田中正恭の汽車旅日記

ここは、紀行作家・田中正恭 (たなかまさやす) が、つれづれなるままに各地の旅や、鉄道に関する話題について綴っており、原則として毎週日曜日に更新しています。時には鉄道以外の話題になることもありますが、よろしくお願い致します。内容につきましてのご感想や、執筆や講演などの依頼がありましたら、お気軽にメッセージをお寄せください。なお、写真や文章の無断転載はご遠慮願います。

「西鉄宮地岳線」の風景



「消えゆく鉄道の風景」の本文の一部です。

今夜は、今月中で廃線になる消えゆく鉄道3線のうち、拙著の中から福岡県の宮地岳線の風景のようすを抜粋して記載します。
(写真は左が宮地岳駅付近の田園地帯を行く電車、右が西鉄古賀駅で電車を待つ高校生たちです)

雨の宮地岳線・西鉄新宮~津屋崎惜別行(福岡県)

 今年(二〇〇六年)は梅雨明けが遅れている。七月も下旬になり、福岡では例年なら二週間以上前に猛暑が訪れているはずなのに、朝から、しとしとと小雨が降り続いている。
そんな蒸し暑い日の朝、ラッシュ時を終えた福岡市営地下鉄箱崎線と、西鉄宮地岳線とが接続する貝塚駅は閑散としていた。両線の改札口は向かい合っているが、地下鉄側は自動改札、西鉄側は非自動である。このふたつの改札口の間にある立ち食いそば屋で、遅い朝食を食べる人の姿があった。
 宮地岳線のホームには薄汚れた山吹色の電車がひっそりと停車している。二両編成の車内には、発車時刻になっても二十人足らずの乗客しかいなかった。
10時54分、津屋崎行の発車のベルが鳴る。まるで、ひと昔前の国鉄駅の発車ベルのような『ジリリリリリリ・・・』という腹に響くような音だ。
 やがて、電車は『ぶぅ~ん』という重低音の唸り声をあげながらおもむろに動き始めた。懐かしさがこみ上げてくるような、古き良き時代の私鉄電車の風景の中に私はいた。
そのすぐ脇を猛烈な勢いでJRの博多行特急列車が疾走して行く。そんなことにはお構いなしに、我が道をゆくとばかりに旧型電車はトコトコ走る。それが、旅情をかきたてる。

 だが、近代化を否むかのように、時代に取り残されたこの線の乗客は激減した。ワンマン運転、駅の外部委託や無人化などの合理化を推進する一方、沿線観光地巡りの推進などの需要喚起や地元自治体との連携で増収策を図ったが、乗客の減少に歯止めをかけることはできなかった。少子化、マイカーの普及といった、どこのローカル線でも共通の乗客減の理由のほか、並行するJR鹿児島本線の高速化、近代化が進み、乗客を奪われたことも大きい。
 その結果、西日本鉄道は、特に輸送密度の低い途中駅の西鉄新宮から津屋崎までの九・九キロを二〇〇七年三月末をもって廃止する届を九州運輸局に提出した。
一九八六(昭和六一)年、せっかく地下鉄が貝塚まで延伸してきたのに、線路の幅も、電圧も同じだったにもかかわらず相互乗り入れをしなかった。福岡の中心部に直結し、この線を活性化する絶好の機会を生かすことができなかったのである。
 地元では、沿線の福津市や古賀市の市議会に請願書が提出するなど、存続運動が展開しているが、残されたわずかの時間で廃線を撤回するのは、極めて厳しいと思われる。
(中略)
 西鉄新宮からは、いよいよ廃止区間だ。このあたりも住宅は多い。でも、どの家にも自動車があり、しかも、最近は家族がそれぞれ一台ずつ持っていると言うから、電車を利用する人はクルマの運転ができないお年寄りや高校生だけである。それでも、ふたり乗ってきたので、乗客は九人になった。
 新宮を発車すると、左手にゴルフ場が見えてきた。芝の緑が美しい。やがて古賀ゴルフ場前に着く。この駅は日本一ゴルフ場に近い駅とのことだが、大半のゴルファーたちは、マイカーで訪れるのだろう。この駅で新宮から乗った老人がひとり下車。この老人はとても、ゴルフをするとは思えない。近くのマンションの壁には、『宮地岳線廃止反対』の横断幕が見える。
 雨脚がだんだん強くなってきた。濁流であふれそうな小さな鉄橋を渡る。大雨注意報が出ており、昨夜来の大雨で隣県の熊本で、土砂崩れにより死者も出ているという。これ以上、強く降らなければよいのだが。
 西鉄古賀でふたり降り、乗客は六人になった。だが、この駅で交換した反対列車に四~五人の客が乗り込んだ。
 花見、西鉄福間と無人駅が続くが、乗降客がいない。福間駅の近くには、店舗や住宅が並んでいるのに寂しいことだ。この駅でもまた反対列車の交換があるが、今度は客の姿が見られない。
 間もなく廃線になろうかという線で、これだけ頻繁に列車交換があるのは驚きだ。単線にもかかわらず、日中でも一時間にほぼ四往復、一日七五往復もの列車が走っている。これほど便利な線なのに、ほんのわずかの乗客しかいないというのが不思議でならない。逆に言うと、こんなに利用者の少ない線で、今までよくそんなに多くの列車を運行していたとも言えるかもしれない。
 このあたりまで来ると、線路脇に生えた草の緑が雨に打たれて美しい。クマゼミやアブラゼミの声が聞こえてくる。田んぼの稲が一面、鮮やかな緑である。
 宮地岳でふたりが下車した。線名になっている駅だが、ひっそりとしている。
 終点の津屋崎には一一時三七分に着いた。ここまで乗ってきた客は、私を含めて四人だけである。この終着駅では委託の女性駅員の出迎えを受けた。トタン屋根の簡素な駅舎は、いつ来ても変わらない。
 津屋崎では折り返しの電車の写真を撮り、次の一一時五三分発の貝塚行に乗った。今度の電車は、唸らない比較的新しい車両だが、それでも昭和四〇年製造との表示がある。
「この子は、電車に乗るんが好きたいねえ。電車に乗せておくとおとなしいんよ」
 お孫さんを連れて、この線に乗りに来たというおじいちゃんとの会話である。
「私もこの坊やぐらいの時からずっと好きでね。今でも乗りまわっているんですよ」
「でも、まさか、この電車がのおなるとはねえ、私ら年寄りにとっては、のんびり座って行けるこの電車が一番だったばい。JRは混んでいて座れんしね。夏は結構、海水浴客で賑わった時もあったんだがねえ」
 しみじみと語るおじいちゃんの隣で、三歳ぐらいの坊やが嬉しそうに前を眺めている。
「ばぁいば~い、またね」
手を振る坊やに別れを告げて、私は次の宮地岳で下車した。
雨の中を宮地嶽神社に向かったが、神社に続く道を歩く人はいない。参道に並ぶ二十軒ほどの土産物屋や食堂は一軒も開いておらず、昼時なのに、食事もできない。
この神社は、杉、楠、イチョウなどの大木がうっそうと茂る森の中にある大きな神社である。境内には、高さ三メートルの鈴や、高さ二・六メートルの大太鼓がある。聞けば、いずれも日本一なのだそうだ。ここは、千六百年の歴史のある古社で、年間二百万人もの善男善女が参拝に訪れるという。だが、この時、私以外に参拝者はひとりもいなかった。きっと、神様も暇を持て余しているだろうから、願い事が叶いそうな気がした。お賽銭を五〇円入れたが、もう少し奮発すればよかった。
 宮地岳駅には臨時切符売場があり、この線の駅にしては規模が大きい。正月の初詣客や、お祭りの時には、多くの利用者で賑わったことだろう。だが、今は駅員の姿はなく、駅前に一軒の店すらなかった。来年の正月が、この駅にとって、最後の賑わいを見せる時になるに違いない。あたりには、絶え間なく雨が降り続いていた。

(二〇〇六年七月二〇日)
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  1. 2007/03/13(火) 22:13:00|
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