田中正恭の汽車旅日記

ここは、紀行作家・田中正恭 (たなかまさやす) が、つれづれなるままに各地の旅や、鉄道に関する話題について綴っており、原則として毎週日曜日に更新しています。時には鉄道以外の話題になることもありますが、よろしくお願い致します。内容につきましてのご感想や、執筆や講演などの依頼がありましたら、お気軽にメッセージをお寄せください。なお、写真や文章の無断転載はご遠慮願います。

旧国鉄湧網線・計呂地駅の今

北海道の廃線・廃駅シリーズ第6弾です。
国鉄湧網(ゆうもう)線は、名寄本線の中湧別と石北本線の網走を結ぶサロマ湖畔を走る89・8キロのローカル線でした。
白樺林の中を走る、それは風光明媚な車窓風景が楽しめる路線でしたが、国鉄末期の昭和62年に廃止されました。
計呂地(けろち)駅は、そんな湧網線のサロマ湖の近くの小さな駅でした。
幸いなことに、この駅は現在も駅舎が保存され、周囲は計呂地交通公園として整備されています。

これは、昭和60年2月に湧網線を訪れた時の計呂地駅です。
①S60計呂地駅
この時から約2年後に湧網線は廃止されてしまいました。

そして、これは現在の計呂地駅跡です。
②現計呂地駅
駅舎は当時のままの姿で残され、内部は資料館になっています。

駅舎内部です。
⑧駅舎内部資料館
往年の湧網線関連の資料が所狭しと並んでいます。
管理人さんのいない時には施錠されていますが、事前に電話でお願いするとすると、無料で内部を見学することができます。

往年の時刻表です。
⑨時刻表
旅客列車は、上り6本、下り5本の合計11本しか運転されていませんでした。

こちらは運賃表です。
⑩運賃表
左側一列の駅は、すべて廃止されてしまいました。

計呂地駅の正面です。
③計呂地駅舎正面
廃線から30年近く過ぎた今も、きれいな状態で保存されているのが嬉しいですね。

腕木式信号の残る駅構内は、今にも列車がやって来そうです。
④駅構内
湧網線の沿線には、白樺の木がたくさん生えていました。

この駅に残る線路には、1923(大正12)年ベルギー製を表す刻印があります。
⑤ベルギー製線路
計呂地駅の開業は1935(昭和10)年ですから、それより12年も前に輸入されたものということになります。

駅舎の脇には転轍機が残されています。
⑤転轍機
この駅は列車交換が行なわれるこの線の主要駅でした。

構内には、C58型蒸気機関車と旧型客車が静態保存されています。
⑥C58
ですが、私の知る限り、湧網線を走っていた蒸気機関車は9600型だった記憶があります。
この蒸気機関車は、釧網本線を走っていたのだと思います。
⑦旧客

駅のすぐ近くにはサロマ湖があります。
⑪サロマ湖

そして、講演には鉄道記念碑が建っていました。
⑫鉄道記念碑
計呂地駅が湧網西線の駅として開業したのは昭和10年、湧網線が全通したのは昭和28年のことでした。

湧網線の全有人駅の入場券です。
IMG_20160925_0001 (2) (269x350)IMG_20160925_0001 (3) (257x350)
サロマ湖畔の白樺林の中を走る列車に乗ったのは、遠い過去の記憶となってしまいました。
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  1. 2016/10/02(日) 00:02:34|
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旧国鉄名寄本線・中湧別駅と湧別駅

今週は北海道の廃線廃駅シリーズ第5弾、旧名寄本線の中湧別駅と湧別駅をご紹介します。

名寄本線は、宗谷本線の名寄から石北本線の遠軽を結ぶ138・1キロの長大な幹線鉄道でした。
途中、中湧別から分岐し、湧別までの4・9キロの支線も名寄本線の一部でした。
札幌からの急行も乗り入れ、長大な貨物列車も運転され、昭和40年代までは本線としての重責を担っていました。
ところが、興浜南線、渚滑線、湧網線と名寄本線から分岐する支線が次々と廃止され、ついに名寄本線までもが、国鉄民営化直後の平成元年に廃止されてしまったのです。

その名寄本線の中で、中湧別駅は湧網線と湧別支線を分岐する中枢駅でした。
これは昭和60年2月の中湧別駅です。
①S60中湧別駅
この年の3月に中湧別から分岐する湧網線など、北海道の数多くの支線が廃線になりました。
でも、この時点ではまさか、本線である名寄本線までが廃止されるとは思ってもいませんでした。

中湧別駅のホームです。
②中湧別ホーム
停車している列車は、この翌月に廃止された湧網線の網走行です。

こちらは、現在の中湧別駅跡です。
④現在中湧別ホーム
嬉しいことに、駅のホームや跨線橋が現役時代と同じ姿で保存されていました。
⑤駅名票
このホームに人が近づくとセンサーが反応し、当時の駅のアナウンスが流れる仕組みになっていました。
⑥踏切
この踏切は、どこかから移設したものと思われます。

ホームにはラッセル車や、貨物の有蓋車などが留置されていました。
⑦現在跨線橋
跨線橋の階段は、正に昔のままの懐かしい姿です。
⑧跨線橋階段
木製の階段がなんともいえない懐かしさを感じさせてくれます。
⑨案内板
案内板や名所案内も、昭和の香りが漂っています。
⑩名所案内

近くには「国有鉄道中湧別保線区之碑」が建っていました。
⑪中湧別保線区跡碑
国鉄保線区のOBの方が建立したようです。

一方、こちらは昭和53年2月、夕方の列車で到着した湧別駅です。
北国の冬はもう真っ暗でした。
⑫S53湧別駅
本線とは名ばかりで、この終着駅に発着する列車はわずかに一日2本しかありませんでした。

オホーツク海に近い湧別駅跡は、何も残されてはいません。
⑬湧別駅跡
今では、駅跡は消防署になり、その前に駅跡の石碑が建っているばかりでした。

この駅名票は湧網線の旧計呂地(けろち)駅に無造作に保管されていたものです。
⑭湧別駅駅名票

これは中湧別駅と湧別駅発行の切符です。
⑮きっぷ
一日2本しか列車が来ない湧別駅にも駅員さんが勤務していたのでした。
⑯スタンプ (380x371)

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  1. 2016/09/25(日) 00:00:06|
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旧国鉄白糠線

北海道の廃線廃駅シリーズ、今週は旧国鉄白糠(しらぬか)線の廃線跡をご紹介しましょう。

国鉄白糠線は根室本線白糠駅から分岐し、北進までの33・1キロのローカル線でした。
計画では旧池北線(廃線)足寄駅までを結ぶ予定で建設された線で、昭和39年に白糠~上茶路間、さらに昭和47年に上茶路~北進間が開通しました。当初の計画では、足寄から士幌、さらに根室本線の新得から石勝線までつなげ、、釧路~札幌間を結ぶ幹線の一躍を担う構想もあったそうです。
当初は、沿線にあった雄別炭鉱上茶路鉱の石炭や、木材を運ぶ貨物列車も運転されていました。
しかし、昭和45年に鉱山の閉鎖に伴って貨物列車は廃止され、その後、北進まで延伸したものの、沿線が過疎地帯であることで膨大な赤字路線となり、延伸計画は頓挫。さらに国鉄の財政破綻により、国鉄再建法に基づく廃線第一号となり、昭和58年に全通からわずか11年で地図上から姿を消したのでした。

これは昭和52年に訪れた北進駅です。
①S5207北進駅
まったく何もない原野に、ポツンとホームだけがある無人駅でした。当時の運転本数は一日3往復だけでした。
ここは、開通前は、釧路二俣という仮称はついていましたが、さらに北に進むという意味で北進と名付けられたのでした。
このあたりは二股という小さな集落があるだけで、当時の新聞には「人口わずか17人の僻地に新線開通」と批判的な記事が載っていたものです。

そして、これが北進駅跡です。
②北進駅跡地
線路もホームも撤去され、その痕跡はほとんど残されてはいませんでした。
③国有鉄道石柱
残された「国有鉄道」という石柱だけが、その場所が国鉄用地だったことを示しています。

北進~下北進間の線路跡です。
④北進~下北進
線路のあった場所には木が立っていて、廃止からの年月を感じます。

橋梁の上には錆びついた標識が残されていました。
⑤川の上の標識

下北進~上茶路間のコンクリート製の橋梁です。
⑥下北進~上茶路
開通が比較的新しいこの区間の線路は高規格な設計です。札幌行の特急が走ることを想定していたのでしょうか。

これは上茶路駅付近に佇む廃線跡です。
⑦上茶路線路に立つ木
そして、こちらは上茶路駅跡に残されたホームです。
⑧上茶路駅跡
白糠線で唯一、この駅には委託駅員がいて、切符を販売していました。
⑨キロポスト
付近にはキロポストや信号機も残されていました。
⑩信号機
上茶路駅は開業から8年間は終着駅でした。
⑪転轍機
貨物列車が運転されていたころの名残りでしょうか。駅構内は広く、転轍機も残っていました。

上茶路~縫別間に残された線路は廃線後、長年の風雪により無残な姿になっていました。
⑫上茶路~縫別
けれども、今では上茶路付近に残された線路も撤去されてしまったようです。

こちらは縫別駅付近の茶路川に架かるガーター橋です。
⑬茶路川橋梁縫別駅付近
まるで、今にも列車がやって来そうでした。

茶路~上白糠間に残る鍛高トンネルです。
⑭鍛高トンネル
トンネルの入口には、見事な角のエゾジカの頭蓋骨が転がっていました。

これは起点の白糠駅付近の根室本線との分岐点です。
⑮分岐点
白糠線は右手に分かれて山の方に向かっていましたが、今は線路の先に住宅が建っています。

これは、現在の白糠駅に停車中の根室本線の普通列車です。
⑯白糠駅
白糠線の列車は、跨線橋を渡った3番線から発着していました。

白糠線のきっぷです。
⑰きっぷ

そして、こちらは「おわかれ白糠線」の記念入場券です。
⑱廃止記念入場券
白糠線がその短い歴史を閉じてから,,33年もの歳月が流れてしまいました。

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  1. 2016/09/18(日) 00:03:56|
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旧北見相生駅

北海道の廃駅の連続3週目、今週は昭和60年に廃止された国鉄相生線の北見相生駅をご紹介しましょう。
国鉄相生線は、石北本線の美幌駅から分岐し、北見相生駅までの36・8キロを結んでいました。
大正時代の計画では釧路と美幌を結ぶ釧美線として計画されましたが、北見相生より南に線路が延びることはなく、昭和60年に廃止されました。

現在も駅舎が完璧な姿で残る北見相生駅跡です。
①現駅舎
かつて、相生線を走っていた気動車キハ22も、きれいに保全され、まるで現役の駅のようです。
ここまできれいに保存されている廃駅も珍しいと思います。

駅の周りの線路沿いは白樺林が続いていました。
②キハ22

ホーム側から見た駅舎です。
③駅舎ホーム側
今にも駅長さんがタブレットを持ってホームに出てきそうです。

旧型客車のありました。
④旧客
私が知る限り、この線に客車列車が走った記憶はないのですが、もしかしたら石北本線を走っていた客車かもしれません。

ラッセル車もあります。
⑤ラッセル車
阿寒の山に近いこのあたりは、冬になると深い雪に包まれます。

これは貨物列車の後ろに連結され、車掌さんが乗務していた緩急車です。
⑥緩急車
相生線の貨物列車は、主に木材を輸送していました。

近くには二度と鳴動しない踏切が立っていました。
⑦踏切


こちらは昭和52年に訪れた時の北見相生駅です。
当時は一日7本の列車が発着し、一部は美幌から石北本線に乗り入れ、北見や遠軽まで直通運転をしていました。
⑧S52駅舎
駅前は舗装されていませんでしたが、駅舎の前の植木がきれいに手入れされていました。

こちらは相生線各駅の入場券です。
⑩入場券
7駅のうち4駅が有人駅でした。

そして駅のスタンプです。
⑨スタンプ
当時、駅前から阿寒湖畔への路線バスが走っていましたが、廃止されました。
それどころか、平成24年秋に相生線代替バスさえも、津別~北見相生間は廃止されてしまいました。
今は相生までの公共交通機関はなく、平日はスクールバスに混乗という形で予約制の無料バス運転がされています。
廃線から31年、沿線は益々過疎化が進行しているようです。

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  1. 2016/09/04(日) 00:01:08|
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旧朝日駅と国鉄万字線最後の冬

昔、北海道の炭鉱地帯に万字線というローカル線がありました。
室蘭本線の志文から分岐し万字炭山までの大正3年に開通した23・8キロの路線でした。
けれども、炭鉱の廃止に伴って沿線人口が急減し、昭和60年にその役目を終えました。

これは、当時の駅舎が往年の姿で保存されている朝日駅の現在の姿です。
①駅舎正面
開業以来71年間、この地域の玄関としての役割を果たし、
そして、100年以上過ぎた今もなお、同じ場所に建ち続けているのです。
②駅舎ホーム側

駅は「万字線記念鉄道公園」になっていて、そこにはB201という小さな蒸気機関車が静態保存されていました。
③B201
この機関車は戦争末期に構内入替用として15両だけ製造されたB20形蒸気機関車の1号機で、引退後、奇跡的に小樽機関区の片隅に保存されていたそうです。

9600形蒸気機関車の動輪と踏切、それにキロポストがあります。
④9600動輪と駅舎
朝日駅は起点の志文駅から12・2キロの位置でしたから、この「13」のキロポストは800メートル先から移設したのでしょう。

駅前には、国鉄万字線朝日駅跡という石碑が建っていました。
⑤駅跡石碑
それは、まるで小さな墓標のようでした。、

さて、ここからは、昭和60年2月、万字線、最後の冬に訪れた時の写真です。

志文駅のホームで発車を待つ下り列車です。
⑥志文駅ホーム

これが当時の志文駅舎です。
⑦志文駅舎
志文駅は現在も室蘭本線の駅として存在しますが、今は無人駅となり、この駅舎はもうありません。

万字線のサボ(行先表示板)です。
⑧サボ
すべての列車が志文から一駅先の岩見沢まで乗り入れており、一日の運転本数は5往復でした。

上志文駅の近くにはスキー場があったため、冬は多くのスキーヤーが万字線を利用しました。
⑨上志文駅
こんなに利用者がいるのに廃止するのは惜しい気がしたものです。

そして、これが最初にご紹介した朝日駅です。
⑩朝日駅
この時、すでに無人駅になっていました。

雪に埋もれた万字駅の駅名票です。
⑪万字駅
万字を過ぎると、次は終点の万字炭山です。
⑫万字炭山駅名票
この山の駅に列車が通わなくなったのは、この日から一か月あまり後のことでした。
⑬万字炭山駅キハ
今はこの駅は跡形もなくなってしまったそうです。
⑭万字炭山駅舎

こんな渋い手作りのスタンプがあったのは、昭和49年に初めてこの駅を訪れた時のことでした。
⑮スタンプ

これが万字線の切符です。
⑯万字線切符
廃止されてから31年もの月日が流れてしまいました。

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  1. 2016/08/28(日) 00:02:29|
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旧奥行臼駅と国鉄標津線

今週はかつて北海道東部を走っていた国鉄標津線と、原野の中にあった奥行臼(おくゆきうす)駅をご紹介します。
昭和8年に開業した国鉄標津(しべつ)線は、道東地方の開拓に大きな役割を果たしましたが、民営化後の平成元年に役目を終え、日本地図から姿を消しました。
標津線は、釧網本線の標茶(しべちゃ)から根室標津までの69.4キロと、途中、中標津から分岐して根室本線の厚床(あっとこ)までの47・5キロの、Tの字型の路線でした。
運転本数は区間によって一日4~6往復という閑散としたものでしたが、蒸気機関車牽引の貨物列車も走り、釧路からの急行列車が根室標津まで乗り入れていました。

これは、現在の奥行臼駅跡です。
①現奥行臼駅
中標津~厚床間にあった奥行臼駅は、隣の厚床まで11・5キロ、別海まで12・3キロも離れた原野の中の駅で、この駅にやって来る列車は一日わずか上下4本ずつしかありませんでした。
廃線から27年の時を経て、今なお、当時の駅舎が昔のままの姿で残っています。
標津線の駅で、駅舎が残っているのは奥行臼だけです。

駅舎から線路を眺めます。
②駅舎より線路を見る
線路は錆びついていますが、今にも列車がやって来そうです。
③ホーム
永年の風雪で、ホームの駅名票や電柱が傾いてしまっています。

④ベンチ
当時のベンチがそのまま置いてあります。

駅前には別海村営軌道風連線の車両が保存されていました。
⑤村営軌道1
この軌道は昭和12年から46年までこの別海村(現別海町)を走っていたものです。
⑥村営軌道2
現在は、別海町の文化財として駅舎とともに大切に保存されています。

さて、これは昭和61年の厚床駅です。現在ではこの駅舎はもうありません。
⑦S61厚床駅舎
根室本線のこの駅から標津線が分岐していました。
⑧厚床駅ホーム

標津線の厚床~中標津間のサボです。
⑨キハ40サボ
そういえば、国鉄末期、ほとんどのローカル線の気動車はこんな色でした。

そして、これが現役時代の奥行臼駅です。
⑩奥行臼駅S61
駅員さんが一人、寂しそうに立っています。列車が来ても乗降客の姿はありませんでした。

列車が別海駅に着いたところです。
⑪別海駅
ホームには列車を待つ人の姿がたくさん見られました。

そしてこれが中標津線です。
⑫中標津駅
この駅で厚床方面からと標茶方面からの線路が合流しました。

これは上武佐駅。
⑬上武佐駅
やはり、寂しそうに駅員さんが立っています。

そして、こちらは終着の根室標津駅です。
⑭根室標津駅
近くのオホーツク海から、国後島を眺めることができました。

時代はさらにさかのぼり、これは、昭和49年の計根別付近を行く貨物列車です。
IMG_20160820_0001 (7) (550x319)

ああ、昭和は遠くなりにけり・・・。
IMG_20160820_0001 (6) (550x339)

そして、これらは標津線の切符です。
⑮きっぷ⑯きっぷ
西別駅は、昭和51年、別海駅に駅名変更になりました。

こちらは現在の厚床駅と標津線代行バスです。
⑰今の厚床駅と代行バス
代行バスには乗客の姿はなく、ここを走る根室本線さえも、鉄路の存続が危うくなっています。

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  1. 2016/08/21(日) 00:01:21|
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札幌市交通資料館

今週は、北海道の札幌市交通資料館にご案内します。
①博物館入口 (550x349)
この資料館は、市営地下鉄南北線の自衛隊前駅そばの高架下にあります。

こちらは、昭和30年製造の市バスで使われていたボンネットバスです。
②昭和30年市バス用ボンネットバス (550x367)
中に走ってみると、車内の狭さを実感できます。
③ボンネットバス内部 (550x367)

そして、こちらは、昭和38年のマイクロバスです。
④S38マイクロ市バス (550x367)
こんな小さなバスも市バスとして走っていた時期があったのですね。

そして、こちらは昭和24年製の市電600形電車です。
④昭和24年600形電車 (550x367)
戦後間もない時期の電車としては、なかなか洗練されたスタイルの電車だと思いました。

こちらは昭和38年に登場した800形連接電動客車です。
⑤連接電動客車S38 (550x367)
当時、連接電車はとても珍しい物でした。

そして、もっと珍しいのが、こちらの内燃式客車D1041で、これは、日本で唯一の路面ディーゼルカーです。
⑥ディーゼル客車D1041昭和39年 (550x367)
札幌市電では、昭和33年から46年まで、一部路線においてディーゼルカーが運転されていました。多くの車両は、その後、電車に改造されましたが、最後までディーゼルカーとして走り続けたのが、この車両です。

こちらは、昭和26年製造の、電動除雪車「雪8」(左)と、ディーゼル除雪車「DSB1」です。
⑦電動除雪車「雪8」(S26)左とディーゼル除雪車DSB1(S36) (550x342)
除雪車はササラ電車とも呼ばれ、これが走り始めると、札幌に冬がやってきます。

さて、こちらは、札幌市営地下鉄の高速電車第3次試作車「はるにれ」です。
⑧高速電車第3次試作車「はるにれ」昭和40年 (550x367)
昭和40年に製造されたこの車両は、初のゴムタイヤで走る地下鉄が開業する前に、高速試験や厳寒期の運転試験を行いました。

そして、その結果をもとに後継の高速電車第4次試作車「すずかけ」が製造され、開業へと導いたのです。
⑨高速電車第4次試作車「すずかけ」昭和42年 (550x367)
南北線が開業したのは、昭和46年12月、札幌オリンピックが開幕する2か月前のことでした。

これが、開業時の1号車です。
⑩地下鉄南北線1号車昭和45年 (550x364)
開業時から昭和60年まで走り続けました。

こちらは屋内展示場にある戦前の市電や市バスの乗車券です。
⑪戦前の乗車券 (550x378)
今はICカードの時代、昭和は遠くなりました。

そして、こちらは昭和30年代の市電や市バスの写真です。
⑫昭和30年代の市電市バス (550x366)

初期の地下鉄のゴムタイヤです。
⑬地下鉄のタイヤ (550x367)
こうしてみると、意外に小さいなという感じです。

そして、自衛隊前駅に、東西線5000形電車がやってきました。
⑭札幌地下鉄5000形◎ (550x355)
このあたりは、スノーシェルターに囲まれた高架線になっています。

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  1. 2016/07/17(日) 00:02:17|
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栗沢・栗丘・栗山

今週は北海道の室蘭本線に、3駅続けて「栗」のつく駅が並ぶ「栗沢」、「栗丘」「栗山」の3駅と、その周辺をご紹介しましょう。

室蘭本線は、長万部と岩見沢、および東室蘭と室蘭を結ぶ幹線で、かつては、幌内や夕張で産出される石炭を室蘭港に運搬する路線として重要な位置を占めていました。けれども、旅客輸送は、札幌に向かう千歳線がメインルートとなり、やがて、炭鉱が相次いで閉山してしまったために沼ノ端~岩見沢間の貨物列車は廃止されてしまいました。現在では、この区間は、一日7~8本の普通列車が行き交うだけのローカル線となっています。

まずは、栗沢駅を発車する苫小牧行の列車です。
①栗沢発車
沼ノ端~室蘭間は電化され、長万部までも札幌~函館間の特急や、本州への貨物列車が頻繁に走るのと比べると、同じ室蘭本線の一部とは思えません。

これが栗沢駅です。
②栗沢駅
もちろん、今は無人駅で、数少ない列車から数人の客が降りると、あとはひっそりと静まり返っています。

そんな栗沢地区に、真っ赤な711系電車が静態保存されています。
③711系
711系電車は、昭和42年に北海道内の電車として寒冷地仕様で開発され、平成27年まで48年間にわたり函館本線(小樽~旭川間)、千歳線、室蘭本線(沼ノ端~室蘭間)で活躍した、北海道ではおなじみの電車でした。
それが老朽化により、すべての電車が廃車となったあと、そのうちの2両が、岩見沢に近いここ、栗沢の地にあるレストラン「大地のテラス」に保存されることになったのです。
④大地のテラス看板
この看板には「当駅より徒歩3分」と書かれていますが、岩見沢駅からも栗沢駅からも歩いて行ける距離ではありません。
公共交通機関もないので、ここに行かれる方は、マイカーやレンタカー、または岩見沢駅からタクシーで行くしか方法はありません。

これはレストランの内部から眺めた711系電車です。
⑤レストラン内部
この店は地元では大人気のレストランで、開店前から行列ができるほどです。
⑥シュラスコ料理
この店の人気メニューは、ブラジルのシュラスコ料理で、ブラジル人のスタッフが各テーブルをまわって肉を取り分けてくれます。


さて、こちらは栗沢~栗丘間の菜の花畑の中を走る岩見沢行列車です。
⑦栗丘~栗沢菜の花畑
昔は蒸気機関車に牽引された何両もの客車が走っていたものですが、今では日中は大抵、一両だけの単行運転です。

そして、こちらは栗丘駅。
⑧栗丘駅
駅名票を見ると、両側に「くり」のつく駅があるのがわかります。
⑨栗丘駅名票
栗丘駅の反対ホームへの跨線橋は閉鎖されており、反対ホームの線路がはがされて、今は使われていません。
⑩栗丘駅ホーム
かつて、複線の線路の上を長大編成の貨物列車が行き交ったことが嘘のようです。

そして、こちらが栗山駅です。
⑪栗山駅
3つの駅の中では一番大きな駅舎があり、駅舎は栗山商工会議所と併設になっていますが、ひっそりと静まり返っていました。
かつて、存在したどっしりとした木造駅舎は面影すら残されていません。

そんな栗山駅に苫小牧行の列車がやって来ました。
⑫栗山到着
桜の花が、まだ少し残っています。

栗山町には、明治11年創業の、北海道では最も古い酒蔵の小林酒造があります。
⑬小林酒造
蔵の中では利き酒もできます。
⑭利き酒

北海道日本ハムファイターズ監督の「栗山英樹・夢は正夢」というお酒もありました。
⑮栗山茂樹夢は正夢
栗山監督は町と同じ名前のご縁で、栗山町内にお住まいだそうです。

小林家の庭です。
⑰小林家の庭
広大な屋敷の中は、有料で見学することもできます。

そして、呑み鉄のお酒はもちろん小林酒造の「北の錦」。
⑱北の錦

これは、昭和49年、まだ蒸気機関車牽引の貨物列車が健在だったころの写真です。
⑲栗山蒸気機関車74-12-19
そして、3駅の入場券です。
⑳入場券
あまりにも長い時間が過ぎてしまいました。
当時の駅舎の写真を撮影していなかったことが残念です。

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  1. 2016/06/19(日) 00:02:18|
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桜咲く宗谷本線・塩狩駅

今週は、北海道の宗谷本線塩狩(しおかり)駅の春をご紹介しましょう。
宗谷本線は旭川~稚内間259・4キロを結ぶ最北の鉄路です。
旭川から北に28・4キロのところに塩狩駅がありますが、そこに向かう列車は塩狩峠の急な坂を登らなければなりません。

北国に遅い春がやって来ました。
峠に挑む列車の窓からは塩狩駅が近づくと数多くの桜を目にすることができます。
①塩狩峠 (530x353)
このあたりの桜が咲くのは例年、5月の中旬前後です。

塩狩駅に停車中の旭川行、上り列車です。
②停車中上り列車 (530x353)
北海道の非電化路線では、今も国鉄時代から使われているキハ40を数多く見ることができます。

これが、塩狩駅です。
③塩狩駅 (530x353)
国鉄末期の昭和61年に無人駅になりましたが、今も昔の木造駅舎が残っています。
そして、駅を中心とした塩狩峠には、1600本もの桜が植えられており「一目千本桜」と呼ばれています。
④一目千本桜 (530x344)
このあたりの桜の多くは、エゾヤマザクラです。
IMG_0226◎エゾヤマザクラ (530x353)
ソメイヨシノよりは色がやや濃く、花が満開となるのと同時に葉が出てくるのが特徴です。


そんな塩狩駅を下り「スーパー宗谷1号」が通過して行きました。
⑤S宗谷1号 (530x353)
札幌~稚内間を5時間5分で結ぶ最速列車です。

続いて、上り快速「なよろ4号」がやって来ました。
⑥なよろ4号 (530x353)
この列車は早朝に稚内を普通列車として発車し、名寄からは快速列車となって旭川に向かいます。
現在、旭川~稚内間を直通する普通(快速)列車は、1往復しかありません。

これは、札幌行の「スーパー宗谷2号」です。
⑦S宗谷2号 (530x353)
現在、宗谷本線には、稚内と札幌を結ぶ特急列車が3往復運転されています。

さて、こちらは駅を見下ろす高台にある、塩狩峠記念館です。
⑧三浦綾子記念館 (530x353)
これは作家の三浦綾子さんが旭川市内で雑貨店を営みながら執筆活動をした家を、代表作『塩狩峠』にちなんで、ここに
移築したものです。

その近くには、明治42年2月28日、汽車の連結器がはずれ、峠を暴走した客車を、自らの命を犠牲にし身を挺して停車させ、乗客を救った鉄道員の、殉職の碑が建っています。
⑨長野政雄殉職碑 (530x353)
この鉄道員は、たまたまこの列車に乗り合わせた鐡道院職員の長野政雄氏という当時30歳の人で、敬虔なキリスト教徒であったといわれます。この史実に基づいて書かれた小説が三浦綾子さんの『塩狩峠』なのです。

峠には、桜のほかにもたくさんの花が咲いていました。
⑩カタクリ (330x220)⑪エゾエンゴサク (330x220)
カタクリと、エゾエンゴサクです。
カタクリの花は、塩狩峠のある和寒町(わっさむちょう)の町花に指定されています。

列車の来ないはずの時間に突然、踏切が鳴り始めました。
どんな列車が来るのかと思ったら、ディ-ゼル機関車のDE15でした。
⑫DE15 (530x353)
この機関車は、冬季に除雪用に使われることが多く、貨物列車が走らなくなったこの区間を夏に走るのは珍しいことだと思います。

桜を愛でながら、この駅で呑んだ酒は旭川の地酒「男山」でした。
⑬男山 (530x353)
すっきりとした呑みやすいお酒で、春風に吹かれ、ウグイスの声を聞きながら、いいお花見ができました。

やがて、旭川行上り普通列車が峠を登ってやって来ます。
⑭上り列車到着 (530x353)

そして、こちらは、名寄行下り普通列車です。
⑮下り列車到着 (530x353)
気持ちのいい春の一日でした。



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  1. 2016/05/29(日) 00:01:34|
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さらば北の無人駅

本日、3月26日、北海道新幹線・新青森~新函館北斗間が開業します。
華々しい新幹線の話題の影で、ひっそりと北の大地にあった8つの小さな無人駅が昨日、廃止されました。
①新聞記事
廃止されたのは、函館本線・鷲ノ巣、石勝線・東追分、十三里(とみさと)、石北本線・上白滝、旧白滝、下白滝、そして根室本線・花咲の各駅です。

これらの駅は、かつて駅周辺にあった集落の大半が廃屋になり、乗客の極端な現象により停車する列車本数も、最後はごくわずかしかありませんでした。
この新聞記事によると、今回廃止された各駅の1日の平均乗車人数は0~1人しかいなかったそうです。

石勝線の十三里駅です。
②冨里
ここはかつて、夕張で採掘された石炭を運ぶ長大編成の貨物列車が走っていたものです。

こちらは石北本線の上白滝駅に到着した上り列車です。
③上白滝到着
この駅に停車する列車は、最後は一日上下1本ずつしかありませんでした。
⑤時刻表④運賃表
この運賃表にある駅のうち3つの駅が廃止されてしまいました。


こちらは山の中にひっそりと佇む金華駅です。
⑥金華駅
この駅は、ほかの廃止された駅と異なり、1日8往復の列車が発着し、そのうちの3本は金華で折り返して北見、網走方面に向かっていました。

国鉄時代の花咲駅と金華駅の入場券です。
⑦花咲金華入場券

そして、こちらは、営業最終日の廃止駅の子供の乗車券を買ってみました。
⑧冨里→東追分
指定券が発券できる券売機では、全国どこの駅の乗車券も発券することができるのです。
⑨旧白滝→下白滝
⑩金華→西留辺蘂

そして、JR北海道は、今回のダイヤ改訂で、普通列車を79本も削減してしまったのです。
北海道は札幌近郊への1点集中が進み、それ以外のエリアは過疎化が進行し、駅前に廃屋が並ぶ沿線も少なくありません。
IMG_20160326_0001 (650x298)
駅や路線を廃止し、あるいは、列車本数を削減すると、過疎化は、益々進行してしまいます。
北海道のJR線は全路線が赤字路線であり、先行きが心配です。これ以上の過疎化を防ぎ、地方の公共交通を守るためには、もはやJR北海道だけの自助努力では限界があり、国や自治体の抜本的な対策が必要と思われます。


  1. 2016/03/26(土) 03:14:48|
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石北本線(その2)

今週は、先週に引き続き、北海道の石北本線をご紹介します。

こちらは、瀬戸瀬~遠軽間を行く、札幌発網走行の特急「オホーツク4号」です。
㉑瀬戸瀬~遠軽オホーツク

同じ列車「オホーツク4号」の後追いです。
㉒瀬戸瀬~遠軽オホーツク後追い (550x367) (550x367
オホーツクに使われている「キハ84形」は、前と後ろでは異なる顔を持っているのが特徴です。

石北本線の中心、遠軽駅です。
この駅で石北本線の列車はすべてスイッチバックをしてそれぞれの方向に向かいます。
㉓遠軽駅舎 (550x367)
堂々たる木造駅舎は、長い歴史を偲ばせてくれます。

駅の裏にそびえる瞰望岩(がんぼういわ)から眺める遠軽駅の俯瞰です。
㉔遠軽駅俯瞰 (550x367)
かつて、この写真の右手方向に向かって、紋別、興部(おこっぺ)、名寄方面に向かう名寄本線が発着していましたが、平成元年にその役目を終えて、日本地図から消えてしまいました。

遠軽を発車した網走行の「オホーツク1号」が遠軽町の中心部を安国方面に走り去って行きます。
㉕遠軽~安国オホーツク俯瞰 (550x367)

こちらは、遠軽から4駅目の金華駅です。
㉖金華ホーム (550x367)
この駅も来年3月に廃止され、信号場に格下げされます。

駅から歩いて5分ほどの位置にある常紋トンネル建設工事の殉職者の慰霊碑です。
㉗常紋トンネル慰霊碑 (550x367)
この線が敷設された大正時代、過酷な条件の中でタコ部屋同然の環境の中で酷使された労働者たち、が大勢亡くなりました。
中には人柱という迷信により、トンネルの中に生き埋めにされた犠牲者もいて、昔から国鉄職員の間では、夜になるとトンネル付近に幽霊が出ることで有名でした。
実際に、トンネルの壁面から多数の人骨が発見されたそうです。
そのため、慰霊祭が行われ、のちにここに慰霊碑が建立されたのです。

廃屋と廃車が並ぶ、金華の駅前通りです。
㉘金華駅への道 (550x367)
今はこのあたりの何軒の家に人が住んでいるのでしょうか。

熊出没注意の貼り紙がある寂しい駅で、呑み鉄をしました。
この前日はレンタカーでの移動だったので、お酒は呑めませんでしたが、この日は朝から呑み鉄です。
㉙金華で呑み鉄 (550x367)
このあたりは地酒がなく、この日のお酒は新十津川の地酒「北の微笑」でした。

金華~網走間のサボ(行先表示板)です。
㉚金華-網走サボ (550x367)
現在は金華で折り返しの網走方面に向かう普通列車が3本あるのですが、これらは区間短縮になったり廃止されたりするようです。

すべての特急列車が停車する留辺蘂(るべしべ)駅です。
㉛留辺蘂駅ホーム (550x367)
この時はまだ有人駅だったのですが、間もなく無人化されるとのことでした。

北見駅で発車を待つ旭川行の特別快速「きたみ」です。
㉜北見駅快速きたみ (550x367)
一両だけのキハ54が北見~旭川間を1日1往復走ります。

途中駅では沿線唯一の市の代表駅である北見駅です。
㉝北見駅舎 (550x367)
かつてこの駅から国鉄池北線(昭和36年までは網走本線)から転換された、ちほく高原鉄道が北見から池田までを結んでいましたが、平成18年に姿を消しました。

こちらは有人駅の美幌駅です。
㊲美幌駅ホーム (550x367)
ここからも阿寒湖の玄関口にあたる北見相生までの相生線が発着していましたが、こちらも昭和60年に廃止されています。


美幌~西女満別間を行く網走行「オホーツク1号」です。
㉞西女満別~美幌 (550x367)
このあたりは原生林が続きます。

そんな原生林の中にひっそりとある駅が西女満別です。
㉟西女満別駅 (550x367)
で実は、この駅から歩いて20分ほどの位置に女満別空港があります。
けれど、おおよそ空港連絡駅の雰囲気ではなく、駅に一切、空港への案内はありません。
この駅を利用して空港まで行く人は、よほど物好きな人しかいないでしょう(笑)
㊱女満別空港 (550x367)
女満別空港に羽田からのAIR DO機が到着しました。
この空港からは東京・羽田空港へ6便、札幌へは7便が発着しており、JRを圧倒しています。

大きな蕗の葉に囲まれた呼人駅の駅名票です。
㊳呼人駅名票 (550x367)
ここまで来ると網走はもうすぐです。

特急「オホーツク」が停車中の網走駅です。
㊴網走駅ホーム (550x367)
網走からは釧路に向かう釧網本線に乗り継ぐことができます。
かつては、サロマ湖半を通って名寄本線の中湧別までを結ぶ湧網線が発着していましたが、国鉄民営化直前の昭和62年3月に姿を消しました。

網走駅には、かつての木造駅舎に掲げられていた木製の手書きの看板だけが、今も残されています。
㊵網走駅 (550x367)

これは呼人~網走間の網走湖付近を行く昭和49年の貨物列車です。
㊶呼人SL49年 (550x364)
そして、同じ年、網走駅に着いた札幌発の夜行急行「大雪5号」です。
㊷網走大雪5号C56 (550x389)
この時、北見~網走間だけ蒸気機関車C56が牽引していました。
けれども、その翌年、石北本線の蒸気機関車は全廃されました。

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  1. 2015/12/20(日) 00:01:30|
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石北本線(その1)

今週から2回にわたって、北海道の新旭川~網走間234キロを結ぶ石北(せきほく)本線をご紹介します。
石北本線は、大正元年に野付牛(現北見)~網走間が網走線として開通したのを皮切りに、大正4年には遠軽まで開通。新旭川からは大正11年に愛別まで、翌年上川までと順次開通し、昭和7年に全通しました。
かつて、北見~網走間は、廃止された池北線・池田~北見間とともに網走本線と呼ばれていましたが、昭和36年に、新旭川~遠軽~北見~網走間の全線が石北本線と呼ばれるようになったという歴史があります。

今年、6月と9月に石北本線を取材し、9月には旭川から遠軽までレンタカーを借りて途中の廃止駅跡や、間もなく廃止になる小駅を訪れました。

さて、この線起点は新旭川ですが、下り列車はすべて旭川から宗谷本線を経由して乗り入れており、特急列車はすべて新旭川を通過します。

こちらは、愛別~中愛別間を行く上川行の普通列車です。
①愛別~中愛別
本線とはいえ、この線の普通列車は大半がたった一両の気動車で運行されています。

こちらは、愛山~安足間間です。
②愛山~安足間
安足間と書いて「あんたろま」と読みます。
③安足間駅
かつては木造駅舎でしたが、今では、このような簡易駅舎の駅が多くなっています。

最初の主要駅の上川です。この駅には4本の特急「オホーツク」が停車します。
旭川から上川までは一日8本の普通列車と1本の快速列車が運転されていますが、この先は極端に運転本数が減り、上川~白滝間は、わずかに普通列車1本と快速列車1本が走るのみの超閑散路線になります。
④上川駅
停車中の列車は、その1日たった1本だけの普通列車、上川発網走行です。
この列車に乗ろうと思うと、発車が早朝6時16分のため、上川に泊まらなければなりません。

上川から隣の駅の上白滝までは34キロも離れており、途中には、中越、上越、奥白滝と3カ所の信号場があり、反対列車との交換ができるようになっています。しかし、これらの信号場はかつては、すべて駅でしたが、周辺に住む人がいなくなったため、すべて駅としての営業を廃止し、信号場に格下げになったのです。

そして、もう一駅、上川の次に天幕という駅がありました。
けれども、この駅は平成13年7月1日に廃止され、これまでに交換設備も撤去されてしまったため、信号場になることもありませんでした。
⑤天幕駅跡
今では、駅舎のあった場所に、記念碑が寂しく建っているのみです。
この場所は道路から離れているため、探すのは容易ではありませんでした。

続いて中越信号場です。ここには、木造駅舎が今も残されています。
⑥中越駅跡
ここも駅としての営業は、天幕駅が廃止された平成13年に終えています。

そして、上越(かみこし)信号場です。こちらは他の信号場より早く昭和50年に駅としての営業を廃止しています。
ここは、非常にわかりにくい深い山の中にあるため、場所を探すのに苦労しました。
⑦上越駅跡
ここは、石狩と北見との国境の峠に位置し、海抜は634メートルあります。
⑧上越で交換
上越で、ちょうど北見行の特別快速「きたみ」と札幌行きの特急「オホーツク6号」が交換して行きました。

ここは、奥白滝信号場です。
⑨奥白滝駅跡
かつて駅員さんが立っていた改札口が今も残されていますが、ここも平成13年に廃駅となりました。

そして、ようやく、上川の次の駅、上白滝に着きました。
⑩上白滝駅
といっても、この駅に停車する列車はご覧の通り、一日一本しかありません。
⑪一日1本の時刻表
意外なことに駅の周辺には何軒かの民家があり、人の住んでいる気配がありました。
でも、一日一本では日常生活で列車を利用したくても無理というものでしょう。

私は、この駅前にレンタカーを駐車し、夕方の上川行の上り列車に乗って上川で1泊した後、翌朝、再び一本しか停車しない下り列車で上白滝駅に戻ったのです。
⑫上白滝到着
そして、この上白滝と、2つ目の旧白滝、3つ目の下白滝の各駅は来年3月のダイヤ改訂で廃駅になることが決まっています。

この区間の各駅を昭和51年に訪れた時の入場券です。
㉑-2入場券
この時点で、この区間には1日5往復の普通列車、夜行1本を含む急行4往復、特急2往復が走っており、石北本線の大半の駅には駅員さんが勤務していました。

これは白滝駅です。
4本の特急のうち2本が停車し、あたりにはちょっとした街並みがありますが、駅の周りは閑散としていました。
⑬白滝駅
この駅だけは今のところ、廃止されることはなさそうです。

そして、こちらは旧白滝駅です。
⑭旧白滝駅
国鉄時代は仮乗降場でしたが、民営化後に駅に昇格しました。
⑮旧白滝の廃屋
けれども、今は駅前は廃屋が並ぶばかりで、この駅も3月の廃止が決まっています。

こちらも廃止が決まっている下白滝駅です。
⑯下白滝駅
昭和4年の開通時からの駅舎が健在なのに、廃駅になるのはとても残念です。

駅前にある牧場の牛たちが、一斉にこちらを見ていました。
⑰下白滝の牛

下白滝~丸瀬布(まるせっぷ)間を行く普通列車です。
⑱下白滝~丸瀬布
この線の普通列車は、国鉄時代から使われているキハ40が主に使われていますが、かなり老朽化が進んでおり、故障で立ち往生することもしばしば起きているそうです。
新車を投入する余力のないJR北海道では、特に老朽化の著しい車両を廃車とし、利用者の少ない列車の運転本数を3月に大幅に削減することを発表しています。
北海道のローカル線はどうなってしまうのかと、とても心配です。

同じく、下白滝~丸瀬布間を行く特急「オホーツク」です。
⑲下白滝~丸瀬布オホーツク
特急列車はすべて4両編成で運転されていますが、決して乗車率は高くはありません。

丸瀬布駅です。
⑳丸瀬布駅
この駅には上下3本ずつの特急列車が停車します。

そして、以前にもご紹介しましたが、丸瀬布駅から9キロほど山の中に入ったところにある「いこいの森」を走る保存鉄道「雨宮21号」です。
IMG_8947.jpg
かつて、木材を運搬するため、このあたりには長大な森林鉄道が敷設されていました。

この続きの石北本線は、来週、改めてご紹介しましょう。

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  1. 2015/12/13(日) 00:01:21|
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札沼線の終着駅・新十津川

今週は、北海道の札沼線の終点、新十津川駅をご紹介しましょう。
札沼線は札幌駅の一駅小樽寄りにある桑園(そうえん)を起点に新十津川までを結ぶ76・5キロのローカル線です。
起点は桑園ですが、列車はすべて札幌始発で運転されています。
今では桑園~北海道医療大学間が電化され、札幌からの電車が頻繁に走る通勤通学路線となっています。
しかしながら、その先の非電化区間を走る列車は極端に少なく、末端区間の浦臼~新十津川間は一日、わずか3往復しかありません。

秋の日の新十津川駅に停車する渡島当別行の朝の列車です。
①コスモスと列車
美しいコスモスの花に囲まれていました。

そして、朝の列車は、毎日、駅の近くの保育園のこどもたちが出迎えに来てくれるのです。
②こどもたち◎
そろいの赤い法被を着て、こんなかわいい絵葉書を、降りてくる客に配っていました。
子供絵葉書
これは、もう1年以上前から続いており、この駅の名物になっています。

これが新十津川の駅舎です。
③駅舎
いつ訪れても変わることはありません。

発車を待つ列車です。森の中にひっそりとある駅に見えますが、実は町役場も近い町の中にあります。
④発車を待つ
けれども、この駅に発着する列車は一日わずか3本往復しかありません。
IMG_1608.jpg
しかも、すべて途中駅の渡島当別止まりで、札幌まで行くには乗り換えなければなりません。
それというのも、石狩川を隔てて函館本線の滝川駅まではバスで10分ほどの距離しかなく、札幌に行くには札沼線で行くより函館本線の特急で行った方がずっと便利なのです。

新十津川の地酒「金滴」です。
⑤駅名票と金滴
駅から歩いて20分ほどの場所にある金滴酒造を訪ねました。
⑥金滴酒造
⑦酒樽
石狩川のすぐ近くにこの酒蔵はあります。

そして、これは昭和60年、国鉄末期の冬に訪れた新十津川駅です。
⑧S60-2駅舎
このころはこの駅には駅員さんがいて、札幌行の列車が一日に6本発車していました。
札幌を発車する札沼線の列車は、現在は57本もあるのに、当時は13本しかありませんでした。
そのうちの6本が新十津川まで運転されていたのです。
⑨夜発車待ち
寒い夜でした。
⑩S60駅名票
国鉄時代の駅名票です。当時は「しんとつがわ」でしたが、民営化後の平成9年に「しんとつかわ」に読み方が変更になりました。
このあたりは、開拓時代に奈良県の十津川村出身の人が多いので、この名がついたそうです。

⑪入場券
国鉄時代には硬券入場券も売っていました。
かつて、この駅からから留萌本線の石狩沼田まで34・9キロ線路がつながっていましたが、昭和47年に廃止されてしまいました。

そして、JR北海道は札沼線の末端区間、浦臼~新十津川間13・8キロの運転本数を、平成28年3月のダイヤ改訂から、現在の3往復を、たった1往復に削減することを明らかにしました。浦臼からは石狩月形や石狩当別へ通う客はいるのですが、新十津川まで来る客は鉄道ファン以外は限りなくゼロに近いのです。
とても残念なことですが、まだ廃止にならないことが不思議だと思います。
あの保育園のこどもたちを悲しませないように、朝の列車だけが残るのでしょうか。

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  1. 2015/10/25(日) 01:10:19|
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丸瀬布いこいの森・森林鉄道「雨宮21号」

今週は、北海道の丸瀬布(まるせっぷ)いこいの森にある森林鉄道「雨宮21号」をご紹介します。
旭川と網走の中間に位置する丸瀬布は深い山の中にあり、開拓時代より林業が盛んでした。
石北本線の丸瀬布駅から9キロほど離れた山の中に、丸瀬布森林公園いこいの森があります。
①出発進行
雨宮21号の甲高い汽笛が、山あいに響きます。「雨宮」の名前は東京にある雨宮製作所が製造したことによるそうです。

ここは、かつて、このあたりで伐採された木材を国鉄丸瀬布駅まで運搬するため、武利意(むりい)森林鉄道が走っていました。
②昭和初期森林鉄道
これは、郷土博物館の中にある昭和初期の森林鉄道の写真です。この鉄道が最初に開通したのは、昭和3年のことで、最盛期には全長84キロもの線路が敷設されていたそうです。以後、昭和33年までは蒸気機関車が運行され、昭和37年に全線が廃線になるまでの34年間、木材と地域の人々を運び続けていました。

それまでは、木材はこのように馬車によって運ばれていました。
③馬で木材輸送

こちらは、大正2年に建造された家の内部です。
④大正2年の建物内部
百年以上も前の開拓時代、この厳寒の土地で暮らすのは、さぞ、大変だったことでしょう。

駅で発車を待つ雨宮21号です。
⑤駅
北海道遺産と近代化産業遺産に指定されています。

客車には、こんなサボ(行先表示板)が付けられています。
⑥サボ
これは、当時使われていたサボのレプリカでしょう。

駅を発車すると、ほどなく小さな鉄橋を渡ります。
牽引している客車は長野県の木曽森林鉄道で使われていた車両です。
⑦鉄橋
線路の全長2キロ、その一部は往年の森林鉄道の線路がそのまま使われています。
園内をぐるりと一周するように8の字型の路線を12分間かけてゆっくりと走っています。

⑧森の中を行くこんな森の中を列車は走ります。

森の中には、こんなキノコがはえていました。
⑨キノコ

そして、園内には、国鉄で使われていた旧型客車「スハ43」の姿もありました。
⑩スハ43

これは、雨宮21号の車庫です。
⑪車庫
いかにも北海道らしい緑色のトタン屋根に、煙突が見えます。

こちらは、この日は運転されていなかった岡山県の井笠鉄道の客車です。
⑫井笠鐵道
遠い岡山県から来た小さな客車が、北の大地で余生を過ごしています。

気持ちのいい森の中を小さな汽車が、しゅっぽしゅっぽと走ります。
⑬走行中
⑭縦位置走行中
あまりに面白いので、私は2回も乗ってしまいました。
⑮切符
雨宮21号は毎年、4月の連休から10月中旬まで、土日休日と夏休みなどに朝10時から30~60分おきに運転されています。

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  1. 2015/10/04(日) 00:00:11|
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石北本線・遠軽駅

今週は、昭和時代の色が濃く残る、北海道の石北本線遠軽駅をご紹介します。この駅は新旭川と網走を結ぶ石北本線の途中にある主要駅ですが、現在では全列車がこの駅でスイッチバックして進行方向が変わる構造になっています。
②ホーム
この駅がスイッチバックになったのは、地形によるものではなく、この駅の開業時のちょっと複雑な事情によるものです。遠軽駅が開業したのは大正4年、野付牛(現在の北見)から留辺蘂を経て延びてきた湧別軽便線が、オホーツク海沿岸の湧別を目指して途中の開盛まで延伸した時でした。この時、まだ、旭川方面からの石北本線は開通しておらず、湧別方面へまっすぐ進む形の線形が出来上がったのです。その後、遠軽からスイッチバックする形で丸瀬布まで開通したのはそれから12年後の昭和2年でした。その先、さらに昭和7年に旭川方面からの線路がつながり、石北線が全通。のちに新旭川~網走の現在の石北本線となったのでした。一方、遠軽からまっすぐに開盛まで伸びた線路は、その後、大正10年に中湧別、紋別、興部、下川などを経て、名寄に至る名寄本線となりました。札幌方面からの急行列車も遠軽からまっすぐに乗り入れてた名寄本線ですが、時代の流れと共に年々利用者が減少し、国鉄民営化後の平成元年に廃止されてしまったのです。
その結果,まっすぐに進む名寄本線が消滅し、あとからスイッチバックする形で建設された石北本線だけが残ったため、現在のような線形となったのでした。
①遠軽駅舎
堂々たる三角屋根の駅舎は、今も色濃く国鉄時代の雰囲気を残しています。

古びた跨線橋の階段は木製です。
③階段
いったい何人の人が、これまでにこの橋を渡って列車に乗ったのでしょうか。

そして、駅構内には、使われなくなったターンテーブルが今も残されています。
④ターンテーブル
かつて、遠軽は石北本線と名寄本線とが分岐する鉄道の要衝として栄え、広い構内には多くの蒸気機関車の姿がありました。
でも、今ではターンテーブルは錆びつき、周囲の線路もはがされて、あたりは夏草に覆われています。

線路のその先は、廃止から26年が経過した名寄本線の廃線跡が、今も残されています。
⑤名寄本線跡
今にも、紋別方面からの列車がやって来そうな気がしました。

また、この駅の広報には、高さ70メートルの瞰望岩(がんぼういわ)と呼ばれる巨岩がそびえたっています。
⑥瞰望岩
この岩は遠軽のシンボルとなっており、簡単に上まで登ることができます。瞰望岩の麓は遠軽公園になっていて、そこにはかつて石北本線などで活躍したD51型蒸気機関車や、キ100形と呼ばれる除雪車が静態保存されています。
⑦D51
このデゴイチは、昭和18年に広島で製作され、昭和23年に山陽本線から石北本線に転属されて47年まで走り続けた機関車です。

瞰望岩から眺める大俯瞰です。
⑧大俯瞰1
旭川方面からの線路を札幌発の「オホーツク1号」がやってきました。

この陸橋と踏切を過ぎたところで、網走方面からの線路と合流し、遠軽駅構内に入ります。
⑨大俯瞰2

遠軽駅に停車中の「オホーツク」です。
⑩大俯瞰3
駅構内には、二両の普通列車が留置され、青い屋根の駅舎と跨線橋を眺めることができます。まるで、ジオラマを眺めているみたいですね。

やがて、列車は網走方面に向かって発車して行きました。
⑪大俯瞰4

これは、今と昔の遠軽のきっぷです。
⑫切符
国鉄時代も何度もこの駅を利用したのに、写真を撮っていなかったことが残念でなりません。

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  1. 2015/08/30(日) 00:01:46|
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根室本線(釧路~根室)、昔の風景

先週に引き続き、北海道の東の果てを走る根室本線の釧路~根室間をご紹介します。
今週は、国鉄時代の昭和49年に初めて訪れた時から平成12年までに訪れた3回の旅を振り返ります。

まずは、昭和49年3月の、釧路~東釧路間にある釧路川橋梁です。この年は寒い年で、普段はあまり釧路まではやって来ない流氷が、太平洋側にも押し寄せて、釧路川をさかのぼってきました。
B S49釧路川ノサップ
寒い朝、最初にやって来たのは、根室行急行「ノサップ1号」でした。

続いて普通列車がやって来ます。
A S49釧路川SL
この時、C58が牽引する客車列車が、ごく普通に走っていたのです。

別保(べっぽ)付近を力走する貨物列車です。
C別保貨物列車
貨物を牽引するのも蒸気機関車でした。

小雪の舞う中を、門静(もんしず)駅に、上り釧路行の普通列車がやって来ます。
D門静旅客列車
なんともいえないモノトーンの世界が広がっていました。

こちらは浜中付近を行く貨物列車です。
E浜中貨物SL
この時代、このあたりでは山の中に汽車の汽笛が響き、駅では石炭のにおいが漂っているのが普通でした。

時代は進み、国鉄民営化直前、昭和61年7月の厚床(あっとこ)駅です。
I厚床駅
厚床からは標津線が分岐していましたが、その3年後の平成元年に廃止されてしまいました。かつては、急行が停車し、駅弁も売っていたものですが、今ではこの駅舎も建て替えられ、ひっそりとした無人駅になっています。

落石駅です。この駅舎も今は建て替えられています。
H落石駅
この時は全国のどこのローカル線でも見られた赤い気動車が二両編成で走っていました。

これが、終着の根室駅です。
FS61根室駅
この駅舎は今も健在で、駅構内の佇まいは今も昔も変わりません。

根室駅の全景です。
G根室駅俯瞰
この時は、構内にすでに使われなくなった旧型客車が留置されていました。


時はさらに流れ、平成12年の門静駅です。
J門静駅
この時はまだ、木造駅舎が残っていましたが、現在は簡素な駅舎に建て替えられています。

茶内駅での列車交換です。
K茶内交換
この駅は今でも列車交換が行われています。

線路脇にいたエゾジカです。
Lエゾジカ
北海道ではしばしば線路に鹿が出没し、列車が急停車したり、警笛で追い払うことがあります。現在はその数が大幅に増えており、列車との衝突事故も起きているようです。

西和田駅は貨車駅になっていました。
M西和田
この時代、木造駅舎がどんどん貨車駅に交換されていました。

日本最東端の駅、東根室です。
N東根室
線路の敷設位置の関係で、終点の根室ではなく、一駅手前の東根室が最東端の駅なのです。

流氷に包まれた根室港です。
O流氷の根室港
隠岐には、未だ帰らぬ北方領土の国後島がくっきりと見えていました。

昭和50年前後のこの区間の全有人駅の入場券です。
Pきっぷ
自動販売機はなく、昔懐かしい硬券ばかりでした。
Qきっぷ

当時、ほとんどの駅が有人駅だったことが驚きですが、現在では駅員がいるのは、釧路と根室のほか、途中駅では厚岸だけになってしまいました。

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  1. 2015/07/26(日) 00:02:50|
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根室本線(花咲線)の旅

今週は、北海道の根室本線のうち、釧路~根室間をご紹介します。
根室本線は、滝川と根室とを結ぶ443.8キロの長大な路線ですが、そのうち、日本最東端を行く釧路~根室間135.4キロには、花咲線という愛称がつけられています。本線とはいえ、釧路~厚岸(あっけし)間は一日下り10本、上り11本、厚岸~根室間は下り7本、上り8本が走っているに過ぎません。大半が一両編成の普通列車ですが、一日二往復だけ快速列車が運転されています。

これは尾幌(おぼろ)~門静(もんしず)間の平原を走る普通列車です。
①尾幌~門静
夏は緑の平原が続きます。

こちらは、門静~厚岸間の海岸線を走ります。
④門静~厚岸

この線の駅の多くは、昔の木造駅舎に代わって建て替えられた簡素駅舎か、使われなくなった貨物列車の車掌車を改造した貨車駅です。そのほとんどは、今は無人駅になっています。

これは別保(べっぽ)駅。
①別保駅

こちらは、貨車駅の尾幌駅。
②尾幌駅

そして、これは門静駅。
③門静駅

それに、糸魚沢(いといざわ)駅です。
⑦糸魚沢駅
いずれも国鉄時代にあった木造駅舎に代わる駅舎です。

厚岸駅を発車した根室行普通列車です。
⑤厚岸駅発車
厚岸は沿線最大の町で、途中駅では唯一の有人駅です。

厚岸の名物は牡蠣、そして、駅弁はもちろん「かきめし」です。
⑪かきめし
駅前の売店で売っていますが、予め電話で予約すると、乗車する列車のホームまで届けてくれるそうです。

そして、この線で飲む酒は、根室の地酒「北の勝」。
⑫北の勝
日本最東端の地酒です。

こちらは厚岸~糸魚沢間の別寒辺牛湿原を行く根室行下り普通列車です。
⑥厚岸~糸魚沢1
このあたりは、広大な湿地帯を走ります。
⑦厚岸~糸魚沢2
冬になると白鳥やが訪れます。

茶内(ちゃない)で反対列車と交換します。
⑧茶内駅ホーム

うれしいことに、この駅は国鉄時代の駅舎が残されていました。
⑨茶内駅
駅前にルパン三世が立っているのは、このアニメの作者のモンキーパンチさんが、このあたりの出身だからです。

こちらは厚床駅です。
⑩厚床駅
かつて、厚床からは別海を経て中標津を結ぶ国鉄標津線が分岐していましたが、平成元年に廃止されてしまいました。
駅前に停車しているのは、標津線の代行バスですが、乗客の姿はありませんでした。

線路はさらに根室半島の原生林の中を抜け、根室まで続いています。

なお、来週は、同じ、根室本線・釧路~根室間の、国鉄時代からJ民営化後の平成12年にかけてのようすをご紹介します。

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  1. 2015/07/19(日) 00:01:41|
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初夏の留萌本線

今週は、北海道北部の深川~増毛(ましけ)間66.8キロを結ぶ留萌本線の、初夏の旅にご案内しましょう。
留萌本線は、函館本線の深川駅から分岐しています。
①深川駅
本線とは名ばかりで、線内を走る優等列車は一本もなく、深川~留萌間は8往復、終点の増毛までは6往復の普通列車しかありません。しかも、普段はたった一両の気動車が行き交っているばかりの鄙びたローカル線です。

これは、深川を出て最初の駅、北一已です。
②北一已駅
駅前にある印象的な木は「イチイ」の木です。この地方では「オンコ」とも呼ばれています。
③北一已駅名票これで、「きたいちやん」と読みます。

北一已駅に増毛行の列車がやって来ました。
④北一已到着
あたりは広大な大地です。

これは、北秩父別駅です。
⑤北秩父別駅
ホームに小さな待合室があるだけの小さな駅です。

そして、こちらは石狩沼田駅。
⑥石狩沼田
かつて、石狩沼田には、札幌の一駅西にある桑園(そうえん)からの札沼線が通じていました。けれども、利用者が少なく、昭和47年に新十津川~石狩沼田間の札沼線は廃止されてしまいました。

これは、「明日萌駅」。本当は恵比島駅というのですが、平成11年に放送されたNHKの朝の連続テレビ小説「すずらん」の舞台となった「明日萌駅」のロケ地として、この木造駅舎が建造され、放送が終わってから16年が過ぎた今も、そのまま残されているのです。
⑦明日萠駅

「駅舎」の中にはドラマの主人公「萌」の人形が置かれており、室内の広告も昭和初期を想定した架空のものばかりです。
⑧明日萠駅内部

恵比島駅付近の線路際に咲く可憐な花たちです。
⑨線路端の花
この踏切は閉鎖されていました。

次の増毛行の列車がやって来ました。
⑩恵比島付近
このあたりは深い山の中で、恵比島を出た列車は峠を登って行きます。

列車の中で食べたのは深川駅の駅弁「すずらん番屋めし」でした。
⑪深川駅弁
鰊や数の子の海の幸と、アスパラガスやキノコご飯の山の幸が入っていました。

峠を越えたところにあるその名も峠下駅です。
㉓峠下交換 (640x427)
この駅は、深川~留萌間で唯一、列車交換が可能な駅です。

そして、こちらは、現在の留萌本線で唯一の有人駅、留萌(るもい)です。
かつて留萌駅からは日本海沿いに宗谷本線の幌延までを結んでいた羽幌線が接続していましたが、昭和61年に廃止されています。
㉑留萌駅 (640x418)
留萌市は、このあたりの中心都市ですが、人口はわずかに23000人弱。駅前通りもひっそりとしていました。

こちらは留萌の海岸に咲くハマナスの花です。
㉒留萌の海岸はまなす (640x427)
ハマナスは、毎年6月になると北海道の海岸沿いでは濃いピンクの花を咲かせます。

礼受(れうけ)駅です。
⑲礼受駅
かつては木造駅舎がありましたが、今は使われなくなった貨物列車の車掌車を改造した貨車駅です。

礼受付近を行く夕方の深川行の列車です。留萌~増毛間は、列車は日本海沿いに進みます。
⑳礼受付近
線路際に立っている白い植物はエゾニュウです。

そして、こちらは箸別(はしべつ)~増毛間を行く列車です。
⑫箸別~増毛
増毛が近づくと、右手に増毛港を眺めながら進みます。

終点の増毛駅に着きました。屋根のないホームが一本あるだけの小さな終着駅です。
⑬増毛車止め
車止めが、その先にはもう線路がないことを示しています。

こちらが増毛駅の駅舎です。
⑭増毛駅舎
無人駅ですが、夏場は小さな売店と喫茶室になっています。

駅前にはこんな古風な木造の旅館が残っていました。
⑮増毛駅前旅館
でも、消防法の関係で、今は旅館として営業することができず、家人だけがお住まいだそうです。

そして、こちらは駅からほど近い所にある国稀酒造です。
⑯國稀酒造
ここは、日本最北の酒蔵として知られています。

中を訪ね、車で来ていないと言うと、16種類ものお酒の利き酒をさせてもらえました。
⑰國稀利き酒
かなり酔っぱらいましたが、帰りの列車の中でも呑み鉄をしたことは言うまでもありません。
⑱増毛呑み鉄
㉔留萌駅スタンプ (280x278)㉕増毛町スタンプ (279x280)




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  1. 2015/06/07(日) 00:01:43|
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札幌市電を訪ねて

今週は北の都、札幌市内を走る路面電車をご紹介しましょう。
札幌市交通局が運行する札幌市電は、札幌市の中心部大通に近い、西4丁目から、すすきのを結ぶ、全長8.5キロの路線です。けれども、このふたつの停留所の間が8.5キロ離れているわけではなく、実はたった400メートルしか離れていないのです。
西4丁目を出た電車は、西に向かって西15丁目まで走り、そこで南に向きを変えて、藻岩山に近い電車事業所前で今度は東に向きを変え。さらに幌南小学校前で今度は北に向かって終点のすすきのに向かって走ります。つまり、ほぼ、ぐるりと一周し、西4丁目から直線距離で400メートルしか離れていないすすきのまでを結んでいるのです。
1西4
これが、一方の終点の西4丁目で発車を待つ電車です。

さまざまな、カラフルな色の電車が走っています。
2西4-西8
3西4-西8
ここは西4丁目~西8丁目間です。

そして、こちらは電車事業所前付近です。
4電車事業所前
ここで、線路は東に向きを変えます。

電車車両センターの車庫で電車たちが休んでいます。
5電車車両センター車庫

そして、こちらは冬になると雪掻きをする「ササラ電車」です。
6ササラ電車
大正時代の開業時から、竹の箒のような物で雪掻きをするという方法が受け継がれています。

東屯田通付近で、平成25年にデビューしたばかりの新型車とすれ違いました。
7低床車ポラリス
これはポラリスという愛称がつけられた低床車両です。

そして、こちらがもう一方の終点のすすきのです。
8すすきの
永年、このようなC字型の経路で運転されていた札幌市電ですが、現在、西4丁目~すすきの間をつないで、環状線にするための工事が行われています。
9延伸
完成は今年の秋ごろになる見込みです。
そして、将来的には札幌駅や、苗穂、桑園方面への延伸も計画されています。どこまで、路面電車の軌道が延びるか、今から楽しみですね。

市電を降りた後は、すすきののラーメン横丁に行って腹ごしらえをしました。
10ラーメン横丁
11ラーメン
札幌ラーメンというと、私は味噌ラーメン(手前)が好きです。



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  1. 2015/04/26(日) 00:00:39|
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小樽市総合博物館

今週は、北海道の小樽市総合博物館をご紹介します。
この博物館は、旧国鉄手宮駅跡にあった小樽市交通記念館と、小樽市青少年科学技術館を平成19年に統合した博物館ですが、本館の主要な展示物は、北海道などの鉄道に関する物が大多数を占めています。
1外観
これが、博物館本館の入口です。

入るとすぐに、「しずか号」が展示されています。その後ろにあるのは、「い1」という明治25年製の1等客車です。
2シズカ7106号
「しずか号」は、明治13年にアメリカから輸入され、北海道初の鉄道として走った蒸気機関車で、鉄道記念物に指定されています。

こちらは同時期に輸入された「弁慶号」の模型です。
3弁慶模型
なお、相方ともいうべき「義経号」は今年閉館になった大阪の交通科学博物館に保存されていましたが、京都の梅小路蒸気機関車館に移転されています。

屋外にもたくさんの車両が展示されています。
4外の車両群
ここは、元々、廃線になった国鉄手宮線の手宮駅構内だったところです。幌内などの炭鉱から積み出された石炭が、手宮港から各地へと輸送されていたのです。
5アイアンホース
左の煉瓦造りの建物は、明治18年に建造された手宮機関庫で国の需要文化財に指定されています。
そして、転車台の上に乗っているのは1909(明治42)年アメリカ製の蒸気機関車アイアンホース号で、かつて、中米グアテマラで砂糖キビ列車を牽引していた機関車です。平成5年に海を越えて小樽にやってきました。

北海道ならではの雪掻き車です。
6キ601
これは、キ601というアメリカ製のロータリー式除雪車で、大正12年に造られたものです。

そして、こちらはキ752(左)と、キ718です。
7キ752、キ718
いずれも、昭和初期の除雪用の貨車です。


こちらは、「キハ03」という昭和31年製の小型レールバスです。
8キハ03
北海道のローカル線用に寒冷地仕様で開発されましたが、定員が少なく、故障が多かったので、稼働した期間は短かったそうです。

そして、これは昭和34年製のキハ22です。
9キハ22
北海道内の各地のローカル線で見られたものです。

そして、これは特急北海などにに使用されたキハ82(昭和36年)と、宗谷本線などで活躍したC55蒸気機関車(昭和12年)です。
10C55とキハ82
このC55 50号機は、昭和49年3月に、宗谷本線の塩狩付近で撮影したことがあります。
11C5550.jpg
これが、その時の写真です。あれから、すでに40年以上の年月が過ぎてしまいました。

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  1. 2014/12/07(日) 00:02:11|
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函館本線・蘭島駅

今週は、北海道の函館本線・蘭島駅をご紹介します。この駅は小樽から2駅目の海に近い場所にある小さな民間委託駅です。
1_20140708214614102.jpg
函館本線は、函館から長万部、小樽、札幌を経て旭川までを結ぶ幹線鉄道です。けれども、現在では函館と札幌を結ぶ特急列車は長万部から室蘭本線、千歳線を経由して運転されています。
小樽~札幌間は札幌近郊の都市間輸送を担っているため、多くの列車が運転されていますが、長万部~小樽間(通称・山線)は、現在では普通列車のみしか運転されておらず、この区間を直通できる列車は一日わずか6往復しかありません。かつて、この区間に特急「北海」、急行「ニセコ」「宗谷」が運転されていたのは、今は昔のことです。

朝の上り二番列車の然別行きがやってきましたが、駅には人の姿がありません。
2_20140708214616f5b.jpg
かつて、長大編成の列車が発着していた長いホームが、幹線の駅であったことの名残です。

蘭島~余市間の果樹園の近くを行く、札幌行きの「ニセコライナー」です。
3_20140708214618379.jpg
このあたりはぶどうやりんご、さくらんぼなどの果実の栽培が盛んで、ワイン造りで有名な余市は隣の駅です。

駅から3分も歩くと、美しい海岸に出ることができます。
4_20140708214620399.jpg
北海道の短い夏、この海岸は大勢の海水浴客で賑わいます。

トンネルを抜け、小樽行の列車がやってきました。
5_20140708214622ddc.jpg
この区間を行く列車の大部分は小樽止まりです。小樽までは17分の道のりです。

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  1. 2014/08/17(日) 00:03:18|
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三笠鉄道村と旧国鉄幌内線

今週は北海道の中央部・三笠市にある三笠鉄道村をご紹介しましょう。

ここは、元々、国鉄幌内線の三笠駅と幌内駅およびその廃線跡にある広大な鉄道博物館です。
この線は幌内炭鉱から採れる石炭を小樽港まで運んで、全国に輸送するために、幌内鐵道として敷設されました。最初の開業は明治15年で、北海道で最初に開通した鉄道です。明治15年というと、新橋~横浜間に陸蒸気が初めて走ってからわずか10年後、東海道本線が全通する7年も前だったのですから、当時、いかに幌内の石炭が重要視されていたかがわかります。

幌内線は岩見沢~幾春別間18.1キロ、および、途中の三笠(旧駅名・幌内太)から分岐して幌内までの2.7キロ路線として、長年にわたって日本のエネルギーを支える活躍をしました。

けれども、石炭産業の斜陽化とモータリゼーションの発達により、昭和62年に百年以上に及ぶ栄光の歴史に幕を攀じたのです。

三笠鉄道村は、三笠駅跡周辺の三笠ゾーンと、幌内駅跡周辺の幌内ゾーンに分かれています。
これは旧三笠駅跡に佇むDD51などの保存車両です。
①旧三笠駅D51
このホームや跨線橋は、現役当時のもので、私も蒸気機関車撮影のために三笠を訪れた時にこの橋を渡ったものです。

これは、三笠ゾーンに保存されているキハ80系です。
②キハ80系
函館から釧路・網走を結ぶ「おおとり」や、函館から旭川への「北斗」として運転されていた特急用気動車です。
運転台のあるキハ82、グリーン車のキロ80、食堂車のキシ80など、6両のフル編成がそのまま保存されているのは、おそらく日本でここしかないでしょう。

そして、三笠ゾーンからは、旧廃線跡を利用した三笠トロッコ鉄道に乗ることができます。
③三笠トロッコ鉄道
これは、自分で運転するタイプで、家族連れが嬉しそうに乗っていました。

こちらは、三笠ゾーンから2.7キロ離れた幌内ゾーンが乗り場のトロッコ列車です。
④トロッコ列車
こちらは機関車の動力で動き、幌内~三笠間の廃線跡を往復します。

さて、ここからは幌内ゾーンです。
これは機関庫を模した展示館に保存されている大正11年生まれの9600型蒸気機関車と、昭和43年生まれのED76電気機関車です。
⑤9600+ED76
ともに長年、北海道内で活躍した機関車です。

そして、これは北海道ならではのラッセル車「キ100」です。
⑥キ100
豪雪地帯のこのあたりでは雪掻き車は欠かせません。

こちらは北海道の急行列車用の「キハ56」です。
⑦キハ56
「宗谷」「狩勝」「大雪」「すずらん」「えりも」など、かつては道内各地で見られたものです。

そして、これは、三笠鉄道村の目玉、昭和14年生まれの「S304」蒸気機関車が、動態保存されています。
⑧S304SL
かつて、室蘭の工場の構内専用線で使われていた機関車ですが、今も元気に汽笛を幌内の山に響かせています。
さらに驚くのは、一般の来園者が講習を受ければ、この蒸気機関車を運転できるのです。、本物の蒸気機関車を運転できるのは、全国でここしかありません。

ミニ新幹線も走っていました。
⑨ミニ新幹線
大人も子供も楽しそうですね。

そして、特急用食堂車「キシ8031」が、レストラン「キッチンポロナイ」として営業していました。
⑩食堂キシ8031

こちらは展示館の内部です。
⑪展示館内
北海道の鉄道の貴重な資料が展示されています。

これは、幌内線で使われていたサボ(行先表示板)です。
⑫サボ
今ではこのようなホーローびきのサボは殆ど見かけることができなくなりました。

2階では、ジオラマの線路を「北斗星」が走っていました。
⑬ジオラマ
なお、三笠鉄道村の営業は4月中旬~10月中旬までで、原則として月曜日は休業です。また、蒸気機関車の運転は土日祭日と夏休み期間中のみとなっています。

さて、これは昭和49年12月の三笠駅構内です。
⑭S49三笠駅
深い雪の中、普通列車と蒸気機関車が停車しています。

こちらは三笠~幌内間を行く石炭列車です。
⑮三笠~幌内SL
猛煙を吐く汽車の咆哮が、山にこだましていました。

そして、幌内線の終着駅だった幾春別駅です。
⑯幾春別駅
今では跡形も残っていないそうです。

こちらは当時の幌内線各駅の入場券です。
⑰きっぷ
入場券と最短区間の乗車券が兼用になっている駅もありました。

三笠駅跡の近くに残る鉄橋跡です。
⑱橋梁跡
そしてこちらは幌内駅跡付近です。
⑲廃線跡
幌内線に列車が来なくなって、早くも27年の月日が流れました。

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  1. 2014/08/03(日) 00:01:10|
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釧網本線・茅沼駅

今週は北海道の釧網本線・茅沼(かやぬま)駅をご紹介しましょう。この駅は、釧路湿原の中にある、小さな駅です。
1H1202茅沼駅
釧網本線は、北海道の東の果て、東釧路駅(列車は根室本線・釧路駅から発着)から網走駅を結ぶ182・8キロの路線ですが、本線とはいえ、全線を通して走る列車は一日4往復しかなく、特急や急行列車も現在では運行されていません。

1日1往復だけの快速「しれとこ号」(釧路行)がやってきました。
5列車
快速といっても、たった1両の単行運転です。茅沼駅に発着する列車は、途中駅発着のものを含めて1日8往復しかありません。

この駅は昔から丹頂鶴の訪れる駅として有名です。
現在は無人駅ですが、まだ駅員さんがいたころに、餌付けされた鶴たちが、今も毎年冬になるとやってくるのです。
3鶴4鶴
無人駅になってからは近隣住民の方々が餌付けを引き継いでいるそうです。

釧網本線の釧路~標茶間には、平成12年から毎年冬に「冬の湿原号」が運転されています。これは、茅沼駅を発車するところです。鶴たちは、汽笛の音に驚いて逃げてしまいます。
2H12SL
かつて、釧網本線を走っていたC11型蒸気機関車を整備し、観光列車として復活したのです。真っ白な雪原を走る黒い蒸気機関車は、なんとも味わいがありますね。

時代はさかのぼり、これは、国鉄時代末期、昭和61年夏の茅沼~塘路間の広大な釧路湿原を行く普通列車です。
7サルボ
朱色の国鉄カラーの気動車も、もう見られなくなりました。

やがて、貨物列車もやってきます。今ではこの線を走る貨物列車は全廃されてしまいましたが、この時代はまだまだ健在だったのです。
8S61サルボ
夏の釧路湿原に、貨物列車を牽引するディーゼル機関車の甲高いホイッスルの音が響いていました。

時代はさらにさかのぼり、昭和53年冬の茅沼駅です。
9S612駅舎
なんとも味わい深い木造駅舎ですね。当時、北海道のローカル線にはこのような木造駅舎がたくさんありました。南日本の駅と比べ、北海道の駅は雪の重さに耐えるため、木造であってもより頑丈にできていたものです。

その当時は、委託の駅員さんが丹頂鶴の面倒をみていました。
10鶴11飛ぶ鶴
鶴たちの優雅な舞いは、今も昔も変わりません。

12きっぷ13スタンプ
その当時、駅に置かれていたスタンプと、茅沼から塘路までの乗車券です。委託駅のため、硬券入場券はなく、このような軟券が販売されていました。

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  1. 2014/06/01(日) 00:01:14|
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奥尻島の旅

この6月、江差線で江差を訪れた後、北海道の南西部の日本海に浮かぶ奥尻島に足を延ばしました。
1船
奥尻島へは、江差港から2時間10分の船旅です。


奥尻港ではマスコットの「うにまる」の出迎えを受けました。
2うにまる
奥尻はうにの名産地として有名です。


これは、奥尻島のシンボルの鍋釣岩です。
3鍋釣岩
奥尻港からほど近いところにあります。


6月の奥尻は島中に花が咲き乱れ、一年中で一番いい季節を迎えます。
4八重桜
白樺林の中にある八重桜です。今年は寒い日が多かったため、開花が遅れたそうです。


そして、海岸にははまなすが咲き始めました。
5はまなす
6月も中旬になると、一斉に花を開き、海際のあちこちに濃いピンクの姿を見せてくれます。

6スズランこれは、ご存知、スズラン。


民家の軒先にはこんな花が咲いていました。
7町の花8町の花


そして、こちらは山の中の花です。
9山の花10山の花ナガハシスミレ
こんな可憐な花たちを眺めながら、山の中で気持ちのいいひと時を過ごしました。


奥尻島はプロ野球・阪急ブレーブス~オリックスのエースだった佐藤義則投手の出身地です。
11佐藤
島内のうにまる公園には「佐藤義則野球展示室」があり、そこには、彼の歴代のユニフォームや、新人王、最多勝、最優秀防御率など、現役時代の数々の輝かしい記念品や写真が展示されていました。
12佐藤


さて、島を一周してみましょう。
これは、海に突き出た小さな岬にある宮津弁天宮です。
13宮津弁天宮
島の漁師たちの海の守り神として崇められてきました。

こちらは島の北端、稲穂岬にある賽の河原です。
14賽の河原
なんだか、厳かな気持ちにさせられる場所でした。

これは稲穂岬灯台です。
15稲穂岬灯台
背後にうっすらと北海道本島が見えています。

島の西海岸にあるモッ立岩です。
16モッ立岩
集落の少ない西海岸には、このような奇岩の見える海岸線が続きます。

そんな西海岸にある神威脇温泉です。
17神威脇温泉
島人たちとのんびりとした時間を過ごしました。

奥尻島といえば忘れられないのが平成5年7月12日に島を襲った北海道南西沖地震に伴う大津波です。
18初松前
ここは10メートルの津波に襲われ、集落が壊滅した初松前地区の海岸にある高さ11メートル防波堤です。私は36年前、当時、この初松前地区にあったユースホステルに4泊したことがありました。
思わず、そこにあった慰霊碑にそっと手を合わせました。


これは無縁島海岸に沈む夕陽です。
19無縁島日暮れ

藻内地区の夕景です。
20藻内夕景
震災のこのあたりは20メートルもの大津波が襲ったそうですが、そんなことは忘れたかのように、あたりは静まり返っていました。

島の南端にある青苗岬灯台が光っています。
21青苗岬灯台
島南部の中心地の青苗地区も津波で大きな被害を受けましたが、今はすっかりきれいな街に生まれ変わっていました。

そして、民宿「小林」の夕食です。
22夕食
大きなホッケに、アワビ、刺身、島で採れた山菜などが並んでいます。私は「うに」は苦手なので、あえて注文しませんでした。


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  1. 2013/07/21(日) 00:30:23|
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市電で訪ねる函館の旅

函館市民の欠かせぬ足として活躍してきた市電が、今年、百周年を迎えました。これは、函館駅前を行く電車です。
①函館駅前
600円の市電一日フリーきっぷを買うと、市内の主な施設の利用料が割引になるなどの特典があります。これは3回乗れば元が取れるので、大変お得なきっぷです。

函館駅の近くには有名な朝市があります。
②朝市
②朝市2
かつては、市民のための魚市場でしたが、今ではパックツアーの団体客や台湾人観光客が目立ち、観光地の色合いが濃くなっています。

こちらは、青函連絡船「摩周丸」です。青函連絡船は青函トンネルが開業する昭和63年まで、青森と函館の間を3時間50分で結ぶ鉄道連絡船でした。
③摩周丸
今は青函連絡船記念館として函館駅の近くに保存されています。若いころの私は、北海道へは常に列車で行っていましたので、青函連絡船には何度お世話になったかわかりません。摩周丸にも何度も乗った記憶があります。
④青函連絡船模型
甲板は当時のまま解放されており、内部は当時の歴史や連絡船の模型、それに客室、操舵室などが公開展示されています。

こちらは十字街付近です。
⑦十字街
十字街で市電は谷地頭方面行と函館どつく前行に分かれます。

これは海の近くにある赤倉庫倉庫群です。
⑧赤煉瓦
今は使われなくなった倉庫を整備して観光客向けのショッピングモールになっていますが、私はこういう観光地には魅力を感じません。

こちらはハリストス正教会です。
⑨ハリストス
函館山の麓の元町付近には、このような教会が並んでおり、時折、荘重な鐘の音が街に響きます。

これは谷地頭付近を行く電車です。
⑤谷地頭
終点の谷地頭電停から歩いて15分ほどの所には立待岬があります。
⑥立待岬
ここには石川啄木一族が眠っている墓地があります。


市内の繁華街、五稜郭公園前電停です。
⑩五稜郭公園前
今では函館駅周辺よりも、このあたりの方が賑わいを見せています。

これは五稜郭タワーから眺めた五稜郭です。西洋の城を模した五角形をしていることがよくわかります。
⑪五稜郭
公園内部には幕末の函館奉行所が復元されており、幕末の動乱の歴史に触れることができます。

これは市電の駒場車庫です。
⑫駒場車庫
市電開業百年を記念した「函館ハイカラ號」の姿が見えますが、残念ながらこの日は運転されませんでした。

これは函館山へのロープウエイです。
⑬ロープウエイ
函館を初めて訪れた人の多くは、夕方になると函館山に登り、この素晴らしい夜景を楽しみます。
⑭夜景
街の光の両側に海の広がる夜景は、なかなか他では見られないものです。私がここを訪れたのは41年ぶりのことでした。

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  1. 2013/07/07(日) 00:13:21|
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大沼の風景

きょうは、北海道の函館本線大沼駅と大沼公園駅付近の初夏の風景をご紹介しましょう。


これは、早朝の小沼湖畔を行く上野発・札幌行の「北斗星」です。
IMG_2298.jpg
このあたりは列車の車窓から素晴らしい風景を望むことができ、旅人たちは「ああ、北海道まで来たんだなあ」と実感するのです。

これはDF200が牽引する貨物列車です。
IMG_2285.jpg
函館本線のこの区間は、流通の大動脈でもあるため、青函トンネルを抜けてきた本州方面からの貨物列車が頻繁に通ります。

同じ場所で冬に撮影した「スーパー北斗」です。
5171388_114822530_1large[1]
夏と冬とでまったく異なった表情を見られるのも北海道の旅の魅力のひとつです。


高校生を乗せた函館行の普通列車です。
IMG_2308.jpg
日中の普通列車は一両だけの単行運転ですが、朝夕は三~四両編成になります。

大沼駅です。
IMG_2314.jpg
普通列車しか停車しない小さな駅ですが、この駅の鄙びた佇まいは昔も今も変わりません。かつて、この駅に蒸気機関車が発着していた当時が目に浮かびます。

大沼始発・下り森行の普通列車です。向こう側に停車中の貨物列車が見えます。
IMG_2318.jpg
この列車で隣の大沼公園まで移動しましたが、乗客は私のほかにひとりしかいませんでした。


こちらは大沼公園駅です。
IMG_2361.jpg
リゾート地の表玄関として、瀟洒な駅舎が昔から変わることなく迎えてくれます。


静寂に包まれた朝の大沼公園です。
IMG_2353.jpg
頂上がとんがった駒ヶ岳の山容が、なんとも印象的ですね。


大沼公園からは、通過する札幌行の「スーパー北斗」が見えました。
IMG_2350◎

貨物列車も通りました。
IMG_2342.jpg


公園にはヤマツツジが咲き誇っていました。
IMG_2347.jpg
なんともいえない美しさです。

公園の中にはマイヅルソウの群落もありました。
IMG_2334.jpg
人のいない早朝に訪れたので、この風景を一人占めできましたが、昼間は大勢のパックツアーや台湾人などの観光客で騒がしくなります。この公園に行くなら、朝早くがゼッタイお奨めです。

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  1. 2013/06/21(金) 05:40:30|
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江差線の旅

北海道の五稜郭と江差を結ぶ江差線82.9キロのうち、木古内(きこない)~江差間42.1キロが、来年5月12日で廃止されることになってしまいました。
IMG_2130.jpg

これは、私が学生時代に訪れた今回廃止される区間の入場券です。
江差線入場券320
今にして思えば、驚くほどの山の中の小さな駅にまで駅員が配置されていました。


江差線のうち函館寄りの五稜郭~木古内間は、青函トンネルの開通とともに電化され、現在では新青森と函館を結ぶ特急「白鳥」や、寝台特急「北斗星」「カシオペア」「トワイライトエクスプレス」、急行「はまなす」などの優等列車のほか、貨物列車も頻繁に運転され、正に北海道と本州を結ぶ大動脈の一部として機能しています。
①渡島当別
これは、渡島当別駅に差し掛かる函館行きの特急「スーパー白鳥」です。

一方、木古内より先の終点江差までの区間は、渡島支庁と檜山支庁を跨ぐ深い山の中を抜ける閑散路線で、沿線人口も少なく、一日に6往復の普通列車が通うだけのローカル線です。
②木古内
これは、木古内駅で交換する函館行と江差行の普通列車です。右側には2015年度の開通に向け、着々と工事が進む北海道新幹線の高架橋が見えます。木古内は青函トンネルを抜けて最初の新幹線駅に生まれ変わるのです。


木古内の次は渡島吉岡です。
③渡島鶴岡
何もない無人駅ですが、駅前には、整備された公園があり八重桜が咲いていました。

続いて、吉堀です。
④吉堀
かつては有人駅でしたが、今では駅舎は撤去され、北海道でよく見られる貨車駅になっていました。

神明は深い山の中にある小さな駅です。
⑤神明
このあたりから、列車は緑のトンネルの中をディーゼルエンジンを唸らせながら黙々と走ります。


神明~湯ノ岱(ゆのたい)間の天野川沿いを走る列車です。
⑥天の川沿
たった一両の気動車が、あっという間に通り過ぎていきました。

これは湯ノ岱駅です。
⑦湯ノ岱
廃止予定区間で唯一の有人駅です。

こじんまりとしたいい駅舎です。
⑧湯ノ岱駅
トイレは汲み取り式でした。

この駅では、今でもこのような乗車券が販売されています。
⑧湯ノ岱切符
このほか硬券入場券を常備されていました。

湯ノ岱駅に函館行の列車がやって来ました。
夏の湯ノ岱


そして、これはほぼ同じ位置から撮った冬の湯ノ岱です。
冬の湯ノ岱



宮越は天野川に近い小さな駅。
⑨宮越

そして、桂岡、中須田と貨車駅が続きます。
⑩桂岡
⑪中須田

上ノ国は上ノ国町の中心駅で、かつては急行列車も停車しました。
⑩上ノ国

上ノ国を過ぎると、日本海が見えてきます。
⑫江差~上ノ国
これは、江差~上ノ国間を行く列車です。遠くに江差の鴎島が見えています。

そして、終着の江差駅。今は一面だけのホームに棒状の線路があるだけです。
⑬江差駅
上り列車が発車を待っていました。


有人駅で、土日には地元の名産品を販売しています。駅の構内には民謡「江差追分」が流れていました。
⑭江差駅
この日、私が乗って来た列車でこの駅に降りた客は25人。けれども、廃止が発表される前は3、4人ぐらいしかいなかったそうです。


これは、江差のシンボル、鴎島にある「塀子岩(へいしいわ)」です。かつて、駅舎の正面に塀子岩をかたどった看板が立てられていました。
⑮塀子岩
そして、向こう側に見えるのは復元された幕末の軍艦「開陽丸」です。新政府軍と戦った幕府軍の軍艦でしたが、江差で嵐のために座礁して大破した悲運の艦船で、今は内部が博物館になっています。


そして、これは鰊(にしん)御殿と呼ばれた旧中村家の邸宅で、国の重要文化財に指定されています。
⑯中村家
明治のころ、江差は鰊の豊漁に沸き、北前船で上方からの文化が流入して、大いに栄えたという歴史があります。

この江差の町を列車で訪れることができるのは、あと1年足らずしかありません。

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  1. 2013/06/16(日) 17:16:33|
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いにしえの三菱石炭鉱業大夕張鉄道

きょうは、北海道夕張に近い清水沢から大夕張炭山間17.2キロを結んでいた三菱石炭鉱業大夕張鉄道をご紹介しましょう。

この線は明治44年に清水沢と南大夕張間に大夕張炭礦鐵道として開業したのを前身とし、昭和4年には大夕張炭山までが全通し、全盛時の石炭輸送やそこに働く人々の足として、欠かせぬ存在でありました。

しかしながら、炭鉱の閉山に伴い、昭和48年に南大夕張~大夕張炭山間が廃止され、その14年後の昭和62年には残る清水沢~南大夕張間も廃止され、この鉄道は日本地図から消えてしまったのです。

私は清水沢~南大夕張間の7.6キロがまだ運転されていた昭和56年の11月にこの線を訪れました。
清水沢304
これは、国鉄と接続する清水沢駅に停車中の旅客列車です。(ピントが甘くてすみません)


この線は最初から最後まで機関車が茶色の旧型車両を引く客車列車で運行されていました。
清水沢303
左側にはラッセル車の姿が見えます。

偶然ですが、私が訪れた時の直前に、北炭夕張事故が起こり、清水沢の町では労働組合や家族による補償を求めるデモが行われていました。
デモ311
今はこの清水沢の町も廃屋がずらりと並ぶ、まるでゴーストタウンのような状態になっています。


途中駅の遠幌の駅名票です。今は駅のあった場所は跡形もなく、草むらに帰っていました。
遠幌305行先票307


11月でしたが、車内にはダルマストーブが焚かれていて、観光用ではない、正に『本物のストーブ列車』でした。
ストーブ306

これが客車内です。
車内312
昔はこんな古びた客車が日本中を当たり前のように走っていました。

南大夕張310
終着駅の南大夕張に着きました。

こじんまりとした小さな駅舎ですが、ちゃんと駅員さんが勤務していました。
南大夕張308
ちなみに、この時点で運転されていた旅客列車は一日わずか三往復です。

これは当時、使われていた切符です。
きっぷ315きっぷ316
もちろん自動券売機などはあるはずもなく、すべて窓口で販売される硬券でした。

こちらは車内で車掌さんから買った車内乗車券です。
きっぷ317
この時点で南大夕張~大夕張炭山間が廃止されてから8年も過ぎていましたが、廃止区間の駅名が残っているところがすごいですね。

南大夕張309
そこは、本当にひっそりとした山里でした。

そして、今、南大夕張駅跡は、有志による保存会が車両を整備し、往年の車両たちが元の駅の場所で余生を過ごしています。
南大夕張今317
ひっそりとした山の中、何両もの動かぬ車両たちが静かに佇んでいました。

  1. 2013/05/19(日) 10:21:05|
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士幌線の思い出

今回は、拙著『消えゆく鉄道の風景』の中から、北海道の士幌線をご紹介しましょう。

士幌線は、根室本線の帯広から大雪山系を越え、石北本線の留辺蘂を目指して建設が進められました。昭和14年に途中の十勝三股までの78.3キロまで開通し、一時は木材輸送で活況を呈したものの、その後、時代の流れにより沿線の過疎化が進み、需要が激減。昭和62年に全線が廃止されたのでした。


これは、昭和52年6月、糠平~黒石平間の糠平湖畔を行く普通列車です。
14糠平~黒石平77-6-30◎
当時、帯広~十勝三股間に一日四往復、糠平止まりが一往復、運転されていました。

これは、糠平駅の駅のスタンプと、士幌線の車内補充券です。
14士幌線糠平14士幌線車内券
国鉄時代には、どのローカル線でも無人駅から乗る時には車掌がこのような補充券に一枚ずつパンチを入れて販売していました。


これは終着駅の十勝三股です。
14十勝三股77-6-30
この時、乗っていた列車から降りたのは私ひとり。折り返しの帯広行を待つ客はふたりだけでした。
糠平~十勝三股間はあまりにも利用者が少なかったため、昭和53年に列車の運転が休止され、バスによる代行運転となり、全線が廃止されるまで、二度とこの区間を列車が走ることはありませんでした。


そんな山の中の小さな駅にも駅員がいて、切符を売っていたのは驚きです。
14十勝三股入場券14士幌入場券
14十勝三股乗車券


これは、廃止から18年が過ぎた平成17年の士幌駅跡です。
士幌駅跡H1705300
線路は草生しているものの、トタン屋根の木造駅舎がそのままの姿で残り、今にも列車がやって来そうです。


こちらは糠平~幌加間の山中に佇むアーチ橋です。
糠平幌加H1705301
昭和初期には、このようなコンクリート製の橋梁が数多く作られ、士幌線の廃線跡には、今もたくさん残されています。周囲はすっかり自然に帰り、橋の上に木が生えていたりしている所もあって、廃線からの時間の経過を感じさせてくれます。

そして、これが士幌線廃線跡のハイライト、タウシュベツ橋梁です。
タウシュベツH1705302
この橋は開通時には糠平湖を跨ぐ石橋でした。けれども、糠平ダムの建設により一年の大部分の間、橋が湖底に沈むため、新たに新線が建設され、昭和28年に廃止されたものです。
糠平湖の水量が少ない時期は、こうしてその姿を眺めることができるのですが、廃止されてから50年余、一年の大半が水没しているため、石でできた橋は、まるで古代ローマの遺跡のように朽ち果てそうな形相を見せています。

私がここを訪れた平成17年には、すぐ近くまでクルマで行くことができたのですが、現在ではここに通じる道は一般車の通行が禁止されているため、ここまで行くのには、山の中を歩いて行くか地元、上士幌町主催のタウシュベツ橋梁探索ツアーに参加するしか方法がありません。

上士幌町では、貴重な産業遺産として、町内に残るタウシュベツ橋梁や、ほかのアーチ橋群を、将来にまで残す取組を展開しています。

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  1. 2013/05/16(木) 05:29:15|
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懐かしの蒸気機関車(北海道中南部篇)

久々の蒸気機関車シリーズ、今回は北海道の道央から道南にかけての画像です。
撮影は昭和47年から49年、何度も冬の大地に足を運びました。

まずは、夕張線(現石勝線夕張支線)の紅葉山~沼ノ沢間を行くD51牽引の石炭列車です。
11紅葉山74-3-13・689
夕張線は、今も現存する石勝線の追分~夕張間で、石勝線が開通した昭和53年10月に紅葉山駅は、新夕張駅と改称されました。当時は、まだ夕張炭鉱が健在で、長大な貨物列車が石炭を積み出していました。


これは廃止された幌内線の三笠付近を行く石炭列車です。
16三笠74-12-28
夕張だけでなく、このあたりの山々には炭鉱がたくさん存在し、日本のエネルギーを支えていたのです。

これは三笠駅構内で交換する、雪まみれの幾春別行き普通列車とD51です。
16三笠駅74-12-28◎
当時、このような風景が当たり前のように見ることができました。

これは廃止された歌志内線の終着駅だった歌志内駅の発車風景です。
17歌志内74-12-28◎
汽車の咆哮が雪山にこだましていたのが、つい昨日のことのように思い出されます。

こちらは、室蘭本線の栗山駅付近を行く貨物列車。
18栗山74-12-19・554
当時はこのような長大な貨物列車が頻繁に運転されていましたが、今ではこの区間を走る貨物列車は廃止され、たった一両のディーゼルカーが、一日に8往復するだけになってしまいました。

砂川駅構内での除雪車です。
20砂川74-12-19・555
函館本線の砂川からは、かつて、上砂川支線が発着していました。

こちらは瀬棚線の美利河(ぴりか)付近を猛煙を吐きながら貨物列車が走ります。
24美利河C1174-3-10◎
渡島半島を横断する山の中を走っていましたが、昭和62年に廃止されました。


こちらは函館本線の大沼付近を行く旅客列車です。今でも札幌行きの北斗星がこの風光明媚な大沼国定公園の真ん中を走ります。
25大沼72-12・24572
26大沼73-12・570
駒ヶ岳の雄姿は、今も車窓から眺めることができます。

こちらは七飯(ななえ)~渡島大野間です。
27七飯72-12・24573
渡島大野駅付近には、北海道新幹線開通時に新函館駅が設置されることになっています。

最後は、江差線の茂辺地付近で津軽海峡をバックに走る貨物列車です。
30茂辺地72-12・25571
当時は、未電化のローカル線でしたが、青函トンネル開通時にこの区間は電化され、特急列車や長距離貨物列車が頻繁に走る幹線になりました。

日本で最後まで現役の蒸気機関車が残ったのは、室蘭本線の追分駅で、完全に無煙化されたのは昭和51年3月のことでした。

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  1. 2012/10/26(金) 22:09:02|
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懐かしの蒸気機関車(北海道・北東部)

昭和47年から50年にかけて、私は終焉間近の蒸気機関車たちの最後の勇姿を追って、三脚を担いで全国を東奔西走しました。当時の写真の一部を順次、公開しようと思います。紙焼きプリントをスキャンしたものなので、鮮明度が低い上、技術的にも劣る写真が多いことをご了承ください。

第1回目は、まず、北海道の北東部からです。猛烈な寒さや吹雪の中、特に冬を好んで追いかけました。やはり、黒い汽車は白い雪原を走るのがよく似合います。いずれも、昭和49年から50年にかけてのものです。

まずは南稚内駅構内で入れ替え作業中の貨物列車です。稚内の街並みのうしろには最北の海が広がっていました。
011南稚内74-12-・557


寒い日の宗谷本線、抜海駅です。猛烈な吹雪でしたが、当時は遅れることはあっても、滅多に列車が運休することはありませんでした。今は、少しの荒天で、すぐに運転を見合わせてしまいますが、そのころは、国鉄魂のようなものが感じられたものです。
012抜海74-12-・556


これは、宗谷本線の難所、塩狩峠に挑むC55牽引の稚内行き旅客荷物混合列車です。当時はこうした混合列車の姿を多く見ることができました。
013塩狩~和寒74-3-25・529


国鉄民営化前に廃止された天北線声問駅で除雪作業をする国鉄職員と9600型蒸気機関車です。
天北線は、宗谷本線の音威子府から分岐し、オホーツク海側の浜頓別を経由して南稚内で再び、宗谷本線に合流する最北の原野を走るローカル線でした。廃止の日まで札幌からの急行「天北」が走っていたものです。
020声問74-12-26・SL
愛声問122



これは、やはり廃止になった名寄本線の一ノ橋~下川間の白樺林の中を走る9600型重連の貨物列車です。
022一ノ橋キュウロク74-3-24・◎

雪深い山の中の静寂を破って、驀進するキュウロクの咆哮は、今も忘れることができません。重連の先頭は前向き、補機は後ろ向きなのが面白いですね。
021一ノ橋74-3-24・

一ノ橋駅で、普通列車と貨物列車の交換風景です。昔のローカル線の駅では、ごく普通に見られた懐かしい風景ですね。
023一ノ橋駅74-3-24
まさか、名寄から紋別を経て遠軽を結ぶ本線だった名寄本線が廃止されるとは、夢にも思いませんでした。
愛一の橋123


こちらは名寄本線の中湧別から網走を結んでいた湧網線の貨物列車です。湧網線は、美しい白樺林の中を走り、サロマ湖も間近に見ることができましたが、やはり日本地図から消えてしました。撮影地はサロマ湖半の計呂地~芭露間です。
031計呂地~芭露74-3-22


続いて、根室本線の釧路~東釧路間を流れる釧路川橋梁を渡る根室行き普通列車です。昭和49年の冬はとりわけ寒い年で、普段は太平洋岸の釧路までやって来ない流氷が、川を遡って押し寄せていました。
032釧路~東釧路74-3-16・507


同じく根室本線の浜中駅付近の貨物列車です。小雪が舞っていました。
033浜中74-3-・567


こちらは、根釧台地を走っていた標津線の計根別~上春別を行く貨物列車です。当時は、ほとんどのローカル線にまだ貨物列車が走っていました。でも、この線も今は地図から消えてしまいました。
041計根別~上春別74-3-19


これは、釧網本線の北浜~浜小清水間を行く釧路行き普通列車です。このあたりの車窓からは冬になると流氷がよく見え、今は「流氷ノロッコ号」というトロッコ列車が走っています。
042北浜~浜小清水74-3-20・530


釧網本線の緑駅で発車を待つ夕方のC58の姿です。なんとも哀愁を感じる風景ですね。運転席の若い機関士さんは、もう定年退職されたでしょうか。
043緑74-3-20・531


池田と北見を結んでいた池北線の仙美里~本別間の貨物列車です。池北線は、北海道で唯一、第三セクターのちほく高原鉄道として生き残りましたが、残念ながら平成18年4月に廃止されてしまいました。
051仙美里74-3-14


最後は、ご存知、広尾線の幸福駅を通過する貨物列車です。帯広と広尾を結んでいた広尾線にあった幸福駅と愛国駅は、その駅名から大変なブームとなり、愛国から幸福ゆきの切符が飛ぶように売れたのもそのころでした。幸福駅は、廃止された今も残されており、観光バスもやって来る観光名所になっています。052幸福74-12-23
愛国幸福120
きっぷの日付は8月に行った時のものですが、汽車の写真は12月です。


さて、今回はこのぐらいにして、折を見て、徐々にご紹介していくことにしましょう。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
















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  1. 2012/09/30(日) 16:52:11|
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岬めぐりと利尻富士・サハリン




今日は北海道最終日。昨日に引き続き、偶然の出会いで旅の相棒になったSさんと、早朝6時にホテルを出発。昨日も行った抜海付近の利尻富士ポイントに行き、土手を泥んこになりながらよじ登って列車撮影をしたあと、ノシャップ岬と宗谷岬の灯台巡りでした。きょうも快晴に恵まれ、普段はなかなか姿を表さない利尻礼文が2日連続ではっきり見えたほか、宗谷岬からはロシア領サハリン(旧樺太)の島影までくっきりと肉眼で眺めることができました。途中、小さな港で利尻富士を眺めたりしながら、まだまだ旅を続けるSさんを稚内駅に送ったあと、レンタカーを返却し、稚内空港から羽田に戻りました。

次回、稚内に行く時には是非とも、利尻礼文も再訪したいなあ。

今回は、室蘭に始まって、白老、札幌ドーム、夕張、釧路、天塩川温泉、稚内と道内各地を巡り、乗り鉄、撮り鉄三昧の日々に、色々な出会いもありました。取材ノートにもぎっしり書き込んだので、また、これを題材に形のある原稿にできればと思っています。

  1. 2010/09/20(月) 17:48:00|
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利尻富士夕景と、稚内で若者たちと泥酔




酔っ払ってます(笑)
今夜は稚内の居酒屋でいい気持ち(^o^)/
天塩川温泉を宗谷本線の始発列車で出発!
幌延駅で話しかけてきたのが山形県寒河江市のSさんでした。意気投合して、共にレンタカーでサロベツ原野へ行くことに。
抜海で列車撮影、兜沼の郷土資料館見学、徳満にある宮ノ台展望台でのバイクで日本一周中のさすらいライダー氏との語らいの後、稚咲内の海辺から感動的な利尻富士の夕景を男二人で眺めていました。利尻島ははたちの夏に住み込みで4週間、旅館のアルバイトをしていたことがあるだけに、久々の美しい島影に感無量となりました。
夜は稚内の居酒屋でさらに旅行中の男女4人の若者たちと合流するなど、色んなことがあって忘れられないよい1日となりました。
  1. 2010/09/19(日) 23:50:00|
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釧路の夜



釧路駅前のビジネスホテルに荷を解いたあと、野付郡別海町にお住まいのネットつながりで、初対面のTさんとの宴。釧路港に近い、新鮮な魚貝類が食べられる居酒屋『煉瓦』で楽しいひと時を過ごすことができました。
中標津出身の彼から、廃止された国鉄標津線の思い出をたくさん聞かせていただき、他にも地元の人しか知らないご当地の話題をたくさん伺って、大変有意義な時間を過ごすことができました。
クルマでしか別海町に帰れない彼も、わざわざ釧路に宿をとってもらったので、心おきなく釧路と根室の地酒を飲み、牡蛎やほっけ、ししゃもなどの魚貝類を堪能。Tさん、本当にありがとうございました。
明朝は、5時40分発の滝川行き普通列車を乗り通し、その後、北を目指します。
ちなみにこの列車は今では日本一長い距離を走る普通列車です。
  1. 2010/09/19(日) 23:22:00|
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釧路~滝川最長普通列車と宗谷本線途中下車の旅



きょうは釧路から早朝5:40発の滝川行き普通列車で旅立ちました。この列車は、今や日本一長い距離を走る普通列車なのです。
釧路を発車した時、たった一両のキハ40の乗客はわずか5人!フォト
大楽毛を過ぎると左手に穏やかな太平洋が広がります。やがて、十勝の大平原を駆け抜けて、帯広へ。停車時間に帯広名物豚どんの駅弁の朝食を食べたあとは、フォト

狩勝峠に入っていきます。ここはかつて日本三大車窓のひとつと言われた区間ですが、今は長いトンネルを抜けていきます。それでも、熊が出そうな深い山の中を列車は走ります。富良野で何人かの観光客を降ろし、滝川には12:35に到着。308.4キロを6時間55分かけての長旅でしたが、退屈している暇もなく、ひたすら車窓風景に見入っていました。

その後、10月9日の営業を最後に取り壊されて高架駅となる旭川駅フォトに別れを告げたあとは、宗谷本線途中下車の旅。
まず、特急サロベツで塩狩峠を越えて和寒(わっさむ)駅で下車。かつて雪の日に訪れた木造駅舎はすでになく、特急停車駅なのに無人駅で、駅には人影がまったくありませんでした。フォト
続いて士別駅。この駅の近くには赤い煉瓦造りの倉庫がたくさん並んでいます。 フォト
さらに、名寄は昔ながらの古い駅舎が健在。でも、かつてこの駅から分岐してあた名寄本線と深名線のホームは跡形もなく、あたりには広大な敷地に雑草が生い茂っていました。
さらに普通列車を乗り継いで天塩川温泉駅には17:39着。乗り鉄三昧の疲れは露天風呂で癒やしました。
フォトフォト
  1. 2010/09/18(土) 21:14:00|
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夕張の哀れ

夕張市がリゾート開発に失敗し財政破綻したことは全国的なニュースになりました。
そこで、きょうはJR化後、未乗だった夕張支線を再訪し、すぐに折り返さずに街のようすをこの目で見て少しでも夕張市でお金を使えばと考えて訪れた次第。
今も営業している石炭文化村の立派な設備には驚きました。数百台は駐車できる広大な駐車場にはレンタカーがたった3台置いてあるだけ。巨大なレストランやギフトショップも、すべてシャッターが降りています。
それでも、内部の展示内容は目を見張るものがありました。廃坑になった炭坑の一部を利用した体験坑道にはヘルメットをかぶって入ります。坑内はかなり暗く、20年前まで実際に使用されていた機材が動いています。こんな劣悪な環境の中で肉体労働に従事していた人々の苦労はいくばくかと思います。それを目の当たりにしたのが展示された数々の写真パネルです。全身、炭で真っ黒になり、目だけが光る人、坑内の天井から粉かい炭の粉が降って来るので、弁当箱に蓋をしながら昼食を食べる人。そして、昭和56年に起きた北炭大夕張炭坑で起きたガス漏れ事故により96人の人命が失われた時のようすなど、それらの写真がすべてモノクロだっただけに余計に胸に迫るものがありました。かつての日本の産業エネルギーを支えたのは、こうした多くの無名の人々の力があったことを忘れてはなりません。
その後、かつての街の中心部にも行ってみました。そこに飲み屋街がありました。しかし、今やそこは廃墟と化し、あたりに異常な静けさが漂っていました。

ひっそりとした夕張駅の風景  

さらに、夕張駅から列車で二駅目の清水沢で途中下車しました。清水沢駅前商店街も、ほとんどが廃屋ばかりでした。
かつてこの駅から発着していた大夕張鉄道の南大夕張駅まで、足を延ばしました。ずっと昔、私はこの列車に乗ったことがあります。その当時の旧型客車が今も保存会の方々の努力で残されているのです。そこにはラッセル車と3両の古い客車、そして、石炭運搬車の姿がありました。しかも、嬉しいことに、その中の一両には中に入ることができたのです。

三菱石炭鉱業旧型客車

私がこの列車に乗った時、車内では達磨ストーブが赤々と燃えていました。あれから29年、時の流れの無情さを感じざるを得なかった夕張での1日でした。




テーマ:旅行日記 - ジャンル:旅行

  1. 2010/09/17(金) 17:38:45|
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室蘭と白老を訪ねて




きょうから夏休み第二段、三連休に2日間休暇をつなげて北海道一人旅に来ています。今回の目的は国鉄時代に乗って以来、JRになってから一度も乗っていないJR北海道線を完全走破することと、次の著書の取材をすることです。
羽田から朝一番の飛行機で千歳空港に飛び、直ちに列車で室蘭へ。
東室蘭~室蘭の支線がターゲットです。終点の室蘭駅は11年前に500メートルほど東室蘭寄りに移転して新しい駅に生まれ変わっていましたが、駅は閑散として、斜陽化が顕著です。
でも、旧駅舎が観光案内所として昔のままの姿で現存していたのは嬉しいことです。
その後、ローカルバスに乗って地球岬へ。この灯台へは、昔、道に迷ってたどり着けなかったので、今回は是非とも行こうと考えていました。断崖に建つ白亜の灯台と、噴火湾を挟んで遠く恵山岬まで見える雄大な風景に、しばし見入っておりました。
その後、白老に移動し、列車撮影。お目当てはトワイライトエキスプレスです。ダークグリーンの寝台列車が、遠く大阪に向けて、颯爽と走り去って行きました。その合間を縫ってポロト湖畔にあるアイヌ民族村へ。改めて日本は単一民族国家でないことを確認した次第です。
  1. 2010/09/16(木) 16:46:00|
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函館の夜と大沼公園

昨夜は函館駅近くの大門横丁でジンギスカンに舌鼓。偶然やって来た地元の漁師さんとお酒を酌み交わしました。うちは一人娘がいるというと、29歳の次男を婿にもらって欲しいと言われ、大笑い。うちの子はまだ、12歳なんですから…。


この屋台村は2年前に出来たそうで、他に寿司、ラーメン、活魚料理や、ミャンマー料理まであったので思わず入りかけましたが、やはり北海道らしいジンギスカン(モンゴリアンバーベキュー)に入りました。

さて、たった3日間の大旅行、最終日のきょうは、函館本線の始発列車で大沼に行き、北斗星3号などを撮ったあと、雪の大沼公園を散策。
残念ながら秀峰・渡島駒ヶ岳は雲に隠れていましたが、30年ぶりに訪れた大沼公園駅は昔と変わらぬ佇まいを見せてくれました。湖畔の白鳥たちに餌をやり、その脇を通過する特急「スーパー北斗」などを撮影しながら、のんびりと時が過ぎていきます。


ただ、昔と比べるとあまりにも観光地化され過ぎており、特に雪を見たことのない台湾人観光客の多さには、びっくりしました。

その後、有名駅弁「いかめし」を買いに森駅まで行き、



渡島砂原~仁山経由の普通列車で函館まで戻りました。
今は「スーパー白鳥28号」~「はやて28号」と乗り継いで、間もなく盛岡に着くところです。

写真は昨夜のジンギスカン、湖畔の白鳥たち、それに森駅前のいかめし屋さんの順です。



  1. 2008/03/03(月) 17:33:00|
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江差と湯ノ岱温泉




日本海1号は熟睡できました。東能代で目を覚まし、同席の長野県から来た人と語り合ううち、青森に定時到着。
白鳥45号で津軽海峡を渡り…ではなくてくぐり抜け、木古内経由で江差に向かいました。江差線の木古内~江差間は1日5往復の閑散路線です。函館とは逆方向の深い山の中を日本海側の港町、江差まで、たった1両の旧型気動車がコトコト走ります。
江差を訪れたのは31年ぶり。折り返しの列車まで40分あまり。このわずかな時間に鴎島やニシン番屋を見に、タクシーで町を一周。
帰りの列車では、湯ノ岱(ゆのたい)で途中下車。硫黄分の多い茶色いお湯で旅の疲れをゆったりと癒やしました。
今は木古内で函館行を待っているところです。今夜は函館で何を食べようかなあ。

写真は大館駅に停車中の日本海1号、湯ノ岱温泉に向かう道にある「天の川」、江差線のサボ(行き先表示板)です。
  1. 2008/03/02(日) 18:19:00|
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