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田中正恭の汽車旅日記

ここは、紀行作家・田中正恭 (たなかまさやす) が、つれづれなるままに各地の旅や、鉄道に関する話題について綴っています。原則として毎週日曜日に更新しており、時には鉄道以外の話題になることもありますが、ご了承ください。また、2018年10月より「テツドラー田中の乗り鉄日記」としてYahoo!クリエーターズプログラムにもレギュラー投稿していますので、そちらもご覧頂ければ幸いです。なお、内容につきましてのご感想や、執筆や講演、出演などの依頼がありましたら、お気軽にメッセージをお寄せください。なお、写真や文章の無断転載はご遠慮願います。

京阪京津線の今

先週に引き続き、京阪京津線。今週は、現在の様子をご紹介します。

御陵から地上に上がった電車は、最初に京阪山科に停車します。
①山科駅ホーム
この駅ではJR東海道線と醍醐方面の地下鉄東西線に接続します。

四宮には車庫があります。
②四宮車庫
この先、すぐに京都府から滋賀県に入ります。

大谷で上下線の電車が出会いました。
③1大谷駅上下電車
このあたりは逢坂山の峠に近い山の中です。
③2大谷駅名標

逢坂山の関所跡の石碑が建っています。
④逢坂山関所跡

逢坂山を詠んだ蝉丸の歌碑がありました。
⑤蝉丸の歌碑
蝉丸は百人一首に名を連ねる平安時代の歌人です。

これは、旧東海道本線の逢坂山隧道の廃線跡です。
⑦逢坂山トンネル
左側の小さいトンネルは明治13年に単線で開業し、右側は複線化された明治31年の完成です。
このトンネルは日本人だけの技術で完成させた初めての鉄道トンネルです。

これは最初のトンネルの内部です。
⑧トンネル内部
大正11年に新トンネルが完成するまで、黎明期の汽車がこのトンネルを走り続けました。

逢坂山を越える京津線の電車は、今も急な坂を登ります。
⑥急な坂

61パーミルの急坂を、下り電車が登ってきました。
⑨61‰

やがて、大通りを渡る踏切を通過します。
⑩踏切を渡る

関蝉丸神社の鳥居の横を電車が通ります。
⑪鳥居前

これが関蝉丸神社の本殿です。
⑫関蝉丸神社
昨年秋の台風被害で、まだ、ブルーシートがかけられていました。

大正10年に完成した煉瓦造りの東海道本線の上を電車が走ります。
⑬国鉄トンネルの上を行く

そして、下をJRの貨物列車が通過していきました。
⑭貨物列車

こちらは上栄町駅に着いたびわこ湖浜大津行の電車です。
⑮上栄町駅

上栄町を出ると、併用軌道の上を走ります。
⑯路上を行く運転台

地下鉄に乗り入れる大きな電車が路上を走る姿は、堂々としています。
⑰路面を走る

大きくカーブして終点のびわこ湖浜大津に着きました。
⑱浜大津手前
この駅は石山寺や比叡山への石山坂本線への接続駅です。

琵琶湖観光船のりばの、大津港も駅の目の前にあります。
s-IMG_0688.jpg





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  1. 2019/02/17(日) 00:01:39|
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京阪京津線の昔

今週は京都の三条と浜大津を結んでいた京阪電車京津線の昔のようすをご紹介します。
京津線は、元々、京阪本線と接続する三条から浜大津間11.1キロを結んでいました。
しかし、平成9年に、京都市営地下鉄東西線の開通により、地下鉄と並行する三条~御陵(みささぎ)間を廃止し、同区間は地下鉄に乗り入れるようになったのです。

こちらは、平成9年、廃止される前の三条駅から発車する京津線の電車です。
⑲京津三条H9
当時、本線の駅は京阪三条(または三条京阪)、京津線は京津三条と呼ばれていました。

京津三条~東山三条間の併用軌道を行く電車です。
⑳東山三条
京津線は、三条~蹴上間、日ノ岡~御陵間、上栄町~浜大津間が、自動車と併用の路面を走っていました。

九条山駅付近です。
s-㉒九条山俯瞰
このあたりは専用軌道で、東山の峠越え区間のため、かなりの急勾配でした。
s-㉕九条山S60

九条山も日ノ岡も地下鉄線内には移設されず、駅が廃止されてしまいました。
s-㉑九条山駅名標

地下化される前の御陵駅です。
s-㉓御陵H9
今は地下鉄の駅になり、西に300メートルほど移設されました。


さて、時代はさらにさかのぼり、昭和60年の蹴上付近です。
s-㉔S60蹴上
三条通りのこの付近の様子は今とあまり変わっていませんが、電車だけが地下に潜りました。地下鉄になっても蹴上駅が設置されています。

こちらは日ノ岡~御陵間です。
s-㉖日ノ岡~御陵

そして、御陵~京阪山科間です。
s-㉗御陵~山科
このあたりは専用軌道で、国鉄東海道本線と並行しています。

京津線の終点の浜大津です。今では駅名が「びわ湖浜大津」に変更されています。
s-㉘浜大津S60
当時は、三条から石山坂本線に直通する列車もありました。

現在の京津線のようすは、来週、ご紹介します。

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  1. 2019/02/10(日) 00:01:19|
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南海本線蛸地蔵駅と岸和田の町

今週は、南海本線岸和田駅から蛸地蔵(たこじぞう)駅まで、岸和田の町を散歩してみましょう。

岸和田駅で下車しました。
①岸和田駅
難波と和歌山市を結ぶ特急サザンや、関西空港への特急ラピートなど、すべての列車が停車する南海本線の中枢駅です。

岸和田のシンボル、岸和田城です。江戸時代に落雷により消失した天守閣を昭和29年に復元した物です。
②岸和田城
戦国時代末期の16世紀半ばには松浦氏の居城となってしました。
その後、豊臣氏が滅亡後、寛永17(1640)年に岡部宣勝が入城し、明治維新まで岡部氏がこの地を治めました。

これは櫓門です。
③櫓門

天守閣から望む岸和田市の眺めです。
④岸和田~蛸地蔵間
岸和田~蛸地蔵間の高架線を南海電車が通過していきました。

これはお城の近くにある岸城神社です。
⑤岸城神社
有名なだんじり祭の時に、宮入する岸和田城の鎮守神です。

そして、こちらがだんじり会館にある沼町だんじりです。
⑥だんじり
明治34年以来、百年間使われてきたそうです。
⑦だんじり2
だんじり祭は、毎年、9月に盛大に行われる祭りで、だんじりが猛烈な速度で町中を走り回る勇壮な祭りとして知られています。

本町通りにやって来ました。
⑧本町街並み
このあたりには古い街並みが残っています。
⑪本町2
この通りには江戸時代の紀州街道の面影が残されています。

こちらは円成寺という真宗のお寺です。
⑨円成寺

そして、本町通りでホーロー引きの懐かしい看板を見つけました。
⑩琺瑯引き看板

本町通りの近くに岸和田駅の一駅南にある蛸地蔵駅があります。
⑫蛸地蔵駅
この駅は大正14年に建造された南欧風のモダンな駅舎です。
⑬ステンドグラス
この駅にあるステンドグラスは、戦国時代の「蛸地蔵縁起絵巻」が描かれています。

駅前にある踏切を特急ラピートが通過していきました。
⑭ラピート
この駅には普通電車しか停車しません。
⑮蛸地蔵駅ホーム
やがて、蛸地蔵駅に難波行の電車がやって来ました。

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  1. 2019/01/27(日) 00:02:45|
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近江鉄道多賀線と多賀大社

今週は滋賀県の近江鉄道多賀線と多賀大社をご紹介します。

近江鉄道の多賀線は本線の多賀駅から分岐し、多賀大社前駅までを結ぶ2・5キロの支線です。
多賀大社への参詣客の輸送を目的に大正3年に開業し、100年以上の歴史があります。
これは、高宮駅で発車を待つ多賀線の電車です。
①高宮駅ホーム
多賀線の乗り場は本線下りと同じホーム上にありますが、本線の乗り場とは平行ではなく、三角形の二辺になっています。

こちらは高宮の駅舎です。
②高宮駅舎
平日の通勤通学時間帯と土日の午前中のみ駅員が配置されます。

唯一の途中駅はスクリーンという、変わった駅名です。
③スクリーン駅名票
これは、SCREENホールディングスという会社の敷地内にあるためで、この駅は同社の請願により平成20年に開設されました。


スクリーン~多賀大社前間を行く電車です。
④スクリーン-多賀大社前1
あたりは田んぼが広がっています。
⑤スクリーン-多賀大社前2

これが終点の多賀大社前に停車中の電車です。
⑥多賀大社前駅停車中
高宮からわずか6分の短い道のりです。

これが多賀大社前駅の駅舎です。
⑦多賀大社前駅舎
平成14年にコミュニティハウス併設の新駅舎に建て直されましたが、現在は無人駅です。

駅前にはこのような大きな鳥居が立っています。
⑧駅前鳥居
多賀大社はこの鳥居をくぐって徒歩10分あまりの場所にあります。

こんな石の道しるべがありました。
⑨道しるべ
江戸時代に建てられたものでしょうか。

駅から多賀大社まではこんな参道を歩きます。
⑩参道

こんな古い旅籠がありました。
⑪古い旅館

これが多賀大社の正面です。
⑫鳥居

鳥居をくぐると、石造りの太閤橋があります。
⑬石の太鼓橋

これが本殿です。
⑭本殿
伊邪那岐大神と伊邪那美大神を祭神とする近江第一の大社で、地元では親しみをこめて「お多賀さん」と呼ばれています。

参道で買った地酒はその名も「多賀」。
⑮呑み鉄
電車はロングシートですが、すいていたので、車内で呑んでしまいました。

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  1. 2018/08/12(日) 00:02:33|
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京阪電車宇治線の旅

今週は京都南部を走る京阪宇治線をご紹介しましょう。
京阪宇治線は、京阪本線の中書島(ちゅうしょじま)から宇治までを結ぶ7.6キロの路線です。

こちらが、宇治線の起点・中書島駅です。
①中書島駅
このあたりは、伏見の酒の本場。
②酒所伏見
数ある地酒の中で選んだのは、「坤滴(こんてき)」
③呑み鉄
さすがに通勤型の電車の中では呑みませんでした。

中書島駅で発車を待つ宇治行きの電車です。
④中書島駅ホーム

六地蔵~木幡間の山科川を宇治線の電車が渡ります。
⑤六地蔵~木幡 山科川

この区間には、戦時中陸軍の宇治火薬製造所 の専用線が分岐していました。
⑥陸軍専用線廃線跡
これは、その廃線跡の築堤です。
⑦廃線跡築堤より

廃線跡の近くに、こんな低いガードがありました。
⑧低いガード
高さはなんと1・2メートル。しゃがまないとガードをくぐることはできません。

こちらは木幡駅に停車中の電車。
⑨木幡駅

そして、こちらは黄檗(おうばく)~三室戸間ですれ違う上下線の電車です。
⑩黄檗~三室戸
隣には平行するJR奈良線の黄檗駅のホームが見えました。

こちらは黄檗宗の総本山、黄檗山萬福寺です。
⑪黄檗山萬福寺山門
ふくよかな布袋さんがなんともユーモラスでした。
⑫布袋さん

そして、これは終点の宇治駅のホームです。
⑬宇治駅ホーム
平成7年に新築されたモダンな駅舎には、たくさんの蔦がからまっていました。
⑭宇治駅舎

駅のすぐ近くに流れる宇治川に架かる鉄橋をJR奈良線の電車が走って行きました。
⑮JR奈良線103系
東京近郊ではもう見られなかった103系電車が、ここではまだ現役で走っています。

こちらはご存じ、平等院鳳凰堂です。
⑪平等院
平安時代後期の天喜元年(1053年)に建造されたこのお寺は国宝に指定されており、平成6年には、世界遺産に登録されました。

さて、こちらは昭和60年の京阪宇治駅です。
⑫京阪宇治駅S60

緑色を基調とした塗装は、現在も受け継がれています。
⑬宇治駅ホームS60

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  1. 2018/07/08(日) 00:01:37|
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男山ケーブルと京阪八幡市駅

今週は、京阪本線八幡市駅を起点とする男山ケーブルをご紹介します。
男山ケーブルは、京阪八幡市駅の東側の男山にある石清水八幡宮への参詣客の輸送を目的に大正15年に男山索道として開業しました。戦時中の昭和19年に一旦廃止されましたが、昭和30年に京阪電鉄の手によって再開しています。

これが、京阪八幡市駅前にあるケーブルの八幡市駅です。
①ケーブル八幡市駅
通常期は15~30分おきに運転されています。
②八幡市駅ホーム
このケーブルカーの全長は0・4キロで、高低差82メートルを約3分で結んでいます。

途中には2カ所のトンネルがあります。
③トンネル内
トンネル内で、登りのケーブルカーと下りのケーブルカーがすれ違います。
④トンネル外

これが男山山上駅です。
⑤男山山上駅

しっとりとした木々に囲まれた、石清水(いわしみず)八幡宮への参道が続きます。
⑥参道

こちらが石清水八幡宮の本殿です。
⑦石清水八幡宮本殿
この本殿は平成28年に国宝に指定されました。
この八幡宮は、平安時代初期の貞観2年(西暦860年)に応神天皇などをお祀りして造営された歴史あるお社です。

⑧一斗樽
境内には一斗樽が並んでいました。

山上の展望台からは京都盆地を一望に見渡すことができます。
⑨山上から
眼下には、淀川の鉄橋を渡る京阪電車を眺めることができました。
⑩山上から

こちらは、八幡市駅を通過する大阪・淀屋橋行の特急です。
⑪特急通過

そして、こちらは昭和60年に訪れた時の男山ケーブルです。
⑫S60男山ケーブル
この時はお正月だったので、石清水八幡宮の境内も大勢の初詣客で賑わっていました。
⑬S60正月石清水八幡宮


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  1. 2018/07/01(日) 00:01:19|
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京阪電車交野線

今週は京阪本線枚方市から分岐し、私市(きさいち)までの6・9キロを結ぶ京阪交野(かたの)線をご紹介しましょう。

こちらは、枚方市駅の6番ホームに停車中の交野線の電車です。
①枚方市駅

枚方市~星ヶ丘間を行く上り電車です。
IMG_0513.jpg
c2.com/t/a/n/tanakamasayasu/201805242337118f9.jpg" alt="②星ヶ丘~宮之阪" border="0" width="640" height="426" />
交野線では「きかんしゃトーマス」ラッピング電車が運転されています。

こちらは交野線の中心駅、交野市駅です。
③交野駅

交野市駅でも「きかんしゃトーマス号」に出会いました。
④交野駅発車

河内森~私市間を行く下り電車です。
⑤河内森~私市1
右後方に見えるのが河内森駅で、この駅ではJR片町線の河内磐船駅と接続しています。
⑥河内森~私市2
ここにも「きかんしゃトーマス号」がやって来ました。

⑦河内森~私市3
このあたりは、住宅街と緑の田園地帯が混在しています。

終点の私市駅を発車した「きかんしゃトーマス号」です。
⑧トーマス私市発車

こちらは、私市駅の車止の前で発車を待つ枚方市行の電車です。
⑨私市車止
三角屋根が印象的な駅舎ですね。
⑩私市駅

近くの川の上には鯉のぼりが吊るされていました。
⑪鯉のぼり

こちらは、昭和60年の私市駅です。
⑬S60私市駅

そして、こちらは同じく昭和60年の枚方市駅に停車中の交野線の電車です。
⑭S60枚方市

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  1. 2018/06/24(日) 00:21:43|
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阪和線百舌鳥駅と仁徳天皇陵

今週は大阪府堺市にあるJR阪和線百舌鳥(もず)駅と、仁徳天皇陵、および、その周辺の百舌鳥古墳群をご紹介します。

阪和線の百舌鳥は、天王寺から普通電車でおよそ26分。
①百舌鳥駅ホーム
普通しか停車しない小さな駅です。
②百舌鳥駅
新大阪・天王寺と白浜や新宮を結ぶ特急「スーパーくろしお」が通過して行きました。
③スーパーくろしお
白浜にあるアドベンチャーワールドにいるパンダにちなんだ塗装です。なんだか、笑ってしまいそうですね。

百舌鳥駅から歩いてほんの数分のところにある収塚古墳です。
④収塚古墳
このあたりは、仁徳天皇陵を囲むよう、中小44基の古墳が残されています。
これらは多くは天皇家に関係した豪族たちの墓で、陪冢(ばいちょう)と呼ばれます。

これが、仁徳天皇陵の正面です。
⑤仁徳天皇陵
南北の長さ840メートル、周囲2718メートルの日本最大の前方後円墳です。
仁徳天皇は第16代天皇で、日本書紀によれば、まだ元号のない時代、4世紀の西暦318年から83年間もの長きにわたり在位し、142歳まで生きたことになっています。初代神武天皇以後、仁徳天皇までの16人の天皇のうち、13人もが100歳以上生存したことになっており、正に神代の時代の天皇であったといえるでしょう。
これは現実にはありえないことだけれども、なんともいえない古代のロマンを感じてしまいます。

これは、北側から見た仁徳天皇陵です。
⑥仁徳天皇陵裏側
広大な堀と深い緑に木々に囲まれていますが、あまりに大きいため、その全体像を地上から見ることはできません。
これだけの規模の大きな墳墓を、神代の時代に作った古代人に、敬意を表したいと思います。

仁徳天皇陵の南側には緑豊かな大仙公園があり、市民の憩いの場になっていました。
⑦大仙公園

公園の中には美しい日本庭園があります。
⑧大仙公園日本庭園
庭園の池にはのんびりと鴨が休んでいました。
⑨鴨の池

この公園の中にもたくさんの古墳が残されています。
⑩七観音古墳
これは七観音古墳です。

これはグッショー塚古墳。
⑪グッショウ坊古墳

こちらは旗塚古墳。
⑫旗塚古墳

そして、銅亀山古墳です。
⑬銅亀山古墳
いずれも、もっこりとした小山があり、比較的規模の大きな古墳は緑の木々に覆われています。

これらの古墳から出土された埴輪(はにわ)が、公園内の博物館に展示されtれいました。
⑭埴輪

博物館にあった仁徳天皇陵を上空から見た写真です。
⑮空中写真
その規模の大きさは上空から見なければわかりません。

周辺には、多数の古墳群があることがわかります。
⑯古墳地図

そして、仁徳天皇陵の南側には第17代履中(りちゅう)天皇陵があります。
⑰履中天皇陵
履中天皇は、仁徳天皇の第一子とされ、仁徳天皇の次の天皇ですが、在位期間はわずか5年だったとされています。

こちらは仁徳天皇陵の北側にある第18代反正(はんぜい)天皇陵です。
⑱反正天皇陵
この天皇も日本書紀によればわずか4年だったそうです。

住宅街の中にひっそりと残る反正天皇陵のすぐ近くに南海高野線の堺東駅があります。
⑲堺東駅

こちらは特急「こうや」や「りんかん」も停車する高野線の主要駅です。
⑳堺東駅ホーム
こんな町の真ん中に、大規模な古墳群が現存することは驚くべきことだと思います。

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  1. 2018/06/10(日) 00:02:49|
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今はなき有田鉄道

今週は、先週に引き続き和歌山県の廃止線、紀勢本線と接続する藤並を起点とし、金屋口までの5・6キロを結んでいたミニ私鉄でした。
大正5年の開通以来、沿線住民の足として、また木材やミカンの貨物輸送のために走り続けてきましたが、昭和59年に貨物輸送を廃止。平成15年に廃線となりました。

これは、平成14年、藤並駅に停車中のレールバス「ハイモ180形」です。
①藤波駅
廃線間近のこの時、走る列車は1週間に10本のみ。
通常、1日2往復でしたが、週に2回は終日運休という状況でした。
というのも、この時点で運転士さんが一人しかおらず、彼の休日は即ち、運休日だったのです。

下津野付近を行くレールバスです。
②下津野付近
住宅が点在するみかん畑の中をのんびりと走っていました。

これは御霊(ごりょう)えきです。
③御霊駅
簡素な造りの無人の駅舎でしたが、この駅にも改札口が設置されており、かつては有人駅だったことがわかります。

踏切から見た週に10往復の列車しか走らない線路です。
④御霊付近の線路
保線状況はかなり悪く、枕木が腐敗している個所も散見されました。

終点の金谷口付近を行く列車です。
⑤金屋口車庫付近
右側に見える車庫の中には、かつて使われていたキハ58が留置(放置)されていました。

金屋口駅に飾られていたヘッドマークの数々です。
⑥ヘッドマーク
イベントなどの時に使用されたのでしょう。

さて、こちらは昭和58年に訪れた時の藤並駅です。
⑦藤波駅S58
国鉄紀勢本線の下りホームに、このような小屋のような駅舎があり、ここで乗車券を販売していました。

藤波駅に停車中のキハ58です。
⑧藤波ホームS58
この当時は、藤並から一駅だけ紀勢本線に乗り入れて、湯浅まで走っていました。

その当時の列車に設置されていたサボ(行先表示板)です。
⑨キハ58サボ

こちらは金屋口駅のホームで折り返しを待つ湯浅行の列車です。
⑩金屋口S58

当時、使われていた乗車券です。
⑪きっぷ
こんな地味なローカル私鉄が廃止されて、すでに15年が過ぎようとしています。


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  1. 2018/06/03(日) 00:02:25|
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今はなき野上電鉄

今週は、平成6年に廃止された和歌山県の野上電鉄をご紹介します。
野上電鉄は、紀勢本線の海南駅に近い、日方から登山口までの11.4キロを結ぶ路線でした。
その歴史は古く、大正5年に貨物と旅客輸送を担って日方~野上(昭和9年に紀伊野上に改称)間が開通、12年後の昭和3年に、終点の生石口(おいしくち=昭和33年に登山口に改称)まで開通しました。

私が野上電鉄を訪れたのは、昭和58年のこと。
これが、起点の日方駅です。
①日方駅
この線の駅は最後まで近代化されることがありませんでした。

日方駅のホームで発車を待つ電車です。
②日方駅ホーム
吊り掛け電車の重低音が聞こえてきそうです。

日方駅の先、200メートルの所にあった「連絡口」です。
右手には国鉄海南駅が見えており、国鉄連絡のために設けられた乗降場です。
③連絡口
あまりに距離が短いので、日方駅構内の扱いでした。
今では、JR海南駅は高架化されており、この面影は残されていません。

終点の登山口駅に着いた電車です。
④登山口ホーム
登山口と言う駅名は、生石山への入口にあたることから名づけられました。
⑤駅名票

これが登山口駅です。
⑥登山口駅舎
この駅舎もなんとも鄙びた佇まいでした

駅構内にはたくさんの古い電車が留置されていました。
⑦登山口車庫

野上電鉄のきっぷです。
⑧きっぷ⑨国鉄連絡切符

そんな野上電鉄は平成6年3月31日をもって廃止され、会社も解散してしまいました。
私が訪れた時から35年、廃線から24年、月日が流れるのは早いものです。

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  1. 2018/05/27(日) 00:03:01|
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播州赤穂の旅

先週に続いて赤穂への旅、今週は播州赤穂駅とその周辺をご案内しましょう。

姫路・大阪方面からやって来た赤穂線の下り電車は、すべて播州赤穂止まりとなり、その先、西大寺、岡山方面へはこの駅で乗り換えです。
⑬播州赤穂駅ホーム
左側の姫路からやって来た列車と、右側の岡山からの列車はいずれもこの駅で折り返し、それぞれ元来た方向に帰って行くのです。

これ播州赤穂駅です。
⑭播州赤穂駅
播州赤穂といえば、赤穂浪士、忠臣蔵の物語が有名ですね。

こちらは赤穂城跡です。
⑮赤穂城1
赤穂城は浅野家の居城として寛文元年(1661)に築城したものです。
赤穂藩主浅野内匠頭が江戸城の松の廊下で吉良上野介を襲った事件に始まり、そのことで切腹させられた浅野内匠頭の恨みを晴らすため、臣下の大石内蔵助以下四十七士が吉良邸に押し入って、吉良を討ち取った、いわゆる忠臣蔵は、あまりにも有名ですね。
⑯赤穂城2

これは赤穂城に隣接する大石神社です。
⑰大石神社
忠臣蔵の四十七士が祀られています。

境内には四十七士全員の石像が並んでいます。
⑰四十七士

こちらはご存知大石内蔵助です。
⑱大石蔵之助

近くには、昭和の看板や玩具がずらりと並んでいる玩具博物館がありました。
⑲玩具博物館
昔懐かしい三輪自動車も置いてありました。

こちらは臺雲山花岳寺というお寺です。
⑳壹雲山花岳寺
歴代の赤穂藩主の菩提寺になっています。
㉑松
境内には枝ぶりのいい松の木がありました。

帰りは赤穂線の車内で赤穂坂越の地酒「忠臣蔵」で呑み鉄をしました。
㉒地酒忠臣蔵

㉓スタンプ駅㉔スタンプ城

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  1. 2017/10/15(日) 00:01:08|
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赤穂線坂越駅と街並散歩

今週から2回にわたり、兵庫県の一番西南に位置する赤穂市をご紹介しましょう。
ある夏の日に、赤穂線の坂越(さこし)駅で途中下車をしました。

坂越の名は延暦12(793)年の古文書に記されているほど古く、古来より播磨の国の行政単位のひとつとして長い歴史を持った町です。

山陽本線の相生駅から赤穂線が分岐し、2つ目の駅が坂越駅です。
①坂越駅

駅からしばらく歩くとゆったりとした流れの千種川を渡りました。
②千種川

やがて、大道(だいどう)という通りには古い街並が続いています。
③大道街並み

昔懐かしい白壁のある家もあります。
④白壁

赤穂で唯一の酒蔵、奥藤酒造には茶色くなった杉玉がぶら下がっていました。
⑤奥藤商事
慶長6(1601)年の創業の老舗で、銘柄は「乙女」と「忠臣蔵」です。

これは江戸時代、赤穂藩の支所であった旧坂越浦会所です。
⑥旧坂越浦会所
無料で開放されており、二階からは坂越湾を眺めることができます。

坂越湾には生島という小さな島が浮かんでいます。
⑦生島
この島には祭りのときしか渡れないそうです。

大避(おおさけ)神社です。
⑧大避神社
1300年以上の歴史を持つ古い神社で、緑に囲まれたお社では、賑やかに蝉の声が響いていました。

大避神社の近くから坂を登ると妙見寺観音堂というお寺があります。
⑨妙見寺観音堂
このお堂からは穏やかな坂越湾を望むことができます。
⑩観音堂と坂越湾
左に見えるのは生島です。
⑪観音堂からの坂越湾

坂越駅に戻り、次は播州赤穂駅に向かいました。
⑫坂越駅ホーム

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  1. 2017/10/08(日) 00:00:18|
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能勢電と妙見山の旅

今週は阪急宝塚線と接続する川西能勢口を起点としし妙見口(みょうけんぐち)まで12・2キロを結ぶ妙見線と、途中山下で分岐して日生中央までの2・6キロを結ぶ能勢電鉄、通称「能勢電」をご紹介します。
大正12年に妙見線が全通した能勢電鉄は、日蓮宗の聖地、妙見山への参拝客と、大阪方面への通勤通学客を運ぶ貴重な足となっていますが、沿線は妙見山の美しい緑を眺める風光明媚な路線でもあります。

起点の川西能勢口駅は阪急電車と共用駅の共用駅です。
①川西能勢口駅 (550x355)
4号線に日生中央行の電車が発車を待っていました。
阪急電車とその子会社である能勢電車は、ホームの番号を〇番線とは言わず、〇号線と呼びます。
能勢電の車両は、すべて阪急の中古車が使われており、昭和35~37年に製造された元阪急2000形の1700形が主力車両です。
すでに55年余りが経過しているとは思えないほど、今もきれいに使われています。

川西能勢口を発車した電車は、鶯の森あたりから猪名川を見ながら走ります。
②鶯の森~鼓ヶ滝1 (550x367)
鶯の森~鼓滝(つづみがたき)間の鉄橋を渡る下り電車です。
③鶯の森~鼓ヶ滝2 (550x367)

こちらは一の鳥居駅付近を行く上り電車です。
④一の鳥居付近 (550x364)
背後に見えるお城のような建物は、大阪青山歴史文学博物館です。
⑤一の鳥居駅名票 (550x381)

こちらは日生中央駅です。
本線にあたる妙見線の山下から分岐する、わずか1駅だけの支線で、昭和53年にこのあたりにできた日生ニュータウンの開発ととも開業しました。
平日の通勤時間帯には、この駅から阪急宝塚線に乗り入れ、大阪梅田まで直通する特急「日生エクスプレス」が7往復発着します。
⑥日生中央ホーム (550x367)

日生中央駅の待避線に留置されている電車です。
⑦日生中央待機線 (550x367)
その向こうには車止めが見えます。

これが日生中央の駅舎です。
⑧日生中央駅舎 (550x367)
1日12000人以上が乗降する大きな駅ですが、開業当初から無人駅となっています。

山下駅に戻りました。
⑨山下駅 (550x367)
停車しているのは、かつて能勢電に走っていた50型電車のオリジナルカラーを模した復刻電車が停車していました。

これが、その車内に掲出されていた昭和56年の50型電車です。
⑩S50川西国鉄前 (400x256)
この電車は昭和41年までは川西能勢口~妙見口間を走っていましたが、それ以降は、川西能勢口から国鉄福知山線の川西池田駅と接続する、川西国鉄前までのわずか0・6キロを細々と走っていました。晩年のこの短い支線は一日わずか2往復しか運転されておらず、昭和56年12月に廃止され、それと同時に50型電車も廃車となったのでした。

トンネルの向こうに光風台駅が見えます。
⑪光風台 (550x367)
このトンネルを抜けると、兵庫県から大阪府に入ります。

こちらは、ときわ台駅です。
⑫ときわ台駅舎 (550x367)
ときわ台付近を妙見口行きの下り電車が通過して行きました。
⑬ときわ台付近 (550x367)

トンネルを抜けると、終点の妙見口はもうすぐです。
⑭妙見口~ときわ台1 (550x367)
青い復刻電車が通って行きました。
2両編成のこの電車は、山下~妙見口間だけを往復しています。

こちらは、川西能勢口~妙見口間を直通する4両編成の電車です。
⑮妙見口~ときわ台2 (550x367)
このあたりまで来ると、あたりはすっかり田舎の風景となります。

妙見口駅に着いた復刻電車です。
⑯妙見口復刻電車 (550x355)

そして、こちらは川西能勢口行の電車。
⑰妙見口ホーム (550x367)

昔から変わらない妙見口駅の佇まいです。
⑱妙見口駅舎 (550x363)
妙見口駅からバスで10分ほどの所に、妙見の森ケーブルの黒川駅があります。
⑲妙見の森ケーブル黒川駅 (550x367)
ケーブル山上駅まではおよそ5分で着きます。
⑳ケーブル (550x367)

山上駅の近くに「シグナス森林鉄道」というミニ列車が走っていました。
㉑シグナス森林鉄道 (550x367)
これは、軌間381ミリ、全長340メートルのミニ遊覧鉄道です。
かつて、妙見山に森林鉄道が走っていたわけではありません。

妙見山へは、森林鉄道の乗り場付近からさらにリフトに乗り換えます。
㉒リフト (550x367)
こちらは、山頂にある日蓮宗の聖地、能勢妙見山です。
㉓妙見さん (550x367)
正式には無漏山眞如寺といいます。
あたりには、霊験あらたかな雰囲気が漂っていました。

能勢の地酒は「秋鹿」。
㉕地酒「秋鹿」 (550x367)
この山にも鹿がいるのでしょうか。

夜の鼓滝駅です。
㉖夜の鼓滝駅 (550x367)

そして、こちらは昭和59年の山下駅です。
㉗S59山下駅 (550x384)
昭和10年製造の阪急320形が、まだ現役で走っていました。

こちらは同じ時の妙見口駅です。
㉘S59妙見口駅 (550x388)
昭和28年製造の610形の姿が見えます。
また、このころ、1500形電車は阪急色のマルーンカラーとクリーム色のツートンカラーに塗装されていました。

そして、35年前のケーブルカーです。
㉙S59ケーブル (550x367)

こちらは昔の能勢電の切符です。
㉚手売りキップ (220x182)㉛キップ (241x250)
手売りの駅名印を押す乗車券は、阪急電車と同じ形式でした。




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  1. 2017/09/24(日) 00:02:05|
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阪急箕面線と箕面公園

今週は大阪府北部を走る阪急電鉄箕面(みのお)線と、箕面公園をご紹介します。

箕面線は、阪急宝塚線の石橋駅から分岐する延長4・0キロの短い路線です。
このエリアの通勤通学路線と、箕面温泉や箕面公園への観光路線としての二つの顔を持っています。
①石橋駅 (550x367)

途中駅の桜井駅の駅名票です。
②桜井駅名票 (550x364)
同名の駅が、奈良県のJR桜井線と近鉄大阪線、それに愛知県の名鉄西尾線にもあります。

箕面線は短い路線ですが全線複線になっており、通常は桜井~牧落(まきおち)間で反対列車とすれ違います。
③桜井~牧落間すれ違い (358x550)

桜井~牧落間を行く箕面行の下り8000系電車です。
④桜井~牧落駅 (550x356)

そして、これが牧落駅。
⑤牧落駅 (550x367)
住宅街の中のひっそりとした駅でした。

牧落駅に到着した上り電車です。
⑥牧落駅到着 (550x356)

そして、こちらが終点の箕面駅に到着した6000系電車です。
⑦箕面駅ホーム (550x353)

箕面駅です。
⑧箕面駅舎 (550x367)
モダンなエントランスが印象的でした。

箕面駅から正面の道を歩いて行くと箕面公園の滝道と呼ばれる遊歩道があります。
⑨滝道 (550x367)
箕面川に沿って新緑に囲まれた気持ちのいい道です。
⑩箕面川の橋 (550x367)
秋には紅葉の名所となり、大勢の観光客で賑わいます。

このあたりには、時々、野生の猿が出没します。
⑪猿 (550x367)
大阪からわずか電車で30分あまりの場所に猿が住む森があるなんて、ちょっと信じられないようです。

そして、駅からのんびり歩いて40分、箕面大滝に着きました。
⑫箕面の滝 (550x367)
このあたりは、明治の森箕面国定公園に指定されています。

帰りに箕面駅近くの酒屋で買った地酒はその名も「滝」。
⑬地酒「滝」 (550x367)
軽い飲み口で、昼間から電車を待つ間に飲み干してしまいました。


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  1. 2017/05/28(日) 00:01:51|
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阪神電車・武庫川線

今週は、阪神電鉄本線の武庫川駅から分岐し、武庫川団地前駅までの阪神武庫川線をご紹介しましょう。
武庫川線は、全長わずか1・7キロしかない短い路線ですが、沿線の通勤通学路線として2両編成の電車が走っています。

武庫川駅に電車が帰ってきました。
①武庫川到着 (550x367)
日中は一編成のみが行ったり来たりしています。

こちらは武庫川駅で待機中のもう一編成の電車です。
②待機 (550x367)
朝夕は二編成で運転され、次の東鳴尾ですれ違います。

東鳴尾駅です。
③東鳴尾 (550x367)
武庫川沿いの松の木が近くに立っています。

こちらは洲先駅です。東鳴尾と同じように、駅舎もない小さな無人駅です。
④洲先 (550x367)
昭和59年4月までは、この駅が終着駅でした。

洲先~武庫川団地前を行く電車です。
⑤洲先~団地前 (550x349)
武庫川線はずっと武庫川に沿って走っていますが、川との間に築堤上に道路と堤防があるため、車窓から川を見ることはできません。

これが終点の武庫川団地前駅です。
⑥団地前駅 (550x366)
自動改札が設置されていますが、この駅も無人駅です。

これは武庫川団地前を発車した電車です。
⑦団地前発車 (550x357)
電車は3分ほど停車すると、すぐに折り返して武庫川駅に戻って行きます。

こちらは、武庫川駅の北側です。
戦中戦後の1年半ほどの間、この先には武庫川大橋を経て国鉄西ノ宮まで線路がつながっており、蒸気機関車が貨物列車を牽引して乗り入れていたこともありました。国鉄と阪神とでは軌間が異なるため、三線軌条だったそうです。
⑧武庫川渡り線 (550x367)
現在では、この先でスイッチバックして左側の線路が本線へと通じる渡り線となっています。

こちらは昭和57年の洲先駅です。
⑨S57洲先 (550x356)
とても大阪に近い大手私鉄の駅とは思えない、鄙びた佇まいでした。

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  1. 2017/04/09(日) 00:02:23|
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東海道本線・摂津本山駅の今昔

今週は神戸市にある東海道本線緩行線(JR神戸線)の摂津本山駅の今昔をご紹介します。
大正10年に開業したこの駅の駅舎は、近年まで、阪神間で木造駅舎が残る最後の駅でした。

実は、この駅は私の故郷の駅で、私にとって最も縁の深い駅なのです。
そこで、この駅の今昔を定点観測で見てみましょう。

これは国鉄時代、昭和51年の摂津本山駅(北口)です。
①摂津本山S51 (550x380)
この当時は、まだ荷物の取り扱いがあり、駅舎の向かって左側に荷物用の窓口がありました。

そして、これは昭和62年3月、国鉄民営化直前の北口駅舎です。
②S6203北口 (550x372)
荷物扱いが廃止され、自動券売機が設置されたものの、基本的に駅の構造は同じでした。

こちらは南口駅舎です。
③S6203南口 (550x372)
北口をやや小ぶりにしたような同じ造りの木造駅舎でした。

民営化以降もこの駅舎は健在でした。

しかし、平成7年1月17日、この地を震度7強の阪神淡路大震災が襲い、6000人以上の尊い命が失われました。
これは、摂津本山~芦屋間で地震による揺れで脱線した貨物列車です。
④貨物脱線H0701 (550x389)
被災地を走る東海道本線、山陽本線は、六甲道駅や新長田駅が全壊したり、住吉~六甲道間の高架橋が崩落するなど甚大な被害を受け、発生から73日間不通になりました。
高架橋崩落 (550x372)
これは崩落した高架橋です。

摂津本山駅付近も駅前のマンションが崩壊するなど、周辺の住宅街が壊滅状態になってしまいました。
⑤壊滅的被害 (550x384)
こちらは駅南西の田中町の惨状です。

けれども、摂津本山駅の木造駅舎は、北口、南口ともに奇跡的に崩壊を免れたのです。
そして、その後も徐々に復興する街の表玄関としてその役目を果たし続けました。

周辺の駅が次々と建て替えられる中で、気がつくと阪神間で最後まで残った木造駅舎でした。
⑥H2303駅舎 (550x371)
これは平成23年3月です。
けれども、この年の暮れから新駅舎への建て替え工事が開始され、戦時中の空襲にも大震災にも耐えた駅舎は、惜しくも取り壊されてしまいました。

これは平成24年8月の北口仮駅舎です。
⑦摂津本山仮駅舎H2408 (550x348)

さらに平成25年10月には仮駅舎の前に新駅舎がほぼ完成。
⑧H2510工事中 (550x367)

そして翌11月には、仮駅舎が撤去され、新しい橋上駅舎での営業が開始されました。
⑨H2801 (550x367)

さらに平成27年3月に駅前の整備が完了し、工事が終了したのでした。
⑩H2803完成 (550x367)
上は新駅舎の北口、下は南口で、南北は橋上通路で結ばれています。
⑪201603南口 (550x367)
これまでなかったエレベーターやエスカレーターが設置され、構内に店舗ができるなど近代的で便利な駅になりました。
でも、いつ帰郷しても、変わらぬ姿で迎えてくれたぬくもりのある木造駅舎は、もうありません。
建物の老朽化とバリアフリーが建て替えの理由でしたが、なんとか歴史ある建物を残すことができなかったのかと残念でなりません。

京都行の普通電車がやって来ました。
⑫京都行 (550x367)
この駅は今も昔も普通電車しか停まりません。
⑬快速通過 (550x367)
下り快速電車が通過して行きました。
ホームの大阪寄りの佇まいは、旧駅舎時代と同じです。

さて、こちらは駅から北に10分ほど歩いたところにある岡本梅林公園です。
⑭岡本梅林公園 (550x367)
岡本とはこの駅の近くにある阪急岡本駅周辺の地名です。
このあたりは「梅は岡本、桜は吉野」と呼ばれるほど古来より梅の花の名所として知られていました。
今はなき祖母の話によると、大正10年に摂津本山駅が開業するまでは、梅の時期にだけ観梅客のためにこの近くに仮乗降場を設けたそうです。
⑮岡本八幡 (367x550)
こちらは岡本八幡神社の梅です。
梅の花がこのあたりに春の訪れを告げてくれます。

また、5月になるとにぎやかに「だんじり祭」が行われます。
⑯だんじり祭①(550x361)
摂津本山駅前に何台もの町内会のだんじりが集結し、その後、町の中を練り歩くのです。
⑰だんじり祭 (550x367)
お祭の時は、勇壮な鉦の音が街に響きます。

こちらは、国鉄時代の切符です。
⑱国鉄時代切符 (480x424)
昔は券売機などはなく、窓口でこんな硬券切符を買っていたものでした。


時は流れ、平成28年末に帰省すると、こんなきれいなイルミネーションが美しい光を放っていました。
⑳20161230夜 (550x366)


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  1. 2017/01/15(日) 00:00:01|
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高野山ケーブルと聖なる高野山

今週は、極楽橋からの高野山ケーブルと、聖なる地、高野山へご案内しましょう。
①ケーブル2 (550x360)
極楽橋から高野山を結ぶ高野山ケーブルは、南海電鉄の直営のケーブルカーで、距離0.8キロ、最大斜度568.2‰、高低差330メートルを片道5分間で運転されてします。

終点の高野山駅付近では、紫陽花の花が咲いていました。
②ケーブル (550x367)

これが高野山駅です。
③高野山駅 (550x367)
寺院を模した荘重な造りで、昭和5年に開業しました。

駅から山内へは南海りんかんバスが走っています。
④りんかんバス (550x342)

バス専用道を2キロ余り走ると、女人堂に着きます。
⑤女人堂 (550x367)
明治5年まで、高野山は女人禁制だったため、女性の信者はここまでしか立ち入ることを許されず、ここで参詣したといいます。
また、ここ不動坂からは、極楽橋からのハイキングコースを登って来ることもできます。

こちらが、高野山真言宗総本山金剛峯寺です。
⑥金剛峰寺 (550x367)
高野山は弘法大師が1200年前に開いた真言宗の聖地で、その中心がこの金剛峰寺です。
⑦金剛峰寺庭園 (550x367)
このお寺の蟠龍庭(ばんりゅうてい)は、国内最大級の石庭だと言われています。

根本大塔です。
⑧根本大塔 (367x550)

そして、こちらは大門です。
⑨大門 (550x367)
高野山の西の入口に位置しています。ちょうど、紫陽花が綺麗に咲いていました。

周辺には塔頭と呼ばれる小さなお寺が百カ所以上も並んでいます。
⑩恵光院 (550x367)
こちらは、そのうちのひとつ、恵光院。

そして、こちらは、大圓院です。
⑪大圓院 (550x367)

これらのお寺の多くは古来より宿坊になってします。
⑫遍照光院 (550x367)
私は、こちらの遍照光院には何度か泊まったことがあります。

これが泊まった時に出された精進料理です。
⑬精進料理(550x356)
肉や魚類を一切使わない純和風の伝統的なお寺の料理ですが、残念ながら私の口にはあまり合いませんでした。

こちらは、奥之院への参道です。
⑭奥ノ院参道 (550x367)
鬱蒼とした杉並木が延々と続きます。
⑮苔むした塔婆 (550x367)
そんな中、苔むした卒塔婆がひっそりと並んでいました。

これは、高野山のゆるキャラ「こうやくん」です。
⑯こうや君 (253x380)⑰眼鏡の坊さん (253x380)
そして、眼鏡をかけたお坊さんのキャラクターが見送ってくれました。

帰りの列車では高野山の麓のかつらぎ町の地酒「般若湯」をいただきました。
⑱般若湯 (550x367)
カップに般若心経が書かれているので、呑んだ後、捨てるのがためらわれます。

極楽橋から特急「こうや8号」で、大阪の難波まで1時間31分の旅でした。
⑲こうや号(550x367)

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  1. 2016/07/31(日) 00:02:28|
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南海高野線(橋本~極楽橋)

今週は南海電鉄高野(こうや)線の山間部を走る橋本~極楽橋間19・8キロをご紹介しましょう。

高野線は大阪の汐見橋を起点に高野山の麓にある極楽橋までの64・5キロを結ぶ路線です。
けれでも、実際の運転経路上は、南海の一大ターミナルである難波から高野線に乗り入れており、汐見橋~岸里玉出間(4・6キロ)は、この区間の普通電車だけが走る運行形態となっています。

橋本駅で発車を待つ普通電車です。
①橋本駅 (550x367)
この区間を走る、特急「こうや」は難波から直通運転されていますが、普通電車は、すべて橋本で折り返し運転となっています。

今年、放映されているNHKの大河ドラマ『真田丸』の主人公、真田幸村はこの地域の九度山で長く過ごしたそうです。
②九度山幟 (367x550)
それにちなんで、沿線では、赤い幟が掲げられていました。

最初に、高野下駅で途中下車をしました。
③高野下駅 (550x367)
歴史を感じさせてくれる木造駅舎が斜面に建っていました。でも、今は無人駅です。

そんな高野下駅近くを特急「こうや」が通過して行きました。
④特急「こうや」 (550x367)

高野下~九度山間の鉄橋を、赤い電車が渡って行きます。
⑤真田赤備え列車 (550x367)
これは、昨年11月に登場した「真田赤備え列車」です。

次にやって来たのは緑色の観光列車「天空」を連結した普通電車です。
⑥天空 (550x367)
天空車両に乗るには、乗車券のほかに別途500円が必要ですが、平日にもかかわらず、大勢の観光客が乗っていました。。

次々に色々な電車がやって来ます。
⑦普通電車 (550x367)
ローカル線でも大手私鉄はJRと比べて運転本数が比較的多いのです。

次に降りたのは紀伊神谷でした。
⑧紀伊神谷駅 (550x367)
この駅の周辺は山に囲まれており、利用客の少ない秘境駅として知られています。
この日、見かけた乗降客は、老婆がひとりだけでした。

終点の極楽橋からの急坂のトンネルを下って来た特急列車です。
⑨トンネルから出るこうや (550x367)
ゆっくりと紀伊神谷を通過して行きました。

終着の極楽橋駅に着きました。
⑩こうやと天空 (550x367)
ちょうど、特急「こうや」と「天空」が並んでしました。

極楽橋駅の駅舎です。
⑪極楽橋駅 (550x367)
極楽橋からはほとんどの人が高野山行のケーブルカーに乗り換えるため、この駅で降りる人は滅多にいません。
難波からの特急列車が発着する終着駅とは思えないほど、ひっそりとしており、周囲に民家は一軒もないそうです。

これが駅名になっている極楽橋です。その横を普通電車が発車して行きました。
⑫赤い極楽橋 (550x363)
この駅で降りる人は、この橋を渡って高野山の女人堂に向かってハイキングに行き人ぐらいしかいないそうです。

これは、電車とケーブルカーとを結ぶ連絡通路です。
⑬ケーブル通路 (550x367)
無数の風鈴が風に揺れていました。

来週は、このケーブルカーに乗って行く、高野山のようすをご紹介しましょう。


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  1. 2016/07/24(日) 00:01:49|
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姫新線・播磨新宮駅

姫新線(きしんせん)は、兵庫県の山陽本線姫路駅と、岡山県の伯備線新見駅を結ぶ158・1キロのローカル線です。
けれども、今では全線を通して運転される列車は一本もありません。終点の新見~津山間は一日8往復(平日)の列車しか走らない閑散とした路線ですが、姫路に近づくに従って、列車本数が多くなります。

播磨新宮は、姫路から22・1キロの地点にある姫新線の主要駅のひとつで、姫路から一日33本(平日)もの列車が運転されており、そのうちの26本がこの駅止まりです。

姫路を発車して30分あまり、雄大な揖保川を渡ると、ほどなく播磨新宮に着きます。
①揖保川 (550x367)

姫路からの播磨新宮止まりの列車が、到着しました。
②播磨新宮到着 (550x367)
ここから先に向かう人は、隣のホームで待機中の上月(こうづき)行の列車に乗り換えます。

これが近代的な播磨新宮駅の駅舎です。
③はりま新宮駅H270101 (550x369)
木造駅舎から平成22年に建て替えられました。

駅の近くには、古い街並が続き、何軒もの旧家が建ち並んでいます。
④旧家1 (550x367)
白壁の蔵がある家がいくつもあります。
⑤空地と旧家 (550x367)
⑥旧家2 (550x367)
姫新線の線路の脇にもこんな立派な家がありました。

昔懐かしい広告看板が並んでいました。
⑦懐かしい広告版 (550x367)

こちらは新宮八幡神社です。
⑧新宮八幡神社 (550x367)
大きな鳥居が印象的な神社で、ここには、ムクノキとケヤキの巨木があります。

揖保川に架かる赤い吊り橋です。
⑨揖保川の吊橋 (550x367)
歩行者専用のこの橋は地域住民の貴重な通路になっています。

姫路行の上り列車がやってきました。
⑩姫路行到着 (550x367)

そして、こちらは今から41年前、昭和50年の播磨新宮駅です。
⑪播磨新宮駅S50 (550x381)
今も残る古い街並には、こんな素朴な木造駅舎の方が似合う気がします。
⑫S50入場券 (250x105)
当時、入場券は30円でした。


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  1. 2016/07/10(日) 00:03:01|
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五月晴れの神戸電鉄粟生線

今週は兵庫県の神戸電鉄・粟生(あお)線をご紹介しましょう。

神戸電鉄粟生線は、有馬線の鈴蘭台から分岐して粟生までを結ぶ29・2キロの路線です。
沿線に小野市や三木市から神戸市内への通勤通学客の足として、長年にわたって重要な役割を担っていました。

ところが、近年、高速道路網の発達により、三木など粟生線沿線から神戸の中心部とを結ぶ高速バスが発達し、利用者が激減してしまいました。バスは三ノ宮など市内中心部に直接乗り入れるのに対し、神戸電鉄は新開地で乗り換えが必要な上、運賃や所要時間でもバスの方が優っているため、神戸の都心に向かう通勤客が根こそぎバスに乗り換えてしまったのです。

それにより粟生線は年間10億円以上の赤字を計上しており、廃止がささやかれるようになってしまいました。
しかも、三木市長は「もう鉄道は必要ない」の立場を取っているとのこと・・・。

以前は、15~30分おきに走っていた運転本数も、今では日中、志染~粟生間は1時間に1本しかなく、利便性が著しく低下してしまいました。
そして、それにより、益々乗客が減少するという悪循環に陥っているのが現状なのです。

そんな粟生線を、五月晴れの日に訪ねました。

これは鈴蘭台駅の構内です。
新開地から有馬線を通って来た電車は、六甲山脈を越え、鈴蘭台から粟生線に入ります。
①鈴蘭台 (550x367)
留置線に停車中の電車の脇を通り、有馬線から左方向に粟生線が分岐します。

緑に囲まれた藍那(あいな)駅付近を行く新開地行の準急電車です。
②藍那発車 (550x367)

藍那駅で下り回送電車と上り電車が交換しました。
③藍那交換 (550x360)
藍那からその先の川池信号場までは、単線となります。
かつて、輸送力増強のために押部谷までの複線化を推進しようとしたことがありました。
④複線準備 (398x550)
右手に見える土地は、複線化準備のために整備した土地ですが、工事は中止され、今後、複線化される見込みはありません。

粟生線の中心駅、志染です。
⑤志染 (550x367)
志染から先は運転本数が半減します。

これは、三木上の丸駅です。
⑥三木上の丸駅 (550x367)
昭和12年の開業以来、79年間もの歴史が感じられる古い駅舎です。

駅のすぐ上にある三木城跡から眺めた美嚢川(みのうがわ)橋梁を渡る電車です。
⑦美嚢川橋梁1 (550x367)
三木の街並みの中をゆったりと電車は走ります。
⑧美嚢川橋梁2 (550x367)
三木城址には、かつての三木城主・別所長治公の騎馬像があります。
⑨別所長治公騎馬像 (550x367)
長治公は、羽柴秀吉との戦いで兵糧攻めに合い、22か月間籠城した後、切腹して開城し、共に籠城した配下の兵たちの命を救ったことで有名です。

また、三木は刃物の町です。
⑩金物博物館 (550x367)
三木城跡にある金物博物館には、様々な伝統的な刃物が展示されています。

市内には古い建物がたくさん残されています。
⑪三木高等女学校 (550x367)
これは刃物博物館の近くにある、旧三木高等女學校の校舎です。

そして、これは国の有形文化財に指定されている旧玉置家住宅です。
⑫旧玉置家 (550x367)
この家は文政9(1826)年に建てられたそうです。

こんな家が何軒もあります。
⑬旧家 (550x367)
これら文化的価値のある財産を生かして、観光客を呼び込み、粟生線の活性化につなげられないものかと思います。

こちらは、旧三木鉄道三木線の三木駅です。
⑭旧国鉄三木駅 (550x367)
大正5年に開業した三木線は、播州鐡道、播丹鐡道を経て、昭和18年に国鉄に統合され、さらに昭和60年に第三セクターの三木鉄道に転換されましたが、平成20年に廃止されてしまいました。
⑮旧駅内部 (550x358)
現在は地域の人のふれあい館となり、駅舎内には昔の三木線の資料が展示されています。


三木市内の中心部の踏切を渡る電車です。
⑯三木中心部踏切 (550x367)
これは、粟生線の三木駅。
⑰三木駅 (550x367)
上下線にそれぞれ別の駅舎がありますが、こちらは下り線側にある昭和13年の開業時からの建物です。

上り線側にはこんなトイレがありました。
⑱三木駅トイレ (550x367)

三木駅に下り電車がやって来ました。
⑲三木駅ホーム (550x367)
でも、下り線のホームで電車を待つ乗客は一人もいませんでした。
三木市の中心駅のこの駅も、今では無人駅になってしまいました。

大村駅の駅名票です。
⑳大村駅名票 (550x367)
この鳥居型の駅名票は、今ではこの駅でしか見られなくなってしまいました。


葉多(はた)~小野間のレンゲ畑の中を行く電車です。
㉑葉多~小野1 (550x364)

五月晴れの空の下、鯉のぼりが泳いでいます。
㉒レンゲと鯉のぼり (550x367)
葉多駅の周囲は、こんな美しい風景がひろがっていました。
㉓レンゲ畑 (550x367)

葉多~粟生間に架かる加古川橋梁を渡る下り電車です。
㉔加古川橋梁 (550x367)
この鉄橋を渡ると、間もなく終点の粟生に到着します。

粟生駅ではJR加古川線の電車と接続します。
㉕粟生到着 (550x367)
粟生は神戸電鉄のほか、JR加古川線、北条鉄道の3路線が交わるターミナルです。
㉖粟生駅 (550x367)
今は、こんな、洒落た西洋のお城のような駅舎に生まれ変わっていますが、あたりに人の姿はなく、ひっそりと静まり返っていました。
なんとか、この粟生線が存続できるように願わずにはいられません。



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  1. 2016/05/08(日) 00:01:49|
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水間鉄道を訪ねて

今週は大阪府貝塚市を走る水間鉄道をご紹介しましょう。

水間鉄道は、南海電鉄本線と接続する貝塚駅から水間観音駅までの5・5キロを結ぶ小さな私鉄です。
この鉄道は、水間観音への参詣鉄道として、大正14年に開業しました。

貝塚駅で発車を待つ水間鉄道の電車です。
①貝塚駅
この電車には「運呼」というヘッドマークがついていました。
「運呼」の読み方は、やはり、「う〇こ」。運を呼ぶという仏教のありがたい言葉だそうです。

この電車は東急電鉄の中古車ですが、今も吊革には東急時代の「SHIBUYA109」の広告が残っています。
②109の吊革

この日、購入した切符は1日フリー乗車券。
③1日フリー乗車券
最近、私鉄でよく見かける鉄道娘のキャラクター入りですが、その名前が「いまいち萌えない娘」。
大阪らしいというか、ケッタイなネーミングですね。

途中駅で唯一の交換駅、名越(なごせ)です。
④名越駅ホーム

上下線の列車が、名越駅に並びました。
⑤名越交換風景

名越~森間の急カーブを行く貝塚行の電車です。
⑥名越~森カーブ
後ろには煉瓦造りの古い煙突が見えています。

森~三ツ松間を走る水間観音行がやって来ました。
⑦三ツ松~森
沿線は住宅地に囲まれています。
⑧三ツ松駅停車中
三ツ松駅に停車中。

水間車庫の前を通ると、終点の水間観音駅に到着します。
⑨水間車庫

水間観音をイメージしたこの駅舎は、平成10年に国の登録有形文化財に指定されました。
⑩水間観音駅
この駅は平成21年に「水間駅」から「水間観音駅」に改称されています。
今も「水間驛」の大きな駅名看板が残されています。

駅構内には平成2年に廃車となったモハ501形が留置(放置)されています。
⑬古い電車
⑭古い広告
車内をのぞくと、昔の額面広告がそのまま残っていました。

さて、駅から歩いて8分ほどの場所に水間観音があります。
⑪水間観音
このお寺は、6世紀の天平年間の開創とされる古刹で、正式には天台宗別格本山水間寺といいます。
⑫三重塔
三重塔もなかなか立派ですね。

そして、これは昭和57年、水間駅構内の電車たちです。
⑮s57水間駅

そして、こちらは、昭和57年に使われていた水間鉄道のきっぷです。
⑯昔の切符⑰車内券
右側の2枚は当時、車内で車掌さんが販売していた車内券です。
今では、すべてワンマン運転になってiいます。

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  1. 2016/01/24(日) 00:00:02|
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昭和47年2月/摂津本山~住吉間を走る優等列車たち

時は昭和47年2月、「ひかりは西へ」のキャッチフレーズで山陽新幹線が新大阪から岡山まで延伸する直前のことです。
今から43年前、山陽九州方面に向かう列車は、主に新大阪で東海道新幹線に接続し、東海道本線、山陽本線を数多くの優等列車が走っていました。

当時、神戸市東部に住んでいた私は、生まれて初めて東海道本線の摂津本山~住吉間で鉄道写真を撮影したのです。
カメラは一眼レフではなく、YASHICA electro35という旧式の35ミリカメラでした。

これは、当時、熊本~名古屋間を走っていた特急「つばめ」です。
つばめ熊本~名古屋
「つばめ」というと、戦前から国鉄の花形列車で、東海道新幹線開通以前は、東京~大阪・広島間を走っていましたが、それ以後は、主に山陽本線に活躍の舞台を移しました。

「つばめ」と並行して博多~名古屋間を走っていたのが急行「玄海」です。
B玄海・博多~名古屋

そして、こちらは新大阪~大分間の臨時急行「べっぷ」で、博多行の「つくし」と小倉まで併結して走っていました。
べっぷ大分~新大阪
このころは、特急列車が走る路線には、必ず並行して急行列車も走っていたのです。
特急列車は文字通り特別の急行列車で、昼間の特急には必ず食堂車が連結されていましたが、残念ながら当時貧乏学生だった私が乗ることは滅多にありませんでした。

「つばめ」と並んで、かつての花形列車だったのが特急「はと」です。
はと博多~新大阪[月光)
この当時、博多~新大阪間を走る「はと」は、583系という働き者の電車で運行されていました。
というのは昼間は特急「はと」として走り、夜になると折り返して寝台特急「月光」として同じ区間を走りました。
それだけ当時は鉄道の需要が多い時代だったのです。

これは、四国連絡特急として新大阪~宇野を結んでいた「うずしお」で、当時、一日3往復運転されていました。
うずしお宇野~新大阪
けれども、当時はまだ、急行列車がメインで、この区間を一番多く走っていた優等列車は「うずしお」と同じ宇野~新大阪間の急行「鷲羽」でした。
鷲羽
「鷲羽」は夜行を含む定期列車だけで一日10往復、多客時には13往復も運転されていたのです。

これは、特急「しおじ」です。
Bしおじ新大阪~下関
広島~新大阪間に3往復、下関~新大阪間に2往復走っており、当時の山陽本線の主役でした。

そして、「しおじ」に並行して走った急行列車が、下関~新大阪間の「ながと」、
ながと下関~新大阪
三原~新大阪間を3往復した「とも」、
Bとも新大阪~三原
そして、広島~新大阪間を呉線経由で走った「宮島」でした。
B宮島新大阪~広島

また、山陽本線から支線に乗り入れる列車もありました。
これは、新大阪~出雲市間を倉敷から伯備線を経由して結んでいた特急「おき」です。
Bおき新大阪~出雲市

そして、こちらは大阪~中国勝山間を姫路から姫新線に乗り入れる急行「みまさか」です。
みまさか中国勝山~大阪
このほか播但線に乗り入れる「但馬」や、姫新線からさらに因美線に乗り入れる「伯耆(ほうき)」という急行列車もありました。

こちらは、熊本~京都間の寝台特急「きりしま」です。
きりしま西鹿児島~京都
「はと」「月光」と同じ583系電車で、熊本~京都間を運転していました。

そして、最後は神戸駅に停車中の熊本発新大阪行の寝台特急「明星2号」です。
B明星熊本~新大阪
この列車は、私が学生時代に乗った唯一の寝台特急列車でした。
大枚、寝台券1600円、特急券1200円を払って乗った広くて窓の大きい下段寝台は快適な夜だったことを覚えています。
当時、貧乏学生だった私は、頻繁に夜行列車を利用していましたが、この時以外はすべて廉価な急行か鈍行列車しか乗らず、そのほとんどが固い座席の自由席車だったのです。

あの頃は、多種多様な行先の列車が日本中を縦横無尽に走り回り、幹線には特急と急行が走り、乗る列車を選ぶことができた時代でした。
無機質な新幹線全盛の今から思うと、夢のような、いい時代に思えてなりません。

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  1. 2015/11/29(日) 00:02:06|
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秋の京阪電車・石山坂本線

今週は、滋賀県を走る京阪電車・石山坂本線に乗って秋の沿線をご紹介しましょう。
石山坂本線は、大津市内を南北に結ぶ石山寺~坂本間14.1キロの路線で、2両編成の電車がコトコトと走っています。

こちらは、起点の石山寺駅です。
①石山寺駅
駅には、この線のイメージキャラクターの鉄道むすめ「石山ともか」ちゃんの看板が立っていました。
②石山ともか
最近は各地の私鉄でこのような鉄道むすめをみかけますね。

駅から歩いて10分ほどの距離に石山寺があります。
③東大門
これは、東大門です。

境内は正に紅葉真っ盛り。
④本堂
本堂は燃えるような紅葉に囲まれていました。

⑤多宝塔
そして石庭の向こうに見えるのが多宝塔です。

これは唐橋前付近を行く近江神宮前行の「トーマス電車」です。
⑥唐橋前付近
時々、トーマスの声で車内アナウンスの沿線案内がありました。

瀬田川に架かる瀬田の唐橋は、古来から東国から京の都へ向かう重要な拠点とされており、山口県の錦帯橋、山梨県の猿橋と並んで、日本三名橋のひとつとも言われています。
⑦瀬田の唐橋
瀬田の唐橋は、唐橋前駅から歩いて3分ほどの場所にありますが、今は頻繁にクルマが通る道路橋です。

これが、石山坂本線の中心駅・浜大津です。
⑧浜大津
浜大津からは京都方面への京津(けいしん)線が分岐しています。
⑨京津線
京津線の電車は、御陵(みささぎ)から京都市営地下鉄東西線に乗り入れています。
浜大津付近では、こんな大きな電車が路面を走っているのです。

浜大津を発車した坂本行の電車です。
⑩浜大津路面
石山坂本線の電車は、浜大津を出ると、次の三井寺まで路面併用区間を走ります。
この区間は道幅が狭いため、電車とクルマは、道路の同じ場所を走ります。
⑪浜大津~別所
建物のすぐ横の道路を電車が走っているのです。

これは、近江神宮前駅です。
⑫近江神宮前
この駅の近くには車庫があり、約半数の電車がこの駅止まりです。

近江神宮には駅から歩いて7分ほどで着きます。
⑬近江神宮
あたりに人が少なく、広大な境内はひっそりと静まり返っていました。

近江神宮の大鳥居の前をの踏切を電車が通過しています。
⑭大鳥居
電車がこのあたりの風景にすっかり馴染んでいる感じです。

近江神宮前~南滋賀間を行く石山寺行の「ちはやふる電車」です。
⑮ちはやふる
この線では、期間限定で色々なラッピング電車が走っています。

南滋賀駅に坂本行がやって来ました。
⑯南滋賀駅

そして、こちらが終点の坂元駅です。
⑰坂本駅

駅の近くには古風なお蕎麦屋さんがありました。
⑱日吉そば

これが近くにある日吉大社東本宮です。
⑲日吉大社東本宮

そして、こちらが西本宮。
⑳西本宮
境内は厳かな雰囲気に包まれていました。

この日は石山坂本線と京津線が一日中乗り放題の1dayきっぷを利用しました。
IMG_20151114_0001.jpg
なお、京阪電鉄は、京津線と石山坂本線を合わせて大津線と呼んでいます。

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  1. 2015/11/15(日) 00:24:55|
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今はなき南海和歌山港線・水軒駅

かつて、南海和歌山線に水軒(すいけん)という小さな終着駅がありました。
和歌山市と水軒を結ぶ和歌山港線は、主に、和歌山港から四国・徳島に向かう南海フェリーの接続路線として機能しており、今も大阪の難波から特急「サザン」や急行列車が運転されています。その和歌山港駅から先、わずか2.8キロの路線が平成14年5月まであったことを知る人は、地元の人でも少ないかもしれません。なにしろ、この和歌山港~水軒間は、一日わずか2往復の普通電車が走っていただけだったのですから。

この区間は、木材などの港湾貨物輸送を目的とし、和歌山県の手によって昭和46年に開業しました。けれども、その時点で貨物輸送はすべてトラックにシフトされており、本来の目的で、この線に貨物列車が走ったことは一度もありません。この区間の路線は和歌山県が第三種鉄道事業者として所有し、第二種鉄道事業者の南海電鉄が運行を担っていたのです。そのため、南海電鉄とし
ても勝手に廃止するわけにいかず、開通から31年もの間、ごく少数の客だけを運び続けていたのでした。

これは昭和58年の水軒駅の錆びついた駅名票です。
①S58 駅名票
電車の客もほんの数名しかいませんでした。
②S58ホーム

そして、これは平成14年5月、廃止8日前の和歌山港駅で発車をまつ水軒行の電車です。
③H14和歌山市駅

和歌山港駅に表示された水軒行の行先表示と時刻表です。
④駅行先表示パタパタ⑥時刻表
阿佐、9時台と15時台にしか電車は走りません。これでは、地元の人が利用しようにも、通勤通学に使うこともできません。

水軒駅に佇む、朝の折り返し電車です。
⑦水軒駅
あと8日で廃止されると言うのに、訪れる鉄道ファンの数もまばらでした。

線路の端にある車止めが寂しそうです。
⑧車止め
駅構内が意外と広いのは、当初、ここを貨物の集積場としようと計画されたからでした。

駅の横には、古ぼけたトイレがあるばかりでした。
⑨トイレ
トイレの壁には手書きの時刻表と、運賃表が掲示されていました。

和歌山港駅の駅名票です。
⑤和歌山市駅名票
和歌山港線は、和歌山港~水軒間が廃止された3年後の平成17年には、和歌山港~和歌山市間にあった途中駅、築港町、築地橋、久保町の3駅も利用者が少ないため、廃止されました。今では、和歌山港駅だけが残っていますが、四国への航路に連絡するこの駅も、平成24年には無人駅になってしまいました。


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  1. 2015/09/27(日) 00:01:18|
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近鉄橿原線・尼ヶ辻駅付近で古代のロマンに浸る

今週は近畿日本鉄道橿原線の尼ヶ辻駅とその周辺をご紹介しましょう。

ここは普通電車しか停車しない奈良市郊外の小さな駅です。あたりは静かな住宅街と畑などが点在する地域で、近くには唐招提寺や薬師寺をはじめ、多くの大小の神社仏閣があります。
①ホーム
橿原神宮行の特急が通過して行きます。

これが尼ヶ辻駅の出入り口で、改札口は地下にあります。
②駅入口
駅前には「菅原喜光寺天満宮道從是四町餘北」と彫られた大きな古い石標が建っています。奈良を歩いていると、このような石標によく出会います。平安時代の貴族で学者でもあった菅原道真公は、このあたりが生誕の地と言われています。

駅のすぐ近くに広大な垂仁(すいにん)天皇陵があります。
③垂仁天皇陵1
垂仁天皇は神武天皇から数えて第十一代目にあたる天皇です。それは正に神代の時代。その生涯は西暦紀元前69年から紀元後70年までの、なんと139年間、天皇在位はそのうちの99年間とされています!古代の天皇の多くは百歳以上生きたことになっていますが、これはもはや、完全に神話の世界ですね。
④垂仁天皇陵2
神話の世界でも、ここは宮内庁が管理しており、陵の前には宮内庁の立札があります。
⑤垂仁天皇陵3
陵には鳥居が恭しく建立されており、参道に敷かれた砂利はきれいに掃き清められています。そして、あたりには厳粛な雰囲気が漂っています。その天皇が実在したか否かはともかく、時にはそんな神話の世界に思いを馳せ、悠久のロマンに浸るのもよいのではないでしょうか。

そんな厳かな場所の脇を近鉄特急が疾走して行きます。
⑥特急
ここは、京都から大和西大寺を経て、橿原神宮までを結ぶ特急や急行が頻繁に通過します。
⑦急行
そして、電車が行ってしまうと、あたりは静寂に包まれるのです。
⑧普通

近くに垂仁天皇陵と並んで、安康天皇陵への石標を見つけました。
⑨安康天皇陵
このあたりは、神代の時代、そして平城京のありし頃から現代まで延々と続く悠久の歴史を刻み続けているのです。

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  1. 2015/06/28(日) 00:02:37|
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春の平安神宮

今週は、4月中旬に訪れた京都の平安神宮をご紹介します。
京都への観光客が、一度は必ず訪れるといわれる平安神宮は、京都の中心部の岡崎にあります。平安遷都1100年を記念して、明治28年に創建されました。ご祭神は、延暦13年(西暦794年)に平安遷都を行なった桓武天皇です。

これが、日本一の大鳥居です。
①大鳥居
真っ赤なその姿は京都のシンボルともいわれています。


こちらは蒼龍楼・白虎楼です。
②蒼龍楼・白虎楼
平安京朝堂院の様式を模して造営されました。

そして、こちらは本殿にあたる大極殿です。
③大極殿
いずれも、国の重要文化財に指定されています。

神苑に入ると、日本最古の電車が静態保存されています。
④最古の電車
これは、平安神宮が創建されたと同じ年、明治28年に京都電氣鐡道(後の京都市電)が運転を開始した日本最古の電車です。ただ、保存状況がかなり悪く、痛みが激しいのが気になりました。来年開館予定の京都鉄道博物館に移転して整備すればいいのにと思います。

さて、神苑は、面積33000㎡の広大な池泉回遊式庭園で、国の名勝に指定されています。
苑内では、枝垂桜が満開でした。
⑤枝垂桜
なんともいえない美しさです。
⑥美

池の向こうにある建物は尚美館と呼ばれる貴賓館です。
⑦尚美館(貴賓館)
ここでも枝垂桜が咲き誇っていました。


池を跨ぐ橋殿です。
⑧橋殿1
なんとも雅な雰囲気の建物です。
⑨橋殿2
大勢の観光客でにぎわっていました。

枝垂れ桜は満開でしたが、染井吉野は、散り初めでした。
⑩散り初め桜
桜が散ると、次は紫の菖蒲が池を彩ることでしょう。
⑪散り初め桜2
訪れる人をはるかな平安の世界へといざなってくれるのが、平安神宮なのです。
秋に訪れると、また、違った表情を見せてくれることでしょう。

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  1. 2015/05/17(日) 00:02:16|
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北条鉄道の旅

今週は兵庫県西部の田園地帯を行く北条鉄道にご案内します。
百年の歴史を持つ北条線は、大正4年に播州鐡道として開業し、大正12年には播丹鐡道、さらに昭和18年に国鉄北条線となった後、国鉄末期の昭和60年に第三セクターの北条鉄道となりました。

これは、始発駅の粟生(あお)で発車を待つ北条鉄道の列車です。
①粟生駅
粟生ではJR加古川線と、神戸電鉄粟生線に接続しています。

途中駅の法華口で途中下車をしました。
②法華口駅
駅舎の横には法華山一乗寺の三重塔を模した塔が建っています。

田園地帯を列車がやって来ました。
③田園地帯
法華口~播磨下里間の鉄橋を渡ります。
④法華口~播磨下里

これが播磨下里駅です。
⑤播磨下里駅
ここも古い駅舎が残されています。無人駅ですが、月に数回、お寺の住職がこの駅にやって来て、ボランティア駅長を務め、駅舎内で読経が行なわれるそうです。

終点の北条町に着きました。
⑥北条町駅ホーム
粟生からわずか、13.6キロの小さな旅です。

これが現在の北条町駅です。
⑦北条町駅H2701
今は三角屋根のお洒落な駅舎に生まれ変わりましたが、平成13年までは、開業時以来、この街の表玄関であった瓦屋根の駅舎が健在でした。
⑧北条町駅S51
これは昭和50年の国鉄北条町駅です。
⑨S49入場券

そして、こちらは三セク化直後の北条町駅で発車を待つレールバスです。
⑩S63北条町駅
⑪一周年記念券

これは、駅から歩いて10分ほどの場所にある羅漢寺の五百羅漢です。
⑫北条町五百羅漢
駅は変わっても、物言わぬ羅漢様は、いつ訪れても落ち着いた表情を見せてくれました。

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  1. 2015/04/19(日) 00:01:14|
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山陰本線・八木駅

今週は京都府南丹市にある山陰本線の八木駅をご紹介します。
IMG_4545.jpg
南丹市は、平成の大合併により、旧園部町、八木町、日吉町、美山町が合併してできました。八木駅は、かつての八木町の中心駅で、正面に丸窓のある昔ながらの木造駅舎が健在です。

周辺はのどかな田園地帯です。
IMG_4539.jpg
京都行の上り電車が発車して行きました。

この駅には国鉄時代の面影が、色濃く残されています。
IMG_4546.jpg
この青い木製の行先案内板も、時代を感じさせてくれますね。

京都と福知山の中間にあるこの駅の周辺には、古いお寺が点在しているようです。
IMG_4548.jpg
いつか、そんな無名のお寺のある山里を歩いてみたいな。

蒸気機関車に引かれた旧型客車がよく似合いそうなこんな古い跨線橋が残されています。
IMG_4550.jpg
あたりには冷たい雨が降っていました。

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  1. 2015/01/25(日) 00:02:17|
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甦った信楽高原鐡道

今週は、滋賀県南部を走る信楽(しがらき)高原鐵道をご紹介します。

国鉄信楽線として敷設されたこの線は、これまで幾多の苦難の歴史を辿ります。戦時中には、不要不急路線として運転休止を余儀なくされ、戦後、復活したものの、昭和56年には、国鉄第一次廃止対象線区に指定されてしまいました。しかし、地元の熱意により、昭和62年の国鉄民営化直後に第三セクターの信楽高原鐵道となったのです。
ところが、その4年後に、死者42名を出した列車の正面衝突事故が起き、長期間の運休を余儀なくされました。
その後、運転を再開したものの、一昨年9月の台風により鉄橋を流されたため、またしても存亡の危機に陥ったのです。けれども、今回も地元の熱い支援により鉄橋が修復され、昨秋11月29日に1年2か月ぶりに運転を再開したのです。

こちらは、JR草津線と接続する貴生川駅で発車を待つ信楽行の列車です。
1貴生川駅
タヌキのイラストがかわいいですね。

運転再開を祝する文字が並びます。
2サボ3看板
復活して、本当によかったなあ。

これが、台風で流された杣川(そまかわ)鉄橋です。
4鉄橋
信楽行の列車が颯爽と通過して行きました。真新しいコンクリート柱が頼もしく感じます。

鉄橋を渡ると、築堤の上を走り去って行きました。
5築堤
ここから、列車は信楽へ向かう急坂に挑みます。

途中駅の雲井です。古い木造駅舎に駅員がいたのはいつの頃までだったのでしょうか。私が初めてこの線を訪れた42年前も、すでに無人駅でした。
6雲井駅
駅前に立つ立派な木が印象的ですね。

雲井~勅使間を行く列車です。
7雲井~勅使
静かな雑木林の中を列車は走ります。

こちらは、玉桂寺前~信楽間を行く列車です。
8玉桂寺前~信楽
ここまで来ると、終点の信楽は目の前です。

信楽駅のホームです。
9信楽駅ホーム
ホームではたくさんの信楽焼のタヌキたちが出迎えてくれました。

大タヌキがいる信楽駅前です。
10信楽駅
大タヌキ君は、サンタクロースの衣装姿でした。

居酒屋によくいるタヌキ君と近江の地酒「喜楽長」です。
11地酒と狸12狸(縦
とにかく、街中タヌキだらけ。

布袋さんと大タヌキが並んで立っていました。
13狸と神様

大勢並んでいるところを記念撮影!
14狸たくさん
なんともユーモラスな信楽のタヌキたちでした。

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  1. 2015/01/18(日) 00:01:32|
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山陰本線・下夜久野駅と上夜久野駅

今週は山陰本線の下夜久野駅と上夜久野駅の周辺にご案内しましょう。
このあたりは、京都府と兵庫県との県境付近に位置し、かつては夜久野(やくの)町と呼ばれていました。けれども、平成の大合併により、近くの大江町と三和町と共に平成18年に福知山市に吸収合併され、その町の名は消えてしまいました。日本標準時の明石市の真北に位置していて、子午線の通る町としてPRしていたものです。

下夜久野~上川口間に架かる第二牧川橋梁に普通列車がやってきました。
IMG_4730.jpg
朝霧の中、なんだか、いい田舎の風景です。

これが下夜久野駅です。下夜久野駅と上夜久野駅は普通列車しか停車しない山あいの小さな駅です。
IMG_4745.jpg
かつての木造駅舎はなく、今は自動車販売店の建物の一部を間借りしているような感じです。

ホームに通じる跨線橋の内部です。
IMG_4737.jpg
無人駅になって久しく、そこには小さな券売機が設置されているだけでした。

ホームにある木造の待合室ですが、中には列車を待つ人は誰もいませんでした。
IMG_4739.jpg
きれいに塗装されていましたが、この待合室の入口には、大正5年の財産標がありました。
IMG_4742.jpg

このあたりは農業が盛んで「農匠の郷」という看板がありました。
IMG_4740.jpg
でも、はたして、列車でここを訪ねる人がいるのでしょうか?

こちらはお隣の上夜久野駅です。
IMG_4747.jpg
道路から離れているため、本当にひっそりとした山里にあります。

駅舎は撤去され、長いホームが、かつて長大編成の列車が発着していたころを思い出させてくれます。
IMG_4758.jpg
でも、この駅で列車を待つ人は、老婆がひとりだけでした。

駅前にある古びた案内図です。
IMG_4746.jpg
もう50年以上はたっているでしょうね。この看板に記載された商店のうち、はたして何軒が現存しているのでしょうか。

駅の近くを特急「こうのとり」が通過して行きました。
IMG_4764.jpg
381系という国鉄時代の車両がまだ現役で頑張っています。

下夜久野切符2上夜久野切符
国鉄時代の乗車券です。この両駅が無人化されたのは、昭和59年のことでした。



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  1. 2014/06/22(日) 00:10:20|
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大阪環状線・天満駅

きょうは先週に引き続き大都会の駅、大阪環状線の天満駅をご紹介しましょう。

大阪駅から京橋・鶴橋方面の電車に乗って次の駅が天満です。
IMG_7969.jpg
この駅には大阪環状線内をグルグルと周回する赤い電車と、環状線を時計と逆回りに天王寺まで行き、天王寺から関西本線の奈良・木津方面に直通する大和路快速と、阪和線に乗り入れて和歌山、関西空港に直通する紀州路快速、関空快速がやって来ます。

IMG_7973.jpg
改札口を出ると、困ったことに、いつ来ても放置自転車が並んでいます。


そして、駅のすぐ東側には、昔ながらの商店街が続き、下町情緒にあふれています。
IMG_7978.jpg
でも、そのすぐ後ろには高層マンションが見えています。

天満と言えば、なんといっても天神橋筋商店街が有名です。
IMG_7990.jpg
全長2.6kmと直線では日本一の長さを誇るアーケードが続きます。約600店ものお店が、なにわの商魂たくましく並んでいます。

大阪と言えば、やはりお好み焼きと串カツですね。
お好み焼き串カツ
このあたりは、正にコテコテの大阪を感じさせてくれる街なのです。

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  1. 2014/05/18(日) 00:07:21|
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桜並木を行く阪急神戸線・甲陽線

今週は引き続き、桜シリーズ第三弾、桜並木に囲まれた阪急神戸線と甲陽線を走る電車をご紹介します。
私事ですが、阪急神戸線は私の故郷を走る電車です。昔から変わらぬマルーンカラーと呼ばれる独特の栗色の車体は、どこか上品さを感じさせてくれます。そんな電車が、4月になると沿線に咲き誇る桜並木の中を走ります。
IMG_0273岡本御影①
IMG_0277岡本御影②
これは、いずれも、岡本~御影間です。岡本駅には阪神大震災後、特急電車が停車するようになりました。
これは、普通しか停車しない最寄りのJR摂津本山駅に対抗するためです。

岡本~芦屋川間です。
IMG_0308岡本芦屋川
「さくら」のヘッドマークをつけた電車がやってきました。

これは、夙川(しゅくがわ)駅付近です。
IMG_0313夙川

夙川で甲陽線に乗り換えましょう。
IMG_0324苦楽園口①

苦楽園口~甲陽園間の夙川鉄橋を渡る電車です。
IMG_0348苦楽園口②

夙川に沿って多くの桜の木があり、開花シーズンになると、このあたりは多くの花見客でにぎわいます。
IMG_0361苦楽園口③
桜並木の中を3両編成の電車がのんびりと走って行きました。

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  1. 2014/05/04(日) 00:00:16|
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【播州の廃止線③】別府鉄道 野口線・土山線

今週は、『BanCal』に掲載した「播州の廃止線」第三弾(最終回)です。原文をそのまま掲載しています。


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【別府鉄道・野口線】 (野口~別府港/3・7キロ)
【土山線】 (別府港~土山/4・1キロ)昭和59年2月1日廃止
⑥1別府鉄道野口線
別府鉄道野口線は、元々は沿線にある工場から化学肥料を運搬するために大正10年に敷設された軽便鉄道であった。その後、土山線の開業により貨物輸送は、土山線に移行した。
廃止2年前の昭和57年に、別府鉄道に乗った。野口駅では、互いに接続する国鉄高砂線の列車と同時に発車する。国鉄のキハ20と比べて、いかにも見劣りがする老朽化した気動車が、工場や住宅の並ぶ沿線をガタガタと走っていた。車内には背もたれの低い4人掛けのボックスが10個並んでいたが、乗客はごくわずかしかいなかった。それでも、一日9往復の列車が行き来した。わずか3・7キロの間に、駅が4つもある。まるでバスのようだが、途中駅からの乗降客はいなかった。わずか11分で終点の別府港に着く。広い構内には、数量の貨車が並んでいた。


⑥2別府鉄道土山線混合列車
⑥3別府鉄道土山線客車
やがて、長い竹竿のような手動式踏切の遮断機が下りた。すると、小さな青いディーゼル機関車に引かれた、土山線の旅客と貨物の混合列車がやってきた。4両の貨車の前に一両だけ連結された古い客車は、まるでマッチ箱のようである。それは車体の両端のデッキは手すりがあるだけの、遊園地の豆汽車のようであった。この時、すでに山陽新幹線が博多まで開通して9年が過ぎ、神戸にはポートライナーも走っていた。そんな時代に、ここだけ、時代に取り残されたかのような戦前の遺物のような列車が走っていたのである。
この列車は貨車を別府港で切り離し、機関車と客車の2両だけで、折り返し土山行となった。土山線の旅客列車は一日わずか4本しかない。途中には中野という小さな無人駅がひとつあるだけ。機関車からの振動がガクンと直接客車に響く。小さな客車のドアは手動式で開けっ放し、後ろのデッキから遠ざかる線路が見渡せた。
⑥4別府鉄道切符⑥5別府鉄道車内乗車券

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  1. 2014/04/06(日) 00:01:18|
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【播州の廃止線②】三木線・高砂線

今週は、『BanCal』に掲載した「播州の廃止線」第二弾です。原文をそのまま掲載しています。

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【三木線】(厄神~三木/6・8キロ)平成20年4月1日廃止
 神戸電鉄三木駅から美嚢川を渡り、落ち着いた瓦屋根の町並みの中を歩いたところに国鉄三木駅があった。三木を発車すると、広々とした田園地帯をのどかに走る。別所を過ぎ、石野には木造の古い駅舎に駅員の姿があった。国鉄時代、列車は厄神から加古川線に入り、山陽本線の加古川まで直通した。ほとんどの客はそのまま加古川まで乗り通したものである。
③1三木駅
国鉄末期に廃止対象線区となったが、昭和60年に第三セクターの三木鉄道に転換された。車両を小型化して合理化し、駅を新設したり、列車本数を増やしたりと集客の努力がなされたが、加古川への直通運転を取りやめて利便性が損なわれたことと、三木市の人の流れが、逆方向の神戸の方を向いていたため、客足が伸びなかった。
廃止の一年半ほど前の夏に、三木からと途中駅の石野まで乗った。列車は、稲の穂が垂れてきた田んぼの中を、コトコトと走る。案山子を右に見るうち、わずか七分で石野に到着。降りたのは私ひとり。石野から乗る客もいない。無人駅になって久しく、駅舎の事務室は固く閉ざされ、出札口には板が打ち付けられていた。あたりは蝉たちの競演である。線路脇の草むらでは「ギース、ギッチョン」とキリギリスが負けずに大声を張り上げていた
③2三木鉄道開業時のレールバス
(3セク化直後のレールバス)
③3三木線切符
(国鉄時代の入場券)


【高砂線】 (加古川~高砂/6・3キロ)昭和59年12月1日廃止
④1高砂駅
かつて、加古川駅の地上ホームからは、加古川線を経由する三木線、北条線、鍛冶屋線の列車と、高砂線の列車が次々と発車した。高砂線は加古川市と高砂市という二つの都市を結ぶ短い線で、私が初めて訪れた昭和55年には、すでに、すべての駅が無人駅で、車掌が車内で切符を売っていた。4番線から発車する高砂行の列車は、加古川線の列車とは逆方向に神戸方面に発車すると、すぐに山陽本線を跨ぎ、築堤を越えたところに野口駅があった。この駅は別府鉄道に接続しており、高砂行が発車すると、別府港行が同じ方向に同時発車する光景がしばしば見られたものである。
④2高砂駅名票
晩秋の日が落ちたころ、高砂駅には二両編成の気動車が発車を待っていた。構内の腕木式信号が青になると、列車はブルルルルとディーゼルエンジンを響かせながら、おもむろに発車した。乗客はまばらである。座席はすべてロングシートで、ドアに近い握り棒には灰皿が設置されており、車内はタバコ臭かった。
私は二駅目の尾上で降りた。周囲に民家の光が点在しているが、人の気配はない。街灯に照らされて、線路がキラリと光っている。やがて、山陽電車の通過する音が聞こえた。
⑤加古川支線各線車内乗車券
(加古川支線で使われていた車内補充券)

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  1. 2014/03/30(日) 00:08:31|
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【播州の廃止線①】国鉄播但線・飾磨港支線/鍛冶屋線

今週から、3回に分けて兵庫県姫路の地域情報誌『BanCal』に掲載した記事をこちらに転載します。
本文をそのまま掲載していますので、いつものブログの文体と異なっています。

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【播但線・飾磨港支線】(姫路~飾磨港/5・6キロ)昭和61年11月1日廃止
①1飾磨港駅普通列車

 播但線に姫路から飾磨港に向けて南に走る支線があったことは、もはや、地元の人でも記憶にないかもしれない。
山陽新幹線の高架を右に見て、姫路駅のはずれから発車した飾磨港行のたった一両の気動車は、少数の客を乗せてのんびりと発車した。姫路駅構内の広大なヤードを抜け山陽本線と分かれると、やがて、県道に面した亀山に着く。三重県にある亀山駅は、関西本線が紀勢本線を分岐する鉄道の要衝駅だが、こちらの亀山駅は屋根のないホームだけの小さな駅だ。やってくる列車は朝夕の上下二往復のみ。休日の朝は人影がない。それでも、このあたりは住宅も多く、県道には、この列車のことを無視するかのように頻繁に車が行き交っていた。列車はさらに飾磨に停車したあと、すぐに終着飾磨港に着く。姫路から、わずか一三分の小さな旅である。

①2飾磨港駅名票
 飾磨港駅には駅員の姿があり、小屋のような駅舎では姫路行の列車に乗るため、数人の客が待っていた。わずかながらも地元住民の足として機能していたのである。駅構内は広いが、引込線の線路は錆付いていた。私は折り返しの列車に乗り、飾磨で降りた。この駅の構内はさらに広く、何両もの貨車が留置されていて、貨物輸送が主体だったことがわかる。貨物要員だろうか。駅には大勢の国鉄職員がいて、姫路行が発車すると、整列して体操を始めた。次の旅客列車は10時間後までやって来ない。
①3飾磨港線切符


【鍛冶屋線】(
野村~鍛冶屋/13・2キロ)平成2年4月1日廃止
②1鍛冶屋駅
 あの秋の日、鍛冶屋駅の錆びた線路脇に彼岸花が咲いていた。赤い列車に赤い花。古風な駅舎によく似合う風景だった。播州平野をのんびりと走る二両編成の気動車には、多くの地元の乗客の姿があった。開け放った窓からの秋の空気が気持ちいい。収穫直前の黄金色の稲の穂が風に揺れている。途中駅の中村町にも木造駅舎があり、初老の駅員がいて硬券の切符を売っていた。
②2鍛冶屋駅名票

鍛冶屋線は、三セク化された北条線や三木線(その後廃線)よりも利用者が多かった。大半の列車が野村(現西脇市)から加古川線を経て加古川まで乗り入れており、地元の貴重な足として機能していた。特に起点の野村から西脇までの利用者が多く、沿線に大規模団地の造成が予定されていたため、廃止対象線リストからはずされた。 だが、その後利用者が伸びず、三セク後の両線の苦戦ぶりを見て、地元が存続に消極的になり、三線の中で最も利用者の多い鍛冶屋線が最初に廃止されたのは、誠に皮肉なことである。
②3鍛冶屋線切符②4鍛冶屋線切符2

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  1. 2014/03/23(日) 00:14:06|
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赤川鉄橋の風景

きょうは、珍しく貨物線の話題です。
先日、大阪市を流れる淀川に架かる城東貨物線淀川橋梁を訪れました。地元では通称「赤川鉄橋」と呼ばれており、東淀川区の淡路地区と、旭区の赤川地区の間の約610メートルを結んでおり、18連の見事なトラス橋が架けられています。
①全景
この鉄橋が変わっているのは、線路と歩道が鉄橋の上を並行していることです。複線用に建設されましたが、線路は単線としてしか利用していないので、近くに他に橋がないこともあり、空いているスペースを歩行者専用橋として開放し、これを赤川仮橋と名付けました。開通したのは昭和4年。以来、80年以上にわたって「仮橋」のまま地元の人たちの歩道として利用されてきたのです。

これが、淡路側の橋の入口です。右側を列車が、左側を人が通ります。
②淡路口
ところが、この珍しい風景も、今月(10月)末で見納めとなることになりました。というのは、この貨物線を利用して旅客営業を始めるため、複線化されることになり、歩道が廃止されてしまうからです。
③工事
これは、鉄橋以外の部分で始まっている複線化工事の現場です。現在、関西本線の久宝寺と片町線の放出の間で暫定開業している「おおさか東線」を放出から延伸して、新大阪までを結ぶ計画で、平成30年度に開通する予定です。

吹田方面への上り列車がやって来ました。
④上り列車
長大編成のEF81牽引の貨物列車の通過していきます。鉄橋の上で大きな列車が真横を通過していくと、迫力があるというか、怖いぐらいです。

貨物列車が走る鉄橋の横を、当たり前のように自転車やランニング中の人が通っています。
⑤上り列車2
でも、こんな風景が見られるのもあとわずかです。

赤川寄りの河原に下りてみました。
⑥河原
10月というのに最高気温が30度を越える暑い日でしたが、青空にススキの穂がきれいでした。
ここで、次の下り列車を待っていたのですが、14時ごろに通過するはずが、いつまでたってもやって来ません。
貨物列車は走行距離が長いので、大幅に遅れることがしばしばあります。

河原で退屈していると、一匹の猫が寄って来ました。
⑦猫
じっと、こちらを見ているのですが、近寄ると逃げてしまいます。毛並みの良さそうな猫でしたが、この河原に住んでいる野良猫でしょうか。

やがて、踏切の音が聞こえ、定刻より約90分遅れて百済貨物ターミナル行の列車がやってきました。
⑧下り列車
よく見ると、鉄橋を行く機関車のすぐ横に人がいるのが見え、まるで線路内に人が立ち入っているかのように見えますが、そうではありません。


そして、その10分後にも下り列車がやって来ました。
⑨下り列車
カメラを構えている人が何人もいます。

橋のたもとには、赤川仮橋閉鎖を知らせる看板が立っていました。
⑩看板
この風景が見られるのもあと、わずかです。行かれる方はお早めにどうぞ。但し、貨物列車の運転本数は曜日によって違いますが、一日7~8本と少ないので、事前に調べて行かれることをお奨めします。大阪駅から井高野車庫行きバスで東淡路一丁目、または京橋駅行バスで赤川1丁目で下車すると、いずれも歩いて5分以内で橋のたもとに着きます。
  1. 2013/10/20(日) 00:00:40|
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どうなる信楽高原鐵道

さる9月15日に上陸した台風18号の影響で、滋賀県の信楽(しがらき)高原鐵道が不通になっています。この線は昭和62年に国鉄信楽線を継承した第3セクター鉄道で、JR草津線の貴生川から信楽までの14.7キロを結んでいます。ところが、貴生川駅に近い杣川(そまがわ)が豪雨のために氾濫し、この川に架かる鉄橋が流されてしまったのです。
img_1041869_32144255_0[1](この写真はyahoo画像からお借りしました)

これは、3セク転換直後、昭和63年の貴生川駅です。
①貴生川駅
実は、私は信楽線には、国鉄時代から3回訪れましたが、この時以来、一度も行っていなかったのです。

こちらは信楽駅です。
②信楽駅
信楽と言えば、焼物の町、。なんと言っても狸の置物で有名ですね。
駅名票の隣にも狸が立っています。
駅名票と狸
よく、居酒屋の入口に置いてある、ひょうきんな狸の置物は信楽焼なんです。

駅前にも巨大な狸が立っていました。
③3セク信楽駅

こちらは信楽高原鐵道のきっぷです。
③3セク切符
国鉄時代と同じ硬券が使われていました。

そして、これは国鉄時代、昭和50年の信楽駅です。
④国鉄信楽駅
趣のある木造の終着駅でした。

こちらは、昭和47年、貴生川~雲井間を行く普通列車です。
⑤国鉄気動車貴生川
3セク化されてから、途中に紫香楽宮跡という駅ができましたが、国鉄時代は雲井までの駅間距離が10.2キロもあり、ディ-ゼルカーはうんうん唸りながら坂を登っていました。

こんな小さな蒸気機関車の牽引する貨物列車も走っていました。
⑥信楽線貴生川・526
今回の台風で流されたのは、この鉄橋なのです。

これは国鉄時代の切符です。
⑦国鉄切符
途中駅の雲井と勅使は、当時から無人駅でした。

信楽線は国鉄時代は廃止対象線区に指定され、三セク後の平成3年に信楽で開催されていた陶器祭に向かうJRからの直通列車と普通列車が正面衝突をし、42人もの尊い命が失われるという痛ましい事故がありました。そして、その後も災害で不通になったこともあり、そのたびになんとか持ちこたえてきました。

しかし、今回は復旧にかかる莫大な費用は、同社だけの力ではどうしようもありません。この春より信楽線は、線路などのインフラは地元自治体が管理し、列車の運行は同社が行なうと言う上下分離方式として、再建途上にあったところに、今回の大災害が起きてしまいました。
慢性的な赤字ではあっても、地元にとってはかけがいのない、貴重な生活の足です。その後の報道では、自治体が復旧に慎重で、運転再開はかなり難しいとの声が聞こえてきます。

ここ数年、宮崎県の高千穂鉄道が災害で不通になったまま廃線になったのをはじめ、岩手県の岩泉線、福島県の只見線、三重県の名松線、島根県の三江線、山口県の山陰本線と山口線と、津波以外の災害でも、いくつもの線が長期間不通になったままです。ここ数年、福井県の越美北線、富山県の高山本線、山口県の美祢線が、長期運休ののち、復旧しましたが、やはりある程度、国や自治体の援助がなくては、復活が難しいところも多いと思います。

バス路線は、道路が不通になっても、バス会社がやらなくても、国や自治体が道路の復旧工事をするわけですから、鉄路を守るためには、ある程度の公費負担はやむをえないと思います。鉄道は、輸送効率、エネルギー効率、省エネ、定時性など、道路交通と比べて優る部分がたくさんあるのですから、福井県が越美北線を復旧させたような英断をくだしてほしいものです。

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  1. 2013/10/13(日) 00:01:01|
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大阪・交通博物館

先日、大阪環状線の弁天町駅前にある「交通博物館」に行ってきました。
この博物館は、鉄道を中心に、自動車や飛行機、船舶など、交通機関全般の歴史を展示した博物館です。昭和37年に開館以来、半世紀にわたって親しまれてきましたが、残念ながら来年春に閉館することが発表されました。展示物は、京都にある梅小路蒸気機関車館を拡張し、新しい鉄道博物館として生まれ変わる予定です。

まずは屋外の展示場から見て行きましょう。
②
右手に見えるのは、昭和25年に初めて長距離用の電車として開発され、東京~沼津間を走った80形電車です。

page11_01[1]
この電車は湘南電車と呼ばれて親しまれ、それまで、蒸気機関車牽引の客車列車であった長距離列車の歴史を変えました。正に、その後の電車王国日本の礎となった名車です。この電車はその後、二枚窓になって長らく親しまれましたが、昭和58年に飯田線ですべて現役を退いたのち、残念ながら2枚窓車は一台も保存されていません。

展示場に設置されたホームに80形電車とマロネフ59が並んでいます。マロネフは昭和13年に皇室などの貴賓車として製造された車両を昭和30年に2等寝台車(現在のA寝台)に改造したものです。
⑤マロネフ59
昭和30年代、客車には帯はあり、1等は緑、2等は水色、3等は赤(朱色)と決められていました。

こちらは明治36年に初めて日本で製造された233号蒸気機関車です。
③233号M36
イギリスの機関車を参考にして製造されたものです。

こちらには、デゴイチの愛称でおなじみの蒸気機関車D51と、特急用の大型蒸気機関車C62が並んでいます。
①
そして、その隣は、昭和35年に製造されたキハ81で、北海道や紀勢本線の特急列車として活躍しました。

ガラスのショーウインドーの中に入っているのは、義経号と呼ばれる7100形蒸気機関車です。
④7100形M13
明治13年にアメリカから輸入され、北海道最初の鉄道である幌内鉄道で走っていたものです。同機は、平成2年の大阪鶴見緑地で開かれた花の万博では、イベント列車を牽引して場内を走りました。今でも走れる状態とのこと、130年以上過ぎてもまだ、走れるなんてすごいですね。

さて、屋内に入ってみましょう。

⑥ML500s52

まず、目につくのがML500という、昭和52年に製造された国鉄のリニアモーターカーの実験用無人車両です。当時、宮崎県にあった実験線によるテスト走行で時速571キロを記録しました。この時の技術がJR東海が推進する中央リニア新幹線に生かされようとしているのですね。

ご存知、初代新幹線0系です。
⑦0系
東海道新幹線も昭和39年の開業から来年で50年を迎えます。

こちらは、151系特急用電車です。
⑧151系こだまS33
東京~大阪間を日帰り可能にしたビジネス特急で、当時、大きな話題になりましたが、この列車が東海道本線を「こだま」として6時間半で駆け抜けたのは昭和33年から新幹線が開通するまでのわずか、6年間だけでした。

こちらは昭和3年に製造されたEF52形電気機関車です。

⑨EF52形S3

東海道本線の急行列車などを牽引しました。

これはサンフランシスコの路面電車です。
⑩
昭和34年に大阪市に寄贈されました。

こちらは、日本初の国鉄ハイウェーバス「ドリーム号」です。
⑪1969
昭和44年に初めて走り始めた第1号ですが、ハイウェーバスの台頭で夜行列車が淘汰されるとは、この時には思いもよらないことでした。

館内には、そのほかにも昔の飛行機や自動車も並んでいます。
⑫
京都の博物館に移設される時、これらの展示物がどうなるのか、気になるところです。


こちらは、昭和初期の駅を復元したものです。
⑬
「金澤行」「米原行」の表示があるので、北陸本線の駅を模倣したようです。

そのほか、鉄道模型のジオラマも運転されています。
⑭
JR西日本の車両だけでなく、大阪を走らない「カシオペア」やJR東日本のキハ110が走っているところが、好感が持てます。

この博物館は、2014年4月6日をもって、その歴史に幕を降ろします。
ご興味にある方は、是非、今のうちに足を運んでみてはいかがでしょうか。
  1. 2013/10/06(日) 12:36:51|
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嵯峨野観光鉄道の旅

きょうは、京都の嵯峨野観光鉄道をご紹介します。
山陰本線の嵯峨嵐山駅前にあるトロッコ嵯峨駅から、トロッコ亀岡までの7.3キロを結ぶ観光鉄道です。
この線はかつては、山陰本線の一部でしたが、民営化直後の平成元年に京都~園部間の電化に伴って嵯峨(現嵯峨嵐山)~馬堀間が廃止されました。この区間は、保津川に沿った風光明媚な線だったため、観光用に復活させようと、JR西日本の子会社として発足したのが嵯峨野観光鉄道でした。
廃線から2年後の平成3年からトロッコ列車の運行を開始したところ、当初の予想を大幅に上回る人気列車となったのです。
002T嵯峨駅
これは、始発駅のトロッコ嵯峨駅です。

駅構内には、平成23年に「ジオラマ京都JAPAN」が開業しました。
003ジオラマ011渡月橋
そして、嵯峨野といえば、嵐山渡月橋ですね。

付近には、趣のある竹林や、古刹がいくつもあります。
017嵯峨野竹林016祇王寺
これは、祇王寺の庭園です。

さて、トロッコ嵯峨を発車した列車は、しばらく山陰本線の下り線の上を走った後、左手に分かれて旧線へと入って行きます。
018分岐点のトンネル
これは、トロッコ嵐山駅の先の分岐点にあるトンネルです。左が旧線の亀山トンネル、左側が現山陰本線の小倉山トンネルで、トロッコ嵐山駅のホームの一部が亀山トンネルの中にかかります。


晩秋の保津川沿いを行く列車です。
019T嵐山~T保津峡晩秋
このあたりは、春は桜や新緑に包まれ、夏は蝉しぐれの中を走ります。

トロッコ保津峡駅のホームにいる信楽狸です。
026T保津峡駅253
この駅からは時々鬼が乗ってきます。

ここで、国鉄時代のこの付近のようすをご紹介しましょう。
026保津峡駅1971-5-17
これは、保津峡駅に停車中の普通列車です。5両編成の気動車が連なっていますね。

そして、保津峡~馬堀間を行く貨物列車です。
026保津峡付近1971-5-17
今は、この貨物列車が走った同じ場所を観光客を満載したトロッコ列車が走っているのです。


保津川橋梁は、昔のままの姿の鉄橋です。
027保津川橋梁
今にも古いトンネルから蒸気機関車がやって来そうな気がします。

トロッコ保津川~トロッコ亀岡間を行く列車です。
030T保津峡~T亀岡

往路はトロッコ列車に乗り、復路は保津川下りの舟で帰る人も多いようです。
032保津川下り
列車の窓からは川下り舟が見えると、お互いの乗客たちが手を振っていました。

こちらは、終点のトロッコ亀岡駅から出ている観光馬車で、保津川下りの乗船場まで馬車で行くこともできます。
055亀岡・観光馬車050亀岡・楽々荘
そして、こちらは、亀岡市内にある楽々荘です。登録有形文化財に指定されているこの建物は、山陰本線の前身の京都鐵道の創始者・田中源太郎翁の邸宅だったところで、今は旅館になっていて、京懐石料理を味わうことができます。

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  1. 2013/08/18(日) 00:01:14|
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京都・祇園祭

さる7月15日に祇園祭が行われている京都に行ってきました。
①京都駅
祇園祭は毎年7月になると、ほぼ1か月にわたって大々的に行われ、遠く貞観11年(西暦869年)に始まったと伝えられる伝統的なお祭りです。京都市内の中心部にはコンチキチンという祭囃子が響き、街頭に山鉾と呼ばれる大きな山車が33台も並びます。


これは、その山鉾のうちのひとつ函谷鉾(かんこぼこ)です。
②函谷鉾

この日は鉾に乗って見学することができました。
③函谷鉾提灯

鉾の留置されている場所の横の建物には、山鉾を飾る豪壮な織物が公開されています。
④朝鮮胴掛
古風な平安朝のデザインかと思ったところ、意外なことに朝鮮同掛や、
⑤エジプト風
古代エジプト風なもの、
⑥ゴブラン織
そして、フランスのゴブラン織などがあり、国際色が豊かでした。

⑦太鼓
鉾の上で浴衣姿勇ましく太鼓方の男性です。

⑧笛
そして、こちらは笛方です。
独特の笛・太鼓・鐘の音が、あたりに響き、町中祭り気分が盛り上がります。


これは月鉾です。
⑨月鉾
こんな大きな山鉾がずらりと町の中に並んでいるのです。

近くの寺で店番の少女たちも浴衣姿です。
⑩少女たち

そして、これは菊水鉾。
⑪菊水鉾
⑫菊水鉾
⑬菊水鉾提灯
17日にはこれらの山鉾が、一斉に河原町通から御池通と市内中心部を巡行し、祭はクライマックスを迎えるのです。



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  1. 2013/08/11(日) 00:01:53|
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阪急電車・梅田駅

先日、所用があって久しぶりに阪急電車の梅田駅を訪れました。
DSCN0052.jpg
1号線から9号線まで、9本の頭端式ホームから、次々と電車が発着するさまは壮観です。
私鉄の駅で、これほど大規模なターミナル駅は東京にもありません。

阪急では、ホームの番号を「〇番線」とか「〇番ホーム」とは呼ばずに「〇号線」と呼びます。
また、関西の私鉄では慣習的に〇〇線と呼ばずに「〇〇電車」と呼びます。
関東では「西武電車」とか「小田急電車」という呼び方はあまりしませんが、
関西では昔から「阪急電車」「南海電車」と呼ぶのが一般的です。
エスカレーターでは、関東では左側に立って右側を開けるのに、関西ではその逆と、東と西で色々と習慣が違うのが面白いですね。

梅田駅からは、京都線、千里線、宝塚線、神戸線と4つの路線の電車が次ぐ次と発車し、2つ目の十三(じゅうそう)までは、三複線の線路の上を並行して走ります。途中にある淀川の鉄橋を何本もの電車が同時に渡るようすは、正に圧巻です。

そして、阪急電車の車体は伝統的にマルーンカラーと呼ばれるあずき色に統一されており、色とりどりの他社の電車との差別化を図っています。
DSCN0046.jpg
座席のシートは柔らかく、堅い大阪の地下鉄や、JRとは比較になりません。間違いなく近郊型電車では座り心地ナンバーワンですね。車内放送もず昔から非常に丁寧で、「ございます」が基本です。

このように独自のポリシーで一貫している阪急電車は、きょうも京都、大阪、神戸、宝塚を駆け抜けています。
  1. 2013/05/03(金) 20:27:14|
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特急「はまかぜ」の旅

先日、取材を離れ、両親と叔母の4人で「特急はまかぜ1号」に乗って浜坂駅の近くにある湯村温泉に行ってきました。
1はまかぜ三ノ宮
これは、三ノ宮駅に着いた「はまかぜ」です。
この列車は大阪から神戸、姫路を通り、播但線を経由して兵庫県北部の但馬地方を結びます。
大阪を発着する「はまかぜ」は1日3往復運転されており、浜坂、香住、鳥取とそれぞれ、行先が異なり、平成22年11月からは、新型車両のキハ189が導入されています。

この車両には、座席の向きがこのように進行方向に垂直になる一人席があります。
2はまかぜいす

また、各車両の一番前と、後ろの座席には、このようにコンセントが設置されており、パソコンの操作や携帯電話の充電などができるようになっています。
3ハマカゼコンセント

これは、新型車両が導入される前、国鉄時代から使われていた、キハ181です。
5はまかぜ旧
芦屋~甲南山手間を重低音のディーゼルエンジンを響かせながら、駆け抜けて行きました。

そして、こちらは、和田山駅に停車中のキハ181です。
6はまかぜ和田山
昔も今も、はまかぜは、和田山から山陰本線に入ります。


さて、新型キハ189の「はまかぜ1号」は、終点の浜坂に到着しました。
4はまかぜ浜坂
旧型車両のころは、姫路を過ぎると車内販売がありましたが、今は廃止され、車内にドリンクの自動販売機すらありません。進行方向が変わるため、5分間停車する姫路でも、駅弁を買うことはできず、昼時に走るのになんともサービスの悪い列車でした。


湯村温泉は、夢千代日記というNHKのドラマの舞台になったところです。
夢千代
これは、温泉街の真ん中にある夢千代の像です。


夜は、朝野家という立派な旅館に泊まりました。
IMG_0794.jpg
昨年、山陰本線の取材に来た時にも泊まったのですが、細かい気配りの嬉しい純和風の宿です。。

この時期、もちろん夕食の膳には松葉ガニが並びました。
松葉かに
3月の中旬まで「カニカニはまかぜ」という臨時特急が走るほど、冬は蟹を食べに来る人が大勢います。

なお、「はまかぜ」に大阪~和田山間に途中下車しないで乗るときは、播但線経由ではなく、福知山線経由で運賃を計算します。これは、距離は福知山線経由の方が短いのに、あえて姫路から播但線経由で遠回りしているため、短い方の経路で運賃計算をするという特別措置です。けれでも、このルールを知らない係員も多いので、私はいつもきっちり説明してから発券してもらいます。
でも、私がわざわざ福知山線経由で買うように指示したのに、叔母の切符は播但線経由で発券されていました。せっかくの特別措置も、現場が理解していなければ,意味がありませんね。

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  1. 2013/03/23(土) 12:11:13|
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貴志川線・今昔

きょうは、昨年末に行って来た和歌山電鉄貴志川線の今昔をご紹介しましょう。
三毛猫のたま駅長で有名になった和歌山電鉄は、平成18年3月までは南海電鉄貴志川線として運行されていました。しかしながら、利用者減により南海電鉄は同線の廃止を表明。これに対して地元では活発な存続運動を展開し、特にNHKの「ご近所の底力」という番組でこれを訴え、世論や行政を動かして和歌山電鉄として存続させることに成功したのです。全国のローカル線が存続運動にもかかわらず続々と廃止され中で、これは正に奇跡でした。貴志川線は岡山電気軌道の子会社となり、同社のアイデアにより、「いちご電車」「おもちゃ電車」と次々にユニークな電車を誕生させるとともに、無人駅となった終点の貴志駅構内の店で飼われていた三毛猫「たま」を駅長にすることが人気を呼び、飛躍的に利用客を増やすことに成功したのです。


さて、私が最初にこの貴志川線を訪れたのは昭和58年のことでした。
これは、途中駅の伊太祁曽(いたぎそ)駅です。
S58イタギソ190 (640x425)
当時の南海カラーの緑色の電車が並んでいます。走りながら唸る吊り掛け式の旧型電車でした。


終点の貴志駅です。駅前に雑然と並ぶ放置自転車が、当時の利用者の多さを物語っていますね。
S58貴志191 (640x382)
この木造駅舎は、和歌山電鉄になった平成22年まで使われていました。


貴志駅で発車を待つ和歌山行の電車です。
S58貴志192 (640x428)


さて、時代は飛んで、次に訪れたのは南海が廃線を表明した平成16年です。
H16イタギソ197 (640x422)
伊太祁曽駅での南海の電車は、和歌山電鉄になった多くが今もそのまま使われています。


伊太祁曽駅は、今も昔も全く変わりません。
H16イタギソ196 (640x434)
存続運動が盛んに行なわれていました。
H16イタギソ198 (433x640)


大池遊園を行く電車です。
H16大池遊園195 (640x425)
ここは桜の名所で、春になると観桜客でにぎわいます。

でも、廃止するつもりの南海電鉄は駅を一切改修しなかったため、大池遊園駅は老朽化したまま放置されていました。でも、それがなんともいえない味わいがありました。
H16大池遊園194 (640x431)
横にあった待合室やトイレはまるで廃屋のようでしたが、和歌山電鉄になってから撤去されました。

平成16年の貴志駅です。
H16貴志193 (640x382)
この時、すでに普通の猫だった「たま」がのんびりと駅舎の脇に寝転がってひなたぼっこをしていたのですが、残念ながら写真を撮っていません。もし、撮っていたら駅長就任前のたまの貴重な写真となっていたはずでしたが、惜しいことをしました。


そして和歌山電鉄に転換されてからはじめて平成20年に訪れました。
H20和歌山 (640x430)
和歌山駅を発車する「おもちゃ電車」です。これは「ゆふいんの森」や「桃太郎電車」をデザインしたデザイナーの水戸岡鋭治さんのアイデアによるものです。


おもちゃ電車の内部です。
H20おも電内部 (640x427)
子供たちの人気を呼んでいました。


伊太祁曽の、おもちゃ電車と一般車両が交換しました。一般車両は南海時代と塗装も変わっていません。
H20イタギソ (640x427)
ワンマン化による安全確認のためのミラーが取り付けられた以外は、昔と変わらない風景ですね。

これは伊太祁曽付近の「いちご電車」です。
H20イタギソ (640x427)
これも水戸岡さんのデザインで、この地方の特産のいちごにちなんで作られました。


さて、いよいよ貴志駅で「たま駅長」の登場です。
H20たま (640x460)
この時はうまくこちらを向いてくれました。


でも、かつて駅員さんがいた改札口に駅長室という名の猫小屋が設置され、その中に閉じ込められていました。
H20駅長室 (640x440)
なんだか、かわいそう…


そして、昨年12月に再度、貴志川線を訪れました。
H24和歌山 (640x427)
これは、その後、登場した「たま電車」です。


この電車は、こんな楽しいキャラクターでいっぱいです。
H24たま電 (360x540)H24たま電内部 (360x540)
たまのおかげで外国人観光客までが乗りに来るのですから、正に、たま様々ですね。


伊太祁曽ではいちご電車にも出会いました。
H24イタギソ (640x427)


そして、終点の貴志は、風情のあった古い木造駅舎が取り壊され、こんな漫画みたいな猫型駅舎に建て替えられていました。
H24貴志
前の駅舎とどちらがいいいか、それは人によって意見が分かれるところだと思います。


そして、たまはショーウインドウのような新しい駅長室の中で不機嫌そうに向こうを向いていました。
H24たま
これはポスターを写真に撮ったものですが、なかなかこんな顔を見せてくれることはないでしょう。
そして、心ない観光客がきょうもたまにカメラのストロボを浴びせ、たまはいやそうに顔をそむけています。

たま駅長は今年になって「社長代行」に昇格したと新聞に報道されていました。
でも、たまにとってはのんびり自由にひなたぼっこをしていた普通の猫だった時代が一番幸せだったに違いないと思います。

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  1. 2013/01/20(日) 22:12:04|
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紀勢本線の旅(西線)

今年最初の列車行、お屠蘇気分の醒めやまぬ1月4日から2日間に渡って行って来た紀勢本線の旅をご紹介しましょう。
今回の旅は私にとって記念すべき旅となりました。というのは、私は1981年5月3日に国鉄全線を走破し、その後、私鉄や3セク、地下鉄、路面電車、モノレール、新交通システム、ケーブルカーなど、日本中のすべての鉄道の全線も2000年12月29日に走破。そして、国鉄民営化から26年目にして、JR全線を改めてすべて走破を完了する旅だったからです。つまり、国鉄民営化以後、一度も乗っていないJR線は紀勢本線の御坊~多気間を残すだけとなっていたのです。

旅は新大阪駅の11番ホームから始まりました。大阪から紀勢本線への長距離列車のターミナルはかつては天王寺でしたが、今はすべて新大阪(一部京都)から発着しています。大半が新宮や白浜行の特急「くろしお」ですが、一日に2本だけ普通列車が発車します。今回は青春18きっぷを利用するので、特急列車に乗ることはできません。
IMG_9490.jpg
これが、早朝6時28分発の紀伊田辺行です。列車は大阪環状線から阪和線を通って和歌山から紀勢本線に入ります。


冷水浦(しみずうら)から加茂郷にかけては右手に和歌浦湾が見えます。
IMG_9495冷水浦~加茂郷


御坊は西御坊までの2.7キロを結ぶミニ私鉄、紀州鉄道が発着していますが、今回はこちらには立ち寄りませんでした。
IMG_9503御坊
御坊からいよいよ、JRになってから初めて乗る区間です。国鉄時代はこの区間に蒸気機関車時代から何度も乗ったことがありますが、最後に乗ったのは1984年に天王寺発紀勢本線経由の普通列車亀山行の「はやたま号」の寝台車で通って以来、なんと29年ぶりのことです。


最初に途中下車をしたのは岩代駅でした。普通列車しか停車しない海辺の無人駅です。
IMG_9511岩代駅


岩代を「くろしお10号」新大阪行が通過していきます。
IMG_9516くろしお10岩代


こちらはくろしお1号新宮行です。
IMG_9526くろしお1オーシャンアロー


駅の近くの海辺に、岩代王子という熊野古道の小さなお社が建っていました。
IMG_9531岩代王子


海岸線を御坊行の普通列車が通ります。
IMG_9548岩代


見老津も静かな海辺の駅です。
IMG_9573見老津
いかにも南国といった青い空が広がっていました。


串本は本州最南端の駅。
IMG_9586串本
串本で24分間停車したので、駅の近くのスーパーで和歌山の地酒「黒牛」を買ってきました。
IMG_9590串本黒牛
でも、紀伊田辺から新宮までの普通列車はすべてロングシートなので、車内で飲むには少々抵抗がありました(笑)

これは串本を発車してすぐに右側に見える橋杭岩です。
IMG_9595橋杭岩
34年前に通った時には前に家がなかったような気がするのですが、さすがに記憶があいまいです。


これは紀伊浦神付近のくろしお20号です。
IMG_9612紀伊浦神くろし20
南の海の色に合わせて華やかな色合いですね。


下里でも途中下車をしました。
下里~紀伊浦神間にある玉の浦は、太平洋と列車をからめて撮影する絶好のポジションで、下里駅から歩いて20分ほどの場所が海辺の撮影地です。
IMG_9644くろしお9下里~浦神
くろしお9号が海岸線を颯爽と走り抜けていきます。


こちらは普通列車の串本行です。
IMG_9658.jpg
IMG_9671.jpg
普通列車も青緑色に統一されています。


下里で民家の木にとまったメジロの撮影に成功しました。
IMG_9676◎
バードウオッチングは専門ではないのですが、うまく撮れるとやはり嬉しいものですね。


こちらは、下里駅付近の鉄橋を行くくろしお26号です。
IMG_9684くろしお26下里
この日は非常に効率よく多くの列車を撮影することができました。


こちらは南紀の主要駅、紀伊勝浦です。
IMG_9696紀伊勝浦
かつて、東京からの寝台特急がこの駅まで走っていました。今も名古屋からのJR東海の特急「スーパービュー南紀」がJR西日本区間のこの駅まで乗り入れています。


そして、新宮に着きました。
IMG_9704新宮
ここから先は非電化区間となり、管轄がJR西日本からJR東海に変わります。
この続き、JR全線走破達成までは、また、日を改めることにしましょう。

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  1. 2013/01/13(日) 00:41:56|
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和歌山線の旅

きょうは、昨年12月29日に訪れたJR和歌山線のようすをご紹介しましょう。

和歌山線は関西本線の王寺駅から分岐し、和歌山までの87.5キロの路線です。
ですが、王寺から和歌山まで直通で走る電車は多くはありません。
IMG_9336王寺
これは起点駅の王寺に到着した高田行の電車です。関西本線のJR難波(旧駅名湊町)始発の電車が高田までは何本も乗り入れているのです。

高田からは奈良始発の和歌山行の青緑の電車に乗り換えます。IMG_9339高田
この電車は奈良から天理・桜井などを通る桜井線を経由してやって来て、高田から和歌山線に乗り入れて和歌山まで走るのです。


これは、沿線で唯一駅弁を販売している吉野口駅です。
IMG_9347吉野口
この駅の柿の葉寿司は、駅弁大会にも出品されるほど有名ですが、残念ながら停車時間が短く、買うことはできませんでした。でも、この区間を走る和歌山線の電車は全列車、都会の通勤電車と同じロングシートなので、とても弁当など食べる雰囲気ではありません。おそらく、この同じホームの反対側から発着する近鉄吉野線の特急列車の中で食べる客か、あるいはお土産に持って帰る人が勝って帰るのだと思われます。


これは平成19年3月までスイッチバック駅だったころの北宇智駅の旧駅舎が今も残されています。
IMG_9351北宇智旧駅
このあたりは急勾配なので蒸気機関車時代にはスイッチバックは必要な設備でしたが、電車なら難なく通り過ぎてしまいます。

これは隅田(すだ)駅で交換した上り列車です。
IMG_9361隅田
和歌山線ではカラフルな塗装の「万葉の里号」に時々出会います。


橋本は、南海高野線との接続駅で、近代的な駅舎に建て直されています。
IMG_9370橋本
でも、ホームには、こんな古風なホーローびきの行先表示板が残っています。
IMG_9376橋本


高野口駅で途中下車をしました。
IMG_9379高野口
明治45年建築の風格のある木造駅舎です。南海高野線が開業するまで、霊場高野山への表玄関だったころの栄華が偲ばれます。

古い屋根の残る駅の佇まいは、なんとなく落ち着きを感じます。
IMG_9384高野口

駅から徒歩5分の所にある江戸時代から続く前田家の邸宅です。
IMG_9388前田家
薬種商屋を営んでいた地元の旧家で、国の登録有形文化財に指定されています。本来は日曜日だけ開館ですが、私一人のために中を開館して説明していただきました。


高野口駅のほかにも和歌山線には古い趣のある木造駅舎がたくさん残されています。
IMG_9401妙寺
これは妙寺駅。

そして、これは名手駅です。
IMG_9416名手
いずれも典型的な昔のローカル駅の雰囲気ですね。


これは名手駅のホームの横の廃屋に残っていた朽ち果てそうな看板です。
IMG_9420名手古看板
枯れた蔦がからまり、なんともいえない光景です。


田井ノ瀬で先ほどとは別の「万葉の四季号」と交換しました。
IMG_9429田井ノ瀬
田井ノ瀬を発車すると、終点和歌山へは6分で着きます。

和歌山線は話題になることの少ない、比較的地味な線ですが、このように、まだまだ古き良き時代の鉄道風景を見ることができました。

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  1. 2013/01/07(月) 21:59:01|
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長浜・竹生島と近江鉄道の旅

富山地方鉄道と黒部峡谷鉄道を訪ねたあとは、北陸本線を一気に西進し、滋賀県の長浜に荷を解きました。

これは、長浜駅に着いた北陸本線の敦賀行の列車です。大阪方面からやって来る新快速電車は長大な編成ですが、米原~敦賀間の普通電車は二両編成でやってきました。
IMG_8572.jpg
開業130年のヘッドマークをつけていますね。


こちらは、長浜駅の西口の近くにある鉄道スクエアの中の旧長浜駅舎です。明治15年に長浜駅が開業した時のこの建物は、現存する日本最古の駅舎です。
IMG_8578.jpg


駅舎の中には、明治の開業当初の出札口、駅長室などが再現されています。
IMG_8581.jpg
これは待合室のようすです。壁には長浜と大津を結んでいた琵琶湖上を行く鉄道連絡船の時刻表が貼ってありました。この駅が開業した当時、琵琶湖の東岸の東海道本線はまだ開通しておらず、敦賀や関ヶ原から乗り継いだ京都・大阪方面に向かう客は、長浜から船に乗り継いで大津に向かったのです。
けれども、この航路が運航されたのは、米原~大津間の鉄道が開通する明治22年までの7年間だけでした。

私は、その長浜港から船に乗って竹生島を目指します。
IMG_8610.jpg


港を出ると、すぐに羽芝秀吉が築城した長浜城が見えます。
IMG_8643.jpg
ただし、これは昭和58年に建てられた城を模した博物館です。


湖上でさわやかな秋風に吹かれるうちに30分で竹生島に着きました。
IMG_8637.jpg

島には、国宝の唐門のある宝厳寺と、都久夫須麻神社があります。
IMG_8634.jpg
苔むした唐門は、四百年の歴史の重みを感じさせてくれます。


島から戻った後、少し、長浜市内を歩きました。
IMG_8662.jpg
IMG_8657.jpg
市内には古い建物があちこちに残っており、大勢の観光客で賑わっていました。


その後、米原に移動して近江鉄道に乗りました。
IMG_8665.jpg
これは米原駅に停車中の貴生川行の電車です。


最初は米原から2駅目の無人駅、鳥居本で途中下車をしました。
IMG_8676.jpg
赤い屋根の西洋風の駅舎がなんともお洒落で、煙突がとても印象的でした。


IMG_8687.jpg
ホームの待合室も味わい深い雰囲気ですね。


これは高宮駅構内に放置された錆びついた貨車です。
IMG_8690.jpg
今では貨物輸送は廃止されましたが、休日には電車の中に自転車を乗せることができます。
IMG_8701.jpg

次に降りたのはこの線の中心駅の八日市でした。
IMG_8705.jpg

八日市駅の構内には、パト電と呼ばれる、まるでパトカーのような塗装の電車が留置してありました。
IMG_8711.jpg


八日市で八日市線に乗り換え、最初の駅の新八日市で途中下車をします。
IMG_8718.jpg
まるで、木造校舎のような懐かしい駅舎が出迎えてくれました。

IMG_8725.jpg
言葉では表せないほどの風情のある駅でした。


次の電車に乗り、終点の近江八幡に着いた時には、あたりには群青色の空が広がっていました。
IMG_8727.jpg







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  1. 2012/10/14(日) 01:44:39|
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阪急西宮北口のダイヤモンドクロス

幼少のころより乗り慣れた阪急神戸線の中心駅、西宮北口に、先日、「取材」という観点で久々に行ってきました。

この駅は、神戸線と今津線が交差する要衝駅で、かつては、非常に珍しい両線が直角に交わる平面交差があり、これをダイヤモンドクロスと呼んでいました。
つまり、神戸線の列車と今津線の列車が、直角に交差する線路の上を交互に通過したのです。
神戸線の上下線と、今津線の今津行のホームは、交差地点の手前にホームがあったので、交差する電車の通過をホームで待ちましたが、今津線の宝塚行のホームは、今津行と同じ場所で、交差地点より先にあったため、この駅に進入する前に、大抵、信号待ち停車をしていました。

これは、昭和48年ごろの神戸線の大阪方面行きの電車。
阪急西宮北口112


そして、こちらは、同じ地点を通過する今津線の電車です。
阪急西宮北口110


しかし、この平面交差は輸送上のネックになった上、神戸線のホームの延伸もできなかったため、昭和60年に、駅の橋上駅化の際に、廃止され、今津線は今津~宝塚間を直通できなくなり、、この駅を始発駅として、今津行と宝塚行とに、別線のような運行形態となりました。けれども、元々、西宮北口に発着する今津線の乗客は、この駅で下車するか、神戸線に乗り換える人が大部分だったので、直通運転がなくなっても大きな不便にはなっていないようです。

また、この駅の南口近くには、かつて、プロ野球・阪急ブレーブスの本拠地、西宮球場がありました。
阪急西宮球場117

しかし、昭和63年の球団譲渡で阪急ブレーブスは消滅し、その後、球場も平成14年に取り壊されて、跡地は、阪急西宮ガーデンズという大規模な商業施設になっています。今は、その中にある阪急西宮ギャラリーにある模型でかつてのダイヤモンドクロスを偲ぶことができます。
IMG_7384ダイヤモンドクロス


これは、現在の今津行のホームです。他の線が地上ホームであるのに対し、今津行だけが、高架上の単線ホームとなっています。
IMG_7376西宮北口ホーム


こちらは、神戸線のホームです。かつての交差地点の上にホームを延伸し、10両運転に対応できるようになりました。
IMG_7372神戸線


ここで、昭和48年ごろの阪急電車を、一部、ご紹介しましょう。

これは、嵐山線松尾駅の700系です。まるで、旧式の国電のようですね。
阪急松尾700系


次は、神戸線西宮北口~武庫之荘間の武庫川橋梁です。
阪急武庫川鉄橋109


そして、神戸線岡本~御影間の当時、最新鋭と言われた5000系です。
このあたりは、今も昔も春になると線路沿いに桜の花が咲き乱れます。
阪急岡本5000系


最後は現在の今津線阪神国道付近と、
IMG_7377阪神国道

甲陽線甲陽園~苦楽園口間を走る6000系電車です。
阪急甲陽園119


今も昔も阪急電車は、栗色(マルーンカラー)一色の伝統を守っていますね。
  1. 2012/09/23(日) 10:28:01|
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浜寺公園駅と阪堺電車

暑さが少し和らいだ夕方に、南海電車の浜寺公園駅を訪ねました。
この駅は、明治40年に、当時、ひと夏100万人と言われた海水浴客に対応するため、南海本線を電化した時に建造されたものです。
浜寺公園
浜寺公園2

古き良き鹿鳴館時代を思い起こさせるこの駅舎は、国の有形指定文化財に指定されており、百年以上もこの町の表玄関としての役割を果たしています。
けれども、この区間の高架化が予定されており、この建物が駅として存在するのは、あと数年のことかもしれません。

その後、この駅から徒歩1分のところにある浜寺駅前駅から阪堺電気軌道のチンチン電車に揺られ、天王寺駅前まで行きました。


阪堺

全線乗って200円。堺市から大阪市南部を走る、楽しい小さな旅です。
阪堺2
阪堺3





テーマ:鉄道旅行 - ジャンル:旅行

  1. 2012/08/07(火) 16:57:33|
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朝風呂と餘部鉄橋とスーパーはくと




今朝は6時に起きて朝食を挟んで露天風呂に2回、昨夜から合わせると4回も入る温泉三昧!湯村温泉をあとに午前中に餘部に行き、日本海の荒波をしばし眺めた後、餘部橋梁で列車撮影。百年の風雪に耐えた明治生まれの鉄橋は一昨年にコンクリートの新しい橋に架け替えられ、昔の鉄橋の一部が残され、展望台として整備するようです。フォトその後、鳥取から智頭急行経由のスーパーはくと10号に初めて乗りました。
フォト
よく揺れたけれど、ローカルを走る気動車特急の速度にはびっくり。今夜は神戸の実家で1泊して帰ります。
  1. 2012/03/20(火) 00:54:00|
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ハードな取材の後は、湯村温泉で極楽の夜




今日は列車本数の少ない福知山以西を取材するため、朝からレンタカーを借りて、竹野までの山陰本線を回りました。いつもは列車で回るのが基本ですが、レンタカーでの取材は昨年5月の三陸の被災地を巡って以来のこと。今はカーナビがあるので、知らない道でも迷わずに行けて便利ですね。
梁瀬、八鹿、養父などの趣のある駅舎に出会ったり、川沿いで列車撮影をしたりするうちに、予定通り、竹野までの取材が終了。豊岡まで戻ってレンタカーを返した後、キハ47で但馬の地酒「香住鶴」を飲みながら、浜坂へ。
浜坂駅では、高校時代の同級生のA君の出迎えを受けて、湯村温泉にやって来ました。実は彼は、湯村温泉にある朝野家という高級旅館の経営者なのです。普段は泊まれないような露天風呂付き客室の14畳の部屋を一人で占拠。大浴場の露天風呂で疲れを癒やした後は、彼と昔話に花を咲かせます。出てきた料理は、浜坂港から陸揚げされた海の幸の数々が並びます。大量の松葉ガニ、ハタハタ、イカ、アワビなど、ものすごいボリュームです。さらに但馬牛のステーキと続き、もう食べ切れません(笑)昼間は忙しくて、昼食抜きだったものの、夜は大満足!
フォト
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その後、部屋の露天風呂に入り直すうちに、贅沢な夜が更けていきました。
フォト
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2日間の取材がかなり体力的にハードだっただけに、ここはまるで極楽のようです。
明日は、新装なった餘部鉄橋に行った後、鳥取から因美線、智頭急行経由の特急スーパーはくとで神戸に向かいます。
  1. 2012/03/19(月) 00:38:00|
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