田中正恭の汽車旅日記

ここは、紀行作家・田中正恭 (たなかまさやす) が、つれづれなるままに各地の旅や、鉄道に関する話題について綴っており、原則として毎週日曜日に更新しています。時には鉄道以外の話題になることもありますが、よろしくお願い致します。内容につきましてのご感想や、執筆や講演などの依頼がありましたら、お気軽にメッセージをお寄せください。なお、写真や文章の無断転載はご遠慮願います。

石巻線・女川駅の昔と今

今週は、宮城県北部を走る石巻線の終着駅、女川駅の昔と今をご紹介します。
女川町は、牡鹿半島の海沿いにある風光明媚な町ですが、平成24年3月11日に襲った東日本大震災に伴う大津波で壊滅的な被害を受けました。私は縁があって震災前に3回、震災後に2回この町を訪れています。
①S600811女川駅舎
これは、昭和60年、国鉄時代の女川駅です。
②女川駅ホーム
赤い気動車が到着すると、大勢の地元民や観光客がこの駅で降りました。

女川は漁業の町、これは女川港のようすです。
③賑わう漁港
港にはテントが張られ、大勢の観光客で賑わっていました。
④漁港即売

そして、こちらは平成12年のJR女川駅です。
⑥H12JR女川駅
木造の建物はそのままですが、リニューアルされ、きれいになっていました。

そして、こんな歓迎看板が掲げられていました。
⑦歓迎看板
当時のプラットホームは、駅舎より一段高い位置にあり、ホームに降りた客は階段を下りて改札口に向かったものです。

町の古い商店街です。
⑧街の商店
こんな昔懐かしいお店が残っていましたが、すべて大津波に流されてしまったのです。


そして、これは、津波から2カ月後に拙著『よみがえれ東日本、列車紀行』の取材で訪れた時の惨状です。
⑨津波後駅前
ここに駅舎があったのですが、土台と床のタイルを残して跡形もなく流されていました。

この津波で、10014人だったこの町の人口のうち、827名が死亡または行方不明となり、町全体の89.2%にあたる3934棟の民家が全壊または半壊などの被害を受けました。

錆びついた線路には流されてきた自動車や、倒れた赤い気動車が横たわっていました。
⑩流された線路

そして、もっとショックだったのは、駅の近くの標高10メートル以上の丘の上にあった墓地の上に、駅に停車中だった気動車が打ち上げられ、横倒しになっていたことでした。
⑪お墓の上の気動車
列車の乗客・乗員は避難していて無事だったのが不幸中の幸いでしたが、あまりの惨状に言葉を失いました。

こちらは震災後に地盤沈下し、浸水した女川港です。
⑫浸水した女川港
右上の高台の上に建つ病院だけが、無事に残っていました。


そして、こちらは、震災から4年3か月後の、今年6月の女川のようすです。
⑬更地
町を埋め尽くしていた瓦礫はすべて撤去され、あたりには広大な更地が広がっていました。
⑭更地2
そして、ショベルカーによる復興作業が行われています。

高台には銀行の屋上に避難したものの、建物ごと流されて亡くなった七十七銀行女川支店の行員の方々の慰霊碑と祭壇がありました。
⑮慰霊碑
思わず、手を合わせずにはいられません。

そして、かろうじて流されなかった病院の庭には、その場所まで津波が到達したことを示すモニュメントが建っていました。
⑯モニュメント

今年3月30日、震災以来不通になっていたJR石巻線浦宿~女川間が、4年ぶりに開通しました。
⑰新駅ホーム
ホームは一面一線だけのシンプルな構造です。

新駅舎は、旧駅跡から200メートル山側に移設され、7メートルかさ上げされた上に建設されました。
⑱新駅舎
そして、駅舎内には震災前にもあった「YUPOPPO」という駅の温泉が併設されています。
yupoppo.jpg

まだまだ、更地が広がる町が復興するまでの道のりは厳しいかもしれませんが、完全復興に向けて町には確実に槌音が響いています。そして何より、町の人々の表情が明るいことに、救われた思いがしました。一日も早く、この町がかつての賑わいを取り戻すことを心から祈っています。

⑲新旧入場券
これは、新旧の女川駅の入場券です。
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テーマ:鉄道の旅 - ジャンル:旅行

  1. 2015/07/12(日) 00:01:29|
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