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田中正恭の汽車旅日記

ここは、紀行作家・田中正恭 (たなかまさやす) が、つれづれなるままに各地の旅や、鉄道に関する話題について綴っています。原則として毎週日曜日に更新しており、時には鉄道以外の話題になることもありますが、ご了承ください。また、2018年10月より「テツドラー田中の乗り鉄日記」としてYahoo!クリエーターズプログラムにもレギュラー投稿していますので、そちらもご覧頂ければ幸いです。なお、内容につきましてのご感想や、執筆や講演、出演などの依頼がありましたら、お気軽にメッセージをお寄せください。なお、写真や文章の無断転載はご遠慮願います。

復活した常磐線・新地駅と坂元駅

今週は先週に引き続き、東日本大震災で被害を受けた常磐線の復旧状況です。
常磐線の駒ヶ嶺~亘理間は、原発から離れているものの、大津波のため、長期間にわたって不通になりました。
特に、新地駅と坂元駅は駅舎や跨線橋が流失し、甚大な被害を受けました。

これは、震災から2ヶ月後、平成23年5月の新地駅です。
⑭201105新地駅
あたりは完全に破壊され、目を覆いたくなるような光景が広がっていました。

その後、駒ヶ嶺~浜吉田間のうち線路が流された14.1キロの区間を、内陸部に移設して再建することが決まり、平成28年12月に5年半ぶりに復旧したのでした。

これが、再建された新地駅です。
⑮新地駅
元の駅舎から300メートル内陸部に移設されました。

周囲は、まだ空き地だらけで、大規模な防波堤の工事が行われていましたが、ようやくこの町にも電車がやって来るようになりました。
⑯新地ホーム

新たに完成した高架線を行く電車です。
⑰新地付近

一方、こちらは被災直後の坂元駅です。
⑱H1105坂元駅
こちらも無残な姿になっていました。

その駅跡には、今も町の案内看板が残っています。
⑲旧坂元駅看板

新しい駅は、西に約1100メートル移設されました。
⑳坂元駅
新駅の方が旧駅よりも町の中心に近くなりました。
㉑坂元駅ホーム
坂元駅に仙台行の電車がやって来ました。

㉒再建された高架線
再建された新しい高架橋です。

田園地帯を電車が駆け抜けていきます。
㉓坂元付近
あとは、今も不通になったままの富岡~浪江間の復旧を待つばかりです。
一日も早く、この地域に震災前の生活が戻ることを祈らずにはいられません。
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  1. 2018/09/16(日) 00:01:50|
  2. 東北
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震災以来不通の、常磐線・富岡~浪江間の現状

今日は、平成23年3月11日に起きた東日本大震災以来、不通になったままのJR常磐線の富岡~浪江間についてご紹介します。

富岡~浪江・原ノ町間には、今も常磐線の代行バスが運転されています。
①富岡駅代行バスのりば

津波に流された富岡駅は、約100メートル山側に移設されました。
②富岡駅

新しい富岡駅の裏側には、大量のフレコンバッグという黒い袋が積み上げられています。
③ん黒い袋
この袋には、東日本大震災に伴う福島第一原子力発電所の事故により、汚染された土壌が入っているのです。

そのあたりには、放射線量計が設置されていました。
IMG_6638.jpg

代行バスで浪江に向かいます。
③帰還困難地域看板
ほどなく、「帰還困難区域」の看板が見えました。原発事故から7年たった今も、福島県富岡町の北部から大熊町、双葉町の大部分の地域が、放射線量が高く、帰宅困難区域に指定されています。

帰宅困難地域を走る常磐線は不通のままですが、並行する国道6号線は、通過するだけなら通行を認められています。
けれども、国道の沿線は、あの日から時が止まったかのようです。
④ゴーストタウン
国道沿いにあった中古車販売店の駐車場には、車がそのまま放置され、蔦が絡まっていました。
⑤蔦の絡まる中古車センター

事故を起こした福島第一原発から続く送電線です。
⑥第一原発への送電線
なんだか、不気味でした。

やがて、代行バスは浪江駅に着きました。
⑦浪江駅
町の中心部は避難勧告が解除されましたが、震災前の人口21000人に対して、帰還した人は500人にも満たないのが現状です。
⑧浪江ゴーストタウン
町はまるでゴーストタウンで、駅の近くには一軒の食堂も開いていませんでした。
⑨浪江ゴーストタウン

電柱には「おはようと一声かける浪江の子」との看板がありましたが、あたりに子供の姿はまったくありません。
⑩あいさつ通り

それでも仙台方面から浪江駅までの電車が平成29年4月に復活しました。
⑪運賃表
ホームに仙台行の電車が停車しています。
⑫浪江駅ホーム
上り富岡方面のホームは閉鎖されたままです。

乗客はごくわずかでしたが、浪江駅に到着した上り電車です。
⑬浪江に到着した電車
この地域に住んでいた人々の多くが戻ってくる日は、はたして、いつ、やって来るのでしょうか。
IMG_6706.jpg
常磐線が完全復旧するのは、2020年3月の予定です。

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  1. 2018/09/09(日) 00:02:11|
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磐越西線・山都駅の冬

今週は福島県にある磐越西線の山都(やまと)駅とその周辺にご案内しましょう。
先週まで南国沖縄の風景が続きましたが、一転して今週は雪国の旅です。

山都駅に到着した下り列車です。
①下り列車到着

この日は雪は降っていませんでしたが、このあたりは会津の雪の多い地帯です。
②駅名票

ホームには明治42年にこの駅が開業した時に使われていた煉瓦造りのランプ小屋です。
③ランプ小屋
これは、当時、使用されていたランプ用の油を貯蔵する小屋で、国の近代化産業遺産に指定されています。

山都駅舎です。
④現駅舎
今は業務委託駅になり、地元のご婦人が切符を販売していました。

このあたりは、雪の中に実のなった柿の木が何本もありました。
⑤雪と柿
真っ白な雪に柿の色がとても映えていました。

ここは、山都~喜多方間にある一ノ戸川橋梁で、長さ445メートル、高さ24メートルの立派な鉄橋です。
⑥一ノ戸川橋梁1
下り新潟行の快速「あがの」が通過して行きました。

そしてこちらは上り会津若松行列車です。
⑦一ノ戸川橋梁2

山都の名物はそばです。
⑧山都そば
寒暖差の激しいこの地はそばの栽培に適しているそうで、やや白っぽい麺が特徴です。

⑨そば資料館
駅から歩いて10分ほどの場所にあるそば資料館では、その歴史や製法を知ることができます。
⑩そば資料館2

上り列車が到着しました。
⑪上り列車到着

こちらは、平成11年5月に訪れた時の山都駅です。
⑫H11駅舎
この時は田植えの直前だったので、田んぼに水がはってあり、冬とはまったく印象が異なります。
⑬H11一ノ戸川橋梁
「SLばんえつ物語号」が一ノ戸川橋梁を通過していきました。
⑭H11ばんえつ物語

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  1. 2018/01/28(日) 00:01:42|
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昔の米坂線

先週に続いての米坂線、今週は、昭和47年と平成15年に訪れた時のようすをご紹介しましょう。

稚拙な写真で恐縮ですが、これは昭和47年3月、高校1年だった私が初めて蒸気機関車の撮影した時のものです。
①越後下関~越後片貝貨物列車S47
米坂線が無煙化される直前の越後下関~越後片貝間で、9600形が最後の煙を吐いていました。
です。

こちらは客車列車です。
②越後下関~越後片貝客車列車S47
間もなく、この線から蒸気機関車がいなくなるというのに、この時、撮影に来ている人には誰も出会いませんでした。

越後下関~越後片貝間の荒川橋梁を渡る貨物列車です。
③越後下関~越後片貝荒川橋梁
どれも下手な写真ですが、この時はまだ一眼レフを持っておらず、ヤシカエレクトロ35というカメラで撮影しました。

こちらは坂町~越後大島間です。
④坂町~越後大島
この近くを走る羽越本線にもまだ蒸気機関車が走っていました。

当時のDISCOVER JAPANのスタンプです。
⑤坂町スタンプ⑥越後下関スタンプ

これは、その時に蒸気機関車が牽引する客車列車から降りた越後片貝駅です。
⑦越後片貝駅S47
いかにも汽車が似合う山の中の小さな駅舎でしたが、今では建て替えられて当時の面影は残されてはいません。

国鉄時代の入場券です。
⑧国鉄入場券
当時は米坂線のほとんどの駅に駅員が勤務していました。

さて、時が流れて、これは平成15年8月に訪れた時の米沢駅近くにある上杉家の霊廟です。
⑨上杉霊廟
この森の脇を、時折、米坂線の列車が通過する音が聞こえていました。

羽前椿駅での上下列車の行き違い風景です。
⑩羽前椿駅交換
このころは、キハ40系が運行されていました。

羽前椿を発車して行く上り列車です。
⑪羽前椿を発車
あたりは色づき始めた田んぼの風景が広がっていました。

そして、こちらは山間の県境に近い駅、小国付近です。
⑫小国到着

この時、越後下関駅で31年ぶりに途中下車をしました。
⑬越後下関駅名票
越後下関駅のある新潟県関川村には、豪農屋敷が残っています。

こちらは佐藤家住宅。
⑭佐藤家

そして、こちらは国の重要文化財に指定されている渡邊家住宅です。
⑮渡邊家

渡邊家にある小屋の屋根は、木羽葺き屋根珍しいもので、屋根の上に重石の石が並べられています。
⑯木羽葺き屋根
これは、この地方だけに残る珍しい屋根です。

これが越後下関駅です。
⑰越後下関駅
この駅は昔も今も変わりません。
⑱スタンプ

そして、終点の坂町駅です。この駅も初めて降りた時から同じ印象です。
⑲坂町駅
この駅で羽越本線と接続しています。

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  1. 2017/12/17(日) 00:00:57|
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晩秋の米坂線

今週は奥羽本線の米沢駅(山形県)と羽越本線の坂町(新潟県)を結ぶ米坂線をご紹介します。
これが米沢駅です。
①米沢駅 (550x367)
この区間の奥羽本線は在来線を改軌した線路の上を、東北新幹線を走って来た「つばさ」が福島から山形新幹線としてそのまま乗り入れています。
①-2山形新幹線 (550x340)

さて、こちらは米沢駅で発車を待つ米坂線の列車です。
②米沢駅ホーム (550x357)
平成20年から主にキハ110系で運行されています。

羽前椿駅です。
③羽前椿ホーム (550x367)

駅の周囲は正に紅葉真っ盛りでした。
④羽前椿駅紅葉 (550x367)

羽前椿駅の近くには「がまの湯」という温泉があります。
⑤がまの湯 (550x371)

羽前沼沢駅前の酒屋さんで地酒「羽前桜川」を買って呑み鉄をしました。
⑥羽前沼沢呑み鉄 (550x349)
沿線の小国町にある野沢酒造店のお酒です。

羽前沼沢駅から隣の伊佐領(いさりょう)駅の間は、駅間距離が6・1キロもあるのですが、好天に恵まれて駅間をのんびりと歩きました。
すると、気持ち良い秋風に、カップ酒の酔いはすぐに醒めてしまいます。

⑦羽前沼沢~伊佐領1 (550x367)
羽前沼沢~伊佐領間の明沢川にかかるアーチ橋を列車が渡って行きます。
⑧羽前沼沢~伊佐領2 (382x550)
深い山の中、この区間を走る列車は一日6往復しかないので、クルマを使わず、列車と徒歩で撮影するのは結構、大変です。
⑨羽前沼沢~伊佐領3 (550x367)
でも、おかげでのんびりとした時間を過ごすことができました。

伊佐領に到着した米沢行の上り列車です。
⑩伊佐領到着 (550x367)

ススキの穂が揺れていました。
⑪伊佐領~羽前松岡 (550x367)

夜の小国駅に到着した上下線の列車です。
⑫夜の小国駅 (550x359)

その夜、町内の居酒屋さんで、一升瓶の羽前桜川を呑みました。
⑫-2羽前桜川 (367x550)

これは小国駅です。
⑬小国駅 (550x377)
ここは山形県の西の端、この駅から先、列車は新潟県に入ります。

小国~越後金丸間の荒川橋梁を渡る列車です。
⑭小国~越後金丸 (550x367)
今度はキハE120がやって来ました。

越後金丸駅です。
⑮越後金丸駅 (550x344)
荒川に面した風光明美な場所にありますが、近くに民家は見当たりませんでした。

やがて、人のいない越後金丸駅に列車がやって来ました。
⑯越後金丸駅ホーム (550x358)

来週は、昭和47年3月と平成15年8月に訪れた時の米坂線をご紹介します。

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  1. 2017/12/10(日) 00:02:03|
  2. 東北
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冬の八戸線・鮫駅

今週は青森県の八戸線にある鮫(さめ)駅とその周辺をご紹介しましょう。
ある冬の日に鮫駅で途中下車をしました。
①ホーム (550x367)
鮫駅で折り返し発車を待つ八戸行の列車です。
八戸線は東北新幹線の八戸から久慈までの64・9キロを結ぶローカル線です。
八戸~鮫間(11・8キロ)は、一日19往復の列車が行き来し、八戸市民の貴重な通勤通学となっています。
でも、鮫から先、久慈まで行く列車は9往復に減ってしまいます。

八戸駅弁の「ほたて照焼弁当」です。
②帆立照焼弁当 (550x367)
八戸から久慈まではおよそ20分、このお弁当を食べ終えるころには鮫に到着します。

これが鮫駅の駅舎です。
③駅舎 (550x367)
東北地方のローカル線でよく見られるトタン屋根の木造駅舎が残っています。

駅前には昭和49年に建てられた鮫駅開業50周年のモニュメントがあります。
④開業50周年86動輪 (366x550)
これは、かつて、この線を走っていた8620形蒸気機関車の動輪です。
鮫駅の開業は大正13年、93年の歴史を刻んできました。

駅から歩いて10分ほどの所にある鮫漁港です。
⑤鮫港 (550x367)
後方には、陸続きの島「蕪島」(かぶしま)が見えています。

蕪島にある蕪島神社です。
⑥蕪島神社 (550x367)
蕪島はウミネコの島として知られており、春になると無数のウミネコたちが産卵のためにこの島にやってきます。
その数は数万羽にもおよび、島の岩がウミネコの糞で真っ白になるほどです。
でも、1月のこの日は、その姿はなく、ひっそりと静まり返っていました。

蕪島から眺める鮫の町です。
⑦蕪島からの鮫の町 (550x367)
太平洋側のこのあたりは、冬でも雪はそんなに多くはありません。

この町で買った地酒は三戸のにごり酒「どんべり」です。
⑧どんべり (367x550)
夕方の列車に乗って久慈を目指します。
⑨夕方の列車 (550x349)
鮫駅を発車するとほどなく、蕪島が見えました。
⑩車窓からの蕪島 (550x367)

⑪スタンプ (380x374)
八戸線の八戸~鮫間には、「うみねこレール八戸市内線」の愛称がつけられています。

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  1. 2017/03/19(日) 00:02:42|
  2. 東北
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釜石線の旅

今週は岩手県を走る釜石線をご紹介しましょう。
釜石線は東北本線の花巻と釜石を結ぶ90・2キロのローカル線です。

釜石駅です。
①釜石駅浜千鳥
まずは、釜石の地酒「浜千鳥」を片手に呑み鉄の旅を始めましょう。

釜石駅で発車を待つ花巻行の上り列車です。
②釜石駅ホーム
釜石駅は、釜石線のほか、山田線と三陸鉄道南リアス線が発着しますが、山田線はあの東日本大震災に伴う津波で甚大な被害を受けたまま、すでに6年近くも不通になったままです。

途中駅の陸中大橋です。
③陸中大橋駅
ここはかつて、釜石鉱山で賑わいましたが、今はひっそりとした無人駅です。
この駅と隣駅の上有住の間は、仙人峠の急坂をカーブしながら越えるΩ(オメガ)ループがあり、その大部分はトンネルの中を走ります。

途中の主要駅、遠野駅に停車中の下り釜石行列車です。
④遠野駅ホーム

雪に囲まれた遠野駅です。
⑥雪の遠野駅舎
遠野は民話の里として知られています。

これは、「とおの昔話村」にある「柳翁館」です。
⑦とおの昔話村「柳翁館」柳田國男
ここは、昔、柳田國男が定宿にしていた旅館でした。館の前には翁の胸像が建っています。

これは、ある年の秋の日に訪れた市内の「伝承館」にある菊池家曲り家です。
⑧伝承館菊池家曲り家
曲り家とは、母屋と馬小屋が一体になったこの地方の伝統的な農家です。

こちらは山口集落にある水車小屋です。
⑨山口部落水車小屋
このあたりには河童伝説が残っています。

遠野駅から、再び上り列車に乗りましょう。
⑩遠野ホーム上り列車

雪晴れの日、列車の影が雪原に写って、とても綺麗でした。
⑪列車の影

こちらは柏木平~宮守間にある眼鏡橋です。
⑫柏木平~宮守眼鏡橋
右手前にある柱は、かつてここにあった軽便鉄道時代の橋脚の跡です。

宮守駅のホームです。
⑬宮守駅ホーム
老婆がひとり、列車から降りました。

そして、これが宮守駅です。
⑭宮守駅
このあたりは水がきれいなので、ワサビの産地として町おこしをしています。

花巻駅に着いた釜石線の列車です。
⑮花巻駅
東北本線との乗換駅ですが、遠距離客の大部分は、二駅手前の新花巻で東北新幹線に乗り換えます。

これは春に訪れた時の宮守付近の桜です。
⑯宮守櫻
このあたりには5月の上旬になるとようやく桜が満開になります。

こちらは遠野付近で咲き誇る桜並木です。
⑰遠野桜
みちのくにようやく遅い春がやって来たころでした。

国鉄時代の釜石と遠野の駅のスタンプです。
⑱釜石駅スタンプ⑲遠野駅スタンプ

そそて、国鉄時代の入場券です。
⑳入場券
今では殆どの途中駅が無人駅になってしまいましたが、昭和の頃は多くの駅に駅員さんがいたものです。


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  1. 2017/02/19(日) 00:03:02|
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仙台市電保存館

今週は、先週ご紹介した横浜市電保存館に続き、宮城県の仙台市電保存館をご紹介しましょう。

仙台市電博物館は、仙台地下鉄東西線の富沢駅から15分ほど歩いた、地下鉄富沢車両基地の敷地内にあります。

仙台市電は、大正15年から昭和51年までの半世紀に渡り、市内中央部を市民の足として走り続けました。
市電全廃後、何台かの電車が公園などに静態保存されていたが、野ざらしだったために痛みが激しく、ホームレスの宿所にもなっていたため、そのうちの3台を集めて整備し、平成3年にこの保存館がオープンしました。

入口には市電の車輪がモニュメントのように置かれています。
 ①車輪モニュメント (550x367)

これが市電保存館の入口です。
②入口 (550x354)
扉の左上にあるのは、昔、市電の発車の合図に使われていた鐘で、ひもを引くといい音がします。

これが館内のようすです。
③3両 (550x367)

こちらは、大正15年の開業時に走ったモハ1号です。
④大正15年モハ1号 (550x367)
これが、そのモハ1号の車内です。
⑤モハ1号車内 (550x367)
車内には当時の制服を着たハンサムなマネキンの車掌さんがいました。
⑥ハンサムな車掌さん (328x550)
今では路面電車や路線バスは、すべてワンマンカーですが、車内で車掌から一人一人切符を買っていた時代、なんとも人間味があったものだと思います。

モハ1号には、ロックフェンダーと呼ばれる救助網が付いていました。
⑦モハ1号のロックフェンダー(救助網) (550x367)
万一、歩行者などを轢きそうになった時に救助するための網のようです。

開業時の乗車券です。
⑧開業時の乗車券 (400x205)⑨昭和3年乗換券 (300x200)
昭和3年の乗換券もありました。
これは、別の路線に乗り換える時に、この券を持っていれば追加運賃なしで乗れるという切符です。

昭和27年製造の100型123号車です。
⑩昭和27年100型123号車 (550x367)

そして、こちらは昭和38年製造の400型415号車です。
⑪昭和38年400型 (550x367)
その後、ワンマン車に改造されました。

停留所にあった標識です。
⑫停留所標識 (550x421)
当時、大時計のある堂々たる木造駅舎の仙台駅の前を悠然と走る市電の姿は、なんともよく似合っていたものです。

路線図です。
⑬路線図 (550x548)
全盛時には杜の都を縦横無尽に走っていたのですね。


これは廃止時の運賃箱です。当時の運賃は50円でした。
⑭廃止時の運賃箱 (550x367)
昭和42年ごろから、市電は相次いでワンマン化されました。

市電保存館の最寄りの富沢駅に停車する地下鉄東西線の電車です。
⑮富沢駅 (550x367)
富沢駅までは、仙台駅からわずか12分で着きます。

そして、これは昭和47年3月、八幡町線を行く長町行の電車です。
⑯仙台市電昭和47年3月撮影 (550x355)
この時が、私が仙台市電に乗った唯一の時でした。

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  1. 2016/10/16(日) 00:02:01|
  2. 東北
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仙台市地下鉄東西線

今週は、昨年12月に開通した仙台市地下鉄東西線をご紹介しましょう。
地下鉄東西線は、昭和62年に開通した南北線に続く仙台市地下鉄の二番目の路線です。
八木山動物公園駅から荒井までの13・9キロを市内を東西に結んでおり、途中、仙台駅でJRと東西線に接続しています。

①仙台駅改札口 (530x353)

まずは、仙台駅から荒井を目指しました。
②仙台駅ホーム荒井行き電車 (530x353)
仙台から東側の終点・荒井までは、6駅13分で着きます。
③荒井駅名票 (420x280)

郊外に造られた荒井駅には大きな駅舎があり、駅前には桜が咲いていました。
④荒井駅 (530x353)
このあたりは、まだ空き地が多く、まだまだ開発途上という感じがしますが、さらに東に向けて延伸計画もあるそうです。

こじんまりとした車内です。
⑤車内 (530x353)
車内の液晶案内表示です。
⑥ひらがな案内 (370x247)
ひらがなの案内のほか、英語、中国語、韓国語の案内が順に表示されます。
⑦中国語案内 (370x247)⑧ハングル語案内 (370x247)

荒井から西側の終点、八木山動物公園までは、12駅26分です。
⑨八木山動物公園ホーム (530x353)

仙台の地下鉄は、仙台駅を中心に、十字型の路線網があります。
⑩案内地図 (530x353)

八木山動物公園駅です。
⑪八木山動物公園駅 (530x353)
この駅の近くには、動物園や遊園地があります。
⑫バスに接続 (530x353)
また、駅からは郊外へのバスに乗り継ぐことができます。

帰りは大町西公園駅で途中下車してみました。
⑬大町西公園駅 (530x353)
大町西公園~国際センター間では、一旦、地上に出て広瀬川を渡ります。
⑭広瀬川を渡る (530x353)
ちょうど、満開の桜の横を水色のラインの電車が走り抜けていきました。

⑮楽天イーグルス看板 (530x353)
仙台駅の地下道には東北楽天イーグルスの広告が掲出されていました。

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  1. 2016/06/26(日) 00:02:12|
  2. 東北
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阿武隈急行の春

今週は福島県の県都、福島から宮城県の槻木(つきのき)間、54.9キロを結ぶ阿武隈急行の、花いっぱいの春をご紹介しましょう。

阿武隈急行の前身は、昭和43年に槻木~丸森間17・4キロが開通した国鉄丸森線です。
国鉄時代は、一日たった5往復の気動車が、細々と走っていたに過ぎず、国鉄の財政破綻により、第一次廃止対象線区に指定されました。
けれども、元々、東北本線のバイパスとして、丸森~福島間の延伸工事が進んでいたこともあり、昭和61年に第三セクターの阿武隈急行に移管され、昭和63年に、未開業区間が全通し、それと同時に電化されたのでした。

これは福島駅です。
①福島駅 (550x365)
福島交通飯坂線(右側)と同じホームから発着しています。

瀬上(せのうえ)~向瀬上(むかいせのうえ)間にある第一阿武隈川橋梁を「伊達なトレイン」ラッピング電車が渡ります。
②瀬上~向瀬上 (550x357)
周囲は、桃の花が咲き誇っています。
③向瀬上 (550x367)
向瀬上駅に到着した福島行の電車です。
④桃源郷 (550x367)
あたりは正に桃源郷の世界でした。

上保原~保原間を行く電車です。
⑤上保原~保原 (550x367)

梁川(やながわ)駅の風景です。
⑥梁川駅ホーム (550x364)
この駅で折り返す福島行の電車も多く、車庫もある阿武隈急行の中枢駅です。

そんな梁川駅前にある伊達市誕生記念に植えられた桜も満開でした。
⑦梁川駅 (550x367)

これは、やながわ希望の森公園前駅に停車する福島行のラッピング電車です。
⑧梁川希望の森公園前 (550x367)

この駅に近い「やながわ希望の森公園」は、広大な敷地に大きな池があり、数多くの桜が植えられています。
⑨希望の森公園 (550x367)
駅から公園の西口までの800メートルを走る、B62418形蒸気機関車「さくら1号」です。
⑩SL (550x367)
満開の桜のトンネルの中を列車は走ります。

終点に着くと、機関車を転車台に乗せて方向転換をします。
⑪転車台 (550x367)
⑫家族連れ (550x367)
家族連れが、楽しそうに列車の窓からお花見をしていました。


阿武隈急行は、福島県から宮城県の県境にかけて、阿武隈川に沿って深い山の中を走ります。
⑬阿武隈川の春 (367x550)
⑭第2阿武隈川橋梁 (550x367)
あぶくま~丸森間の第二阿武隈川橋梁を渡る電車です。
⑮第2阿武隈川橋梁2 (550x367)
豊かな水をたたえる阿武隈川は、ゆったりと流れていました。
⑯橋梁3 (550x367)

もうすぐ丸森に到着します。
⑰あぶくま~丸森 (550x367)

これが丸森駅です。
⑱丸森駅 (550x360)
かつて、国鉄丸森線の終着駅だったころと、その佇まいは変わることはありません。

⑲丸森到着 (550x358)
上り列車が丸森にやってきました。

これは角田駅です。
⑳角田駅 (550x367)
こちらは国鉄時代とは比べ物にならないほど立派な駅舎になりました。

そして、終点の槻木駅に着きました。
㉑槻木駅 (550x367)
この駅からはJR東北本線に接続しており、朝夕の通勤時間帯に1本ずつ仙台まで直通列車が乗り入れています。

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  1. 2016/05/22(日) 00:02:28|
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桜満開の船岡

今週は宮城県にある桜満開の東北本線船岡駅と、その周辺をご紹介しましょう。

これが船岡駅です。お城をイメージした駅舎があります。
①船岡駅 (550x367)
ここの駅名は船岡ですが、町名は柴田町で、このあたりは桜の名所として知られています。

駅から歩いて15分ほどの高台にある船岡公園は、好天に恵まれ、大勢の観桜客で賑わっていました。
②船岡城址公園 (550x367)
③八重桜 (330x220)④ソメイヨシノ (330x220)

さらに山の頂上まではスロープカーで登ることができます。
⑤スロープカー (550x367)
桜のトンネルの中を通り抜け、まるで、夢の国のようです。

頂上には観音様がいました。
⑥観音様 (387x580)

そして、この山の頂上からは、眼下に広がる白石川に沿って走る東北本線を眺めることができます。
⑦川沿い下り普通 (550x367)
川に沿って並ぶ桜並木が見事です。

貨物列車もやって来ました。
⑧貨物俯瞰 (550x367)
このあたりの東北本線に特急や急行列車が走ることはなくなりましたが、長距離貨物列車が次々とやってきます。

やがて、昔懐かしい客車列車がやって来ました。
⑨花見山号 (550x367)
ED75が旧型客車を牽引する「レトロふくしま花見山号」で、これは桜の季節に合わせて走る臨時列車なのです。

かつて、東北本線にはこのような客車列車が数多く走っていたものです。
⑩花美山+普通 (550x367)
ちょうど、上り電車とすれ違いました。

山を下りると、仙台行の下り電車がやってきました。
⑪下り普通 (550x367)

線路と川に沿って気持ちのいい歩道が続いています。
⑫千本桜歩道 (550x367)
この桜並木を一目千本桜といいます。

やがて、金太郎と呼ばれるEH500が牽引する長大な貨物列車がやってきました。
⑬金太郎 (550x367)
やはり東北本線は大幹線なのです。

船岡で呑んだお酒は、地元白石の酒「蔵王」でした。
⑭地酒蔵王 (490x327)

福島行の普通列車がやってきます。
⑮福島行到着 (550x367)
いい一日でした。



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  1. 2016/05/01(日) 00:01:38|
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北上線ほっとゆだ駅

今週は雪に包まれた北上線のほっとゆだ駅をご紹介します。

北上線は東北本線の北上から奥羽本線の横手を結ぶ61・1キロのローカル線です。
その中間の山の中の岩手県と秋田県の県境付近にあるのがほっとゆだ駅です。
大正11年のこの駅の開業時には陸中川尻という駅名でしたが、民営化後に駅舎に「ほっとゆだ」という日帰り温泉ができ、平成3年からは駅名もこれに合わせて「ほっとゆだ」になりました。

雪のホームに到着した北上行の列車です。
①ホームと列車 (550x360)

③駅名票 (367x550)駅名票は雪に囲まれています。


駅舎は、平成元年にできた日帰り温泉「ほっとゆだ」になりました。
②駅舎 (550x367)

温泉の内部です。ここの温泉の面白いのは浴室の中に信号機があることです。
④風呂場 (358x550)
列車の到着時間が近づくと、青だった信号の色が黄色に変わり、やがて赤になって、列車に乗る入浴客が乗り遅れないように注意を喚起するのです。

北上線に沿って近くを流れる和賀川も雪に包まれています。
⑥和賀川 (367x550)

その名も雪屋山南昌寺です。
⑦雪屋山南昌寺 (550x367)
境内は静かな杉木立に囲まれ、ひっそりと静まり返っています。

夕闇が迫る横手行の列車です。
⑧雪の北上線 (550x360)
車窓からはモノトーンの世界が広がるばかりでした。


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  1. 2016/03/13(日) 00:01:05|
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雪の男鹿線

今週は、雪に包まれた冬の男鹿線をご紹介しましょう。
秋田県の男鹿線は、奥羽本線追分駅から分岐し、日本海側に突き出た男鹿半島の先端に近い男鹿までを結ぶ26.6キロのローカル線です。起点は追分駅ですが、すべての列車、秋田駅から発着しています。

追分駅に停車中の男鹿線の列車です。
①追分駅 (550x367)

追分駅には、男鹿線の起点であることを示す看板が立っていました。
②起点標 (253x380)  ③サボとなまはげ (250x380)
男鹿線は「男鹿なまはげライン」という愛称がつけられています。

出戸浜駅の駅名票が雪に囲まれています。
④出戸浜駅名票 (388x550)
このあたりは秋田市郊外の住宅地で、秋田に向かう通勤通学客の利用が多く見られます。

船越水道の鉄橋を渡ると、右手に八郎潟が見えます。
⑤船越水道八郎潟 (550x367)
八郎潟は広大な湖でしたが、その大部分が干拓され、今は大規模農地になっています。

脇本駅に着きました。
⑥脇本到着 (550x345)
ここで秋田行の上り列車と交換駅します。
⑦脇本交換 (550x367)
雪国の駅の風景は、今も昔も変わりません。

脇本~羽立(はたち)間を行く列車です。後ろに寒風山が見えます。
⑧脇本~羽立寒風山 (550x370)
なんと、この列車は四両編成でした。

こちらは羽立駅です。
⑨羽立駅舎 (550x367)
昔ながらの木造駅舎が健在ですが、今は無人駅になってしまいました。
⑩羽立駅ホーム (550x367)
羽立駅に秋田行の列車がやって来ました。
⑪羽立駅新政 (550x367)
駅近くで買った、秋田の酒「新政」です。

さて、こちらは終点の男鹿駅です。
⑫男鹿駅 (550x367)
駅舎内には、手作りの「なまはげ」が飾られていました。
⑬なまはげ (550x359)
なまはげは、毎年大晦日の夜に恐ろしい顔の鬼が包丁をふりかざして「わるい子はいねえが~」と各家を訪ねて回る男鹿の伝統行事です。

男鹿駅で、発車を待つ列車です。
⑭男鹿駅発車待ち (550x359)
男鹿駅では一日に15本の列車が発車します。秋田までの所要時間はおおよそ1時間です。

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  1. 2016/02/14(日) 00:00:47|
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陸羽東線、今昔

今週は宮城県の小牛田(こごた)と山形県の新庄との間、94・1キロを結ぶ陸羽東線をご紹介します。
私は何度もこの線を訪れていますが、今回は時系列を無視して小牛田から新庄に向かいます。
②小牛田駅
陸羽東線の起点の小牛田駅です。この駅は東北本線が陸羽東線と石巻線に接続する昔からの鉄道の要衝で、東北新幹線開業前は、数多くの優等列車が停車していました。

陸前谷地~古川間の新江合川鉄橋を渡る普通列車です。
③新江合川
そして、こちらは、同じ鉄橋を渡る昭和47年の蒸気機関車重連です。
④新江合川S47
かつて、陸羽東線は数多くのC58が活躍していました。

さて、古川で買った宮城県石越の地酒「澤泉」です。
⑤古川呑み鉄

岩出山駅の風景です。
⑥岩出山H27

こちらは平成12年の岩出山付近。
⑥岩出山付近H12


そして、43年前に川渡付近を走る貨物列車です。
⑦川渡C58
当時はローカル線にも、ごく普通に貨物列車が走っていました。

平成12年、鳴子御殿湯の鉄橋を渡る列車です。
⑧鳴子御殿湯
そして、同じ鉄橋の上を陽光を浴びて驀進する昭和47年の蒸気機関車。
⑨東鳴子S47

こちらは現在の鳴子温泉駅です。
⑩鳴子温泉駅

鳴子といえば、こけし。
⑪こけし
街中にこけしがあふれています。

鳴子温泉からも呑み鉄の旅を続けました。
⑮呑み鉄
地元の酒屋さんオリジナルのこけしのにごり酒と、「鳴子の風」という地ビールです。

鳴子峡のトンネルから顔を出した普通列車です。
①鳴子峡普通列車
正に秋、真っ盛り。鳴子峡には、紅葉の秋を楽しむ大勢の人たちの姿が見られました。

やがて、「リゾートみのり」もやってきます。
⑫みのり

「リゾートみのり」には、車掌室にこんなこけしが乗務していました。
みのりこけし

中山平温泉駅に静態保存されているC58です。
⑬C58356
かつてのこの線の主役だった蒸気機関車ですが、保存状態はかなり悪く、今にも朽ち果てそうでした。
なんとか、メンテナンスできないものでしょうか。

そして、現役時代のC58の雄姿です。
⑭中山平C58

最上駅で上下列車が交換します。
⑯最上交換
この駅は国鉄時代は羽前向町と呼ばれていました。
陸羽東線は駅名変更をした駅が多く、私が初めて訪れた昭和47年と比べると11駅の名称が変更されています。

こちらは平成25年の冬です。
⑰瀬見~鵜杉H25
瀬見温泉~鵜杉間の美しい雪景色の中を列車は走ります。

雪深い中、新庄行の列車が瀬見温泉に到着しました。
⑱瀬見温泉到着

東長沢駅も雪に包まれています。
⑲東長沢

こちらは終点の今年秋の新庄駅です。
⑳新庄駅
新庄からは奥羽本線、陸羽西線と接続し、山形新幹線もこの駅まで乗り入れています。

切符①スタンプ陸前古川
切符②スタンプ川渡
切符③スタンプ東鳴子
スタンプ鳴子スタンプ中山平
ここにある入場券の駅のうち、陸前古川は古川、川渡は川渡温泉、東鳴子は鳴子御殿湯、鳴子は鳴子温泉、中山平は中山平温泉、羽前赤倉は赤倉温泉、羽前向町は最上、瀬見は瀬見温泉に、それぞれ改称されています。

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  1. 2015/11/01(日) 00:00:31|
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石巻線・女川駅の昔と今

今週は、宮城県北部を走る石巻線の終着駅、女川駅の昔と今をご紹介します。
女川町は、牡鹿半島の海沿いにある風光明媚な町ですが、平成24年3月11日に襲った東日本大震災に伴う大津波で壊滅的な被害を受けました。私は縁があって震災前に3回、震災後に2回この町を訪れています。
①S600811女川駅舎
これは、昭和60年、国鉄時代の女川駅です。
②女川駅ホーム
赤い気動車が到着すると、大勢の地元民や観光客がこの駅で降りました。

女川は漁業の町、これは女川港のようすです。
③賑わう漁港
港にはテントが張られ、大勢の観光客で賑わっていました。
④漁港即売

そして、こちらは平成12年のJR女川駅です。
⑥H12JR女川駅
木造の建物はそのままですが、リニューアルされ、きれいになっていました。

そして、こんな歓迎看板が掲げられていました。
⑦歓迎看板
当時のプラットホームは、駅舎より一段高い位置にあり、ホームに降りた客は階段を下りて改札口に向かったものです。

町の古い商店街です。
⑧街の商店
こんな昔懐かしいお店が残っていましたが、すべて大津波に流されてしまったのです。


そして、これは、津波から2カ月後に拙著『よみがえれ東日本、列車紀行』の取材で訪れた時の惨状です。
⑨津波後駅前
ここに駅舎があったのですが、土台と床のタイルを残して跡形もなく流されていました。

この津波で、10014人だったこの町の人口のうち、827名が死亡または行方不明となり、町全体の89.2%にあたる3934棟の民家が全壊または半壊などの被害を受けました。

錆びついた線路には流されてきた自動車や、倒れた赤い気動車が横たわっていました。
⑩流された線路

そして、もっとショックだったのは、駅の近くの標高10メートル以上の丘の上にあった墓地の上に、駅に停車中だった気動車が打ち上げられ、横倒しになっていたことでした。
⑪お墓の上の気動車
列車の乗客・乗員は避難していて無事だったのが不幸中の幸いでしたが、あまりの惨状に言葉を失いました。

こちらは震災後に地盤沈下し、浸水した女川港です。
⑫浸水した女川港
右上の高台の上に建つ病院だけが、無事に残っていました。


そして、こちらは、震災から4年3か月後の、今年6月の女川のようすです。
⑬更地
町を埋め尽くしていた瓦礫はすべて撤去され、あたりには広大な更地が広がっていました。
⑭更地2
そして、ショベルカーによる復興作業が行われています。

高台には銀行の屋上に避難したものの、建物ごと流されて亡くなった七十七銀行女川支店の行員の方々の慰霊碑と祭壇がありました。
⑮慰霊碑
思わず、手を合わせずにはいられません。

そして、かろうじて流されなかった病院の庭には、その場所まで津波が到達したことを示すモニュメントが建っていました。
⑯モニュメント

今年3月30日、震災以来不通になっていたJR石巻線浦宿~女川間が、4年ぶりに開通しました。
⑰新駅ホーム
ホームは一面一線だけのシンプルな構造です。

新駅舎は、旧駅跡から200メートル山側に移設され、7メートルかさ上げされた上に建設されました。
⑱新駅舎
そして、駅舎内には震災前にもあった「YUPOPPO」という駅の温泉が併設されています。
yupoppo.jpg

まだまだ、更地が広がる町が復興するまでの道のりは厳しいかもしれませんが、完全復興に向けて町には確実に槌音が響いています。そして何より、町の人々の表情が明るいことに、救われた思いがしました。一日も早く、この町がかつての賑わいを取り戻すことを心から祈っています。

⑲新旧入場券
これは、新旧の女川駅の入場券です。

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  1. 2015/07/12(日) 00:01:29|
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湯野上温泉駅、今むかし

今週は、福島県の会津鉄道・湯野上温泉駅をご紹介します。
会津鉄道は、国鉄会津線を継承し、昭和62年7月に開業した第三セクター鉄道です。
桜の木に囲まれたこの駅は、毎年4月下旬になると見事な桜のトンネルにおおわれます。
①赤い列車と駅舎
赤い会津田島行の下り列車が停車しています。

これが、萱葺屋根の駅舎です。
②茅葺駅舎
三セク化の時に国鉄時代の木造駅舎から建て替えられました。

今度は白い列車です。
③白い列車と駅舎
ほとんどの列車はこの駅で交換するので、しばらく停車します。

会津若松行の上り列車がやってきました。
④赤い列車到着

そして、こちらは駅舎の反対側の斜面から眺めた湯野上温泉駅です。
⑤白い列車とホーム
なんとも美しい風景です。

この駅には足湯があります。
⑥足湯
列車を待つ間、誰でも無料で入ることができます。

地元の親子が楽しそうに歩いています。
⑦駅舎と親子
平和な風景ですね。

あたりは、正に満開でした。
⑧正に満開
⑨正に満開2
たとえようもない美しさです。

⑩線路とタンポポ
線路にはタンポポが花を咲かせていました。

赤い列車が発車して行きます。
⑪去りゆく赤い列車
この駅を去るのは名残惜しいですね。


さて、こちらは、昭和54年の同じ時期の国鉄湯野上駅です。
⑫S540429桜と列車
今も昔も変わらぬ美しさですね。国鉄時代のディーゼルカーが懐かしいです。

これは、昭和54年の、駅から6キロほど離れた旧会津街道の宿場町・大内宿です。
⑬S5404大内宿
大内宿は、今では団体バスやマイカーが頻繁に訪れる一大観光地となりましたが、この当時は連休中でもひっそりと静まり返っていました。この当時、大内には食堂が一軒もなく、雑貨屋さんでカップラーメンを買ってお湯をお願いすると、その家のおばさんが、「それなら、家にあがって一緒に食事をしましょう」と言われ、ごちそうになった思い出があります。観光客が大勢押し寄せる今では、そんなこともないでしょうね。

そして、こちらは昭和62年2月、民営化直前の国鉄湯野上駅です。
⑭S6202国鉄末期駅舎
湯野上駅は、4月に一旦、JR東日本の駅となり、7月の三セク化と同時に湯野上温泉駅と名称変更になりました。

昭和63年2月、三セク化後、最初の冬の湯野上温泉駅です。
⑮三セク初年度ホーム
この時、すでに萱葺屋根の駅舎に変わっていました。
⑯S6302三セク初年度列車
駅の雰囲気は今と変わっていません。

⑰国鉄時代切符国鉄末期の切符と現在の記念入場券です。
⑱記念入場券
会津の山奥をのどかに走る会津鉄道、いつまでも元気に走り続けてほしいですね。

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  1. 2015/05/24(日) 00:02:21|
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心温まる由利高原鉄道の旅

今週は、1月下旬に訪れた秋田県の羽後本荘から矢島までの23.0キロを走る由利高原鉄道の旅にご案内します。

由利高原鉄道鳥海山ろく線は、大正11年に羽後本荘~前郷館が開業した横荘鉄道を前身として、国有化後の昭和13年に国鉄矢島線として羽後本荘~羽後矢島間が全通しました。

その後、国鉄末期に、第一次廃止対象路線に指定されたものの、昭和60年に地元自治体などが出資して由利高原鉄道として再出発をしました。

これは、羽後本荘~薬師堂間を行く矢島行の列車です。
1羽後本荘~薬師堂
起点の羽後本荘を発車した列車は、次の薬師堂までは、JR羽越本線と並行して南下します。そのため、ここまではJRの架線が見えています。

鮎川~黒沢間を行く列車です。
2黒沢~鮎川
例年、この時期には、もっと積雪が多いのですが、今年は珍しく、まだこのあたりでは黒い地面が見えています。

これは途中下車をした黒沢駅です。
3黒沢駅
平成15年に国鉄時代からの古い木造駅舎から建て替えられました。でも、新しい駅舎もこんな趣のある瓦屋根の建物になったことは、嬉しいことですね。

黒沢~曲沢間の子吉川の鉄橋を渡る列車です。
4曲沢~黒沢子吉川鉄橋
このあたりから、徐々に雪が多くなってきました。
5曲沢~前郷鳥海山
黒沢~曲沢間の鉄橋を渡ったあたりから見える鳥海山です。冬は滅多に姿を見せてくれないそうですが、好天に恵まれたこの日は、車窓からうっすらとその雄姿を眺めることができました。

中間駅の前郷です。
6前郷交換風景
この駅では、線内で唯一、列車交換が行なわれます。
7前郷タブレット交換
かつては、日本中のローカル線で見られたタブレット(通票)の交換風景を、この駅では今でも見ることができます。

前郷でも途中下車をしてみました。
8佐々木歯科医院
すると、こんな立派な日本家屋がありました。駅から歩いて5分ほどの所にある、この佐々木歯科医院は、国の有形文化財に指定されているそうです。

これは、川辺~矢島間の雪原を走る列車です。
9川辺~矢島雪原
このあたりまで来ると、さすがにかなり雪が深くなってきました。

車内で案内してくれたのは、秋田おばこ姿のアテンダント嬢です。
10秋田おばこ
毎日一往復、矢島発9時49分、羽後本荘発10時47分の列車は「まごころ列車」として運転され、かわいいおばこ姿の彼女たちが、沿線の案内をしてくれます。

これが、終着の矢島駅です。
11矢島駅
平成12年に新駅舎に移転しました。
旧駅舎はしばらく倉庫として使われていましたが、平成23年に解体されてしまいました。

こちらは矢島駅構内にある売店「まつこの部屋」です。
12まつこの部屋
写真のまつこさんは、知る人ぞ知る、由利高原鉄道の有名人なのです。「まつこはまつこでも、デラックスじゃないけどね」といきなり笑わせてくれます。彼女は矢島駅に着いた旅人を熱烈に歓迎し、この日、私は桜茶をごちそうになりました。

アテンダント嬢のお勧めに従って、町内を散歩してみました。まつこさんに聞くと、すぐに地図をくれて詳しく教えてもらえます
13龍源寺
こちらは、萱葺屋根の本堂のある龍源寺です。

町内にはふたつの造り酒屋があります。
14天寿酒造
こちらは明治7年創業の天寿酒造、銘柄はその名も「天寿」です・

そして、こちらは明治40年創業の佐藤酒造、
15佐藤酒造出羽の富士
こちらの銘柄は「出羽の富士」です。

まつこさんの見送りを受けて矢島駅をあとにします。
16まつこさん見送り
旗を振って見送ってくださいました。

車内の友は、もちろん「天寿」と「出羽の富士」です。
17窓際カップ酒
のんびり車内での雪見酒は、至福のひとときです。


18フリーキップ
この日、使ったのは、土日祝日一日乗り放題のフリーきっぷです。何度も途中下車をして1100円はお得です。

由利高原鉄道では、今も硬券切符が使われていました。
19切符現役20切符現役

これは昭和62年、三セク化直後の矢島駅です。
21S62矢島駅

こちらは、三セク開業当時の切符と、国鉄矢島線時代の入場券です。
22S62切符24国鉄時代入場券

そして、これは昭和53年の国鉄羽後矢島駅です。
23S53羽後矢島駅
三セク化と同時に、駅名は矢島に変わりました。

アテンダント嬢とまつこさんから、こんなお土産をいただきました。
25しおり
心温まるこの列車に乗って、また違う季節にこの地を訪れたいものです。

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  1. 2015/02/22(日) 00:01:52|
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三陸鉄道・北リアス線

今週は去る4月6日に、あの東日本大震災に伴う津波被害以来、3年ぶりに全線で運転を再開した、岩手県の三陸鉄道・北リアス線をご紹介しましょう。
三陸鉄道は岩手県北部の久慈~宮古間71.0キロの北リアス線と、JR山田線をはさんで、釜石~盛間の36.6キロの二つの路線からなる、昭和59年に開業した日本で最初の第三セクター鉄道です。
1_20140708232054bd7.jpg
これはJR山田線と接続する北リアス線の宮古駅です。この駅に三陸鉄道の本社があります。

三陸海岸を縦断する鉄道の開通は、明治以来の沿線住民の悲願でした。
2_201407082320563aa.jpg
これは、昭和59年に三陸鉄道が全通した時の開通記念碑です。この時、東北本線の八戸から、八戸線~三陸鉄道北リアス線~山田線~三陸鉄道南リアス線~大船渡線~気仙沼線を経て、石巻線の前谷地までの三陸縦貫鉄道が全通したのです。

IMG_20140708_0001.jpgこれは昭和59年の、三陸鉄道・開業記念乗車券です。

しかしながら、平成23年3月11日に起きた、あの忌まわしい東日本大震災に伴う巨大津波で、これらの路線はことごとく甚大な被害を受けて不通になりました。JR各線は、八戸線など一部で復旧したものの、山田線の宮古~釜石間、大船渡線の盛~気仙沼間、気仙沼線の気仙沼~柳津間が3年以上が過ぎた今も運転再開の目途がたっていません。

これに対して三陸鉄道は、震災発生からわずか5日後の3月16日に、久慈~陸中野田間で運転を再開し、続いて20日に田老~宮古間、29日には小本~田老間と、徐々に復興支援列車として運転を再開したのでした。
3三陸鉄道復興列車・小本駅
これが、復興支援列車として運行された列車が、仮の終着駅となった小本に到着した時です
4_2014070823210089e.jpg5_201407082321021a4.jpg
宮古~小本間は、通常なら33分で走りますが、この時は信号機がまだ使えず、宮古~小本間を一閉塞区間(途中駅ですれ違わない)として最徐行運転をしたため、42分を要していました。また運転本数も通常の13往復に対してわずか、4往復でしたが、震災直後の被災地の人々にとって、希望の光のような存在になりました。

北リアス線は島越駅付近の橋脚が駅ごと流されるなど、甚大な被害を受けましたが、その後、3年で復旧工事を終え、前日に復旧した南リアス線とともに、全線で運転を再開したのでした。

これは、宮古駅で発車を待つ久慈行の列車です。
5宮古駅
昨年、この地を舞台に放送されたMHKの朝ドラマ「あまちゃん」の影響でしょうか。2両編成の車内は超満員でした。

これは、田老付近のようすです。万里の長城と呼ばれた高さ10メートルの防潮堤がありましたが、巨大津波はそれを乗り越え、この地に甚大な被害をもたらしました。
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3年たった今も、作業用の大型トラックが行き交い、かつて集落があった駅前付近は更地のままでした。
これども、線路の山側は、築堤が防潮堤の役目をはたして、被害が少なかったことが印象に残っています。

これは、島越(しまのこし)付近の新しくできた築堤です。震災前にはこのにはコンクリートの橋梁があり、その上に駅がありましたが、橋もろとも駅が流されてしまいました。7.jpg
そこで、このような築堤を新たに造り、万一、再び津波が押し寄せても線路が防潮堤の役目を果たすように設計されたのです。

途中駅の譜代です。この駅からも大勢の観光客が乗って来ました。
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この駅のある普代村は、過去のどんな津波よりも高い15メートルの防潮堤を建造し、人の住む住宅地を高台に造ったため、今回の津波の被害は最小限度ですみました。

私は堀内(ほりない)という小さな無人駅で途中下車をしました。
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この駅は、「あまちゃん」で北三陸鉄道の「袖ヶ浜駅」としてロケが行われたところです。
10_201407082329002da.jpg
駅は高台にあり、ホームからは小さな漁港を見下ろすことができました。

堀内~白井海岸間にある大沢橋梁を渡る宮古行の列車です。
11.jpg
車窓から美しい三陸海岸を見下ろすことのできるビューポイントです。昼間の列車は観光客のためにこの橋の上で一時停止してくれるサービスがあります。

堀内漁港の近くにある夫婦岩です。
12.jpg
有名な伊勢の二見浦にある夫婦岩よりもずっと大きな岩です。先の大津波に襲われても、二つの岩に結ばれた縄が切れなかったそうです。

巨大津波が起きたことなど信じられないほど、穏やかで美しい海でした。
13.jpg
でも、周囲の護岸は津波で崩れ、海岸にあった大きなテトラポットが割れていることが、津波のすさまじさを物語っています。

再び列車の旅を続けましょう。
14.jpg
野田玉川駅付近の松林の中で宮古行と交換しました。ここまで来ると、終点の久慈はもうすぐです。

終着駅の久慈に到着しました。
15_201407090051372e0.jpg
この日、最後部にはレトロ車両「さんりくしおさい号」が連結されていました。

久慈駅構内に並ぶ三陸鉄道の列車たちです。
16.jpg
全線復旧で、なんだが嬉しそうです。

そして、これが三陸鉄道久慈駅です。
17.jpg
JR八戸線の久慈駅と隣接しています。

このクラシックな建物は、駅前デパート。
18.jpg
ドラマ「あまちゃん」では北三陸鉄道の本社としてロケが行われましたが、残念ながら老朽化のため、数年後には取り壊すそうです。

最後にこれは震災直後に取材して発刊した拙著『よみがえれ、東日本!列車紀行』です。
19表紙カバー
三陸鉄道をはじめ、山田線、大船渡線、気仙沼線、石巻線、常磐線などの被災直後の状況をレポートし、第二部では震災前の平和な東日本各地のローカル線の旅をご紹介しています。なお、この本の印税は全額、震災孤児のための基金に寄付させていただきました。ご興味にある方はお読みいただければ幸いです。

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  1. 2014/07/13(日) 00:01:55|
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雪の中の弘南鉄道大鰐線

今週は、この冬に訪れた弘南鉄道の大鰐線をご紹介します。
大鰐線は青森県の中央弘前と大鰐(おおわに)を結ぶ13.9キロの路線です。
①中央弘前駅
始発駅の中央弘前駅です。JR弘前駅から西に約1.3キロ離れた住宅街の中にあります。

この駅のホームは、市内を流れる土淵川に沿っています。
②中央弘前今

これは、同じ場所の昭和56年の写真です。
③中央弘前昔
現在は東急の中古電車が走っていますが、当時は弘南鉄道のオリジナル電車が走っていました。

途中の主要駅、津軽大沢です。
④津軽大沢駅
この駅で多くの列車が交換しますが、数年前に無人駅になってしまいました。

石川駅で途中下車しました。
⑤石川駅
構内には事業用貨車の「ホキ800」が留置されていました。

この駅で初めて降りた人は、この恐ろしい看板に驚きます。
⑥怖い看板
イラストの駅員の顔も怖いですね。

雪の中を弘前方面への列車がやって来ました。
⑦石川~大沢
一面の白銀の世界を2両編成の電車が走ります。

石川付近では、JR奥羽本線と並行しています。
⑧JRつがる
吹雪の中、すぐ脇の線路を、特急「つがる」が颯爽と通過して行きました。

終点の大鰐駅に着きました。
⑨大鰐駅

大鰐駅の構内にはラッセル除雪車の「キ100」の姿が見られました。
⑩除雪車
雪国の線路を守るのは、本当に大変なことです。

JR大鰐温泉駅とを結ぶ連絡跨線橋です。
⑪跨線橋
昔ながらの風情が漂っています。

駅前には大鰐町のキャラクターの、ピンクのワニ君が立っていました。
⑫わに君でも、名前はまだないようです。


こちらが、唱和56年当時の乗車券です。
⑭きっぷ⑮きっぷ
⑯車内券
現在では、中央弘前駅に券売機があるほかは、すべて無人駅で、運賃は車内の運賃箱に入れるようになっています。


乗客はまばらで、車内では存続を目指す市民グループが利用者アンケートを実施していました。
この線の利用者数は今では最盛期の7分の1程度に落ち込み、非常に苦しい経営状況が続いているのです。
一旦、同社の社長が大鰐線廃止の方針を打ち出しましたが、その後、撤回するなど、揺れています。
今後、上下分離方式などで、いかに地元自治体が支援できるかに、将来の存続がかかっていると思われます。

なんとか、北国の鉄路がいつまでも走り続けられるように、心から願っています。

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  1. 2014/04/13(日) 00:02:40|
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日中線の思い出

日中線は、昭和13~59年の間、福島県の磐越西線喜多方駅から分岐し、熱塩までの11.6キロを結んでいました。この線は終点の熱塩の先にある日中温泉にちなんでに日中線と名付けられました。当初の構想では、喜多方から米沢までを結び、日光線から現在の野岩鉄道、会津線を経て、東北南部の内陸部を縦貫する長大なローカル線の一部となるはずでしたが、熱塩から先に線路が伸びることはなく、昭和59年3月に廃止されてしまいました。もし、当初の計画通り、全通していたら、はたしてこの線とその沿線はどうなっていたでしょうか。


これは、畑の中を行く昭和49年の貨物列車です。
①S49SL
当時、こんな球の中の小さなローカル線にも貨物列車が走っていたのです。

荒れ果てた会津村松駅です。
②S49会津村松駅
喜多方の次の駅でしたが、当時、すでに廃駅のように荒れ果てていました。
③S49会津村松駅名票
駅名票にも落書きがしてあります。

こちらは、昭和58年、喜多方駅で発車を待つ日中線の列車です。2両の旧型客車がディ-ゼル機関車に牽引されて細々と走っていました。
④S58喜多方
でも、運転本数は朝1往復と夕方に2往復の、一日わずか三往復のみ。線名に反して日中は一本も列車の走らない超閑散路線でした。
⑤S58熱塩サボ
客車に掲げられたサボ(行先表示板)がなんとも言えない風情を醸し出しています。

途中駅の会津加納駅では吹雪の中に駅員さんが立っています。
⑥S58会津加納
でも、切符の販売はせず、貨物対応のために配置されていたのでした。

雪の中、夕方の最終列車が、熱塩駅を発車します。
⑦S58熱塩駅
物悲しい汽笛の音を残して列車が去っていくと、あたりには静寂に包まれました。

熱塩駅もかなり荒れていました。夕暮れ近い駅は、窓ガラスは割れ、壁板もはがれて、まるで化け物屋敷のようでした。
⑧熱塩駅
当時の国鉄は、日中線を完全に見捨て、もう一円のコストもかけないぞといった意思が感じられたものです。


そして、日中線は、昭和59年3月末をもって廃止されました。
⑨さよなら切符


これは、廃線後、日中線記念館となった旧熱塩駅です。
⑩熱塩廃駅
なかなかモダンな駅舎です。現役の駅としてここに建っていた時よりもきれいに整備されていることに、なんだか複雑な気持ちでした。

このホームに、茶色い古い客車が停車したことがつい昨日のように思い出されます。
⑪熱塩廃駅ホーム

青空の下、二度と列車がやって来ない踏切がモニュメントのように残されていました。
⑫廃止踏切
今にも、物悲しい機関車の汽笛が聞こえてきそうな気がしました。
  1. 2013/12/15(日) 00:01:17|
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雪の左沢線

今週は、山形県の左沢線をご紹介します。
左沢と書いて「あてらざわ」と読みます。これは、地元の人か鉄道ファンにしか読めないですよね。
左沢線は、奥羽本線の北山形から分岐し、山形盆地の中を走って左沢までを結ぶローカル線ですが、北山形発着の列車は、すべて山形まで乗り入れています。途中、寒河江までは、県都・山形市への通勤通学輸送に活躍しており、ラッシュ時には6両編成の列車が満員になるそうです。運転本数も山形~寒河江間は一日16往復と、単線非電化のローカル線としては、かなり多くの列車が運転されています。

けれども、沿線の風景はとてものどかで、沿線には名産のサクランボやぶどう、洋梨などの畑が並び、「フルーツライン」との愛称がつけられています。

そんな左沢線を、真冬に訪れてみました。
1羽前金沢
これは、羽前金沢付近の雪原の中を行く列車です。手前には雪に埋もれたサクランボ畑が広がっています。

羽前長崎~南寒河江間です。
2羽前長崎
モノトーンの世界の中、水色の列車が走り抜けて行きます。

これは最上川橋梁です。

3最上川鉄橋

この鉄橋は明治19年に東海道本線の木曽川に架橋されていたものでしたが、同線を走る機関車の大型化に伴う強度不足のため、撤去したものを移設し、再利用したという由緒ある鉄橋なのです。

こちらは雪に包まれた南寒河江駅です。
4南寒河江
周辺は住宅街になっていますが、無人駅です。

そして、こちらは寒河江駅です。
5寒河江駅
この駅は、左沢線の中心駅で、何本かの列車がこの駅止まりとなります。

そして、こちらは終点の左沢駅です。
6左沢駅
寒河江駅とともに、国鉄時代の木造駅舎は、近代的な駅舎に建て替えられてしまいました。

左沢駅で買った地酒の「大江錦」です。
7地酒大江錦
でも、左沢線の列車はすべてロングシートなので、車内で呑み鉄をするには、ちょっと抵抗があるのが残念です。

こちらは、国鉄時代、昭和58年の山形駅で発車を待つ、雪にまみれた左沢線の列車です。
8山形駅S58
反対側のホームに見える、仙山線の旧型客車列車が時代を感じさせてくれます。

そして、終点の左沢駅に着きました。
9左沢駅S58
木造駅舎の氷柱、そして、改札口で切符にはさみを入れる駅員さんや、手書きの青い駅名票に古き良き時代の国鉄を感じます。

そして、昭和50年代の左沢線の切符です。
10切符11切符

そんな左沢線も昨年、開業90周年を迎えました。
DSC_3237.jpg
これからも地元の人たちの貴重な足として活躍し続けることでしょう。
  1. 2013/12/08(日) 00:01:22|
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竜飛海底駅・この秋で見納め

本州と北海道を結ぶ青函トンネル内にある竜飛海底駅が、この11月10日をもって旅客扱いを終了することになりました。
①海底駅駅名票


竜飛海底駅は、青森県の竜飛岬の海面下140メートルに位置する海底駅で、北海道側の吉岡海底駅とともに、昭和63年の津軽海峡線開通と同時に開業しました。
②竜飛海底
この両駅はトンネル内での災害発生時の避難用に開設されたもので、駅内部を見学できるように一日数本の列車を停車させ、その1~2時間後に停車する別の列車に乗って帰るような見学コースが設定されています。(この写真はJR北海道)

竜飛海底駅で下車すると、このような非難用の坑道に案内されます。
③体験坑道

さらに、青函トンネル竜飛斜坑線の「もぐら号」というケーブルカーに乗って地上に上がります。
④もぐら号


⑤チケット
地上に上がると、そこには青函トンネル記念館があり、海底トンネル建設の歴史を知ることができます。


これは、資料館の内部にある建設当時の海底の様子の模型です。
⑥資料館内部


また、資料館から外に出て、竜飛岬にも行くことができます。
⑦竜飛岬
けれども、開業当初から旅客営業を目的とした駅ではないため、地上からこの駅を利用して列車に乗ることはできません。とても、不思議な駅ですね。


私が訪れた平成11年当時には、青森~函館間に快速列車『海峡』が走っており、その一部が竜飛海底駅と吉岡海底駅に停車していました。
⑧快速海峡


これは、青森駅に停車中の快速「海峡」です。電気機関車に牽引される客車列車で、JR北海道が津軽海峡線のイメージキャラクターに採用していたドラえもんのヘッドマークがついています。
そして、もうひとつの海底駅の吉岡海底にはドラえもんワールドが展開され、子供たちの人気を集めていました。
⑨海峡号
快速「海峡」は平成14年に廃止され、代わりに特急「白鳥」の一部が海底駅に停車するようになりました。けれども、吉岡海底駅は北海道新幹線の工事に伴って、平成18年から休止され、そして、竜飛海底駅も列車が停車するのはこの秋が最後となったのです。

今後、両駅共に2014年に廃止される予定です。けれども、長大海底トンネルの緊急時の避難路としての役割は今後とも担い続けることでしょう。

竜飛海底駅を見学できるのは今のうちです。
事前に「竜飛海底駅見学整理券」が必要です。また、見学コースは次の2パターンしかないので、行かれる方はご注意ください。

①函館往復コース
函館12:04(スーパー白鳥30号)13:14竜飛海底見学15:49(白鳥23号)17:01函館

②新青森から函館に抜けるコース
新青森12:45(スーパー白鳥19号)12:51竜飛海底見学16:46(スーパー白鳥25号)17:54函館





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  1. 2013/08/04(日) 00:01:46|
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山田線・区界駅

きょうは岩手県の山田線・区界(くざかい)駅をご紹介します。
この駅は、盛岡と宮古の間の山の中にある小さな駅です。

山田線は東北本線の盛岡から宮古を経て釜石までを結ぶローカル線ですが、太平洋岸を走る宮古~釜石間は、一昨年の大震災に伴う津波で壊滅的な被害を受けたため、復旧の見込がたっていませんが、区界駅のある盛岡~宮古間は幸いなことに震災発生から一か月後に運転を再開しました。
032区界
訪れたのは5月。峠にあるこの駅の周りには大きなフキノトウがたくさん生えていました。

この駅に停車する列車は上り4本、下り3本しかありません。
IMG_0677.jpg

しかも、一日の平均乗降客数はたった一人しかいないのだそうです。
IMG_0703.jpg
それなのに、ちゃんと駅員さんが勤務しています。山田線は自動化されていないため、運転安全上の理由で交換設備のあるこの駅は無人駅になっていないのです。

駅前には小さな駅前旅館が建っていました。
IMG_0676.jpg

駅は寂れていますが、駅前の国道には頻繁にクルマが行き来し、盛岡~宮古間を結ぶ急行バスが1時間おきにやって来ます。近くには道の駅があって、こちらはドライバーたちで賑わっていました。
残念ながら、ここでは、鉄道は、もはや忘れ去られた存在でしかないようです。

それでも、きょうも宮古行の列車がやってきました。
IMG_0701.jpg
この列車は、この駅で盛岡行と交換するのです。

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  1. 2013/05/31(金) 19:16:27|
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陸羽西線と最上川下り

新庄から雪解けの近い陸羽西線に乗りました。
11nishisen.jpg

途中下車したのは古口駅です。
11古口発車
酒田行の下り列車が発車して行きました。


これが古口駅です。
12古口駅
無人駅ですが、駅舎内には観光案内所がありました。


古口駅の近くに最上川の川下り船の乗船場があります。
13川下り
この船は船内に炬燵があり、冬でも雪見酒を楽しむことができます。


名調子の案内人のおじさんは、庄内弁まるだしです。
14おじさん
最上川舟唄や真室川音頭を歌ってくれました。

奥の細道の芭蕉の句「五月雨(さみだれ)を集めてはやし最上川」のゆったりとした流れです。
15最上川
五月雨には二か月早かったのですが、いいお天気で、なんとも美しい雪景色を眺めることができました。

そして、上空にはオジロワシが舞っていました。
15オジロワシ (1)

下船した後、今度は高屋から再び下り列車に乗ります。
16高屋
もちろん、地酒も飲みましたよ。これは、船内で飲んだにごり酒「最上川」です。

高屋駅を上り快速列車が通過して行きました。
17高屋駅と最上川
駅の向こうには、さきほど船で通った最上川が見えます。


快速列車は、高屋付近のトンネルを抜けて行きました。
185高屋


下り列車が余目(あまるめ)に近づくと、地表から雪が消え、はるか北の方角には、雄大な鳥海山の雄姿がそびえていました。
18鳥海山

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  1. 2013/04/10(水) 07:15:21|
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陸羽東線・瀬見温泉

3月23日に雪解け間近い山形県の瀬見温泉に行ってきました。
瀬見温泉は、新庄から陸羽東線に乗って4駅目にあります。
1瀬見温泉到着
このあたりは山形県の中でも雪深いところ。線路脇にはまだたくさんの雪が残っていました。

これが瀬見温泉駅です。
2瀬見温泉駅
木造駅舎から新駅舎に建て直されていますが、無人駅です。

この夜泊まったのは、喜至楼(きしろう)という古風な宿でした。
3喜至楼
なんと、この建物は明治元年に建てられた老舗中の老舗なのです。


これは本館の入口です。
5至喜楼4至喜楼
このような飾り絵が「いらっしゃいませ」と出迎えてくれます。


6喜至楼7喜至楼
「福助」に「鯉の滝登り」
8至喜楼
温泉の入口では、金太郎と熊が相撲を取っています。このように館内は、昔懐かしい飾り絵であふれていました。


9瀬見駅旗8瀬見駅荷札
そして、陸羽東線瀬見駅(国鉄時代の駅名)の旗です。これは何に使ったのでしょう?よく、旅館の名前の書かれた旗を持って宿の人が駅まで出迎えに来ることはありますが、駅名が書かれている旗は初めて見ました。
そして、国鉄時代の荷札です。昔は俗に「チッキ」と言って、乗車券を買えばその行先の駅まで、手荷物を無料で送ってくれました。


翌朝はよく晴れたいいお天気でした。
10義経
これは、小国川にかかる義経大橋にある義経像です。源義経が兄の頼朝に追われて平泉に逃れるときに、弁慶と共にこの地を通ったと言われています。


そして、これは、雪晴れの下、陸羽東線・瀬見温泉~東長沢間を走る上り列車です。
10瀬見~東長沢
山深い陸羽東線の新庄~鳴子温泉間には、一日8往復の列車が、地域住民と観光客の足として走り続けています。




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  1. 2013/04/05(金) 23:25:00|
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山形鉄道の旅

きょうは、雪解けの時期に訪れた山形鉄道フラワー長井線のようすをご紹介しましょう。
山形鉄道は、旧国鉄長井線を引き継いで、国鉄民営化直後の昭和63年に開業した第3セクター鉄道です。
1赤湯
これは、赤湯駅で発車を待つ荒砥(あらと)行きの列車です。日中は1両で運転されていますが、朝夕だけ2両連結されています。

2つ目の宮内駅には、うさぎ駅長の「もっちぃ」がいます。
2うさぎ駅長
と言っても、駅舎の中にあるうさぎ小屋でおとなしくしているだけですけが、この愛らしい姿を見るためにこの駅を訪れる客も多いそうです。

宮内には、地酒の「東の麓」があるので、駅前の酒屋さんで購入しました。
3宮内地酒

また、「ないしょ、ないしょの話はあのねのね♪」と歌われた童謡の作詞者が、この町の出身であることから、駅前には「ないしょ話」の碑が建っています。
4ないしょ


これは、西大塚駅です。
5西大塚
昭和の雰囲気が漂う駅舎ですね。

今泉でJR米坂線の線路に出会った後、途中の白川信号上までは、両線の列車は同じ線路の上を走ります。元々は同じ国鉄だったのですから、不思議なことではありません。

そして、こちらはこの線の中心駅、長井駅です。
6長井駅
ホームの二本の柱は、雪の重さに耐えるため頑丈に造られています。

駅舎もなんとなく風格がありますね。
15荒砥駅
ここには、山形鉄道の本社が置かれています。

車窓からは、この時期、時折、優雅な白鳥の姿を見ることができます。
7白鳥 (1)
日本で冬を越してシベリアに帰る白鳥たちが、このあたりで羽根を休めているのだそうです。

羽前成田付近を行く赤湯行き列車です。
8羽前成田
雪がほとんど解けて、春の近さを感じさせてくれます。

これは羽前成田駅です。
9羽前成田駅
この駅も正に昭和そのもののローカル駅の佇まいを見せてくれています。

今はもちろん無人駅ですが、きっぷ売場も、小荷物取扱所も昔のままの姿で残っています。
10羽前成田内部

そして驚かされるのは、このふたつの表示です。
11羽前成田内部12国鉄運賃表
荷主が不明の場合の荷物の取り扱いについての注意事項や、旅客運賃表が国鉄時代のまま掲出されているのです。
宅配便のなかった昔は、大抵の駅で荷物の運送を取り扱ってくれたものでした。また、運賃表には、遠く大阪市内や広島市内までの運賃が記載され、国鉄時代を懐かしく偲ぶことができました。


これは、四季の郷と終点の荒砥との間にある最上川橋梁(荒砥鉄橋)です。
13荒砥橋梁
この鉄橋は、土木学会選奨土木遺産に指定されています。もともとは明治22年に東海道本線の木曽川に設置されていましたが、JR左沢(あてらざわ)線の羽前長崎~南寒河江間にある最上川鉄橋と共に、大正12年に長井線の開業時に移設された国内最古の現役鉄橋です。

さて、列車は朝日岳連峰を左手に見るうちに終着駅の荒砥に着きました。
14荒砥付近

これが終着の荒砥駅です。6長井
それまでの木造駅舎から平成15年に、公民館を併設した大きな建物に建て替えられました。私のようにたまにしか訪れない旅人にとっては、昔ながらの木造駅舎の方が味わい深くていいのですが、毎日利用する地元の人たちにとっては、やはり新しくて立派な建物の方がいいのでしょうね。


これは駅舎の中に併設されている資料館に展示されているお雛様です。
16荒砥ひな人形
この地方のお雛様は、お膳の上に乗せられた珍しいもので、お椀の上に乗った五人囃子は、まるで、一寸法師のようなかわいらしさでした。

こんなのどかな北国の盆地を走る小さな列車が、いつまでも地元の貴重な足として走り続けてほしいものです。



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  1. 2013/04/01(月) 23:45:37|
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仙石線・平成27年中に全線復旧へ

あの東日本大震災による津波で甚大な被害を受け、不通になったままの宮城県の仙石線、陸前小野~高城町間の復旧の目途がようやくついたとの嬉しい報道がありました。これは海に沿って走っていた東名や陸前大塚駅付近の区間の線路を内陸寄りに移設するルートがようやく決まり、復旧工事が開始されることになったのです。

とはいえ、完成はまだ2年も先のことです。鉄道を復旧させるのはいかに大変なことかがわかります。

平成12年の仙石線のようすをご紹介しましょう。
石巻213
これは、石巻駅に停車中のあおば通行の電車です。当時は、まだ仙台~あおば通間が開通して間もないころでした。

この駅から高城町までの11.7キロが不通になっています。
陸前小野210
新しいルートは、今よりも1.2キロ、距離が短くなるそうです。

これは陸前小野駅に入って来た石巻行・快速電車です。
陸前小野208

これは、陸前大塚付近の車窓から眺めた波穏やかな松島湾です。
陸前大塚211
こんな静かな海に津波が押し寄せ、街も線路も駅もすべてを押し流してしまったなんて信じられません。
陸前大塚駅は風光明媚な海沿いの駅でしたが、内陸部へ移設されることになりました。

これは高城町駅です。
高城町212
この駅は、東北本線の松島駅に歩いて行ける距離にあります。
仙石線の前身は、私鉄の宮城電気鉄道で、東北本線と一部並行して敷設され、のちに国鉄に統合されたという経緯があります。陸前浜田付近では東北本線と2回交差する地点がありますが、仙台以外に接続する駅はありません。

きっぷ207
昭和53年の陸前小野駅と野蒜(のびる)駅の入場券です。
仙台と石巻という宮城県の2大都市を結ぶ仙石線が、震災から2年あまりの時を経て、ようやく復旧の目途がついたことは嬉しいことです。復旧した仙石線に電車がやってくる姿を一刻も早く見たいものですね。

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  1. 2013/02/15(金) 23:52:24|
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東日本大震災2か月後の惨状

あの忌まわしい東日本大震災が発生してから早くも1年8か月が過ぎました。
まずは、この震災でお亡くなりになった方々に深い哀悼の意を表するとともに、被災された皆様方に心からお見舞い申し上げます。
さて、きょうは、『よみがえれ東日本!列車紀行』の取材のため、発生から2か月後に訪れた岩手県から福島県の海岸線の惨状をお伝えします。


これは、釜石線の宮守付近です。幸い、釜石線は発生から4週間後に復旧しました。
IMG_0731釜石線宮守◎
ちょうど、桜が満開で、山里の地は、いつもと同じ穏やかな春を迎えていました。


しかし、津波に襲われた海岸線に出た途端、風景は一変します。
IMG_0786鵜住居付近
これは、山田線の鵜住居駅付近の惨状です。線路が大きく流されています。
山田線は釜石~宮古間で今も不通が続いており、復旧の目途が立っていません。


町長をはじめ多くの町民が津波の犠牲になった大槌町の中心、大槌駅もごらんの通り。
IMG_0799大槌
背後にある巨大な防波堤も役に立ちませんでした。


陸中山田駅は、津波と火災の両方に襲われ、無残な姿に変わり果てていました。
IMG_0835陸中山田
駅前に立つ真黒に焼けた木が哀れでした。


津軽石駅で被災し、津波に流されて脱線した普通列車です。
IMG_0846津軽石
幸い、乗員乗客は津波が襲来するまでに脱出したので、この列車での犠牲者はいませんでした。


宮古~磯鶏間を流れる閉伊川の鉄橋です。
IMG_0888宮古~磯鶏間
橋が流され、橋脚で羽を休める鴎の声だけが聞こえていました。


これは宮古駅の南、閉伊川付近です。
IMG_0896宮古
線路がまるで飴のように曲がっています。


そんな中で、三陸鉄道北リアス線は、震災発生から数日後に一部区間で運転を再開しました。
これは、仮の終着駅となっている小本駅です。
IMG_0923小本
3月中は復興支援列車として無料で被災者の人々を運び、復興のシンボルと言われました。


これは、三陸鉄道南リアス線の陸前赤崎駅です。
IMG_0976南リアス線陸前赤崎駅
高台にある駅は無事でしたが、駅前の集落は全滅してしまいました。南リアス線は現在も運転を見合わせています。


大船渡線は盛~気仙沼間が不通になったまま復旧の目途がたっていません。
IMG_0993大船渡
大船渡駅も跡形もなく流されてしまいました。


高田の松原に残った一本松で有名になった陸前高田の駅もご覧の通りです。
IMG_1000陸前高田駅
このあたりは、今も更地のままだそうです。


気仙沼市にある鹿折唐桑駅前には、巨大な船が流されていました。
IMG_1031鹿折唐桑
このあたりは大規模な火災が発生し、あたりは2か月が過ぎても焦げ臭いにおいが漂ってきました。
それでも、瓦礫の山の中に咲く桜が、なんとも物悲しく感じられたものです。


これは気仙沼線の大谷海岸駅付近です。
IMG_1048大谷海岸
津波に耐えた松の木も枯れてしまいそうです。


高架駅だった志津川駅も流されてしまいました。
IMG_1069志津川
なんとも悲しい風景です。


それでも、気仙沼線は前谷地~柳津間で運転を再開しました。
IMG_1098柳津
これは、終着駅となった柳津駅に着いた列車ですが、乗客の姿はまばらでした。


石巻線の終点の女川駅の裏にある墓地に乗り上げた列車です。
IMG_1120女川
線路のあった位置から20メートルほどの高さの丘の上にその墓地はありました。
なんという巨大なエネルギーなのでしょうか。私はしばし、言葉を失いました。


常磐線の亘理~浜吉田間です。
IMG_1170亘理~浜吉田
常磐線は亘理から南が不通になっていました。


これは浜吉田~山下間で立ち往生した貨物列車を牽引していたED75です。
IMG_1186浜吉田~山下間
貨車はすでに撤去されていましたが、取り残された機関車が、なんだか悲しそうでした。


これは、新地駅です。あたりには不気味な静けさが漂っていました。
IMG_1245新地駅◎
震災発生後、この駅で被災した列車に乗っていた乗客は、たまたま乗り合わせた警察官の機転で全員無事でしたが、避難した直後に津波が電車を襲ったのでした。


阿武隈川には八重桜が咲き乱れていました。
IMG_1303阿武隈川の春
この地を訪れたのは5月。いつもなら川下り舟で遊ぶ観光客の楽しげな声の聞こえる川に、人の気配はありませんでした。


この地を走る阿武隈急行の列車は、5月16日から全線で運転を再開しました。
IMG_1315保原
これは保原付近を行く列車です。


被災地が1日も早く復興し、すべての被災者の方々が元気を取り戻す日が訪れることを祈らずにはいられません。

なお、この時の取材をもとに発刊した『よみがえれ、東日本!列車紀行』は(株)クラッセから発売中です。

この本の印税は、震災孤児を支援する基金に、全額寄付させていただきました。
  1. 2012/12/03(月) 01:00:00|
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懐かしの蒸気機関車(本州東北部篇)

さて、先週に引き続き、懐かしの蒸気機関車シリーズ、今週は東北地方で、撮影はいずれも昭和47~49年です。。

まずは、五能線の大間越~岩舘間を行く8620型蒸気機関車です。荒々しい津軽の海岸沿いを走る五能線。車内で交わされる会話はほとんど聞き取れないほど訛りの強い津軽弁でした。古びた客車内では、なんともいえない風情が漂っていました。
大間越岩舘7301040
今もその風景の中をシーズン中には「リゾートしらかみ」が走ります。


続いて陸羽東線の東鳴子(現鳴子御殿湯)付近の鉄橋を渡るC58牽引の貨物列車です。
00東鳴子72-12-27・522
陸羽東線は、今も昔も鳴子温泉をはじめ沿線各地にある温泉への客を運びます。


こちらは、石巻線の佳景山付近を行くC11です。
佳景山7212041
当時、石巻線と陸羽東線が出会う小牛田駅には、広い駅構内に両線を走る蒸気機関車たちが並んでいましたが、今は雑草の生える広大な空き地が広がります。
石巻線は、昨年の東日本大震災の影響で渡波~女川間が今も不通になっています。

こちらは、いつれも会津線(現只見線)の会津宮下付近です。
00会津宮下~会津西方74-8-31・551
00会津宮下74-8-31・549
この線は風光明媚な只見川をいくつもの鉄橋を渡って走ります。ただ、只見線は昨年夏の豪雨により、現在、会津川口~只見間が不通になったまま、復旧の目途が立っていません。


こちらは米坂線の越後下関付近の9600型です。
00越後下関72-3-・52300越後下関72-3-・524
米坂線は越後と羽前を結ぶ豪雪地帯を走るローカル線で、当時、静かな山あいに、汽車の汽笛が響きわたっていました。

そして、こちらは、羽越本線坂町駅付近を行くC57の1号機です。
この写真は、私が線路端で撮った最初の蒸気機関車で、しかも、この1号機は今も山口線で「SLやまぐち」の牽引機として活躍しているのは嬉しいことです。
坂町7203042
この機関車とは、この夏、昭和47年の坂町での出会い以来、40年ぶりに山口線で再会を果たしました。

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  1. 2012/11/03(土) 11:49:49|
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秋田内陸線、男鹿線と「高清水」「新政」酔っ払いの旅

  秋田内陸線

きょうとは、打当温泉で朝湯を楽しんだ後、秋田内陸線の雪景色を堪能。(上の写真)
鷹巣から「つがる」、東能代から「リゾートしらかみ」と乗り継いで男鹿まで行ってきました。

男鹿線

男鹿線に乗るのは24年ぶりでしたが、男鹿駅や途中下車した羽立駅の佇まいはまったく変わりません。寒風山をバックに走る男鹿線の列車は、なんともいえない風情が感じられました。 

今日も昼間から、地酒にビールにほどよく酔っ払い、いい一日でした。
「こまち」から「成田エキスプレス」に乗り継ぐ贅沢をできるのも大人の休日倶楽部パスのおかげです。

  1. 2012/01/22(日) 20:29:00|
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十和田観光電鉄惜別と温泉、地酒の1日。




今日は、盛岡から朝一番の新幹線で八戸経由で三沢へ。朝から陸前高田の濁り酒「雪っ子」を飲みながら雪見酒。この酒の醸造元は、3月の津波で流されたにもかかわらず、千厩にある別の酒造会社の酒蔵を借りて、製造を再開したものです。

目的は3月末で廃線になる十和田観光電鉄にお別れに行くことです。十鉄三沢駅は、正に昭和その物と言ったクラシックな空間!なんともいえない旅情がかきたてられます、電車には沿線の高校生が大勢乗っています。車内で会ったおばあちゃんは「私が嫁に来てから57年間も乗ったのに寂しい」としんみりと語ります。
その後、三沢駅に戻って古牧温泉に入り、名物の駅そばを食べながら十和田の地酒「鳩正宗」を飲み、いい気分。その後、盛岡から「こまち」にさらに角館で秋田内陸縦貫鉄道に乗り換え、阿仁マタギの打当温泉に来ています。
馬肉やうさぎ鍋、ワラビ、蕗、ゼンマイなど、マタギ料理と自家製の辛口濁り酒で気持ちよく酔っ払っているところです。

  1. 2012/01/21(土) 23:00:00|
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芦ノ牧温泉から磐越西線、磐越東線へ




昨夜は同室のおじさんたちのいびきでなかなか寝られなかったものの、今朝は早起きして朝の山の吸気を吸いながらゆっくりと露天風呂に浸かりました。フォト
そして、芦ノ牧温泉駅の猫駅長「バス」にご挨拶した後、フォト
会津若松から磐越西線郡山経由でフォト
磐越東線に向かいました。私が、この線に乗るのは国鉄民営化直後以来なので、もう22年も前のことです。国鉄時代には急行列車も走っていた磐越東線ですが、今では郡山~小野新町間は14往復あるものの、小野新町~いわき間は一日わずか6往復の列車しか走っていません。まずは、郡山で買った駅弁を食べながらフォト小野新町まで行き、列車撮影。
フォト
2時間後にやって来た、この日の二番列車でいわきに向かいました。小野新町まではのどかな田園地帯を走り、途中には三春、船引などの町がありますが、小野新町を出て、夏井を過ぎると、福島県の仲通りと浜通りを分ける深い山の中を走ります。あたりは紅葉真っ盛り、少々曇り空でしたが、のんびりと、色づいた山々の風景を眺めることができました。このあたりは福島原発に近く、防護服に身を固めて除染している人や、マスクをしている人も見かけました。放射能漏れの問題は長期化しそうですが、なんとか、一日も早く解決してほしいものです。
いわきからは、「スーパーひたち」で南下し、家路につきました。
  1. 2011/11/14(月) 18:13:00|
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会津・芦ノ牧温泉でのどん行会



きょうは、1年ぶりのどん行会…鉄道ジャーナリストの親睦会に参加し、福島県は会津の芦ノ牧温泉「仙峡閣」に来ています。
仲間と浅草から会津田島行の区間快速列車に乗り、最初に途中下車したのが、湯西川温泉でした。トンネルの中にあるこの駅を降りると、目の前に五十里湖を渡る鉄橋で、列車撮影。
フォト
さらに駅に併設の温泉に浸かった後、会津田島と会津下郷でも途中下車をし、列車撮影をしながら、
フォト
芦ノ牧温泉へ。フォト
福島県の観光産業は原発事故の影響で、訪れる人が激減し大変な苦境に立たされています。団体客がまったく来なくなり、この夜、旅館に泊まった我がどん行会の参加者23名は、震災以後、これだけの人数の客が泊まるのは、初めてのことと、大いに感謝されたのでした。
参加者は、いつも通り、この世界では名の通った人ばかり。大いに盛り上がり、会津の夜は更けていきました。

  1. 2011/11/14(月) 00:27:00|
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この世と思えない…坂元駅、新地駅



正にすべてが流され、すべてが破壊された、まるで死の世界でした。
常磐線の坂元駅、新地駅付近は、ボロボロになった跨線橋の他は、すべてが流され、すべてが破壊の限りを尽くされていました。

そんな世界で、黙々と復旧のために尽力されている自衛隊や電気工事の方々には頭が下がります。

阪神大震災の惨状を経験した私ですが、その時をはるかに上回る現実に、思わず、息苦しさを感じました。
3日間、二人で交代しながら走行距離802キロのハードな取材でした。
そして、運転を再開している阿武隈急行の福島から富野までお見舞い乗車したのち、MAXやまびこで帰路についたのですが、本来なら連休のUターンラッシュで混み合っているはずの上り新幹線は悲惨なまでにガラガラ…花と新緑いっぱいの最高のゴールデンウイークなのになんということでしょうか!!
東北地方も太平洋岸以外は、まったく何事もなかったように、平和で美しい春を迎えています。阿武隈川は八重桜が満開なのに、フォト舟下りは運休中。
観光客は皆無に等しい状態なのです。このままでは、東北地方が沈みきってしまいます。どうか、皆さんも東北各地を訪ねてください。
それが、復興への手助けになるのです。

それと、これは今日食べた宮城県丸森町の田舎そばと、福島駅の駅弁です。
フォトフォト
みちのくにはおいしい食材が待っていますよ。
  1. 2011/05/07(土) 22:03:00|
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言葉を失う…陸前赤崎、大船渡、陸前高田、大谷海岸、鹿折唐桑、志津川、女川




なんと言葉に表していいかわかりません。早朝、水沢のホテルを出発し、大船渡~陸前高田~気仙沼~志津川~石巻~女川と、津波で壊滅的な被害を受けた各地を回りました。
大自然はなにゆえ、ここまで破壊の限りを尽くすのか…
胸が張り裂けそうな光景が次々と展開されていきます。
大船渡線・鹿折唐桑駅前まで流された大型漁船と、その前で咲く桜の花(3枚目の写真)、何もかも破壊の限りを尽くされた気仙沼線・志津川駅の惨状(2枚目の写真)、そして、高さ20メートル以上もある高台の墓地の上まで流された石巻線の列車(女川駅近く=1枚目の写真)と、とてもこの世の物とは思えない現実を目の当たりにすることになります。すべて、何度も訪れたローカル線ばかり。ただただ茫然自失の状態になるばかり。何度も手を合わせて合掌をした1日でした。
途中、石巻では津波で九死一生を得られた地元の方のご自宅にお邪魔し、生々しい当日のお話を聞かせて頂きました。
昨日からの通算走行距離は約660キロ。きょうも疲れました。
明日はいよいよ取材最終日。常磐線北部と阿武隈急行に行く予定です。
  1. 2011/05/06(金) 19:04:00|
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山田線沿岸部の惨状と北リアス線




被災地取材2日目、もう言葉もありません。
朝早く盛岡からレンタカーで出発し、釜石線の宮守で桜に囲まれた復旧した列車を撮影し、委託駅員の女性にお話を伺うと、思わず彼女は涙ぐんでしまわれました。それでも、宮守から遠野にかけての山里には桜が咲き乱れ、正に春真っ盛り…。フォト
しかし、釜石の中心部に入った途端、その明るい気分は吹っ飛んでしまいました。正に言葉を失うとはこのことです。
釜石には震災の1ヶ月半前に訪れたばかり。あの時、平和だった沿岸部は、瓦礫に包まれた廃墟と化していました。
鵜住居付近で山田線の線路が裏返り、大槌駅の跨線橋は大破して趣のあった木造駅舎は跡形もありません。
さらに、津波の後のガス爆発で、あたり一面が燃え尽きた陸中山田駅付近は、まるで戦時中、空襲を受けて焼け野原になった町のようでした。真っ黒に焦げた駅前の大木がなんとも不気味な雰囲気を漂わせています。
また、津軽石駅構内には、宮古行の列車が脱線したまま放置され、悲しい風景を見せていました。
その後、戦時中の米軍の機銃掃射やチリ沖地震による津波にも耐えた鉄橋の大破した哀れな姿を目撃し、飴のように曲がった線路に唖然とします。
宮古では震災直後に200人もの人々が避難したお寺のご住職にお話を伺ったあと、三陸鉄道へ。
宮古~小本間に1日4往復だけ運転を再開した三陸鉄道北リアス線は地域の希望の星です。フォト
小本まで往復したのち、三陸鉄道本社の方にお話をお伺いして本日の取材は終了。夜の岩手県を縦断してさきほどJR水沢駅近くのホテルに投宿しました。本日の走行距離は約330キロ、二人で交代で運転したけれど、精神的なショックも加わってさすがに疲れ果てました。
明日は大船渡、陸前高田、気仙沼、志津川、女川、石巻の各地を取材する予定です。
  1. 2011/05/05(木) 23:41:00|
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取材初日=盛岡・区界




東日本大震災復興支援出版企画の取材初日のきょうは、4日前に復旧したばかりの東北新幹線で朝のうちに盛岡入り。
福島から一関にかけての車窓からは、屋根をビニールシートで仮補修した家や、空地に高く積み上げられた瓦礫の山を見て、心が痛みます。
でも、野山は春爛漫!桜、桃、梅、菜の花、水仙などが百花繚乱。なんて東北の春は素晴らしいのかと、改めて実感しました。
震災の日、山田線の宮古行の快速リアスは、幸い脱線しなかったものの、平津戸の手前で立ち往生。 数時間後にノロノロと最徐行で平津戸駅まで運行したあと、JRの支援バスで避難したとのこと。電気、ガス、水道、電話とすべてが止まる中、地元の人々はどれだけ、不安な時を過ごされたかと思います。
取材後は岩手の酒造醸造元支援のためと称して、上り盛岡行き列車内で岩泉の地酒「八重桜」にてほどよく酔っ払い、さらに盛岡駅に近い居酒屋「菊家」で今度は八幡平の地酒「鷲の尾」で気持ちよく泥酔…。店主から「観光客は減ったけれど、その分、ボランティアの人たちが増えた」との話を聞くうちに、夜が更けていきました。
旅好きの皆さん、こちら東北地方ではゴールデンウィークにも関わらず、観光客の姿がありません。三陸沿岸と原発周辺地区以外の各地は、観光するのに何ら支障や危険はありませんので、風評にまどわされることなく、是非ともこの地を訪れてください。みちのくには、暖かい人情、おいしい地酒、素晴らしい自然が待っていますよ。

さて、明日からはいよいよ、宮古、大槌、陸中山田、宮古をまわり、宮古~小本間などの運転を再開した三陸鉄道を取材します。
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  1. 2011/05/04(水) 23:30:00|
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横手から盛岡~仙台~仙山線経由で左沢線の1日




雪のみちのく、最終日です。
まず、朝一番、夜明け前にホテルの露天風呂に入ります。
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そして25年ぶりという豪雪の横手から、
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当初予定では9:26発の新庄行きで山形を目指すはずでした。
ところが、横手駅に電話したところ、山形にまともに着く保証はできないとのこと!
そこで、急遽、7:54発の下り列車で大曲に行き、秋田新幹線こまち号で仙台へ。
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さらに仙台から仙山線経由という大回りで山形に予定通りの時刻に到着。
左沢(あてらざわ)線のロングシート車内で山形の駅弁を食べたあと、終点左沢で、4ヶ月前の北海道旅行の際に、宗谷本線車内で仲良くなった寒河江市民で鉄道ファンのSさんの出迎えを受けます。

そして、羽前長崎近くの最上川橋梁をはじめ、地元民しか知らない数え切れないほどの左沢線撮影ポイントにマイカーで連れて行って頂き、
フォト
雪原を走る列車を心ゆくまで撮影することができました。
(3枚目の写真は最上川鉄橋で列車にカメラを向ける私です=Sさん撮影)

今は山形からつばさ154号で、寒河江の地酒「大江錦」でいい気持ちになりながら、闇夜の雪深い板谷峠を越えているところです。(携帯電波が圏外でした!)
今回の旅もいい出会い、いい食べ物といいお酒、いい風景に出会い、いい旅ができたことに感謝!

これは米沢駅弁の「牛バラ肉焼き」です。
フォト

  1. 2011/01/24(月) 17:56:00|
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雪見酒列車と温泉と横手グルメの1日




釜石線の乗り鉄の旅は岩手の濁り酒「雪っこ」で始まりました。フォト

快晴の大雪原の中を朝から酔いどれ列車は走ります。
最初に降りたのは宮守駅。この駅の近くには見事なメガネ橋があります。
フォトフォト

そこで列車撮影を済ませたあとは、宮守名物のわさび団子をつまんだ後、遠野に戻り、しばし座敷わらしの世界に浸ります。
さらに、花巻経由てま北上から北上線でほっとゆだへ。北上駅では鉄道談義の会の仲間二人と合流して再び「雪っこ」を飲みながらの三人旅。
フォトフォト
ほっとゆだではゆっくりと温泉に浸かったあと、座敷で今度は岩手銀河ビールとなり、その後、豪雪の横手で荷を解きました。
横手では店主こだわりのゆでた固麺と甘いソースが特徴の横手焼きそばや、比内鶏と山菜のたっぷり入ったきりたんぽ鍋でお腹いっぱい。
フォトフォト

フォトフォト

ここ横手でも温泉に入り、いい気持ちの1日が終わろうとしています。
  1. 2011/01/23(日) 23:02:00|
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新青森初乗りと青い森鉄道~八戸~久慈~宮古~釜石の旅




きょうから雪の北東北の旅に出ています。
下り東北新幹線始発のはやて11号が新青森に着いた時、あたりは吹雪でした。(1枚目の写真)
青森でJR東北本線から移管されたばかりの青い森鉄道に乗り継ぎましたが、接続する奥羽本線の遅延接続のため、発車が14分遅れ、その遅れのまま、八戸に到着。八戸からは八戸線久慈行列車に8分の待ち時間で接続することになっていました。接続列車が多少遅れても、当然、待っているのが常識です。
ところが、なんと、わずか6分の接続待ちをすることなく、JR八戸線は定時に発車してしまったのです(>_<)
それが別会社だから接続しないというので、私は激怒しました。だって、次の久慈行きは3時間もあとなのです! 第一、つい先月までは同じJRだったし、青い森鉄道が遅れたのはJR奥羽本線が遅れたせいだったのですよ。
それを別会社だからと言って接続しないなんて、これは三セク化による弊害以外の何物でもないではありませんか!

当然、私はJR八戸駅に猛然と抗議し、駅長と運転指令に必ず伝えるよう強く訴えました。

そのせいで昼間に通過し、車窓風景を満喫しようと思っていた三陸鉄道北リアス線と宮古~釜石間の山田線が夜になってしまい、釜石の夜に三陸の新鮮な魚介類を賞味するため、店まで調べてあったのがすべてダメになってしまいました。

…と、ここまで書くと散々な1日のようなのですが、私はすぐに頭を切り替えました。青い森鉄道の車内で知り合い、同じ行程で八戸線から北リアス線に乗り継ごうとしていた熟年男女5人組と仲良くなったのですが、久慈行が接続しなくて途方にくれていた彼らを誘って八戸線の鮫止まりの次の列車に乗り、鮫駅近くを散策して来ました。鮫の漁港近くには蕪島という風光明媚なところがあります。(2枚目の写真)ここは初夏になると無数のウミネコが産卵にやって来るので有名ですが、今は寒空の下、ウミウやわずかのカモメがいるばかりでしたが、晴れ渡った美しい太平洋の大海原を眺めながら、しばし、海風に吹かれるのも悪くはありません。
蕪島には新幹線が八戸まで延伸した時にも来たことがあったので、迷うことはありませんでした。
埼玉から来たというその人たちとは、その後も、久慈で三陸鉄道に乗り換え、田老で彼らが降りるまで、ずっと旅の四方山話をしていたのでした。3枚目の写真は鮫で買った濁り酒で私ひとりで海を眺めながらチビチビと飲んでいました。
結局、17:15に着くはずの釜石に着いたのは20:50を過ぎてしまい、夕食は宮古の酒屋で買った298円の弁当とおにぎりでしたが、アクシデントにもめげず、まあ、良い1日となったのでした。
明日は釜石線と北上線を乗り継いで秋田県の横手まで行く予定ですが、北上線は豪雪地帯を走るだけに、雪害で不通にならないことを祈るばかりです。
  1. 2011/01/22(土) 23:09:00|
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秋田~岩手雪見酒列車紀行




きょうは花輪線の始発列車に乗り、大館駅の鶏めし弁当(1枚目の写真)をつまみに朝から『開運北鹿』という地酒を飲みながら1日が始まりました。
花輪線では全線に渡って美しい白銀の世界を堪能。
盛岡で、名物じゃじゃ麺(2枚目の写真)で早めの昼食を取ったあと、列車内で、次は岩手県陸前高田の冬季限定濁り酒『雪っこ』で、再びいい気持ち(1枚目の写真)。雪深い山の中を山田線の快速『リアス』に揺られます。
宮古から釜石、花巻、北上経由で、今は『やまびこ66号』で北上の辛口の地酒『鬼剣舞』で三たび顔を赤らめながら、東京に向かっています。
山田線の落石事故で列車ダイヤが乱れ、途中下車予定の釜石線宮守駅で降りられなかったのは残念でしたが、その分、釜石で郷土博物館や魚マーケットを見ることができました。
こうして3日間の雪見列車の旅は終わりました。
  1. 2010/01/25(月) 19:54:00|
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厳寒露天風呂と五能線・津軽鉄道




きょうは朝から厳寒の海辺の露天風呂に入浴しようと吹きさらしの脱衣場に行くと、先客のおばさん3人組が上がったところ。なんと、この露天風呂は混浴なんです(脇に女性専用もありました)おばさんたちは「あ~ら、もっと早く来ればよかったのに」と笑わせてくれます。
怒涛のように荒れ狂う真冬の日本海をバックに入る茶色の温泉は最高の気分。ちょっと、これはなかなか経験できないと思います。
そのあと、艫作駅から普通列車の窓からの荒海を堪能したあとは、五所川原から津軽鉄道のストーブ列車に乗り換えました。旧型客車の中でストーブで焼いたイカを肴に昼間っから飲んだ日本酒のうまいこと。この列車で会ったおばさま方と宴会となり、大いに盛り上がりました。
終点の津軽中里で折り返した後、金木で降りる友人とおばさま方と別れ、私は次の嘉瀬で下車して、雪原を行くストーブ列車を撮影。
五所川原からは『リゾートしらかみ』(3枚目の写真)、弘前から『かもしか6号』と乗り継いで、今は秋田県の大館にいます。ここは忠犬ハチ公の古里で、駅前にはハチ公の像が建っていました。
そして、先ほど、上野行の『あけぼの』を夜間撮影し、これから大阪行の『日本海』も撮ろうとホームの待合室で待機しているところです。
明日は1日休暇を取って花輪線~山田線~釜石線を経由した後、東北新幹線で帰ります。
  1. 2010/01/24(日) 20:44:00|
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みちのく雪見列車と不老ふ死温泉




きょうは始発の山形新幹線つばさ号で新庄へ。その後、陸羽西線、羽越本線、奥羽本線、五能線と一日中普通列車を乗り継いで青森県の艫作(へなし)にある黄金崎不老ふ死温泉までやってきました。
厳寒のこの時期に雪国を旅するのは久しぶりのことですが、列車が大幅に遅れることもなく、美しい白銀の世界を列車の窓から堪能。あわせて、陸羽西線では最上川、羽越本線では荒れ狂う北の日本海を眺めることができました。
途中、陸羽西線の狩川で途中下車して買った地酒「大山」のワンカップ酒(3枚目の写真)でほろ酔い気分になりながらの道中、酒田では寒鱈汁を食べ、秋田駅(2枚目の写真)ではきりたんぽの無料サービスに遭遇するという幸運にも恵まれました。
秋田で鉄仲間と合流し、東能代で五能線に乗り換えて海辺の露天風呂で有名な不老ふ死温泉に荷を解きました。宿では豊富な海の幸(1枚目の写真)に舌鼓を打って、おなかいっぱい。
明日は、早起きしてお目当ての露天風呂に入ったあと、津軽鉄道のストーブ列車に乗りに行きます。

  1. 2010/01/23(土) 21:20:00|
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磐越西線と仙台空港鉄道




きょうは、朝、咲花駅で新潟方面に向かう仲間たちと別れ、快晴の空の下、磐越西線の美しい車窓風景を堪能しました。
咲花から山都までは、右に左に水量豊かな阿賀野川に沿って列車は進みます。左手には、ときおり白い雪を抱いた飯豊連峰の山々を望むことができます。さらに会津若松に近づくに従って、会津磐梯山も見えてきます。
会津若松で気動車から電車に乗り換え、中山宿付近の峠を越えると、やがて郡山に着きます。
咲花から快速列車で3時間余、一人旅の大人の休日倶楽部のおばさまや、地元のお爺さんと語らいながらの素晴らしい列車の旅でした。

郡山からは、まっすぐ東京に戻らず、仙台に出て、3月に開業したばかりの仙台空港鉄道に初乗り。東北本線の名取駅から分岐するこの鉄道はJR仙台駅から空港まで直通で乗り入れておよそ25分、仙台空港が市内からぐっと近くなりました。

なお、写真は磐越西線の車窓風景と仙台空港鉄道です。
  1. 2007/05/21(月) 23:18:00|
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会津から越後へ




会津若松から只見まで、只見線の蒸気列車の旅を堪能しました。懐かしいシュッシュッポッポの音を聞きながら、昭和初期の旧型客車と停車駅ごとに繰り広げられた歓迎イベントを楽しみながらの楽しい1日!新緑に包まれた只見川の清流の眺めも素晴らしく、あっという間の三時間余の汽車旅でした。
その後、小出、宮内、柏崎、吉田経由で弥彦まで来ました。途中、柏崎駅前で入った駅前コーヒースタンドは、昔懐かしい鉄道グッズがいっぱいの店でした。古い駅名標、行先標準板や、列車名サボ、駅長帽や赤帽など鉄道ファン垂涎の品々が所狭しと並べてあります。
今は弥彦駅前の温泉旅館、冥加屋ハウスにいます。宿のご主人と三時間も飲みながら話込みました。
ああ、また夜更かしなので、もう寝ます。皆さんおやすみなさい眠い(睡眠)

なお、写真左は会津坂下(あいづばんげ)駅のC11、中は柏崎の駅前コーヒースタンドの内部、右は泊まった弥彦駅前旅館の冥加屋ハウスです。
  1. 2007/05/19(土) 23:13:00|
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