) 00:02:11|
  2. 東北
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9月3日朝、文化放送に生出演しました。

来たる9月3日の朝、文化放送ラジオで放送される『くにまるジャパン極(きわみ)』という情報ワイド番組の中で、10時~11時45分の時間帯に生出演しました。
くにまるさんと

コーナー名は、「極(きわみ) シアター」第一部~第三部の中で、ほかの情報ものを挟みながら、合計48分間の生放送でした。

JOQR.png


この番組の司会者の野村邦丸さんとアシスタントの鈴木純子さんとのトークで、前回のTOKYO-FMに続き、拙著『プロ野球と鉄道』に沿った形で、鉄道と野球についてお話しました。

司会者の野村さんは元プロ野球中継アナウンサーで、鉄道も好きとのことでしたので、トークは大いに盛り上がり、オンエア時間はあっという間に過ぎてしまいました。

聞き逃された方も、ラジコ( http://radiko.jp/ )で1週間以内でしたら、文化放送の9月3日午前10時~11時30分を選んでいただければ、全国どこからでもお聞きになれます。ご興味のある方は、ぜひ、お聞きください。 



  1. 2018/09/03(月) 18:01:19|
  2. 著作/寄稿紹介/出演/講演など
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さようなら野辺山SLランド

去る8月31日、長野県野辺山高原の南牧村にあった小さな遊園地「野辺山SLランド」が惜しまれながら閉園しました。
FullSizeRender.jpg

私がここを訪れたのは1回だけで、娘が幼少だった平成11年に家族旅行の時に立ち寄ったのが最初で最後でした。
IMG_20180901_0004.jpg
このブログではこれまで、家族のプライベートな写真は一切、公開していなかったのですが、
昭和61年の開園以来、32年間に渡って多くの家族連れに親しまれてきたこのSLランドの惜別にあたって初公開することにしました。
IMG_20180901_0003.jpg
本物の蒸気機関車を初めて見た3歳の娘は、その汽笛に驚いて泣き出してしまったことを覚えています。

園内には蒸気機関車のほか、このような豆列車も走っていました。
IMG_20180901_0002.jpg
そのほか、ゴーカートや子供向けの遊具がいくつかある入場無料の遊園地でした

訪れた時期は高原に秋の気配が漂う8月の下旬、あたりには、コスモスの花が咲いていました。
IMG_20180901_0001.jpg
最終日にも、園内には同じようにコスモスが咲き誇っていたそうです。

一度しか訪れる機会はなかったけれど、こんな素朴な遊園地が消えていくのは本当に残念です。
この小さな蒸気機関車が、その後、どうなるのかが心配です。

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  1. 2018/09/02(日) 00:02:44|
  2. 甲信越
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最北の鉄路、宗谷本線の旅②

今週は先週に引き続き、日本最北の鉄路、宗谷本線をご紹介します。
JR北海道は、利用者の少ない名寄~稚内間の183・2キロを「JR単独では維持できない区間」と表明しており、今後の地元や国との交渉によっては、存続が危ぶまれる可能性もあります。

こちらは名寄駅で発車を待つ稚内行の普通列車です。
⑮名寄ホーム
名寄から北に向かう列車は、現在、特急列車が一日3本のほかには、普通列車は4本しかなく、このうち終点の稚内まで行く列車はたった2本しかありません。
こんな状況では、通勤通学に列車を利用している人は、ほぼゼロに等しいのではないかと思われます。

途中駅の紋穂内(もんぽない)駅です。
⑯紋穂内貨車駅
かつては、木造駅舎のある有人駅でしたが、現在では、使われなくなった貨物列車の車掌車を利用した傘駅です。
けれども、その貨車でさえ、老朽化が激しく乗降客はほとんどいません。

こちらは、列車の交換設備のある豊清水駅です。
⑰豊清水
有人駅時代の駅舎が残っているものの、駅周辺には廃屋が一軒あるのみ。人の気配はありません。

この天塩川温泉駅は、以前は南美深という仮乗降場でしたが、民営化後、近くにある温泉施設にちなんで、駅名が解消されました。
⑱天塩川温泉駅舎

これは天塩川温泉の露天風呂です。
⑲露天風呂
天塩川を挟んで駅から歩いて10分ほどの場所にありますが、列車でこの温泉を訪れる人は滅多にいません。

こちらはバスのターミナルを兼ねた音威子府(おといねっぷ)駅です。
⑳音威子府駅舎
かつては、この駅から浜頓別を経由してオホーツク海沿いに稚内へと向かう天北線が分岐し、多くの鉄道員が住む鉄道の町でしたが、今では、利用者も少なく、ひっそりとしています。

㉑音威子府特急
そんな音威子府から特急列車が発車していきます。

兜沼駅に入線する上り列車です。
㉒兜沼付近

こちらは兜沼駅近くにある資料館に残る歴代駅長名が書かれた額です。
㉓兜沼駅歴代駅長
大正13年から昭和59年までは駅長が勤務していたことがわかります。

そして、これが駅名と由来となった兜沼です。
㉔兜沼
蓮の葉が浮かぶ静かな沼でした。

こちらは抜海駅。
㉕抜海駅
ここまで来ると、終点の稚内まではあと2駅です。

抜海~南稚内間の日本海沿いを行く特急列車です。
㉖抜海~南稚内特急
海の向こうに利尻島の利尻岳が見えていました。

荒涼とした風景の中をたった一両の列車がやって来ました。
㉗抜海~南稚内普通列車
正に、ここは最果てを行く鉄道・・・

こちらはサロベツ原野の稚咲内(わかさかない)から見た夕暮れ食後の利尻岳です。
㉘利尻山夕景

南稚内付近の上り特急列車です。
㉙抜海~南稚内特急
かつては稚内から札幌への直通列車が、夜行列車も含めて何本も運転されていましたが、今ではわずかに旭川行2本、札幌行1本が残るのみとなってしまいました。

終点の稚内駅に停車中の普通列車です。
㉚稚内駅ホーム
この先に続く線路はありません。
㉛稚内駅名票

こちらは、稚内駅から続く稚内ドームと呼ばれる大きな防波堤で、昭和11年に完成したものです。
㉜稚内ドーム
戦前、ここから樺太への稚泊航路が発着していました。

これは、宗谷岬にある日本最北端の碑です。
㉝宗谷岬
稚内からおよそ30キロの位置にあります。

私が訪れた日、海の向こうには樺太がくっきりと見えました。
㉞樺太

こちらは昭和49年12月、吹雪の中の抜海駅を発車する蒸気機関車牽引の貨物列車です。
㉟抜海74-12-・556
昔は少々の悪天候でも運休することは滅多にありませんでした、
今なら吹雪の日に列車が走ることはないでしょう。
㊱南稚内74-12-・557
同じ日、南稚内駅構内にも煙を吐く貨物列車の姿がありました。

存続が危うくなってしまった宗谷本線。なんとか、この最北の鉄路がいつまでも走り続けてほしいと願っています。

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  1. 2018/08/26(日) 00:03:56|
  2. 北海道
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最北の鉄路、宗谷本線の旅①

今週から2回にわたって、北海道の宗谷本線をご紹介しましょう。

宗谷本線は旭川から最北の町、稚内とを結ぶ259・4キロを結ぶ最北の鉄路、
こちらは、2012年に完成した宗谷本線の起点、旭川駅の4代目駅舎です。
①旭川駅

2010年までは、こんな駅舎でした。
②2010年旭川駅

こちらは、比布(ぴっぷ)駅に停車中の下り列車です。
③比布ホーム
比布駅は、かつて、ピップエレキバンのTV-CMに登場して話題になったこともありました。

青いトタン屋根の昔ながらの北海道の駅舎です。
④比布駅舎
昭和の頃は、このような駅舎が数多く見られたものでしたが、今はひっそりとした無人駅になっていました。

塩狩付近を行く下り普通列車です。
⑤1塩狩普通
季節は5月、エゾヒガンザクラが咲き誇っていました。
⑥塩狩特急
札幌行の特急宗谷です。
そして、この駅でお花見をしながら呑んだ酒は、旭川の地酒「男山」。
⑦塩狩呑み鉄
すっきりとした辛口の酒で、気持ちよくほろ酔い気分になりました。
でも、塩狩駅は、桜の時期以外はほとんど乗降客がいないため、JR北海道は廃止を示唆しています。

これは和寒(わっさむ)駅です。
⑨和寒駅
旭川を出て、最初の特急停車駅ですが、駅員の姿はありません。

和寒~塩狩間を行く上り普通列車です。
⑨3和寒普通

そして、下り稚内行の特急サロベツが通過していきました。
⑨2和寒特急サロベツ

和寒駅構内は、複雑な配線になっていました。
⑧和寒


これは剣淵駅です。
剣淵駅舎

朝の上り列車には、列車に乗り込む地元の人の姿がありました。
⑩剣淵ホーム
剣淵は「絵本の町」として町おこしをしています。

こちらは士別駅です。
⑪士別
このあたりは農業が盛んで、駅の周りにはいくつもの煉瓦造りの農業倉庫が並んでいました。
⑫士別倉庫
この倉庫で、取り入れた米や馬鈴薯を一時保管するそうです。

こちらは宗谷本線の主要駅、名寄駅です。
⑬名寄駅舎
かつては、この駅から紋別・遠軽方面への名寄本線と、朱鞠内・深川方面への深名線が発着する要衝駅でしたが、いずれも廃止されてしまいました。

こちらは、昭和49年3月の塩狩~和寒間を行く蒸気機関車が牽引する普通列車です。
⑭塩狩~和寒74-3-25・529
その翌年に宗谷本線から蒸気機関車は姿を消しました。

名寄から先、稚内までの宗谷本線は来週ご紹介します。

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  1. 2018/08/19(日) 00:02:27|
  2. 北海道
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鉄道ダイヤ情報(9月号)に『日本縦断客車鈍行の旅』書評掲載

鉄道ダイヤ情報9月号に拙著『日本縦断客車鈍行の旅』(クラッセブックス)の書評が掲載されました。
古き良き昭和の汽車旅をお楽しみいただけますので、ご一読いただければ幸いです。
201808141343385c9[1]

有名書店の鉄道コーナー、ネット書店のほか、直接版元のクラッセ(042-310-1552)からご注文頂きますと、送料無料でお送りします。また、お近くの図書館でリクエストしていただければ、取り寄せてもらえます。ので、よろしくお願いします。
  1. 2018/08/14(火) 13:21:58|
  2. 著作/寄稿紹介/出演/講演など
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近江鉄道多賀線と多賀大社

今週は滋賀県の近江鉄道多賀線と多賀大社をご紹介します。

近江鉄道の多賀線は本線の多賀駅から分岐し、多賀大社前駅までを結ぶ2・5キロの支線です。
多賀大社への参詣客の輸送を目的に大正3年に開業し、100年以上の歴史があります。
これは、高宮駅で発車を待つ多賀線の電車です。
①高宮駅ホーム
多賀線の乗り場は本線下りと同じホーム上にありますが、本線の乗り場とは平行ではなく、三角形の二辺になっています。

こちらは高宮の駅舎です。
②高宮駅舎
平日の通勤通学時間帯と土日の午前中のみ駅員が配置されます。

唯一の途中駅はスクリーンという、変わった駅名です。
③スクリーン駅名票
これは、SCREENホールディングスという会社の敷地内にあるためで、この駅は同社の請願により平成20年に開設されました。


スクリーン~多賀大社前間を行く電車です。
④スクリーン-多賀大社前1
あたりは田んぼが広がっています。
⑤スクリーン-多賀大社前2

これが終点の多賀大社前に停車中の電車です。
⑥多賀大社前駅停車中
高宮からわずか6分の短い道のりです。

これが多賀大社前駅の駅舎です。
⑦多賀大社前駅舎
平成14年にコミュニティハウス併設の新駅舎に建て直されましたが、現在は無人駅です。

駅前にはこのような大きな鳥居が立っています。
⑧駅前鳥居
多賀大社はこの鳥居をくぐって徒歩10分あまりの場所にあります。

こんな石の道しるべがありました。
⑨道しるべ
江戸時代に建てられたものでしょうか。

駅から多賀大社まではこんな参道を歩きます。
⑩参道

こんな古い旅籠がありました。
⑪古い旅館

これが多賀大社の正面です。
⑫鳥居

鳥居をくぐると、石造りの太閤橋があります。
⑬石の太鼓橋

これが本殿です。
⑭本殿
伊邪那岐大神と伊邪那美大神を祭神とする近江第一の大社で、地元では親しみをこめて「お多賀さん」と呼ばれています。

参道で買った地酒はその名も「多賀」。
⑮呑み鉄
電車はロングシートですが、すいていたので、車内で呑んでしまいました。

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  1. 2018/08/12(日) 00:02:33|
  2. 近畿
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TOKYO-FM系全国ネット「クロノス」出演

来たる8月10日(金)、TOKYO-FM系列全国ネットの朝の情報番組『クロノス』の中の、「ブックシェルフ」というコーナーに出演することになりました。

IMG_4015.jpg
放送時間は、午前7時20分からの約7分間です。
IMG_4013.jpg

テーマは拙著、『プロ野球と鉄道』。
プロ野球と鉄道
朝のお忙しい時間ですが、お聴きいただければ幸いです。

また、聞き逃してしまっても「radiko」(ラジコ)をインストールしていただければ、1週間以内ならパソコンやスマホから聴取して頂くことが可能です。
クロノス
  1. 2018/08/05(日) 00:01:26|
  2. 著作/寄稿紹介/出演/講演など
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名鉄東岡崎駅と岡崎公園駅、徳川家康の故郷・岡崎の旅

今週は、徳川家康公の故郷、愛知県の岡崎を名古屋鉄道に乗ってご紹介しましょう。

東岡崎駅に停車中の伊奈行の普通電車です。
①東岡崎ホーム
名古屋方面から来た東岡崎行の電車が、東岡崎でそのまま行先を伊奈行に変えて運転されます。
それならそのまま伊奈行にすればいいのになあ。

東岡崎駅の駅舎は、古い岡駅デパートという駅ビルになっています。
②東岡崎駅舎
でも、中に入ってみると多くの店が閉店し、特に3階にはレストランが1軒残っているだけでした。
豊橋寄りに高架橋の新しい駅舎がすでに完成しており、この古い駅ビルはいつまであるのでしょうか。

岡崎の街を歩いてみると、あちこちに古い建物が残されています。
③精肉店
これは、精肉店ですが、ちゃんと営業しています。

こちらは旧岡崎信用金庫本店だった建物です。
④岡崎信用金庫本店
現在は、貨幣と紙幣の博物館になっています。

市内を流れる菅生川を渡る名鉄の橋梁です。
⑤菅生川橋梁①
菅生川は、またの名を乙川とも呼ばれています。
⑥菅生川橋梁②
この鉄橋は、名古屋鉄道の前身である愛知電気鐵道が野手によって、大正12年に建設されたものです。

こちらは、岡崎城のお堀にある噴水です。
⑦岡崎公園噴水
お堀を渡ると、そこに龍城神社と岡崎城があります。
⑧龍城神社と岡崎城
岡崎城は、徳川家康の祖父にあたる松平清康公が享保4年(1531)年にこの地に構えたものですが、天守閣は明治初頭に壊されてしまい、現在のお城は昭和34年に再建したものです。
⑨岡崎城

岡崎城天守閣から眺めた菅生川橋梁です。
⑩岡崎城天守閣より

岡崎公園には徳川家康公の銅像が立っています。
⑪徳川家康像

そして、その近くにはからくり時計があり、30分ごとにからくり人形が時を知らせます。
⑫からくり時計

家康館とその前に立つ武者たちです。
⑬家康館と武者たち

公園の中には東照公産湯の井戸があります。
⑭産湯井戸
これは、竹千代君と呼ばれた家康公がうまれた時に産湯を汲んだ井戸だと伝えられています。

岡崎の名産品は八丁味噌。
⑮八丁蔵通り
こちらは八丁蔵通りです。

これは八丁蔵通りに近い名鉄の岡崎公園駅です。
⑯岡崎公園駅
岡崎公園駅の隣には、愛知環状鉄道(旧国鉄岡多線)の中岡崎駅があります。
⑰中岡崎駅

岡崎公園駅に東岡崎行の電車がやって来ました。
⑱岡崎公園駅ホーム
この駅は普通電車しか停車しません。

市内で、岡崎の地酒「二兎」の冷や酒を呑んだ後・・・
IMG_3952.jpg
名鉄特急の特別車で呑み直し他カップ酒は半田の酒「國盛」。
⑲呑み鉄國盛
この日もいい一日でした。
⑳スタンプ


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  1. 2018/07/29(日) 00:02:56|
  2. 東海
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東海道本線関ヶ原駅と関ヶ原古戦場

今週は、岐阜県にある東海道本線関ヶ原駅と、関ヶ原古戦場をご紹介しましょう。

下り電車が関ヶ原駅に着きました。
①ホーム

これが関ヶ原駅です。
②駅舎
三角屋根が印象的でした。

この区間の東海道本線は、名古屋と北陸地方を結ぶ特急「しらさぎ」が通過します。
③しらさぎ3号
やって来た列車は「しらさぎ3号」金沢行で、米原から北陸本線に入ります。

次にやって来たのは、大阪発高山行の「ワイドビューひだ25号」でした。
④ひだ25号
この列車は、大阪から岐阜まで東海道本線を走り、岐阜からは高山本線に乗り入れる大阪発では唯一の列車です。

続いて、下り豊橋行、特別快速です。
⑤特別快速豊橋行
このように、次々といろんな列車がやって来ます。

さて、慶長5年(1600年)に起きた、あまりにも有名な天下分け目の関ヶ原の戦いの古戦場の歴史は、ここ関ヶ原民俗資料館で知ることができます。
⑥歴史民俗資料館
民俗資料館の近くに、東軍を率いる徳川家康本陣跡を示す石碑が建っていました。
⑦徳川本陣

こちらは徳川方の武将、細川忠興の本陣跡です。
⑧細川忠興本陣

一方、こちらは西軍の総大将、石田三成の本陣跡です。
⑨石田三成本陣
近くには兜をかたどったオブジェがありました。

そして、ここには、鎧兜姿の石田三成(右)と家臣の島左近の姿がありました。
⑩石田三成・島左近
ちょうど、この日、イベントが行われていたのです。

ここは、関ヶ原を見下ろす岡山(丸山)烽火場です。
⑪岡山烽火場
この丘の上から、東軍の黒田長政と竹中重門が開戦の烽火を上げたとされています。
⑫烽火場より

ここは、石田三成本陣のあった笹尾山に近い両軍の決戦の地です。
⑬決戦場
戦いは、最初は両軍が一進一退の攻防を繰り広げていましたが、当初、西軍についていた小早川秀秋が、徳川家康の策略により東軍に寝返ったことをきっかけに、東軍の勝利に終わります。

これは、戦いから217年後の文化14年(1817年)に、関ヶ原本陣の主であった古山兵四郎が、関ヶ原の戦いで散った戦死者の霊を弔い、歴史を後世に残すために建てた首級噴碑という首塚です。
⑭首級噴碑
あの戦いから418年、今は緑豊かな山里が広がるばかりです。

⑮鉄道唱歌の碑
駅には、関ヶ原の戦いを歌った鉄道唱歌の碑がありました。

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  1. 2018/07/22(日) 00:02:38|
  2. 東海
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春の日暮里・舎人ライナー

今週は東京の下町、荒川区の日暮里と足立区の見沼代親水公園を結ぶ日暮里・舎人ライナーをご紹介します。

日暮里・舎人ライナーが開通したのは今から10年前の平成20年3月のことでした。
それまで、足立区の舎人(とねり)地区は鉄道空白地帯で、公共交通機関は都バスに頼るしかなく、ラッシュ時は慢性的な渋滞に悩まされていました。それが、全線高架のこの新交通システム(案内軌条式鉄道)の開通により、交通事情は大幅に改善されたのでした。

これは、開業初日の日暮里・舎人ライナーの列車です。
①開業日H20
大勢の地元の人たちが開業をお祝いしていました。

始発駅の日暮里です。
②日暮里駅

日暮里では、JR山手線と常磐線、京成電鉄本線に接続します。
駅前には大田道灌の銅像が建っています。

日暮里を出るとしばらく山手線に並行しながら北上し、次の駅は西日暮里です。
③西日暮里駅
西日暮里では山手線のほか、東京メトロ千代田線と接続します。

こちらは熊野前駅です。
⑤都電
この駅では都電荒川線に乗り換えることができます。

足立小台駅に着きました。
⑥足立小台駅
この駅から足立区に入ります。隅田川と荒川との間の狭い中洲にある駅です。

足立小台付近です。
⑦足立小台付近
かなりの急勾配があることがわかります。

荒川を渡る列車です。
⑧荒川を渡る


舎人公園駅に到着する日暮里行の列車です。
⑨舎人公園桜
春の舎人公園は花いっぱいでした。

菜の花もきれいでした。
⑩菜の花

このピンクの花は何でしょうか?
⑪ピンクの花

そして、終点の見沼代親水公園に着く列車です。
⑫見沼台親水公園
日暮里・舎人ライナーは、これからも地域住民の貴重な生活の足として走り続けることでしょう。

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  1. 2018/07/15(日) 00:02:29|
  2. 関東
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京阪電車宇治線の旅

今週は京都南部を走る京阪宇治線をご紹介しましょう。
京阪宇治線は、京阪本線の中書島(ちゅうしょじま)から宇治までを結ぶ7.6キロの路線です。

こちらが、宇治線の起点・中書島駅です。
①中書島駅
このあたりは、伏見の酒の本場。
②酒所伏見
数ある地酒の中で選んだのは、「坤滴(こんてき)」
③呑み鉄
さすがに通勤型の電車の中では呑みませんでした。

中書島駅で発車を待つ宇治行きの電車です。
④中書島駅ホーム

六地蔵~木幡間の山科川を宇治線の電車が渡ります。
⑤六地蔵~木幡 山科川

この区間には、戦時中陸軍の宇治火薬製造所 の専用線が分岐していました。
⑥陸軍専用線廃線跡
これは、その廃線跡の築堤です。
⑦廃線跡築堤より

廃線跡の近くに、こんな低いガードがありました。
⑧低いガード
高さはなんと1・2メートル。しゃがまないとガードをくぐることはできません。

こちらは木幡駅に停車中の電車。
⑨木幡駅

そして、こちらは黄檗(おうばく)~三室戸間ですれ違う上下線の電車です。
⑩黄檗~三室戸
隣には平行するJR奈良線の黄檗駅のホームが見えました。

こちらは黄檗宗の総本山、黄檗山萬福寺です。
⑪黄檗山萬福寺山門
ふくよかな布袋さんがなんともユーモラスでした。
⑫布袋さん

そして、これは終点の宇治駅のホームです。
⑬宇治駅ホーム
平成7年に新築されたモダンな駅舎には、たくさんの蔦がからまっていました。
⑭宇治駅舎

駅のすぐ近くに流れる宇治川に架かる鉄橋をJR奈良線の電車が走って行きました。
⑮JR奈良線103系
東京近郊ではもう見られなかった103系電車が、ここではまだ現役で走っています。

こちらはご存じ、平等院鳳凰堂です。
⑪平等院
平安時代後期の天喜元年(1053年)に建造されたこのお寺は国宝に指定されており、平成6年には、世界遺産に登録されました。

さて、こちらは昭和60年の京阪宇治駅です。
⑫京阪宇治駅S60

緑色を基調とした塗装は、現在も受け継がれています。
⑬宇治駅ホームS60

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  1. 2018/07/08(日) 00:01:37|
  2. 近畿
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男山ケーブルと京阪八幡市駅

今週は、京阪本線八幡市駅を起点とする男山ケーブルをご紹介します。
男山ケーブルは、京阪八幡市駅の東側の男山にある石清水八幡宮への参詣客の輸送を目的に大正15年に男山索道として開業しました。戦時中の昭和19年に一旦廃止されましたが、昭和30年に京阪電鉄の手によって再開しています。

これが、京阪八幡市駅前にあるケーブルの八幡市駅です。
①ケーブル八幡市駅
通常期は15~30分おきに運転されています。
②八幡市駅ホーム
このケーブルカーの全長は0・4キロで、高低差82メートルを約3分で結んでいます。

途中には2カ所のトンネルがあります。
③トンネル内
トンネル内で、登りのケーブルカーと下りのケーブルカーがすれ違います。
④トンネル外

これが男山山上駅です。
⑤男山山上駅

しっとりとした木々に囲まれた、石清水(いわしみず)八幡宮への参道が続きます。
⑥参道

こちらが石清水八幡宮の本殿です。
⑦石清水八幡宮本殿
この本殿は平成28年に国宝に指定されました。
この八幡宮は、平安時代初期の貞観2年(西暦860年)に応神天皇などをお祀りして造営された歴史あるお社です。

⑧一斗樽
境内には一斗樽が並んでいました。

山上の展望台からは京都盆地を一望に見渡すことができます。
⑨山上から
眼下には、淀川の鉄橋を渡る京阪電車を眺めることができました。
⑩山上から

こちらは、八幡市駅を通過する大阪・淀屋橋行の特急です。
⑪特急通過

そして、こちらは昭和60年に訪れた時の男山ケーブルです。
⑫S60男山ケーブル
この時はお正月だったので、石清水八幡宮の境内も大勢の初詣客で賑わっていました。
⑬S60正月石清水八幡宮


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  1. 2018/07/01(日) 00:01:19|
  2. 近畿
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京阪電車交野線

今週は京阪本線枚方市から分岐し、私市(きさいち)までの6・9キロを結ぶ京阪交野(かたの)線をご紹介しましょう。

こちらは、枚方市駅の6番ホームに停車中の交野線の電車です。
①枚方市駅

枚方市~星ヶ丘間を行く上り電車です。
IMG_0513.jpg
c2.com/t/a/n/tanakamasayasu/201805242337118f9.jpg" alt="②星ヶ丘~宮之阪" border="0" width="640" height="426" />
交野線では「きかんしゃトーマス」ラッピング電車が運転されています。

こちらは交野線の中心駅、交野市駅です。
③交野駅

交野市駅でも「きかんしゃトーマス号」に出会いました。
④交野駅発車

河内森~私市間を行く下り電車です。
⑤河内森~私市1
右後方に見えるのが河内森駅で、この駅ではJR片町線の河内磐船駅と接続しています。
⑥河内森~私市2
ここにも「きかんしゃトーマス号」がやって来ました。

⑦河内森~私市3
このあたりは、住宅街と緑の田園地帯が混在しています。

終点の私市駅を発車した「きかんしゃトーマス号」です。
⑧トーマス私市発車

こちらは、私市駅の車止の前で発車を待つ枚方市行の電車です。
⑨私市車止
三角屋根が印象的な駅舎ですね。
⑩私市駅

近くの川の上には鯉のぼりが吊るされていました。
⑪鯉のぼり

こちらは、昭和60年の私市駅です。
⑬S60私市駅

そして、こちらは同じく昭和60年の枚方市駅に停車中の交野線の電車です。
⑭S60枚方市

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  1. 2018/06/24(日) 00:21:43|
  2. 近畿
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週刊ベースボールに『プロ野球と鉄道』書評掲載

今年2月に交通新聞社から発売された拙著『プロ野球と鉄道』は、おかげさまで順調に売れているようです。
この度、『週刊ベースボール6月25日号』に書評が掲載されました。
IMG_20180623_0001.jpg
プロ野球シーズン真っ盛りのこの時期に野球雑誌に掲載されたことは光栄なことです。
内容は、下のように好意的に書いていただいております。
IMG_20180623_0002.jpg
お買い求め頂いた皆さん、ありがとうございました。
また、ご興味を感じれれた方は、引き続きよろしくお願い致します。
  1. 2018/06/23(土) 21:55:00|
  2. 著作/寄稿紹介/出演/講演など
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『日本縦断客車鈍行の旅』発刊

このたびクラッセブックスより『日本縦断客車鈍行の旅』を刊行しました。
客車鈍行表1 (340x500)
この本は、今から42年前、昭和51年の夏に、北海道の稚内から九州の長崎まで、手動式扉で、空調もなく、トイレは垂れ流しの旧態依然とした旧型客車の鈍行列車だけに乗り、日本列島を旅した時の詩情あふれる旅紀行です。
日本縦断客車鈍行の旅 (332x500)
今では絶対に味わえない古き良き昭和の汽車旅をじっくりと味わって頂ける一冊ですので、ご興味のある方はよろしくお願いします。全国有名書店または、ネット通販にて発売しています。

http://www.klasse.co.jp/

https://www.shosen.co.jp/shop/products/detail.php…

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  1. 2018/06/17(日) 00:01:31|
  2. 著作/寄稿紹介/出演/講演など
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【SmartFLASH】に日本有数の終着駅「北濃駅」の魅力を掲載

このたび【SmartFLASH】に日本有数の終着駅「北濃駅」の魅力を掲載しました。初のWeb記事です。
https://smart-flash.jp/lifemoney/42854

これは、4月24日にTBS系列でオンエアされた『マツコの知らない世界』でご紹介した終着駅を改めてご紹介するものです。
IMG_1119.jpg
もし、評判が良ければ、シリーズ化となるかもしれませんので、是非、ご覧になって、ご感想などを書き込んで頂ければ幸いです。
IMG_1150.jpg
  1. 2018/06/17(日) 00:00:12|
  2. 著作/寄稿紹介/出演/講演など
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阪和線百舌鳥駅と仁徳天皇陵

今週は大阪府堺市にあるJR阪和線百舌鳥(もず)駅と、仁徳天皇陵、および、その周辺の百舌鳥古墳群をご紹介します。

阪和線の百舌鳥は、天王寺から普通電車でおよそ26分。
①百舌鳥駅ホーム
普通しか停車しない小さな駅です。
②百舌鳥駅
新大阪・天王寺と白浜や新宮を結ぶ特急「スーパーくろしお」が通過して行きました。
③スーパーくろしお
白浜にあるアドベンチャーワールドにいるパンダにちなんだ塗装です。なんだか、笑ってしまいそうですね。

百舌鳥駅から歩いてほんの数分のところにある収塚古墳です。
④収塚古墳
このあたりは、仁徳天皇陵を囲むよう、中小44基の古墳が残されています。
これらは多くは天皇家に関係した豪族たちの墓で、陪冢(ばいちょう)と呼ばれます。

これが、仁徳天皇陵の正面です。
⑤仁徳天皇陵
南北の長さ840メートル、周囲2718メートルの日本最大の前方後円墳です。
仁徳天皇は第16代天皇で、日本書紀によれば、まだ元号のない時代、4世紀の西暦318年から83年間もの長きにわたり在位し、142歳まで生きたことになっています。初代神武天皇以後、仁徳天皇までの16人の天皇のうち、13人もが100歳以上生存したことになっており、正に神代の時代の天皇であったといえるでしょう。
これは現実にはありえないことだけれども、なんともいえない古代のロマンを感じてしまいます。

これは、北側から見た仁徳天皇陵です。
⑥仁徳天皇陵裏側
広大な堀と深い緑に木々に囲まれていますが、あまりに大きいため、その全体像を地上から見ることはできません。
これだけの規模の大きな墳墓を、神代の時代に作った古代人に、敬意を表したいと思います。

仁徳天皇陵の南側には緑豊かな大仙公園があり、市民の憩いの場になっていました。
⑦大仙公園

公園の中には美しい日本庭園があります。
⑧大仙公園日本庭園
庭園の池にはのんびりと鴨が休んでいました。
⑨鴨の池

この公園の中にもたくさんの古墳が残されています。
⑩七観音古墳
これは七観音古墳です。

これはグッショー塚古墳。
⑪グッショウ坊古墳

こちらは旗塚古墳。
⑫旗塚古墳

そして、銅亀山古墳です。
⑬銅亀山古墳
いずれも、もっこりとした小山があり、比較的規模の大きな古墳は緑の木々に覆われています。

これらの古墳から出土された埴輪(はにわ)が、公園内の博物館に展示されtれいました。
⑭埴輪

博物館にあった仁徳天皇陵を上空から見た写真です。
⑮空中写真
その規模の大きさは上空から見なければわかりません。

周辺には、多数の古墳群があることがわかります。
⑯古墳地図

そして、仁徳天皇陵の南側には第17代履中(りちゅう)天皇陵があります。
⑰履中天皇陵
履中天皇は、仁徳天皇の第一子とされ、仁徳天皇の次の天皇ですが、在位期間はわずか5年だったとされています。

こちらは仁徳天皇陵の北側にある第18代反正(はんぜい)天皇陵です。
⑱反正天皇陵
この天皇も日本書紀によればわずか4年だったそうです。

住宅街の中にひっそりと残る反正天皇陵のすぐ近くに南海高野線の堺東駅があります。
⑲堺東駅

こちらは特急「こうや」や「りんかん」も停車する高野線の主要駅です。
⑳堺東駅ホーム
こんな町の真ん中に、大規模な古墳群が現存することは驚くべきことだと思います。

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  1. 2018/06/10(日) 00:02:49|
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今はなき有田鉄道

今週は、先週に引き続き和歌山県の廃止線、紀勢本線と接続する藤並を起点とし、金屋口までの5・6キロを結んでいたミニ私鉄でした。
大正5年の開通以来、沿線住民の足として、また木材やミカンの貨物輸送のために走り続けてきましたが、昭和59年に貨物輸送を廃止。平成15年に廃線となりました。

これは、平成14年、藤並駅に停車中のレールバス「ハイモ180形」です。
①藤波駅
廃線間近のこの時、走る列車は1週間に10本のみ。
通常、1日2往復でしたが、週に2回は終日運休という状況でした。
というのも、この時点で運転士さんが一人しかおらず、彼の休日は即ち、運休日だったのです。

下津野付近を行くレールバスです。
②下津野付近
住宅が点在するみかん畑の中をのんびりと走っていました。

これは御霊(ごりょう)えきです。
③御霊駅
簡素な造りの無人の駅舎でしたが、この駅にも改札口が設置されており、かつては有人駅だったことがわかります。

踏切から見た週に10往復の列車しか走らない線路です。
④御霊付近の線路
保線状況はかなり悪く、枕木が腐敗している個所も散見されました。

終点の金谷口付近を行く列車です。
⑤金屋口車庫付近
右側に見える車庫の中には、かつて使われていたキハ58が留置(放置)されていました。

金屋口駅に飾られていたヘッドマークの数々です。
⑥ヘッドマーク
イベントなどの時に使用されたのでしょう。

さて、こちらは昭和58年に訪れた時の藤並駅です。
⑦藤波駅S58
国鉄紀勢本線の下りホームに、このような小屋のような駅舎があり、ここで乗車券を販売していました。

藤波駅に停車中のキハ58です。
⑧藤波ホームS58
この当時は、藤並から一駅だけ紀勢本線に乗り入れて、湯浅まで走っていました。

その当時の列車に設置されていたサボ(行先表示板)です。
⑨キハ58サボ

こちらは金屋口駅のホームで折り返しを待つ湯浅行の列車です。
⑩金屋口S58

当時、使われていた乗車券です。
⑪きっぷ
こんな地味なローカル私鉄が廃止されて、すでに15年が過ぎようとしています。


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  1. 2018/06/03(日) 00:02:25|
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今はなき野上電鉄

今週は、平成6年に廃止された和歌山県の野上電鉄をご紹介します。
野上電鉄は、紀勢本線の海南駅に近い、日方から登山口までの11.4キロを結ぶ路線でした。
その歴史は古く、大正5年に貨物と旅客輸送を担って日方~野上(昭和9年に紀伊野上に改称)間が開通、12年後の昭和3年に、終点の生石口(おいしくち=昭和33年に登山口に改称)まで開通しました。

私が野上電鉄を訪れたのは、昭和58年のこと。
これが、起点の日方駅です。
①日方駅
この線の駅は最後まで近代化されることがありませんでした。

日方駅のホームで発車を待つ電車です。
②日方駅ホーム
吊り掛け電車の重低音が聞こえてきそうです。

日方駅の先、200メートルの所にあった「連絡口」です。
右手には国鉄海南駅が見えており、国鉄連絡のために設けられた乗降場です。
③連絡口
あまりに距離が短いので、日方駅構内の扱いでした。
今では、JR海南駅は高架化されており、この面影は残されていません。

終点の登山口駅に着いた電車です。
④登山口ホーム
登山口と言う駅名は、生石山への入口にあたることから名づけられました。
⑤駅名票

これが登山口駅です。
⑥登山口駅舎
この駅舎もなんとも鄙びた佇まいでした

駅構内にはたくさんの古い電車が留置されていました。
⑦登山口車庫

野上電鉄のきっぷです。
⑧きっぷ⑨国鉄連絡切符

そんな野上電鉄は平成6年3月31日をもって廃止され、会社も解散してしまいました。
私が訪れた時から35年、廃線から24年、月日が流れるのは早いものです。

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  1. 2018/05/27(日) 00:03:01|
  2. 近畿
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今はなき筑波鉄道

今週は、昭和62年に廃止された茨城県の筑波鉄道をご紹介します。
筑波鉄道は、大正7年に、常磐線の土浦と水戸線の岩瀬間、40・1キロを結ぶ路線として開業しました。
その後、現在の関東鉄道常総線と合併し、常総筑波鉄道、関東鉄道と名を変え、昭和54年には再び筑波鉄道に戻った後、廃線を迎えました。

これは昭和58年の土浦駅です。
①土浦駅
筑波鉄道は、筑波山を見ながら、関東平野をのんびりと走っていました。
②サボ

途中駅の常陸北条での上下列車の交換です。
③常陸北条駅

そして、こちらは真壁駅。
④真壁駅
⑤真壁駅名票

国鉄水戸線と接続する岩瀬駅です。
⑥岩瀬駅
この駅舎は改装されてはいますがいますが、今もJR水戸線の駅として現役で使われています。

こちらは昭和50年、岩瀬駅に停車中の列車です。
⑦岩瀬駅S50

そして、当時の切符です。
⑧硬券⑨車内券
同じ線でも、関東鉄道時代と筑波鉄道になってからのもので、社名が違っています。

この線が日本地図から消えて31年、廃線跡の多くはサイクリングロードになっているそうです。

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  1. 2018/05/20(日) 00:03:54|
  2. 関東
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関東鉄道常総線「ビール列車」

今週は、茨城県を走る関東鉄道常総線の「関鉄ビール列車」の春と夏をご紹介します。
常総線は、常磐線の取手から水戸線の下館を結ぶ51.1キロの路線です。

「関鉄ビール列車」は、関東鉄道が年に数回運行するイベント列車です。
沿線には取手にキリンビール、守谷にアサヒビールの工場があるため、両社のビールが交互にビールを提供しています。

アサヒビールのビール列車が運転される日、守谷駅は桜が満開でした。
①守谷駅
青空の下を走る列車でビールを飲むのは気持ちがいいものです。
②ビール列車
このイベントの参加者には、料金の中にフリーきっぷ代金がつ含まれています。
③フリーきっぷ

車内には、レールメイトのお嬢さんたちが乗っていました。
④レールメイト

水海道駅に停車中のビール列車です。
⑤水海道駅
関東鉄道の列車にはトイレがついていないため、停車駅ではトイレタイムが設けられています。

石下駅の桜も満開でした。
⑥石下駅桜

この日の列車は下館の2駅手前の黒子駅で折り返します。
⑦黒子駅引込線
黒子に着いた列車は、普段は使われていない錆びた引き込み線で、待機し、その間、ホームではイベントが行なわれていました。

ホームでは、満開の桜の下、なぜか寅さんが、踊っていました。
⑧トラさん

こちらはガマの油の売り口上を演じるおじさんです。
⑨ガマの油売り口上
おそらく、普段はひっそりとした無人駅の黒子駅も、この日ばかりは大賑わいでした。
⑩黒子駅呑み鉄
そして、常陸太田の酒「松森」。

やがて、上下線の列車が桜が咲き誇るこの駅で交換しました。
⑪上下列車交換

さて、ここからは昨夏に走ったキリンビール列車です。
⑫夏取手駅
キリンビールの飲める列車は、同社の工場がある取手から発車します。

レールメイト嬢は浴衣姿でした。
⑬レールメイト浴衣姿
レールメイトは毎年、変わるそうです。

ビール列車の車内はこんな感じです。
⑭車内風景

この時は、石下の地酒「紬美人」が振る舞われました。
⑮紬美人
ロングシートの座席の前に、テーブルを並べると、そこは動くビアホールに早変わり・・・。
⑯3人

この時の終点は下妻でした。
⑰下妻

制服に着替えたレールメイト嬢が、敬礼をしてくれました。
⑱敬礼するレールメイト

この日もフリーきっぷがついていたので、ビール列車に降りた後に、再び折り返して終点の下館まで行ってみました。
⑲下舘駅夜

すると、町ではちょうど、夏祭りの真っ最中でした。
⑳夏祭り
通りは大勢の人で大変な賑わいです。
㉑女神輿
女神輿が、勇ましく通り過ぎて行きました。

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  1. 2018/05/13(日) 00:02:27|
  2. 関東
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井原鉄道の旅

今週は、広島県の神辺から岡山県の総社間を走る井原(いばら)鉄道をご紹介します。

井原鉄道井原線は、平成11年1月11日11時11分11秒に、開通の汽笛を鳴らした第三セクター鉄道で、JR福塩線の神辺駅と、伯備線の総社駅を結ぶ41・7キロの路線です。

神辺駅で発車を待つ総社行の列車です。
①神辺駅
一日に数本、福塩線経由で福山まで乗り入れています。

この線の中心駅、井原に到着しました。
②井原到着

井原駅の駅舎は、円錐型のオブジェが印象的です。
③井原駅舎

井原~早雲の里荏原間の小田川橋梁を渡る列車です。
④井原~荏原・小田川橋梁
立派な高架橋の上を一両だけの気動車がトコトコと走ります。
⑤井原~荏原

早雲の里荏原駅に停車中の列車です。
ここは、伊豆や相模を平定した戦国武将・北条早雲の故郷なので、その名が冠せられました。
⑥荏原駅ホーム
この駅は、近くに車庫があり、乗務員の交代も行なわれる井原線の中枢となる駅ですが、ひっそりとした無人駅です。

早雲の里荏原駅の跨線橋の上からは車庫が見えます。。
⑦荏原~小田間の車庫

こちらは、矢掛駅です。
⑧矢掛駅
矢掛は、古くからの山陽道の宿場町として栄えました。

駅の近くにある樹齢三百年の臥龍の松がある専教寺です。
⑨専教寺樹齢300年臥龍松

これは矢掛宿脇本陣高草家です。
⑩脇本陣高草家
白いなまこ壁が、日本的な美しさを見せてくれています。
⑪高草家白壁

そして、これは本陣石井家です。
⑫本陣石井家
矢掛には、このような、古い街並が残されています。

町内で買ったのは、お隣の鴨方の地酒「賀茂緑」。
⑬鴨方の酒・賀茂緑
昔は、矢掛にも蔵元があったそうですが、今は残っていないそうです。

総社行の列車がやって来ました。
⑭矢掛ホーム
この駅で上下列車が行き違いました。
⑮矢掛到着

列車は、川辺宿~清根間に架かる長大な高梁川橋梁を渡ります。
⑯川辺宿~清音高梁川橋梁
長い鉄橋を渡ると、やがて清根に着きます。
清音
清音(きよね)では、JR伯備線と合流します。
⑰清音~総社
清音~総社間は、JRと井原鉄道の重複区間となっており、伯備線の普通列車とすれ違いました。

終点の総社に着きました。
⑱総社駅ホーム
総社駅は、JRとの共同駅になっており、伯備線のほか、吉備線にも接続しています。
⑲IMG_0303 (550x367)


さて、こちらは、井原線開業時のポスターです。
⑳開業時ポスター

開業から2ヶ月後に訪れた時の神辺駅です。
㉑神辺駅開業時
「祝・鉄道井原線開通」というノボリがたくさん立っていました。

その時の神辺駅のホームです。
㉒神辺駅ホーム開業時
大勢の乗客で賑わっていましたが、18年ぶりに訪れてみると、駅はひっそりとしていました。

開業記念入場券と、開業18年記念フリーきっぷです。
㉓開業記念入場券㉔開業18年フリーきっぷ
開業時の賑わいはなくなってしまいましたが、地域の足として、いつまでも、元気に走り続けてほしいものです。



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  1. 2018/05/06(日) 00:01:42|
  2. 中国(山陰山陽)
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テレビ出演と、「呑み鉄トークショー」と、新聞掲載

今週は、かつてないほど色々と活動した、この1週間のご報告です。

まず、4月24日夜にTBS系列全国ネットで放送された「マツコの知らない世界」に出演致しました。
①マツコ
テーマは終着駅。
終着駅
1年ほど前に刊行した拙著『終着駅』が出演のきっかけとなりました。
②予告編
「すべての終着駅を訪ねた男」という位置づけでしたが、そんな人、私の他にも大勢いるでしょうね。
③本番
番組では、銚子電鉄の外川、大井川鐡道の井川、長良川鉄道の北濃、由利高原鉄道の矢島と、哀愁漂う各地の終着駅をご紹介しました。
バックの列車の座席は、私が撮影した北海道の小樽総合博物館に保存されているキハ56を基に作られたものです。
スタジオ収録ではもっとたくさん話したのですが、オンエアではカットされてしまいました。


そして、27日には、東京神保町にある、「ブックカフェ二十世紀」にて、「東京呑み鉄ナイト」というトークショーを開催しました。
④飲み鉄ナイト看板 (413x550)
⑤ (550x412)
これは、鉄道タレントの古谷あつみさんとのコラボにより、2人で呑み鉄の楽しさと、全国各地の呑み鉄体験や、お奨めのローカル線、その地方の地酒をご紹介しました。
⑥(550x412)


そして、拙著『プロ野球と鉄道』に関して、朝日新聞の取材を受け、4月28日の全国版朝刊の、読書欄にある「著者に会いたい」というコーナーにかなり大きな記事として掲載されました。
⑦朝日新聞
このように、いろいろとお声がかかることはありがたいことと、感謝しております。

テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

  1. 2018/04/29(日) 00:00:01|
  2. 著作/寄稿紹介/出演/講演など
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私のこれまでの著作

今週は、私のこれまでの著書をご紹介します。
まずは、近年に発刊した書籍です。

こちらは自由国民社から発刊された『終着駅』です。
終着駅
これは、全国の終着駅を厳選し、鉄道写真家の南正時さん、井上廣和さん、村上悠太さんの旅情溢れる写真に、私がそれらのすべての駅の情景を綴ったものです。北は宗谷本線の稚内駅から、南は指宿枕崎線の枕崎駅まで65駅をご紹介しています。
(1512円税込)

そして、2月に発刊した『プロ野球と鉄道』(交通新聞社新書)です。
プロ野球と鉄道
かつて、国鉄、阪急、南海、西鉄、近鉄、東急など、多くの鉄道会社がプロ野球球団を保有していました。また、鉄道が発達していなかった戦前前後の遠征は、過酷を極めましたが、やがて、新幹線が開通して以来、プロ野球の日程編成に大きな変化をもたらしました。このようにプロ野球と鉄道は切っても切れない関係にあります。これらの歴史を検証するとともに、現在の12球団本拠地と鉄道アクセスや、元国鉄スワローズの金田正一さんら往年のプロ野球スターが語る鉄道に関するエピソードなどを記しています。(864円税込)

また、5月中旬には、クラッセブックスから、
『日本縦断客車鈍行の旅』を発刊予定です。
客車鈍行表1 (340x500)日本縦断客車鈍行の旅 (332x500)
これは、今から42年前、昭和51年の夏に、稚内から長崎まで、旧型の客車鈍行だけに乗って日本列島を縦断した古き良き昭和の、人情味あふれる汽車旅紀行です。(1728円税込)
【クラッセブックス(042-310-1552)にて予約受付中/郵便振替番号00100-1-667994】
(送料無料でお届けします)



そのほか、過去の主な著書です。
東日本H23夜汽車H22きえゆくH18三十年H14
鉄道以外の本もあります。
モンゴルH12 (168x250)阪神大震災H7ブレーブスH1
これからもどんどん著書を増やしていきたいと思っていますので、よろしくお願い致します。




  1. 2018/04/22(日) 00:15:16|
  2. 著作/寄稿紹介/出演/講演など
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さようなら三江線(その2)/浜原~三次

今週は先週に引き続き、3月末をもって廃線になった三江線のようすをご紹介します。

いつ来ても変わらぬ浜原駅の佇まいです。
かつて三江北線の終着駅で、国鉄時代は有人駅でしたが、近年は乗降客はほんのわずかしかいませんでした。
駅前には昭和50年の三江線全通記念の石碑が建っています。
⑳浜原駅 (550x367)
廃止が翌月末に決まった2月中旬に訪れましたが、浜原から先は1月11日の豪雪で列車は不通になったままでした。
おそらく、もはや通勤通学の足としては利用させれておらず、長期不通になっても地元への影響はほとんどないのです。
(列車の写真は、以前にご紹介した別の時に訪れた時のものです)
㉑代行バス (550x367)
浜原~三次間で運転されていた代行バスです。

代行バスを浜原から2駅目の潮(うしお)で下車しました。
㉒潮駅 (550x385)
ここは江の川に面した静かな駅ですが、このあとも1週間列車が来ることはありませんでした。
㉓潮付近江の川 (550x349)
このあたりの江の川は、まるで湖のように静かで、あたりは静寂に包まれていました。

これは別の時に行った宇都井(うづい)駅です。
㉔宇都井到着 (550x357)
宇都井駅は山と山との間にあるトンネルに囲まれており、地上からホームまでの高さは20メートルあります。
エレベーターなどはなく、列車に乗るには116段の階段を登らねばなりませんでした。
㉕宇都井駅 (550x378)

さて、こちらは雪に埋もれた口羽駅です。
㉖口羽駅舎 (550x367)
昭和38年に開業した時には、三江南線の終着駅でした。
この日、列車の来ない夕暮れの駅でイルミネーションだけが輝いていました。
㉗口羽ホーム (550x367)
そして、この駅の近くにも三江線全通の記念碑があります。
㉘口羽開通記念石碑 (550x367)
地域の人々にとって、いかにこの線の全通が待たれていたかがわかります。

こちらは、すっかり日が暮れた式敷駅のなんとも寂しい風景です。
㉙式敷夜 (550x367)
式敷駅が開業した昭和30年には、ここが三次からの列車の終着駅でした。

これは、2年前、式敷~香淀間の朝靄の中を走る列車です。
㉚式敷~香淀 (550x367)
幻想的な風景の中を、たった一両の列車が走り去って行きました。

これは、運転本数の極めて少ない三江線の中でも、多くの列車が通過する長谷(ながたに)駅です。
㉛長谷駅
この駅に停車するのは三次方面の下りが朝の2本、口羽方面への上りは午後の3本だけしか停車しません。

これは、尾関山~三次間の橋梁を渡る上りです。
㉜三次~尾関山 (550x358)
この橋梁を渡ると、間もなく終点の三次に着きます。

三次駅でひっそりと発車を待つ折り返しの列車です。
㉝三次駅ホーム(550x362)
かつては、駅舎側の1番線の脇に三江線専用ホームがありました。

そして、三次の地酒は「瑞冠」でした。
㉝三次呑み鉄(550x367)

一部開通から88年、全通から43年、三江線は役目を終え、その歴史に幕を降ろしました。


テーマ:鉄道旅行 - ジャンル:旅行

  1. 2018/04/15(日) 00:02:01|
  2. 中国(山陰山陽)
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さようなら三江線(その1)/江津~浜原

今週から2回に分けて、3月31日に廃止された、山陰本線の江津と芸備線の三次を結んでいた三江線のようすをご紹介します。

三江線は、昭和5年に江津~川戸間が開通したのち、昭和12年に川戸~浜原間が開通。その後、戦争で工事が中断したものの、酢昭和30年に、三江南線、三次~式敷間が開通し、江津~浜原間は三江北線となりました。
そして、昭和50年に最後まで未開通だった浜原~口羽間が開通し、最初に開業してから45年の時を経て、ようやく三江線が全通しました。

しかしながら、沿線に大きな町はない過疎地帯で、これといった観光資源もなかったため、当初から利用者はわずかしかいませんでした。それでも並行する道路が未整備だったため、その後も走り続けましたが、やがて、国道が整備され、利用者はさらに激減。
ついに、全通から43年の時を経て、その役目を終えたのでした。

そんな三江線には何度も足を運んでいましたが、最後に2月中旬に別れを告げに訪れました。
しかし、この時は、1月の豪雪のため、浜原~三次間が不通になっていました。

これが、江津駅で発車を待つ浜原行の列車です。
①江津 (550x366)
晩年の三江線ではキハ120形が運用されており、殆どの列車が一両だけの単行運転でした。

江津の次の駅、江津本町です。
②江津本町 (550x367)
本町がつくと、いかにも町の真ん中の駅という感じですが、周囲には何もありませんでした。

川平駅です。
③川平 (550x367)
この駅は、昭和5年に三江線が最初に開通した区間の終着駅でした。

これは、川戸駅付近の陸閘門(りくこうもん)と呼ばれる門の間を行く列車です。
④川戸陸閘門 (550x367)
この門は、豪雨によって江の川の水位が上がった場合に閉じられて、冠水しないようになっています。

川戸駅に着いた上り、江津行の列車です。
⑤川戸ホーム (550x367)
かつて、反対側にもホームがありましたが、晩年は使われておらず、線路もはがされていました。

これが川戸駅の駅舎です。
⑥川戸駅 (550x367)
比較的大きな駅舎でした。

ホームが一面しか使われていないのに、こんな案内板がありました。
⑦案内板 (550x367)
きっとこの案内板は反対ホームがあったころから設置されていたのでしょう。

川戸では、「玉桜」という地酒を呑みました。
⑧川戸呑み鉄 (550x367)

鹿賀という小さな無人駅でも降りてみました。
⑨鹿賀ホーム (550x367)

雪の積もった田園地帯に、ひっそりと駅がありました。
⑩鹿賀駅遠景 (550x367)

そんな駅に江津行の列車が到着します。
⑪鹿賀到着 (550x367)

因原にも古い木造駅舎があります。
⑬因原駅 (550x367)
戦前に開業した三江北線区間には、趣のある木造駅舎がたくさん残されていたのです。

こちらは、沿線の主要駅の石見川本駅です。
⑭石見川本駅 (550x367)
石見川本では「池月」を買いました。
⑮石見川本呑み鉄 (550x367)

小さな無人駅、木路原です。
⑯木路原駅 (550x367)
近くの民家の窓に「ありがとう三江線木路原駅」という文字が貼ってありました。
⑰ありがとう三江線木路原駅 (550x367)

石見簗瀬駅にも古い駅舎がありました。
⑱石見簗瀬駅 (550x367)

やがて、終点の浜原に着きました。
⑲浜原到着 (550x367)
この日、この先に進むには、代行バスに乗り換えねばなりません。

とちらは江津駅に飾られていた桜満開の時期の川戸付近を行く列車の写真です、
(江津市の小林克己さんの作品)
⑳小林克己川戸桜 (550x358)
三江線は、ちょうど桜が咲くころに廃線になりました。
もう桜の咲く時期に列車が来ることは二度とありません。

来週は、浜原~三次間のようすをご紹介します。

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  1. 2018/04/08(日) 00:03:22|
  2. 中国(山陰山陽)
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トークショー「プロ野球と鉄道」開催

先週、東京中野にある野球居酒屋「中野塾」にて、「プロ野球と鉄道」と題したトークショーを行ないました。
これは、先日発刊した拙著『プロ野球と鉄道』の発刊を記念して開催したものです。
①
多くのプロ野球ファンや鉄道ファンの方々に出席して頂き、午後3時からの第一部、6時30分からの第二部ともに店内は満員札止めの大盛況でした。
②
プロ野球と鉄道の歴史を昔の鉄道による遠征事情や、阪神、阪急、東急、南海、国鉄、近鉄、西鉄、西武など、鉄道会社が保有した鉄道球団などについて真面目に語った後は、12球団の本拠地と鉄道アクセス、さらに元国鉄スワローズのエースだった金田正一さんらプロ野球OBのレジェンドたちに取材したエピソード、そして昭和の応援団裏話など、一部と二部あわせて4時間しゃべり続けました。
③
幸い、アットホームな雰囲気の中、出席された皆さんには好評だったようで、ホッと胸をなで下ろしています。
④
4月27日には、神保町で「呑み鉄」を題材に、もう一度、トークショーを開催する予定です。

  1. 2018/04/01(日) 00:04:44|
  2. 著作/寄稿紹介/出演/講演など
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福塩線の旅

今週は広島県を走る福塩線(ふくえんせん)のうち、塩町~府中間の非電化区間をご紹介します。
福塩線は、山陽本線の福山から芸備線の塩町間78・0キロを結ぶ路線です。
そのうち福山~府中間26・0キロは電化されており、両都市を結ぶ通勤通学路線ですが、府中~塩町間59・8キロは非電化で、山間部を行く閑散とした区間となっています。

これは、夜明け前の三次駅で発車を待つ府中行の列車です。乗客は私のほか、一人しかいませんでした。
①三次夜明け前
福塩線非電化区間の列車は、すべて芸備線の三次まで乗り入れています。

塩町駅で、備後落合、備中神代方面の芸備線と分かれて福塩線に入ります。
②塩町

朝靄の中の吉舎(きさ)駅で反対列車との交換です。
③吉舎駅朝靄
この区間では、すべてキハ120が運用されています。

梶田駅での朝焼けです。
④梶田駅朝焼け
このあたりは雪が積もっていました。

備後安田駅で停車中の列車です。
⑤備後安田駅ホーム

この駅には昔ながらの駅舎が残っています。
⑥備後安田駅舎
備後安田駅に、上り府中行き列車がやって来ました。
⑦備後安田上り列車到着
かつて貨物列車の集積場があったのでしょうか。駅構内にある錆びついた車止めを見ると、なんとも寂しさがつのります。
福塩線から貨物列車が廃止されたのは昭和61年のことでした。

甲奴(こうぬ)駅です。
⑧甲奴駅舎
こちらも昔ながらの駅舎が残っていますが、駅員の姿はありません。

甲奴~上下間を行く三次行きの列車です。
⑩甲奴~上下

そして、朝から三次の地酒「美和桜」で呑み鉄をしました。
⑨美和桜呑み鉄

こちらは、この区間の中心駅、上下駅です。
⑪上下駅舎
かつて、この駅から帝釈峡へのバスが発着していましたが、廃止されてしまいました。
⑫上下駅停車中
上下駅に府中行きの上り列車が停車しています。

こちらは備後矢野駅です。
⑬備後矢野駅
40年以上も前、私はこの駅で何度も降りて、近くにあるユースホステルに泊まりに行ったものでした。

終着の府中では、福山行きの黄色い電車に接続しています。
⑭府中駅

これは国鉄時代のこの区間のきっぷです。
⑮きっぷ
今では上下駅が委託駅になっているほかは、すべて無人駅です。

そして、駅のスタンプです。
⑯スタンプ

かつて、この塩町~府中間には、区間運転も含めて一日15往復の列車が運転されていました。
けれども、今では、朝夕だけの6往復に削減され、日中は6時間以上も運転されない閑散路線になってしまいました。
今や、存亡の危機に立たされていると言っても過言ではありません。

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  1. 2018/03/25(日) 00:02:53|
  2. 中国(山陰山陽)
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大田市駅と石見銀山

今週は島根県にある山陰本線大田市駅と、石見銀山のようすをご紹介しましょう。

大田市駅は、島根県の県都の松江駅から西に、65・3キロ離れた場所に位置します。
①ホーム
本線とはいえ、このあたりの山陰本線の列車は、特急列車も普通列車も、大抵2両編成です。

この駅のホームには石見銀山の看板が立っていました。
②石見銀山看板
石見銀山は、16世紀から高品質の銀などを大量に産出した鉱山で、大正12年まで採掘が続けられていました。
周囲の古い昔ながらの景観と合わせて、平成19年にユネスコの世界遺産に登録されています。

これが大田市駅です。
③駅舎
石見銀山は、この駅からバスで約20分の距離にあります。

これが、現在は石見銀山資料館になっている大森代官所跡です。
④大森代官所跡石見銀山資料館
そのあたりは、美しい石見瓦の家が並ぶ江戸時代の街並がそのまま残されています。
⑤街並み俯瞰

こちらは理容館アラタです。
⑥理容館アラタ
大正時代の理容室で「全国理容遺産認定第1号」との説明板がありました。

こんな昔ながらの煙草屋さんもありました。
⑦煙草屋

これは、代官所地役人だった河島家の屋敷です。
⑧代官所地役人河島家
この家は中に入ることができます。
⑨河島家内部

こちらは五百羅漢のある羅漢寺です。
⑩羅漢寺

本当に江戸時代にタイムスリップしたような街並ですね。
⑪街並
電柱がないので、景観がより美しく映えます。

こんな屋根の家がありました。
⑫鳩の屋根

こちらは鉱山へ向かう道にある清水寺にある石仏です。
⑬清水寺の石仏

そして、こちらは旧清水谷製錬所跡です。
⑭清水谷精錬所跡
これは明治27年に藤田組(現在のDOWA)が建設した精錬所跡ですが、
採算が取れず、わずか1年半で閉鎖されてしまいました。

これは銀山の入口近くにある高橋家住宅です。
⑮享和元年1801年山組頭高橋家
享保元年(1801年)に建てられたもので、高橋家は銀山を取り仕切る山組頭を務めていました。

これは、銀山の安全を祈願する佐毘売山神社神社です。
⑯佐毘売山神社
鬱蒼とした木々に囲まれ、霊験あらたかな気配が感じられました。

これは龍源寺間歩(りゅうげんじまぶ)と呼ばれる坑道の入口です。
⑰龍源寺間歩入口
石見銀山にはこのような坑道跡がたくさん残されています。
⑱坑道内部
江戸時代の最盛期には、このあたりで20万人もの鉱夫が働いていたということです。
高賃金のため、多くの鉱夫が集まりましたが、重労働な上、照明のランプの煤や粉塵を吸い込むため、彼らの平均寿命は30歳だったそうです。

石見銀山の歴史を学んだ後、大田市駅で買った地酒は、その名も「石見銀山」。
⑲呑み鉄
山陰本線の列車の中で、日本海を眺めながらいただきました。

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  1. 2018/03/18(日) 00:02:36|
  2. 中国(山陰山陽)
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