田中正恭の汽車旅日記

ここは、紀行作家・田中正恭 (たなかまさやす) が、つれづれなるままに各地の旅や、鉄道に関する話題について綴っており、原則として毎週日曜日に更新しています。時には鉄道以外の話題になることもありますが、よろしくお願い致します。内容につきましてのご感想や、執筆や講演などの依頼がありましたら、お気軽にメッセージをお寄せください。なお、写真や文章の無断転載はご遠慮願います。

石北本線・遠軽駅

今週は、昭和時代の色が濃く残る、北海道の石北本線遠軽駅をご紹介します。この駅は新旭川と網走を結ぶ石北本線の途中にある主要駅ですが、現在では全列車がこの駅でスイッチバックして進行方向が変わる構造になっています。
②ホーム
この駅がスイッチバックになったのは、地形によるものではなく、この駅の開業時のちょっと複雑な事情によるものです。遠軽駅が開業したのは大正4年、野付牛(現在の北見)から留辺蘂を経て延びてきた湧別軽便線が、オホーツク海沿岸の湧別を目指して途中の開盛まで延伸した時でした。この時、まだ、旭川方面からの石北本線は開通しておらず、湧別方面へまっすぐ進む形の線形が出来上がったのです。その後、遠軽からスイッチバックする形で丸瀬布まで開通したのはそれから12年後の昭和2年でした。その先、さらに昭和7年に旭川方面からの線路がつながり、石北線が全通。のちに新旭川~網走の現在の石北本線となったのでした。一方、遠軽からまっすぐに開盛まで伸びた線路は、その後、大正10年に中湧別、紋別、興部、下川などを経て、名寄に至る名寄本線となりました。札幌方面からの急行列車も遠軽からまっすぐに乗り入れてた名寄本線ですが、時代の流れと共に年々利用者が減少し、国鉄民営化後の平成元年に廃止されてしまったのです。
その結果,まっすぐに進む名寄本線が消滅し、あとからスイッチバックする形で建設された石北本線だけが残ったため、現在のような線形となったのでした。
①遠軽駅舎
堂々たる三角屋根の駅舎は、今も色濃く国鉄時代の雰囲気を残しています。

古びた跨線橋の階段は木製です。
③階段
いったい何人の人が、これまでにこの橋を渡って列車に乗ったのでしょうか。

そして、駅構内には、使われなくなったターンテーブルが今も残されています。
④ターンテーブル
かつて、遠軽は石北本線と名寄本線とが分岐する鉄道の要衝として栄え、広い構内には多くの蒸気機関車の姿がありました。
でも、今ではターンテーブルは錆びつき、周囲の線路もはがされて、あたりは夏草に覆われています。

線路のその先は、廃止から26年が経過した名寄本線の廃線跡が、今も残されています。
⑤名寄本線跡
今にも、紋別方面からの列車がやって来そうな気がしました。

また、この駅の広報には、高さ70メートルの瞰望岩(がんぼういわ)と呼ばれる巨岩がそびえたっています。
⑥瞰望岩
この岩は遠軽のシンボルとなっており、簡単に上まで登ることができます。瞰望岩の麓は遠軽公園になっていて、そこにはかつて石北本線などで活躍したD51型蒸気機関車や、キ100形と呼ばれる除雪車が静態保存されています。
⑦D51
このデゴイチは、昭和18年に広島で製作され、昭和23年に山陽本線から石北本線に転属されて47年まで走り続けた機関車です。

瞰望岩から眺める大俯瞰です。
⑧大俯瞰1
旭川方面からの線路を札幌発の「オホーツク1号」がやってきました。

この陸橋と踏切を過ぎたところで、網走方面からの線路と合流し、遠軽駅構内に入ります。
⑨大俯瞰2

遠軽駅に停車中の「オホーツク」です。
⑩大俯瞰3
駅構内には、二両の普通列車が留置され、青い屋根の駅舎と跨線橋を眺めることができます。まるで、ジオラマを眺めているみたいですね。

やがて、列車は網走方面に向かって発車して行きました。
⑪大俯瞰4

これは、今と昔の遠軽のきっぷです。
⑫切符
国鉄時代も何度もこの駅を利用したのに、写真を撮っていなかったことが残念でなりません。

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テーマ:鉄道の旅 - ジャンル:旅行

  1. 2015/08/30(日) 00:01:46|
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