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田中正恭の汽車旅日記

ここは、紀行作家・田中正恭 (たなかまさやす) が、つれづれなるままに各地の旅や、鉄道に関する話題について綴っています。原則として毎週日曜日に更新しており、時には鉄道以外の話題になることもありますが、ご了承ください。また、2018年10月より「テツドラー田中の乗り鉄日記」としてYahoo!クリエーターズプログラムにもレギュラー投稿していますので、そちらもご覧頂ければ幸いです。なお、内容につきましてのご感想や、執筆や講演、出演などの依頼がありましたら、お気軽にメッセージをお寄せください。なお、写真や文章の無断転載はご遠慮願います。

国鉄時代の東海道・山陽新幹線特急券コレクション

今年は、昭和39年10月1日に東海道新幹線が開業してから50周年を迎えます。
そこで、今秋はそれを記念して、私のコレクションの中から、国鉄時代の東海道・山陽新幹線の特急券を公開しましょう。

K400408.jpgK430813.jpg
これらは、開業して数年後の昭和40年代前半の特急券です。A型硬券と呼ばれる硬いボール紙の切符で、当時は新幹線のみならず、国鉄の長距離切符で広く使われていました。指定席番号が手書きで書かれているところが、なんとも味わいがあります。


K450814.jpgK501119.jpg
左側は日付がちょっと見にくいですが、昭和45年の「こだま」の自由席特急券です。赤いラインの入った珍しいタイプです。右側は、昭和50年、山陽新幹線が博多まで全通した年のものです。


これはD型硬券と呼ばれる横長のタイプで、裏面に乗車日や列車名、指定座席番号が手書きで書かれていました。。
KL470310_201401222240097c4.jpg
この特急券は、山陽新幹線が岡山まで開業する5日前の昭和47年3月10日に前売りされた特急券です。


KL500627.jpg
KL570214.jpg
これは、小倉から新神戸のD型硬券の表面と裏面です。裏面を見ると、岡山で「ひかり10号」から「ひかり500号」に乗り換えるようになっています。現在は新神戸には全列車が停車しますが、当時は、最速の「ひかり10号」が新神戸を通過したため、このように乗り換えが必要だったわけです。2つの列車を1枚のい切符で済ませるところは、なかなか合理的ですね。


次に、初期のマルス(コンピューター自動発券機)によって発行された特急券を見てみましょう。
420506.jpg421002.jpg
これらは、昭和39年に初めて開発されたY型と呼ばれるマルス券で、発車時刻だけが手書きになっています。

500120.jpg
これはV型マルス券で、手書きの箇所がありません。

520606.jpg
やがて、横長のN型マルス券は、駅名がカタカナ書きになりました。

621212.jpg
これは、マルス205というタイプで、国鉄民営化直前のものです。「オゴオリ(小郡)」という駅名が懐かしいですね。現在は新山口に改称されています。


そして、次は回数券です。
KS4704.jpg
最初は、やはり券面に必要事項を手書きで記載していました。

KS6206.jpg
このタイプは、別途、指定券を発行し、ホッチキスで張り付けていました。

国鉄民営化から、26年。まさか、チケットレスで新幹線に乗れるようになるとは、国鉄時代には想像もできないことでした。
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  1. 2014/02/09(日) 00:01:44|
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昔のきっぷコレクション【特急券】

きょうは先週に引き続き、昭和のきっぷコレクションのなかから、今週は特急券の一部ををご覧にいれます。

特急とは、特別急行列車の略。今では、何でもかんでも特急を名乗るようになり、ごく短距離の列車や、昔の準急と停車駅が変わらないような列車も、特急を名乗るようになってしまいましたが、当時は、本当に特急が特急らしかった時代でした。斜めに3本の赤い線が入った特急券は、いかにも特別の列車という威厳が感じられます。
S29-2-29第2特急券
これは、昭和29年の特急券です。列車名は「第2列車」としか書かれていませんが、これは、大阪発9時の東京行き「つばめ」のことです。この当時、東海道本線は、まだ、一部区間で電化されておらず、蒸気機関車がこの列車を牽引していました。

S31-3-15第30列車特急券
昭和30年になると、2等の特急料金に20%の通行税が課せられて1200円の料金が1440円になっています。ちなみに、2等とは、現在のグリーン車のことです。

S33-9-4つばめ特急券235
こちらは、3等の特急券ですが、3等には税金が賦課されていません。このころから、券面に列車名が表示されるようになりました。

S39-5-9かもめ特急券S39-6-10白鳥特急券
いつしか、赤い3本線が斜めから縦に変わっています。
S39-8-25ひびき特急券
これは、東海道新幹線が開業する直前の東海道本線の特急「ひびき」のものです。この列車は「こだま」「つばめ」「はと」とともに、新幹線開業まで東京~大阪間を結んでいました。

これは日本交通公社(現JTB)発行の軟券です。
S39-5-13つばめ特急券軟券
交通公社でも硬券を発行していましたが、このころから軟券で発行するようになったようです。

そして、東海道新幹線が新幹線が開業しました。
S40-4-8ひかり特急券
このきっぷも交通公社で発売されたものですが、硬券で発行されています。


新大阪と宇野を結んでいた「うずしお」です。
S40-11-12うずしお特急券
「うずしお」というと、現在では高松(一部岡山)から徳島を結んでいますが、当時は関西から四国への連絡特急として、山陽新幹線が岡山まで開業する昭和47年まで走っていました。
S41-7-18岡山特急券
昭和40年には、同じ区間の「うずしお」の指定席が300円だったのに、翌年には自由席で500円に値上げされているのがわかります。


これは、初期のマルス(Magnetic-electric Reservation System)と呼ばれる指定席オンラインシステムにより発券されたものです。
S41-8-18こだま特急券初期マルスS41-9-5しおかぜ特急券初期マルス
左の「こだま」がW型、右の「しおかぜ」がY型と呼ばれるものです。

これは、東京駅の窓口とは別に構内に設けられた臨時発売所で発券されたものです。
S42-11-3あまぎ指定券軟券
当時は、まだ、こんなアナログ方式が一般的でしたが、その後、急速にオンライン化が進んでいったのでした。
  1. 2013/12/29(日) 00:01:05|
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昔のきっぷコレクション【準急・急行券】

今週は、私の数あるコレクションの中から、昭和30年代から40年代前半にかけての国鉄の準急券、急行券の一部をご覧いただきます。

かつて、国鉄では、「準急」という「特急」「急行」に次ぐ三番目の優等列車を走っていました。設備や速度が特急・急行よりも劣るが、普通列車よりは上位のランクに位置づけられ、準急列車に乗るには、戦後は乗車券のほかに準急行券が必要でした。

これは、Å型と呼ばれる標準的なサイズの硬券切符で、自動券売機が普及するまでは、長い間、常備券として使われていました。
S33-9-13いでゆ準急券
東京から伊豆方面への列車は「いでゆ」から「あまぎ」「伊豆」そして、今では「踊り子」と名前が変わっています。このきっぷは、列車だけ指定されていますが、座席は自由席のようです。

当時、準急行券には一本、急行券は二本、特別急行券は三本の赤い線が入れられていました。
S37-3-25長野準急券38-9-8阿蘇準急券"
当時は消費税が導入されていませんでしたが、1等に限り、「贅沢税」のような意味合いで、通行税という税金がかけられていました。

この切符は、白浜口からとなっていますが、紀勢本線の白浜駅は昭和40年2月までは、白浜口と呼ばれていました。この準急行券は、父と準急「きのくに」に白浜口から天王寺まで乗った時のものです。
S38-10-12きのくに準急券
当時、2等の準急券は距離に関係なく100円、座席指定だと200円でした。


これは乗車券と準急券が1枚になっているD型と言われているきっぷです。真ん中に切り取り線があり、乗車券と準急行券を切り離せるようになっていました。
S40-5-13尾張一宮準急乗車券
当時、大阪~名古屋間に準急「比叡」が走っていましたが、その後、急行に格上げされました。
これは水郡線の磐城塙駅発行の準急行券です。
S41-7-5磐城塙準急券
各地のローカル線でも準急列車が運転されていましあtが、昭和43年10月、いわゆる「ヨンサントウ」のダイヤ大改正により、特急列車大増発の影で、準急列車は全廃になりました。


そして、ここからは急行券です。急行列車とは、いわば標準的な急行列車、準急はそれに準ずる優等列車、そして、特急は特別な急行列車という位置づけでした。けれども、準急が廃止され、その後、急行列車も次々に特急に格上げ、または快速に格下げされて、どんどん姿を消してしまいました。今では、全国のJRで残る定期急行列車は、札幌~青森間の「はまなす」ただ、一本になってしまいました。

これからご紹介するきっぷは、急行列車全盛期のころの急行券です。
S40-11-10郡山急行券
昭和40年当時は、まだ、券面に赤い二本の線がありました。郡山の前に(北)の文字があるのは、東北本線の郡山駅を意味しており、同名の関西本線の郡山駅と区別するためです。


これは急行「明星」の寝台券です。
S40-4-12明星寝台券
寝台料金と急行券をあわせて1000円だったのですね。当時は聖徳太子の千円札、板垣退助の百円札の時代でした。


当時は、車掌さんが車内で販売する急行券にも二本の赤い線が入っていました。
S41-2-11車内急行券(東海道線)
並んでいる駅名をよく見てください。「大阪」が間違って「大坂」になっています。これは珍しい誤植切符です。



茶屋町からの急行券は、下津井電鉄で発行されたものです。
S41-5-31茶屋町急行券
下津井電鉄は当時、丸亀への航路と接続する下津井と、茶屋町を結んでいた軽便鉄道でした。


これは、「第1佐渡」の座席指定券です。
S41-7-19佐渡指定券
今では列車名を「のぞみ1号」というふうに「〇号」という呼び方をしますが、当時は「第〇」をつけて呼んでいました。

このあたりで、券面から赤い線がなくなりました。この体裁の急行券は、この後、国鉄の終焉からJR初期まで、長く使われ続けたものです。
S41-12-23水戸急行券S42-8-19津山急行券
姫新線、因美線、津山線が交差する津山駅からは多くの急行列車が発着していたものですが、今は普通列車しかありません。

S42-5-29草津急行券
日付や席番が手書きであるところが時代を感じさせてくれますね。

これは、乗車券と急行券が一枚になっていますが、切り離すようにはなっていません。
S42-10-18佐原急行乗車券
「東京電環」とは、今でいう「東京山手線内」のことで、「東京電気環状線」の略でした。

次回は同じころの特急券をご覧に入れましょう。

  1. 2013/12/22(日) 00:01:30|
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夜行列車カードコレクション

先日、ブルートレインの廃止について触れましたが、きょうは、私の数あるコレクションの中から、オレンジカードなど夜行列車のカードコレクションをご紹介します。今は廃止された懐かしい列車から、今も走る列車まで15枚を並べました。オレンジカードは、日本全国の国鉄⇒JRの駅の自動券売機で切符を買うことのできる便利なカードでしたが、ICカード化が進み、JR各社では発売を中止しています。

2あかつき
これは国鉄時代に発行されたオレンジカードです。「あかつき」は京都・新大阪と長崎・佐世保など九州とを結んでいました。

3さくら
「さくら」は代表的なブルートレインのひとつで、東京と長崎・佐世保間を結んでいました。


4富士テレカ
これは「富士」のテレホンカードです。テレカも携帯電話の普及した最近は、めったに見なくなりましたね。「富士」は、東京から、日豊本線経由で西鹿児島、都城、南宮崎とだんだん走行距離を短縮し、最後は大分まで走っていました。

5出雲イオカ
「出雲」は東京から東海道本線で京都まで走り、京都から山陰本線に乗り入れて、出雲市、浜田まで走っていました。東京~山陰方面は今でも需要が多く、山陽本線・伯備線経由の「サンライズ出雲」が出雲市までを結んでいます。

6瀬戸
これは「瀬戸」です。最初、東京~宇野間を結び、宇高連絡船に接続していましたが、瀬戸大橋開業後は、高松まで乗り入れました。その後、「サンライズ瀬戸」の登場とともに廃止されました。

7日本海
「日本海」は大阪から日本海沿いを走り、青森までを結んでいましたが、青函トンネル開業後は、2往復のうち1本が函館まで乗り入れていました。

8オホーツク
「オホーツク」は今も札幌と網走を結んでいる特急列車ですが、かつては、そのうちの1往復が、気動車の中間に寝台車を連結し、夜行列車として運転されていました。

ここからは現存する夜行列車です。
9北斗星1
ご存知「北斗星」は青函トンネル開通と同時に走りはじめた寝台特急で、食堂車「グランシャリオ」や、A個室「ロイヤル」、ロビーカー、シャワールームなど、これまでの夜行列車にない設備を備えた豪華列車として人気を集めました。当初は一日2往復運転されていましたが、現在は1往復に削減され、残念ながら、平成26年度末で廃止される見込みです。こちらはJR北海道発行のオレンジカードです。
10北斗星2
そして、こちらはJR東日本発行のオレンジカードです。

11はまなすオレカ
こちらは、札幌~青森間の「はまなす」です。この列車も北海道新幹線函館開業時までには廃止されるのではないかと言われています。

1あけぼのオレカ
「上野発の夜行列車、降りた時から、青森駅は雪の中…」と演歌に歌われた最後の上野発の夜行列車です。残念ながら、来年3月のダイヤ改正で姿を消すことになってしまいました。

12トワイライト
大阪~札幌を結ぶ、日本最長のロングランナーです。食堂車「ダイナープレヤデス」をはじめ、北斗星に負けない豪華な欧風調の列車で、寝台券の確保がなかなか困難な列車ですが、北海道新幹線開業と同時に平成27年度末に廃止されるようです。

13カシオペアイオカ
こちらは「カシオペア」のイオカードです。自動改札をそのまま通れるイオカードもいつの間にかなくなってしまいました。この列車はオールツインA個室の超豪華列車ですが、こちらも平成27年度末に「トワイライトエクスプレス」と運命を共にするようです。

14カシオペア2
同じく「カシオペア」のオレンジカードです。

15サンライズ
そして、最後に残るのは車両が他の列車より比較的新しい「サンライズ出雲/サンライズ瀬戸」です。今も週末を中心に乗車っ率の高い列車ですが、はたして、この列車は未来永劫、走り続けることができるのでしょうか?
  1. 2013/11/24(日) 00:00:03|
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JR「周遊きっぷ」廃止を発表

先日、JRグループは今年3月末をもって周遊きっぷの廃止を発表しました。
周遊きっぷは、国鉄時代からのロングセラーだったワイド・ミニ周遊券の廃止と同時に発売を開始した割引きっぷで、北海道や九州、東京、京阪神など、全国各地のゾーン内が特急自由席を含めて乗り放題のほか、出発地から目的の指定されたゾーンの入口駅までの運賃が割引になるというもので、北海道、四国、九州へは片道を航空機を利用することもできました。

これは、九州の周遊きっぷです。
2 (2)2 (1)
「かえり券」の右下に「往空」という文字があり、これは往路は航空機を利用することを表しています。この場合、周遊きっぷの購入には、購入済みの航空券を提示するか、チケットレスの場合、予約の控えを見せることがルールになっていました。

けれども、はっきり言って周遊きっぷは使い勝手が悪く、値段設定も必ずしも割安ではありませんでした。何度か利用しましたが、計算してみると、通しの乗車券を買っても値段が変わらないこともあり、また、かつてのように往復に急行自由席を使えないし(もっとも使いたくても急行自体がほとんど廃止されてしましたが)、お得な感じがしませんでした。
ゾーンによって新幹線にそのまま乗れたり、乗車券としての効力だけあったり、あるいは、九州ゾーンのようにまったく使えなかったりと、効力がとても複雑でした。さらにゾーンへの入口駅と出口駅の基準がまちまちで、たとえば、山陰ゾーンに木次線や三江線経由で入ることができないなど、乗り鉄派にとっては利便性も高くはありませんでした。また、往復の運賃は20%引が基本でしたが、東海道新幹線を利用すると、距離が600キロ以上でないと5%引にしかならないなど、とにかくルールが複雑でした。(往復のルートが自由に選べることだけがワイド周遊券より便利なことでしたが、それがかえってルールを複雑にしていたのかもしれません)

さらに、発券が複雑で、駅員にとっても大変手間のかかるものでした。一般の(鉄道ファンでない)人が周遊きっぷを発券依頼することは難しすぎてまず無理だったと思われます。

こんなに複雑になったのは、JR分社化に伴い、各社の事情(たとえば、JR東海やJR九州は新幹線を割り引いて乗せたくなかったことなど)によってルールが異なることが原因だと思います。これは、明らかに分社化の弊害ですね。もはやJR各社共通の企画きっぷは青春18きっぷとフルムーンパスぐらいしか残っていません。

その点、かつてのワイド周遊券やミニ周遊券は、定型化されていましたから、ルールも簡単で、有効期限も7~20日間と長く、私の学生時代には有効期限を目いっぱい使って長期の汽車旅が楽しめたものです。

これは、昭和50年の四国周遊券です。
2-18四国周遊券
当時、神戸に住んでいた私は神戸からだと有効期限が7日間しかなかったので、新潟の友人に頼んで買ってもらったのです。新潟~神戸間の往復は無駄になりますが、それでも値段の差は3000円しかなく、それで有効期限が20日に延びて、13日間も余分に旅が楽しめたのです。

これは、昭和53年春、学生時代の最後に東北へ旅した時のワイド周遊券です。
2-4東北周遊券
券面のデザインが少し新しくなっていますね。もちろん、20日間、フルに使いましたよ。


当時のワイド周遊券には、エリア毎にこのような表紙がついていました。
2-3北海道表紙
2-4東北表紙
2-13山陰表紙
2-20九州表紙
この表紙を見ると心がウキウキしたものです。


これはJRになってからのマルスで機械発券された九州周遊券です。
2-23九州周遊券新
なんだか味気なくなってしまいましたね。


ワイド周遊券やミニ周遊券が廃止された時点で、昔のように何日も列車の旅をする人が大幅に減ったことは確かだと思います。そして、その後継として誕生した周遊きっぷも、手間のかかる上に、ほとんど売れないのでは廃止するのはむしろ当然でしょう。
でも、それならば、ルールが単純で発券にも手間のかからない、全国共通のかつてのワイド周遊券のようなきっぷを復活してくれないかなと思います。ただ、最近のJRのこの手のフリーきっぷは、学割がなく、有効期限も短いので、益々若い世代の旅人が減ってしまいます。時代が変わったと言えば、それまでですが。

今は、各社毎にそれぞれ自分のエリア内だけの企画切符を発売し、他のJR各社とは共同発売しない方向へと向かってしまいました。そうなると、最後の砦となった青春18きっぷの今後が心配で仕方がありません。

  1. 2013/02/18(月) 00:03:18|
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昭和中期の駅のスタンプ(西日本編)

さて、今週は昭和40年代の駅のスタンプ集の最終回。DISCOVER JAPAN以前のスタンプの西日本編です。


まず、最初は越美南線の終着駅、北濃です。北濃から北に延伸して越美北線の九頭竜湖までつなげる予定でしたが、その計画は頓挫してしまいました。
5越美北線北濃
延伸どころか廃止対象線区になり、現在は第3セクターの長良川鉄道の終着駅となっています。


これは七尾線穴水と、小浜線の松尾寺です。
5七尾線穴水5小浜線松尾寺
七尾線は北陸本線の津端から輪島までを結ぶローカル線ですが、現在は津端~和倉温泉間が電化されて特急「サンダーバード」が乗り入れているのに対し、和倉温泉~輪島間は平成3年に第3セクターの、のと鉄道に移管され、さらに穴水~輪島間は、平成14年に廃止されてしまいました。
さらに、穴水から分岐して能登半島の先端に近い蛸島までを結んでいた能登線も、昭和63年にのと鉄道に転換された後、平成17年に廃止されています。
つまり、国鉄時代には七尾線と能登線とを分岐し、能登半島の鉄道の要衝だった穴水駅は、今ではのと鉄道の終着駅になってしまったのです。

一方、松尾寺駅は、小浜線の小駅で、無人駅になってしまいましたが、嬉しいことに昭和の香りが漂う木造駅舎が今も健在です。


こちらは、関西本線の伊賀上野と月ヶ瀬口です。
6関西本線伊賀上野6関西本線月ヶ瀬口
かつて、この区間にはD51型蒸気機関車が長大な貨物列車を引いて驀進していたものです。
関西本線の亀山~加茂間は今も単線非電化のままで、両駅とも、当時のままの駅舎が残されています。かつて、東京からの直通急行が走ったのも、今は昔。現在では2両編成の普通列車が、1時間間隔で少数の客を乗せて走っています。


これは、関西本線の法隆寺と、桜井線の三輪です。
6関西本線法隆寺6桜井線三輪
関西本線も、加茂から奈良以西は、今では複線電化され、大阪近郊のアーバンネットワークの一部として頻繁に電車が走っていましたが、当時は未電化で、湊町と名古屋を結ぶディーゼルカーがのんびりと走っていたものです。
桜井線は電化された後も単線ですが、山の辺の道を電車がゆったりと走っています。三輪駅は、正月になると、三輪大社に参詣する善男善女で賑わいます。


こちらは、北陸本線の木ノ本と福知山線の相野です。
6北陸本線木ノ本6福知山線相野
木ノ本は、羽柴秀吉と柴田勝家が戦った賤ヶ岳の古戦場が近くにあります。賤ヶ岳の頂上に登ると、そんな戦国時代を偲びながら、奥琵琶湖と余呉湖を望むことができます。
今は電化された福知山線ですが、当時は、大阪から米子や出雲市へ向かう長距離の旧型客車鈍行がのんびりと走っていたものです。走る列車は変わっても、相野付近を走る車窓からは、今も昔ものどかな風景が広がっています。


こちらは、因美線の智頭(ちず)と美作土居です。
7因美線智頭7因美線美作土居
因美線は鳥取と東津山を結ぶローカル線で、かつては鳥取~岡山間の急行「砂丘」が走り、陽陰連絡線の一役を担っていました。ところが、平成6年に智頭から山陽本線の上郡を結ぶ3セクの智頭急行が開業して以来、智頭を境に鳥取側と、津山側とでまったく性格が異なる線になりました。
鳥取~智頭間は鳥取・倉吉と京都や岡山を結ぶ特急「スーパーはくと」「すーぱーいなば」が走る幹線となったのに対し、智頭~東津山間は、一日7往復の普通列車が走るだけの閑散線区となってしまったのです。その閑散句間にあるかつての急行停車駅・美作加茂は今ではひっそりとした無人駅になっています。

広島駅のスタンプは旧漢字ですね。
7山陽本線広島
このスタンプは、広島と京都を呉線経由で結んでいた夜行急行「音戸」に乗った昭和46年に押したものです。

こちらは四国の土讃本線の善通寺と、小松島線の小松島です。
8土讃本線善通寺8小松島線小松島
登録有形文化財に指定されている善通寺駅は、四国霊場75番札所の善通寺への玄関口。ここは弘法大師生誕の地と言われています。その堂々たる駅舎は今も昔も変わりません。
一方、小松島線は、牟岐線の中田(ちゅうでん)から分岐していたわずか1.9キロの、国鉄で最も短い線の終着駅でしたが、国鉄時代の昭和60年に廃止されています。この駅は終着駅であったにもかかわらず、列車はその先200メートルにあった小松島港仮乗降場まで走り、そこから和歌山港への汽船に乗り継ぐことができました。

そして、こちらは日豊本線の都城と鹿児島本線の西鹿児島です。
9日豊本線都城9西鹿児島
都城駅からは、かつて、東京行の寝台特急「はやぶさ」や、急行「高千穂」など多くの長距離列車が発着していました。けれども、今は、主に宮崎と鹿児島を結ぶ特急列車と、吉都線の列車が発着するばかりとなり、この駅から発着していた志布志線も廃止されてしまいました。
それでも、駅の佇まいは昔と変わることがなく、長いホームや立派な屋根、そして古い地下道が、かつての栄華を思い起こさせてくれます。
そして、西鹿児島は九州新幹線開業と同時に鹿児島中央と駅名を変え、博多や新大阪へ向かう新幹線が発着するターミナルに変貌しています。

これらのスタンプを集めたころから40年。このように日本中の鉄道を取り巻く環境は大きく変わりました。
また、機会を見つけてDISCOVER JAPAN以後のスタンプの一部もご紹介できればと思います。






テーマ:鉄道旅行 - ジャンル:旅行

  1. 2012/12/09(日) 22:59:57|
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昭和中期の駅のスタンプ(本州東北部編)

きょうは、久々に昭和40年代前半以前の駅のスタンプシリーズ第2弾。東北地方から信越地方にかけての本州東北部編です。

まずは、五能線の鰺ヶ沢駅と北金ヶ沢駅です。
2五能線鯵ヶ沢2五能線北金ヶ沢
昭和40年代の五能線には、8620型蒸気機関車牽引の、茶色い旧型客車や貨物列車がのんびりと走っていました。


八戸線の本八戸駅と男鹿線の羽立駅です。
2八戸線本八戸2男鹿線羽立
八戸市の中心部にある本八戸駅は素朴な木造駅舎でしたが、今は高架駅になっています。一方の男鹿半島の寒風山の麓にある羽立駅は、無人駅になったものの、駅の佇まいは昔も今も変わりません。


これは山田線の茂市駅です。
2山田線茂市
山田線は、盛岡から、宮古を経て釜石までのローカル線ですが、盛岡から深い山の中を越えると茂市に着きます。
茂市からは岩泉線が分岐していますが、平成22年の集中豪雨で不通になったまま、今も不通になっています。残念ながら、そのまま廃止されることが決定してしまいました。


仙石線の本塩釜駅と、常磐線の平駅です。平駅は今ではいわき駅と改称されています。
2仙石線本塩釜2常磐線平
仙石線と常磐線は共に、先の東日本大震災の津波の影響で今も一部区間が不通になっています。


これは磐越東線の川前と水郡線の下小川です。
2磐越東線川前3水郡線下小川
川前は夏井川、下小川は久慈川に沿った風光明媚な所にあります。


これは信越本線の新津駅と柏崎駅。
4信越本線新津4信越本線柏崎
そして、同じく信越本線の柿崎駅と直江津駅です。
4信越本線柿崎4信越本線直江津
いずれも、なんとも、時代を感じさせてくれるデザインですね。









  1. 2012/11/24(土) 19:19:31|
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昭和中期の北海道の駅のスタンプ

きょうは、ちょっと趣向を変えて、私の数々のコレクションの中から、昭和中期に作られたと思われる北海道の駅のスタンプをご紹介します。DISCOVER JAPANキャンペーンが始まり、DJのロゴ入りの駅のスタンプ登場したのが、昭和45年の秋以降ですから、ここにご紹介するスタンプが製作されたのは、昭和30年代から40年代前半ではないかと思われます。今は、廃止になった駅の貴重なものもありますので、じっくりとご覧ください。


まずは、いきなり、廃止線のものが続きます。これは、道北の日本海側を走っていた羽幌線の中心だった羽幌駅のものです。国鉄民営化直前の昭和62年3月に廃止されました。
1羽幌線羽幌
羽幌港からは、今もオロロン鳥の島、天売島と、オンコの木と羊のたくさんいる焼尻島への定期船が発着しています。


こちらは、興浜北線の北見枝幸(きたみえさし)と、興浜南線の雄武(おむ)です。興浜線は、オホーツク海側の天北線に接続する浜頓別(はまとんべつ)から、名寄本線の興部(おこっぺ)までを海岸線沿いにつなげる予定でしたが、北線は北見枝幸、南線は雄武までしか開通せず、この間はバス連絡でした。
1興浜北線北見枝幸1興浜南線雄武 (1)
しかしながら、この興浜北線、南線ばかりか、それに接続する天北線と名寄本線までが相次いで廃止されてしまったのです。

続いて、これも廃止された名寄本線の紋別と中湧別のスタンプです。
1名寄本線紋別1名寄線中湧別
名寄本線は、名寄から遠軽を結ぶ本線で、札幌からの急行列車も走っていましたが、民営化直後の平成元年に廃止されてしまいました。まさか、本線が廃止されるとは、夢にも思いませんでした。

これは、湧網線(ゆうもうせん)常呂(ところ)駅のものです。
1湧網線常呂
湧網線は、名寄本線の中湧別と網走を結ぶローカル線でしたが、やはり民営化直前に日本地図から姿を消しました。サロマ湖に沿って白樺林の中を走る風光明媚な路線でした。このあたりの名産の帆立貝のデザインが多いですね。

ここからは現存する駅が続きます。
1函館線本岩見沢1函館本線小樽
函館本線の岩見沢、小樽、小沢、七飯(ななえ)です。
1函館本線小沢1函館本線七飯
小沢駅の蒸気機関車のデザインがいいですね。山深いこのあたりは蒸気機関車撮影の名所で、この駅からは廃止された岩内線が分岐していました。今では、寂しい無人駅になっています。


こちらは室蘭本線の室蘭駅。1室蘭本線室蘭
今は、駅の場所が移転しましたが、開拓時代からの駅舎はそのまま保存されています。

そして、江差線の、茂辺地(もへじ)と渡島当別です。
1江差線茂辺地1江差線渡島当別
青函トンネルが開通して以来、このあたりの江差線は、特急列車や貨物列車が頻繁に通る幹線になりました。

今後、随時、本州以南の古いスタンプも公開していこうと思っています。








  1. 2012/10/20(土) 16:05:25|
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戦前~ヨンサントウの時刻表見つけた!




大晦日に実家の物置をのぞいていて、すごい物を見つけました。それは、太平洋戦争直前の昭和16年から、戦後間もない昭和22年と昭和28、30年、そして、少し昔の鉄道ファンなら誰でも知っているヨンサントウ、つまり、昭和43年10月の国鉄史に残るダイヤ改正が実施された時の時刻表が出てきたのです。開戦直前の昭和16年の時刻表は、紙質が悪く、触るとボロボロになってしまいます。また、昭和22年は終戦直後の混乱時代、運転本数が極端に少なく、蒸気機関車がオンボロ客車や貨車に乗客を満載して走っていた国鉄苦難の時代を垣間見ることができます。
フォトフォト
また、昭和11年の鉄道省発行の鉄道旅行案内も出てきました。フォトこの時代はまだ、戦前の良き時代。全国各地の鉄道沿線の観光地のガイドや旅館の案内が書かれていました。いずれ、これらを精読して本が書ければいいなと思います。
  1. 2012/01/02(月) 23:30:00|
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戦前のきっぷコレクション



昨日、私のきっぷコレクションの中から最も貴重な大正時代から戦前にかけてのきっぷの一部をスキャンしました。もちろん、そのころは私は生まれていません。

私のコレクションは、昭和39年ごろからは自分で収集しましたが、それ以前のものは、鉄道ファンの先人たちから受け継いだ貴重なものがたくさんあります。その一部をここに公開しますので、よろしかったら、ご覧ください。

まずは、大正3年の京都駅入場券です。
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文字が右から書かれていますね。このきっぷに似た復刻版は、明治村で見たことがあります。

続いて、大正13年の1等寝台券。
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このころは、寝台券に乗客の名前が記載されていました。
この時代に1等寝台に乗れるということは、かなり位の高い人だと思われます。

昭和初期の特急券・急行券です。
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上のきっぷには列車名が書かれていませんが、検札印から「さくら」であったことがわかります。
この当時は、まだ太平洋戦争に突入しておらず、戦前のよき時代であったと思われます。

上野駅の入場券です。
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残念ながら日付が入っていませんが、昭和10年前後のものと推定されます。

各地の乗車券です。
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高松から琴平という短区間でも、2日間有効で、1回途中下車が可能だったことがわかります。

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鹿児島~宮崎間では3日間有効で、このきっぷには途中下車印が2つ押してあります。

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昭和17年はすでに太平洋戦争に突入していましたが、まだ、本土空襲の起きる前で、戦局はそれほど悪化していなかったのでしょうね。大阪市内制度がこの当時からあったことがわかります。


さて、ここからは、さらに超貴重品です。
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これは、日本が占領していた時の台湾のきっぷです。
屏東というのは、台湾南部、高雄の近くにある駅です。
台南は、当時、台湾南部最大の町でした。
当時、台湾は日本の新領土と言われ、鉄道唱歌には、台湾を一周する歌詞もありました。

さらに、こんなきっぷもあります。
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これは、中国大陸北東部、満州鉄道のきっぷです。
満州鉄道はあじあ号という大型蒸気機関車が牽引する特急列車が有名ですね。
奉天は、現在の瀋陽で、戦前の満州国の中心でした。もう一枚は鞍山からの急行券です。鞍山は、奉天の南部にある都市です。
満州国は、清朝の最後の皇帝・溥儀を元首として独立した国家でしたが、大日本帝国の影響を強く受け、事実上は日本軍が占領していました。そんな時代のきっぷですから、文字も中国語ではなく、日本語で書かれています。

これらのコレクションは、おそらく値段がつけられないほど貴重なものだと思います。私が自分で集めた昭和中期以降のものと合わせて、いつまでも厳重に保存し、ずっと先には次の世代に引き継いでいきたいと思っています。
  1. 2010/06/21(月) 18:16:00|
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夜汽車関連コレクション公開



この6月に、私自身6冊目の著書『夜汽車の風景』…昭和~平成、夜汽車の旅40年…を発刊することになりました。

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これが表紙に使う写真です。今年の2月に秋田県の大館駅で撮影した『日本海』の残光です。


この本の中には、私が長年収集したコレクションの一部を収録します。

中には大正時代の寝台券やフォト
昭和初期の入場券、乗車券などの貴重なものもあります。
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これらは国鉄時代の夜行列車の寝台券です。
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乗車券、急行券、入場券も国鉄時代のものです。
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どれも今より味わいがあるでしょう。

これはJRになってからのものです。
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駅のスタンプも載せました。
DISCOVER JAPAN時代が懐かしいですね。もっと昔のもあります。
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そして、写真も何枚か載せました。

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これは日豊本線田野駅付近を行く京都行『日南』号で、昭和49年1月に撮影しました。

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これは、昭和48年ごろの大阪駅での『あかつき』です。


最近撮った写真もあります。
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函館まで走っていたころの『日本海』です。

新子安付近の『はやぶさ』『富士』
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白岡付近の『カシオペア』です。
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内容は、私の40年間に及ぶ夜行列車の乗車体験に基づく旅紀行です。
国内36列車と番外篇として海外2列車の合計38列車を取り上げています。もし、ご興味のある方は、ご一読頂ければ幸いです。









  1. 2010/04/30(金) 12:53:00|
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