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田中正恭の汽車旅日記

ここは、紀行作家・田中正恭 (たなかまさやす) が、つれづれなるままに各地の旅や、鉄道に関する話題について綴っています。原則として毎週日曜日に更新しており、時には鉄道以外の話題になることもありますが、ご了承ください。また、2018年10月より「テツドラー田中の乗り鉄日記」としてYahoo!クリエーターズプログラムにもレギュラー投稿していますので、そちらもご覧頂ければ幸いです。なお、内容につきましてのご感想や、執筆や講演、出演などの依頼がありましたら、お気軽にメッセージをお寄せください。なお、写真や文章の無断転載はご遠慮願います。

山陰西海岸を行く「○○のはなし」

今週は、新下関~東萩間を走る観光列車「○○のはなし」をご紹介します。
この、へんな名前の列車は、山口県の山陰本線の西端の絶景区間を走る観光列車です。
「はなし」とは「萩」と「長門」と「下関」を結ぶという意味だそうです。

新下関駅で発車前の○○のはなし号です。
①新下関
列車は、新下関で新幹線からの乗り換え客を乗せた後、下関まで山陽本線を走ります。

下関といえば、やはり「ふくのひれ酒」ですね。
②ふくのひれ酒
こちらでは、「ふぐ」のことを「ふく」と言います。

下関では、歓迎の横断幕が出ていました。
③下関歓迎幕
下関で進行方向を変えた列車は、幡生から山陰本線に入ります。

車内はかのような開放的な雰囲気で、すべての席が日本海の方を向いています。
④車内の様子

3日前までに予約すると、車内で地元の食材を使った豪華なお弁当を食べることができます。
⑤弁当

海沿いの絶景区間では、列車は停車するので、ゆっくりと風景を楽しむことができます。
⑥日本海

これは海沿いを行く○○のはなし号です。
⑦s-画像1
(ポスターの写真をお借りしました。)

人丸駅です。
⑧人丸
各停車駅には、こんな観光案内板が立っていました。

長門古市では運転停車。単線なので、反対列車が来るのを待ちます。
⑨長門古市
抜けるような青空でした。

長門市駅に停車中の列車です。この列車は、前と後ろで色が異なります。
⑩長門市停車中
ここは美祢線と仙崎支線の乗り換え駅です。
帰りの○○のはなし号は、仙崎にも立ち寄ります。

長門市駅から乗り込んだ萩市観光局会の方が、社内でクイズ大会を始めました。
⑪クイズ大会
なんと、私が1等賞!
⑫景品
いただいた萩焼のお猪口で、早速、地酒「東洋美人」で呑み鉄です。

波静かな萩の海が見えてきました。
⑬萩の海

萩駅です。
⑭萩駅
ここでも地元の方が横断幕で歓迎してくれました。

萩を出ると、次は終着駅の東萩。
⑮東萩
○○のはなし号と、普通列車が並んでいました。
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  1. 2020/03/01(日) 00:02:00|
  2. 中国(山陰山陽)
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小野田線の旅

今週は山口県の小野田線をご紹介します。
小野田線は、山陽本線の小野田から宇部線の居能を結ぶ11.6キロのローカル線で、
途中、雀田から長門本山までの2.3キロの支線があります。

小野田駅で発車を待つ早朝の列車です。
①小野田駅

②小野田港駅名票

雀田駅で本山支線に乗り換えます。
③雀田本山線電車

長門本山まで行く列車は、朝2往復、夕方1往復のあわせて3本しかありません。
④雀田案内板

本山支線、ただ1つの途中駅、浜河内です。
⑤浜河内駅

浜河内~長門本山間を走る列車です。
⑥浜河内~本山

終点の長門本山駅です。
乗客は鉄道ファンのほかは、ほとんどいません。
⑦長門本山駅
雀田から2駅、わずか5分の短い旅でした。

長門本山から雀田駅に戻って来た列車は、そのまま小野田線の本線を走り、宇部新川まで行きます。
⑧雀田駅ホーム


途中、妻崎で途中下車しました。
⑨妻崎ホーム

昔ながらの木造駅舎が残っていました。
⑩妻崎駅

「まもなく列車がきます」の案内板は国鉄時代からのものでしょう。
⑪妻崎案内板

妻崎駅の引込線の車止めに哀愁が漂います。
⑫妻崎車止

小野田線の終点の居能駅です。
⑬居能駅
でも、列車は宇部線に乗り入れて宇部新川方面に向かいます。
⑭居能駅ホーム

こちらは昭和55年の雀田駅です。
⑮雀田S55

そして、こちらは同じ時の長門本山駅。
やって来る列車は変わっても、駅の佇まいは当時とあまり変わりません。
⑯本山S55
ただ、あの頃は、駅の脇に小さな小屋があって、そこにいたおばあさんが、乗車券を委託販売をしていて、
1日に12本の列車がや運転されていたのです。

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  1. 2020/02/23(日) 00:02:54|
  2. 中国(山陰山陽)
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美祢線の旅

山口県シリーズ第7回目は、JR美祢(みね)線をご紹介します。
美祢線は、山陽本線の厚狭(あさ)駅から山陰本線の長門市駅を結ぶ46キロの路線です。
昭和56年に国鉄が路線を幹線と地方交通線に分類したとき、この線は幹線扱いとなり、JRに移管してから現在もも踏襲されています。
それは、石灰石を運ぶ貨物列車が数多く運転されていたからで、山陰と九州を結ぶ急行列車も運転されていました。
けれども、平成21年に貨物列車は廃止され、旅客輸送も年々利用者が減少して、実質上は完全なローカル線となりました。

厚狭駅に停車中の美祢線の列車です。
①厚狭駅
とても、幹線とは思えないたった一両の列車です。

湯ノ峠(ゆのとう)駅に人の姿はありませんでした。
②湯ノ峠

列車は厚保(あつ)付近の厚狭川に沿って走ります。
③厚保付近の厚狭川

四郎ヶ原駅付近を行く長門市行下り列車です。
④四郎ヶ原長門市行

四郎ヶ原駅には大きなビャクシンの木がありました。
⑥-四郎ヶ原駅ビャクシンの木
今は静かな無人駅ですが、きっと、この大木は、長大編成の貨物列車が行き来し、多くの乗客で賑わっていたころからこの駅を見続けていたのでしょう。
⑤四郎ヶ原厚狭行
厚狭行の列車が長いホームに入線しても、人の姿はありません。

南大嶺駅です。
⑦南大嶺駅
かつて、この駅から大嶺炭鉱があった大嶺までの2.8キロの支線がありました。
でも、炭鉱の閉鎖に伴う過疎化により、平成9年に廃止されました。

こちらは、廃線間際の大嶺駅です。
⑧大嶺駅H9

さて、こちらはこの線の中心駅の美祢駅です。
⑨美祢駅
この駅から秋芳洞までバスが発着していますが、本数は多くありません。

美祢駅の北側にあったタキ1000形という炭酸ナトリウムなどを運んでいたタンク車です。
⑩美祢貨車
廃車後、長らくこの場所に放置されていましたが、今はその姿を見ることはできません。

こちらは重安駅です。
⑪重安
広大な駅構内に石灰石の積み込み施設があり、かつては長大な貨物列車が発着していたものですが、
今では利用者もほとんどなく、ひっそりと静まりかえっています。

於福駅です。
⑫於福駅
於福で上下列車の交換がありました。
⑬於福交換

美祢線の車内に利用証明書がありました。
⑭利用証明書
これを持って行くと、沿線の博物館や秋芳洞などの入場料が割引になります。

こちらが長門湯本駅です。
⑮長門湯本駅
近くに長門湯本温泉があり、かつては湯治客などで賑わったそうです。

終点の長門市に着きました。
⑯長門市
山陰本線はお乗り換えです。一部の列車はそのまま青海島の玄関口にある仙崎駅まで直通します。

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  1. 2020/02/09(日) 00:02:21|
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錦川鉄道「とことこトレイン」

今週は、旧国鉄岩日北線の未成線上を走る「とことこトレイン」をご紹介します。
錦川鉄道の終着駅、錦町から先、島根県にある山口線の日原駅までを陽陰連絡線のひとつとして建設が進められていました。
県境を越え、途中にある島根県の六日町まで路盤が完成した段階で、国鉄の財政破綻により建設は中止され、そのまま計画が頓挫して未成線となってしまったのです。

完成していた路盤を活用して、その上を走るのが、「とことこトレイン」という遊覧車です。
錦町と雙津峡(そうつきょう)温泉間の6キロを40分かけてゆっくりと走ります。

こちらは、錦町駅近くの「とことこトレイン」の乗り場です。
s-㉜とことこトレイン
春から秋にかけて週末を中心に1日3~4往復運転されており、
現在の車両は平成17年に愛知県で行なわれた愛地球博で活躍した電気自動車「グローバルトラム」です。

錦町を発車すると、全長1796メートルの広瀬トンネルに入ります。
このトンネルは「きらら夢トンネル」と名付けられています。
s-㉝きらら夢トンネル
トンネル内は6色の光る石を使った壁画が描かれており、その途中で停車するので、車外に出てゆっくりと見物することができます。
s-㉞夢トンネル
子供達が、喜んで光の絵を眺めていました。
s-㉟夢トンネル

トンネルを出て、未成線の高架橋上を走るとことこトレインです。
s-㉟高架線上

吊り橋の横を通りました。
s-㊱吊り橋から

終点の雙津峡温泉駅です。
s-㊲雙津峡温泉駅

その先にも未成線のトンネルが続いていましたが、とことこトレインはここが終点です。
s-㊳その先のトンネル

到着時間に会わせ、雙津峡温泉の日帰り入浴施設から無料バスが迎えに来ています。
s-㊴雙津峡温泉

この地に走る列車に乗ってみたかったものです。
でも、そんな日は永遠にやってこないでしょう。

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  1. 2020/02/02(日) 00:02:32|
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錦川鉄道清流線の旅②

今週は、先週に引き続き、錦川鉄道の旅。
この線で唯一の交換駅、北河内(きたごうち)駅で上り列車とすれ違いました。
s-⑳北河内交換
この車両は、栃木県のJR烏山線から平成29年にやって来たキハ40形でした。

左手の車窓に見える「かじかの滝」です。
s-㉑かじかの滝
ここを通過する時、観光客の利用が多い時間帯は徐行運転を行ないます。

清流線の名の通り、錦川の清流に沿って走ります。
s-㉓2夏の清流
これは夏に清流、沈下橋が見えています。

そして、こちらは秋の清流です。
s-㉓紅葉の清流

根笠駅付近の清流に沿って列車は走ります。
s-㉔根笠付近

これは、根笠駅に着いた上り列車です。
s-㉕根笠駅

根笠の駅前旅館「山清旅館」です。
s-㉖駅前旅館
この山峡の一軒宿に荷を解きました。

宿の窓から見える朝の列車です。
s-㉗二両編成
通学時間帯のため、二両編成で、駅前旅館の高校生の娘さんもこの列車に乗って学校に向かいました。

柳瀬~錦町間の鉄橋を渡る列車です。
s-㉘2

鉄橋の下を流れる錦川には、錦鯉が泳いでいました。
s-IMG_0642.jpg

この鉄橋を渡ると、終点の錦町駅はもうすぐです。
s-㉘柳瀬~錦町

こちらが錦町駅です。
s-㉛錦町駅

錦町の地酒は「金雀」でした。
s-㉚錦町呑み鉄

錦町駅は終着駅、この先に続く線路はありません。
s-㉙錦町車止め
でも、かつては、その先、島根県の日原まで線路を伸ばす計画で、工事が続いていました。
路盤工事はほぼ完成して、あとは線路を敷設するだけの段階で頓挫し、放置された未成線が残されています。
来週は、その未成線の上を走るおもしろい乗り物をご紹介します。




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  1. 2020/01/19(日) 00:01:05|
  2. 中国(山陰山陽)
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錦川鉄道清流線の旅①

今週から3回に分けて山口県の山間部を走る錦川鉄道清流線をご紹介します。
錦川鉄道は先週、ご紹介した岩徳線の川西駅から分岐し、錦町までの32.7キロを結び、
旧国鉄岩日線を昭和62年に継承した第三セクター鉄道です。

岩国駅で発車を待つ列車です。
s-①岩国駅
岩国~川西間は、国鉄岩日線時代から岩徳線の線路の上を走ります。

岩国城の城山から見る錦川鉄道の列車です。
s-②岩国城より
日中は大抵、たった一両だけで走ります。

川西駅です。
s-③川西駅
無人駅ですが、朝夕は通学生で賑わいます。

川西駅のホームにある錦川鉄道起点の標識です。
s-④川西キロポスト

正式には、川西駅から1.9キロ先にある森ヶ原信号場で岩徳線と分岐します。
s-⑤分岐点
この写真は錦町方面から岩国方面を見たところで、左手手前の錦川鉄道と、右手のJR岩徳線がここで合流しています。

貨物列車の車掌車を待合室に利用した駅は清流新岩国です。
s-⑥新岩国
以前は御庄駅という名前でしたが、山陽新幹線の新岩国に歩いて7分で接続していることから、平成25年に清流新岩国に駅名が変更されました。でも、今も、貨車駅の入り口には「御庄駅」の文字が見えます。

守内かさ神(しゅうちかさがみ)駅に到着した列車です。
s-⑦守内かさ神到着
この駅は三セク化後の平成5年に開業しました。
s-⑧守内かさ神駅名票

これが駅名になったかさ神神社です。
s-⑨かさ神
駅から歩いて10分ほどの山の中にありますが、人が滅多に訪れないような小さな祠があるだけでした。

守内沈下橋の近くを通過する列車です。
s-⑩守内かさ神沈下橋
沈下橋は、四国の四万十川が有名ですが、川が増水したときに水没する橋のことです。
s-⑪沈下橋
通常時は川の水面に近い低い位置に架かる石の橋で、欄干がなく、増水しても流されないように出来ています。

守内かさ神~南河内間を行く下り列車です。
s-⑫守内かさ神~南河内

南河内駅に列車が着きました。
s-⑬南河内駅
のどかな山に囲まれた田園地帯にある駅です。春は桜の花が美しいことでしょう

えきのすぐ近くに椎尾八幡宮という神社がありました。
s-⑭椎尾八幡宮
緑に囲まれた静かなお社です。
s-⑮天狗
境内に天狗の像が立っていました。

本殿の中に何枚かの古びた合戦図が飾られていました。
s-⑰合戦図

こちらは源平の一ノ谷の合戦を描いたものでしょう。
s-⑯一ノ谷合戦

朝靄が煙る山をバックに岩国行の列車がやって来ました。
s-⑲朝靄の中

この続きの旅は、また、来週、ご紹介します。




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  1. 2020/01/12(日) 00:03:11|
  2. 中国(山陰山陽)
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岩徳線の旅

今週は山口県南部の内陸部を走る岩徳(がんとく)線をご紹介します。
岩徳線は山陽本線の岩国から分岐し、同じく山陽本線の櫛ヶ浜までの43.7キロを結ぶローカル線で、すべての列車が徳山まで乗り入れています。

現在の山陽本線は、岩国から瀬戸内海沿いに柳井経由で徳山方面に走っていますが、歴史をたどれば、戦前には岩徳線が山陽本線の一部だったことがあります。また、岩国~櫛ヶ浜間の営業キロ数は山陽本線経由だと65.4キロなのに、岩徳線経由よりも21.7キロも長くなっています。そのため、この間を通して利用する場合は、岩徳線経由の短い距離数で運賃計算をする特定区間となっています。けれども、列車本数は山陽本線の方が圧倒的に多く、所要時間も短いので、この間のほとんどの乗客は、山陽本線を利用しています。

早朝、徳山駅で発車を待つ岩徳線の列車です。
s-①早朝徳山駅

山陽本線を一駅だけ走った後、櫛ヶ浜から岩徳線に入ります。
s-②櫛ヶ浜夜明け
あたりは、夜が明けようとしていました。

周防久保駅です。
s-③周防久保駅

周防久保駅に徳山行きの下り列車がやって来ました。
s-④周防久保で徳山行

こちらは、高水駅で交換する上下列車です。
s-⑤高水駅交換
どの駅も、かつて本線だった名残で、とてもホームが長いのが印象的です。
でも、使われていない部分には雑草が生い茂っています。

高水駅の近くには、特別天然記念物の鶴の飛来地があるそうです。
s-⑥高水駅鶴

周防高森駅近くを走る岩国行の上り列車です。
s-⑦上り列車

そして、こちらは徳山行の下り列車。
s-⑧下り列車
岩徳線では、今も昭和の国鉄時代に製造されたキハ40系列車が活躍しています。

周防高森駅です。
s-⑨周防高森駅
いかにも国鉄の幹線の主要駅だったという貫禄がある木造駅舎です。
もしも、今でも山陽本線だったら、とっくに新しい駅舎に建て替えられていたことでしょう。

ススキの穂が風に揺れていました。
s-⑩高森駅ホーム

駅にとても長いホームが残され、構内には今は使われなくなった広大な貨物ヤードがありました。
s-⑪高森駅長いホーム

周防高森駅から歩いて10分足らずの所にある高森天満宮です。
s-⑫高森天満宮
このあたりは、以前は周東町と呼ばれていましたが、平成の大合併で岩国市に編入されています。

こちらは川西駅に停車中の列車です。
s-⑬川西駅
この駅で錦川鉄道(旧国鉄岩日線)錦町方面は、お乗り換えです。

岩国の一駅手前の西岩国駅です。
s-⑭西岩国
昭和4年の開通当時からのこの荘重な洋風駅舎は、国の登録有形文化財に指定されています。
外観は近くにある錦帯橋を模した物です。

木製の改札口に、クラシックな電灯、なんともいえない風情を感じます。
s-⑮西岩国駅改札口
この駅は、開業時から昭和17年までは岩国駅と呼ばれており、その当時、今の岩国駅の名前は「麻里布(まりぶ)」駅でした。

こちらは日本三名橋のひとつとされている錦帯橋です。
s-⑯錦帯橋
背後の山の上には岩国城があります

吉川(きっかわ)家の居城だった岩国城です。
s-⑰岩国城
私がこの城を訪れたのは、48年ぶりのことでした。

お城の天守閣から眺めた岩国の町です。
s-⑱岩国城より
錦川に架かる錦帯橋と、その向こうに鉄橋を渡る岩徳線の列車が見えます。

終着駅の岩国に着きました。
s-⑲岩国駅

岩国の呑み鉄の地酒は「金冠黒松」でした。
s-⑳金冠黒松

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  1. 2020/01/05(日) 00:01:07|
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山陽本線防府駅と防府天満宮裸坊祭

今週は山口県にある山陽本線防府(ほうふ)駅と、防府天満宮の裸坊祭をご紹介します。

防府駅に着いた徳山行の電車です。
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ホームは一面2線だけですが、まるで新幹線のような立派な高架駅でした。
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さて、毎年11月の第4土日は、防府天満宮の裸坊祭が、盛大に行なわれます。
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夕方近くになると、裸坊と呼ばれる祭りの衆が、俵神輿をかついて、町の中を練り歩きます。
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俵の上に子供たちが乗っかっていました。
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俵を担いで、くるくると走り回ります。
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天満宮の参道は、大変な賑わいでした。
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裸坊たちは、境内に入り、石段を駆け上がり、米俵を奉納します。
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防府天満宮の祭神は菅原道真公。
この祭りは無実の罪により左遷され、太宰府で薨去した菅原道真公を慰めるための祭りだそうです。
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ご本殿の前も裸坊や参拝者であふれていました。
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午後6時になると、いよいよ熱気を帯びてきました。
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拝殿に裸坊たちがなだれ込み、神輿が石段を駆け下ります。
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このあと、大神輿は台車に乗せられ、2.5キロ離れた浜殿に運ばれ、道真公の霊を慰める神事が行なわれるのだそうです。
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かなり荒っぽい、けんか祭りでしたが、熱気にあふれていました。

祭りの後は、瀬戸内海の魚介類に舌鼓を打ちながら、防府の地酒「錦世界」で一献傾けたのでした。
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  1. 2019/12/29(日) 00:02:13|
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山陰本線「あめつち」の旅

今週は、今年7月から山陰本線の鳥取~出雲市間で運転を開始した観光列車「あめつち」の旅にご案内します。

鳥取駅で発車を待つ「あめつち」です。
①鳥取駅ホーム - コピー
この列車は、キロ47形を改造したオールグリーン車の2両編成で、週末などをを中心に臨時快速列車として運転されています。

鳥取県琴浦町浦安の地酒「鷹勇」で、朝から呑み鉄です。
②呑み鉄「鷹勇」 - コピー

列車のボディには、誇らしげにエンブレムが掲げられています。
③Emblem - コピー

車内はこんな感じです。
④車内オールグリーン - コピー
日本海や宍道湖を正面に見るカウンター席も設けられています。

車内は、あちこちに山陰の素材が生かされています。
⑤隠岐の黒松 - コピー
これは隠岐の黒松を用いた装飾で、列車の壁に飾られています。

こちらは石州瓦を使った装飾用タイルです。
⑥石州瓦 - コピー

洗面台には岩美町の岩井窯が使われていました。
⑦洗面台岩井窯(岩美町) - コピー

車内でもお酒を売っていたので、色々並べてみました。
⑧窓酒瓶 - コピー
これらを全部一人で呑んだわけではありません(笑)。

やがて、おみくじのサービスがありました。
⑨おみくじ
神の国、出雲に向かう列車ならではのサービスですね。

途中の赤崎駅で運転停車し、普通列車と行き違いました。
⑩赤崎運転停車
本線とはいえ、山陰本線は大部分が単線区間なのです。

車窓に日本海が見えてきました。
⑪風力発電風車と日本海 - コピー
その手前には風力発電の風車が見えています。

やがて、「天地御膳世明」という地元の食材を生かしたお弁当が配られました。
⑫天地御膳夜明 - コピー
この弁当は事前申し込み制で、当日、車内で買うことはできないのでご注意を。

米子駅で停車中の「あめつち」です。
⑬米子駅ホーム - コピー
米子駅では8分停車します。

続いて停車した安来駅のホームでは、安来節を披露してくれました。
⑭安来節 - コピー

松江駅に到着です。
⑮松江駅ようこそ山陰へ - コピー
ホームでは、「ようこそ山陰へ」との横断幕を掲げた駅員さんたちの歓迎を受けました。

そして、松江の開府の祖・堀尾吉晴公などに扮した武者装束の人たちもいました。
⑯堀尾吉晴

松江駅で停車中、岡山から出雲市へ向かう特急「やくも5号」を先に通しました。
⑰松江駅やくも
「あめつち」はあくまでマイペース。この観光列車の乗客で、先を急ぐ人は誰もいません。

松江を発車すると、やがて、シジミで有名な宍道湖が見えてきます。
⑱宍道湖

これが出雲大社の本殿を模した終着の出雲市駅です。
⑲出雲市駅
鳥取を発車してからのんびりと過ごした3時間47分、「あめつち」の旅は終わりました。

出雲市では出雲そばをいただきました。
⑳出雲そば

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  1. 2018/12/02(日) 00:03:13|
  2. 中国(山陰山陽)
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智頭急行の旅

今週は山陽本線の上郡(かみごおり)駅と因美線の智頭(ちず)駅を結ぶ全長56・1キロの智頭急行をご紹介しましょう。
智頭急行は、国鉄時代に兵庫県~岡山県~鳥取県を結ぶ、山陽と山陰との短絡線として計画され、民営化後の平成6年に第三セクター鉄道として開業しました。
この線は、鳥取と、京都、大阪、岡山を結ぶ陽陰連絡線としての重責を担い、何本もの特急列車が走っています。
そのため、多くの第三セクター鉄道が赤字経営に苦しむ中、安定した黒字路線なのです。

こちらは、上郡駅の普通列車の乗り場です。
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大原行の列車が発車を待っています。
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特急列車はすべてJRに直通するので、JRのホームから発車します。

苔縄~河野原円心間を行く岡山行特急「スーパーいなば」です。
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鳥取~岡山間をおよそ1時間50分で結んでいます。

ほとんどの普通列車は、一両だけの単行運転です。
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このあたりは千種川のゆったりとした流れに沿って走ります。

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こちらは、倉吉・鳥取~大阪・京都間を結ぶ「スーパーはくと」です。
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京都~倉吉間をおよそ3時間40分で走ります。

こちらは河野原円心間駅です。
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駅名は鎌倉時代末期にこの地を治めた赤松円心にちなんでいます。

河野原円心~久崎間で千種川を渡る「スーパーいなば」です。
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特急列車が次々とやってきます。

久崎駅で反対列車と交換です。
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開通が比較的あたらしいので、この線は多くの区間が高架線上を走ります。

佐用(さよ)駅で、普通列車が特急に道を譲ります。
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佐用はJR姫新線との接続駅です。
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宮本武蔵駅でも降りてみました。
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ここはその名の通り、剣豪宮本武蔵の故郷です。
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宮本武蔵駅を特急「いなば」が通過していきました。
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こちらは特急停車駅の大原です。
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この町は因幡街道の大原宿があったところです。
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今も当時の面影を残す街並みが残っています。

大原駅構内には車両基地があり、ここは智頭急行の中枢駅なのです。
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途中駅の恋山形です。
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その駅名から、恋の叶う駅として駅全体がピンク色に塗られています。

智頭急行の終点、智頭駅に着いた特急列車です。
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智頭止まりの普通列車も停車しています。

智頭急行の本社がある智頭駅です。
IMG_9612.jpg
この駅舎のあるホームに入線するのは普通列車だけで、すべての特急列車はJR智頭駅のホームに入線し、JR因美線に乗り入れて鳥取に向かいます。

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  1. 2018/11/25(日) 00:01:37|
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境線はゲゲゲの鬼太郎一色

今週は鳥取県の米子~境港間17・9キロを結ぶJR境線をご紹介します。

境線の列車は米子駅の0番ホームから発着します。
①米子駅
この線は、終点の境港が、漫画家の故水木しげるさんの故郷であることにちなんで
全線にわたってゲゲゲの鬼太郎とその仲間たちが満載です。

米子駅のホームには、ねずみ男や妖怪たちが並んでいます。
②米子駅ホーム2
③米子駅ホーム3

境線の駅にはすべて妖怪の名前がつけられており、河崎口駅は「傘化け」、米子空港駅は「べとべとさん」
④傘化け河崎口⑤べとべとさん米子空港

中浜駅は「牛鬼」、上道駅は「一反木綿」といった感じです。
⑥牛鬼中浜⑦一反木綿上道

しばらく走ると右手の車窓に大山(だいせん)が見えてきました。
⑧大山

弓ヶ浜駅では「目玉おやじ号」との列車交換です。
⑨弓ヶ浜あずきあらい目玉おやじ号
境線は駅間距離が短く、まるで路線バスのように停車します。
観光客だけでなく、地元の通勤通学客や米子空港への客に利用されています。

これが米子空港駅です。
⑩米子空港駅
この駅はかつては大篠津駅と呼ばれていましたが、平成20年に米子空港側に線路を移設し、空港連絡駅として生まれ変わりました。

米子空港駅にやって来た「ねずみ男列車」です。
⑪大篠津~米子空港
この列車の天井には、ねずみ男の姿が描かれています。
⑫ねずみ男天井

小さな無人駅、中浜で降りてみました。
⑬中浜駅

駅の近くに日御碕神社というお社がありました。
⑭日御碕神社

中浜付近を行く上り列車です。
⑮中浜~空港

そして、こちらが終着駅の境港です。
⑯境港駅ホーム
停車しているのは「こなきじじい号」です。

⑰鬼太郎駅名標
そして、この駅のもう一つの名は「鬼太郎駅」でした。

これは境港駅の駅舎です。
⑱境港駅舎
灯台を表わしていますが、駅前は妖怪だらけでした。

そして、駅前のポストには鬼太郎が乗っています。
⑲駅前ポスト

駅のすぐ近くには千代結び酒造があります。
⑳千代結び酒造

主要銘柄の「千代結び」おほか、「鬼太郎純吟」というカップ酒もありました。
s-㉙呑み鉄


橋のたもとに、目玉おやじを手の上にのせた鬼太郎がいました。
s-㉑鬼太郎
駅から続く商店街は、鬼太郎ロードと名付けられ、たくさんの妖怪に出会うことができます。
s-㉑鬼太郎ロード
s-㉒妖怪2
s-㉓妖怪1

そして、ねずみ男がうろうろしながら愛嬌を振りまいています。
s-㉔ねずみ男

これが水木しげる記念館です。
s-㉕水木しげる記念館

ここには「お化けのポスト」がありました。
s-㉖お化けのポスト

境港駅は港にも近く、巡視船「おき」が停泊していました。
s-㉗巡視船おき

岸壁で釣をする人たちがいました。
s-㉘境港で釣する人
この港からは隠岐諸島への定期船が発着しています。










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  1. 2018/11/18(日) 00:12:17|
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井原鉄道の旅

今週は、広島県の神辺から岡山県の総社間を走る井原(いばら)鉄道をご紹介します。

井原鉄道井原線は、平成11年1月11日11時11分11秒に、開通の汽笛を鳴らした第三セクター鉄道で、JR福塩線の神辺駅と、伯備線の総社駅を結ぶ41・7キロの路線です。

神辺駅で発車を待つ総社行の列車です。
①神辺駅
一日に数本、福塩線経由で福山まで乗り入れています。

この線の中心駅、井原に到着しました。
②井原到着

井原駅の駅舎は、円錐型のオブジェが印象的です。
③井原駅舎

井原~早雲の里荏原間の小田川橋梁を渡る列車です。
④井原~荏原・小田川橋梁
立派な高架橋の上を一両だけの気動車がトコトコと走ります。
⑤井原~荏原

早雲の里荏原駅に停車中の列車です。
ここは、伊豆や相模を平定した戦国武将・北条早雲の故郷なので、その名が冠せられました。
⑥荏原駅ホーム
この駅は、近くに車庫があり、乗務員の交代も行なわれる井原線の中枢となる駅ですが、ひっそりとした無人駅です。

早雲の里荏原駅の跨線橋の上からは車庫が見えます。。
⑦荏原~小田間の車庫

こちらは、矢掛駅です。
⑧矢掛駅
矢掛は、古くからの山陽道の宿場町として栄えました。

駅の近くにある樹齢三百年の臥龍の松がある専教寺です。
⑨専教寺樹齢300年臥龍松

これは矢掛宿脇本陣高草家です。
⑩脇本陣高草家
白いなまこ壁が、日本的な美しさを見せてくれています。
⑪高草家白壁

そして、これは本陣石井家です。
⑫本陣石井家
矢掛には、このような、古い街並が残されています。

町内で買ったのは、お隣の鴨方の地酒「賀茂緑」。
⑬鴨方の酒・賀茂緑
昔は、矢掛にも蔵元があったそうですが、今は残っていないそうです。

総社行の列車がやって来ました。
⑭矢掛ホーム
この駅で上下列車が行き違いました。
⑮矢掛到着

列車は、川辺宿~清根間に架かる長大な高梁川橋梁を渡ります。
⑯川辺宿~清音高梁川橋梁
長い鉄橋を渡ると、やがて清根に着きます。
清音
清音(きよね)では、JR伯備線と合流します。
⑰清音~総社
清音~総社間は、JRと井原鉄道の重複区間となっており、伯備線の普通列車とすれ違いました。

終点の総社に着きました。
⑱総社駅ホーム
総社駅は、JRとの共同駅になっており、伯備線のほか、吉備線にも接続しています。
⑲IMG_0303 (550x367)


さて、こちらは、井原線開業時のポスターです。
⑳開業時ポスター

開業から2ヶ月後に訪れた時の神辺駅です。
㉑神辺駅開業時
「祝・鉄道井原線開通」というノボリがたくさん立っていました。

その時の神辺駅のホームです。
㉒神辺駅ホーム開業時
大勢の乗客で賑わっていましたが、18年ぶりに訪れてみると、駅はひっそりとしていました。

開業記念入場券と、開業18年記念フリーきっぷです。
㉓開業記念入場券㉔開業18年フリーきっぷ
開業時の賑わいはなくなってしまいましたが、地域の足として、いつまでも、元気に走り続けてほしいものです。



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  1. 2018/05/06(日) 00:01:42|
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さようなら三江線(その2)/浜原~三次

今週は先週に引き続き、3月末をもって廃線になった三江線のようすをご紹介します。

いつ来ても変わらぬ浜原駅の佇まいです。
かつて三江北線の終着駅で、国鉄時代は有人駅でしたが、近年は乗降客はほんのわずかしかいませんでした。
駅前には昭和50年の三江線全通記念の石碑が建っています。
⑳浜原駅 (550x367)
廃止が翌月末に決まった2月中旬に訪れましたが、浜原から先は1月11日の豪雪で列車は不通になったままでした。
おそらく、もはや通勤通学の足としては利用させれておらず、長期不通になっても地元への影響はほとんどないのです。
(列車の写真は、以前にご紹介した別の時に訪れた時のものです)
㉑代行バス (550x367)
浜原~三次間で運転されていた代行バスです。

代行バスを浜原から2駅目の潮(うしお)で下車しました。
㉒潮駅 (550x385)
ここは江の川に面した静かな駅ですが、このあとも1週間列車が来ることはありませんでした。
㉓潮付近江の川 (550x349)
このあたりの江の川は、まるで湖のように静かで、あたりは静寂に包まれていました。

これは別の時に行った宇都井(うづい)駅です。
㉔宇都井到着 (550x357)
宇都井駅は山と山との間にあるトンネルに囲まれており、地上からホームまでの高さは20メートルあります。
エレベーターなどはなく、列車に乗るには116段の階段を登らねばなりませんでした。
㉕宇都井駅 (550x378)

さて、こちらは雪に埋もれた口羽駅です。
㉖口羽駅舎 (550x367)
昭和38年に開業した時には、三江南線の終着駅でした。
この日、列車の来ない夕暮れの駅でイルミネーションだけが輝いていました。
㉗口羽ホーム (550x367)
そして、この駅の近くにも三江線全通の記念碑があります。
㉘口羽開通記念石碑 (550x367)
地域の人々にとって、いかにこの線の全通が待たれていたかがわかります。

こちらは、すっかり日が暮れた式敷駅のなんとも寂しい風景です。
㉙式敷夜 (550x367)
式敷駅が開業した昭和30年には、ここが三次からの列車の終着駅でした。

これは、2年前、式敷~香淀間の朝靄の中を走る列車です。
㉚式敷~香淀 (550x367)
幻想的な風景の中を、たった一両の列車が走り去って行きました。

これは、運転本数の極めて少ない三江線の中でも、多くの列車が通過する長谷(ながたに)駅です。
㉛長谷駅
この駅に停車するのは三次方面の下りが朝の2本、口羽方面への上りは午後の3本だけしか停車しません。

これは、尾関山~三次間の橋梁を渡る上りです。
㉜三次~尾関山 (550x358)
この橋梁を渡ると、間もなく終点の三次に着きます。

三次駅でひっそりと発車を待つ折り返しの列車です。
㉝三次駅ホーム(550x362)
かつては、駅舎側の1番線の脇に三江線専用ホームがありました。

そして、三次の地酒は「瑞冠」でした。
㉝三次呑み鉄(550x367)

一部開通から88年、全通から43年、三江線は役目を終え、その歴史に幕を降ろしました。


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  1. 2018/04/15(日) 00:02:01|
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さようなら三江線(その1)/江津~浜原

今週から2回に分けて、3月31日に廃止された、山陰本線の江津と芸備線の三次を結んでいた三江線のようすをご紹介します。

三江線は、昭和5年に江津~川戸間が開通したのち、昭和12年に川戸~浜原間が開通。その後、戦争で工事が中断したものの、酢昭和30年に、三江南線、三次~式敷間が開通し、江津~浜原間は三江北線となりました。
そして、昭和50年に最後まで未開通だった浜原~口羽間が開通し、最初に開業してから45年の時を経て、ようやく三江線が全通しました。

しかしながら、沿線に大きな町はない過疎地帯で、これといった観光資源もなかったため、当初から利用者はわずかしかいませんでした。それでも並行する道路が未整備だったため、その後も走り続けましたが、やがて、国道が整備され、利用者はさらに激減。
ついに、全通から43年の時を経て、その役目を終えたのでした。

そんな三江線には何度も足を運んでいましたが、最後に2月中旬に別れを告げに訪れました。
しかし、この時は、1月の豪雪のため、浜原~三次間が不通になっていました。

これが、江津駅で発車を待つ浜原行の列車です。
①江津 (550x366)
晩年の三江線ではキハ120形が運用されており、殆どの列車が一両だけの単行運転でした。

江津の次の駅、江津本町です。
②江津本町 (550x367)
本町がつくと、いかにも町の真ん中の駅という感じですが、周囲には何もありませんでした。

川平駅です。
③川平 (550x367)
この駅は、昭和5年に三江線が最初に開通した区間の終着駅でした。

これは、川戸駅付近の陸閘門(りくこうもん)と呼ばれる門の間を行く列車です。
④川戸陸閘門 (550x367)
この門は、豪雨によって江の川の水位が上がった場合に閉じられて、冠水しないようになっています。

川戸駅に着いた上り、江津行の列車です。
⑤川戸ホーム (550x367)
かつて、反対側にもホームがありましたが、晩年は使われておらず、線路もはがされていました。

これが川戸駅の駅舎です。
⑥川戸駅 (550x367)
比較的大きな駅舎でした。

ホームが一面しか使われていないのに、こんな案内板がありました。
⑦案内板 (550x367)
きっとこの案内板は反対ホームがあったころから設置されていたのでしょう。

川戸では、「玉桜」という地酒を呑みました。
⑧川戸呑み鉄 (550x367)

鹿賀という小さな無人駅でも降りてみました。
⑨鹿賀ホーム (550x367)

雪の積もった田園地帯に、ひっそりと駅がありました。
⑩鹿賀駅遠景 (550x367)

そんな駅に江津行の列車が到着します。
⑪鹿賀到着 (550x367)

因原にも古い木造駅舎があります。
⑬因原駅 (550x367)
戦前に開業した三江北線区間には、趣のある木造駅舎がたくさん残されていたのです。

こちらは、沿線の主要駅の石見川本駅です。
⑭石見川本駅 (550x367)
石見川本では「池月」を買いました。
⑮石見川本呑み鉄 (550x367)

小さな無人駅、木路原です。
⑯木路原駅 (550x367)
近くの民家の窓に「ありがとう三江線木路原駅」という文字が貼ってありました。
⑰ありがとう三江線木路原駅 (550x367)

石見簗瀬駅にも古い駅舎がありました。
⑱石見簗瀬駅 (550x367)

やがて、終点の浜原に着きました。
⑲浜原到着 (550x367)
この日、この先に進むには、代行バスに乗り換えねばなりません。

とちらは江津駅に飾られていた桜満開の時期の川戸付近を行く列車の写真です、
(江津市の小林克己さんの作品)
⑳小林克己川戸桜 (550x358)
三江線は、ちょうど桜が咲くころに廃線になりました。
もう桜の咲く時期に列車が来ることは二度とありません。

来週は、浜原~三次間のようすをご紹介します。

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  1. 2018/04/08(日) 00:03:22|
  2. 中国(山陰山陽)
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福塩線の旅

今週は広島県を走る福塩線(ふくえんせん)のうち、塩町~府中間の非電化区間をご紹介します。
福塩線は、山陽本線の福山から芸備線の塩町間78・0キロを結ぶ路線です。
そのうち福山~府中間26・0キロは電化されており、両都市を結ぶ通勤通学路線ですが、府中~塩町間59・8キロは非電化で、山間部を行く閑散とした区間となっています。

これは、夜明け前の三次駅で発車を待つ府中行の列車です。乗客は私のほか、一人しかいませんでした。
①三次夜明け前
福塩線非電化区間の列車は、すべて芸備線の三次まで乗り入れています。

塩町駅で、備後落合、備中神代方面の芸備線と分かれて福塩線に入ります。
②塩町

朝靄の中の吉舎(きさ)駅で反対列車との交換です。
③吉舎駅朝靄
この区間では、すべてキハ120が運用されています。

梶田駅での朝焼けです。
④梶田駅朝焼け
このあたりは雪が積もっていました。

備後安田駅で停車中の列車です。
⑤備後安田駅ホーム

この駅には昔ながらの駅舎が残っています。
⑥備後安田駅舎
備後安田駅に、上り府中行き列車がやって来ました。
⑦備後安田上り列車到着
かつて貨物列車の集積場があったのでしょうか。駅構内にある錆びついた車止めを見ると、なんとも寂しさがつのります。
福塩線から貨物列車が廃止されたのは昭和61年のことでした。

甲奴(こうぬ)駅です。
⑧甲奴駅舎
こちらも昔ながらの駅舎が残っていますが、駅員の姿はありません。

甲奴~上下間を行く三次行きの列車です。
⑩甲奴~上下

そして、朝から三次の地酒「美和桜」で呑み鉄をしました。
⑨美和桜呑み鉄

こちらは、この区間の中心駅、上下駅です。
⑪上下駅舎
かつて、この駅から帝釈峡へのバスが発着していましたが、廃止されてしまいました。
⑫上下駅停車中
上下駅に府中行きの上り列車が停車しています。

こちらは備後矢野駅です。
⑬備後矢野駅
40年以上も前、私はこの駅で何度も降りて、近くにあるユースホステルに泊まりに行ったものでした。

終着の府中では、福山行きの黄色い電車に接続しています。
⑭府中駅

これは国鉄時代のこの区間のきっぷです。
⑮きっぷ
今では上下駅が委託駅になっているほかは、すべて無人駅です。

そして、駅のスタンプです。
⑯スタンプ

かつて、この塩町~府中間には、区間運転も含めて一日15往復の列車が運転されていました。
けれども、今では、朝夕だけの6往復に削減され、日中は6時間以上も運転されない閑散路線になってしまいました。
今や、存亡の危機に立たされていると言っても過言ではありません。

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  1. 2018/03/25(日) 00:02:53|
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大田市駅と石見銀山

今週は島根県にある山陰本線大田市駅と、石見銀山のようすをご紹介しましょう。

大田市駅は、島根県の県都の松江駅から西に、65・3キロ離れた場所に位置します。
①ホーム
本線とはいえ、このあたりの山陰本線の列車は、特急列車も普通列車も、大抵2両編成です。

この駅のホームには石見銀山の看板が立っていました。
②石見銀山看板
石見銀山は、16世紀から高品質の銀などを大量に産出した鉱山で、大正12年まで採掘が続けられていました。
周囲の古い昔ながらの景観と合わせて、平成19年にユネスコの世界遺産に登録されています。

これが大田市駅です。
③駅舎
石見銀山は、この駅からバスで約20分の距離にあります。

これが、現在は石見銀山資料館になっている大森代官所跡です。
④大森代官所跡石見銀山資料館
そのあたりは、美しい石見瓦の家が並ぶ江戸時代の街並がそのまま残されています。
⑤街並み俯瞰

こちらは理容館アラタです。
⑥理容館アラタ
大正時代の理容室で「全国理容遺産認定第1号」との説明板がありました。

こんな昔ながらの煙草屋さんもありました。
⑦煙草屋

これは、代官所地役人だった河島家の屋敷です。
⑧代官所地役人河島家
この家は中に入ることができます。
⑨河島家内部

こちらは五百羅漢のある羅漢寺です。
⑩羅漢寺

本当に江戸時代にタイムスリップしたような街並ですね。
⑪街並
電柱がないので、景観がより美しく映えます。

こんな屋根の家がありました。
⑫鳩の屋根

こちらは鉱山へ向かう道にある清水寺にある石仏です。
⑬清水寺の石仏

そして、こちらは旧清水谷製錬所跡です。
⑭清水谷精錬所跡
これは明治27年に藤田組(現在のDOWA)が建設した精錬所跡ですが、
採算が取れず、わずか1年半で閉鎖されてしまいました。

これは銀山の入口近くにある高橋家住宅です。
⑮享和元年1801年山組頭高橋家
享保元年(1801年)に建てられたもので、高橋家は銀山を取り仕切る山組頭を務めていました。

これは、銀山の安全を祈願する佐毘売山神社神社です。
⑯佐毘売山神社
鬱蒼とした木々に囲まれ、霊験あらたかな気配が感じられました。

これは龍源寺間歩(りゅうげんじまぶ)と呼ばれる坑道の入口です。
⑰龍源寺間歩入口
石見銀山にはこのような坑道跡がたくさん残されています。
⑱坑道内部
江戸時代の最盛期には、このあたりで20万人もの鉱夫が働いていたということです。
高賃金のため、多くの鉱夫が集まりましたが、重労働な上、照明のランプの煤や粉塵を吸い込むため、彼らの平均寿命は30歳だったそうです。

石見銀山の歴史を学んだ後、大田市駅で買った地酒は、その名も「石見銀山」。
⑲呑み鉄
山陰本線の列車の中で、日本海を眺めながらいただきました。

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  1. 2018/03/18(日) 00:02:36|
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竹原駅と安芸の小京都竹原

今週は、広島県にある呉線竹原駅と、安芸の小京都、竹原の街並みをご紹介します。
①瀬戸内マリンビュー
広島駅から呉線の快速「瀬戸内マリンビュー」に乗り、竹原駅で途中下車をしました。

これが竹原駅です。
②竹原駅

竹原は安芸の小京都と言われ、市街地に古い街並が残っています。
③街並み
このエリアには電柱がなく、しっとりとした佇まいが和ませてくれます。
④街並み

これは、竹鶴酒造です。
⑤竹鶴酒造
そう、竹原は数年前に放映されたNHKの朝ドラマの「マッサン」の故郷なのです。
⑥マッサンとリタ
これがニッカウヰスキーの創業者、マッサンとリタの像です。
でも、竹鶴酒造は見学や小売りをやっていませんでした。

そこで訪れたのはもうひとつの酒蔵、藤井酒造の酒蔵交流館を訪れました。
⑦藤井酒造
この蔵で、純米酒「寶寿」を買いました。
⑧藤井酒造寶寿

近くにある照蓮寺です。
⑨照蓮寺

そしてこちらは笠井家住宅です。
⑩笠井家

昼食は「ゆきちゃん」というお好み焼き屋さんに入りました。
⑪ゆきちゃん

ボリュームたっぷりの広島風のお好み焼きです。
⑫お好み焼き

⑬呑み鉄⑭スタンプ

竹原駅から三原行の上り列車に乗りました。
⑮三原行き上り列車
やがて、車窓には瀬戸内の海が広がりました。
⑯瀬戸内の海


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  1. 2017/10/22(日) 00:02:01|
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今はなき下津井電鉄

岡山県の廃止線第三弾、今週は茶屋町から下津井を結んでいた下津井電鉄をご紹介します。

下津井電鉄は国鉄宇野線の茶屋町から瀬戸内海沿いの下津井までの21・0キロを結んでいました。
全通は大正3年と古く、下津井港から海を渡って丸亀港への連絡船があったため、国鉄宇高連絡船とともに、本州と四国を結ぶルートとしての役目を担っていたこともありました。

しかし、時代の流れと共に年々利用者が減少、昭和47年には茶屋町~児島間が廃止され、末端区間の児島~下津井間6・3キロを残して、国鉄とは接続しない単独の短い路線となってしまいまったのです。
私が訪れたのは、末端区間だけがまだ残っていた昭和56年の大晦日のことでした。

これが、道路の脇にポツンと建てられた簡素な造りの児島駅です。
①児島駅
茶屋町までつながっていた時には、もっと立派な駅舎があったそうです。
②サボ
児島~下津井のサボ(行先表示板)です。

児島駅近くを行く列車です。
③児島付近
下津井電鉄は線路の幅がわずか762ミリしかないナローケージでした。

途中の主要駅だった鷲羽山駅に着いた列車です。
④鷲羽山駅到着
訪れたの日が大晦日だったので、お正月に備えて列車の前には、小さなしめ縄が結び付けられていました。

なんとも味わい深い手書きの駅名票がありました。
⑤鷲羽山駅名票

⑥鷲羽山付近1
いずれも鷲羽山付近を行く列車です。
⑦鷲羽山付近2
枯草の中をのどかに走っていましたが、残念なことに写真が退色してしまいました。

鷲羽山の頂上からの眺めです。
⑧山からの眺め
下津井港の向こうに瀬戸内海が緋色がっています。
この時点では、まだ瀬戸大橋は工事中でした。

終点の下津井駅のホームです。
⑨下津井駅ホーム

駅の構内には使われなくなった古い列車が放置されていました。
⑩古い車両クハ5
もっと早く茶屋町まで走っていた時代に訪れたかったなあと思います。

これが下津井駅です。
⑪下津井駅舎
いかにも風格のある終着駅でした。
駅前には丸亀港行の連絡船の時刻表が掲げられています。

⑫車内券
これは廃止前に使われていた切符です。
⑬入場券

そして、これらは、茶屋町までつながっていた頃の乗車券です。
⑭昔の乗車券⑮三ノ宮行と往復券
未使用のものは、私が訪れた時に下津井駅で記念品として売っていたのです。日付がありませんが、3等の表示があるのはおそらく昭和30年代に使われていたものでしょう。

そんな下津井電鉄は、瀬戸大橋が開通した3年後の平成3年に全線廃止されてしまいました。

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  1. 2017/06/18(日) 00:02:51|
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今はなき岡山臨港鉄道

今週は昭和のころに廃止された岡山県のローカル私鉄の第2回目、国鉄宇野線の大元と岡山港間8・1キロを結んでいた岡山臨港鉄道をご紹介します。

岡山臨港鉄道は、沿線工場の物資の輸送を主目的に昭和22年大元~岡山港間が開業し、当初は工場従業員や沿線住民のために全線で旅客輸送も行なっていました。
しかし、昭和48年に、岡南元町(こうなんもとまち)~岡山港間はの旅客輸送廃止し、貨物専用線となったため、私が訪れた昭和56年には旅客輸送は大元~岡南元町間6・6キロの区間になっていました。

これは大元駅で発車を待つ岡南元町行の列車です。この時、すでにかなりくたびれていました。
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全列車同じ区間を走ります。この時点での一日の運転本数は一日13本(平日)でした。

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駅名票とサボ(行先表示板)です。
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わずか5駅、15分で終点の岡南元町に着きました。。
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列車の反対側はこんな形をしていました。
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元々は二両以上で運転されていた気動車を単行運転できるように改造して、一両に両側に運転台を設置したため、こんな歪な姿になったようです。

これが岡南元町駅です。
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小さな駅舎に駅員さんが勤務していました。
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周囲は工場や倉庫の並ぶ臨海地帯でした。

これが、岡山臨海鉄道の乗車券です。
IMG_20170522_0009 (280x550) (255x500)IMG_20170522_0008 (261x350)
その後、岡山臨海鉄道は貨物輸送と旅客ともに激減し、私が訪れた日からちょうど3年後の昭和59年末に全線で廃止されてしまいました。

来週は、下津井電鉄をご紹介します。

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  1. 2017/06/11(日) 00:02:10|
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今はなき同和鉱業片上鉄道

今週から3回にわたってかつて、岡山県を走っていたローカル私鉄をご紹介します。
第1回目の今週は、同和鉱業片上鉄道です。

昭和のころ、同和鉱業は岡山県の片上鉄道と、遠く離れた秋田県の小坂鉄道の2つの鉄道を運営していました。
岡山県の片上鉄道は、柵原(やなはら)鉱山から産出される硫化鉄鉱を片上港に運搬することを目的に、大正12年に片上から国鉄山陽本線に接続する和気(わけ)までが部分開通し、その後、昭和6年に柵原までの全線が開通しました。
鉱物輸送のほか、沿線住民の足として長年活躍していました。
しかしながら、昭和40年代から徐々に柵原鉱山の生産量の減少し、それに伴って旅客輸送も大幅に減少してしまいました。
昭和61年には鉱物輸送がトラック輸送に切り替えられ、その後も細々と旅客輸送を続けていましたが、ついに平成3年に廃線となり、68年間の歴史に幕を降ろしたのでした。

さて、私がこの線を訪れた昭和56年12月のようすをご紹介します。

これは起点の片上駅です。
①片上駅舎
国鉄赤穂線の備前片上駅から歩いて10分ぐらいのところにありました。

片上駅で発車を待つ列車です。
②片上駅ホーム
この駅は鉱山から運ばれて来る硫化鉄鉱を片上港から船で運ぶために設置された駅で、広大な貨物ヤードの中に小さな気動車がポツンと止まっていました。

なんとも味わいのある駅名票ですね。
③片上駅名票

そして、これは列車に掲げられたサボ(行先表示板)です。
④サボ

こちらは山陽本線と接続する和気駅です。
⑤和気駅絵金と乗客
片上鉄道でもっとも乗降客の多い駅でした。
(なお、ここに写っているキハ303は現在も動態保存されています。)

和気駅にも多くの貨車の姿が見られました。
⑥和気駅

和気駅にあった沿線の名所案内板です。
⑦名所案内
吉ケ原(きちがはら)から津山へのバス路線は今も走っているそうです。

こちらは終点の柵原駅です。
⑧棚原駅ホーム
背後には同和鉱業柵原鉱業所がそびえ建ち、いかにも鉱山の駅という風情でした。
⑨棚原駅名票

これは、柵原駅舎です。
⑩柵原駅舎
三角屋根のお洒落な駅舎でしたが、廃線後に解体されてしまったそうです。
けれども、同じ造りの隣駅の吉ケ原駅舎は「柵原ふれあい鉱山公園」の中に保存され、そこでは、今も多くの車両が動態保存されているので、機会を見つけて、是非、再訪したいと思っています。

これが、当時の乗車券類です。
⑪硬券切符
⑫車内券
車内券には全駅が記載され、一番上の柵原には鉱山のマークが、一番下の片上のところには、港のマークが印刷されていることが、この線の特徴を表しています。

そんな片上鉄道が役目を終え、岡山県の地図から消えてから、早くも26年もの年月が過ぎてしまいました。

来週は、国鉄宇野線の大元駅から分岐していた岡山臨港鉄道をご紹介します。

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  1. 2017/06/04(日) 00:03:07|
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津山線の旅

今週は岡山県を走るJR津山線をご紹介しましょう。
津山線は山陽本線の岡山と、姫新線の津山間58.7キロを結ぶローカル線です。

岡山駅で発車を待つ津山行きの列車です。
①岡山駅
キハ120系の2両編成でした。

途中、金川駅で岡山駅列車と行き違いました。
②金川到着岡山行
こちらはキハ40系の4両編成です。朝の通勤通学時間帯は4両編成で運転されているようです。

建部~福渡間の旭川橋梁を渡る福渡行の下り列車です。
③福渡~建部下り
この橋梁は美作と備前の国境にあります。
④福渡~建部上り
こちらは上り快速岡山行です。この列車は国鉄色に塗装され、休日には快速「みまさかファンタジー」として運転されます。

福渡駅での行き違い風景です。
⑤福渡交換
福渡では、その名も「福わたり」というお酒を見つけました。
⑥清酒福わたり
このあたりのお米を使って淡路島の蔵元が作ったお酒だそうです。

こちらは弓削(ゆげ)~神目(こうめ)間を行く津山行の下り列車です。
⑦弓削~神目下り
のどかな風景の中を列車は走ります。
⑧弓削~神目

こちらは弓削駅です。
⑨弓削駅
弓削は、河童と川柳の町だそうです。

こちらは亀甲(かめのこう)に着いた列車です。
⑩亀甲駅
平成7年、駅舎を亀の形に建て替えました。亀甲は、近くにある亀の甲羅に似た岩にちなんだ地名です。

駅舎の中には亀が飼育されていました。
⑪本物の亀

そして、駅の周りは亀だらけです。
⑫オブジェの亀
駅にあるかめのオブジェ、

そして、こちらは亀の時計です。
⑬亀時計

「かめっち」という亀のマンホールもありました。
⑭マンホール亀

津山口~津山間を行く列車です。
⑮津山~津山口
線路端にコスモスの花が咲いていました。

終点の津山駅のホームです。
⑯津山駅ホーム
どっしりといたホームの屋根は、いつ訪れても変わることはありません。

「ノスタルジー」のヘッドマークをつけたキハ47が発車を待っています。
⑰津山駅ノスタルジー

これは津山駅舎です。
⑱津山駅舎
現在、補修工事が行われています。

こちらは駅構内に昨春、オープンした「津山まなびの鉄道館」です。
⑲津山まなびの鉄道館
「津山まなびの鉄道館」につきましては、1月8日に公開したブログでご紹介しています。

こちらは津山城です。津山藩・森忠政が12年の歳月をかけ、元和2(1616)年に築城しました。
⑳津山城
天守閣は現存しませんが、市内を見下ろす高台に建っています。

こちらは旧津山藩別邸の庭園であった衆楽園です。
㉑衆楽園(旧津山藩別邸庭園)
大きな池や水路のある広大な庭園が無料開放されており、市民の憩いの場になっています。

衆楽園の池にも亀がいました。
㉒衆楽園の亀
この日は亀に縁のある一日でした。

こちらは国鉄時代の津山線の入場券です。
㉓入場券

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  1. 2017/02/26(日) 00:02:28|
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津山まなびの鉄道館

今週は、昨年4月に岡山県津山市に開館した「津山まなびの鉄道館」をご紹介しましょう。

ここは、姫新線、津山線、因美線が交差するJR津山駅構内にある旧津山扇形機関車庫を中心とする博物館です。
①扇形車庫 (550x367)
昭和11年に建造されたこの機関車庫は、我が国二番目の規模を誇るもので、平成21年に近代化産業遺産に指定されました。
この博物館の特徴は、非電化区間の津山にあるため、ここで保存されている列車に電車や電気機関車が一両もないことです。

左から、キハ181、キハ58、キハ28の気動車群です。
②キハ181キハ58キハ28 (550x366)
キハ181は、非電化路線の特急用車両として全国各地で活躍し、岡山県では伯備線を走る「やくも」として山陽と山陰を結ぶ大動脈として走り続けました。また、キハ58、キハ28は急行用気動車として全国各地で見られたものです。

転車台の上に乗っているのは、DF50ディーゼル機関車です。
③DF50 (550x367)
これも北海道を除く全国の非電化幹線で活躍しました。

こちらはキハ33で、主に鳥取県の境線で使われていました。
④キハ33 (550x367)
これはオハ50形客車にディーゼルエンジンを積んで自走できるようにした変り種で、この列車は民営化直後の昭和63年に2両だけ改造された希少なものです。

こちらはキハ52です。
⑤キハ52 (367x550)
全国の山間部の路線で活躍し、この車両は平成22年まで新潟県の大糸線を走っていました。

そして、ご存知デゴイチです。
⑥D512 (347x550)
これは、全国で1115両も製作された日本を代表する蒸気機関車D51の2号機で、関西本線などで活躍していました。

そして、こちらは蒸気機関車の後継として量産されたディーゼル機関車DD51です。
⑦DD51 (355x550)
現役の蒸気機関車を撮影していたころ、デゴイチが来るはずがDD51に置換されていると「なんだデラックスデゴイチ」が来てしまった」とがっかりしたものですが、今では残り少なくない貴重な存在です。

これは、日本最大の大型ディーゼル機関車DE50の1号機です。
⑧DE501 (367x550)
でも、導入予定路線が次々に電化されたため、たった一両しか製作されなかった「一人っ子」でした。

こちらは除雪用ディーゼル機関車DD15です。
⑨DD15除雪用機関車 (550x367)
全国の寒冷地で運用され、この車両は主に北陸本線で活躍していました。

これは入れ替え作業用の10t貨車移動機です。
⑩10t貨車移動機 (550x367)
分類上は車両ではなく、機械として扱われるそうです。

屋内の展示場にはジオラマがあります。
⑪ジオラマ (550x367)
ジオラマも津山駅と扇形機関車庫が模型になっています。

因美線で使われていたタブレット閉塞機です。
⑫タブレット閉塞機 (550x367)
かつて単線区間ではどこでも見られたもので、この機械により、列車の安全運行が確保されていました。

昔の津山駅をイメージした展示や、懐かしいホーローびきの駅名票がありました。
⑬昔の津山駅イメージ (267x400)⑭琺瑯びき駅名票 (267x400)
ホーローびきの駅名票のある駅も少なくなりました。

列車のサボに、腕木式信号機です。
⑮サボ (267x400)⑯腕木式信号 (267x400)
今では見られなくなってしまいました。

⑰スタンプ (350x345)
この博物館は津山駅から歩いて10分ほどの場所にあります。

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  1. 2017/01/08(日) 00:01:23|
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美作河井駅の情景

今週は岡山県にある因美(いんび)線の美作河井(みまさかかわい)駅をご紹介しましょう。
因美線は、山陰本線の鳥取と姫新線の東津山を結ぶ70・8キロのローカル線です。
かつては、因美線と津山線を経由して鳥取と岡山を結ぶ急行「砂丘」や、姫新線を経由して大阪までの急行「みささ」が運転され、陽陰連絡線の重責を担っていました。
しかしながら、平成6年に因美線の途中駅である智頭(ちず)から山陽本線の上郡を結ぶ智頭急行が開業して鳥取と大阪・京都とを結ぶ特急「スーパーはくと」が誕生し、さらに、平成9年に岡山行の「砂丘」が廃止されて、智頭急行経由の特急「スーパーいなば」に置換されると、智頭~東津山間は、完全なローカル線となってしまいました。
美作河井は、そんな区間にある岡山県と鳥取県と県境にある山峡の小さな駅です。

これが美作河井駅です。
①駅舎
昔ながらの佇まいを残す木造駅舎です。

智頭行の列車が去って行きました。
②智頭行列車
ここで降りると、2時間も次の列車はやってきません。
でも、のんびりと途中下車するには、ちょうどいい時間です。

駅前には「鐡道開通七十周年記念」の石碑が建っていました。
③鐡道開通70周年石碑
この駅が開業したのは昭和6年のことです。

この駅に駅員さんがいて、窓口できっぷを売っていたのはいつの頃までだったのでしょうか。
④窓口
窓口の向こうでは、駅員の帽子をかぶったぬいぐるみが手を振っていました。

昔ながらのトイレです。
⑤トイレ
正に昭和そのものの佇まいでした。

かつては、この駅で列車交換が行われており、通過する急行列車が徐行しながらタブレット交換をする光景も見られました。
⑥ホーム
でも、急行がなくなってから、駅舎側の線路ははがされてしまったのです。

この駅の構内には小さな転車台が残されています。
⑦転車台
これは、かつて、降雪時に使われたラッセル車の方向転換を行なうためのもので、近代化産業遺産に指定されています。

この駅のベンチで呑んだお酒は、岡山県真庭の地酒「萬悦 御前酒」。
⑧呑み鉄
誰もいない静かな無人駅で、チビチビと呑む酒も、なかなか乙なものです。

駅から歩いておよそ15分のところに、加茂川に架かる松篲(まつほうき)橋梁があります。
⑨鉄橋
夕方の津山行の列車が通るころには雨が降って来ました。

駅に戻るとかなり激しい雨になりました。
⑩雨の駅舎
智頭行の列車の時刻が近づいてもあたりに人影はなく、なんとも寂しい雨の夕方でした。

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  1. 2016/11/13(日) 00:01:40|
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呉線の旅

今週は広島県を走る山陽本線の三原と海田市(かいたいち)を結ぶ呉線をご紹介します。
呉線は、瀬戸内海に沿って走る93・4キロのローカル線ですが、途中の広以西への下り列車は、海田市からすべて広島まで乗り入れています。
国鉄時代は、急行「音戸」や寝台特急「安芸」などの優等列車が運転されていたこともありましたが、現在ではすべて地域輸送の普通列車と快速列車のみが運転されています。

三原駅で発車を待つ広行の下り列車です。
①三原駅 (550x367)

三原の地酒「酔心」です。
②酔心 (550x367)
乗った電車の車内がロングシートだったので、呑み鉄がとてもやりにくかったのです(笑)

しばらくすると、車窓から風光明媚な瀬戸内の海を眺めることができます。
③瀬戸内の海 (550x367)
これは須波~安芸幸崎間の風景です。

こちらは安芸幸崎(あきさいざき)駅です。
④安芸幸崎駅 (550x367)
沿線には、このような昔ながらの駅舎がある小さな駅が残されています。

主要駅の竹原駅の風景です。
⑤竹原駅 (550x367)
古い街並の残るこの駅に、次回、訪れる時は途中下車したいと思っています。

こちらは広駅です。
⑥広駅 (550x367)
広~広島間は、大幅に運転本数が多くなります。

安芸阿賀~呉間の鉄橋を渡る列車です。
⑦安芸阿賀~呉 (550x367)

そして、こちらはこの線の中心、呉駅です。
⑧呉駅 (550x362)
人口約22万人、広島県第3の町、呉は、明治時代より海軍の町として栄え、現在も海上自衛隊の基地があります。

駅から歩いてすぐの場所に戦艦大和ミュージアムがあります。
⑨戦艦大和 (550x367)
ここには、縮尺〇分の1の大和の模型があるほか、本物のゼロ戦や、人間魚雷回天などが展示されている軍事博物館です。
ゼロ戦

こちらは入船山公園にある明治38年に建てられた呉鎮守府司令長官官舎です。
⑩入船山記念館 (550x367)
奇跡的に戦災を逃れたこの建物は、国の重要文化財に指定されています。

さて、呉駅に戻りましょう。
⑪呉駅ホーム (550x367)
広島行の快速「安芸路ライナー」がやってきました。

呉の地酒は「千福」です。
⑫呉の千福 (550x367)

途中駅の天応(てんのう)で交換する上下列車です。
⑬天応駅ホーム (550x367)
広からは列車本数が多いので、いくつもの駅で列車交換が行われます。

こちらは天応駅です。
⑭天応駅 (550x367)
昔ながらのローカル駅の風情が感じられる駅でした。

天応駅の近くのトンネルから出てきた広行の上り列車です。
⑮天応トンネル (550x367)
このトンネルの右側にあるのは、呉線が電化される以前、昭和45年まで使われていたトンネルです。
天応から終点の広島までは普通列車でおよそ30分の道のりです。


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  1. 2016/06/12(日) 00:01:11|
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三江線の旅②(浜原~江津)

今週は先週に続いて芸備線の三次と山陰本線の江津(ごうつ)を結ぶ三江線の旅にご案内します。

これが浜原駅です。
⑫浜原駅 (550x371)
かつての終着駅で三江線の拠点駅ですが、現在は無人駅になってしまいました。
駅前には三江線全通の記念碑が建っています。

浜原を江津行の列車が発車して行くところです。
⑬浜原発車 (550x364)
今は使われなくなった引き込み線に雑草が生えています。
これは、かつて貨物列車が走っていたころの名残です。

石見簗瀬(いわみやなぜ)駅です。
⑭石見梁瀬駅 (550x367)
浜原から北は戦前に開通したため、昔ながらの木造駅舎の残る駅がたくさんあります。

石見川本に着きました。
⑮石見川本 (550x367)
現在のダイヤでは三次発、朝の二番列車は石見川本止まりとなっています。
実際は同じ列車がこの駅で1時間34分停車して、江津に向かうのですが、乗客は一旦、すべてこの駅で列車から降ろされます。

この駅で待ち時間を過ごす乗客たちを川本町商工会の方が出迎えて町の案内図を配ってくださいました。
⑯商工会の有田さん (367x550)
列車に描かれたお神楽の踊りに合わせてポーズを取る商工会のAさんです。
彼は、町の灯を消さないため、三江線の存続を求める署名運動を行なっていたので、私も協力しました。

これが石見川本駅です。
⑰石見川本駅 (550x367)
三江線の途中駅では最大の駅で、平日には委託駅員も勤務しています。
94分の待ち時間は、ゆっくり食事をしたり、この町を散歩するのにちょうどよい時間でした。

三次行の列車がやって来ました。
⑱石見川本到着 (550x355)
この列車と交換すると、江津行も発車します。

これは因原駅です。
⑲因原駅 (550x367)
この駅に駅員がいたのはいつのころまでだったのでしょうか。

ずっと並行していた江の川も、江津が近づくと川幅が広くなってきました。
⑳江の川下流 (550x343)

そして、終点の江津に到着しました。
㉑江津到着 (550x367)
この列車は折り返し、三次行となって同じ線路の上を帰って行きます。

江津では石見神楽が盛んです。
㉒御神楽 (550x387)
夏に訪れた時、市内の広場では地元の人たちと一緒に「大蛇(おろち)」の熱演風景を見ることができました。

そして、これは昭和55年に訪れた時の国鉄浜原駅です。
㉔国鉄浜原駅 (550x393)
この時から36年もの時間が過ぎてしまいました。

国鉄時代の入場券です。
㉕国鉄入場券 (457x600)
江津~浜原間の三江北線区間には多くの有人駅がありました。

なんとか、このローカル線の存続を祈るばかりです。
三江線に乗ろう

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  1. 2016/03/27(日) 00:01:27|
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三江線の旅①(三次~浜原)

今週から2回にわたって広島県の三次(みよし)と島根県の江津(ごうつ)を結ぶ108・1キロを結ぶ長大なローカル線、三江線の旅にご案内します。
まず今週は、三次から浜原までの58・0キロをご紹介します。

山陽山陰連絡線のひとつとして計画された三江線の歴史は、昭和5年に石見江津(現江津)~川戸間の開通に始まり、昭和12年には浜原まで開通しました。
その後、戦争をはさみ、三次方面から昭和30年に三次~式敷間、さらに38年に口羽に開通。
そして、それからさらに12年後の昭和50年に浜原~口羽間が開通して、最初の区間が開通してから45年の歳月を経て、ようやく三江線は全通したのでした。
㉓開通記念切符 (550x425)
これは、全通した時に発売された記念入場券です。

しかしながら、全通した時点では、すでに世の中はクルマ中心の社会に変貌しつつあり、また沿線の過疎化が進行する中、三江線は常に存亡の危機にさらされていましたが、国鉄末期においても、並行する道路が未整備ということで、廃線を免れてきました。

けれども、現在、輸送密度(1日1キロあたりの乗客数)は、わずかに60人と、全国のJR路線の中で最下位となっています。
ここへきて、ついにJR西日本は廃線に向けた話し合いを地元自治体と始めており、その存続はいよいよ危機に直面しています。

これまで幾度となく訪れた三江線を三次からご紹介します。
なお、訪れた時期が異なるため、順番や季節が混同することをご容赦ください。

冬の雨の朝、三次駅で発車を待つ始発列車です。
①三次駅夜明け前 (550x366)
この列車は2度乗りましたが、いつも乗客は私ひとりでした。普段は誰も乗っていないのでしょうか。

雨の降りしきる式敷(しきじき)駅で途中下車しました。
③-2式敷夜明け前 (550x367)
誰もいない夜明け前の無人駅。
列車が行ってしまうと、聞こえるのは雨の音だけでした。

やがて、夜が明け、三次行の一番列車がやってきました。
④式敷~香淀
朝靄の中、なんとも幻想的な風景の中を江の川に沿って走ります。
⑤式敷~香淀 (550x367)
おそらく、この列車も乗客は誰も乗っていなかったのではないでしょうか。

次の駅の香淀(こうよど)に着いた三次行の二番列車です。
⑥香淀到着 (550x357)

そして、こちらは夜明け前の口羽(くちば)駅です。
この駅で上下の始発列車同士が交換します。
⑦口羽夜明け前 (550x351)
この駅は全通するまでは三江南線の終着駅でした。

三次に戻って、あらためて江津に向かいます。
①改めて三次出発
今度の列車はお神楽列車です。この沿線は石見神楽などのお神楽が大変盛んなのです。

そして、車内では三次の地酒「瑞冠」で呑み鉄です。
三次地酒瑞冠

三次を出ると、列車はすぐに江の川の鉄橋を渡ります。
②三次~尾関山 (550x358)
三江線はほぼ全線にわたってこの川に沿って走ります。

三江線の秘境駅と言われる長谷(ながたに)駅です。
③長谷駅 (550x356)
この区間の三江線の列車は上下10本しかありませんが、そのうちの半分がこの駅を通過してしまうのです。

改めて口羽駅です。
⑦-2口羽夏 (550x368)
これは数年前の夏ですが、この時のダイヤでは昼前に口羽で上下線の列車が交換していましたが、現在は早朝と夕方しかこの駅での交換はありません。

赤茶色の石見瓦の屋根が特徴的な口羽の駅舎です。
三江線口羽874 (550x373)

宇都井(うづい)駅に到着した三次行の列車です。
⑧宇都井到着 (550x367)
この駅は高い位置にあるトンネルとトンネルを結ぶ橋の上にあります。

そのため、ホームまで116段の階段を登らねばなりません。
⑨宇都井駅 (550x378)
階段の途中には、地元の子供たちが描いたこのような紙がほぼ10段おきに貼ってありました。
宇都井あと86段 (550x367)

江の川沿いにある潮(うしお)駅です。
⑩潮駅 (550x367)
近くに温泉があるため、比較的利用者の多い駅です。

そして、これが浜原駅です。
⑪浜原交換 (550x380)
この駅は、かつて三江北線の終着駅だった運転上の主要駅ですが、現在は利用者は少なく、ひっそりと静まり返っています。

この続き、浜原~江津間は、来週ご紹介します。

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  1. 2016/03/20(日) 00:01:27|
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伯備線方谷駅

今週は、岡山県の山の中にある伯備線の方谷(ほうこく)駅をご紹介しましょう。
伯備線は山陽本線の倉敷から山陰本線の伯耆大山を結ぶ138.4キロの路線で、岡山で山陽新幹線から特急「やくも」に乗り継いで、米子、出雲市方面へ向かう陽陰連絡のメインルートとなっています。
列車は深い山の中を川に沿って走り、沿線には鄙びた小さな駅がいくつもあります。

そんな駅のひとつが方谷駅です。
①方谷駅
昭和3年の開業当時からの姿を今に残すこの駅舎は、文化庁から登録有形文化財に指定されています。

下りの新見行がやって来ました。
②新見行
伯備線の普通列車は国鉄時代からの115系電車が今も主力車両として走っています。

改札口の脇には色褪せた青い板に、白い文字で書かれた駅名票があり、遠い国鉄時代を偲ばせてくれます。
③改札口
そして、駅舎内はゴミひとつ落ちておらず、駅前に植えられた木もきちんと剪定されていました。

近くには高梁(たかはし)川が流れます。
④高梁川
岡山県内を走る伯備線は、鳥取県境に近い花見山を源流として瀬戸内海に注ぐこの川に沿って走ります。

駅前には山田方谷の碑が建っています。
⑤山田方谷碑
幕末の儒学者、山田方谷は備中松山藩の生まれで、松山藩から藩の財務責任者に任命され、困窮した藩の財政を立て直し、また、その後、教育にも心血を注ぎました。彼は明治元年にこの近くに長瀬塾という私塾を作り、多くの門下生を育てたことから、彼の功績にちなんでこの駅名がついたのです。

姫路行きの上り列車がやって来ました。
⑥姫路行湘南色
こちらは懐かしい湘南色の電車です。

そして、伯備線の車中で呑むお酒は新見の地酒「ひのくち三光」。
⑦ひのくち三光
20度の強いお酒なので、呑み過ぎに注意です。
方谷駅の近くでは売っておらず、新見駅で買いました。

IMG_20151103_0001.jpg

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  1. 2015/12/06(日) 00:01:21|
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山陰本線・吉見駅と日本海に浮かぶ蓋井島

今週は、山口県の山陰本線・吉見駅と、その沖に浮かぶ蓋井島(ふたおいじま)をご紹介しましょう。
山陰本線は、京都から日本海側を通って下関の一駅手前の幡生までを結ぶ873.8キロの長大な路線です。
けれども、全線を通して走る列車は一本もなく、特に西半分は本線というのは名ばかりで、西出雲以西はすべて単線非電化で、現在では益田から先は一本の特急列車も運転されていません。

吉見駅のホームに停車しているのは、下関行の普通列車です。
①吉見駅ホーム
下関~長門市間は、区間運転の普通列車が細々と走っているに過ぎません。

これが吉見駅です。
②吉見駅舎
現在は静かな無人駅になっています。

駅から歩いて10分ほどの所に吉見港があります。
③吉見港
停泊しているのは蓋井島への定期船です。島まではおよそ40分。4月から10月は1日3往復、11月から3月までは2往復運航されていますが、冬は海が荒れて欠航になることも多くなります。ですが、この定期船、JTBやJRの大型時刻表にも載っていません。

夕方の船で、夕陽の中の蓋井島に着きました。
④蓋井島夕景
響灘に浮かぶこの島は、周囲およそ10キロ、人口わずか90人の小さな島です。この島には、中学校もなければ、交番も郵便局も信号機もありません。あるのは、小学校と、一軒の商店と豊かな自然と島人の人情だけです。子供たちは小学校を卒業すると、対岸の寄宿舎に住み、吉見にある中学校に通うそうです。

蓋井港の夕景です。
⑤蓋井港夕景
その夜はおばあちゃんが一人で住む民宿に泊まりました。でも、私は2か月ぶりに来た泊り客だったそうです。

蓋井島の朝はとても早いのです。
⑥早暁蓋井港
夜もまだ明けない4時に、漁に出ていた船が帰ってきます。島の婦人たちが総出で出迎えて、水揚げを手伝います。
⑦烏賊が獲れた
こんなイカが獲れました。獲れたてのイカはこんな色をしています。

明るくなると夫人たちは海に潜り、ウニを獲ります。
⑧ウニ
そんな魚介類を狙ってネコがたくさん住んでいます。
⑨ネコ
離島に行くと、どこも野良猫がたくさんいますね。
⑩干し魚
こんな干し魚は狙われないのかな?

民家の軒先には干し柿もぶら下がっていました。
⑪干し柿
干し柿は猫も食べないでしょう。

漁業のほか、この島では島おこしのため、オーストラリアの大きな鳥、エミューを飼っています。
⑫エミュー
エミューは、観光用や愛玩用ではなく、エミューの体から取れるオイルが化粧品の原料になるのだそうです。なかなかひょうきんな顔をしてるのですが、なんだか可哀そうな気もします。

エミューの卵はこんなに大きく、緑色をしています。
⑬エミュー卵
まるで、恐竜の卵のようですね。

裏山に登ってみました。
⑭集落全景
これが集落の全景です。島の裏側はエミュー牧場があるだけで、誰も住んでいません。時々、牧場から脱走したエミューが山の中を歩いていることがあります。

島にはクルマの通れる道はわずかしかないのですが、島にあるクルマの大部分は、なんとナンバーがありません。
⑮ナンバーのないクルマ
廃車になったクルマを貨物船で運んでくるのだそうです。正に治外法権の島!

午後の船で島を離れる時、民宿のおばさんが港まで見送りに来てくれました。
⑯おばさん見送り
特に何もないけれど、本当にのんびりできる島でした。また、行ってみたいなあ。

そして、最後は昭和51年の吉見駅と入場券です。
⑰昔の吉見駅
⑱入場券
このころは、この駅に遠く京都府の福知山まで行く普通列車が停車し、大阪行きや博多行きの特急列車もこの線を走っていましたが、今は昔のお話です。

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  1. 2015/09/13(日) 00:01:48|
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山陰本線・益田駅

今日は、山陰本線と山口線の全面復旧を祝して、山陰本線の益田駅をご紹介します。
益田駅は島根県の西部にあり、山口線を分岐しています。しかし、昨年7月28日の豪雨により益田周辺の山陰本線と山口線が甚大な被害を受け、一年以上にわたって不通になっていました。平成26年8月10日より最後まで不通になっていた山陰本線の須佐~奈古間、8月23日より山口線の地福~津和野間の運転を再開し、山陰本線・山口線は1年ぶりに全線運転再開となりました。これは、豪雨で不通になる前のようすです。

これが益田駅です。
1 益田駅
人口約4万人の益田市の表玄関になっています。

これは益田駅の改札口です。
2Sまつかぜ
ちょうど、米子からやって来て、山口線経由で新山口まで行く特急「おき1号」がやって来たところです。
長らく運休が続き、山口線が全面復旧するまでは津和野止まりになっていました。

これが山口線の普通列車です。
3山口線
日本国有鉄道の銘板をつけたキハ40が、まだ走っていました。

そして、益田の地酒といえば「宗味」です。
4益田地酒
創業がなんと徳川家康の時代の慶長年間と言う四百年の老舗です。


そして、益田といえば、室町時代の画聖「雪舟」が晩年を過ごしたところです。
5医王寺
建築家でもあった雪舟は、市内にある医王寺(上)と萬福寺(下)に、雪舟庭園を残しています。
6萬福寺
萬福寺の境内には、雪舟の銅像が立っており、近くには雪舟記念館があります。

そして、この地方で有名なのは石見神楽です。夏になると毎晩市内で公演が行われています。
7石見神楽
これは、石見神楽の定番、「大蛇(おろち)」です。八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治する素戔嗚尊(スサノウノミコト)の闘いぶりが、迫力満点に演じられます。 

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  1. 2014/08/24(日) 00:02:52|
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山陰本線(仙崎支線)仙崎駅

山陰本線の長門市から分岐して仙崎までのわずか2.2キロの支線があります。これは、山陰本線仙崎支線です。きょうは、この短い支線の終点・仙崎駅をご紹介しましょう。
1仙崎
仙崎と言えば、蒲鉾が有名で、また名勝・青海島への玄関口でもあり、駅の近くから観光船が出航しています。
この支線は、線路戸籍上は山陰本線の一部ですが、運行系統上は、昔から厚狭~長門市間の美祢線からの直通列車が大半を占めており、美祢線の一部のようになっています。

これが駅舎です。元々は殺風景なコンクリート駅舎でしたが、壁の周囲を木の化粧板と瓦葺きの屋根で覆い、木造駅舎風邪に改造されています。これは観光客を意識してのことでしょう。
2仙崎駅
訪れた夏の日には七夕の飾りつけがされていました。

仙崎は、明治の詩人、金子みすゞの故郷です。
4金子みすず
それにちなんで休日などに新下関からの臨時快速「みすゞ潮騒号」が仙崎まで運転されています。

けれでも、この支線に沿って路線バスが何本も運転されており、現在の運転本数はわずか一日6往復しかありません。
3仙崎ホーム
私はここ数年で2度、この駅を訪れましたが、いずれもほんのわずかしか利用者の姿はありませんでした。

これは、私が初めてこの駅を訪れた昭和47年の写真です。向かって右側に立っているのが、高校生だった私です。当時はまだ、このあたりの山陰本線には蒸気機関車の牽引する旅客列車や貨物列車が運転されていたものです。
5S47仙崎駅
当時の時刻表を紐解けば、一日24往復と、現在の4倍もの列車が発着し、休日には広島始発の臨時列車が運転されていたこともありました。けれども、今は無人駅となってひっそりとしています。

6仙崎切符
そして、これは当時の仙崎駅発行の切符です。


まだ、具体的な廃線の話は出ていないものの、JR西日本は、影響の少ない短距離の不採算路線の廃止方針を表明しており、わずかの利用者しかいないこの線の将来の存続はかなり厳しいのではないかと思われます。
  1. 2014/01/26(日) 00:01:17|
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三江線宇都井駅

きょうは芸備線の三次(みよし)から、山陰本線の江津(ごうつ)を結ぶ三江(さんこう)線にある宇都井(うづい)駅をご紹介しましょう。
341宇都井
三次から1時間余、江津から2時間余で宇都井に着きます。このあたりは深い山に囲まれ、広島県と島根県
県境付近に位置しています。


この駅がほかの駅と違っているのは、トンネルとトンネルに挟まれた谷の上に架けられたコンクリート橋上にあるということです。
IMG_3415.jpg
長方形の四角いコンクリートの階段室がホームまで続いています。地上からの高さは21メートル。こんな山の中の駅にエレベーターやエスカレーターがあるはずもなく、利用客はひたすら106段の階段を昇り降りしなければなりません。

ホームに向かう階段には地元の子供たちが書いたこんな貼り紙が10段おきにしてありました。
IMG_3426.jpg
IMG_3430.jpg
IMG_3435.jpg
これを見ながら登ると、すぐにホームに着きましたが、毎日利用する人は大変でしょう。

そして、ホームから見下ろす景色です。
IMG_3412.jpg
ここは石見瓦の民家が数軒あるだけの小さな集落です。やがて、お婆さんがひとり、ゆっくりと息をキレせながら階段を登って着ました。

この駅を通る列車は一日4往復のみ。私が乗った朝の三次行の次の列車は9時間後までありません。
現在、バスによる試験増発運転が行われていまが、三江線は存亡の危機に直面しています。

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  1. 2013/05/25(土) 10:52:03|
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大嶺支線の思い出

きょうは、拙著『消えゆく鉄道の風景』に取り上げた、山口県の美祢線大嶺支線をご紹介しましょう。
大嶺292
これは、昭和55年の大嶺駅です。この駅は、山陽本線の厚狭から山陰本線の長門市を結ぶ美祢線の南大嶺駅から大嶺まで分岐していた大嶺支線の終着駅です。大嶺支線は、平成9年に明治38年の開通以来、92年に及ぶ歴史に幕を降ろしました。かつて、この駅は大嶺鉱山から産出された石灰石や石炭を積み出す基地として、多くの蒸気機関車が牽引する貨物列車が発着していました。


この駅名票は、その当時から掲げられていたものと思われます。
大嶺293
しかし、鉱山の閉山に伴って、貨物列車は廃止され、旅客も年々減少し、晩年は一日15人程度でありました。


これは昭和55年に訪れた時の硬券入場券です。
きっぷ290
当時は、まだこの駅に駅員が勤務していました。


南大嶺駅に停車中の大嶺行列車です。
南大嶺291
朱色の近郊型キハ30系が一両で行き来していました。


こちらは廃線間際の、平成9年3月の大嶺駅です。
大嶺294
一両だけのキハ23が、廃止された南大嶺~大嶺間を最後まで走っていました。
大嶺296

かつて、何両もの貨車が留置されていたであろう駅構内は、ひっそりと静まり返り、枯草が風に揺れてなんとも物悲しい風景でした。
大嶺295

この場所に列車が来なくなって早くも16年が過ぎました。
大嶺297
今はこの山里はどうなっていることでしょうか。



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  1. 2013/04/29(月) 05:25:49|
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特急「スーパーはくと」の旅

きょうは京都と鳥取・倉吉の間を1日7往復運転されている特急「スーパーはくと」をご紹介しましょう。

7はくと芦屋
これは、東海道本線・芦屋~甲南山手間を行く下り「スーパーはくと」です。
この列車は京都を発車すると東海道本線、山陽本線を経由し、上郡から智頭までは、第3セクターの智頭急行線を経由し、さらに因美線、山陰本線を走ります。前回ご紹介した播但線経由の「はまかぜ」が大阪~鳥取間を4時間以上かかるのに対して、この列車は2時間半前後で快走する、鳥取と京阪神を結ぶメインルートになっています。初めて乗った時には、気動車とは思えないほどの走りの速さに驚いたものでした。この車両はHOT7000系という智頭急行所有のものです。


これが列車名の由来となった「白うさぎ」です。
00しろうさぎ
これは、鳥取市内の白兎海岸にある白兎神社の境内にあるもので、神話の「因幡の白うさぎ」が祭神となっている神社です。


そして、鳥取と言えば、鳥取砂丘ですね。
0砂丘
南北2.4km、東西16kmの日本海を望む広大な砂丘は、あまりにも有名で、鳥取を訪れた観光客が一度は必ず訪れる一大観光地となっています。


さて、鳥取駅から「スーパーはくと10号」に乗りました。
1はくと鳥取
車内放送が入る前には「大きな袋を肩にかけ、大黒様が来かかると、ここに因幡の白うさぎ・・・♪」と「大黒様」の曲が流れます。また、駅によっては「うさぎ追いしかの山・・・」と「ふるさと」の曲が流れ、なんだか、懐かしい気分になってきます。


これは、因美線の郡家駅に停車中の列車です。(別の日に撮影)
2はくと郡家
隣のホームには、若桜鉄道の列車が停車しています。若桜鉄道は、国鉄若桜線を継承した第3セクター鉄道です。


この列車の車掌さんは、倉吉~上郡間は若い女性が乗務しています。
3ポスター4はくと女車掌
国鉄時代は鉄道は男性の職場と決まっていましたが、最近は女性の鉄道現場への進出が著しく、車内が華やかになりましたね。


これは、最前部に設置されている4人用の半個室で、その横には2人用の席もあります。
5はくと半個室
グループにはいいかもしれませんが、半個室席にはヘッドレストがないので、一般の座席の方が座り心地がよいと思います。


そして、こちらは洗面所です。
6はくと洗面器
因州中井窟の陶器で造られた洗面台と、倉吉絣(かすり)の暖簾が掛かっています。

このように、「スーパーはくと」はなかなか楽しい列車なのですが、車内販売が廃止されてしまったのは残念なことです。(ソフトドリンクの自動販売機は設置されています)

なお、「スーパーはくと」や「はまかぜ」などの在来線特急と、新幹線とを姫路・新大阪・京都で乗り継ぐ場合、同時に特急券を買うと、在来線の特急料金が半額になるので、お得です。

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  1. 2013/03/30(土) 10:11:08|
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津和野で山口線俯瞰撮影

きょうは、益田から津和野まで行き、山口線の列車を俯瞰撮影しました。
俯瞰1
俯瞰2
これは、C571が牽引する津和野行下り「やまぐち号」です。ここは下り勾配のため、残念ながら煙は吐きませんが、編成全体をゆったりと撮ることができます。

俯瞰3
これは、下り普通列車益田行です。朱色と黄色の車体がきれいですね。

俯瞰4
これは、下り特急「スーパーおき」です。先の3枚よりも高い位置から撮影しました。

撮影場所は、最初の三枚が津和野の太鼓谷稲荷神社の駐車場から、
あとの1枚が津和野城址本丸付近からです。
津和野城

太鼓谷稲荷神社へは駅から徒歩30分、またはタクシーで5分、津和野城址へは、神社の近くから5分ほどリフトに乗り、山頂から徒歩で20分ほどの場所にあります。

その後、津和野の町をゆっくりと散策し、
津和野鯉


15時20分発の上り「SLやまぐち号」に乗りました。
SL.jpg

これは、篠目で停車中、笑顔を見せる女性機関士です。
機関士

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  1. 2012/08/04(土) 16:26:00|
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長門本山~長門峡~仙崎~益田

今日は猛暑の中、まず朝一番に小野田線の長門本山に行きました。長門本山
ここは最後まで、旧型の茶色い国電が走っていた線。これは、昭和55年の写真です。
長渡本山昔


今は1日わずか3往復しか電車が走らない超閑散線区。いつ廃止されても不思議ではありません。
これは、浜河内~長門本山間です。
浜河内

その後、山口線に行き、これは、上郷付近の普通列車です。
上郷

さらに長門峡では、いよいよSLやまぐちを撮影です。この列車を牽引するC571とは、昭和47年に新潟県の羽越本線で撮影した時以来、40年ぶりの再会です。
長門峡


その後、新山口に戻り、山陽本線経由、厚狭から美祢線に乗ります。
於福
これは於福駅ですが、閑散としていて人影がまったくありません。

そして、金子みすずの故郷の仙崎へ。この仙崎支線も1日6往復しかない盲腸線。
仙崎


さらに長門市から山陰本線で美しい日本海を眺めながら、益田を目指します。
これは、三見~玉江間の夕闇迫る日本海です。
三見~玉江

益田に荷を解くのも40年ぶり。夏は毎晩行われている石見神楽で、八股の大蛇を退治するスサノオノ尊などを鑑賞。
大蛇

ようやく長い1日が終わりました。ああ、暑かった…
帽子と三脚


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  1. 2012/08/03(金) 14:09:39|
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三江線宇都井駅と芸備線、伯備線の旅




今日は、まず、三次5時47分発の三江線始発列車フォトに乗って早暁の宇都井駅を訪ねました。この駅は広島県から県境を越えて島根県側の山の中にある1日上下4本の列車しかやって来ない小さな駅。トンネルとトンネルに挟まれた高い高架橋の上にある不思議な構造をしています。都会の駅なら当然、バリアフリー化がなされているはずですが、1日ほんの数人の利用者しかいないこの駅から列車に乗るには、100段以上の階段を登るしかありません。フォト
駅の周囲には赤茶色の石見瓦の屋根の民家が何軒かあるのみで、あたりには川の流れと風の音が聞こえるだけの静寂の世界が広がっていました。
宇都井で1時間を過ごした後、三次に戻り、朝から三次の地酒「白蘭」を飲みながら芸備線の上り列車に乗って途中下車したのは、備後西城駅でした。かつての急行停車駅も、たった一両の列車が行ってしまうとひっそりと静まり返ります。この小さな町を散歩し、鉄橋を渡る下り列車を撮影。
その後、雪に包まれた備後落合で1日わずか3本の新見行きに乗り継ぎ、伯備線と合流する備中神代駅、さらに有形文化財に指定された方谷駅でも途中下車をして、乗り鉄三昧の1日を過ごしました。フォトフォト
ただ、備中神代も方谷も駅の周囲に開いている店は一軒もなく、方谷から乗った姫路行は、主要駅での停車時間が短かったため、車内で飲む岡山県の地酒が調達できなかったのが残念でした。新見か、備中高梁あたりだと買えたんだけどなあ…
そして、今夜からはしばらく神戸の実家で過ごします。
  1. 2011/12/30(金) 21:34:00|
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呉線の旅と三次のカープファンおじさんの店




広島県の三次市に来ています。
朝の飛行機で広島空港に飛び、その後、三原へ。三原駅近くの酔心本店で、地酒を買った後、のどかな瀬戸内海を眺めながら呉線の旅。呉と天応で途中下車しながら広島経由、芸備線に乗り換えました。車内で偶然、同席だった地元のご夫婦と、しばし、写真談義。嬉しいことにその後、著書を1冊ご購入いただきました。
三次では駅前にある濃厚なカープファンのご主人がいる居酒屋「りょうちゃん」へ。来年は必ず、カープが優勝すると豪語する大将と野球談義を交わしつつ、辛口の千福の熱燗で、今夜もいい気持ちになったのでした。
  1. 2011/12/29(木) 22:50:00|
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因美線、若桜線、津山線の旅




年末一人旅、最終日のきょうは、鳥取から因美線、津山線、山陽本線を経由して神戸の実家までの18きっぷの旅です。
まず、鳥取から因美線から若桜鉄道に直通する若桜行で出発。郡家から第三セクター若桜鉄道に入ると、因幡船岡、隼、安倍、丹比と国鉄時代から残る古い木造駅舎が続きます。
そして、終点の若桜(わかさ)駅は多くの鉄道施設が有形文化財に指定されています。構内には見事に手入れの行き届いたC11型蒸気機関車が保存され、手動式転車台、給水塔などを見学することができます。(3枚目の写真)
また、各駅のホームには等身大の素朴な人形がホームにいて、ほのぼのとした気持ちにさせてくれました。
郡家に戻り、智頭行、さらに津山行きと因美線の列車を乗り継ぎました。乗り合わせた地元のおじいちゃんとなごやかな話をしつつ、昨日までの海の風景から一転して山奥の鄙びた風景を堪能しました。
津山からは、津山線で岡山を目指します。(2枚目の写真は渋い津山駅のホームです)途中、弓削(ゆげ)で下車して田園地帯を行く列車を撮影。この町は川柳と河童の町。駅前でかわいい河童たちが出迎えてくれます。(1枚目の写真)そして、駅にはたくさんの川柳が飾られていました。

その後、岡山と姫路で乗り継ぎ、神戸の三ノ宮に着きました。
  1. 2009/12/29(火) 18:53:00|
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山陰の荒れ狂う海を車窓から眺めた1日


きょうの18きっぷの旅は長門市駅から夜明け前の仙崎支線と、美祢線の四郎ヶ原(一枚目の写真)まで往復した後、ひたすら山陰本線を東進。左手に荒れ狂う冬の日本海(二枚目の写真)を眺めながら旅となりました。
かつては門司発福知山行や、京都発出雲市行などの長距離普通列車が旧型客車で運転されていたものですが、今では短区間に細切れにされた気動車ばかり。長門市から益田、浜田と乗り換えて、まず、下府(しもこう)で途中下車。というのはその直後に上下線の特急列車がこの駅を通過するため、下府駅近くの川沿いから撮影しようというわけです。
その後、温泉津(ゆのつ)でも特急を撮影。
米子からゲゲゲの鬼太郎とその仲間たちが待つ境線(三枚目の写真)に乗るころには、あたりは暗くなってしまいました。でも、妖怪たちに会いに行くのは、夜の方がふさわしいのかもしれません。
  1. 2009/12/28(月) 19:41:00|
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郵便局も交番もない島


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早朝から蓋井島を堪能しました。
まず、3時半に起床し、おばさんと一緒に港まで定置網漁に出ていた漁船を迎えに行きました。4時になり満天の星空の下、漁り火共と共に帰ってきた船からは、カワハギやヒラスというブリのような大きな魚が次々と水揚げされていきます。それを港で待つ女達が運びます。周囲には無数の猫たちが、捕れたての魚を狙っています。
その魚は、早速、朝食のお膳に刺身や味噌汁として並びました。
朝食後は島内散歩。
まず、海岸でおばさん達のウニ漁を見物したあと、灯台へ。近くの金比羅神社からは、島の集落が一望に見渡せました。(2枚目の写真)
島の反対側の海岸に下りるとハングル語の浮遊物がたくさん漂着しており、韓国との近さを実感。
さらに歩くと島おこしとして飼育しているエミュー牧場に着きます。(1枚目の写真)エミューとはオーストラリアのダチョウのような大きな鳥で、美容にいい良質のオイルが取れるそうです。
この島で驚いたことは、まず、島のクルマの大半にナンバープレートがないこと。廃車になった軽自動車を安くもらってくるそうです!
それを取り締まるお巡りさんは一人もおらず、正にここは治外法権の島です。けれども、決して犯罪や事故など起こりそうもありません。

島には、郵便局も診療所も、中学校も、食堂もなく、あるのはたった一軒のみなと屋という雑貨屋さんだけ。
島の子供たちは中学生になると対岸の吉見にある寮に住んで学校に通うそうです。また、お医者さんは月に一度だけ回診に来るだけなので、船で吉見や下関まで通うとのこと。
人口わずか92人!それでも、島の人々は明るく生活していました。

15時出航の船で民宿のおばさんに桟橋まで見送られて吉見に戻りました。吉見駅からは、小串、宇賀本郷、滝部と山陰本線の小さな駅に途中下車しながら、今は長門市駅前の小さなステーションホテルに投宿しています。

明日も早朝から仙崎支線、美祢線に乗ったあと、長門市に戻り、山陰本線をひたすら東進して鳥取まで青春18きっぷの旅です。

  1. 2009/12/27(日) 22:32:00|
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信州の秘湯で「どん行会」




昨夜は、長野県奥蓼科の明治温泉で鉄道出版界の重鎮の方たちと深夜までお酒を飲み交わしました。前回は欠席された大御所のレイルウエーライターT氏も、お元気に参加され、親しくお話をさせて頂きましたが、折しも、昨日の朝日新聞に載った「銀河」「あかつき」「なは」などのブルートレイン廃止のニュースには大変驚かれていました。
大いに盛り上がる中で、私も鉄道アナリストK氏と「いい日旅立ち」を熱唱♪
最後は皆で肩を組んで「高原列車」を合唱し、二次会へと移りました。

この温泉は中央本線茅野駅から行く山の奥深くの谷底にある一軒宿です。あたりはすでに雪に包まれ、ひんやりとした空気に包まれています。今朝、早起きして氷点下6度の寒さの中、アナリストのK氏と2人で雪の中を散歩していると、なにやら黒い大きな動物が山の斜面から谷へ下りてきました。
「あれ、熊ちゃうか」との彼の声に思わず近寄ってカメラのシャッターを切る私。「あまり、近寄らを方がええよ」と言われ、確かに危ないかも、と後ずさりしましたが、その距離、わずか20メートルぐらいでした。
でも、あとで宿の人に聞いたら、それはカモシカだったようです。ムクムクの黒い毛で木の影で見えにくかったので、熊に見えたのでした。

写真は茅野駅前のC12型蒸気機関車と旅館の前の雪景色、それに熊と間違えたカモシカです。


  1. 2007/11/19(月) 21:17:00|
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