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田中正恭の汽車旅日記

ここは、紀行作家・田中正恭 (たなかまさやす) が、つれづれなるままに各地の旅や、鉄道に関する話題について綴っています。原則として毎週日曜日に更新しており、時には鉄道以外の話題になることもありますが、ご了承ください。また、2018年10月より「テツドラー田中の乗り鉄日記」としてYahoo!クリエーターズプログラムにもレギュラー投稿していますので、そちらもご覧頂ければ幸いです。なお、内容につきましてのご感想や、執筆や講演、出演などの依頼がありましたら、お気軽にメッセージをお寄せください。なお、写真や文章の無断転載はご遠慮願います。

名鉄神宮前駅と熱田神宮

今週は、名古屋鉄道名古屋本線の神宮前駅と、その周辺をご紹介しましょう。
神宮前駅は、名鉄名古屋から豊橋方面へ3駅目にある中枢駅のひとつで、本線と常滑線がこの駅で分岐します。

これが、駅ビルのパレマルシェ神宮です。
①神宮前駅
ここはショッピングモールになっているほか、ビル内には名鉄の運転指令所があります。

ホームには各方面へ向かう電車が次々と発着します。
②ホーム特急
岐阜方面と豊橋方面の本線のほか、常滑線を経由して中部国際空港への特急列車も行き交います。
③ホーム2

これは、駅名になっている熱田神宮です。
④熱田神宮鳥居
緑に包まれた境内を歩くと、その先に本殿があります。
⑤本殿
境内には神の鳥とされているニワトリが、悠々と歩いていました。
⑥神の鳥

こちらは宮の渡し公園です。
⑦宮の渡し公園
宮の渡しとは、江戸時代、宮の宿から伊勢湾を渡って桑名宿までの渡し船です。
これが東海道のルートとなっていました。つまり、当時の東海道は、現在の名古屋の中心部を通っていませんでした。

これは、熱田神宮の近くにある名古屋名物「ひつまぶし」の老舗「蓬莱軒本店」の庭です。
⑨蓬莱軒庭
これが、本場のひつまぶしです。
⑧ひつまぶし
この店は超人気店で、いつも大勢の人が並んでいます。

さて、こちらは昭和58年の神宮前駅です。
⑩S58名鉄特急7000系
かつてパノラマカーと呼ばれた名鉄特急7000系が停車しています。
この電車は昭和36年から平成13年まで走っていた形式です。

当時の駅名票です。
⑪S58駅名票
手書きで、なんともいえない味わいがありました。

こちらは、神宮前を始発駅とするキハ8000系特急「北アルプス」です。
名鉄犬山線の鵜沼から国鉄(現JR)高山本線を経由して富山まで運転されていました。
⑫北アルプスキハ8000系
時期によっては富山地方鉄道の立山まで乗り入れていたこともありました。

そのころの神宮前駅の切符です。
⑬きっぷ
当時は硬券が窓口で普通に販売されていました。
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  1. 2019/09/08(日) 00:01:41|
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名鉄築港線の今昔

今週は名古屋鉄道築港線の今昔をご紹介しましょう。
築港線は名鉄名古屋から急行で11分、常滑線の大江駅から分岐するわずか1.5キロの短い路線。
しかも、電車が走るのは朝夕の通勤時間帯だけで、日中は1本も走らないという特殊な線なのです。

これが大江駅です。
①大江駅
抜けるような青空でした。

大江駅で発車を待つ築港線の電車です。
②大江駅ホーム

大きなカーブを東名古屋港行の電車がやって来ました。
③カーブ
左側の線路は、工場へ向かう引込線です。

そして、築港線の名物は、ダイヤモンドクロスと呼ばれる線路が直角に交わる地点です。
④ダイヤモンドクロス
かつて、阪急神戸線と今津線が交差する西宮北口のダイヤモンドクロスが有名でしたが、昭和59年に廃止となり、今では路面電車を除くと、ここが日本で唯一のものなのです。
⑤ダイヤモンドクロスを行く
クロスするもう一つの線路は近くの工場に続いています。

⑥
終点の手前にある大きな木が印象的でした。
⑦駅遠景
この先に見えるのは、東名古屋港駅に停車中の電車です。
⑧東名古屋港停車中

⑨駅名票
駅は今では無人駅。
⑩駅舎

上りの電車で大江に戻ると「午前中の運行は終了いたしました」の文字が見えます。
⑪午前中終了

一方、こちらは昭和58年の東名古屋港駅です。
⑫S58駅舎
当時は、こんな小さな駅にも駅員さんが勤務していました。
⑬S58停車中
臨海部で働く大勢の通勤客が降りる姿は、昔も今も変わることはありません。
⑭S58走行中

この当時、使われていた切符です。
⑮東名古屋港きっぷ
自動券売機はなく、駅員さんが手売りで売っていました。

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  1. 2019/09/01(日) 00:03:54|
  2. 東海
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神島の旅

先週に引き続き、三重県の鳥羽諸島の旅、今週は神島をご紹介します。

神島は鳥羽の沖合14キロにある周囲4キロの小さな島です。
s-①神島
鳥羽の佐田浜から直通船で30分、答志島の和具港から20分で着きます。
s-①-2船

神島は三島由紀夫の小説『潮騒』の舞台になったところです。
s-②三島文学潮騒

島の集落は港の近くに密集しています。
s-④坂の多い集落
集落は坂の多いのが特徴です。

集落の真ん中にある時計台です。
s-③時計
昔、この島に薬を売りに来ていたた富山の薬屋さんが、お礼に寄贈した時計だそうです。

煉瓦造りの六角形の井戸がありました。
s-⑤六角形の井戸
島では水は貴重です。いつの時代の物なのでしょうか。

高台にある八代(やつしろ)神社です。
s-⑥八代神社
ここには国の重要文化財に指定されている銅鏡があるそうです。

島の東側にある神島灯台です。
s-⑦神島灯台

そして、こちらは監的哨跡です。
s-⑧監的哨
戦時中に陸軍が対岸の伊良湖岬から撃つ大砲の試着弾を確認するための施設でした。

このあたりからは、対岸にある渥美半島の伊良湖岬がよく見えます。
s-⑨伊良湖岬

島の裏側は、このような断崖絶壁になっています。
s-⑩断崖絶壁

そして、こちらはカルスト地形です。
s-⑪カルスト地形
石灰岩が長年の風雨に浸食されてこのような景観になりました。

荒々しい海岸の、その先の海は太平洋・・・
s-⑫裏側の海岸

島の宿、山海荘の夕食です。
s-⑬山海荘の夕食
海の幸がたくさん。この後も次々と魚料理が出てきました。


翌朝早く、神島漁港を散歩しました。
s-⑭神島漁港

タコツボの手入れをするご婦人と話をしました。
s-⑮蛸壺と婦人
タコはきれい好きなので、タコツボの中をきれいにしておかないと入らないのだそうです。

朝の船で神島を後にしました。
s-⑯さらば神島
さようなら、神島。こんな小さな離島を離れるときは、なんだかいつも胸がきゅんとしてきます。

s-⑰-1きっぷs-⑰-2きっぷ

帰りの船は、途中、菅島に立ち寄りました。
s-⑱菅島
この島にもいつか、上陸してみたいな・・・

鳥羽に着くと、JRの快速「みえ」で名古屋に向かいました。
s-⑲JR鳥羽

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  1. 2019/08/25(日) 00:03:53|
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答志島の旅

今週は、三重県の鳥羽の沖合に浮かぶ鳥羽諸島のひとつ、答志島(とうしじま)にご案内します。

まずは、名古屋から近鉄特急に乗り、鳥羽までやって来ました。
s-①近鉄鳥羽

これが鳥羽駅です。近鉄鳥羽線とJR参宮線の駅が並んでいます。
s-②鳥羽駅

鳥羽諸島の島々へは、駅から歩いて3分ほどの佐田浜にある鳥羽マリンターミナルから渡し船が出ています。
s-③鳥羽マリンターミナル
答志島は鳥羽諸島の島々の中で一番大きな島で、島には、答志、和具、桃取という3つの集落があります。
その中の一番西寄りにある桃取行の船に乗りました。
s-④桃取行

佐田浜から桃取までは15分足らずの距離です。。
s-⑤桃取沖
船は波静かな伊勢湾をゆっくりと進みます。

桃取の桟橋に着きました。
s-⑥桃取桟橋

こちらは桃取漁港です。
s-⑦桃取漁港

高台から見た桃取集落です。
s-⑨桃取集落

そして、八幡神社です。
s-⑧八幡神社
守り神として、集落ごとに鎮座しています。

s-⑩あじさい
あたりには、紫陽花が咲き誇っていました。
s-⑪キアゲハ
キハゲハが花に寄ってきます。

答志島は東西に6キロの細長い島ですが、西側の桃取と東側の和具、答志を結ぶバスがありません。
s-⑫途中の景色
タクシーもないので、仕方なく歩いていると、こんな美しい風景に出会いました。

これは、1時間以上歩いてたどり着いた和具漁港です。
s-⑬和具港

そして、和具の丘の上にある首塚です。
s-⑭首塚
これは、鳥羽城主で九鬼水軍の大将だった九鬼嘉隆が、関ヶ原の戦いで西軍に味方して敗れ、
この地で自刃した後にここに葬られたとされています。

美しい和具の海岸です。
s-⑮和具サンシャインビーチ
サンシャインビーチと呼ばれているそうです。

そして、こちらは和具から近い答志集落の全景です。
s-⑰答志集落全景
答志の岩屋山には、蟹穴古墳があります。
s-⑯蟹穴古墳

こちらは答志漁港です。
s-⑱答志漁港

集落の女性たちは、夕方になると手押し車を押して買い出しに出かけます。
s-⑲主婦たち

集落の多くの家には、墨で書かれた丸八マークがあります。
s-IMG_9227.jpg
これは八幡神社で焼いた炭でその印を書くと魔除けになるのだそうです。

答志にある旅館「定洋」の夕食です。
s-⑳定洋夕食
伊勢エビやサザエの壺焼きなど、豪華な島の料理でした。

翌日、早朝の答志漁港です。
s-㉑早朝の答志港

朝の散歩に出かけると、錆びた碇にフジツボがへばりついていました。
s-㉒碇とふじつぼ
来週は、鳥羽諸島の一番奥にある神島をご紹介しましょう。

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  1. 2019/08/18(日) 00:02:22|
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東海道本線美濃赤坂支線・荒尾駅

今週は大垣駅から分岐する美濃赤坂支線の唯一の途中駅、荒尾駅をご紹介します。
美濃赤坂支線は、たった5キロの短い線ですが、それでもれっきとした東海道本線の一部です。

大垣を出た電車は、東海道本線の下り線と同じ線路の上を走り、
「間もなく荒尾」とのアナウンスが入った直後に右に分岐すると荒尾駅に着きます。
大垣駅から分岐点までは3・1キロ、そこから0・3キロ進んだところに駅があります。
①下り列車到着
美濃赤坂行の下り電車が荒尾駅に着きました。

東海道本線の家でも、この駅は無人駅。
s-②静かな無人駅
下車した人がいなくなると、駅には人影がなくなります。

駅前の踏切を渡ると、そこに御首神社がありました。
③御首神社
ここは、捕らえられてさらし首にされた平将門の首を祀ったと伝えられる千年の歴史がある神社です。

これがご本殿です。
s-④お社
落ち着いた佇まいのお社でした。

同じ境内にはこんな稲荷神社もありました。
⑤稲荷神社

1軒だけ,栗まんじゅうの屋台が出ていました。
⑥栗まんじゅう

そして、境内の桜は満開でした。
⑦満開の桜

やがて、上り電車の時間が近づくと、近所の人が駅に集まってきました。
⑧人がやって来た

そして、美濃赤坂で折り返した大垣行の上り電車がやって来ました。
⑨上り電車が来た

菜の花と停車中の電車、なんだかのどかでした。
⑩停車中

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  1. 2019/07/07(日) 00:03:18|
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貨物鉄道博物館

今週は、三重県いなべ市の三岐鉄道丹生川駅に隣接する貨物鉄道博物館をご紹介します。
ここは、平成15年に開館した日本で唯一の貨物列車だけの博物館で、毎月第1日曜日(1月のみ第2日曜日)のみ開館しています。
入場は無料で、すべてボランティアによって運営されています。

三岐線の電車が丹生川駅に到着しました。
①丹生川駅ホーム

丹生川駅は、昔懐かしい木造駅舎です。
②丹生川駅舎

券売機や自動改札機はなく、、切符は窓口で購入します。
IMG_3260.jpg


駅を出ると目の前にタンク差がずらりと並んでいます。
③タンク車の列

これが鉄道貨物博物館です。
④博物館

明治39年製造のB4形蒸気機関車の前照灯が灯っていました。
⑤B4形明治39
イギリス製のこの機関車は、日本鉄道から国鉄へ、そして、大正11年からは東武鉄道で活躍していたそうです。

これは、大正元年から瀬戸電気鐵道、その後の名鉄で使われていたト1形無蓋貨車です。
⑥名鉄ト1号
当初は、瀬戸の窒器を運んでいたそうです。

こちらは昭和4年から新潟県の蒲原鉄道を走って国鉄に乗り入れていたワ11形有蓋貨車です。
⑦蒲原鉄道ワフ21000形
かつては、全国の中小私鉄でも貨物列車が荷物を運び、国鉄に乗り入れていたのでした。

こちらは昭和30年製造の国鉄のシキ160形という大型の変圧器輸送用の貨車で、荷重130トンまで運ぶことのできる特大車です。
⑧シキ160

これは、昭和37年製造の国鉄のタム8000形です。
⑨タム8000
過酸化水素専用のタンク車で、関西本線南四日市駅を拠点として活躍していました。

こちらは国鉄のタム5000形です。
⑩タム5000形
塩酸専用のタンク車で昭和13年から43年にかけて368両が製造されたそうです。

こちらは昭和9年製造の有蓋緩急車で2名の車掌が乗務できました。
⑪西濃ワフ21000
これは昭和52年に国鉄から岐阜県の西濃鉄道に移籍した車両です。

博物館の建物の内部にはジオラマがあり、貨物列車が走っています。
⑫ジオラマ

館内には、カンテラなどの備品類が雑然と並んでいました。
⑬備品類

丹生川の2駅先の東藤原駅には、三岐鉄道のセメント輸送に活躍したホキ5700形が保存されていました。
⑭ホキ5700
これは昭和45年に製造されたもので、東藤原の小野田セメント(現太平洋セメント)の工場から、近畿各地にセメントを運んでいました。

そして、こちらは、三岐線の終点、西藤原駅に保存されているアメリカ製のED22形電気機関車です。
⑮ED22信濃鉄道T15
この機関車は大正15年から信濃鉄道(現在のJR大糸線)で使われ,その後、昭和31年から59年まで三岐線を走っていました。

このように、三岐線は、丹生川駅だけでなく、あちこちで古い車両たちに出会うことができるのです。

三岐線では、きょうも東藤原から関西本線の富田に向けて貨物列車が走っています。
⑯現役貨物列車

⑰スタンプラリー

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  1. 2019/06/16(日) 00:01:47|
  2. 東海
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三岐鉄道三岐線

今週は三重県の近鉄富田駅から分岐し、西藤原までの26.6キロを結ぶ三岐鉄道三岐線をご紹介します。

近鉄と共用の富田駅で発車を待つ三岐鉄道の電車です。
s-①近鉄富田
三岐線と近鉄との間に乗り換え改札はなく、近鉄の名古屋方面行の電車と同じホームから発着します。

保々駅のホームです。
s-②保々ホーム
この駅には、昔ながらの木造駅舎が残っています。
s-③保々駅舎
嬉しいことに、三岐線には昭和の佇まいの駅舎がたくさん残っています。

そして、三岐線では、昔も今も硬券乗車券が使われています。
s-㉔きっぷ
券売機や自動券売機はなく、昔ながらの鉄道駅の風景を見ることができるのです。

大安(だいあん)駅です。
s-④大安ホーム

これは、大安~三里間にある宇賀川橋梁を渡る電車です。
s-⑤大安~三里間鉄橋
河岸に桜の木がたくさんあったので、花の咲く時期にも訪れたいところです。

この普通の古い民家のような建物は丹生川(にゅうがわ)駅です。
s-丹生川駅
この駅の構内には日本で唯一の貨物鉄道博物館がありますが、こちらの様子は来週、ご紹介します。

屋外に展示されている貨車の横をラッピング電車が通過していきます。
s-⑦ラッピング電車

藤原岳をバックに貨物列車が通過していきます。
s-⑧藤原岳をバックに貨物列車

この線はJR以外で唯一、セメント輸送を行なっている私鉄です。
s-⑨丹生川~伊勢治田貨物
丹生川~伊勢治田(いせはった)間の小さな鉄橋を、2両だけ連結した貨物列車が渡ります。

丹生川駅の近くに、金剛山持光寺という小さなお寺があり、境内には梅の花が咲いていました。
s-⑩金剛山持光寺

伊勢治田駅に西藤原行の電車が到着しました。
s-⑪伊勢治田到着
この駅から比較的近い距離に三岐鉄道北勢線の終点、阿下喜駅があります。
s-⑥丹生川駅


こちらが、東藤原駅です。
 s-⑫東藤原駅名票とタンク車
貨物列車は、すべてこの駅の近くにある太平洋セメントの工場から発着します。
s-⑬東藤原駅構内
そのため、東藤原の駅構内にはいつも、貨車や電気機関車の姿を見ることができます。
 s-⑭セメント工場とタンク車

セメント工場をバックに、長大な貨物列車が発車しました。
 s-⑮工場をバックに貨物列車
ここから発車した貨物列車は、すべて近鉄富田の手前にあるとも朝明(ともあけ)信号場から、JR関西本線に乗り入れます。

こちらは終点の西藤原です。
s-⑯西藤原ホーム
この駅のホームには昔の機関車が静態保存されています。

蒸気機関車をかたどった西藤原の駅舎です。木造駅舎から平成14年に建て替えられました。
s-⑰西藤原駅舎
 この駅から藤原岳へ向かう登山客の利用も多いです。

西藤原を発車した電車が、ススキの穂を揺らしながら去って行きました。
s-⑱西藤原発車
 
こちらは駅から歩いて15分ほどの所にある鳴谷山聖宝寺(めいこくさんしょうぼうじ)です。
s-⑲鳴谷山聖宝寺
晩秋にはもみじ祭りが行なわれ、夜にライトアップも行なわれます。
 s-⑳紅葉の寺
 
こちらはお寺の境内にある鳴谷滝です。
s-㉑鳴谷滝
こ山の中にひっそりと佇む静かなお寺でした。

そして、こちらは昭和57年に訪れた伊勢治田駅に停車する電車です。
s-㉒S57伊勢治田

西藤原駅もまだ蒸気機関車型ではなく、木造駅舎が健在でした。
s-㉓S57西藤原
私は、昔ながらの木造駅舎の方が好みです。

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  1. 2019/06/09(日) 00:03:42|
  2. 東海
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近鉄時代の北勢線

今週は、平成15年に近鉄から三岐鉄道に移管された北勢線の、近鉄時代のようすをご紹介します。

これは、昭和58年の北勢線の電車です。
⑳S56
先週ご紹介したように、北勢線は線路の幅が762ミリの軽便鉄道です。

北大社(きたおおやしろ)の車庫に小さな電車が並んでいます。
s-IMG_20190116_0001.jpg
近鉄の他の路線の普通電車と同じ、エンジ色の塗装でした。

こちらは、当時の終点、阿下喜(あげき)駅です。
s-IMG_20190116_0004.jpg

s-IMG_20190116_0018_2019032311283396c.jpg切符は当時も今も券売機発行です。

さて、こちらは平成14年の西桑名駅です。
s-H14西桑名

s-IMG_20190116_0017_2019032311434526c.jpg

こちらは当時、小さな木造駅舎だった西別所駅です。
s-IMG_20190116_0015.jpg

西別所付近を走る電車です。
s-H14西別所

こちらは北大社駅です。
s-IMG_20190116_0013.jpg
ここには、車庫がありますが、駅は三岐鉄道に移管された後、廃止されてしまいました。
s-IMG_20190116_0014.jpg

北大社付近の田園地帯を走ります。
s-IMG_20190323_0001.jpg
北大社は車庫があり、この駅止まりの電車もある中枢駅でしたが、周囲に民家が少なかったので、駅としては廃止されたのでしょう。
北勢線は、ほかにもいくつかの利用者の少ない駅が廃止され、その代わり、それまで駅のなかった民家の多い場所に駅を新設するなどの改善が行なわれたのです。

こちらは、終点の阿下喜駅のようすです。
s-IMG_20190116_0007.jpg

この翌年、北勢線は三岐鉄道に移管され、今も通勤通学の足として活躍しています。

廃線にならなくてほんとうによかった・・・

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  1. 2019/04/14(日) 00:04:02|
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三岐鉄道北勢線と軽便鉄道博物館

今週は三重県の西桑名と阿下喜(あげき)を結ぶ三岐鉄道北勢線をご紹介します。
北勢線は大正3年に北勢鉄道として開業から105年の歴史を刻んでいます。
その後、三重交通などを経て昭和45年に近鉄、さらに平成15年に三岐鉄道の路線となりました。

これが、始発駅の西桑名です。
①西桑名駅
JR関西本線と近鉄名古屋線、養老鉄道の桑名駅と隣接しています。
②改札口

北勢線は、全国で3カ所しかない、線路の幅が762ミリしかない軽便鉄道です。
③車内
そのため、車内は非常に狭く、ロングシートの車両では向かい側に座っている人と膝が触れそうになるほどです。
④車内ロングシート

七和(ななわ)駅に着きました。
⑤七和駅ホーム

七和~穴太(あのう)間を小さな電車が走ります。
⑥七和~穴太

こちらは東員(とういん)駅です。
⑦東員
線内では比較的、大きな有人駅で、列車交換が行なわれます。

こちらは楚原(そはら)駅です。
⑧楚原交換
この駅から先は、列車本数が少なくなります。
⑨楚原駅舎
小さな駅ですが、有人駅でした。

楚原で降りて、町を歩いてみると、こんな昔懐かしい看板のあるお店がありました。
⑩古い看板

楚原の先にはねじり橋という変わった石の橋があり、その上を電車が走ります。
⑪ねじり橋

そして、こちらが明智川に架かるめがね橋です。
⑫めがね橋を渡る
どちらも土木遺産に選ばれています。

この八幡神社のすぐ脇を電車が通ります。
⑬八幡神社

麻生田~阿下喜間を行く電車です。
⑭阿下喜の手前

そして、こちらが終点の阿下喜駅です。
⑮阿下喜駅

駅構内には軽便鉄道博物館があり、80年前の古い電車のまわりを無料で乗れるミニ電車が走っています。
⑯ミニ電車
この博物館の開館は原則として毎月第1第3日曜日の2回。
⑰博物館内
1月だけは第2第3日曜日に開館します。

また、阿下喜駅のすぐ近くには、日帰り温泉の阿下喜温泉あじさいの湯があり、旅の疲れを癒やすことができます。
⑱あじさいの湯


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  1. 2019/04/06(土) 00:02:20|
  2. 東海
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桑名の3種類の線路幅の踏切

今週は、三重県の桑名にある、日本で唯一、3種類の線路幅を同時に体験できる珍しい踏切をご紹介します。
近鉄名古屋線とJR関西本線の桑名駅と、三岐鉄道北勢線の西桑名駅から南へ約200メートルの地点にその踏切はあります。
3つの路線が並行するこの区間、なんと、それぞれの路線の線路幅が異なるのです。

これが、その踏切です。
①踏切
一見、何の変哲もない歩行者用の踏切に見えます。

その踏切をJRの普通電車が通過していきます。
②JR通過

今度は、その向こうを近鉄電車が通ります。
③おばちゃん自転車
電車が通過しているのに、地元の人がのんびりと自転車を押して踏切を渡っていますが、JRと近鉄とそれぞれに遮断機があり、その間に安全地帯があるのです。
でも、北勢線とJRの踏切は遮断機が共用でなので、両線の間に安全地帯はありません。

これが、軌間762ミリの三岐鉄道北勢線の線路です。
④762ミリ
これはナローゲージと呼ばれ、かつては全国の多くの軽便鉄道で使われていましたが、現在では、この北勢線と同じ三重県の四日市あすなろう鉄道、そして、富山県の黒部峡谷鉄道の3カ所しかありません。

これは、狭軌と呼ばれる軌間1067ミリのJR関西本線の線路。
⑤1067ミリ
JR在来線のほか、南海、名鉄、東急、東武、西武、近鉄の南大阪線系統などで使われています。

そして、これが軌間1435ミリの近鉄名古屋線の線路です。
s-⑥1435ミリ‏
これは、国際的には標準軌といわれ、JRの新幹線のほか、阪急、阪神、京阪、京急、京成、西鉄(大牟田線系統)などで使われています。

このように3種類の線路が同じ場所で並行する区間は全国で桑名しかありません。

踏切近くを、北勢線の西桑名行の電車がやって来ました。
s-⑦北勢線

こちらは、JRの特急ワイドビュー南紀です。
s-⑧南紀

そして、こちらは、近鉄特急アーバンライナーです。
s-⑨近鉄特急

これは、三岐鉄道北勢線のパンフレットから引用しました。
s-⑩パンフ
ちなみに、北勢線の踏切は「西桑名第2号踏切」、JRは「桑名駅構内踏切」、近鉄は「益生第4号踏切」と、それぞれに名前がついています。




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  1. 2019/03/24(日) 00:02:52|
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名古屋・レトロでんしゃ館

今週は、名古屋市郊外の日進市にある「レトロでんしゃ館」をご紹介します。
①全景
レトロでんしゃ館は、名古屋市交通局の日進工場の敷地内にあります。

入り口には巨大なシールドマシンモニュメントがありました。
②シールドマシンモニュメント
これは、実際に地下鉄名城線の建設工事に使われた時の物です。

館内に入ると、まず、黄色い地下鉄の電車が目に入ります。
③100型S32開業時車両
これは、昭和32年に東京、大阪に次いで日本で3番目の地下鉄として、東山線の名古屋~栄町間24キロが開業した時の100型車両で、その色から「きいでん」と呼ばれていました。

こちらはその内部です。
④100型車内
開業時から昭和60年まで運転されていました。

一方、名古屋市電の歴史は古く、明治31年に京都に続いて日本で二番目の路面電車として名古屋鉄道によって開通しました。
(以下3枚の写真は、館内に展示されていたものです)
⑨明治時代名古屋駅前
その後、大正11年に名古屋市電気局に継承され、市電となったのです。

⑩大正時代納屋橋
こちらは、大正時代の納屋橋お風景です。この橋は今もそのままの姿で今も健在です。

そしてこちらは、昭和35年、混雑する全盛時のようすです。
⑪昭和35年全盛期
この当時の市電の路線網は104キロに達していました。

こちらは1400型市電です。
⑤1400型市電
昭和11年から17年にかけて製造されました。

こちらは2000型です。
⑥2000型市電
走行音が非常に静かな電車だったそうです。

そして、これは連接型の3000型です。
⑦3000型連接市電
戦時中の昭和19年に製造されましたが、戦後、ワンマン化に対応できないため、昭和45年に廃車おなりました。

これは3000型の車内です。
⑧3000型内部

そして、これは行先表示幕です。
⑫行先幕
なんともアナログなのがいいですね。

そんな名古屋市電も昭和49年3月末に廃止されました。
当時、名古屋に縁のなかった私は一度も乗ったことがなかったのが残念です。

また、名古屋市内の東山公園には昭和39年から51年懸垂式モノレールが走っていたそうです。
⑬東山公園モノレール
動物園から植物園まで、全長わずか471メートルしかありませんでしたが、湘南モノレールなどの懸垂式モノレールの先駆けとなるものでした。

このレトロでんしゃ館は、地下鉄鶴舞線と名鉄豊田線が接続する赤池駅から歩いて7分の場所にあります。
⑭赤池駅

地下鉄鶴舞線と名鉄豊田線は相互乗り入れを行なっています。
⑮赤池駅ホーム

それと、名古屋市内の白川公園にある名古屋市科学館の前にも、1400型市電が保存されていました。
⑯1400型白川公園科学館前

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  1. 2019/03/10(日) 00:04:31|
  2. 東海
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国府宮はだか祭り

今週は、毎年2月(旧暦1月13日)に行なわれる、愛知県稲沢市にある尾張大國霊神社(国府宮)のはだか祭をご紹介します。
この祭りは厄除けを願った男たちが寒空の下、ふんどし一丁でもみ合う奇祭で、1200年前から続く伝統行事です。

神社の最寄り駅、名鉄本線の国府宮(こうのみや)駅に到着しました。
①到着
この駅は、特急も停車する主要駅です。
②駅舎

岐阜行の電車が発車していきました。
③岐阜行

駅には臨時改札口も設けられ、駅から神社への道は多くの屋台が並んでいます。
④参道

まだ、祭りの開始には2時間もあるというのに、本殿には多くの人が訪れていました。
⑤本殿

本殿に奉納された大鏡餅です。
⑥大鏡餅37年ぶり
これは、毎年、尾張の各地域が持ち回りで担当し、今年は名古屋市守山区が37年ぶりに奉納した物だそうです。

その他の地域からも、鏡餅がたくさん奉納されていました。
⑦その他の大鏡餅

やがて、各地域から願いを書いた布を笹に結びつけた「儺追笹(なおいざさ)」が、わっしょい、わっしょいのかけ声とともに、はだか男たちの手によって次々と本殿に運び込まれます。
⑧儺追笹

七夕飾りのような儺追笹もありました。
⑨七夕飾りのような儺追笹

神官たちが、奉納された儺追笹を並べていきます。
⑩儺追笹

色々な、はだか男がいました。今回は全部で9000人が参加したそうです。
⑪子供たち
子供たちです。

そして、外国人もいました。
⑫外人さん
そして、ここにも・・・
⑬外人2
希望者は、男性であれば地元民でなくても誰でも参加できるそうです。

愛知県の大村知事の姿もありました。
⑭愛知県知事大村秀章氏

背中にスヌーピーを描いている人や、
⑮背中スヌーピー

歌舞伎顔の人もいました。
⑯歌舞伎顔


⑰若者2
若者たちは張り切っています。
⑱若者

おじさんたちも・・・
⑲

赤ふんどしのおじさんたちが寒そうに震えています。
⑳寒そうな赤ふんどし集団
還暦を迎えた人たちでしょうか。

夕方になって、こーとの襟を立てたくなるような寒さになってきました。
s-㉑わっしょいわっしょい
でも、はだか男たちは、ずっとふんどし一丁、お互いに固まってわっしょい、わっしょいと叫んでいます。

やがて、水掛男(?)たちが、木桶を持って飛び出しました。
s-㉒水掛男出動
次ぐ次と冷たい水を汲んでは、飛び出していきます。
s-㉓水掛男出動

そして、はだか男の群れに向かって「それっ」とばかりに、ザブーン!
s-㉔それっ
それ、もう一丁!
s-㉕ザブン!

うわ~~と、大変な騒ぎです。
s-㉖うわ~
s-㉗わお~
もう、何が何だかわからないほど、もみくちゃになっています。
s-㉘もみくちゃ

祭りは最高潮に達し、世の厄災を一身に柄負うとされる、「神男(しんおとこ)」と呼ばれるこの祭りの主役のはだか男が、もみくちゃにされながら儺追殿に引き上げられて祭りは終わります。

終わった直後、はだか男たちは泥んこでした。
s-㉙終わった!
おお~寒い!
s-㉚おお寒!

祭りが終わった後の山門のまわりの地面もずぶぬれになっていました。
s-㉛大門

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  1. 2019/02/24(日) 00:01:22|
  2. 東海
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東海道本線・函南駅

今週は、東海道本線の山間にある函南(かんなみ)駅をご紹介しましょう。

冬の夕方に函南で途中下車をしました。
①下り列車ホーム
西日を浴びながら、313系の下り普通列車が入線してきました。

函南は新幹線の駅がある熱海と三島の中間にある駅です。
②駅名標

伊豆箱根鉄道の修善寺発、東京行の特急「踊り子」がやって来ました。
③185系踊り子
国鉄時代から走り続けているこの185系電車は、あと1年ほどで引退する見込みです。

駅舎は、国鉄の駅の佇まいが残っていますね。
④駅舎
これは国鉄時代の入場券です。
⑨入場券

駅を出ると、正面に「原生林といで湯の里」と書かれた歓迎の石碑が建っていました。
⑤原生林といで湯の里
駅から畑毛温泉へのバスが運行されています。

国鉄時代からの211系の浜松行です。
⑥浜松行

熱海方面からは丹那トンネルを抜けた普通電車がやって来ました。
⑦西日を浴びる普通
静岡エリアのJR東海の普通電車は大半がロングシートなので、長距離を旅するには向いていません。

新丹那トンネルを抜けて新幹線が猛烈なスピードで次々と走り抜けます。
⑧新幹線
函南町には「新幹線」という地名があるそうです。

新幹線が通過した後、あたりには、川のせせらぎが聞こえていました。

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  1. 2019/02/03(日) 00:03:41|
  2. 東海
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伊豆箱根鉄道駿豆線と、晩秋の富士

今週は静岡県の伊豆半島内陸部を走る伊豆箱根鉄道駿豆線と、美しい晩秋の富士山をご紹介します。
駿豆線は、東海道新幹線・東海道本線の三島駅から修善寺までの19・8キロを結んでおり、地元の通勤通学の足として、また、修善寺温泉などへの行楽の足として活躍しています。
①三島駅
こちらが始発の三島駅です。

こちらは三島田町~三島二日町間を行く、東京発の直通特急「踊り子」です。
②185系踊り子
車両は国鉄時代から走り続けている185系ですが、あと数年後にこの形式は姿を消すことになっています。

こちらは三島二日町駅です。ホームからも純白の富士山を眺めることができます。
③三島二日町駅
このあたりまでは、三島市の住宅地が続いています。

④三島二日町~大場
三島二日町を過ぎると、田園地帯を走り、雄大な富士の山があちこちで見ることができました。
⑤三島二日町~大場

よく実った柿の木の脇を電車が走り過ぎていきます。
⑥三島二日町~大場

⑦三島二日町~大場
のどかな風景が続きます。
⑧三島二日町~大場

⑨三島二日町~大場

こちらが大場(だいば)駅です。
⑪大場駅

上下線の列車が、この駅ですれ違いました。
⑩大場駅交換


⑫韮山~伊豆長岡
韮山~伊豆長岡間を行く電車です。
⑬韮山~伊豆長岡
このあたりも、富士山がくっきりと見えていました。

こちらは世界遺産に認定された韮山の反射炉です。
⑭韮山反射炉
明治時代の産業革命遺産のひとつで、ここで大砲が製造されていました。

こちらは重要文化財の江川家の邸宅です。
⑮江川邸
ここは江戸時代の代官屋敷でした。

伊豆長岡駅です。
⑯伊豆長岡駅ホーム
この駅は長岡温泉の玄関口で、ちょうど東京行の特急列車が停車していました。
⑰伊豆長岡踊り子

終点の修善寺駅です。
⑱修善寺駅ホーム
この駅には、週末は4往復、休日は2往復の「踊り子」が乗り入れています。
⑲修善寺駅舎
駅舎はきれいにリニューアルされていました。

こちらが修禅寺です。駅や温泉の名前は修善寺(しゅぜんじ)ですが、お寺の名は修禅寺(しゅうぜんじ)といいます。
⑳修善寺
平安時代初期に弘法大師が開基した古刹です。紅葉が真っ盛りの晩秋の時期、大勢の参拝客で賑わっていました。

修善寺の温泉街です。
s-㉑温泉街
昔ながらの温泉地の風情が漂っていました。

帰りの列車での呑み鉄の酒は「富士に四季」。
s-㉒呑み鉄
三島に戻った時はすっかり暗くなっていました。
s-㉓夜の三島駅

さて、こちらは昭和56年に初めてこの線に乗った時の三島駅です。
s-㉔S56三島駅
37年過ぎても、この駅の雰囲気は変わっていませんでした。
s-㉕S56三島駅

そして、こちらは37年前の修善寺駅。
s-㉖S56修善寺駅

昭和の時代、切符は硬券が使われていました。
s-㉗きっぷ
きっと、この線は、いつまでも変わることなく、地域住民と観光客の足として走り続けることでしょう。


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  1. 2018/11/11(日) 00:00:29|
  2. 東海
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名鉄東岡崎駅と岡崎公園駅、徳川家康の故郷・岡崎の旅

今週は、徳川家康公の故郷、愛知県の岡崎を名古屋鉄道に乗ってご紹介しましょう。

東岡崎駅に停車中の伊奈行の普通電車です。
①東岡崎ホーム
名古屋方面から来た東岡崎行の電車が、東岡崎でそのまま行先を伊奈行に変えて運転されます。
それならそのまま伊奈行にすればいいのになあ。

東岡崎駅の駅舎は、古い岡駅デパートという駅ビルになっています。
②東岡崎駅舎
でも、中に入ってみると多くの店が閉店し、特に3階にはレストランが1軒残っているだけでした。
豊橋寄りに高架橋の新しい駅舎がすでに完成しており、この古い駅ビルはいつまであるのでしょうか。

岡崎の街を歩いてみると、あちこちに古い建物が残されています。
③精肉店
これは、精肉店ですが、ちゃんと営業しています。

こちらは旧岡崎信用金庫本店だった建物です。
④岡崎信用金庫本店
現在は、貨幣と紙幣の博物館になっています。

市内を流れる菅生川を渡る名鉄の橋梁です。
⑤菅生川橋梁①
菅生川は、またの名を乙川とも呼ばれています。
⑥菅生川橋梁②
この鉄橋は、名古屋鉄道の前身である愛知電気鐵道が野手によって、大正12年に建設されたものです。

こちらは、岡崎城のお堀にある噴水です。
⑦岡崎公園噴水
お堀を渡ると、そこに龍城神社と岡崎城があります。
⑧龍城神社と岡崎城
岡崎城は、徳川家康の祖父にあたる松平清康公が享保4年(1531)年にこの地に構えたものですが、天守閣は明治初頭に壊されてしまい、現在のお城は昭和34年に再建したものです。
⑨岡崎城

岡崎城天守閣から眺めた菅生川橋梁です。
⑩岡崎城天守閣より

岡崎公園には徳川家康公の銅像が立っています。
⑪徳川家康像

そして、その近くにはからくり時計があり、30分ごとにからくり人形が時を知らせます。
⑫からくり時計

家康館とその前に立つ武者たちです。
⑬家康館と武者たち

公園の中には東照公産湯の井戸があります。
⑭産湯井戸
これは、竹千代君と呼ばれた家康公がうまれた時に産湯を汲んだ井戸だと伝えられています。

岡崎の名産品は八丁味噌。
⑮八丁蔵通り
こちらは八丁蔵通りです。

これは八丁蔵通りに近い名鉄の岡崎公園駅です。
⑯岡崎公園駅
岡崎公園駅の隣には、愛知環状鉄道(旧国鉄岡多線)の中岡崎駅があります。
⑰中岡崎駅

岡崎公園駅に東岡崎行の電車がやって来ました。
⑱岡崎公園駅ホーム
この駅は普通電車しか停車しません。

市内で、岡崎の地酒「二兎」の冷や酒を呑んだ後・・・
IMG_3952.jpg
名鉄特急の特別車で呑み直し他カップ酒は半田の酒「國盛」。
⑲呑み鉄國盛
この日もいい一日でした。
⑳スタンプ


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  1. 2018/07/29(日) 00:02:56|
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東海道本線関ヶ原駅と関ヶ原古戦場

今週は、岐阜県にある東海道本線関ヶ原駅と、関ヶ原古戦場をご紹介しましょう。

下り電車が関ヶ原駅に着きました。
①ホーム

これが関ヶ原駅です。
②駅舎
三角屋根が印象的でした。

この区間の東海道本線は、名古屋と北陸地方を結ぶ特急「しらさぎ」が通過します。
③しらさぎ3号
やって来た列車は「しらさぎ3号」金沢行で、米原から北陸本線に入ります。

次にやって来たのは、大阪発高山行の「ワイドビューひだ25号」でした。
④ひだ25号
この列車は、大阪から岐阜まで東海道本線を走り、岐阜からは高山本線に乗り入れる大阪発では唯一の列車です。

続いて、下り豊橋行、特別快速です。
⑤特別快速豊橋行
このように、次々といろんな列車がやって来ます。

さて、慶長5年(1600年)に起きた、あまりにも有名な天下分け目の関ヶ原の戦いの古戦場の歴史は、ここ関ヶ原民俗資料館で知ることができます。
⑥歴史民俗資料館
民俗資料館の近くに、東軍を率いる徳川家康本陣跡を示す石碑が建っていました。
⑦徳川本陣

こちらは徳川方の武将、細川忠興の本陣跡です。
⑧細川忠興本陣

一方、こちらは西軍の総大将、石田三成の本陣跡です。
⑨石田三成本陣
近くには兜をかたどったオブジェがありました。

そして、ここには、鎧兜姿の石田三成(右)と家臣の島左近の姿がありました。
⑩石田三成・島左近
ちょうど、この日、イベントが行われていたのです。

ここは、関ヶ原を見下ろす岡山(丸山)烽火場です。
⑪岡山烽火場
この丘の上から、東軍の黒田長政と竹中重門が開戦の烽火を上げたとされています。
⑫烽火場より

ここは、石田三成本陣のあった笹尾山に近い両軍の決戦の地です。
⑬決戦場
戦いは、最初は両軍が一進一退の攻防を繰り広げていましたが、当初、西軍についていた小早川秀秋が、徳川家康の策略により東軍に寝返ったことをきっかけに、東軍の勝利に終わります。

これは、戦いから217年後の文化14年(1817年)に、関ヶ原本陣の主であった古山兵四郎が、関ヶ原の戦いで散った戦死者の霊を弔い、歴史を後世に残すために建てた首級噴碑という首塚です。
⑭首級噴碑
あの戦いから418年、今は緑豊かな山里が広がるばかりです。

⑮鉄道唱歌の碑
駅には、関ヶ原の戦いを歌った鉄道唱歌の碑がありました。

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  1. 2018/07/22(日) 00:02:38|
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美濃市駅と街の風景

先週ご紹介した長良川鉄道の北濃駅を訪れた翌日、美濃市駅で途中下車をしました。
①ホーム (550x367)
終点の北濃駅は深い雪に包まれていましたが、長良川に沿って54・4キロも下流にある美濃市には、まったく雪はありません。
②駅舎 (550x367)
この駅も昔ながらの木造駅舎が残されています。

美濃市駅から歩いて3分ほどの場所に、名古屋鉄道の旧美濃駅があります。
③名鉄美濃駅1 (550x367)
美濃町線は、岐阜市内の徹明町から美濃までの18・8キロを結ぶ路線で、平成17年に廃止されました。

岐阜市内中心部では路面を走る併用軌道でしたが、その先は専用軌道を走る郊外電車でした。
④名鉄美濃駅2 (550x367)
このホームの佇まいやモダンな駅舎は、まるで現役の駅のようです。
⑤旧美濃駅舎 (550x367)

こちらは昭和57年に訪れた現役時代の美濃駅です。
⑥s57美濃駅 (550x382)
今、残された駅に、現役時代にあった架線は撤去されています。

さて、こちらは美濃市の古い街並です。
⑦街並み (550x367)
格子戸のある江戸時代の家が軒を連ねており、電柱がないので、実に風情のある佇まいです。

このあたりには「うだつ」のある家がたくさんあります。
⑧うだつ (550x367)
「うだつ」とは民家の屋根に取り付けられた小柱のことで、防火壁の役目をはたしていました。
うだつがある家は格式の高い家とされ、「うだつの上がる」という言葉はここから生まれました。

こちらは今井家住宅です。
⑨今井家 (550x367)
この家は古くからの紙問屋だったそうです。

こんな古い看板がありました。
⑩古い看板 (550x367)
おそらく、昭和初期のものでしょう。

こちらは、小坂酒造場です。
⑪小坂酒造場 (550x367)
この建物は国の重要文化財に指定されています。
⑫杉玉 (550x367)
大きな杉玉は、そこが造り酒屋さんであることを示しています。
⑬百春 (550x367)
この蔵の代表銘柄は百春(ひゃくしゅん)です。
⑭呑み鉄 (550x367)
帰りの列車では、このお酒で呑み鉄をしながら美濃市を後にしました。

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  1. 2018/03/04(日) 00:02:35|
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冬の北濃駅

今週は、真冬に訪れた岐阜県のにある長良川鉄道の終点、北濃駅をご紹介しましょう。
長良川鉄道は、高山本線の美濃太田から分岐する72・2キロのローカル線です。
昭和61年に国鉄越美南線から第三セクター鉄道に転換されました。

雪深い終着駅・北濃に赤い列車が到着しました。
①雪のホーム (550x367)
起点の美濃太田からおよそ2時間の旅路です。

「長良川鉄道終点」の看板です。
②終着駅看板 (550x365)

かつて、蒸気機関車が方向転換をしていた転車台は雪に埋もれていました。
③転車台 (550x367)

質素な駅舎は国鉄時代と変わっていません。北濃駅は昭和9年に開業しました。
④駅舎 (550x367)

越美南線は、北濃駅から先、直線距離でおよそ16キロの福井県越美北線の九頭竜湖駅までを結び、美濃太田~福井間の越美線となるはずでした。けれでも、計画が頓挫し、その間が開通することはありませんでした。

駅前には、道路を挟んで美しい長良川の風景が広がっていました。
⑤長良川 (550x367)

駅から歩いて15分ほどの場所に長瀧白山神社があります。
⑥長瀧白山神社 (550x367)
この神社は奈良時代に創建され、全国に2715社に及ぶ白山神社の総本家的な由緒ある神社です。

境内には隣接して白山長瀧寺があります。
⑦長瀧寺 (550x367)
こちらは明治時代の神仏分離により、長瀧神社がら分かれたものです。

駅舎の改札口の上には、「さよなら又どうぞ」の文字がありました。
⑧さよなら又どうぞ (550x367)

北濃で買った酒は、地元郡上の地酒「奥美濃母情・にごり酒」
⑨奥美濃母情 (550x367)

美濃太田行の列車が山の駅を発車して行きました。
⑩発車 (550x367)

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  1. 2018/02/25(日) 00:01:28|
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城北線と清須城

今週は東海道本線の枇杷島と中央本線の勝川間11・2キロを結ぶ東海交通事業・城北線と、その沿線にある清須城をご紹介しましょう。

城北線は、昭和期に名古屋を迂回するルートの貨物線として計画された国鉄瀬戸線の一部です。
その一部は、岡崎~高蔵寺間の現在の愛知環状鉄道になっています。

しかし、建設工事が進行したものの貨物列車の減少と国鉄財政の破綻により工事は中断しました
その後を引き継いでJR東海の子会社である東海交通事業が運営することとなり、平成3年に勝川~尾張星の宮間が部分開通。
さらに、平成5年に尾張星の宮~枇杷島間が開通して、全線開業となりました。

こちらは枇杷島駅で発車を待つ勝川行の列車です。
①枇杷島ホームのキハ11 (550x355)

次の駅、尾張星の宮で途中下車をしました。
②星の宮ホーム (550x360)

勝川に向って発車して行く列車です。
③星の宮発車 (550x349)
名古屋高速道路6号線が見えます。

尾張星の宮駅です。立派な高架駅ですが、この線の駅はJRの駅員がいる枇杷島以外、すべて無人駅です。
④尾張星の宮駅
この駅は平成3年に暫定的に終着駅になっていました。

これが駅から歩いて15分ほどの所にある清須城です。
⑤清須城 (550x367)
清須城は1405年(応永12年)に斯波義重によって築城されました。
1478年(文明10年)に尾張国の守護所が清須に移転し、清須城は尾張国の中心地として、尾張を支配する織田家の本城となりました。織田信長はこの城を10年間居城とし、今川の大軍を破った桶狭間の戦いは、この城から出陣ました。
「本能寺の変」で信長が死去の後、福島正則の居城となり、その後、1600年(慶長5年)の「関ケ原の戦い」ののち、1609年(慶長14年)に徳川家康によって清洲城は廃城となり、尾張の中心は名古屋に移転され、清須城は完全に取り壊されたのです。
そして、この天守閣は平成元年に再建されたものです。

清須城の天守閣からは、遠く東の方角に名古屋城が見えます。
⑥名古屋城
名古屋には、清須の城下に住んでいた人々も城と共に移転し、名古屋に移ってからも清須と同じ名前の町名がたくさん残っているそうです。

お城の瓦の上で羽根を休める雀たちです。
⑦雀
そういえば、最近は雀の姿も減った気がします。

お城の中には中日新聞社が作った「戦国中日スポーツ」が貼ってありました。
⑧桶狭間⑨武田騎馬隊撃沈⑩信長暗殺
桶狭間の戦いや本能寺の変など、歴史上の出来事をスポーツ新聞仕立てで書かれたもので、思わず、見入ってしまいました。

古城跡公園には「信長公出陣の像」があります。
⑪信長と濃姫像
これは桶狭間の戦いに向けて出陣する時の信長と、それを見送る濃姫の姿です。

公園には信長公を祀る小社もありました。
⑫祠

再び、城北線の旅を始めましょう。
⑬鬼ころし
清須といえば、このお酒です。「鬼ころし」は今や全国ブランドですね。

枇杷島方面から列車がやって来ました。
⑭星の宮到着
立派な高架橋に複線ですが、やって来る列車は日中、1時間に1本でたった一両の単行運転です。
当初は長大な貨物列車が頻繁に走ることを想定して建設されたので、このような過大な設備を擁しているのです。

途中駅の味美(あじよし)です。
⑮味美駅名票
名鉄の小牧線の味美駅に歩いて行ける距離ですが、乗換駅としては殆ど機能していません。

味美付近を行く列車です。
⑯味美付近
この車両は開業時から使われているキハ11です。

勝川駅に着きました。
⑰勝川駅ホーム
枇杷島からはわずか15分の旅です。
⑱勝川駅
駅はこのように高架線が途中で途切れたような構造になっており、JR中央線の勝川駅とは500メートルほど離れたままです。
将来的には、JR勝川駅まで乗り入れる計画がありますが、今のところ、その時期のめどはたっていません。

⑲看板⑳勝川駅案内表示
今は、高架下にこのような看板が立っているばかりです。

㉑休日フリーきっぷ
休日には、このようなホリデーフリーきっぷを車内で買うことができます。






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  1. 2017/07/09(日) 00:01:20|
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東海道本線・枇杷島駅

今週は東海道本線の枇杷島駅とその周辺を走る列車たちをご紹介します。

枇杷島(びわじま)駅は、名古屋駅の一駅西にある普通列車しか停車しない駅です。
この駅のあたりは、かつては西春日井郡西枇杷島町という町でしたが、平成の大合併により周辺の町と合併して清須市になっています。

これが枇杷島駅です。
この駅からは勝川との間を結ぶ東海交通事業城北線が発着しています。
①枇杷島駅 (550x367)
平成20年までは、木造駅舎が残っていましたが、残念なことに以前の駅舎は撮影していませんでした。

金沢行の特急「しらさぎ」が通過して行きます。
②しらさぎ (550x367)
「しらさぎ」は米原から北陸本線に入ります。
北陸新幹線が長野~金沢間を延伸開業するまでは、富山行でしたが、現在はすべて金沢止まりになり、富山まで行く人は金沢で新幹線に乗り換えなければならなくなりました。

しばらくすると、DE10に牽引された列車が入線してきました。
③DE10 (550x367)

後ろに連結されていたのはキヤ97という珍しい車両です。
④キヤ97 (550x367)
これは、JR東海の線路運搬用の車両です。
気動車なので自走できるのですが、この日はなぜかDE10の後ろに連結されていました。

新幹線と、枇杷島~清州間を行く高山行の特急「ワイドビューひだ」です。
⑤新幹線とひだ (550x367)

普通列車と新幹線の一瞬の出会いです。
⑥新幹線と普通列車 (550x367)

国鉄時代に製造されたEF65電気機関車に牽引された長大なコンテナ列車が、名古屋方面からやってきました。
⑦EF65貨物列車 (550x367)
ここは、大動脈、東海道本線なのです。
これらの写真は、清須城の天守閣から撮影しました。

そして、国鉄時代の枇杷島駅と清州駅の入場券です。
⑧入場券 (280x237)

来週は枇杷島駅から分岐する城北線と清須城にご案内しましょう。





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  1. 2017/07/02(日) 00:03:42|
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美濃赤坂支線と西濃鉄道

今週は岐阜県にある東海道本線の美濃赤坂支線と、貨物専用鉄道・西濃鉄道をご紹介します。
美濃赤坂支線は、大垣と美濃赤坂を結ぶ5.0キロの支線ですが、正式には東海道本線の一部です。
とはいえ、運転本数は朝夕を中心に一日17往復しかなく、特に日中はおよそ2時間に1本の電車しかやって来ません。

こちらが、大垣駅の美濃赤坂行が発着する3番乗り場です。
①大垣駅
美濃赤坂までは、途中に荒尾駅があるだけで、わずか6~7分の短い旅です。

これは、終点の美濃赤坂構内に着いた電車です。
②美濃赤坂構内
いかにも寂れた広大な貨物ヤードの中に、ひっそりと電車が停車しています。

これが、美濃赤坂駅の駅舎です。
③赤坂駅舎
旅客関係の駅員はいませんが、ここにはこの駅から発着する貨物専用鉄道「西濃鉄道」の社員が勤務しています。

西濃鉄道市橋線は美濃赤坂から猿岩までのわずか2・0キロの小さな貨物専用鉄道です。
以前は、その先の市橋まで線路が延び、また、昼飯線という別線もありましたが、いずれも平成18年に廃止されています。

民家の軒のかすめるように長大編成の貨物列車がゆっくりとやって来ました。
④西濃鉄道
この鉄道は石灰石を運搬しており、一日の運転本数は原則として3往復です。

時速10キロの自転車よりも遅い速度で列車が通過すると、老婆がのんびりと踏切を渡って行きました。
⑤貨物列車と老婆

工場に囲まれた、途中駅の乙女阪駅に停車している列車です。
⑥工場内のDE10
なぜか、職員が列車に向けて水をまいていました。


さて、美濃赤坂は、かつて中山道の宿場町でした。
⑦赤坂宿

町の中には古い建物やお寺がたくさんあります。
⑧古い煙草屋
こんな格子戸のあるレトロな煙草屋さんは、まだまだ現役のようです。

こちらは法泉寺です。
⑨法泉寺
このお寺の境内の裏に、西濃鉄道の線路があります。

こんな板塀のある道もありました。
⑩板塀

付近を流れる杭瀬川にあった赤坂港跡です。
⑪船着き場
この地に鉄道が敷設されるまでは、川を使った水運が盛んでした。

こちらは「お茶屋屋敷跡」です。
⑫お茶屋屋敷跡
これは、慶長10(1605)年に作られた将軍家専用の宿泊地で、徳川家康や秀忠が、京と江戸の往還の道中に利用しまいsた。

屋敷の敷地内にある竹藪です。
⑬竹藪
人の気配はなく、竹の葉だけが風に揺れていました。

駅に戻ると、2時間ぶりに折り返しの電車がやってきました。
⑭折り返し電車
左手にはJR貨物の電気機関車が見えます。さきほどの貨物列車を美濃赤坂まで牽引してきたのです。

美濃赤坂で買ったお酒は「美濃菊」。
⑮美濃菊
岐阜県養老町の地酒です。

唯一の途中駅の荒尾です。このあたりには住宅が多いため、何人もの人が乗って来ました。
⑯荒尾駅
荒尾を過ぎるとすぐに本線と合流し、やがて大垣に着きます。

こちらは昭和55年の2月に訪れた時の美濃赤坂駅です。
⑰S550208美濃赤坂駅舎
この時は雪が積もっていましたが、駅の佇まいは、いつ訪れてもまったく変わっていません。

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  1. 2017/03/26(日) 00:02:59|
  2. 東海
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岳南電車の今

今週は、先週に引き続き、静岡県の岳南鉄道をご紹介します。

貨物輸送が主要な収入源だった岳南鉄道は、平成24年に貨物輸送から撤退を余儀なくされ、経営が悪化してしまいました。
そこで、翌平成25年4月から、不動産業や物品販売を営む「岳南鉄道」から鉄道部門を独立した子会社とし、新たに「岳南電車」として再出発を切りました。

吉原駅で発車を待つ岳南江尾行電車です。
⑰吉原駅ホーム (550x367)
11年前に訪れた時に乗った7000形電車は健在でしたが、その時、貨物列車が廃止された今は、隣のホームにいた電気機関車の姿はありません。

フリーきっぷを購入してあちこちの駅をまわることにしました。
⑱H29フリー券 (400x273)
フリーきっぷは大人700円ですが、吉原~岳南江尾間は片道360円なので、往復するだけでお得になります。

まずは、終点の岳南江尾に直行しました。
片道21分の小さな旅です。
⑲岳南江尾ホーム (550x357)
ホームには赤い7000形と緑の8000形電車が並びました。

ホーム側から見た岳南江尾駅です。
⑳岳南江尾駅 (550x367)
手前の空き地は、かつての貨物線の跡地でしょう。

こちらは富士山をバックに岳南富士岡~須津間を行く電車です。
㉑富士岡-須津1 (550x367)
富士山の手前に見える高架橋は第二東名高速道路です。

本当にすっきりと晴れたいいお天気でした。
㉒富士岡-須津2 (550x367)

踏切の向こうにも富士山が見えます。
㉓富士岡-須津3 (550x367)

こちらは、岳南富士岡駅構内にある車庫です。
㉔富士岡車庫 (550x351)
この日、非番の電車が休んでいました。

これは岳南富士岡駅です。
㉕岳南富士岡駅 (550x367)
前に来た時は有人駅でしたが、今は無人駅です。

岳南富士岡駅構内に、使われなくなった電気機関車が何機も並んでいました。 
㉖富士岡ELと富士山 (550x367)
茶色い塗装が徐々に薄くなってきています。
背後の美しい富士山との対比が、なんとも物悲しく感じます。

工場に囲まれた岳南原田駅に電車がやってきました。
㉗岳南原田工場と電車 (550x367)

この駅も以前は有人でしたが、今は無人駅です。
㉘岳南原田駅 (550x367)
駅舎の中は蕎麦屋さんになっていました。

富士山をバックに、夕暮れ近いジャトコ前~吉原間を走る吉原行電車です。
㉙ジャトコ前 (550x367)
ジャトコ前駅は昔は日産前という駅名でした。

夕方の比奈駅に戻りました。これは、以前来た時に、貨物列車がたくさんいたヤードの跡地です。
㉚線路のはがされた比奈 (550x367)
正に、この日に重機が入り、線路をはがした直後でした。
脇にはがしたばかりの錆びた線路と、枕木が積んであります。
更地に戻った地面には、まだ、枕木の跡が残っていました。

駅舎の事務室内は、鉄道模型店になっていました。
㉛-1模型屋 (550x367)
壁面にある賞状や、乗車券箱が、有人駅だった時のまま残されています。

やがて、日が暮れました。
㉛比奈夜 (550x367)
電車のライトが眩しく光っていました。












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  1. 2017/02/05(日) 00:01:24|
  2. 東海
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岳南鉄道の昔

今週から2回にわたって静岡県を走る岳南鉄道をご紹介しましょう。
岳南鉄道は、東海道本線吉原駅から分岐し岳南江尾(がくなんえのお)までの9・2キロの小さなローカル私鉄です。

これは、昭和50年の岳南江尾駅です。
①19750705岳南江尾 (550x364)
この電車は昭和17年に小田急で製造された1600形という古い車両でした。

こちらは当時の切符です。
②S50きっぷ (257x350)
岳南鉄道では、昔も今も、このような硬券切符が使われています。

そして、これは昭和50年当時の車内乗車券です。
③S50車内券 (500x258)
現在ではワンマン運転ですが、当時は車掌さんが乗務し、無人駅から乗る乗客にこんな切符を販売していました。


さて、時は流れ、こちらは平成18年の吉原駅の風景です。
④-1吉原H18 (550x367)
吉原駅のホームには、発車を待つ電車と、電気機関車の姿がありました。
④-2吉原駅ホーム (550x367)
岳南鉄道の沿線には多くの工場があり、貨物輸送がこの線の大きな収入源でした。

途中の主要駅、吉原本町です。
⑤吉原本町H18 (550x367)
沿線の途中駅の中で最も乗降客数の多い駅で、今も有人駅ですが、ホームは片面一線だけのシンプルな構造です。

比奈駅には、長大な貨物列車が停車していました。
⑥比奈1 (550x367)

これが比奈駅です。
⑦比奈駅H180415 (550x367)
この当時は有人駅でしたが、現在では無人駅となり、駅舎の中は鉄道模型店になっています。

比奈駅構内は広大な貨物ヤードになっており、何両もの貨車が止まっていました。
⑧比奈貨物1 (550x367)

比奈駅の構内踏切で貨車の入れ替え作業が行われていました。
⑨比奈貨物 (550x367)

でも、広い構内は、廃車になった古い電車の墓場になっていました。
⑩比奈廃車1 (550x367)

手前のボロボロになった電車は、31年前に出会った電車の哀れな姿だったのです。
⑪比奈廃車2 (550x367)
これらのボロボロの電車たちは、平成23年に解体されたそうです。

岳南富士岡~須津(すど)間を行く、岳南江尾行の電車です。
⑬岳南富士岡~須津H180415 (550x367)
この7000形電車は、京王井の頭線からやってきた車両で、現在も活躍しています。

こちらは、岳南富士岡駅構内に留置されていた、旧東急の5000形電車とED291電気機関車です。
⑭富士岡H18 (550x367)
5000形電車は東急時代は緑色に塗装され、靑ガエルと呼ばれていました。

でも、実はこれらの車両も、この時、すでに廃車となっており、駅構内に放置されていたのです。
⑮富士岡ボロボロ電車 (550x367)
よく見ると赤い塗装がはげ落ちて、その下に東急時代の緑色が見えていました。
廃車ばかり見ていると、なんだか、悲しい気持ちになってしまったのです。

これが終点の岳南江尾駅です。
⑯岳南江尾駅H18 (550x367)
この駅は昭和50年に来た時もすでに無人駅になっており、その佇まいは、いつ訪れても変わることはありません。



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  1. 2017/01/29(日) 00:01:15|
  2. 東海
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長良川鉄道②と越美南線の今昔

今週は、糸魚川での大火のため、一周延期しましたが、先々週に引き続き、岐阜県の長良川鉄道の旅を続けます。
まずは、郡上八幡からさらに北を目指します。

郡上八幡駅の普通列車です。
⑯郡上八幡普通列車 (550x365)
郡上八幡から北の普通列車は一両で運転されることが多いようです。

郡上八幡で買った地酒は「金泉」。
⑰郡上の酒「金泉」 (550x330)
でも、観光列車を含め、長良川鉄道の列車にはトイレがついていないので、呑み鉄をする時は要注意です。

山田と言う小さな無人駅で降りてみました。
⑱山田駅 (550x365)
やがて、上り列車がやって来ます。
⑲山田付近 (550x367)

こちらは郡上大和駅です。
⑳郡上大和駅 (550x338)
この線には、こんな古い木造駅舎の残る駅がいくつもあります。

美濃白鳥駅のホームの様子です。
㉑美濃白鳥ホーム (550x357)
学校帰りの高校生の姿が見られます。

これも古い駅舎が残る美濃白鳥駅です。
㉒美濃白鳥駅 (550x366)
かつて、ここから山を越え、福井県側にある越美北線の九頭竜湖へのバスが走っていました。

終点の北濃駅に着いた「ながら」です。
㉓北濃「ながら」 (550x357)
美濃太田を発車した時は二両編成ですが、郡上八幡で車内で食事やスイーツが味わえる「あゆ号」を切り離し、北濃までやって来るのは「もり号」一両だけです。

これが終着の北濃駅です。
㉔北濃駅 (550x367)
国鉄越美南線は、この先、北へ直線距離で16キロ余りにある越美北線の九頭竜湖駅まで延伸させ、美濃と越前を結ぶ越美線とする計画でしたが、この区間が鉄路で結ばれることはなく、この区間のバス路線さえも廃止されてしまいました。

駅構内には古い転車台が残っています。
㉕転車台 (550x367)
かつて材木などを積んだ貨物列車が走っていたのです。

ホームで発車を待つ上り列車です。
㉖紫陽花と列車 (550x367)
赤い列車と初夏の花がなんとも美しい光景を見せてくれていました。
㉗北濃普通 (550x349)

紫陽花の花が咲く駅を、美濃太田行の普通列車が発車して行きます。

さて、これは今から43年前、国鉄時代の昭和48年8月に訪れた時の北濃駅です。
㉘S48北濃駅 (550x365)
3両連結の気動車に貨車の姿も見えます。

そして、こちらは長良川鉄道になった当初、昭和63年2月に訪れた時の美濃白鳥駅の様子です。
㉙S6302美濃白鳥 (550x371)
この時は雪がちらつく寒い日でした。

こちらは関駅付近を行くレールバスです。
㉚S6202関付近 (550x372)
このころは、三セク化された全国のローカル線で、このような小さなレールバスが走っていました。

㉛郡上八幡スタンプ (380x375)
こちらは国鉄時代の郡上八幡駅のスタンプと現在の北濃駅のスタンプです。
㉜北濃スタンプ (380x377)

そして、長良川鉄道の乗車券、
㉝長良川鉄道切符 (450x235)
それに国鉄時代の入場券です。
㉞国鉄入場券 (223x400)
美濃弥富駅は、三セク化された時に郡上大和駅に改称されました。

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  1. 2017/01/01(日) 00:01:08|
  2. 東海
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長良川鉄道①と郡上八幡

今週から2回にわたって岐阜県の長良川鉄道の旅にご案内します。

長良川鉄道は、高山本線の美濃太田と北濃を結ぶ72.1キロを結ぶ第三セクター鉄道です。
昭和61年に国鉄越美南線を引き継いで開業しました。

美濃太田駅で発車を待つ北濃行普通列車です。
①美濃太田 (550x367)
終点北濃までを2時間余りかけてのんびりと走ります。

沿線主要駅のひとつ、関駅です。
長良川鉄道の本社は関にあります。
②関駅 (550x367)
関は刃物の町、隣は刃物会館前という駅です。

美濃市駅で反対列車と行き違いました。
③美濃市駅 (550x356)
かつて、この駅まで名鉄美濃町線が走っていましたが、平成17年に廃止されてしまいました。

やがて、列車は長良川の清流に沿って走ります。
④清流 (550x367)

八坂付近の田園地帯を走る列車です。
⑤八坂 (550x357)

八坂~みなみ子宝温泉間で長良川を渡ります。
⑥八坂~みなみ子宝♨ (550x354)
列車が鉄橋を渡るたびに、車窓からの長良川の眺めは移動します。

郡上八幡駅に「観光列車ながら」がやって来ました。
⑦観光列車ながら (550x367)
週末を中心に運転されるこの列車は、今年の4月から運転を開始しました。

「ながら」の車内では明るい笑顔のアテンダントが案内をしてくれます。
⑧ながらアテンダント (367x550)

多くの観光客が下車する郡上八幡では、地元の特産品の立ち売りが行なわれています。
⑨郡上八幡駅売り (367x550)
実は、この人、郡上在住の友人のK氏なんです。

郡上八幡駅は、趣のある木造駅舎が健在です。
⑩郡上八幡駅 (550x366)
昭和4年の開業以来、この町の玄関口として建ち続けています。

郡上八幡と言えば、郡上踊りがあまりにも有名です。
⑪郡上踊り (550x367)
毎年、7月中旬から9月上旬まで行われるロングランの盆踊りで、特にお盆の4日間は徹夜で踊り続けるそうです。

市内の中心部にはしっとりと落ち着いた街並みが続いています。
⑫街並み (550x367)
ここは「やなか水のこみち」と呼ばれる散歩道です。

近くの水路には鯉がたくさん泳いでいました。
⑬鯉 (550x367)

こんな古風な酒屋さんもあります。
⑭酒屋 (550x367)
メインの看板が美濃の酒ではなく、灘の酒「白雪」でしたが、ここでは地酒をたくさん売っていました。

こちらは郡上八幡城です。
市内を見下ろす山の上に優雅な姿を見せてくれています。
⑮郡上八幡城 (550x367)
永禄二年(1559年)に遠藤盛数が砦を築いたのがこの城の始まりです。

この先、北濃までの長良川鉄道の旅は来週に続きます。

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  1. 2016/12/18(日) 00:02:28|
  2. 東海
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新生・四日市あすなろう鉄道

今週は、平成27年4月に近畿日本鉄道(近鉄)から、四日市あすなろう鉄道に変換された、三重県の内部線と八王子線をご紹介します。
⑰1dayフリーきっぷ (480x291)
四日市あすなろう鉄道は、四日市~内部館5.7キロの内部線と、途中の日永から分岐して西日野までの1.3キロの八王子線の、あわせて7.0キロの第三セクター鉄道です。

この線の歴史は古く、大正元年に日永~八王子村間の八王子線が三重軌道として開業したことに始まり、その後、三重鉄道、三重交通、三重電鉄を経て、昭和40年に近鉄に併合されました。

しかし、多くのローカル線を抱える近鉄は、平成24年に採算の取れない内部・八王子線をバス高速輸送システム(BRT)に変換する方針を表明。内部・八王子線は廃線の危機を迎えました。

これに対して、地元四日市市は、市内の通勤通学客にとって欠かせない足として鉄道の存続を模索し、協議の末、第三セクター鉄道として再生することとなりました。

この線は、線路の幅がわずか762ミリのナローゲージであることが特徴で、あすなろう鉄道という社名は、このナローにちなんだものです。

これが四日市駅で、「あすなろう四日市」と呼ばれています。この駅からは内部線と八王子線の列車が交互に発車します。
①四日市駅 (550x367)
この駅は近鉄名古屋線の高架下にホームがあり、これは近鉄時代から同じ構造です。

車内はこのように狭く、まるで市内バスのようです。
②狭い車内 (550x367)
方向転換のできない一人掛けシートが並んでいました。

まずは、日永で内部線から分岐して、八王子線の終点、西日野に向かいましょう。
③日永~西日野 (550x367)
枯れすすきの脇を小さな電車が走って行きます。

八王子線は、わずか1.3キロしかないので、しばらくすると、同じ電車が戻ってきます。
この二両編成の電車は前と後ろで塗装の色が異なっていました。
④日永~西日野上り列車正面 (421x550)
住宅街の後方に雪を抱く山は、鈴鹿山脈です。

四日市からわずか8分で、終着の西日野に到着します。
⑤西日野駅 (550x363)
かつては、西日野から伊勢八王子(八王子村)まで、さらに1.7キロの線路が延びていましたが、昭和49年の豪雨のために途中の川が氾濫して不通となり、そのまま廃止されてしまいました。
それでも、八王子線の名前はそのまま残っています。

再び、日永駅に戻ってきました。
⑥日永駅上りホーム (550x356)
奥の緑色の電車がやって来たのが八王子線、手前が内部線です。
このホームに来る列車はいずれも四日市行です。

日永駅での交換風景です。
⑦日永駅交換 (550x352)
このあと、正面からやって来た黄色い電車は、停車している四日市行の青い電車の前を横切って八王子線に乗り入れます。

日永駅の内部方面行きのホームに電車がやって来ました。
⑧日永駅内部行ホーム (550x367)
日永駅は、1時間に8本、3方向への電車が行き交うこの鉄道の要衝駅ですが、それでも無人駅です。

朝焼けの中を、電車が踏切を通過して行きます。
⑨日永踏切 (550x367)

この線の沿線には多くの住宅が建ち並んでいます。
⑪日永~南日永1 (550x367)
やはり、市民にとっては欠かせない生活の足なのです。

この電車は、三セク化後に新造された260系電車です。
⑫日永~南日永新型電車正面 (550x367)
クネクネとカーブを通り過ぎて行きました。

泊~追分間を走る電車です。
⑬泊~追分 (550x367)
このあたりも家がたくさん並んでいます。

これは泊駅です。
⑭泊駅 (550x367)        
まるで一戸建ての住宅のような駅ですね。

泊駅に四日市行の電車がやってきました。
⑮泊駅ホーム (550x367)
この駅からも大勢の乗客が乗り込みました。

こちらは終点の内部駅。
⑯内部駅 (550x356)
この駅は四日市以外では唯一の有人駅です。

そして、これは昭和57年、近鉄時代の四日市駅です。
⑱四日市S57 (390x550)
今と違って、重々しい角ばった電車が走っていました。

当時の内部駅の構内です。
⑲内部S57 (550x394)
走る電車は変わっても、各駅の風景は30年以上前とほとんど変わりません。
いつまでも、この小さな電車が走り続けてほしいものですね。

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  1. 2016/04/10(日) 00:01:46|
  2. 東海
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大井川鐡道 トーマスとその仲間たち

今週は、またまた大井川鐡道のご紹介です。今回は、この夏、大井川本線できかんしゃトーマスとその仲間たちが走ることに合わせて行ってきたようすを、そのほかの車両も交えながらご紹介します。

大井川鐡道の旅は、いつも金谷駅から始まります。
1金谷駅到着
旧近鉄特急の16000形電車がやって来ました。
この普通電車で、田野口で途中下車をします。
2田野口駅
この駅は、しばしば映画やドラマのロケに使われるほど、昔ながらの趣を残しています。

下泉~田野口間の大井川沿いを、まずやって来たのは、旧南海の21000形電車です。
3下泉~田野口・普通
この電車はかつて、南海高野線の特急「こうや号」として走っていました。

そして、谷間に汽笛の音が鳴り響き、やって来たのは、トーマスの仲間のジェームスです。
4ジェームス下泉~田野口
C56を改装し、このような可愛い姿となって子供たちの人気者になりました。

続いては、いよいよ真打ちのトーマスの登場です。
5田野口~駿河徳山・茶畑を行くトーマス
茶畑の中をやって来たのはC11を改装したトーマス君で、連日満員御礼の大人気なのです。

コスモスの咲く田野口駅にさきほどの旧南海の電車がやって来ました。
6コスモスと普通電車
もう、秋はすぐそこです。

大井川本線の終点、千頭には、トーマスとその仲間たちが勢ぞろい。家族連れなどで大変な賑わいでした。
7勢揃い
左からC12改装したパーシー、9600形を改装したヒロ、そして、トーマス、ジェームスです。まったくおとぎの国の世界のようですね。これは、子供たちが喜ばないはずがありません。
余談ですが、パーシーとなったC12208は、今から42年前に私が九州の高森線で撮影した機関車だったのです。

さて、これは、崎平~千頭間の鉄橋を渡る川根路号です。
8崎平~千頭昔ながらの川根路号
昭和5年生まれのC10形蒸気機関車が、茶色い旧型客車を従えて走る姿は、まるで昭和にタイムスリップしたかのようです。

線路の近くの栗の木には、イガに覆われて栗の実がなっていました。
9栗


やがて、千頭に向かってジェームスが発車して行きました。
⑪崎平~千頭ジェームス

続いて、トーマスもやって来ます。
⑩崎平~千頭トーマス
随分、長い編成ですね。

そして、今度は急行列車となった近鉄車両です。
⑫千頭付近急行
色々な列車が次々とやって来ました。

線路端に咲く花にとまる蝶々です。
⑬花と蝶
なんとものどかな所です。
⑭花と蝶

この日、私は川根路号で帰りました。
⑮千頭発車前川根路
車内でハーモニカを奏でる名物車掌さんです。
⑯ハーモニカおばさん

列車がトンネルに入ると、こんな感じになります。
⑰トンネル内
まるで、昔の夜汽車の旅のようですね。

この日も帰りには呑み鉄をしました。
⑱家山呑み鉄
その酒の名は、ズバリ「大井川の酒」。心地よく酔っぱらいました。

そして、川根路号は終点の新金谷に到着しました。
⑲新金谷到着
蒸気列車はすべて新金谷止まりで、その先、東海道本線に接続する金谷へは、普通電車が接続しています。

これは、この日に使った切符です。大井川鐡道には、未だに硬券切符が使われています。
⑳きっぷ
また、何度でも訪れたいと思っています。

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  1. 2015/09/20(日) 00:01:13|
  2. 東海
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伊豆急行の春

先週は冬の飯山線をご紹介しましたが、今週は一転して2月末、早くも春が訪れた伊豆急行の旅にご案内します。
伊豆急行は、静岡県の伊東から伊豆急下田までの45.7キロを結んでいます。けれども、多くの列車は東海道本線の熱海~伊東間のJR伊東線と直通運転をしており、また、すべての特急列車は東京方面から直通しているため、JRと強い結びつきがあります。

これは熱海駅で発車を待つ「リゾート21黒船電車」です。
①黒船電車熱海
リゾート21は最前部と最後部が展望席になっており、そのほかの車両も東側の席は海の方を向いて、景色が楽しめるようになっています。

伊豆稲取を過ぎると、伊豆七島のひとつ、利島が見えてきました。
②利島
相模灘がキラキラと輝いています。


そして、河津駅で途中下車をしました。
③賑わう河津
正に河津桜が満開で、あたりは大勢の観桜客で賑わっていました。

河津川の畔を251系「スーパービュー踊り子」が走って行きます。
④SV踊り子河津桜
菜の花と、濃いピンクの河津桜のコラボレーションがなんとも鮮やかです。

「踊り子」も通過して行きました。
⑤河津桜踊り子

本当にいいお天気です。
⑥河津桜踊り子

さらに伊豆急に乗って終点の伊豆急下田までやって来ました。
⑦伊豆急下田駅

駅の近くで伊豆の地酒「伊豆の里」を買って、復路は「リゾート21ドルフィン」に乗ります。
⑧R21伊豆の里

これが、最前部の展望室からの眺めです。
⑨展望室◎
地酒でほろ酔い気分になりながら、この風景を特等席から楽しみます。

今度は伊豆稲取で降り、徒歩15分、稲取温泉近くの海岸に行きました。
⑬伊豆大島
そこからは、正面に伊豆大島を眺めることができます。

やがて、海を隔てた向こう側に「マリンエクスプレス踊り子」がやって来ました。
⑩マリンEX踊り子稲取
成田エクスプレスのE259系を使ったこの列車が週末などに臨時列車として伊豆急に乗り入れてきます。


次は、お馴染みの185系「踊り子」です。
⑪踊り子◎稲取
この電車が伊豆半島を走るようになっったのは昭和56年のこと。早くも34年もの歳月が流れました。

次の列車が来る間は、のんびりと海を眺めていました。
⑫飛び立つ海鳥
すると、黒い海鳥が飛び立っていくところでした。

やがて、黒船電車がやって来ます。
⑭黒船稲取
通常は普通列車として熱海~伊豆急下田間を往復しています。

街のあちこちに可愛い吊るし雛が飾られていました。
⑮吊るし雛
稲取は吊るし雛の発祥の地だそうです。

再び、電車に乗って北上すると、伊豆高原で「アルファリゾート21」に出会いました。
⑯αR21伊豆高原
この列車は特急「リゾート踊り子」として東京から観光客を運んできます。

次に川奈で下車をして、山の上から富戸~川奈間にある鉄橋を眺めました。
⑰川奈鉄橋SV踊り子
やって来たのは「スーパービュー踊り子」です。

続いては普通列車。
⑱普通川奈鉄橋
嬉しいことに普通列車も海側はクロスシートになっています。

そして、「リゾート21ドルフィン号」もやってきました。
⑲川奈鉄橋R21ドルフィン
黒船電車やドルフィン号は、乗車券だけ持っていれば、特別料金なしで乗れるので、お値打ち感があります。
なんだか、伊豆急には楽しい電車が多いですね。

帰りに、伊東にある老舗旅館「大東館」の建物を活用した「K’house」で温泉に入って来ました。
⑳伊東温泉
建築後百年というこの建物は、国の有形文化財に指定されています。
でも、今はなんだか外国人を意識したようなネーミングの宿で、風呂はきれいに改装されており、脱衣場には各国語で書かれた「日本のお風呂の入り方」というパンフレットが置いてありました。

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  1. 2015/03/29(日) 00:03:15|
  2. 東海
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大井川鉄道・井川線、今昔

今週は、先週に引き続き、大井川鐵道。山の中を走る小さなトロッコ列車、井川線の今と昔をご紹介します。
井川線は、大井川鐵道の支線で、本線の終点の千頭(せんず)から井川までの25.5キロを結びます。木材の運搬やダム建設を目的に建設された森林鉄道です。

千頭駅で発車を待つ井川線の列車です。
1千頭
一日、わずか5本しか列車がありません。急な坂を登る井川行の列車は、小さなディーゼル機関車が後ろから押す、プッシュプル運転を採用しています。

この線は途中に90パーミル(1000メートル進むのに90メートル登る)の急勾配があります。これは日本の普通鉄道で最もきつい勾配で、アプトいちしろ~長島ダム間の1.5キロは、後部にこの区間専用の機関車を連結し、アプト式という歯車を噛み合わせて登る方式で運転されます。この写真の機関車と客車の間の線路上に、ラックと呼ばれる歯車を噛み合わせるギザギザが見えています。
2
かつて、横川~軽井沢間の国鉄信越本線でもアプト式が採用されていましたが、現在ではこの方式で走る列車は全国でここだけの、大変珍しいものです。

これは、アプトいちしろ~長島ダム間の最急勾配区間を登る列車です。
3アプト
いかに勾配がきついかがわかると思います。

ここにアプト式になったのは、平成2年のことでした。ダムの建設のため、一部区間がダムに水没するため、ダムに至る急勾配の新線を建設したことにより、アプト式になったのです。
それまでは、アプトいちしろ駅は川根市代駅と呼ばれており、当時の駅名票が、今も近くに眠っています。
4市城

これは、線路の付け替えに伴って廃線になったトンネルです。
5トンネル
このトンネルは今は遊歩道になっています。中は真っ暗ですが、駅で懐中電灯を借りることができます。

但し、トンネルの中でこんなのに出会ったりします(笑)
IMG_1090.jpgIMG_1127.jpg

さて、これは、ひらんだ~奥大井湖上間を行く列車です。
6湖上近く
川沿いの新緑がきれいでした。

そして、これは奥大井湖に架かるレインボーブリッジです。
7湖上
レインボーブリッジというと、東京湾にかかる道路橋が有名ですが、命名されたのは井川線の方が先です。この橋も線路の付け替えに伴って架橋されたものです。

川の対岸には、廃線跡の鉄橋が見えます。
8廃線跡

こちらは、山の中の小駅、接岨峡(せっそきょう)温泉です。
9接岨峡温泉
小さな小屋のような駅で、近くには静かな温泉宿が数軒あります。

こちらは究極の秘境駅、尾盛(おもり)です。
10尾盛
かつて、ダム工事のとまえに設けられた駅で、現在は周囲に何もなく、駅に通じる道もありません。
あたりには鹿が走っていました。稀に熊も出没することもあるそうです。

そして、これが終着駅の井川です。
11井川
いつ訪れても変わらぬひっそりとした山の中の駅です。

この夜は接岨峡温泉の宿に荷を解いて、山の幸に舌鼓を打ちました。
12夕食


さて、これは今から41年前、昭和48年に私が初めて訪れた時の井川線です。
13昔カラー

昔の川根市代駅です。
14昔市代
この時にはまだアプト式の新線はありませんでしたが、当時から井川線がダムに沈んで廃線になるかもしれないと言われていました。

途中駅での交換風景です。
16昔交換
のんびりとした様子は今もあまり変わっていません。

これは閑蔵~井川間を行く列車です。
17川沿い
小さな客車がわずか2両しかありませんね。

井川駅は、今も昔もまったく変わっていないようです。
18昔井川駅

当時は、こんなおもちゃのような客車が走っていました。
15昔客車
これと同じ形式の客車は、本線の新金谷駅にある博物館に展示されています。

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  1. 2014/07/27(日) 00:01:59|
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大井川鐡道・本線

今週は蒸気機関車が走る線として有名な大井川鐵道の大井川本線をご紹介します。
私は大井川鐵道を何度も訪れており、今回の写真は、色々な時期に行った時に撮ったものが混じっています。

これは、東海道本線に隣接する、大井川鐵道の始発駅、金谷駅に停車中の普通電車です。
1金谷駅
かつて、南海電車の特急として活躍していた車両です。

そして、これは金谷~新金谷間を行く「SL川根路号」です。
2金谷~新金谷
この機関車は、戦前、日本からに運ばれてタイで走っていたC56-44号機で、それにちなんで、4007年10月から約3年間、タイ国鉄仕様で走っていました。また、現在では、SL列車は新金谷が始発駅となり、金谷~新金谷間を走らなくなったので、この写真は貴重なものです。

これは新金谷駅で、大井川鐵道の本社があります。
3新金谷駅
風格のある木造駅舎は、昭和2年の開業時から使われています。

秋の新金谷駅に並ぶ蒸気機関車と普通電車です。この電車は京阪電車の中古車です。
4新金谷秋
コスモスの花が風に揺れていました。

「SL川根路号」に乗って、終点の千頭(せんず)を目指しましょう。
5駅弁6酒
旅の友は、やはり駅弁ですね。大井川鐵道のカップ酒も買いました。

大井川に沿って列車は走ります。
7川沿い

沿線には茶畑も見えます。
8茶畑

途中駅の家山です。
9家山駅
昔ながらの木造駅舎に、木の改札口が懐かしい風景を見せてくれました。
10家山改札

そんな家山駅の近くを汽車が走って行きます。
11家山

大井川に架かる一番長い鉄橋、笹間渡鉄橋です。
12笹間渡汽車

こちらは、同じ鉄橋を渡る普通電車です。
13笹間渡電車
この車両は、元、近鉄特急として走っていた電車です。

列車は終点の千頭に着きました。
14千頭

千頭駅の構内には、きかんしゃトーマスの仲間の「ヒロ」がいました。
15千頭ヒロ
ヒロは今年の3月に登場し、その後、7月にはトーマスも登場して、人気を得ています。

これが千頭駅です。
16千頭駅
千頭からは、大井川の上流をさらにさかのぼる井川線が発着しています。井川線のようすは、来週、ご紹介しましょう。

これは、今から41年前、昭和48年の金谷駅です。
17S48金谷
大井川本線に観光用の蒸気機関車が運転を開始したのは、昭和51年でしたから、これはそれより3年前の写真です。今では、この鉄道のオリジナル電車は一両も走っていません。

そして、これは千頭駅です。
18S48千頭
千頭駅からは昭和45年から小型蒸気機関車2100形などを井川線の一部で走らせていました。
大井川鐵道は、当時から蒸気機関車の動態保存には、並々ならぬ努力をしており、現在では収益の9割が蒸気機関車に乗りにやって来る観光客がもたらしているとのことです。逆に言うと、蒸気列車を走らせていなかったら、とっくに廃線になっていたかもしれませんね。いつまでも、元気に走り続けて欲しいものです。

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  1. 2014/07/20(日) 00:00:57|
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高山本線・飛騨金山駅

今週は高山本線の飛騨金山駅をご紹介しましょう。
IMG_2865.jpg
この駅は、飛騨川に面した岐阜県の山の中にあります。嬉しいことに、しっとりとした昔ながらの木造駅舎が健在です。

高山本線の上り列車の車窓から、金山ダムが見えると、ほどなく飛騨金山駅に着きます。
IMG_2862.jpg

停車中の岐阜行の普通列車です。
IMG_2864.jpg
特急停車駅ですが、降りる人も少なく、ひっそりとしています。

駅の近くを流れる飛騨川です。
IMG_2868.jpg
このあたりは、ちょうど、左から支流の馬瀬川が合流する地点です。

橋を渡ってしばらく行くと、高木酒造の蔵元がありました。
IMG_2877.jpg
軒先にぶらさがっている大きな茶色の杉玉は、新酒ができる年末になると、新酒ができたことの目印として新しい玉に取り換えます。その時の杉玉の色は、まだ緑色をしているそうです。

創業は享保五年、三百年以上の歴史を誇る老舗です。
IMG_2871.jpg
主な銘柄は「初緑」と「奥飛騨」。たくさん試飲させていただきました。

そして、もちろん列車の中では「奥飛騨」のカップ酒です。
IMG_2882.jpg

やがて、名古屋行の特急「ワイドビューひだ」がやって来ました。
IMG_2886.jpg

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  1. 2014/06/15(日) 00:08:11|
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東海道本線・東田子の浦駅

きょうは、東海道本線の東田子の浦駅をご紹介します。
IMG_0565.jpg
この駅は沼津と富士の間に位置し、間近に富士山を見て、最も東海道本線らしい所だと思います。

駅から南に5分も歩くと駿河湾があります。
IMG_0571.jpg
向こうに見えるのは伊豆半島です。天気が良ければ海の反対側に雄大な富士山を望むことができるのですが、残念ながらこの日は薄曇りでその姿を見せてはくれませんでした。

海岸に沿って美しい松並木が続いています。
IMG_0573.jpg

これは、東田子の浦駅の開設を記念する石碑です。
IMG_0574.jpg
この駅は、地元の柏原地区の住民の請願により設置された駅です。駅の開設は昭和24年と、明治22年に開通したこの区間の駅としては比較的新しい駅でした。

島田行の普通列車がやって来ました。
IMG_0582.jpg
東海道新幹線が開通するまでは、特急・急行列車が頻繁に行き交う大動脈でしたが、今は深夜に通過する「サンライズ」以外にこの区間を通過する優等列車は一本もありません。

実はこの駅で降りたのは、昭和50年以来、39年ぶりのことでした。
IMG_20140516_0001 (2)
これは前に訪れた時の入場券と駅のスタンプです。残念ながら、駅舎などの写真は撮影していませんでした。

39年前も天気があまりよくありませんでしたが、その時は、うっすらと富士山を見ることができました。
IMG_20140516_0001.jpg
この時、霧の合間に見えたと思ったら、すぐに見えなくなったと記憶しています。

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  1. 2014/06/08(日) 00:06:46|
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樽見鉄道・桜満開の旅

桜シリーズ第二弾、今週は岐阜県の第三セクター鉄道、樽見鉄道をご紹介します。
大垣と樽見を結ぶ樽見鉄道は、国鉄樽見線を継承して昭和59年に開業しました。

これは、途中の主要駅、本巣です。ここには本社と車庫がある中枢駅です。
①本巣
国鉄時代は美濃本巣と呼ばれていた無人駅でしたが、現在は有人駅です。

根尾川に沿って走る織部~木知原(こちぼら)間です。
②織部~木知原
川沿いに続く桜並木がきれいです。

小さな無人駅、木知原駅の周りも桜が咲いていました。
③木知原駅

谷汲口駅です。さくら祭のノボリが見えますね。
④谷汲口駅
この駅からは谷汲山華厳寺へのバスが発着しています。このお寺へはかつて名鉄谷汲線が通っていましたが、平成13年に廃止されてしまいました。

谷汲口駅は桜の木に囲まれており、桜のトンネルの中を列車が走ります。
⑤谷汲口
これは、下り樽見行です。

そして、こちらは上り大垣行です。
⑥谷汲口
桜の時期は、まるで夢の世界のような美しさの中を列車は走ります。

谷汲口駅には、桜の木の下に、国鉄時代の旧型客車「オハフ33」が静態保存されています。
⑦旧客
この車両は、三セク化後、国鉄から購入した三両のうちの一両で、平成2年まで通学列車として運行されていたものです。

これは神海(こうみ)駅に着いた樽見行列車です⑧神海淡墨桜号
「うすずみ観桜号」のヘッドマークをつけていました。

これが神海駅で、国鉄時代はこの駅が樽見線の終着駅でしたが、三セク化後の平成元年に樽見まで延伸しました。
⑨神海駅

これは国鉄時代、昭和55年の美濃神海駅です。
⑩美濃神海
樽見鉄道になった時に本巣駅と同様に「美濃」がとれて「神海駅」に改称されました。

鍋原(なべら)~日当(ひなた)間の鉄橋から見た根尾川です。
⑪鍋原~日当
山にもたくさんの桜が咲き、なんとも心休まる風景です。

終点の樽見駅です。
⑫樽見駅
駅前には国鉄樽見線の開通に尽力したものの、開通を見ることなくこの世を去った旧・根尾村の実業家、宮脇留之助翁の銅像が建っています。

駅から歩いて15分ほどの所に古木・淡墨桜(うすずみざくら)があります。
⑬淡墨桜
樹齢千五百年以上と推定される古木で、開花時期には大勢の観桜客で賑わいます。

そして、駅から送迎バスで5分ほどの所にある「うすずみの湯」です。
⑭うすずみの湯
ここでも桜を眺めながらゆったりと露天風呂の温泉を楽しみました。

ここの地酒はその名も「淡墨桜」。
⑮地酒
列車内はロングシートなので、車内で呑むには、少々気恥ずかしさがありました。

起点の大垣駅に戻って来ました。
⑯大垣

その後に立ち寄った戸田氏の居城、大垣城の桜も満開でした。
⑰大垣城

樽見鉄道は、元々、沿線にあるセメント工場からの貨物輸送が大きな収益源でしたが、平成18年に貨物輸送が廃止されたため、大変厳しい経営状況が続いています。けれども、国鉄時代に全線開通できなかった路線を開通させ、地域住民の足として走り続けているこの鉄道が、いつまでも走り続けることを願っています。

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  1. 2014/04/27(日) 00:02:08|
  2. 東海
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静岡鉄道の小さな旅

今週は静岡市内を走る全長わずか11キロのミニ私鉄、静岡鉄道をご紹介します。
静岡鉄道は、いずれもJRの駅に接続しない独立した路線を持っています。かつては、駿遠線、秋葉線と、静岡市内線、清水市内線という2つの路面電車路線もありましたが、いずれも廃線になってしまいました。
けれども、現在残る静岡清水線は、日中でも6分おきに電車が行き来し、地元の人たちの通勤通学の足として、大いに活躍しています。
IMG_3379.jpg
これは、新静岡駅到着直前の列車です。

新静岡駅は、大きな駅ビルの中にあり、二両編成の電車が次々と発着します。
IMG_3373.jpg

これは長沼駅に着いた新清水行の列車です。
IMG_3395.jpg
富士山の世界遺産登録を祝うヘッドマークが付けられていました。

長沼駅構内には車庫があり、いつも何両もの列車が並んでいます。
IMG_3384.jpg

この線を走る車両形式は1種類のみですが、様々な塗装が施されています。
IMG_3388.jpg
これは長沼付近のミュージカル「Cats]をPRする電車です。

こちらは、狐ヶ崎~桜橋間です。
IMG_3417.jpg
このあたりは、JR東海道本線と並行して走ります。

こちらは、入江岡~新清水間の巴川橋梁を渡る電車です。
IMG_3433.jpg
かつて、この川の河口付近には、最後は1日の列車本数がわずか1往復だった国鉄清水港線が走っていました。

これが、終着の新清水駅です。
IMG_3421.jpg
以前は清水市内にありましたが、平成の大合併により静岡市清水区となりました。

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  1. 2013/09/22(日) 11:42:56|
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明知鉄道の旅

今週は岐阜県にある中央本線の恵那から明智を結ぶ明知鉄道をご紹介します。
明知鉄道は、昭和60年11月に、国鉄明知線を継承した第3セクター鉄道です。

これは、阿木に到着した上り列車です。
1阿木
通常、この線の列車は一両の単行運転です。

途中にはこんな名前の駅もあります。
2極楽
この駅は国鉄時代にはありませんでした。室町時代に、近くに極楽寺というお寺があったと伝えられています。


これは、岩村駅の定点撮影です。
3岩村H25
上は、現在、そして、下は昭和63年の岩村駅のようすです。
4岩村S63349
25年の間にホーム脇の木が随分成長しましたね。また、3セク化直後のレールバスは、今ではすべて廃車されてしまいました。

これは、月曜日を除いて日中に一往復する急行列車です。
5岩村急行
でも、急行券は必要ありません。

岩村駅には平成16年まで、昔懐かしい腕木式信号機が使われていました。それを今でも動くように復元しています。
6腕木式7腕木操作
私も駅員さんにお願いして操作させてもらいました。これが、意外に重いのです。駅員さんのお話では、昔は何百メートルも先にある信号機をワイヤーで引っ張って動かしたので、体重をググッとかけないと動かせないほど重かったそうです。かつて、ローカル線では見慣れた光景ですが、乗客の知らないところで苦労があったわけですね。
ちなみに、この信号機は現在は体験用に動くようにしてあるだけなので、実際の列車の運行には連動していません。

ところで、岩村は昔からの古い城下町。
8岩村街並
駅から城跡に向かって、このような古い街並が続いています。

これは、花白温泉~山岡間の田園地帯を行く列車です。
9花白

そして、こちらは、明智~野志間です。
10明智
この沿線の農村地帯は、国土問題研究会より「農村景観日本一」に選定され、それをきっかけに、周辺ののどかな景観は一躍脚光を浴びるようになったのだそうです。

これは、終点の明智駅です。
11明智駅
国鉄時代は「明知」と表記されていましたが、三セク化後、「明智」に変更されました。
いつ訪れても落ち着いた佇まいを見せてくれます。

急行「大正ロマン号」には通常、食堂車が連結され、寒天や、きのこ料理など、地元の高級食材を車内で味わうことができます。
12寒天列車内
食堂車といっても、車内で調理するわけではなく、通常の車両にテーブルをセットし、車内で仕出し弁当を食べられるようにしたのです。私が訪れた日は、食堂車がたまたま連結されない日だったので、この写真は明知鉄道さんからお借りしました。

明智駅の周辺は、大正時代の古い建物がたくさん残されており、日本大正村として整備されています。
13大正村
元の明智町役場を大正村役場として内部を公開しています。


これは、懐かしい昭和55年、国鉄時代の明知駅です。
14明知駅S55342
私が明知線を訪れたのは、国鉄時代2回を含めて4回目でした。

国鉄時代のきっぷと現在の切符です。
15明知きっぷ344
嬉しいことに、今でも硬券が普通に使われています。

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  1. 2013/09/01(日) 00:01:41|
  2. 東海
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飯田線・小和田駅

きょう、ご紹介するのは飯田線の小和田(こわだ)駅です。

飯田線は東海道本線の豊橋から中央本線の辰野までの195.7キロの長大なローカル線で、途中、このような山の中を天竜川に沿ってのんびりと走ります。
IMG_9265◎
これは、為栗(してぐり)駅~温田(ぬくた)間を行く普通列車です。

田本、為栗、鶯巣(うぐす)、中井侍(なかいさむらい)と、このあたりの多くの駅は周囲に人家がなく、地元の利用客がほとんどいない秘境の中に、駅が並んでいます。
その中でも究極の秘境駅と言われているのが、小和田です。
IMG_9338.jpg
緑に囲まれた山の中に、ひっそりと木造駅舎が建っています。


手書きの駅名票は、なんとも味わいがありますね。
IMG_9340.jpg


ここは、静岡、長野、愛知の三県に接する山の中にあります。
IMG_9324.jpg

この駅に通じる道路はなく、もちろん駅前に家や店もありません。
IMG_9336.jpg
この廃屋がかつて駅前にあった、ただ一軒の家だったようです。ここから最寄りの集落まで徒歩1時間という立札が立っていました。


これは、昭和50年の小和田駅の入場券です。
小和田入場券318
こんな秘境にある駅にも、かつては駅員さんが勤務して、切符を売っていたのです。


また、現在の皇太子妃の小和田雅子さんが、皇太子と成婚された時、この駅は有名になったこともありました。
IMG_9341.jpg
「恋成就駅」の木札は、そのころ立てられたのでしょうね。


こんな山奥にある駅ですが、ここ数年の秘境駅ブームで、休日になると、このように大勢の鉄道ファンがここを訪れます。
IMG_9342.jpg
はたして、この駅に「まともな」利用者はいるのでしょうか?

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  1. 2013/06/09(日) 12:30:15|
  2. 東海
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豊橋鉄道の旅

きょうは、初春の豊橋鉄道のようすをご紹介しましょう。
豊橋鉄道には、豊橋駅前から赤岩口と運動公園前への路面を走る市内線と、新豊橋から三河田原までの渥美線がありますが、まずは市内線からです。

これは、豊橋駅西口前から発車する市内線の乗り場です。
IMG_0442.jpg
この停留所は、平成10年に豊橋駅構内整備に伴い、駅に向かって150メートル延伸移設されました。

駅前~駅前大通間です。架線柱が西洋の街灯のようで、なんともお洒落ですね。
IMG_0445駅前通
手前の3連接の電車は、豊橋鉄道ご自慢の最新鋭低床車で「ほっトラム」(T1000形)と呼ばれています。

東八町付近です。
IMG_0448東八町
この車両はかつて東京都電だった3500形電車です。

こちらは、市内線の営業所がある競輪場前です。
IMG_0450競輪場前
ここから、単線になるので、列車の行き違いが行われます。

終点の赤岩口には車庫と検車区があります。
IMG_0455.jpg
ここには様々な電車が並んでいます。
IMG_0461パト電
左側は3200形という東京都電んの古い形式です。右側には「パト電車」の姿がありますね。「パト電」は以前、滋賀県の近江鉄道でも見かけました。

こちらは赤岩口方面と、運動公園前方面とが分岐する井原です。
IMG_0471井原
画面の正面左手に分かれていくのが運動公園方面の線路です。

そして、こちらは、もう一つの終点の運動公園前です。
IMG_0486運動公園
井原~運動公園前間は昭和57年に延伸開業しました。


市役所前電停付近です。隣の豊橋公園前電停まではわずか200メートルしかないので、すぐ先に見えています。
IMG_0514豊橋公園前
このあたりの架線柱は、駅前付近とデザインが異なりますが、やはり、なんだかお洒落ですね。


豊橋公園の中にある吉田城です。築城時には今橋城と呼ばれていました。
IMG_0505吉田城
永正2年(1505年)に今川義元の家臣、牧野古白が築城したものですが、明治初期に廃城になり、昭和29年に一部を再建したものです。


豊橋駅前に戻ると、貸切表示の「おでんしゃ」が満員の客を乗せて発車を待っていました。
IMG_0523おでんしゃ
これは、豊橋の冬の風物詩になっているイベント電車で、車内でおでんを食べられる居酒屋電車です。トイレがないのはどうするのでしょう?


さて、次は渥美線で三河田原に向かいます。
IMG_0530新豊橋
これは、新豊橋駅に並んだ渥美線の電車です。いずれも、東急の中古車が使われています。


こちらは、神戸~三河田原間の鉄橋を渡る電車です。
IMG_0553三河田原
この電車は東急時代の塗装のままですね。


田原市内にある慶雲寺にある立派なソテツの木です。
IMG_0565慶雲寺の蘇鉄
IMG_0566.jpg
境内には、梅の花がほころんでいました。


大清水駅で交換する「菜の花電車」と「桜電車」です。
IMG_0583大清水
渥美線の電車は、平成25年秋までに順次10色のカラフルな塗装に塗り替えられていく予定です。


線路脇には、所々、菜の花が美しく咲き誇っていました。
IMG_0597.jpgIMG_0588.jpg
これは、大清水~老津(おいつ)間を菜の花に囲まれて走る列車です。


そして、こちらは植田を発車直後に捉えたワンショットです。
IMG_0625植田
伊良湖岬など、渥美半島各地では、まだ、しばらくは菜の花が楽しめそうで、車内には、菜の花を持った行楽帰りの人々の姿が目立ちました。


そして、こちらは高師(たかし)付近の松林の脇を走る電車です。
IMG_0634高師
高師駅に隣接する広大な高師緑地は、市民の憩いの場になっています。





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  1. 2013/03/03(日) 17:13:16|
  2. 東海
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電化工事の進む武豊線

今回は、愛知県の渥美半島を走るJR武豊(たけとよ)線をご紹介しましょう。
この線は東海道本線の大府から分岐し、武豊までの19.3キロを結ぶ単線未電化のローカル線です。

武豊線の歴史は東海道本線の開通よりも古く、明治19年、熱田~武豊間が中山道支線半田線として開業した時点で、名古屋より東の東海道本線は新橋~横浜間しか開業していなかったのだから、いかにこの線の歴史が古いかがわかります。当初は、東京と大阪を結ぶルートとして内陸部を走る中山道案が有力とされ、武豊港からの資材運搬用として開通したのが、現在の武豊線だったのです。
ホーム先端の車止めから先も、昭和60年までは武豊港までを結ぶ線路がつながっていました。その廃線跡の鉄橋は撤去されたものの、その先には、明らかに廃線跡とわかる築堤が続いています。
IMG_8745.jpg
これが、終着駅の武豊駅です。利用者は並行する名鉄に奪われ、決して多くはありません。

IMG_8742.jpg
駅前には昭和28年の台風の時、救助に赴いて殉職した駅員の銅像がひっそりと立っています。

武豊~東成岩(ひがしならわ)間の名古屋行き快速列車です。
IMG_8752.jpg
朝夕だけ、大府から名古屋に直通する快速列車が運転されています。

こちらは沿線の主要駅・半田です。
IMG_8762.jpg
繁華街は名鉄半田駅周辺にあるため、ひっそりとしています。

これは明治43年に作られた日本最古の鉄道跨線橋です。
IMG_8791.jpg
IMG_8760.jpg
もう、百年以上も使われているんです。


半田といえば酢の町です。
IMG_8769.jpg
これは駅のすぐ近くのミツカン酢の本社内にある「酢の里」という酢の博物館で、無料で見学することができます。

半田で貨物列車がやってきました。ローカル線で今でも貨物列車が走っている路線は珍しくなりました。
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この列車は東成岩から衣浦臨海鉄道という貨物専用鉄道に乗り入れています。


これは途中駅の亀崎です。
IMG_8798.jpg
ここにも木造駅舎が残っています。


これは平成22年に訪れた時の「電化促進」を呼び掛ける看板です。
IMG_8799.jpg
かなり古びており、この時点では電化が実現するとは思えませんでした。

けれども、その後、電化が正式に決定し、平成25年完成を目標に電化工事が進められています。
IMG_9879.jpg
これは、亀崎駅に着いた大府行列車です。すでに電化開業に向けて架線柱が立てられています。


こちらは、亀崎~東浦間の田園地帯を行く下り列車です。
IMG_9893◎
ずらりと架線柱が並んでいるのがわかります。

東浦駅も古い木造駅舎が残っていました。
IMG_9904.jpg

東浦付近を行く下り列車です。
IMG_9902.jpg
この田園地帯をディーゼルカーが走る風景も、もうあと数年で見納めとなります。
電車が走るようになると、乗客がもっと増えることを期待したいものです。
  1. 2013/02/12(火) 22:44:01|
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参宮線の旅

きょうは、1月5日に行って来た三重県の参宮線をご紹介しましょう。

参宮線はその名の通り、伊勢神宮の参詣者を運ぶため明治時代に開通した由緒ある線です。紀勢本線の多気(たき)から分岐し、鳥羽までの29.1キロを結んでいますが、途中宮川までは明治26年、伊勢市までは明治30年、終点の鳥羽までは明治44年に開通しました。そして、一生に一度はお伊勢さんに詣でたいと言われた時代の主役を務め、東京や、大阪の湊町からも直通列車が運転されていました。
けれども、並行して昭和4年に近鉄が開通してからは徐々に主役の座を奪われ、戦後は鄙びたローカル線になってしまいました。


これは、多気駅で発車を待つ鳥羽行のたった一両の普通列車です。
IMG_9812多気
多くの普通列車は紀勢本線の亀山から参宮線に乗り入れています。


多気から2駅目の田丸です。
IMG_9820田丸
古い駅舎にしめ縄が似合っていますね。


ここは中心駅の伊勢市です。伊勢神宮の最寄駅ですが、大部分の参拝客は近鉄を利用するので、駅のホームが広い割には構内は静かです。
IMG_9828伊勢市
伊勢の名物・赤福餅の看板が目立っていました。

二見浦駅のホームも広々としていました。
IMG_9837二見浦ホーム
かつて、名勝二見浦に向かう客が大勢利用した駅ですが、今はひっそりとした無人駅です。


それでも、二見浦の駅舎は立派ですね。
IMG_9835二見浦
JAPAN RAIL PASSを持った外国人観光客の姿もありました。このパスはJR専用なので近鉄には乗れないのです。

これは二見浦付近の快速「みえ」です。
IMG_9843二見浦みえ
JR東海が近鉄に対抗するために運行している鳥羽~名古屋間を2時間程度で結ぶ快速列車です。特急料金を取らないため、近鉄特急よりやや値段が安く設定されており、利用者もそれなりに多くなってきたようです。


これは池の浦湾沿いにあり、夏だけ営業する臨時駅・池の浦シーサイド駅です。
IMG_9845池の浦駅
シーズン中以外は、普通列車も通過してしまいます。

そして、列車は波静かな池の浦に沿って走ります。
IMG_9867池の浦
見えているのは牡蠣の養殖筏でしょうか。


これが終点の鳥羽駅です。
IMG_9849鳥羽駅舎
近鉄鳥羽駅と比べると人も少なく、どうしても見劣りがしてしまいます。


快速「みえ」と普通列車が並んでします。
IMG_9861鳥羽
左手向こうには近鉄特急も見えていました。


鳥羽駅前に広がる海には遊覧船が行き交います。
IMG_9852鳥羽の海
対岸にある渥美半島の伊良湖岬への船もここから出ています。


鳥羽で伊勢神宮の御料酒「白鷹」を買いました。
IMG_9859鳥羽白鷹
「はくたか」というと鉄道ファンは越後湯沢~金沢の特急列車を思い浮かべてしまいますね(笑)


これは、鳥羽の駅弁「潮騒弁当」です。
IMG_9864鳥羽駅弁
でも、これは近鉄鳥羽駅で買ったもので、残念ながらJRの駅には売っていませんでした。


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  1. 2013/01/27(日) 16:53:25|
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紀勢本線の旅(東線)

紀勢本線の旅、新宮からは非電化のJR東海区間へと進みます。
IMG_9703新宮
紀伊田辺から新宮までのJR西日本区間の普通列車は、すべてロングシートだったので、クロスシートのあるキハ11にホッと一息です。やはり、列車の旅はクロスシートに限りますね。

阿田和で南紀5号と交換しました。
IMG_9712阿田和
この特急列車は名古屋から紀伊勝浦を結びます。


これは、三重県最南の都市、熊野市駅です。
IMG_9720熊野市
この駅はすべての列車が停車します。


二木島付近で見えた夕方の熊野浦の風景です。
IMG_9721二木島
一日中、いいお天気でした。

この日は、尾鷲(おわせ)駅前の小さな宿に荷を解きました。

翌1月5日は、いよいよ、JR全線走破達成の日です。
まずは、朝の爽やかな空気を吸いながら、尾鷲市内にある土井竹林を散策しました。
IMG_9737土井竹林
これは、土地の富豪・土井氏が、1751年に薩摩の江南竹を移植したのが始まりと言われており、山の中にひっそりと立派な竹が並んでいます。


さて、いよいよ、JR完全走破に向けて、最後の列車がやってきました。
IMG_9746尾鷲
尾鷲9時14分発の多気(たき)行・326D列車です。乗ったのは、キハ403016、3両編成の先頭車両でした。


三野瀬~紀伊長島間に見えた朝の熊野灘です。
IMG_9749三野瀬~紀伊長島
波静かな朝の風景が車窓に広がりました。


主要駅の紀伊長島です。
IMG_9751紀伊長島
この駅を発車すると列車は荷坂峠の半ループを通り、深い山奥へと入って行きます。


そんな山の中の駅、梅ケ谷です。
IMG_9755梅ケ谷
この駅で交換予定の特急が遅れ、特急の通過を待たずに発車しました。


大内山で停車中の普通列車です。
IMG_9758大内山
IMG_9760大内山南紀1号
結局、大内山で南紀1号とすれ違いました。そのため、発車が6分遅れました。


けれども、途中駅で遅れを取り戻し、終着の多気には定刻より2分遅れの11時09分に到着しました。
IMG_9775多気到着
国鉄全線走破達成から32年、そして民営化から26年の時を経て、2度目の全線走破の達成でした。

国鉄全線の時は既に廃線になってしまった石川県の能登線の蛸島(たこしま)駅でした。その時には駅員さんと車掌さんにサインをもらい、駅名票の前で一緒に写真を撮りました。
その後、私鉄や3セク、路面電車等も含めた鉄道全線走破を京都の嵯峨野観光鉄道トロッコ亀岡駅で達成したのは12年前。その時は鉄道会社の方に案内してもらい、読売新聞と京都新聞の記者が取材に来て、翌日の朝刊に載りました。

でも、今回は誰に迎えられることもなく、記念写真すら撮らない静かな達成でした。


多気に到着すると、達成の感慨にふける間もなく多気~徳和間に架かる櫛田川橋梁に撮影に向かいました。
IMG_9788南紀3号
これは、その櫛田川を渡る南紀3号です。


続いて亀山行の普通列車がやって来ました。
IMG_9792亀山行
紀勢本線の多気~亀山間の普通列車は、大半の列車が多気から分岐する参宮線の鳥羽まで乗り入れ、多気以南の紀勢本線を直通する列車は1日2本しかありません。


さらに鳥羽行の快速みえ5号が通過します。
IMG_9809みえ5号
このように、この付近は短時間に効率よく色々な列車がやって来るのです。


その後、私は参宮線の普通列車に揺られて鳥羽に向かったのでした。

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  1. 2013/01/14(月) 00:20:14|
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近鉄、内部・八王子線の廃止を表明

近畿日本鉄道は、8月21日、四日市から発着する内部線と八王子線の廃止を表明しました。
この八王子線は大正元年、内部線は大正11年と、それぞれ一世紀近い歴史のあるローカル線です。
延長は両線合わせて7キロしかありませんが、沿線には学校もあり、地元の貴重な通勤通学の足になっています。

両線は、同じ三重県の西桑名から発着している三岐鉄道北勢線と同じ、線路の軌間762ミリという今では珍しくなったナローケージです。北勢線も、元はと言えば昭和40年から平成15年までは、近鉄の一路線として運行していましたが、近鉄の廃止表明後、三岐鉄道がこの経営を引き継ぐことになり、延命したのです。

それから9年、今度は、近鉄は内部線と八王子線の廃止を表明しました。
この間も近鉄は、養老線と伊賀線を、それぞれ、子会社の養老鉄道と伊賀鉄道を設立して経営移管しましたが、今回は移管ではなく、鉄道としては廃線とし、跡地に専用道路を整備してバス路線にしようという計画です。

これに対して、地元では年間360万人もの利用者をバスで運びきれるのかという不安を抱いて、なんとか鉄道として存続できないかを模索していますが、現実はかなり厳しいと思われます。


これは、2002年10月に、私が両線を訪ねた時の写真です。
四日市駅101
これは、近鉄四日市駅の名古屋線の高架下にある内部・八王子線の乗り場です。



日永駅106
2駅目の日永駅で、内部線から八王子線が分岐します。



泊駅105
これは、泊駅での交換風景です。内部線は、わずか5.7キロの間に2回も列車交換を行ないます。



内部駅102
沿線で唯一の有人駅の終点内部駅です。



西日野駅104
これは、日永から分岐する八王子線の終点、西日野です。この時、すでに無人駅でした。
かつて、この先の伊勢八王子まで線路が伸びていたため、八王子線の名前がありますが、今の八王子線は日永から西日野までの、たった1.3キロしかありません。


内部線車内103
この線の小さな電車の車内です。大柄な人なら向かい側の人と膝が触れそうなほど、幅が狭いです。

このような愛すべき、マッチ箱のような電車を、なんとか残すことはできないのでしょうか。
さすがに、今回も三岐鉄道が救いの手を差し伸べるのは難しいのかなあ。

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  1. 2012/08/26(日) 23:27:45|
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飛騨金山の老舗酒蔵と、リニア鉄道館



今日は下呂温泉で早朝の露天風呂を楽しんだ後、普通列車で、飛騨金山で途中下車。江戸時代創業の老舗、高木酒造を訪ねて朝から、「奥飛騨」「初緑」などの利き酒三昧。駅から近いのに、列車で来たというと、珍しがられてしまいました。



好天に恵まれて、美しい飛騨川を眺めながら、名古屋に戻り、午後からはあおなみ線に乗ってリニア鉄道館へ。
いきなり、暗い照明の中、出迎えてくれるC62型蒸気機関車とリニアモーターカーが、訪れる人に強いインパクトを与えてくれます。


ほかにも、0系、200系などの歴代の東海道新幹線や、昔の特急「しなの」、旧型客車、旧型国電など懐かしい車両がズラリとリニア並んでいます。
楽しかったのは、東京から大阪までを表した大ジオラマです。
東京はお台場や、スカイツリー、横浜は、ランドマークタワー、静岡は、富士山、名古屋は、名古屋城や、熱田神宮、京都は、清水寺、大阪は通天閣と精巧な模型の数々に目を見張ります。
その中を東海道新幹線N700系や、ワイドビューしなのなどJR東海のご自慢の列車から、ローカル線の気動車までが走り回ります。
あたりが暗くなり夜2なると、サンライズがゆったりと通過し、さらに、工事用の車両が停車したと思うと、線路上に保線区員が現れて作業を始める細かさです。
快速「みえ」の停まる鳥羽では真珠を捕る海女さんが海に潜り、海の底には海亀に乗った浦島太郎がいるのには笑ってしまいます。
伊勢神宮と奈良の大仏殿と、清水寺が並んでいるのもご愛嬌。
鉄道ファンでなくても、なかなか楽しめる博物館でした。

  1. 2011/10/29(土) 22:03:00|
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名古屋から下呂へ




今日は、名古屋でまだ乗っていなかった桜通線の野並~徳重間に初乗り。
その後、国宝犬山城を眺めた後、鵜沼から高山本線のひだ13号に揺られ、青空の下、飛騨川の絶景を眺めながら、下呂に向かいます。
  1. 2011/10/28(金) 16:13:00|
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武豊線と熱田神宮



きょうは、好天に恵まれて、名古屋駅から区間快速武豊行の気動車に乗り3度目の武豊線に行ってきました。
武豊線の開通は東海地方で最も古く、明治19年のこと。東海道本線と違い、近代化に取り残されたために、昔の面影が随所に残っています。
フォトフォト
これは半田駅の日本一古い跨線橋です。明治43年からその姿を保っています。幅がわずか2メートルしかなく、混雑する大都会の駅ならとっくに解体されてしまっていたことでしょう。

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これは亀崎駅。これは明治時代の面影を残す駅舎として、日本一古いと言われていますが、定かではありません。

半田で博物館「酢の里」に行ってきました。
フォトフォト
これは、江戸時代に建てられたミツカン酢の工場の一部を博物館にしたもので、文化元年(1804年)から使200年以上が経過しているのだそうです。
フォトフォト
酢は健康にとてもいいそうで、特に高血圧、血糖値、コレステロールなどの異常値にはいいとのこと。

酢の酸っぱい匂いに誘われて、昼食は酢の里の近くでちらし寿司を頂きました。考えてみると、私は滅多に寿司を食べないので、すごく久しぶり。たまに食べるとおいしいものですね。
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その後、東海道本線の熱田駅で下車し、熱田神宮へ。
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私は別に信心深いわけでもないのですが、全国の主要社寺はほとんど参拝したことがあるのに、名古屋の熱田の森だけはこれまで足を運んだことがありませんでした。

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「宮きしめん」ののぼりを見て、ちらし寿司を食べたばかりなのに、つい食べてしまいました。麺は固めで出汁は薄め。先日からひつまぶし、味噌煮込みうどん、手羽先と、名古屋名物ばかり食べています。来週もまた名古屋に行くので、今度は味噌カツでも食べようかなあ(笑)

  1. 2010/12/05(日) 00:44:00|
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名松線と代行バス




きょうは松阪から名松線に乗ってきました。名松線は松阪と伊勢奥津を結ぶローカル線ですが、昨年秋の台風で伊勢八知付近で起きた土砂崩れにより家城と伊勢奥津との間が不通になったままです。
それでもたった一両の家城行き気動車は23人の客を乗せて松阪を発車します。大半が中高年のハイカーです。のどかな田園地帯をトコトコ走り、伊勢川口で途中下車。この駅舎は昭和5年築造の木造駅舎が健在です。ここで、上り列車を撮影したあと、家城から伊勢奥津行きの代行バスに乗り換えました。乗客は9人。途中、バスの車窓からは一年も列車が走っていない線路や鉄橋が何度も見えます。川沿いのそれはそれは風光明媚な山の中です。30分ほどで伊勢奥津に到着。私がこの地を訪れるのは30年ぶりのこと。木造駅舎はすでになく、地域の施設を兼ねた新しい駅舎がありました。
でも、近くには蒸気機関車時代の錆び付いた給水塔があります。今にも列車がやってきそうな駅、「みんなの願い、名松線早期復旧」の看板や貼り紙があちこちに見られます。
でも、同じバスで伊勢奥津まで来た7人の乗客は全員、私と同好の人ばかり。地元の客は途中で降りた二人だけ…。
駅の近くの店のおばさんが「私たちは復旧してくれると信じています。復旧したらまた名松線に乗って来てくださいね」との言葉が印象に残りました。

それより先に亀山から松阪まで乗ったキハ40の重低音の響きがなんとも心地よかったのでした。
  1. 2010/10/23(土) 17:07:00|
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晩秋の天竜浜名湖鉄道




深まりゆく秋色の遠州路、静岡県の掛川から浜名湖の北側を通って新所原までの67.7キロをのんびりと走る天竜浜名湖鉄道に乗ってきました。この鉄道は国鉄二俣線から第三セクターに転換した単線未電化のローカル線です。

この線の旅の出発点、掛川に着くと、まずは山内一豊の居城、掛川城を訪れます。
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その後、天浜線に乗り、天竜二俣で途中下車。
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保存車両を眺めたのち、
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天竜舟下りに乗りました。実はこの舟は天竜浜名湖鉄道の直営なんです。川の上は風もなく、水鳥や紅葉を眺めながら快適な舟旅を楽しめました。
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さらに宮口と、みかんの産地として有名な三ケ日で途中下車をするうちに短い秋の日は落ちていきました。
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この線は国鉄時代からの古い駅舎がたくさん残っており、たった一両のディーゼルカーがのどかに走ります。東京と大阪のほぼ中間で、どちらからでも充分日帰りで行くことができますよ。
  1. 2009/11/28(土) 23:50:00|
  2. 東海
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飯田線、乗ったり降りたり




好天に恵まれたきょう、飯田線の渋い駅、秘境駅を回りながらのんびり電車の旅。
朝早く起きて、ホテルの最寄駅、桜町からスタートです。この駅は駅前に昔ながらの商店が並び、今は無人ですが、渋い木造駅舎が健在。
続いて、鼎(かなえ)、伊那八幡、川路、天竜峡、為栗(してぐり)と途中下車の旅。鼎や伊那八幡の木造駅舎、川路の鉄橋での列車撮影、そして、為栗は、駅前に天竜川にかかる吊り橋があるだけの秘境駅です。清流を眺めながら静けさだけがあたりを支配しています。この近くの鉄橋でも列車撮影をして、いよいよ間もなく閉園になる佐久間レールパークへ。
ここで、偶然同じ時間に来ていたネットつながりのKFさんと初顔合わせという嬉しい出会いもありました。
中部天竜駅にある園内は、閉園を惜しむ鉄橋ファンでいっぱいです。旧型客車や電車、機関車など、昔懐かしい車両がたくさんあり、また、昭和時代のみどりの窓口で使われていたマルス、古い切符や行先表示板からプラレールまで展示物も充実しています。
その後、有名秘境駅の小和田に戻り、しばし秋の虫の声と小川のせせらぎを聞きました。
そして最後は湯谷温泉の宇連川を眺める露天風呂で旅の疲れを流したあと、炭火焼と冷たい生ビールで同行のKKさんと乾杯。
小海線と飯田線ののどかな秋の旅はこうして終わりました。
  1. 2009/10/18(日) 19:09:00|
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遠州路日帰り旅




時折降る小雨の中、天竜浜名湖鉄道の遠江一宮駅近くの極楽寺という古刹寺のあじさいがなんともきれいでした。そして、浜名湖畔でのんびりと湖を眺めていたのです。
  1. 2008/06/12(木) 22:28:00|
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急行『銀河』で西進中


この列車に乗るのは何度目でしょうか。でも、おそらくこれが最後です。思えば15歳の時に初めて乗った夜行列車が『銀河』でした。当時は座席車で、しかも満員で朝まで座れませんでした。

まもなく熱海に着きます。8両編成の列車は満員です。いつもこんなに乗っていたら、廃止されることもなかったのにと思います。
列車は軽やかな走行音をたてながら、闇の中を走ります。
  1. 2007/12/28(金) 00:33:00|
  2. 東海
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秋の川根路大井川




好天に恵まれて、大井川鉄道の千頭(1枚目の写真=携帯)まで行ってきました。
きょうは1日3往復も蒸気機関車が走ります。
金谷を朝10時02分に発車する一番手は、タイから日本に里帰りしてきた緑色のC56で、まず、これを金谷~新金谷間の鉄橋(2枚目の写真)で撮ったあとは、新金谷から次の臨時便に乗り込みました。金谷駅では列車は電気機関車に引かれてバックで入線してくるため、牽引してきた蒸気機関車を見るには新金谷駅(3枚目の写真)の方がよく、駅も趣があります。
昭和15年生まれのC11に牽引された7両の旧型客車は、家族連れや団体客で満員です。窓の外では刈り取られた稲が干してあり、コスモスやすすきの穂が揺れる中を列車はのんびり走ります。同行のNさんは蒸気機関車が引く列車に乗るのは初めてとのことでしたが、レトロな雰囲気がお気に入りのようす。共にゆったりとした大井川の流れを眺めていました。

おばさん車掌のおしゃべりが、少々うるさかったけれど、のどかな時間が流れていきました。

沿線には多くの撮り鉄の皆さんがカメラを構えていましたが、女性カメラマンの姿も何人も見られ、益々、鉄道趣味の世界に女性が進出してきたことを喜ばしく思いました。

千頭では、千頭温泉『旬』でまったりとした時間を過ごし、帰りは旧近鉄特急に乗って帰りました。
次回は泊まりがけで井川線にも足をのばしたいと思った次第です。

  1. 2007/10/21(日) 19:23:00|
  2. 東海
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