田中正恭の汽車旅日記

ここは、紀行作家・田中正恭 (たなかまさやす) が、つれづれなるままに各地の旅や、鉄道に関する話題について綴っており、原則として毎週日曜日に更新しています。時には鉄道以外の話題になることもありますが、よろしくお願い致します。内容につきましてのご感想や、執筆や講演などの依頼がありましたら、お気軽にメッセージをお寄せください。なお、写真や文章の無断転載はご遠慮願います。

五月晴れの神戸電鉄粟生線

今週は兵庫県の神戸電鉄・粟生(あお)線をご紹介しましょう。

神戸電鉄粟生線は、有馬線の鈴蘭台から分岐して粟生までを結ぶ29・2キロの路線です。
沿線に小野市や三木市から神戸市内への通勤通学客の足として、長年にわたって重要な役割を担っていました。

ところが、近年、高速道路網の発達により、三木など粟生線沿線から神戸の中心部とを結ぶ高速バスが発達し、利用者が激減してしまいました。バスは三ノ宮など市内中心部に直接乗り入れるのに対し、神戸電鉄は新開地で乗り換えが必要な上、運賃や所要時間でもバスの方が優っているため、神戸の都心に向かう通勤客が根こそぎバスに乗り換えてしまったのです。

それにより粟生線は年間10億円以上の赤字を計上しており、廃止がささやかれるようになってしまいました。
しかも、三木市長は「もう鉄道は必要ない」の立場を取っているとのこと・・・。

以前は、15~30分おきに走っていた運転本数も、今では日中、志染~粟生間は1時間に1本しかなく、利便性が著しく低下してしまいました。
そして、それにより、益々乗客が減少するという悪循環に陥っているのが現状なのです。

そんな粟生線を、五月晴れの日に訪ねました。

これは鈴蘭台駅の構内です。
新開地から有馬線を通って来た電車は、六甲山脈を越え、鈴蘭台から粟生線に入ります。
①鈴蘭台 (550x367)
留置線に停車中の電車の脇を通り、有馬線から左方向に粟生線が分岐します。

緑に囲まれた藍那(あいな)駅付近を行く新開地行の準急電車です。
②藍那発車 (550x367)

藍那駅で下り回送電車と上り電車が交換しました。
③藍那交換 (550x360)
藍那からその先の川池信号場までは、単線となります。
かつて、輸送力増強のために押部谷までの複線化を推進しようとしたことがありました。
④複線準備 (398x550)
右手に見える土地は、複線化準備のために整備した土地ですが、工事は中止され、今後、複線化される見込みはありません。

粟生線の中心駅、志染です。
⑤志染 (550x367)
志染から先は運転本数が半減します。

これは、三木上の丸駅です。
⑥三木上の丸駅 (550x367)
昭和12年の開業以来、79年間もの歴史が感じられる古い駅舎です。

駅のすぐ上にある三木城跡から眺めた美嚢川(みのうがわ)橋梁を渡る電車です。
⑦美嚢川橋梁1 (550x367)
三木の街並みの中をゆったりと電車は走ります。
⑧美嚢川橋梁2 (550x367)
三木城址には、かつての三木城主・別所長治公の騎馬像があります。
⑨別所長治公騎馬像 (550x367)
長治公は、羽柴秀吉との戦いで兵糧攻めに合い、22か月間籠城した後、切腹して開城し、共に籠城した配下の兵たちの命を救ったことで有名です。

また、三木は刃物の町です。
⑩金物博物館 (550x367)
三木城跡にある金物博物館には、様々な伝統的な刃物が展示されています。

市内には古い建物がたくさん残されています。
⑪三木高等女学校 (550x367)
これは刃物博物館の近くにある、旧三木高等女學校の校舎です。

そして、これは国の有形文化財に指定されている旧玉置家住宅です。
⑫旧玉置家 (550x367)
この家は文政9(1826)年に建てられたそうです。

こんな家が何軒もあります。
⑬旧家 (550x367)
これら文化的価値のある財産を生かして、観光客を呼び込み、粟生線の活性化につなげられないものかと思います。

こちらは、旧三木鉄道三木線の三木駅です。
⑭旧国鉄三木駅 (550x367)
大正5年に開業した三木線は、播州鐡道、播丹鐡道を経て、昭和18年に国鉄に統合され、さらに昭和60年に第三セクターの三木鉄道に転換されましたが、平成20年に廃止されてしまいました。
⑮旧駅内部 (550x358)
現在は地域の人のふれあい館となり、駅舎内には昔の三木線の資料が展示されています。


三木市内の中心部の踏切を渡る電車です。
⑯三木中心部踏切 (550x367)
これは、粟生線の三木駅。
⑰三木駅 (550x367)
上下線にそれぞれ別の駅舎がありますが、こちらは下り線側にある昭和13年の開業時からの建物です。

上り線側にはこんなトイレがありました。
⑱三木駅トイレ (550x367)

三木駅に下り電車がやって来ました。
⑲三木駅ホーム (550x367)
でも、下り線のホームで電車を待つ乗客は一人もいませんでした。
三木市の中心駅のこの駅も、今では無人駅になってしまいました。

大村駅の駅名票です。
⑳大村駅名票 (550x367)
この鳥居型の駅名票は、今ではこの駅でしか見られなくなってしまいました。


葉多(はた)~小野間のレンゲ畑の中を行く電車です。
㉑葉多~小野1 (550x364)

五月晴れの空の下、鯉のぼりが泳いでいます。
㉒レンゲと鯉のぼり (550x367)
葉多駅の周囲は、こんな美しい風景がひろがっていました。
㉓レンゲ畑 (550x367)

葉多~粟生間に架かる加古川橋梁を渡る下り電車です。
㉔加古川橋梁 (550x367)
この鉄橋を渡ると、間もなく終点の粟生に到着します。

粟生駅ではJR加古川線の電車と接続します。
㉕粟生到着 (550x367)
粟生は神戸電鉄のほか、JR加古川線、北条鉄道の3路線が交わるターミナルです。
㉖粟生駅 (550x367)
今は、こんな、洒落た西洋のお城のような駅舎に生まれ変わっていますが、あたりに人の姿はなく、ひっそりと静まり返っていました。
なんとか、この粟生線が存続できるように願わずにはいられません。



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  1. 2016/05/08(日) 00:01:49|
  2. 近畿
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:1
<<東海道本線二宮駅付近を走る列車たち | ホーム | 『たのやく』5月号に記事を転載しました。>>

コメント

神鉄再起に向けて!横浜より...

今の時代は個性やイメージが大事。『東京急行電鉄』は『東急』だ。『神戸電鉄』は天下の『阪急グループ』に属しているのだから、もっともっとイメージ戦略をきちんとすべし。株主ではなく一般利用客に対しては堅苦しい『神戸電鉄』でなく『神鉄(SHINTETSU)』という略称を専門的に用いるべきだ。『東急ハンズ』のことを『東京急行ハンズ』と呼ぶ人はいない。『近鉄百貨店』のことを『近畿日本鉄道百貨店』などと言う人もまたいない。一私企業にとって「コーポレートイメージ」の構築は今や結構大切な事項だ。また神鉄沿線には”太閤の湯処”『有馬温泉』を始め『三木城址』などの天下人・豊臣秀吉公(1536~1598)所縁のポテンシャル十分な魅力ある観光資源が眠っている。新幹線は今や全列車が新神戸駅に停車する。この利点を大いに活用して東京首都圏や名古屋中京圏から歴史ファン等を新幹線・新神戸〜谷上〜有馬温泉へと導く類の宣伝活動を行うのも一考の価値がある。過度に地味なSHINTETSUの今後の努力と変身を大いに期待している。また兵庫県や沿線各自治体も国と共に神鉄電車の神戸都心・三宮乗り入れプランを立案するくらいの意気込みが欲しい。三木市などはもともと神鉄線の駅前にあった市民病院を郊外に移設し大規模駐車場を設置するなど沿線自治体の具体的施策ははっきり言って「言っていることと実際の行いが全く合致していない」。超高齢化社会を迎える今後の日本。これだけは言える。公共汽车是类绝对不如一条铁路的!路線バスは鉄道に如かず!#声援 from 一横浜市民...
  1. 2016/06/04(土) 16:54:14 |
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