田中正恭の汽車旅日記

ここは、紀行作家・田中正恭 (たなかまさやす) が、つれづれなるままに各地の旅や、鉄道に関する話題について綴っており、原則として毎週日曜日に更新しています。時には鉄道以外の話題になることもありますが、よろしくお願い致します。内容につきましてのご感想や、執筆や講演などの依頼がありましたら、お気軽にメッセージをお寄せください。なお、写真や文章の無断転載はご遠慮願います。

旧奥行臼駅と国鉄標津線

今週はかつて北海道東部を走っていた国鉄標津線と、原野の中にあった奥行臼(おくゆきうす)駅をご紹介します。
昭和8年に開業した国鉄標津(しべつ)線は、道東地方の開拓に大きな役割を果たしましたが、民営化後の平成元年に役目を終え、日本地図から姿を消しました。
標津線は、釧網本線の標茶(しべちゃ)から根室標津までの69.4キロと、途中、中標津から分岐して根室本線の厚床(あっとこ)までの47・5キロの、Tの字型の路線でした。
運転本数は区間によって一日4~6往復という閑散としたものでしたが、蒸気機関車牽引の貨物列車も走り、釧路からの急行列車が根室標津まで乗り入れていました。

これは、現在の奥行臼駅跡です。
①現奥行臼駅
中標津~厚床間にあった奥行臼駅は、隣の厚床まで11・5キロ、別海まで12・3キロも離れた原野の中の駅で、この駅にやって来る列車は一日わずか上下4本ずつしかありませんでした。
廃線から27年の時を経て、今なお、当時の駅舎が昔のままの姿で残っています。
標津線の駅で、駅舎が残っているのは奥行臼だけです。

駅舎から線路を眺めます。
②駅舎より線路を見る
線路は錆びついていますが、今にも列車がやって来そうです。
③ホーム
永年の風雪で、ホームの駅名票や電柱が傾いてしまっています。

④ベンチ
当時のベンチがそのまま置いてあります。

駅前には別海村営軌道風連線の車両が保存されていました。
⑤村営軌道1
この軌道は昭和12年から46年までこの別海村(現別海町)を走っていたものです。
⑥村営軌道2
現在は、別海町の文化財として駅舎とともに大切に保存されています。

さて、これは昭和61年の厚床駅です。現在ではこの駅舎はもうありません。
⑦S61厚床駅舎
根室本線のこの駅から標津線が分岐していました。
⑧厚床駅ホーム

標津線の厚床~中標津間のサボです。
⑨キハ40サボ
そういえば、国鉄末期、ほとんどのローカル線の気動車はこんな色でした。

そして、これが現役時代の奥行臼駅です。
⑩奥行臼駅S61
駅員さんが一人、寂しそうに立っています。列車が来ても乗降客の姿はありませんでした。

列車が別海駅に着いたところです。
⑪別海駅
ホームには列車を待つ人の姿がたくさん見られました。

そしてこれが中標津線です。
⑫中標津駅
この駅で厚床方面からと標茶方面からの線路が合流しました。

これは上武佐駅。
⑬上武佐駅
やはり、寂しそうに駅員さんが立っています。

そして、こちらは終着の根室標津駅です。
⑭根室標津駅
近くのオホーツク海から、国後島を眺めることができました。

時代はさらにさかのぼり、これは、昭和49年の計根別付近を行く貨物列車です。
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ああ、昭和は遠くなりにけり・・・。
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そして、これらは標津線の切符です。
⑮きっぷ⑯きっぷ
西別駅は、昭和51年、別海駅に駅名変更になりました。

こちらは現在の厚床駅と標津線代行バスです。
⑰今の厚床駅と代行バス
代行バスには乗客の姿はなく、ここを走る根室本線さえも、鉄路の存続が危うくなっています。
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テーマ:鉄道旅行 - ジャンル:旅行

  1. 2016/08/21(日) 00:01:21|
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